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2009年06月25日

沼地のある森を抜けて

沼地のある森を抜けて (新潮文庫)沼地のある森を抜けて (新潮文庫)
(2008/11/27)
梨木 香歩

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ひとことで言うなら、「ぬか床から始まる壮大な命の物語」


時子叔母が亡くなったせいで、先祖伝来の「ぬか床」を引き継ぐことになった久美。
それは、久美の曾祖父母が駆け落ちする際に、故郷の島から持って来たという曰く付きのシロモノ。
毎朝毎晩掻き回すという世話を怠れば悪臭を放ち、時には呻き声を上げ、稀に卵(!)が生まれたりする。
そんなもの捨ててしまえばいいと思うのだが、どうやらそうはいかない理由があるらしい。


…こんなぬか床を引き継いだら、あなたならどうしますか?


私なら捨てます。
毎朝毎晩掻き回すって、旅行とか出張中はどうするんですか?
卵から人が湧いてくるって、ホラーですよ、それは。
結婚相手にはなんて説明するんですか?
一生ぬか床に縛られて生きるなんてごめんだー!!!

…と、普通は思うはずで、久美もそうだったのですが、ぬか床の世話と引き換えに時子叔母のマンションをもらうことで、何とか折り合いをつけたのでした。
当初は「呻く」とは聞いていても、卵のことはまだ知りませんしね。


そして、ぬか床を引き取って一週間あまり経った頃、卵発見!
最初の卵から孵ったのはきれいな男の子で、半分透き通っていたその子は、久美が世話を焼いているうちに段々と実体化してきます。
久美の幼馴染のフリオには、その子が小学校時代の親友「光彦」に見えるけれど、久美には、幼い頃のフリオに見えるのです。

どうやら、ぬか床から生じる人々には、見る者(あるいはぬか床に関わった者)の心理が投影されるらしく。


次の卵から孵ったのは、和服姿に三味線をかき鳴らす「カッサンドラ」
のっぺらぼうに口だけの顔、二次元的な両眼は蛾のようにひらひらと部屋の中を飛び回るという、不気味な姿をした女性です。

面白いのは、久美がすぐにこの状況に慣れてしまったこと。
半分透き通っていた「光彦」が徐々に実体化してきた例から、のっぺらぼうの「カッサンドラ」も人間として出来上がる途上なのでは…なんて考えます。


カッサンドラは、おそらく「母性」の中のいちばん暗い部分、どろどろとした情念で構成されたような、そんな印象を受けます。
例えば、聖母のイメージが「正」であるなら、カッサンドラは「負」
全ての女性の中に普遍的に在る、正体の見えない黒い「何か」


やがてカッサンドラは久美が消滅させてしまいますが、消える間際にやっと、かつての優しい母の顔になるのでした。



この「ぬか床」とは、いったい何なのか?


時子叔母の友人から叔母の伝言を聞き、叔母が遺した日記を読んでも、謎はやはり謎のまま。
久美は、両親や叔母の死の真相と「ぬか床」の正体を知るためには、曾祖父母の故郷の島に行くしかないという結論に至ります。

やがて久美は、同じ会社の研究所で酵母の研究をしている風野さんと共に、ぬか床を故郷の島に返しに行くことになるのですが…。


この風野さんという男性が、非常に個性的でユニークです。
女言葉を話し、変形菌に「ケイコちゃん」「タモツくん」「アヤノちゃん」と名前をつけて愛でるような可愛い人ですが、決してニューハーフではありません(笑)
彼が「男」であることを捨て、「無性」であることを選んだ背景は実に壮絶で。


末期癌の母に、死ぬ直前まで家事一切を負わせ、死後に母のことを「結納金のわりには案外もたなかった」と、まるで消耗品のように言う祖父に、怒りのあまり日本刀を抜こうとしたそうです。
父権社会の横暴さに怒りを覚えての行動だったのに、その自分の抗議の仕方が男そのものだったことに愕然として、自分もまた母の死の遠因だったのかもしれないと思い至ったのだとか。



そんな彼もまた、知らないうちにぬか床の影響を受けていて、呼び寄せられるように島へと渡ったわけです。
その島で、ふたりは意外な人物に出会い、久美のルーツや、両親と叔母の死の真相も明らかになるのでした。



本編の二章おきに一章ずつ挟まる「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」というのは、「ぬか床」あるいは島の沼地の中のミクロの世界の出来事を寓話のように書いているのかと思いましたが、説明がないのではっきりとは分かりません。
でも、現実で起きていることと微妙にリンクしている部分があって、そういうキーワードに出くわすと、それが妙に頭の隅に引っかかります。
「シマの話」の「僕」が得意なパンフルートは、本編の「光彦」も出現してすぐに吹いていたし、「僕」につけられた「ロックオープナー」という名前は「水門を開ける者」のことで、これは久美の行動に重なるような気がする…。


梨木さんは、エッセイの中でしばしば「境界」とか「壁」について書かれていたように思います。
解りやすいところでは家の敷地と外を隔てる生垣であったり、意識の上での自己と他者との境界であったり。
「隔てる」というか、逆に言うなら内と外を「作る」もの。

この小説にも、細胞膜、細胞壁、ウォール…といった具合に、自己と他者、内と外とを隔てる(作る)もの、自己規定の拠り所として、あらゆる「壁」が出てきました。

梨木さんがエッセイの中で展開していた思考をもっともっと拡げていくと、こういう小説になるんですね。すごいなぁ…。


あと、風野さんが語る様々な菌の話が、興味深くて面白かったです。
植物の根と共生している外生菌根が作るネットワークとか、風野さんがジョーカーに例えたキラー酵母のこととか。
思えば、あの「キラー酵母=ジョーカー」というのも伏線だったのでした…。



風野さんの「解き放たれてあれ」という言葉と共にもうひとつ、印象深かったある人物の言葉。


世界は最初、たった一つの細胞から始まった。
この細胞は夢を見ている。
ずっと未来永劫、自分が「在り続ける」夢だ。
この細胞は、ずっとその夢を見続けている。
さて、この細胞から、あの、軟マンガン鉱の結晶のように、羊歯状にあらゆる生物の系統が拡がった。
その全ての種が、この母細胞の夢を、かなえようとしている。




この小説のはじまりが「ぬか床」だったことに、読了後あらためて感嘆しました。



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2009年06月25日

「危険な世界史」中野 京子

「危険な世界史」中野 京子
223p角川グループパブリッシング

目次
第1章 魑魅魍魎の宮廷世界
第2章 芸術家という名の怪物
第3章 宮廷の外もまた…


薀蓄話の数々。
といっても ヨーロッパの一定の 期間の話。
知らないことが多い、所謂 こぼれ話。

2009年06月25日

本日、サービスデー(朱川湊人)

今日は、昨日ネットの記事で見たこんな話について書いてみようと思います。

出版業界の流通革命?返品改善へ、「責任販売制」広がる

書店というのは基本的に委託販売で、仕入れた商品を返品する際に同額で出版社に引き取ってもらえる。これは、利益率の低い書店が、世の中に出回っている星の数ほどもある本の中から自由に品揃えをするためにはどうしても必要な仕組みだ、と僕は思います。委託販売制度がなくなったら、書店はそもそも成り立たないのではないかなと思います。いくら凄腕の書店員でも、すべての本が買い切りになってしまったら、恐らくどうにも出来ないんじゃないかなと思います。
でもこれは、出版社にとっては負担になります。記事にもあるように、現在では返品率(入荷に対する返品の割合)が4割を超えています。4割というのがどれほど驚異的な数字なのかわかりませんが、まあでも仕入れた分の半分近くを返しているんだから、なかなか凄いんでしょう。
なので、出版社がその返品率の改善に乗り出すのも分かるし、この責任販売制(書店の利益率を上げる代わりに、返品の際の負担を書店も持つという仕組み)がそれを改善するための対策になるというのも分かります。
ただ僕としては言い分があるわけなんです。
記事の文章の感じからすると、出版社の言い分はこんな風に聞こえます。
『返品率が高いのは、書店が適正な発注をしていないからで、書店に責任がある』
確かにそういう面はあります。僕だって、適正な発注が出来ているとは言えないと思います。ただ、返品率の高さはそれだけが問題じゃない。
僕が言いたいのは、出版社は新刊を出しすぎだ、ということなんです。
新書を例に取って説明をしましょう。
今ウチの新書の返品率は4割を超えていますけど、返品しているのはほとんど新刊です。新書についてはもう、本当に悪循環の見本のような状況になっています。
まず、僕が担当になってから新書の売場というのは基本的に増えていません。僕は文庫の担当もやっていて、苦しくなってくると文庫の売場に新書を混ぜて置いたりすることはよくあるんだけど、それでも売場が広くなったと言えるほどではありません。当然、売場が広くなっていないということは、そこから上がる売上にもの凄い変化があるというわけではありません。
一方で、新書の新創刊は相次いでいます。僕が新書の担当になってから創刊された新書レーベルを思い出せる限り挙げてみると、幻冬舎新書・PHPビジネス新書・朝日新書・早川オレンジ新書・学研新書・経済界の新書・日経プレミア新書・小学館101新書・ヴィレッジブックスの新書などです。しかも近いうちに、PHPと幻冬舎が新らしい新書レーベルを立ち上げるそうです。それぞれのレーベルが毎月2~5点ぐらい出し、さらに既存の新書レーベル(講談社・光文社・中央公論新社・集英社・新潮社・PHP・角川・文春など)ももちろん新刊を出してくるわけで、どうやって出せっちゅうねん!という感じである。
とにかく毎日毎日山のように新刊が入ってくるわけで、必然的にちょっと前に出た新刊を返品しなくてはいけなくなる。何せ、場所がないのである。後から後からやってくる新刊を何とか売場に出すには、返したくなくても新刊を返さざるおえないのである。
売場が広くならないから、売上が飛躍的に伸びるわけがない。一方で、今後さらに新書の創刊が続くわけで、入荷は一方的に勝手に増える。じゃあどうなるか。返品が増えるのは必然だと思いませんか?
返品が増えた原因に、書店にまったく責任がない、なんていうつもりはありません。書店の担当者がもっと適正な発注をすればもう少し返品を抑えられるかもしれません。しかし一方で、出版社が新刊を出しすぎる、という面も多分にある。しかも出版社は、書店への支払いを相殺するために新刊を出しているような部分もあって(この辺の説明はめんどくさいから省くけど、出版社は書店にお金を払う代わりに新刊を納品していると思ってください)、だからそんな理由で出版された新刊が売れるわけがない。だからまた返品が増える、という悪循環が起こるわけなのだ。
一概に書店だけの責任ではないのだ。新刊を出しすぎている、という部分も同時に何とかしないと、本質的に返品率を改善するということにはつながらないんじゃないかなと思うんですけど、どうでしょうか?
まあ何にしても、これまでの出版・書店業界のやり方は、もう限界に来ているということなんでしょう。その中から新しいやり方として、責任販売制という仕組みが広がっていくというのは、まあいいのかもしれません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は5つの短編が収録された短編集です。

「本日、サービスデー」
しがないサラリーマンである鶴ヶ埼は、ある日悪魔と名乗るすっとんきょうな格好をした女に、今日あなたはサービスデーなんだと言われます。すべての人に人生の一日がサービスデーとして割り振られていて、その日は何を願っても叶うんだそうです。
半信半疑の鶴ヶ埼だったが…。

「東京しあわせクラブ」
作家である私は、ある日知り合いの編集者に誘われて一軒のバーに行き、そこで飛鳥という女性と知り合う。彼女は、私が昔エッセイに書いたレシートを譲ってほしい、という。何でも、東京しあわせクラブの集まりに持っていくんだとか。ちょっと興味をそそられた私は、その集まりに参加させてもらうことにしたのだが…。

「あおぞら怪談」
俺は幽霊に触ったことがある。二十年以上も前の話だけど。バイト先の先輩の家に、幽霊が出るんだ。先輩はもう慣れたもんで、女房みたいな扱いをしているみたいなんだけど、ちょっとそれはマズイんじゃないかなぁと思っていろいろ考えたんだけど…。

「気合入門」
いつも兄に馬鹿にされていた少年は、兄をぎゃふんと言わせるためにザリガニを釣ることにした。前に12匹釣った兄を超えるために、12匹以上のザリガニを捕まえようと奮闘するが…。

「蒼い岸辺にて」
もの凄い苦しさの後、私は何故か海の前にいた。いや、船の前にいる男の言葉を信じれば、それは河らしい。私はどうやら死んだみたいで、これから向こう岸に渡るみたいなんだけど…。

というような感じです。
いやー、びっくりしました。まさか朱川湊人の作品で、こんな駄作に当たるとは。これまで読んだ本がすべてレベルの高い作品だったので、正直ここまで駄作だと心配になります。何かあったんですか?それとも、実は朱川湊人ではない別の人が書いてたりしますか?
5編とも、まったく面白くないんです。そもそも文章がちょっと…という感じで、朱川湊人らしさがあんまりない。その上、ストーリーもちょっとなぁという感じのものばかりで、何でこんな作品になってしまったんだろうという感じです。不思議ですねぇ。普段はあんなにレベルの高い面白い作品を書いているのに。
というわけで、書くことはほぼありません。とにかくつまらなかった。朱川湊人の作品を何か読もうと思っている方、とりあえずこの作品だけは止めてください。他の作品はどれも粒ぞろいなんで、本書以外の作品を読んでください。

追記)amazonのレビューでは、僕ほど酷評している人はいないです。そこそこの評価という感じでした。

朱川湊人「本日、サービスデー」

2009年06月24日

「おそろし」

 わたしは、人の心というものがわからなくなってしまいました。人というものが、闇雲に恐ろしくなってしまいました。そう言って、おちかはようやく口を閉じた。
 しゃべってしまって、気が済んだ。一方で、自分で自分に驚いていた。あたしはなぜ、こんなことを打ち明けてしまうのだろう。

「おそろし」宮部みゆき著(角川書店) ISBN: 9784048738590

川崎宿の旅籠の娘、おちか17歳は事情があって、叔父夫婦がいとなむ神田三島町の袋物屋、三島屋に身を寄せている。そこでひょんなことから、市井の怪談話の聞き役となる。

正調・宮部節の時代小説を読んだ。可憐で健気な少女を主人公に、まがまがしい運命に翻弄される庶民の心を、いつもながら丁寧に描いていて引き込まれる。様々な事件で命を落とし、この世に思いを残した人。後に残されて深い後悔に苛まれ、心を閉ざした人。ときに壮絶で哀切なテーマは、著者の現代ミステリーともつながっている。

そんな悲しい目にあった人々が、「変調百物語」と銘打った「語る」「聞く」という行為を通じて、苦しみながらも再生への糸口をつかんでいく趣向も、現代に通じる感じで興味深い。希望を感じさせるラストが爽やかだ。小泉英里砂さんのイラストもチャーミング。(2009・6)

2009年06月22日

「0円販促」を成功させる5つの法則(米満和彦)

今日は万引きの話でも書こうかなと思います。
先日夜、恐らく万引きをされたんだろうな、ということがありました。文庫本10冊ぐらいを。
僕が文庫の売場でいろいろ仕事をしている時、左手に5冊ぐらい文庫本を抱えて、右手で棚から本を出し入れして吟味している女性のお客さんを見かけました。僕は普段から、文庫や新書をたくさん持っているお客さんが目に入ると、ウシシという感じで嬉しくなるので、どうしても余計に注目してしまいます。
そのお客さんは何だか棚を真剣にチェックしていて、嬉しくなりました。左手にはどんどんと文庫本が増えていって、売上的にもよろしいじゃないですか、なんて思いながらちらちら見ていました。
で、ちょっと話は変わって、僕は普段からよくレジに足を運んで、そこにあるスリップをチェックするようにしています。スリップというのは本の間に挟んであるあの紙で、レジで大抵抜かれると思います。その抜いたスリップを見て、なるほどこんな本が売れたのか、こんなに売れたのか、これは平積みになってるけど棚から売れたな、みたいなチェックをしています。
で、その女性のお客さんを見かけてから度々レジでスリップをチェックするんですけど、スリップが全然増えないんです(その日は確か雨が降っていて、そもそもあんまり本が売れてなかった)。その度に、なるほどまだ売場にいるのかと思ってチェックをしていました。ただ大分時間が経っても一向にスリップが増えないんで、これはちょっとおかしいなと思うようになりました。
それから、店内をグルリと回って見てみるんだけど、そのお客さんの姿はどうしても見当たりません。ちゃんと隅から隅までチェックしたわけでもないので、まあまだどこかにいるのかもしれないとか思っていたんですけど、その後も売れた形跡がない。
で、初めてその女性のお客さんを目にした時から1時間ぐらいが経過して、どう考えても売場にそのお客さんの姿がないことを確認して、あぁ万引きされたのだろう、と思いました。
ただこれだけだと、お客さんが結局本を買わずに売場に戻しただけ、という可能性が排除できません。ただそうではないんですね。
文庫売場にいる時に、お客さんが左手に持っていた文庫の内一冊だけタイトルが見えたんです。それが、中公文庫から出ている、ニーチェの「ツァラトゥストラ」です。そんな本買うんだ、と思ったんではっきり覚えています。
で、1時間ぐらい経ったあと、「ツァラトゥストラ」は売場に戻っていなかったし、売上のデータも立っていませんでした。なので恐らく万引きだろうなと思います。
しかし本当に万引きだとすれば、その女性のお客さんは間違いなく常習だと思うし、慣れているなと思いました。
何故なら、僕と一度も目が合わなかったからです。
これから万引きをしようとしている人は、必ず周りのスタッフのことをチェックしてしまうはずだと思うんです。見られているかもしれない、何か不審に思われているかもしれない、という意識は常にあるはずで、その不安を解消するために周りのスタッフの目を意識せざるおえないと思うんです。
でも、僕はその女性のお客さんのことをかなり注目してい見ていたのに(万引きだと疑っていたわけではなく、たくさん文庫を抱えているのにさらに何を買うんだろうという興味で)、一度も僕の存在を確認したりしなかったんです。僕のことがまったく目に入らなかった、ということは考えられないので、意識的に見ないようにしていたんだろう、と思います。そんな風に冷静に考えられる人は、常習でしょう。
しかし万引きはホントに悔しい。そりゃあ僕だって、生涯において万引きなんて一度もしたことがない、なんてことは言えないけど、売る立場になってみるとすごく残念だなと思います。でも万引きを捕まえるのもなかなか難しい。今本の中にICチップみたいなものを入れる計画なんかが進行中(?)みたいだけど、それが実現するとしても書店に行きわたるのにはまだまだ時間がかかることでしょう。どうしたらいいものか、難しいなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、前回感想を書いた「「1回きりのお客様」を~」という本と一緒に買ったものです。売上を伸ばす参考になればなぁと思って買ってみました。
著者はもともと、大手の印刷会社に勤めるサラリーマンで、そこで広告の基礎を学んだとか。しかしそれは、資金が潤沢にある大手企業との間でのやり方を学んだにすぎなかったわけです。いろいろあって独立し、小さなお店を中心に仕事をするようになり、いかにこれまでの自分が間違っていたのか悟り、それから資金の少ない小さなお店でいかにして売上を伸ばしていくかということを考え始めます。そこで行きついたのが、「0円販促」。本当にただで始められるか、あるいは初期投資は多少必要だけどその後お金を掛けずに維持できる方法というのを中心に様々な事例を集めていった結果、「0円販促」には5つの法則があることに気づいたようで、それを本書にまとめた、というわけです。
例によって、書店ではなかなか応用できそうにないものもたくさんありますが、とりあえず内容を紹介するためにその5つの法則とやらを書いて説明してみます。

「インターネット販促」
著者は商売をしていく上で最も重要な要素に、顧客リストを選択しています。とにかく、顧客リストのあるなしによって、商売というのはガラリと変わっていく。
で、とにかくメールを送ったりHPを作ったりする、というのが第一の法則。とにかく、インターネットというのは限りなく無料に近いツールなわけで、それを使わない手はない、という話です。

「集客が半永久的に継続するツール」
これは、店の外に置く看板や、あるいは店内にちょっとした特殊なスペースを設けるとか、そういう話です。いかに興味を惹く看板を設置するかという例や、カーショップにバーベキュースペースを併設して売上を伸ばした事例、スーパーに小規模な図書館を設置したりという例が載っています。
僕が一番面白いと思ったのは、冒頭に載っていたある居酒屋の例です。そこでは、お客さんからの意見なんかを募集するノートが置かれているんだけど、それにはすべて店長からのコメントが返ってくる。「生協の白石さん」みたいな感じでしょうかね。でしかも、「鳥皮をほめてくれたから鳥皮5本サービス券」と書かれた手書きのクーポン券みたいなものが返信のところに貼ってある。それは、○○さん専用と書いてあるもので、そのコメントをくれた人にお礼としてあげるクーポンなわけです。これは面白いですね。交換日記みたいな感じでしょう。こういう居酒屋があったら、ちょっと行ってみたいなと思います。

「店の個性を打ち出す」
ここで最も重要なポイントは、その店を一言で表すことが出来るようなイメージ作りです。何でも揃っている、というイメージでは弱い。そうではなくて、とにかく何でもいいからその店のイメージを植え付ける。魚料理ならこことか、あそこの店長は料理中にやるジャグリングがスゴイとか、とにかく何でもいい。その店を一言で表現できるようなイメージを作り出す、ということです。
ここの例で一番分かりやすかったのは、ドミノピザの話でした。これはマーケティングの世界では有名な話のようですが、「30分を超えたら50セント引き」というキャッチコピーを考えたんだそうです。これが今でもピザ屋で通用している、「30分でお届」というルーツなんだそうです。当時、ドミノピザよりも美味しいピザ屋はたくさんあったそうですが、ドミノピザはこのキャッチフレーズ一つだけで世界的に有名なピザ屋になったというわけです。
他にもこんな例がありました。ある自転車店で、「半永久的に修理代無料」と打ち出したところ大成功したようです。現実には、1台の自転車を5年も乗れば買い換えるらしいんで、半永久的に修理代を無料にしても問題はないらしいです。それを、店のキャッチコピーとして大々的に打ち出すだけで大成功。
こういう、店の特色やイメージなんかを分かりやすい一言で表現することで、消費者のイメージ喚起力を高め、よりその店を強く印象付ける、というような話。

「とにかく考える」
これはまあ漠然とした話ですが、とにかく考えることが大事という話です。著者は今作業はすべて他のスタッフにやらせ考えることだけに専念しているようですが、どれだけ忙しくても毎日最低一時間は考える時間を作るようにと書いています。
この項では特に、他業界での成功例を広く集め、それをいかにして自店に活かすのか、という部分を考えるといいですよ、という話をしています。
例えばこんな例が載っています。デジカメの台頭により売り上げを大幅に落としていたある写真店が、こんなサービスを始めました。それは、15分でプロにメイクをしてもらい、写真撮影してもらうというものです。
これは、女性のことを観察し続けた結果生まれたアイデアなんだそうです。
世の中の女性は、30分以内で昼食を済ませる。じゃあ休み時間の残りは一体何をしているのか。
それが、化粧直しなんだとか。
15分でプロにメイクをしてもらい写真撮影をするというのは、昼休みの残り30分で行けるし、しかもメイクも直すことが出来るという、女性にはぴったりのサービスだったわけです。観察し、考え続けた結果、こういうサービスが生まれたわけです。
しかもその写真店のサービスを知ったある美容院では、30分で出来るシャンプー+メイクだけの低価格サービスを始め、それによってかなりの集客に成功したようです。
これは先ほどの写真店でのメリットに加え、敷居の高い美容院のサービスを体験的に受けられるというメリットもあります。いきなり髪を切ってもらうには不安があるけど、シャンプーとメイク直しだったら抵抗は少ない。それでお店の雰囲気なんかを感じてもらえれば、髪を切ってもらうという抵抗が減るということです。
そういう風に、他業界での成功例をいかにして活かすかということも考え続けるといいわけです。

「口コミ」
ここでは、口コミを発生させる確率をいかに高めるか、という話が書かれています。口コミというのは自然発生的に生まれるものだけど、それでもある程度は店の努力によって確率を上げることが出来る。
まず重要な点は、お客さんが他人にその店を伝える時、何を伝えるのかということです。それは、『スゴイこと』です。それがどんなものでもいいです。とにかく、他の店ではありえない特徴、ありえないサービス、ありえないスタッフ、とにかくそういう、人に話したくなるような『スゴイこと』を何でもいいから作ることが大事です。
本書の例にあったわけではありませんが、昔僕は何かの本で、屋上に観覧車がある本屋の話を読んだことがあります。その本屋がどんな品揃えで何が充実しているのかということをまったく知らなくても、屋上に観覧車があるという事実だけでその話を人にしたくなりますよね?あるいは、僕の知っている本屋で日本で初めて(世界でも初めてでしょうが)、「書店プロレス」なるものが開催されました。文字通り、書店の売場でプロレスをする、という企画です。これは記者会見をするくらいの前評判を呼んだし、実際当日ものすごい数のお客さんが来たそうです。そういう『スゴイこと』をまず用意し、それを出来る限り積極的に発信しないといけません。
第二段階は、その『スゴイこと』を思い出させるツール作りです。財布に入るような大きさの紙にその『スゴイこと』を書いてお客さんに配るわけです。そうすうると、思い出してもらえる可能性が高まります。
そして第三段階では、他人に対して影響力のありそうな人、過去にあなたの店を紹介してくれた人、紹介を受けてお客さんになった人なんかに手紙を出し、より口コミが発生する可能性を高める、という話でした。
そして最終段階。ここでは、お客さんを感動させるということが重要になります。なんでもいいからお客さんを感動させる。そうすれば、お客さんはその店のファンになって、その店の良さを周りに伝えてくれる、ということになります。
でも、お客さんを感動させるなんてことがそう簡単に出来るのか。
そこに著者は、あるテクニックを見出しています。
それは、『お客さんが、自分自身をお客として認識していない状態の時にサービスをする』ということです。
具体例を挙げましょう。
ある焼肉屋は人気で、1時間待ちはざら。寒空の中待っていると、店員が七輪や暖かい飲み物を持って来てくれる。店の外に並んでいる時は、お客さんは自分のことをまだお客としては認識していません。そんな状態の時にサービスをしてもらえれば、それが感動体験になる、ということです。
この流れを意識すれば、口コミを発生させる可能性はかなり高まる、とそんな話でした。

インターネットとか看板とかっていうのはなかなかウチの店でやるのは難しいんだけど、イメージを明確な言葉で伝えるとか、口コミを発生させるみたいな話は頑張れば出来そうな気がします。
イメージを明確にするというのは、本屋だからこそうまくやろうと思えばやれるんじゃないかなと思います。例えば、「なんかいつも可笑しなフェアをやってる」とか、「スポーツ関連の本がものすごく充実してる」とか、そういう切り口は書店だったらいくらでも打ち出すことが出来ます。なので、そういうメインになるような部分をかなりきちんとやり、しかもそれをポスターやPOPなんかにして店のあちこちに貼りだす。そういうことをやれば、なるほどあの店はこうなんだな、というイメージを持ってもらえるんじゃないかなと思います。
『スゴイこと』をやって口コミを、という話もやろうと思えば何だって出来るでしょう。スタッフ全員が浴衣で仕事をするとか(まあこれはある書店員が書いた本の中に書いてあった実例ですけど)、クリスマスの日だけ店全体を超真剣に飾り付けするとか、バレンタインデーに本を買ってくれた人全員にレジでチロルチョコを配るとか、まあ何だって出来ますよね。そういう、売上に直接結びつくわけではない、でも人に話したくなるような『スゴイこと』をいろいろ考えてやってみれば、話題が広がっていくんじゃないかなと思います。
他業界の成功例というのも、今すぐ何かパッと思いつくようなことはないけど、活かせるようなものはいろいろとあるかもしれません。これまで僕は書店業界ばっかりに目を向けていろんな情報を収集していましたけど、これから他業界にもきちんと目を向けてみようかなと思います。まあなかなか難しいですけどね。
まあそんなわけで、具体的な例をたくさん盛り込みながら、「0円販促」を実現するための5つの法則が解説されています。どの話も、なるほどそれは面白そうだなと思える感じでした。お客さんからの意見ノートみたいなのは実際始めたら面白いかもしれません。お客さんから、『何か面白い本はないですか?』みたいなことを聞かれて答えるようなやりとりとか起こりそうですしね。まあ返答がなかなか大変ですけど。
いろんなヒントになるのではないかなと思います。サービス業をしている人は読んでみたら面白いと思います。

米満和彦「「0円販促」を成功させる5つの法則」

2009年06月21日

「地団駄は島根で踏め」

言葉の語源が、ある特定の土地と結びついているケースは、探すと意外にあるものだ。

「地団駄は島根で踏め」わぐりたかし著(光文社新書) ISBN: 9784334034986

「語源ハンター」を自称する著者が辞書をひもとき、語源に登場する土地に足を運んで、ゆかりの事物を観て歩く。

目次の日本地図を眺めただけでわくわくしてくる。「ごたごた」の神奈川県って何だろう、「らちがあかない」の京都府って? 読んでみると、期待に違わぬ面白さだ。
著者は放送作家。これは学術的な本ではなく、好奇心満載の旅行記だ。語源といわれる古来の祭りや、歴史上の人物にまつわる事物に触れて、普段なにげなく使っている日本語の背景に、著者なりに思いを馳せる。語源ハンティングのかたわら、お約束で土地土地の銘菓、美味しいものを食べるところも楽しい。(2009・6)

2009年06月20日

シュミじゃないんだ(三浦しをん)

とある出版社は、毎月詳細な&上のデータを送ってくれます。上位の店舗だけなのかもしれないけど、とにかくこのデータはすごく見ていて楽しい。
どんなデータかというと、自店の各ジャンルにおけるその出版社の書籍の売上金額・達成率・全国平均との比較から、新刊がどれだけ&れているのか、またそれが他$と比べてどうなのか。あるいはその出版社の書籍の自店でのランキングと全国ランキングとの比較、などなど多々載っていて、データを見るのが好きな僕としては楽しい。データをきちんと分析するみたいなことは特に出来ないんだけど、なるほどねぇなんて思いながら見ています。
で今日も、5月分(か4月分 忘れた)のデータが届いたんだけど、ウチの店のその出版社文庫の売上がなかなか順調なんです。
その出版社の文庫の前年と比べての達成率の平均は75%みたいなんだけど、ウチの$は100%とほぼ去年とトントン。全国順位も、去年は大体350位くらいだったのが、今年は250位とかなり上がってきているのだ。素晴らしいではないか。
どうしてそういうことになったのか、というのは僕の中で答えがきちんとある。それは、僕が新刊にはまったく期待せずに売場作りをしているからだ。
ウチの店は、文庫と新書に関しては、新刊がすごく&れる、という感じではないんです。これにはまあいろんな理由があるでしょう。僕の新刊の置き方の問題とか、客層とか。でもやっぱり、駅にある本屋の存在が大きいと思います。その駅にある本屋というのは、とにかく新刊の配本数が半端ない。やたらたくさんある。しかも電車の乗り換えの時に通る通路沿いにあるので、サラリーマンなんかはそこで本を買うんだと思う。そういう、新刊を売るのが強い店が近くにあるからというのも、ウチの店で新刊がそこまで売れないという理由の一つだと思う。
だから僕はかなり前から、新刊には期待しないことにしようと決めました。新刊は売れないものだ、という認識の元に、それでも売上を伸ばすにはどうしたらいいのか、ということを考えて常に売場作りをしています。
新刊に頼らないということは、既刊を売るしかないということです。
僕はとにかく、他の店が売っていないだろう既刊で、ウチの店に合いそうなものというのを常に探していて、それを売場に置いてみるという実験をしています。この場所に置かないと売れない、というような文庫とかもあって、そういう既刊をどこに置いて売り伸ばすかを考えるのはすごく楽しいです。
例えば、「痛快!心理学入門」という和田秀樹の作品が結構売れています。たぶん50冊ぐらい売れてるんじゃないかな(数字はちゃんと覚えてないから適当ですけど)。あと「よもつひらさか」っていう今邑彩の小説もそこそこ売っているし、ちょっと前ですが、五木寛之の「不安の力」って文庫も結構売りました。あと新書ですけど、「共働き子育て入門」ってのもかなり売りました。これなんかは既に100冊ぐらい売ってると思うし、僕が売ったからなくなったのか(?)、集英社も重版したみたいです。未だによく売れています。
こういう既刊で売れるものを発掘するメリットというのは、とにかく在庫を確保しやすい、ということです。他の書店が誰も注目していないので、調整されるようなこともありません。だから水増しして発注するなんて必要もないし、注文しすぎて余るなんてこともありません。
それに、他の店で置いていないということは、店のオリジナリティになるのでいいと思っています。他の店ではなかなか平積みしていないような既刊をあちこちにたくさん散りばめて置いているんで、いろいろ発見があって面白いんじゃないかなぁ、と自画自賛してみました。
まあそんなわけで話を戻すと、僕はとにかく新刊にまったく期待していなくて、その代わりいかに既刊を売るかということしか考えていないので、対前年100%みたいな数字になったのではないかなと思います。他の書店は、メチャクチャ売れるようなビッグタイトルが出ないと、売れ行きを維持することが出来ないのではないか、と。正直なところ、売れ筋のビッグタイトルが出ない方が、僕は大手書店とも張りあえると思うんですけどね。
まあ実際は、今月末になかなか売れそうな文庫が2点ほど出るんで、その売上によってまた状況が変わってくることでしょう。いつまでも、順位で250位くらいを維持できるというものではないでしょう(ちなみに新書は150位くらいにいるんです。これも凄いんじゃないかなと思います)。まあそれでも、これからも新刊にあんまり期待せずに、ちまちまと既刊を売って頑張ろうと思います。
他の出版社も詳細なデータをくれればいいのに。っていうか、届いていないだけって可能性はあるけど。ウチの$が上位店じゃなかったら、ダメだよなぁ、きっと。
そろそろ内容に入ろうと思います。
さて本書のタイトルだけで、どんな内容なのか想像できるでしょうか?
本書は、三浦しをんの読書日記というようなエッセイです。しかし、扱っているジャンルがなんとBL。つまり、ボーイズラブ漫画の感想のみを扱ったエッセイ、という感じです。なかなかマニアックな本です。
本書は基本的に、まず前振りがあって、そこからボーイズラブのテーマに繋げていきます。ボーイズラブのテーマというのは、「リバーシブル」だとか「純愛」だとか「友情」だとか「セックス」だとか、そういう感じである。それらのテーマについて、具体的な漫画を挙げながら、三浦しをんが唾を飛ばさんばかりに熱くボーイズラブ漫画について語り続けるという、100%混じりっ気なしの三浦しをんのボーイズラブへの愛情だけで出来上がっている作品です。
何でこんな本を読もうと思ったのかというのは、まあ別に特に理由はないんだけど、ついこの間腐女子の生態について書かれた本を読んだし、三浦しをんのエッセイはそもそも面白いし、というような理由だ。
ボーイズラブ漫画なんかほとんど読んだこともない(ないわけでもないのだ)僕だけど、やっぱり三浦しをんのエッセイは面白いのである。さすがです。
三浦しをんはとにかく、ボーイズラブのために生きていると言っても過言ではない生活を送っている。普通の女子がのめり込むようなことにはほぼ興味なし、とにかくボーイズラブの漫画を読み、同志と語り合い、共に妄想を繰り広げることさえ出来ればすべて幸せ、という人間なのである。三浦しをんがボーイズラブへの愛情で溢れているということは、本書を読めば十分伝わる。すごいなぁ、よくもまあこんなにドハマりできるものがあるもんだと思う。
ボーイズラブ漫画なんでほぼ読んだことのない僕にとっては、紹介されている漫画とか漫画家なんかについてはちんぷんかんぷんなんだが、それでも三浦しをんが熱心に伝えようとしているものを読んでいる内に、何だか面白そうだなぁと思えてくるから不思議なものだ。三浦しをんがボーイズラブ漫画を紹介すると、どうもボーイズラブ的な部分が全然出てこない。僕が言う、ボーイズラブ的な部分というのは、要するに男同士のセックスのことなんだが、そこにはほとんど言及することがない。もちろんエッセイなんだから慎みが必要だという配慮もあるのだろうが、読んだ限りそれだけではない。三浦しをんにとっては、僕が考えるそのボーイズラブ的な部分というのは%の次、というような感じらしいのだ。
ここで僕なりに、何故腐女子はボーイズラブが好きなのか、という考察を書いてみようと思う。
女性というのは何にせよ、過程を大事にしたいと思う生き物であるようだ。それは何となく僕も分からんではない。同じ結果を得られるにしても、そこにどうたどり着いたのか、という部分も重視するのだ。例えばプレゼント一つあげるにしても、ただあげるのと何かサプライズ的な仕掛けを用意するのとでは反応が全然違うことだろう。
漫画や小説にしても同じこと。つまり女性というのは、セックスはセックスで重要なのだが、しかしそこにいかにして行きついたのかというストーリーの方がもっと大事なのである。その過程にいかに納得することが出来るか、そしてその結果としてセックスに行き着く。これが女性にとって重要なのである。
しかしそれなら、男と女の恋愛でもよかろう、という反論があるだろう。それは正しい。男と女の恋愛でも、説得力のある過程を描くことはもちろん可能なはずだ。
しかし次のような理由から、一部の女性(つまりボーイズラブに嵌まるような女性)は男と女の恋愛には嵌まれないらしい。
それは、小説や漫画に出てくる女性キャラクターに向ける目が自然と厳しくなってしまう、という性質だ。女性にはそういう傾向があるらしい。というか、ボーイズラブを好むような女性にそういう人が多い、というべきだろうか。小説や漫画に出てくる女性キャラクターに厳しい目を向けてしまうがために、ストーリーに入れない、ということになるようである。男と男の恋愛であれば、そういう問題は解消される、というわけだ。
もう一つ、男と男のストーリーであるメリットというのがある。
男と男は普通セックスをしない(この場合の『普通ではない』というのは、『大多数ではない』という意味で、決してホモとかゲイとかを否定しているわけではありません。以下同様の表現があっても同じと考えてください)。しかしボーイズラブでは、最終的に男と男がセックスをするという状況が描かれるわけだ。その普通ではありえない状況に陥るためには、そこに至るストーリーがより強固なものでなければ納得出来ない。男と女の場合、ちょっと一緒にいるだけだってそのままセックスになってもおかしくないし、現実的にそういうことだって起こりうる。しかし男と男の場合、たまたまとかなんとなくとか成り行きで、なんていう漠然とした理由でセックスまで至ることはありえないのだ。畢竟、そこに至るまでの苦悩や葛藤が、男と女の場合よりも遥かに多いはずだし、だとすればそれらをすべて乗り越えてセックスまで至るという過程には、実に女性好みのストーリーが必要されるということになる。男と男がセックスをするという困難なラストに至るために乗り越えなくてはならないストーリー展開、これこそがボーイズラブを愛する人がボーイズラブを愛する核ではないのか、と本書を読んで僕は思いました。
だから話を戻すと、内容について説明する際にセックスについての説明は不要なのだ。セックスがないボーイズラブはきっとあまり受け入れられないだろうけど、しかしそれは決してメインではない。そこに行き着くまでの過程の集大成としてセックスがあるわけで、だからこそ作品のメインはセックスに至る過程そのものということになる。
三浦しをんは、そのセックスに至る過程についての描写がなかなか面白いのである。不可思議な設定も多々あったりするのだけど、その中で登場人物たちは苦悩したり葛藤したり悶えたり何かを乗り越えたりと、とにかくいろんな感情がグルグルと渦巻くことになる。それは確かに、男同志の恋愛という部分に関わる煩悶なわけなんだけど、でも本書で三浦しをんが紹介しているような『傑作』は、ストーリーがなかなかいいんだろう、その煩悶の部分がなかなか面白そうなのである。
だから三浦しをんが紹介している作品で、なるほどなかなか面白そうだなと思えるものもいくつかあった。「春を抱いていた」というボーイズラブ界の傑作漫画があるらしいんだけど、これがどんだけぶっ飛んだ作品なのか興味あるし、門地かおりの「秋霖」という作品は時代ものらしく、キリシタンである忍がキリスタンを殺しにいかなくてはいけないという葛藤に恋愛の葛藤も重なるというなかなか複雑な設定で、これも面白そうだなと思った。あとはあんまり覚えてないけど、面白そうだなと思った作品は他にもあったはず。
でもまあきっと読まないでしょう。読んでもきっとまったく理解できないのだ。前に書いたけど、僕の周りにはリアル腐女子が一人いて、そのリアル腐女子から一回だけオススメだというボーイズラブの漫画を読ませてもらったことがあるんだけど(タイトルは忘れた)、でも何がいいんだか僕にはさっぱりわからないわけだ。こりゃあボーイズラブを理解するのは無理だなと思い退散した次第である。
というわけで、まあ今後とも恐らくボーイズラブの漫画を読むことはなかろうが、しかしボーイズラブのマンガを知らなくても、面白い考察、三浦しをんの汗が飛んでくるかのような情熱、そして妄想は、やっぱり読んでて面白い。
ボーイズラブとはまったく関係ないんだけど、三浦しをんは相変わらず頭の悪い(笑)日常を送っているようで、そういう部分も面白かった。
例えば友人と京都に旅行に行った時、彼女たちは一体何をしていたかというと、「超戦隊ボンサイダー」という脳内テレビ番組の詳細な設定を考えていたんだそうです。しかも、哲学の道を歩きながら!何をやっとんじゃい!すぐにでも映像化出来るほど細部まできちんと考え抜いているようで、本当にどうしようもないと思う。
また別の時は、「理想のボーイズラブ雑誌編集部員」になっている。これは要するに、脳内出版である。友人と、自分たちの読みたいボーイズラブ雑誌を勝手に編集してしまおう、という編集会議を繰り広げているらしく、僕には果てしのない時間の無駄にしか思えないのだけど、まあ楽しいからいいのだろう。
まあそんなわけで、三浦しをんの情熱ほとばしる作品でした。基本的にはボーイズラブに興味のある人が読めばいいと思うけど、三浦しをんのエッセイとして読んでも十分面白いと思います。

三浦しをん「シュミじゃないんだ」

2009年06月19日

「天皇陛下の全仕事 」山本 雅人

「天皇陛下の全仕事 」山本 雅人
364p講談社

目次
1 信任状捧呈式
2 天皇の住まい
3 皇室の構成
4 「天皇の仕事」の内訳――どのような仕事をどのように
5 「公的行為」とは何か
6 執務――書類の決裁
7 皇室祭祀(宮内祭祀)はどのように行われるか
8 皇居・宮殿での儀式・行事
9 国際親善の仕事
10 宮内晩餐会
11 外国訪問
12 地方訪問
13 福祉施設訪問と被災地お見舞い
14 追悼と慰霊の旅
15 国会開会式と戦没者追悼式
16 拝謁と会釈
17 さまざまな儀式・行事
18 式典出席や文化の振興
19 進講と内奏
20 伝統文化の継承――稲作と和歌
21 展覧会、コンサート、スポーツ観戦
22 静養と研究
23 スケジュールはどのように決まるのか


激務といってもよい 陛下の仕事。
驚きました。
何も 知らなかった。
こういうことは 学校では 教えないからなぁ。

2009年06月19日

できそこないの男たち(福岡伸一)

最近どうも起きる時間が遅くなってしまって、朝本を読んで感想を書くという時間が短くなっています。今日もちょっと時間ある方ではないのであんまり長くならないように書きます。
6/17水曜日に、あるお客さんに「週刊プロレス」について問い合わせを受けました。お客さん曰く、週刊プロレスというのは毎週水曜日発売だそうで。
で、データを見てみたんですけど、これが実に奇妙なデータだったんです。
まず、在庫が20冊、と表示されていました。おぉ、あるんだな、と思ったんですが、よく見てみると最新入荷日と発売日が共にが6/19金曜日になっている。
まだ発売されていない本の、データだけ先に入ってくるというのはよくあることです。何日か先に発売になるもののデータだけがあるので、検索の際には注意が必要です。この時僕は、なるほど何らかの理由で発売日が17日から19日に変わったのではないか(特にプロレスと言えば、三沢選手がリング場で死亡するというファンには衝撃的な出来事があったので)、と思いました。
しかしさらにデータを見てみると、既に1冊売れているということになっているんです。最新入荷日も発売日も共に6/19なのに、6/17に1冊売上が立っている。
これでもう僕はわけが分からなくなってしまいました。
とりあえず僕はこう結論しました。この1冊売れているのは、きっと何かの間違いだ。「週刊プロレス」のバックナンバーか何かを客注したお客さんが買って、それがたまたま最新号の売上として反映しているんではないか、と。なのでお客さんには、まだ発売していない、6/19に入荷するようだ、と伝えました。
その後遅番のあるスタッフにこの状況を伝え、二人でウンウンと考えました。その中でそのスタッフがこういう仮説を提示しました。
「実際今日1冊入荷して1冊売れている。ただ、三沢選手のこともあって、今緊急で増刷をしている。その増刷分が6/19に入荷するのではないか」
結果的にはその仮説が正しかったようで、今日6/19に20冊入荷するらしいです。さらに明日6/20に、週刊プロレスの増刊号として三沢選手の追悼号みたいなものが出るらしく、それと併売してほしい、ということのようです。
データがおかしい、という状況は常にありますが、これはなかなか見慣れないデータだったので実に難しかったです。データで検索できるのは非常に便利ですけど、それをいかに解釈するかという部分はセンスや経験が必要ですね。
あと一つ別の話を。
今ウチの店では、客注をアップさせようということをやっていますが、先日こんなけースがありました。
あるスタッフが、ECO検定か何かの問題集を注文したいとやってきました。試験が一ヶ月後にあるらしく、なるべく早く欲しい、と。いつも通り、一週間から十日ほど掛かると伝えると、うーんそんなに掛かるかぁ、なるべく早く欲しいけど、うーんでもまあ仕方ないかぁ、というような感じでとりあえず注文ということになりました。
でもその後も、入荷の時期のついて悩んでいるようだったので、これはまあ仕方ないと思って、僕はamazonを勧めました。一緒にいた奥さんがamazonを知っていたようで、それで注文はキャンセルということになりました。
まあ僕は正しいことをしたと思いますけど、やっぱり不本意でした。amazonと同じようにとはいかなくても、書店の流通ももっと早くならないものだろうかと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、ベストセラーとなった「生物と無生物のあいだ」を書いた分子生物学者である福岡伸一が、生命の性について書いた作品です。
本書の基本的な主張は非常に明白です。

『生命の基本仕様は女であり、男は女の仕様をカスタマイズしたできそこないに過ぎない』

アダムとイブの例を使ってこんな風にも書いています。

『イブはアダムの肋骨から造り出されたのではない。アダムこそがイブから創りだされたのだ』

SRY遺伝子というものがある。これが、生命の性を決定するすべての要因となる遺伝子である。本書ではまず、遺伝子の基本知識をざっとさらった上で、このSRY遺伝子発見までのドラマを描くことになる。それは、科学の世界では常にあることであるが、勝者と敗者の物語である。
女の遺伝子はXXで、男はXYである。SRY遺伝子はY染色体に存在している。Y染色体を持つ精子が卵子にたどり着き、SRY遺伝子が行動を開始すると、生命はオスに作りかえられるのである。
作りかえられる、という部分が重要だ。SRY遺伝子さえ働かなければ、生命はすべて女になる。つまり、生命の基本仕様は女なのである。そこにSRY遺伝子が働くことによって、女が男に作りかえられる。その過程で余分なものをつけ足したりそぎ落としたりする。女の場合、過不足はない。男はできそこないなのである。
本書の大体三分の二ほどが、この遺伝子の基礎的な知識からSRY遺伝子の発見、そしてSRY遺伝子の働きなどについて解説している部分である。
で、後半三分の一では、生命の男と女ということをモチーフにして、様々に興味深い話が綴られていく。
例えば、アリマキという昆虫がいる。この昆虫は単為生殖、即ちメスだけで子供を産むことが出来る。生まれてくるのもすべてメスである。
しかし年に一度、冬が近づいてくると、メスはオスを作りだして産む。生まれてきたオスは、死ぬまで出来る限り交尾をする。年に一度だけ交尾によって生殖することで、遺伝子に複雑さを持たせようとしているのだ。
あるいは、男はなぜ女よりも寿命が短いのか。それは、男であることの宿命によることかもしれない、という話。Y染色体とチンギス・ハーンの話。とある分子生物学者の末路について。そんなようなことが描かれます。
生命の性ということを核として、学術的な面とエッセイ的な面を併せ持った作品になっています。
数学者や科学者が本を出すことは結構あるけど、それは大抵学術書という感じになる。もちろん、内容のレベルは様々だ。非常に分かりやすく噛み砕いて書かれたものから、すごく専門的な部分に突っ込んだものまでいろいろある。ただ、いずれにしても、学術的な記述がメインになる。
しかし福岡伸一の作品は違う。全体として学術的な記述の方が多くても、作品はエッセイのような雰囲気を漂わせるのである。数学者や科学者でエッセイを出している人がいないわけではないけど、そう多いわけでもない。なかなか珍しいタイプの研究者兼作家だなという気がします。
福岡伸一の作品がエッセイっぽく感じられるのは、恐らくその文章にあるんだろうなという気がします。福岡伸一の文章は、非常に格調高いという印象です。理系の作家で、こういう文章が書けるというのは、どうなんでしょう、やっぱり普通ではないですよね。数学者の日本語は格調高い、なんて話を聞いたことがあるような気がするけど、それは科学者でも同じだったりするでしょうか?
本書でも、前半三分の二は学術的な記述がメインになるけど、格調の高い文章、また様々に通じている知識なんかをうまく絡めて、普通の学術的記述にならないように配慮しています。そもそも本書の中で福岡伸一は、
『わたしはこの文章で、「何々は何々と呼ばれる」といった類の、教科書的記述をできるだけ避けるようにつとめてきた』
とあるように、文章には結構気を配っていることが伝わってきます。
学術的な部分は、生物をまったく勉強してこなかった僕にはやや難しかったし、文系の人なんかからするとちょっとハードルが高いような記述もあるのかもしれないけど、でも本書の魅力はそういう知識を伝えるという部分にあるわけではありません。福岡伸一という作家が物事をいかに捉えているか、どう感じているか、何を考えているか、そういう部分を様々な部分から感じ取れる、それが重要だと僕は思います。なので、難しいと思える学術的記述は読み飛ばせばいいと僕は思います。それよりも、福岡伸一が歴史を語る口調、淀みなく流れる流麗な文章、真実を見ようとする視線、そう言ったものを感じ取ってもらえたらなと思います。
学術的な内容の部分については、なるほどなという点がたくさんありました。基本仕様は女で、男はできそこない、という話は聞いたことがあるような気がするけどきちんと説明された文章を読んだことはなかったし、聖杯を目指す研究者の争いみたいなものもやっぱり面白い。遺伝子がどう働いているのか、という具体的な記述も多いので、ちょっと専門的な部分に踏み込んでみたいという人にも面白く読めるのではないかなと思います。
僕としてはやっぱり、学術的ではない部分が好きですね。特にアリマキという昆虫の話は本当に面白かったです。普段は単為生殖なのに、年に一度だけオスを生み出して交尾をする、なんて凄すぎじゃないですか?自然というのはとんでもないことを考えるものだなと思いました。
時間がないのでそろそろ感想を終えますが、最後に一つだけ。プロローグに書かれた、福岡伸一が出席したある国際学会での出来事についてだ。
開会に先立って行われる基調講演で、スイスの重鎮学者が開口一番こう言ったようです。
「科学の世界の公用語は、皆さん、英語であると当然のようにお考えになっていると思いますが、実は違います」
会場にいた多くの科学者は驚いてその重鎮学者を注視したという。それもそうだろう。科学の世界の公用語は明らかに英語だし、それは当然のことなのだ。
しかしその重鎮学者はこう続けた。
「科学の世界の公用語は、へたな英語(プア・イングリッシュ)です。どうかこの会期中、あらゆる人が進んで議論に参加されることを望みます」
僕は、自分でもおかしいと思うけど、この部分を読んで泣きそうになりました。今もこれを書きながら泣きそうになっています。
これは素晴らしい演説だなと思います。素晴らしすぎる。僕がこの演説をどう素晴らしいと感じ、何で泣きそうになっているのかうまく説明は出来ないんだけど、英語圏ではない国からもたくさんの科学者がやってくる国際学会の開会の場でこういう演説が出来る科学者を、名前も知らないけど僕は尊敬します。
「生物と無生物のあいだ」と比べたら、やっぱりちょっと本書は劣ると思うけど(「生物と無生物のあいだ」が良すぎたので)、でも十分面白い作品でした。ぜひ読んで欲しいと思います。「動的平衡」って最新作も読みたいなぁ、早く。

福岡伸一「できそこないの男たち」

2009年06月19日

青い花

青い花 (岩崎創作絵本)青い花 (岩崎創作絵本)
(1983/01)
安房 直子

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梅雨時になると、思い出すのがこのお話です。


「かさや」といっても、傘の修繕を生業とする青年がいました。
長雨の後のたくさんの傘の修理で、いつになくたくさんのお金を手にした彼は、大喜びで買いものにでかけます。


さっそく、やねのしゅうりをしよう。
それから、まどにあたらしいカーテンをかけよう

それから、あぶらえのぐを一はこと、あたらしいギターと、それから……



そんなことを思いつつ町へ向かう途中、そぼ降る雨の中、傘もささずに立っているちいさな女の子を見つけました。

その女の子に傘を作ってあげると約束した彼は、自分が買うつもりだったもののことなどすっかり忘れ、傘に張る生地を選ぶため、女の子を連れてデパートへ。
女の子が選んだ青い生地は、白いカーテンの三倍もの値段がしたけれど、青年は迷わず買い求めました。


出来上がった傘を女の子に手渡した時の、ふたりのやりとりが素敵です。


「海の色ににているわ」
と、女の子はいいました。
「うん、ぼくもそうおもったよ」
「このかさをさしていると、まるで青いやねの、いえのなかにいるみたい」
「ああ、ぼくもそうおもった!」
かさやは、すっかりうれしくなりました。



さて、その日を境に、なぜか、小さなかさやの店には「青い雨がさをつくってください」という注文が殺到します。
町じゅうの女の子が青い雨傘をさすようになり、また、そのことが新聞記事になると、注文は更に増えました。


かさやの青年は修繕を断り、ひたすら青い雨傘だけを作り続けます。
修繕のために預かっていた傘はほったらかし。
その傘を取りに来たお客の顔さえ見ようとはしません。


安房直子さんのお話には、しばしば「人」ならぬもの(例えば小人や花の化身)と人との交流が描かれますが、どのお話も人より「人」ならぬものたちのほうが辛抱強くて誠実です。
「人」として彼らに謝りたくなる(笑)


青い傘の注文がぱったりやんで、かさやの店に来るお客が誰もいなくなって初めて、青年は気付くのです。
壊れた傘を取りに来たのが、あの女の子だったことに。


「あたし、なんどもきたの」


女の子はそれしか言いません。責めるでもなく、ただ悲しそうな目をするだけです。
なんだかこの感じ、覚えがあるなぁと思ったら、「まほうをかけられた舌」の小人の「ずいぶんまちましたよ。」という言葉に似ているのでした。

怒っているのではなく、ただ悲しそうなその言葉に、主人公が「ごめんよ」としか言えないところも。
昔話なんかだと、こういう場合「ごめん」で済むことはほとんどありませんが、安房さんのお話はそうではなく。
目先のことに夢中で、たいせつなものを置き忘れてきた人間に、「しかたないなぁ」と苦笑しつつ、それでも待ってくれる優しさが、彼らにはあります。
忘れものを見つけたら、もう一度やりなおそうと手を差し伸べてくれるような。


いちばん最初に、まごころこめて作った傘をなおしながら、青年は思います。


それからあと、じぶんは、どれだけたくさんのかさを、なにもおもわずに つくってきたことでしょうか……。
そして、海の色にも、空の色にもにていない、ただの青い雨がさが、どれだけ町にあふれたことでしょうか。
かさやは、なんとなくぞっとしました。



修理を終えた雨傘を女の子に渡すため、青年は約束の場所へと急ぎます。


雨に滲むような紫陽花の色が、泣いているようにも見えて、悲しい話ではないのに、なぜだか切ない…。



南塚直子さんといえば、版画を見慣れていましたが、この絵本はやさしいパステル画です。
絵本は絶版のようですが、お話だけなら、偕成社の「安房直子コレクション2『見知らぬ町 ふしぎな村』」、岩崎書店のフォア文庫、並びに岩崎幼年文庫「まほうをかけられた舌」にも収録されています。


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