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2009年06月29日

「ランド 世界を支配した研究所」アレックス・アベラ

「ランド 世界を支配した研究所」アレックス・アベラ 牧野 洋 (訳)
448p文藝春秋

目次
第1部 ランド誕生 1946‐
第2部 軍産複合体に成長 1950‐
第3部 ケネディとともに 1960‐
第4部 ペンタゴンペーパーの波紋 1970‐
第5部 アメリカ帝国 1980‐
第6部 そしてこれから 2000‐

軍事シンクタンク――ランド研究所の歴史

名前くらいは 知っているが、こういうところだったのかと わかる。
特に 最近の話は 歴史の裏側を 垣間見るようだ。

確かに マトリックスの赤い錠剤を 呑んだ気分だ。

2009年06月29日

問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?(北原保雄)

さて今日は、我が天敵コミックの担当者について書こうと思います。
ウチには社員が三人いて、そのウチの一人がコミックの担当者なんですけど、あとの二人が最近社員としていろいろ頑張ろうと思っているようです。今までの仕事ぶりが酷かったんで、まだまだ普通の社員並みの仕事が出来ているとは言い難いんですけど、それでもやる気になったというのはいいことかなと思います。
でその社員二人が、コミックの担当者を何とかしようと思っているんだそうです。これまでは完全にほったらかしだったのに、さすがにマズイと思ったんでしょうか。まあ実際、コミックは売上も売場も酷いんですけどね。
最近僕は終礼で、コミックは何とかした方がいいと思うよ、という話をしました。
きっかけは、僕のいる店が入っているグループの本部の人との会話でした。以前に、革命的に文庫の売上を伸ばす方法を考えてくれと言われていて、それであるアイデア(文庫本三冊買うと中古本一冊プレゼントキャンペーン)をメールで送ったところ、電話が来ました。
そこで、そのアイデアについて話をしたり、あるいはウチの店のことについて話したりしたんだけど、そこでコミックの話になりました。で、その本部の人は、その店はコミックの担当者を変えないとどうにもならないね、と言いました。
まあそれについては僕も同感で、とにかくコミックの担当者というのは絶望的に酷いんです。どう酷いかというのは売場を見ればたぶん伝わると思うんだけど、普段の仕事を見ていてもそれは分かります。新刊しか売る気がないし(だから月毎の売上の差が激しい)、棚や平台の品揃えが最悪。売り場のメンテナンス(棚から抜けた本をストックから補充するとか、新刊台で売り切れているコミックを補充するとか)みたいなことも全然出来ないし、棚のラインナップも一向に変わらない。
まあいろいろ問題はあるけど、何よりも酷いのは、すべてのシュリンク(袋詰め)を自分でやる、という点です。最近は、あるスタッフにもやってもらうようになりましたが、その人だけ。他の人にはとにかくやらせない。シュリンクが汚くなるから、という理由みたいだけど、アホすぎますね。とにかく、社員の仕事もほとんどせずに、仕事時間の7~8割くらいはずっとシュリンクをしています。そんな担当者が、売上を伸ばせるわけがないんですね。
まあそれもあって、店全体の売上を伸ばそうと思っているならコミックをまずなんとかするしかない、という話を終礼でしたところ、社員としても今考えているんだ、という話でした。しかし、コミックの担当者は頑固ですからね。一筋縄ではいかない。論理的には僕の圧勝でも、僕の論理なんか完全に無視した反論(でも、私はそうしたくない、みたいな感じ)をしてくるからどうにもならないんだよなぁ。
僕はだから考えましたよ。今僕は文庫と新書のタ担当をしていますけど、それをやりながらコミックの担当を兼任することは出来るかどうか、と。
結論としては、誰かが新刊さえ出してくれ、かつ遅番のスタッフを全員コミックの手伝いに回してくれるなら、たぶんやれるなという感じでした。僕は指示だけ出して、後はすべて他のスタッフにやらせる、というスタイルで、恐らくコミックの売場を最低限のレベルに持っていくことは可能なんではないかなと思います。
まあそんなわけで、コミックの担当者を何とかしようとは思っているようです。まあ変わるとは思えないけど、頑張ってなんとかして欲しいものだなと思います。
そろそろな内容に入ろうと思います。
本書は、かつて相当話題になった日本語についての本です。今世間では(ウチの店でもですけど)、「日本人が知らない日本語」という本がバカ売れしていますけど、本書は結構真面目に日本語の正しさについて考える、という感じの本です。
著者は昔「KY式日本語」という本も出しています。「KY(空気読めない)」みたいな略語について解説した本です。また、「明鏡国語辞典」の編者でもあるようです。
凄いと思うのは、もう既に70代なのに、若者の言葉の使い方とかにもきちんとアンテナを張っているということですね。「KY式日本語」も若者言葉でしたが、本書でも若者が使っているちょっと変な言葉遣いについても多々触れていて、よく観察しているんだなぁと思いました。
本書は、一般の人から寄せられた、最近気になる日本語の使い方についての質問がまず載っていて、それに答える形で日本語についての説明が進んでいく形になります。
例えばこんな質問があります。

『「全然いい」「全然平気だ」などの言い方をよく聞きますが、「全然」を肯定表現に使うのは間違いではないのでしょうか?』

これはよく言われますね。僕も、全然を肯定表現で使うことに特に抵抗がない人間だったりします。「全然余裕だよ」みたいな感じですね。
ここの話はなかなか面白かったです。「全然」という言葉には、「まったく」「まるっきり」などというような肯定表現で使われる意味もあって、夏目漱石や芥川龍之介の作品なんかにも出てくるとか。
一方で、最近の若者が使っているような肯定表現についてだけど、これも肯定表現に対して使っているのか、という疑問を呈します。例えばさっき僕が書いた「全然余裕だよ」という言葉も、次のような状況で使います。
「あんた宿題大丈夫なわけ?」
「全然余裕だよ」
これを著者は、否定的な状況あるいは心配な状況・懸念をくつがえし、まったく問題がないという場合に使う、と説明しています。つまり、まるっきり肯定的な使い方をしているというわけでもないんです。
著者のいる大学で昔ある学生がこの「全然」について使用の実態をレポートにしたことがあるらしいですけど、そこでその学生は、<あなたが思っていることとは違って>という限定で使うのだ、と書いていたようで、著者は優れた着眼だと感心したらしいです。
そういうわけで、肯定表現に「全然」を使っているように思えるからと言って、すぐさま誤用だと断じるのはいかがなものか、ということが書かれています。
こういう風に、ただ間違っている合っているということを書くだけではなくて、問題を細分化して答えたり、あるいは誤用である場合にしても、じゃあ何故そういう風な誤用が生まれたのかという背景についても説明をしていて面白いなと思いました。
バイト先でスタッフが言っていて僕が結構気になるのが、「~の方」という表現で、それも本書に載っています。よくスタッフが、「お会計の方が○○円になります」とか言っているのを聞いて、突っ込みどころが二つもあるなぁ、と思うんだけど、この「~の方」も、状況によってはオッケーだそうです。ただやっぱり、「お会計の方が○○円になります」はダメですけどね。
「お会計の方が○○円になります」のもう一つの突っ込みどころである「~なります」という表現についても載っています。
これについては、誤用かどうかというよりも、両者の解釈の違いによる誤解が生まれやすい表現だ、と書いています。
「こちら和風セットになります」という文章で考えてみます。
提供側としては、「~なります」という表現によって、自信満々に提供するのではなくて「これではたしてお客様のご期待に添えるかどうかわかりませんが」という謙虚な姿勢を示しているし、仮にお客さんの予想から外れてもその客だけ特別扱いしているわけではなく、それがその店の既定の和風セットであるということも示すことが出来ます。
しかしお客さんの方としては、自分が注文したメニュー通りのものが提供されることを期待しています。そのような場面で「なる」が使われると、何か新しい状況が生じるのかと思い、何か変化が起こるのだろうかと考えます。それなのに、注文した通りの和風セットがくるのでおかしいと感じる、というような説明でした。
なので、上記のような場合だと、明らかに誤用だとは言いにくいようですね。ただ「お会計の方が○○円になります」は明らかに誤用ですね。そこは自信満々に言ってもらわないとお客さんとしても困るでしょう。また、「雰囲気」の話も載っています。これ、僕もそうなんですけど、どうしても「ふいんき」って読んじゃうんですよね。なかなか「ふんいき」とは読めない。さすがにパソコンで書くときなんかはちゃんと「ふんいき」って書いてから変換しますけど、読むときは「ふいんき」って変換されちゃいます。
本書に載ってたエピソードで、ワープロソフトの会社に「「ふいんき」で漢字変換できないなんておかしい」という若者らしいユーザーからのメールが来たことがある、というのも載っていました。その若者は、本当に「雰囲気」を「ふいんき」だと思っているんでしょうね。
ただ本書は面白い例が載っていました。
例えば「山茶花」っていう花がありますよね。今僕も「さざんか」って書いて変換すると「山茶花」になりましたけど、これってもともと「さんざか」って名前だったみたいです。それがいつの間にか「さざんか」で定着したのだとか。だから、「雰囲気」についても、いつか読みが「ふいんき」で定着する日が来るかもしれません。
まあそんな感じで、いろいろと日本語について詳しいことが分かる本です。特に、最近の若者の言葉の使い方に納得のいかない人なんかが読んだらいいかなと思います。若者が使っている言葉でも、明らかに誤用とは言い難いものもあるんだ、ということが分かって面白いんじゃないかなと思います。まあ、間違っているものの方がやっぱり多いですけどね。
敬語の本とかも一回ぐらい読んでみようかな。ちゃんと敬語喋れないしなぁ。こういう本を読むと、日本語ってのもなかなか面白いなと思います。興味がある人は読んでみてください。

北原保雄「問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?」

2009年06月28日

5年3組リョウタ組(石田衣良)

「思考の整理学」という文庫がハチャメチャに売れています。
モノ自体は、1986年に発売された文庫です。それが大ヒットしたのは、去年だったかな。さわや書店という有名な書店での仕掛けから全国的なヒットになりました。「もっと若いうちに読んでおけば…と思いました」みたいな文面のPOPかパネルを本屋で見かけたことがある人もいるんじゃないかなと思います。
だから去年はひたすら売れました。去年一年間の文庫の売上の第四位にいるくらいです。ちなみに1位「チーム・バチスタの栄光」、2位「ナイチンゲールの沈黙」、3位「容疑者Xの献身」、5位「死神の精度」というラインナップです。どうでしょうか。すごさが伝わるでしょか?
たぶん去年一年間で400冊弱くらいは売った気がします。店の規模次第ですけど、ウチの店の場合だと、文庫で400冊というのはかなりのものです。累計で400冊超えている作品というのはそう多くないと思います。
という感じで去年散々売ったのに、今年また異様に売れているんです。ここ三ヶ月くらい、毎月60冊近く売れている。新刊や話題作だって、月60冊売れるというのはなかなかないです。しかも僕は、多面展開というのがあんまり好きではないので、「思考の整理学」は二か所に一面ずつ計二面での展開にも関わらず(これは去年からずっとそうなんですけど)、しかも去年散々売ったにも関わらず、まだ売れている。
一応理由っぽい理由を挙げることは出来ます。「思考の整理学」という本は、去年「東大・京大で最も売れた本」らしくて、帯やPOPなんかにはそのことが書かれています。だから売れているのかも、と思ったりはします。
しかし、長くずっと売れ続ける本というのは本当にあるもので、いつも不思議に思ったりします。
例えば、東野圭吾の「時生」って文庫をずっと二か所に一面ずつで置いているんだけど、毎月20冊はコンスタントに売れる。もうたぶん2年ぐらいずっと置きっぱなしなんだけど、売れ方が衰えることがない。
あるいは、入口付近に子育て関連の文庫・新書をたくさん置いているんだけど、それらもまったく売れ方が落ちない。毎月15冊ぐらいはどれも売れていく。
どれももう散々売ってるんですけど、それでもまだまだ売れていく。もちろん、お客さんはどんどん入れ替わっているんだろうけど、それでもウチのお客さんは割と普段から来てくれる近くに住んでいる人というのがメインのはず。だから余計に不思議だなと思います。
こうやって、長く売れ続ける本を発掘するというのが僕の目標の一つではありますけど、なかなか難しいです。売れる本が必ずしもいい本ではないという事実があるので、何を置けば当たるのかがさっぱり分からない。特に小説は難しいですね。本っていうのはホントに、置いてみないと売れるかどうか全然分からないんです(まあ他の商品でもそうだろうし、映画とかでもそうなんだろうけど)。僕も生涯に一回くらいは、ウチの店から全国的なベストセラーを発掘してみたいな、と思ったりします。
そろそろ内容に入ろうと思います。
久々に石田衣良の作品を読みました。本書は、石田衣良初の新聞連載だったようで、新聞連載→夏目漱石→坊ちゃん→教師という連想ゲームから、教師を主人公にした作品に決めたんだそうです。
物語の舞台は、清埼県清埼市にある、希望の丘小学校だ。元は清埼市立第一小学校と呼ばれ、序列をつけるのを好まない教育委員会の方針で名前こそ変わったものの、かつてのナンバースクールとしての誇りを持ち続けている小学校だった。
主人公は中道良太。25歳のまだ若い教師だ。教師になって三年。今年は5年3組を受け持つことになっている。
小学校は学年主義がまかりとおっていて、すべてが学年単位で行われる。なので学年主任の力が強い。学年ごとに、クラス競争が行われ、良太はこれまでの三年間、常にほとんどビリだった。さっぱりとした性格だからそこまで気にしないものの、同年代で5年2組の担任である染谷はこれまでクラス競争で1位か2位しか取ったことがない。染谷は古参の教師から、教育の天才、とも呼ばれているらしい。随分と差をつけられたものだ。
春には、良太のクラスの生徒である本多元也が問題を起こす。いつも心ここにあらずという表情で座っているのだが、問題行動が多い。教科書を忘れて開き直ったり、理科の実験中に勝手な行動をしたり。しかしその内、授業中に勝手に教室を出るようになり、さすがにここままではマズイと良太も思うようになった。
しかしどうしたらいいのかわからない。同僚の染谷に相談したところ、一週間付きっきりで本多と向き合うことに決めた。
これをきっかけに、染谷と親しくなった。染谷の意外な過去も知り、その崇高なまでの理想に良太は素直に感動した。しかし染谷は、クラス競争で一番のライバルは良太だという。そんなことがあるだろうか?
夏は、一人の教師の無断欠勤からすべてが始まった。生野というその教師は、良太たちとは違い4年生を受け持っていたが、良太や染谷と同年代であるということもあり、この問題に首を突っ込むことにした。
あらかじめ何らかの情報を持っているらしい染谷と違い、良太には状況がさっぱり分からない。しかしいろいろと調査を進めていくにつれて、4年の学年主任に問題があるらしいということがわかり…。
冬は、クラスメートの家で起こった火事から大変なことになった。日高というその生徒は、勉強もスポーツも出来る秀才だった。しかしその日高が、兄と共に家に放火したのだ、と言っているらしいという話が入ってくる。
良太はどうしたらいいのか分からなかったが、しかし記者会見に自ら出ていくことにした。良太の対応に、多くの人が拍手を送り、涙を流した。
良太は次の問題を考えなくてはいけなかった。日高をいかにしてクラスに復帰させるのか、ということだ…。
そして一年の終わりの3月。良太のクラスはクラス競争で2位にいた。1位の染谷のクラスとの差はほんの僅か。これまで万年ビリだった良太には驚きである。
もちろん理由がある。春問題行動を起こしていた本多元也と、火事に巻き込まれた日高が、3組を1位にしようと思って成績の悪い生徒に勉強を教えるようになったらしいのだ。生徒の自主性に任せてみよう、と思ってた良太だったが…。
というような話です。
石田衣良って作家は、恋愛っぽい感じの作品を立て続けに出していたのと、池袋ウエストゲートパークシリーズはもういいかなと思っていたのとで、本当にしばらく読んでいなかったんだけど、久々に読んでみようかなと思って手にとってみました。
石田衣良の恋愛小説はあんまり得意ではないですけど、こういう青春ものみたいなのはやっぱりうまいなと思います。全体的に、都合が良すぎる、うまく行きすぎる、という部分はあって、そういうのが我慢できない人はちょっとダメかもしれないけど(でもそんなこと言ったら石田衣良の小説は全部ダメかも。薄いオブラートで包んであるような、ちょっと出来すぎているような作品が多いから)、僕はそういう部分はそこまで気にならないんで、面白かったなと思います。
一応長編ですが、全部で4つの事件が起こります。春の問題行動を起こす生徒、夏の教師の引きこもり、冬の
放火、そして3月のクラス競争です。学校で起こるトラブルにしてはなかなか多種多様っていう感じで、教師の引きこもりとか放火みたいな大きな話から、ちょっと教室から抜け出しちゃうとかクラス競争の話みたいなちっちゃな話までいろいろです。
どの話でも、良太が持ち前の行動力で何とかする、という感じなんだけど、それだけだったらあんまり面白い小説にはならなかったと思う。本書で最も重要な点は、良太が熱血教師ではないという点、そして熱血教師は基本的には出てこない、という点です。
確かに良太は5年3組のメンバーが好きだし、親身になって考えることが出来る。でも良太の場合、高い理想を持って小学校教師という仕事を選んだわけではない。茶髪でネックレスをするという、年輩の教師からはあまりいい目で見られない格好も、良太は平気でする。自分が信じていないことを押し付けるのも、自分のキャパシティを超えた自分を見せるのも好きではないという、小説の主人公の教師としてはなかなか珍しいタイプではないかなと思います。
そんな良太が、考えるのは苦手だけど思いつきや直感で行動して結果的にいい方向に生徒たちを導いていくというのが面白いなと思いました。
どの話でも、良太は何が正解なのか分からないまま行動しています。自分の中で、絶対の自信があって行動出来ている時なんてほとんどない。トラブルが起こると、どうしたらいいんだか分からなくなるし、憂鬱にもなる。それでも、子供たちは大好きだから何とかしたいと思う。そういう単純であんまり教師らしくない部分がいいなと思いました。
春の教室から出ていってしまう生徒に対してのアプローチとか、秋の生徒が放火に巻き込まれた事件のスポークスマンを努めた時とかの良太の行動はかなりいいですね。こんな先生がいたら、そりゃあ慕われるだろうし、先生のためになんとかしてあげよう、って発想になるのも当然だろうなと思いました。
一方で、染谷という教師もすごくよかったなと思います。染谷は熱血でもないし力で押さえつけるわけでもないんだけど、常にクラス競争ではトップを争う。校長、副校長から気に入られていて、何事にもそつがない。いつもクールで何を考えているんだかわかんない奴なんだけど、恐ろしく仕事は出来る。良太にとっても初めは掴みどころのない奴でした。
しかしそれが、春の事件をきっかけに急速に接近する。染谷は、良太が自分のライバルになるはずだ、と思ってずっと注目していたのだという。
そんな染谷は、良太よりも遥かに高い理想を持っていて、その理想からほど遠い小学校教育を嘆いている。学校ではそんなそぶりは見せないんだけど、教育に対しては熱い男なのだ。いつか大学院に行き、教師を育てる先生になりたい、という。崇高な目標があるのだ。
この染谷が僕は結構好きです。場合によっては良太より好きかもしれません。ギャップがあるという部分もいいんだけど、何より一番いいと思うのが、自分には出来ない部分というのをきちんと把握しているところだ。染谷は周りからは何でも出来ると思われているけど、もちろん欠点だってある。自分にどういう部分が欠けているのかをきちんと認識しているし、良太の前でだけだけどその欠点を認めることも出来る。それが強さの一因になっているんだろうなと思います。
そんな染谷が大活躍する話が、夏の教師の引きこもりである。これは、最後の最後、染谷が荒治療と言ってある場所に連れ出すシーンが好きです。教育って何だろうなと考えさせられる部分でもありました。
学校を舞台にした作品だけど、熱血教師が出てくるわけでもないし、教育がどうたらという熱い話が出てくるわけでもない。等身大の一人の若者が、32人の生徒を自分の意のままに管理できるという中にあって、いかに彼らと向き合っていくのか、という部分を描いた作品です。スマートでスタイリッシュな作品を書く石田衣良は、こういう作品を書かせても実にうまいですね。石田衣良はもういいかな、と思っているような人でも楽しめるのではないかなと思います。是非読んでみてください。

石田衣良「5年3組リョウタ組」

2009年06月27日

僕たちのミシシッピ・リバー 季節風・夏(重松清)

今「すべらない話」を見ながらこれを書いています。やるって知らなかったんですけど、やっぱ見ちゃいますね、これ。普段テレビを見るのって、週に2時間弱なんだけど、こういう時、テレビってあってよかったな、と思います。デジタル放送になったらどうしようかなぁ。テレビを買い替える気力がないんだけど。
昨日はしかし大変でした。バイトの話です。僕は文庫の担当をしているんですけど、毎年恒例の夏の100冊と呼ばれる文庫のフェアを展開しました。ただし、集英社と角川書店だけですけど。
元々、新潮社のフェアが今日入ってくるという予定の元で昨日集英社と角川書店を出したわけです。夏の100冊というのは、集英社・角川書店。新潮社が毎年行う規模の大きなフェアですが、入荷するタイミングが微妙に違うんですね。大体新刊が出るのに合わせて入ってくるんですけど。まあもし同時に入ってくるとしたら、運送会社が大変なことになっちゃうだろうから、そういう配慮もあるんだろうけど。
で、いろいろあって今日新潮社が入ってくると思ったんですね。で、昨日は遅番のスタッフも結構たくさんいたということもあって、新潮社が揃わない段階で出してみることにしました。まあ予想は外れましたけど。
しかしまあこれが大変でした。
いや、僕はそのフェアの展開はまったくやってないんです。遅番のスタッフ二人に完全に任せて、僕は一切ノータッチでした。文庫の陳列からPOPやポスター付けまで完全に任せました。
んじゃあ僕は一体何をしていたのか。
夏の100冊を出すスペースには、もともといろんな文庫が置いてあるわけです。夏の100冊を出すスペースを作るために半分ぐらいは返品したわけですけど、残りの半分はまだ売場に残したかったわけです。
僕がやっていたのは、その残したかった文庫を通常の文庫の売場に組み込む、ということを僕はずっとやっていたわけです。
これはキツかった。残したかった文庫は100点弱。これを、フェア台ではない通常の文庫の売場のあちこちに割り振って収めないといけないわけで、これは大変なんてもんじゃありませんでした。
最終的に、1日で10箱弱くらいの返品を作ることになりました。売り場も大幅に変えました。書店は力仕事だと言われるけど、昨日ほどそれを実感することはありませんでした。体力を絞りつくされた感じでした。
しかしまあ、この夏の100冊のフェアを出して、あと半年分の年間フェアを考えれば、しばらく楽になれそうな気がします。ここのところとにかくひたすら忙しかったので、早く一息つきたいなと思います。
「すべらない話」を見ながら書いているのでちょっと適当すぎますかね。すいません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は12編の短編が収録された短編集です。12個もちゃんと感想を書くのはかなり大変なんで、いつもよりは省略すると思います。

「親知らず」
実家にしばらく滞在して東京へと戻るその帰りの新幹線の中。私はいつもの予感を捉えた。親知らずが痛くなる兆候だ。
子供の頃から、歯医者に行きたくなかった。怖かったのは確かだ。でも、それだけじゃない。歯医者にあったポスター。虫歯のキャラクターがつるはしで歯を打っているあの絵が、どうしても好きになれなかった…。

「あじさい、揺れて」
僕と姉貴は有美さんとレストランにいた。おめでたい話を聞くためだ。おめでたいはずの話を。
有美さんは、僕らの兄の奥さんだった。交通事故で兄が死んでしまうまでは。
有美さんの再婚が決まったのだ。おめでたい話、のはずだ。

「その次の雨の日のために」
不登校になった子供たちに勉強を教えるフリースクールでボランティアをしているノブさんは、残念ながら亮平が戻ってくるという報告を受けたばかりだ。
教師から好かれている子供ではない。生意気で、大人をナメているところがある。
ある日、フリースクールの教師の一人が、亮平を殴った、という話を聞き…。

「ささのは さらさら」
七夕に短冊を書くのが恒例だった。少し前は楽しいイベントだった。お父さんが病気になってからは、何だか悲しいイベントになった。
お父さんが死んで、母と弟の三人暮らしになった。
しばらくして、お母さんが再婚の話をするようになって…。

「風鈴」
カップルばっかり住んでいるアパート。僕らも住み始めた。苗字は別々だったけど。
ある日隣に越してきたカップル。これから結婚をするんだという。僕らは二人で、ギリギリの会話をしながら、それでも相変わらず関係性が変わらなかった。
隣のカップルが部屋に風鈴をつけたみたい。僕が弾くギターの音に重なる…。

「僕たちのミシシッピ・リバー」
転校するトオルに、海を見に行こうと誘われた。僕らは、マーク・トウェインの本にはまっていたのだ。僕たちのミシシッピ・リバーへ向かって自転車を走らせた。
ずっと仲のいい親友だった。トオルが転校してしまうんだと思うと、どうしていいのかわからない…

「魔法使いの絵の具」
田舎で農作業をしながら、幸せな生活を送っていたわたし。夏休みに子供たちのラジオ体操のお手本をしていると、懐かしい人を見かけた。幼馴染みだった。東大に合格した秀才だ。目が合ったと思ったんだけど、向こうはこっちに気付かなかったかな…。

「終わりの後の始まりの前に」
夏が終わった。甲子園を目指して頑張ってきた三年間が終わった。
予選一回戦、強豪と当たった試合の最後の打席が僕だった。
見逃しの三振。ただ、あれは絶対ボールだったと思う…。

「金魚」
久々に実家に戻ると、懐かしい名前を聞いた。ケンちゃん。三十三回忌だ、という。
小学五年生の時、ケンちゃんは川で溺れて死んだ。一緒に祭に行った日の翌日だった。祭りの時にすくった金魚を川に戻そうとして川に落ちたらしい。
息子と祭に行くことにした。あの時と同じで、金魚すくいをした…。

「べっぴんさん」
おばあちゃんは大往生だった。曾孫までいて、100歳には届かなかったけど、おばあちゃんの葬儀はよく頑張ったという感じで半分お祝いだった。
いとこや親戚もたくさん集まって話をした。おばあちゃんの思い出で出てきたのが、ベビーパウダーだった…。

「タカシ丸」
お父さんのお見舞いに行っても、なかなか話すことがない。お母さんは、お父さんは雅也を待ってるんだっていうんだけど、二人きりになるとお父さんが困ったような顔をしているのは気のせいじゃないと思う。
もうお父さんがダメだという時、お父さんが一時帰宅することになった。その日、雅也はお父さんと、夏休みの宿題で船を一緒に作ることになった…。

「虹色メガネ」
メガネだけはどうしても嫌だった。お母さんも店員さんも似合ってるっていうけど、そういう問題じゃない。
クラスメートの川野さんに、メガネちゃんってあだ名をつけたのは私だ。あんなあだ名、つけなきゃよかった…。

というような感じです。やっぱり12編も感想を書くのは厳しいですね。
やっぱり重松清は相変わらず素晴らしい話を書きますね。
全体的にまとまったテーマがあるというわけではないけど、やっぱり重松清の作品だなという感じの、まさに重松清にしか書けない作品を書くなという感じでした。
僕が好きな話は、「あじさい、揺れて」、「ささのは さらさら」、「タカシ丸」、「虹色メガネ」です。
「あじさい、揺れて」は、死んでしまった兄の元奥さんが再婚をする、という微妙な舞台を、実にうまく描いていました。最後の最後に、主人公が有美さんの息子に教えるエピソードなんて大好きです。
「ささのは さらさら」は一番好きかもしれません。前半は、死んでしまったお父さんの話、そして後半は再婚相手の男性との話。その揺れ動く娘心をすごくよく描いているなと思いました。
「タカシ丸」は、まああんな話を書かれたら誰でも泣くだろみたいな話で、まあベタなのかもしれないけど、ベタな話を書いて感動させる作家では重松清はトップクラスなんで、やっぱりいいですね。
「虹色メガネ」は短い話で、しかも人が死んだり家族が大変なことになったりするわけではないんだけど、結構よかったです。視力が弱くなってメガネを掛けなくてはいけなくなったんだけど、クラスメートにメガネちゃんってあだ名をつけてしまったがためにどうしてもメガネを掛けたくない女の子の心情がよかったなと思います。
他の作品もよかったんですが、あれこれ書くと長くなるんでこれぐらいにしておきます。
しかし、作品自体は素晴らしかったんですけど、でもちょっと書きたいことがあるんです。
重松清の作品は、一つ一つはもちろん素晴らしいんだけど、これだけたくさん読んでいると、どうしても感動が薄れつつあるなという感じがあります。
これはどうしてかと考えた時、短編集だからだろうなという気がするんです。
長編の場合、もちろん随所に重松清らしさが出てくるし、似たようなテーマの作品もたくさんあるんだけど、それでも長編という長い話の中でいろいろ書きこんでいくと、作品ごとの特徴というのが出やすくなってくると思うんで、いいと思うんです。
でも、短編の場合って、どうしても作品自体が似てくると思うんですよね。家族という結構広いテーマで作品を書いているんだけど、数が数なだけに、短編同士がどうしても似てきてしまうと思うんです。一つ一つのレベルは高いんだけど、数が飽和してきてしまっているというか。だから、重松清の長編まだ新鮮な感じで読めるんだけど、短編の場合はどうも初めて読む作品なのに新鮮さが薄れてしまう感じがあるな、と本書を読んでちょっと思いました。
重松清は相変わらず好きだし、素晴らしい作家だと思うんだけど、ちょっとしばらく読むのを止めて、また新鮮な感じで読めるようになるのを待とうかなと思ったりしました。
いろいろ書きましたが、作品自体は相変わらず素晴らしいです。いい話を書きます。ぜひ読んでみてください。

重松清「僕たちのミシシッピ・リバー 季節風・夏」

2009年06月26日

海を超える想像力 東京ディズニーリゾート誕生の物語(加賀美俊夫)

昨日は集英社文庫の新刊が発売になりました。伊坂幸太郎の「終末のフール」とか、村山由佳のおいしいコーヒーの入れ方の新刊何かが出ました。
でも一つだけ問題が。
これからの時期、新潮社・集英社・角川書店という三社は、夏の100冊と呼ばれるフェアを展開することになります。これはもう書店の夏の恒例と言ってもいいほどのもので、しばらくしたら、新潮社は黄色、集英社は青、角川書店は緑の帯をつけた文庫がズラリと売場に並んでいる光景を見ることになるでしょう。
この夏の100冊というのは、各社それぞれがプレゼントに力を入れています。新潮社がマスコット人形、集英社がストラップ。角川書店がブックカバー、かな。新潮社と角川書店は、文庫を二冊買ってハガキで(あるいは角川書店の場合携帯からのも可)応募する形になりますが、集英社だけはちょっと違います。集英社も昔は該当する文庫を二冊買ってハガキか何かで応募だったんですけど、2・3年ぐらい前から1冊買う毎にレジでストラップをあげる、というやり方に変わりました。
で、昨日発売された集英社文庫の新刊というのが、ナツイチ(集英社の夏の100冊の名称)の対象文庫なわけです。帯の裏に、1冊お買い上げ毎にストラップを一つ差し上げます、って書いてあります。
さて、何が問題なのかというと、昨日その集英社文庫の新刊が入ってきた時点で、ストラップがまだ届いていなかったということです。
こういうことは時々起りますけど、困りますね。ちょっと前にはPHP文庫のフェアでも同じようなことがありました。集英社文庫の新刊を売場に出したのは昨日の16時くらいで、ストラップが届いたのが23時過ぎくらい。結果的にストラップがなかったのは7時間ぐらいだったけど、正確にいつ入ってくるか元々分かっていたわけではないので参りました。
まあしかし、新刊を売場に出さないわけにはいかないんで、POPみたいなものを作ってもらって貼っておきました。まだストラップが店に届いていないので、ご了承の上お買い求めください、と。
やっぱり皆さん、もらえるはずのものがもらえないとなると買うのを控えてしまうんでしょうかね。そのPOPを貼っている間、「終末のフール」は3冊、おいしいコーヒーの入れ方は一冊も売れませんでした。どちらも売場に出した瞬間から馬鹿売れしてもおかしくないような新刊なんで、やっぱりストラップが届いていないというのは痛かったなと思います。ストラップが届き、POPを外した23時以降はどちらもポツポツ売れ始めました。まあ今日辺りから大きく売れ始めるんじゃないかな、と思います。
まあそんなようなことがあった、というお話です。
さて、今日は新潮文庫が入ってくるはず。ラインナップもなかなかのもので、森見登美彦「きつねのはなし」、三浦しをん「風が強く吹いている」、重松清「あの歌がきこえる」、道尾秀介「片眼の猿」、有川浩「レインツリーの国」などビッグタイトル目白押しです。さてさて、ガンガン売れてくれるといいんですけどね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドの現・代表取締役会長(執筆時は代表取締役社長)である著者が、ディズニーランド開業までのタフな道のりから、そこからどのようにして東京ディズニーリゾートが生まれていったのかという部分を、歴史を語る視点と経営を語る視点との両方を持ちながら綴っていくという作品です。
東京ディズニーランドを日本に持ってくるという夢を描いたのは、京成電鉄社長である川崎千春だ。著者は元々京成電鉄に入社し、そこで経理を学んでいた。
オリエンタルランドという会社は元々、京成電鉄・三井不動産・朝日土地興業という三社が設立した会社で、千葉県が埋め立てによって広大な土地を生み出そうとしているところに何か作ろうという目的で設立された。とは言え本社も何もなく、川崎が社長、著者が経理を見ることになり、そして実動部隊として高橋政知がいるだけの会社だった。
この高橋政知というのがなかなか伝説的な人物だ。結果的に東京ディズニーランドを開業までこぎつけたのはこの高橋だった。
高橋は元々、酒の飲みっぷりがいいから、という理由でオリエンタルランドに引っ張ってこられた。というのも、東京湾の埋め立てを成功させるには、それによって職を失う漁師への漁業補償をしなくてはならないのだが、仲間意識が強く気性の荒い彼らの相手が出来る人間はそういない。というわけで、とにかく酒の強い高橋が選ばれたのだ。元々テーマパークだとかそういうことに興味があったというわけではない。高橋は私財を投げ打ってまで、漁業補償を成功させる。
しかしその後事情があって、川崎が社長を退かなくてはならなくなった。漁業補償を取りまとめるまでが自分の仕事だと思っていた高橋は、しかし急遽矢面に立たされることになる。ディズニー側とも粘り強い交渉を続けた。何度も交渉が決裂しかけたが、その度に高橋が立て直した。この話がまとまらなければ、自分は何のために私財を投げ打ってまで埋め立てを成功に導いたのか分からない、という意地もあったのだろう。
とにかく、川崎の夢から始まったディズニーランドという夢は、高橋という不屈の精神を持つ男によって実現を果たすこととなった。
その後オリエンタルランドはどんな戦略で舞浜地区の開発を進めていったのか、ディズニーシーの開発にはどういった苦労があったのか、これからどんな風に発展させていくつもりなのか、というようなことについていろいろと書いてある作品です。
東京ディズニーランドから東京ディズニーリゾートに至る流れを一通り俯瞰するにはいい作品ではないかなと思います。
本書を読むと、何よりもまずディズニー社の凄さというものが伝わってきます。もちろんオリエンタルランドも凄いんですけど、ディズニー社の凄さは群を抜いていると思う。
アメリカの企業だから、契約だとか交渉だとかがハードだということもあるし、そもそも会社の理念みたいなものが素晴らしいという面もあるんだけど、何より一番凄いと思うのは、その溢れんばかりの想像力・創造力だなと思います。
ディズニー社には、イマジニア(イメージとエンジニアを足した造語らしい)と呼ばれる人々が最大で2000人ぐらいいるらしい。彼らは、最新テクノロジーをテーマパークに結び付けて新しいものを生み出す人々で、彼らが作り出すものはやはし凄いらしい。ディズニーランドにしてもディズニーシーにしても、その基本的なプランや設計はディズニー社が行ったらしいんだけど、そこで出てくるアイデアの数々が本当に凄いと著者は書いていました。クリエイティブな仕事というのはまさにこういう仕事なんだろうなと思います。
オリエンタルランドもまた凄い。元々はディズニー社とは上下関係というような状態で、向こうの言うことを聞くしかない状態だったけど、ディズニーシーの計画辺りから積極的に意見を言うようになり、今では対等のパートナーシップを結べているらしい。オリエンタルランドはディズニー社に頼らないプランもいくつか進めてきたし(イクスピアリなんかはオリエンタルランド独自のものだそうです。行ったことないですけど)、オリジナルのキャラクターを生み出して育てるということもしている。いつまでもディズニー社におんぶに抱っこではない、ということです。
しかしあらゆる面でスケールが違うんで、本当に驚きます。
例えば、東京ディズニーランドというのは常に新しいアトラクションが生まれたりしているんだけど、オープン前から追加施設を企画し準備していたんだそうです。オープン前から、いつどのタイミングで追加の施設を組み込むのかという準備までしているという辺りが、凄いなと思いました。
また、ディズニーシーのロストリバーデルタというエリアは、中央アジアのジャングルをテーマにしているらしんだけど、そこで流れているBGMは実際に中央アメリカのジャングルで録音してきたものなんだそうです。
こんな面白い話もあります。東京ディズニーランドには世界のどのディズニーランドよりも優れている部分がいくつかあるけど、その一つが車両のコントロール法だそうです。一時間で3000~4000台の車をさばく手法は世界でも例がないようで、「舞浜地区におけるトラフィック・マネジメント・システム」と題してオーストラリアの交通学会で発表されたそうです。そんな、まったく関係ない分野でも評価されてしまうほど優れたシステムなんだそうです。
著者は、変化とは消費者としてのニーズだと言います。そのニーズに合わせて、提供側も変わらなければいけない、と。これは、本屋で働いている僕としても考えなければいけないな、と思います。お客さんが何を求めているのかを知ることは難しいですが、変化を捉え、ニーズを察知し、こちらのスタンスもどんどん変えていくという臨機応変さがなければ、この厳しい時代を乗り越えていくことは難しいんだろうなと思います。
というわけで、全体としてはなかなか興味深い話もあったし面白いと思うんだけど、やっぱり僕としては、東京ディズニーランド開業までのストーリーをノンフィクション仕立てで読みたいなと思ってしまいます。もちろん主人公は高橋政知。彼が漁師との交渉をいかにやり、その後矢面にたってディズニー社との苦しい交渉をいかに乗り切ったのか、あるいは東京ディズニーランド建築の現場でどんな苦労があったのか、みたいな話をこと細かな取材をして誰かノンフィクションライターかなんかが書いてくれないかな、と思います。昔、「東京ディズニーランドを作った男」みたいな感じのタイトルの本を読んだことがあって、それは今僕が言ったみたいな感じの本だったんだけど、もっとうまく書ける作家はいると思うんですよね。僕が昔読んで素晴らしいと思った「ソニー自叙伝」くらいのボリュームで、誰か東京ディズニーランド開業までの物語を書いてくれないかなと思います。
本書は、表面的な部分をさらっていくにはなかなかいい本だと思います。経営的な話も結構出てきます。こういう人が上にいてくれるといいな、と思わせるような人だと思いました。機会があったら読んでみてください。

加賀美俊夫「海を超える想像力 東京ディズニーリゾート誕生の物語」

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