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2009年05月28日

「恋に死す」中野 京子

評価:
中野 京子
清流出版
「恋に死す」中野 京子
181p清流出版
目次
十四歳 大納言久我雅忠の女二条
十五歳 アルテミジア・ジェンティレスキ
十八歳 マリー・キュリー、ヴィルヘルミーネ・フォン・ツェンゲ
十九歳 ザビーナ・シュピールライン
二十歳 アン・ブーリン
二十五歳 松井須磨子、ホーエンベルク公爵夫人ゾフィ
二十六歳 ポッパエア・サビナ
二十七歳 コージマ・ヴァーグナー
三十歳 M・モンロー、マリア・モンテッソリー
三十一歳 ディアーヌ・ド・ポワチエ
三十三歳 絵島
三十四歳 マリア・ルイサ、
三十九歳 アガサ・クリスティ、クララ・シューマン
四十一歳 イザベラ・バード
四十二歳 マリー・ローランサン
四十四歳 アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスフホフ
四十五歳 エカテリーナ二世、ヴィクトリア女王
六十六歳 マルグリッド・デュラス

すごい女性たちの恋の話。

山田風太郎氏の「人間臨終図巻」を読んで この本の構想が出来上がったらしい。

知ってる話は 少なかった。
現代とは違って、女性の立場が 弱いにもかかわらず、ガンガン いっちゃってるのが すごいです。

いや〜皆さん バイタリティ あふれる方々ですわ。

文庫本では、題名が改まって、「歴史が語る 恋の嵐 」

2009年05月28日

りかさん

りかさん りかさん
(1999/12)
梨木 香歩

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リカちゃん人形が欲しいと言ったようこの元に、おばあちゃんから送られてきたのは古い市松人形のりかさん。

「からくりからくさ」に登場した市松人形のりかさんが、蓉子(この本では「ようこ」)の家に来た経緯と、その後のお話です。


まさか半紙に「りかちゃん」と筆で書いて、古い抱き人形の箱に入れて来るとは想像だにしなかった。


ようこの落胆は手に取るようにわかるのに、なぜかここのところを読むと、つい笑ってしまいます。
でも、私の友人の中には、「リカちゃんが欲しいって言ったのに、おばあちゃんが買ってくれたのはボーイフレンドのケンだったよ!」という、もっと気の毒なエピソードの持ち主がいるんですよ。
どう慰めてよいのやら。だって、ケンって…。バービーのボーイフレンドですよ。
もはやリカちゃんファミリーですらないよ…。


それに比べたら、市松人形のりかさん、良いじゃありませんか。
何組かの着替えの着物に、りかさん専用の箱膳までついてきて。
おまけに、驚くなかれ、りかさんはようこと言葉を交わすことが出来るのです。


ようこは、りかさんを介して様々な人形の声を聴き、それぞれの物語に耳を傾けます。


「りかさん」は児童書という体裁なので、「からくりからくさ」に比べると、子どもにも解りやすい平易な文章なのですが、だからといって読者を子ども扱いはしていません。

ようこのお友だちの登美子ちゃんの家に飾られた、たくさんの人形たちの話す内容も言葉遣いもすごい!

例えば、昔、盗まれて竹藪に捨てられ、その後、遊郭へ通う途中の男に拾われて遊女への土産になったという官女は、「あちきの巣は…」と、遊女のような語り口。

ほかの人形からも、「疎いやつよの。格式のある家では…」とか「もったいないこと御意あそばす」とか、そういった時代がかった言葉があたりまえに出てきます。


フランス生まれのビスクドールは、自分を抱いて奉公先を逃げ出した年若いメイドのことを語り、
「汐汲(しおくみ)」という舞踊人形の台座に隠されていた「アビゲイル」の記憶は、不思議な映像となって ようこの前に現れます。

アビゲイルは、かつて日米親善使節の役目を負わされて、日本に送られた人形でした。
たくさんの少女たち、女性たちに愛された美しい青い瞳の人形が辿った運命は、推して知るべし。


まるで、様々な人形の記憶を通して、連綿と続く女性たちの歴史を見ているようでした。


「いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取って行く。
これは技術のいることだ。なんでも吸い取ればいいというわけではないから。
いやな経験ばかりした、修練を積んでない人形は、持ち主の生気まで吸い取りすぎてしまうし、
濁りの部分だけ持ち主に残して、どうしようもない根性悪にしてしまうこともあるし。
だけど、このりかさんは、今までそりゃ正しく大事に扱われて来たから、とても気だてがいい」



おばあちゃんの言う通り、りかさんは、おばあちゃんのところに来る前から、ずっとずっと大事にされてきたお人形でした。
だからこそ、ようこに力を貸して、アビゲイルの中に残る思いを昇華させることもできたのでしょう。
それはまた、ようこにも言えること。ようこだから、できたのではないかと。

そして、りかさんがアビゲイルから預かった使命は、「からくりからくさ」へと続いていきます。



屈託、という言葉はようこにはよく分からなかったが、その意味するものは瞬時に悟った。
ようこはそういうふうに自分の中に言葉を増やして行く子だった。


というのを読んだ時、もしかして、作者の梨木さんご自身がそういうお子さんだったのではないかなと、ちょっと思いました。
しかも、ほんとに人形と話が出来るひとだったりして…。
そんなことを思ってしまうほど、人形たちの物語には説得力がありました。


人形が話すとか、人形に魂が宿っているとかいう設定のお話は、実のところ苦手です。いえ、苦手でした。
それはきっと、昔読んだその手のマンガが、子ども心にはひどく恐ろしいものばかりだったから。


でも、内田善美さんの漫画「草迷宮・草空間」に出てくる「ねこ」という名の市松人形は、それはそれはチャーミングだったし、このお話の「りかさん」は、賢くて気だてが良いのです。
認識を改めました。



結末もまた、うすみどりの風が吹き抜けるような爽やかさです。



文庫版「りかさん」には、書き下ろし短編「ミケルの庭」も収録されています。
こちらは、「からくりからくさ」の続編。
かつてのおばあちゃんの家をアトリエに、草木染作家となった蓉子と、与希子、紀久、そして、マーガレットの赤ん坊「ミケル」のお話。

りかさん (新潮文庫) りかさん (新潮文庫)
(2003/06)
梨木 香歩

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2009年05月28日

とんび(重松清)

時々愚痴を言いたくなるのをお許しください。
本当に、ウチの店のスタッフは終わってるなぁ、といつも思うわけです。
僕は基本的に遅番で入っていて、普段遅番に入っているスタッフと一緒に仕事をしている。だから、ということもあるかもしれないけど、基本的に遅番のスタッフというのはまともなんです。というか、遅番に新人が入った場合、僕や僕が昔教育したスタッフがその新人を教育するわけで、僕の考えが浸透する、ということなんだと思いますけど。
逆に、朝番は本当に酷いんです。
遅番と朝番の違いを一言で説明するなら、お客さんのことを考えているか、スタッフのことを考えているか、という違いになります。
遅番は、基本的にお客さんのことを考えて仕事をしています。お客さんはどんな風に望んでいるだろうか、お客さんは何を求めているだろうか、という部分を汲んで仕事をしています。まあ当り前ですけど。
でも朝番というのは本当にお客さんの視点というのに乏しいんです。それより、いかにスタッフの負担を減らすか、ということばかり考えています。
具体的な例を二つほど書きましょう。
まず一つ。これは客注担当者と雑誌担当者の言っていた話。
『cher』という雑誌があります。何か洋服のブランドの本らしくて、すごく売れます。一番新しいのが、今年の2月に発売されました。
しかし3月ぐらいの時点で既に出版社品切れ、その時点で重版する予定もない、というような話で、雑誌の担当者がスタッフ用の連絡ノートに、「『cher』の客注は受けないでください」というようなことを書いていました。
まあとりあえずそこまではいいとしましょう。
さて、4月下旬頃、遅番のあるスタッフがお客さんから『cher』の客注をしたいと言われました。そのスタッフは、恐らく出版社に在庫はない、恐らく手に入らない可能性の方が高い、ということを伝えた上で、それでも出版社の在庫を確認してほしい、と言われたので受けました。連絡ノートに客注を受けないでくれと書いたのは3月で、4月下旬だったらもしかしたら状況が変わっているかもしれない、と思うので僕は客注を受けるのは当然だと思っています。
しかし朝番の人間はそうは思わなかったようです。3月の時点で客注を受けないでください、とちゃんと書いてあるのに、どうして客注を受けるんだ、と怒っていたようです。雑誌の担当者が改めて、『cher』の客注は受けないでください、と連絡ノートに書いていました。
で昨日、また久しぶりに『cher』を客注したいという問い合わせがありました。直接僕が受けたわけではありませんが、対応したスタッフに受けちゃっていいよ、と指示して、メモに僕の字で、『連絡ノートに客注を受けるなと書いてありますが、恐らく手に入らないだろうと伝えた上でそれでも在庫を確認してほしいと言われたので受けました』と書いておきました。社員を含めて店にいるスタッフのほとんどが、僕には文句言ったり指摘したりできないんで、朝番とトラブルになりそうな時は僕の名前を前面に出すようにしています。
朝番としては、どうせ品切れなんだからと出版社に問い合わせる手間を省きたいんでしょう。しかし、それはお客さんに対して誠意のある対応ではありませn。そこのところが理解できないみたいなんです。
別の話。これは、社員の一人が言っていた、店内の本の並べ方の話についてです。
今ではパソコンで在庫管理が出来て、どの本がいつ発売で最近いつ入ってきて今売場に何冊あるか、というようなデータがすぐ出せるんだけど、それと同じデータ上にジャンル分けも表示されています。『一般文芸』とか『ビジネス』とか『児童』とかです。このジャンル分けは誰が決めているのか分かりませんが、すごく適当に分けられています。僕は新書の担当もしているんですが、よく新書なのにジャンルが『ビジネス』になっているものがあります。文庫サイズなのに『実用』というものもあるし、本のタイトルからするとそのジャンルはおかしいだろ、というようなものもあります。
さて以前ウチの店に、売上を伸ばすために外から来てくれていた人がいました。その人は文芸書の売上を伸ばすべく、独自の品揃えで売場を作っていました。ジャンルが『実用』だろうが『芸術』だろうが『コミック』だろうが、一緒に並べたら売れそうなものはどんどん同じ棚に集めていたわけです。
そんな状況の中、先に挙げた社員はこんなことを言ったわけです。
『いろんなジャンルの本がぐちゃぐちゃに置かれていて、問い合わせがあった時に探せなくて困る』
つまり、店の売上を伸ばしに来てくれた人が頑張って作っている売場を、探しにくいから、という理由で否定しているわけです。
まさにスタッフのことしか考えていない視点ですよね。お客さんからすれば、登録されているジャンルなんて知ったこっちゃありません。ジャンルがどうであろうと、同じような感じの本、似たような雰囲気を持つ本が近くにあれば買おうという気になるかもしれません。
それを先に挙げた社員は、スタッフが探せないから、というだけの理由で一刀両断です。そんなものは、スタッフが努力しなくてはいけない領域の問題であって、売場を非難する理由にはまったくならない、ということに気付かないんです。
ちなみにその社員はコミックの担当者なんですが、こんな売場作りをしています。ジャンプJブックスという、ジャンプコミックが出している小説レーベルがあるんですけど、そこから村山由佳という一般小説を書く作家が、「おいしいコーヒーの入れ方」という超有名な超売れるシリーズを出しています。普通の書店ならこの本は文芸書の売場に置くでしょう。しかしその社員は、それをコミックの新刊台に置きます。しかもシュリンクして。凄いと思いませんか?
あまりに価値観が違いすぎるんで、社員や朝番の人間に何かを指摘したり議論したりすることはもうなくなりましたが、彼らのアホみたいな仕事に我慢するというのは本当にストレスが溜まります。もうホント、僕を拾ってくれる書店はどこかにないですかね?文庫の担当の仕事が面白すぎるし、無駄に権力のある立場なんていうのも気楽でいいんですけど、やっぱりもう少しまともな仕事がしたいな、と思います。しかし、何だってあんなにおかしな人間が店を仕切っているんだか…。
そろそろ内容に入ろうと思います。
ヤスさんは、運送会社の荷分けのプラットフォームで荷分けをしている。さほど仕事熱心というわけでもなく、後輩にもサボり方から教えてやる、というようなタイプ。結婚したものの、夜は仲間を連れて飲み歩いたり、休みの日は競馬をしたりとせわしない。周りも、ヤスさんは奥さんと二人きりでいることに照れてしまうだけだ、と知っているんだけど、それにしてもフラフラ遊び呆けているヤスさんに苦言を呈したりすることもある。
そんなヤスさんが変わったのだ。
昭和38年、ヤスさん28歳の秋、長男アキラが生まれた。
ヤスさんは目一杯張り切って仕事をするようになったし、子供が生まれるまでは願掛けのために酒も断った。子供が生まれるという幸せを全身でかみしめていて、俺は世界一の幸せ者だ、と感じている。すべてが子供中心の生活になり、まさに溺愛している、という感じだった。
しかし、そんな幸せな生活もそう長くは続かなかった。突然訪れた不幸に嘆きながら、子育ての難しさに音を上げそうになることがあっても、それでもヤスさんは不器用にでもひたむきに、アキラを育てあげていく。
アキラの誕生から、アキラが大人になるまでも描く長編小説。
しかし、相変わらず重松清は素晴らしいです。読み始めは、もちろんうまいはうまいんだけど、これまで読んで来た重松作品と比べたらさほどでもないかな、とか思っていたんだけど、やっぱり駄目ですね。重松清の作品を読んで泣かないってことはやっぱりないです。本書でも、途中泣いちゃいましたね。いい作品だと思います。
とにかくヤスさんがアキラを溺愛しすぎるんです。しかもヤスさんが不器用でしかも頑固だから余計に始末が悪い。古い人間らしく、『スジ』を通そうとするからさらにややこしくなる。アキラのことを心の底から愛しているんだけど、常にアキラの味方になってやりたいと願っているんだけど、嫉妬してしまうがために頑固になったり、素直になれなかったり、あるいはお互い思っていることがすれ違ったりとかして、どうにも生活がうまくいかなかったりする。そんなズレを、重松清は本当にうまく描きます。ヤスさんの性格上そうしてしまうのは分かるし、でもアキラがそれに対してそうしてしまうのも分かる。そんな中でどうやってうまく親子の関係を築いていくのか。いい作品だなと思いました。
本書のもう一つの魅力は、ヤスさんの周りにいる人々です。田舎の地方都市に住んでいるヤスさんは、田舎らしい濃い人間関係を築いていて、いつだって輪の中心にいるような感じです。幼なじみのナマグサ坊主・照雲とか、居酒屋『夕なぎ』の女主人・タエ子さんとか、他にも運送会社の仲間とか飲み仲間とか、そういう連中がつねにヤスさんの周りにいる。困ったこと、悲しいこと、不安なこと、そんなことがあった時はいつも彼らを頼っていたし、アキラが生まれてからは本当に頼りっぱなしだった。みんなヤスさんがどんな人なのか知っていて、頑固で素直になれないことも知っていて、アキラのことを溺愛していることも知っていて、だからこそヤスさんとアキラがうまくいくようにみんな協力してくれる。ヤスさんもアキラも本当に幸せ者だったなという感じです。
という感じで作品はすごくよかったんですが、ここからは蛇足です。いや、もしヤスさんが自分の父親だったらなぁ、と考えてしまうんです。
うっとうしいですねぇ。僕だったら、こんな父親にはちょっと耐えられないと思います。
僕は家族っていうのが本当にダメなんです。じゃあ家族小説とか読んで何で泣けるんだ、とか言われると困りますけど、家族って近すぎて人間関係的に僕には本当に厳しい。僕は実家にいる時、いかに家族と関わらずに過ごせるか、ということを常に考えていて、それは今でも変わらないのだけど、だからヤスさんみたいな父親だったらちょっと無理だったかもなぁ、という気がします。溺愛とかされたら、ちょっと窮屈で仕方ないですね。
人の家族の話だと思う分には感動できるんですけど、いざこれが自分の家族だと思うとちょっと無理です。こういう感覚はおかしいですかね?
まあそんなわけで、相変わらず重松清は素晴らしいです。もちろん、本書よりいい重松作品はたくさんありますが、本書もいい作品だなと思います。重松清は、何で同じような雰囲気の作品を書いているのに、どうしてここまで一作一作違いがあって、しかもどれも面白いんでしょうね。凄い作家だなと改めて思います。それに作品を異常なスピードで出す。正直僕はもう追いつけないんですけど、これからもバリバリいい作品を書いて行ってほしいなと思います。

重松清「とんび」

2009年05月27日

「幸田文しつけ帖」幸田文

「幸田文しつけ帖」幸田文
248p平凡社

目次
第一章 父 露伴のしつけ
第二章 家事のしつけ
第三章 礼儀のしつけ
あとがき 青木玉
幸田文年譜
初出一覧

装丁 クラフト・エヴィング商會。

幸田文が 遺した随筆から、三つのテーマにわけて選び抜いた選集の第1冊目。

2004年に 幸田文さん 生誕100年を 迎えたらしい。
幸田文さんの書いた文章が、きりりとした空気を持って目の前に出現。

読んだことのある文章も あったけれど、こうしてて集めて読むとまた 違った感じだ。

図書館から借りたが 買って持っていたいと思った。
この人の文章も 考え方も好きだ。

2009年05月27日

犬身(松浦理英子)

さて今日は時間がないので、本屋の話はちょっとだけ愚痴を書いておしまいにします。
新書の創刊が多すぎる!
もう本当に限界です。新書の売場が広がるわけでもないのに、新レーベルの創刊ばっかり。つい最近早川書房が新書を創刊したし、これからPHPが講談社ブルーバックスみたいな理系新書を出すらしいです。本当にお願いです、どうか新書の創刊は止めてください。今だって、新刊ばかりで置いたら売れそうな既刊なんてほとんど置けないのに、ますますその傾向が強くなってしまいます。こうやって、新刊点数ばっかりどんどん増えていくから、出版・書店業界はどんどん衰退していくんだろうな、と思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
主人公の八束房恵は、生まれてこの方ずっと、種同一性障害(これは房恵が勝手につけた名前だけど)だと思ってきた。性同一性障害は、体と心の性が一致しないことをいうけど、房恵は自分が、体と心の種が一致しないと思っている。体は人間だけど、心は犬だ、と。
房恵はずっと犬になりたいと思って生きてきた。犬が好きというのももちろんあって、犬を見ればわき出てくるような喜びに溢れるのだけど、それだけではなくて、自分が犬になって愛されたい、可愛がられたいという欲求をずっと持ち続けてきた。それもあってか、人間への執着心は薄く、深い付き合いになるような男もほとんどいなかった。
「犬の眼」というタウン誌を、大学時代からの友人である久喜洋一と作る仕事をしながら、犬になりたいという願望を秘め犬と戯れる日々を送ってきた。
かつて取材で一度だけ行ったことのあるバーのマスター・朱尾献ととあるきっかけで付き合いが再開し、不愉快に感じながらも穏やかでいられる気のおけない関係になっていった。犬になりたい、という房恵の願望を知っていた朱尾は、房恵にとある契約を持ちかける。
あなたの魂をもらう代わりに、犬に変身させてあげようか…。
フサという名前の犬になった房恵は、玉石梓という陶芸家の元で飼われることになったのだけど、彼女の一家がなかなか複雑な環境で…。
というような話です。
世間的には評価の高い作品のようで、僕もネットのどこかで本書を絶賛している感想か何かを読みました。昔同じ著者の「親指Pの修業時代」という作品を読んで気に入ったので、本書も読んでみることにしました。
でもどうも僕には合わない作品だったかなと思います。
凄い小説だなとは思います。犬に変身する、という設定はまあそれなりにあるのだろうけど、しかしここまで深く掘り下げた作品というのはなかなかないんじゃないかな、と思います。犬になりたいと願っている女性とか、魂と引き換えに犬に変身させてあげる男とか、かなり非現実的な事柄が出てきますが、全体としてはいろんな意味で考えさせる作品だなと思います。
ただ、面白いか面白くないかで言うと、特に面白い小説という感じでもないんです。僕が一番残念だなと思ったのは、最終的には房恵が犬である必要性がストーリーからあまり感じられなかった、ということです。犬になって以降の房恵の生活は、玉石梓という陶芸家との関わりになっていくんだけど、玉石梓の一家がハチャメチャで、梓とともにその騒動に巻き込まれていく、というような感じなんだけど、そのストーリー自体に、犬である房恵があまり関わらないような気がしてしまうんです。もちろん、犬として梓と一緒に暮らさなければ、梓の抱えている問題を知ることはなかったでしょう。でもこれは小説なんだから、本書が犬の視点で見ている部分を三人称の小説に置き換えたところでそんなにストーリー自体が大きく変わるとは思えないんです。房恵は犬としてはただの傍観者で、直接的には何も出来ない。そういうストーリーであるならば、主人公が犬になる、という本書の最も重要な部分が不必要だったんではないか、という気がしてしまうんです。どうせ主人公を犬にするなら、ストーリー自体が犬でなければならない必然性を持っていて欲しかった、という気がします。まあ確かに、房恵としては犬になって可愛がってもらいたいという欲求が満たされているからいいのかもしれないけど、僕的にはちょっと微妙でした。
でも、そういう部分を除けば、小説としての出来はいいと思います。文章も構成もストーリー運びもうまいと思います。人間の細かな感情の動きや相手の変化なんかを掬いあげるのがすごくうまくて、そういう繊細な部分というのは読みどころのひとつになるかもしれないと思います。
登場人物はすごく少ないので、出てくる人物がすごく濃く描かれて行きます。特に玉石家の人間は凄いですね。あんな家族だったら、僕はすぐ逃げ出しているでしょう。まあ、既に僕は家族から逃げてるんですけど。
玉石家の母親の描写は、ちょっとだけ自分の母親に近いなと感じました。もちろん、あそこまでは酷くないんだけど。自分のことが正しいと信じていて、まあ別にそれは僕も同じだからいいんだけど、でも自分が正しいと信じるために事実を捻じ曲げたりするのが似ている気がしました。そういう意味では玉石家の兄なんかも凄まじいですけどね。しかも、こういう家族というのはどこにでもいそうで、描写がリアルだなと思いました。特に最近は、息子にべったりの母親というのは多そうな気がします。
朱尾という男はかなりよかったですね。最後まで結局何者なのかよくわからなかったけど、何を考えているんだか分からないところとか、普通ではない価値観に基づいて行動していたりする辺りが僕は結構好きでした。
まあそんなわけで、僕としてはさほど面白いと思える作品ではなかったですけど(もちろんつまらないわけではありませんが)、小説としてのレベルは高いと思います。世間的な評価は高いし、どちらかと言えばやっぱり女性向けの作品だと思うんで、興味がある方は読んでみてください。

松浦理英子「犬身」

2009年05月26日

ねこ耳少女の量子論 萌える最新物理学(竹内薫)

さて今日は、新刊が出る際に既刊を一緒に並べる、というような話を書こうかなと思います。
書店員としては当たり前の発想だと思いますが、これから出る予定の新刊と一緒に何を売ろうか、ということを普段からよく考えています。文庫の場合、発売一覧表みたいなものが送られてきます。それを見ながら、僕なりに注目する新刊をいくつかピックアップして、そしてそれと関連付ける既刊が何かないかなぁ、という風に考えるわけです。
最近で言えば、6月に出る新刊についてあれこれチェックしました。「海賊モア船長の憂鬱」という文庫が角川文庫から再文庫化されるんで、じゃあ海賊に関する本とかないかなぁと思ったり(一緒に置けそうなものは見当たらなかったけど)、熊谷達也って作家の集英社文庫の新刊で、差別をテーマにした作品が出るらしいから、じゃあ差別の本とかないかなと探したり、みたいな感じです。
あるいはこういうこともあります。これは僕が考えたことではありませんが、ちょっと前に草なぎ剛の騒動があったじゃないですか?あの時に、「のだめカンタービレ」なんかのコミックでおなじみの二ノ宮知子の「平成よっぱらい研究所完全版」っていうコミックを、草なぎ騒動に合わせて売場で展開した、という書店があります。あるいは今だったら、新型インフルエンザに関わるものとかですね。そういう、世の中の出来事と関係する既刊本をいかに見つけるか、というのも書店員の腕の見せ所になります。
でもまあ、こういう話で一番一般的なのは、新刊が出る著者の既刊を並べる、ということでしょうか。これが一番オーソドックスだと思います。特にシリーズものの新刊が出る、なんていう時は、それよりも前の巻がどんな形であれ売場にある状態にしておかないといけないですよね。
ただ、時々これは置く必要あるのかなぁ、と思ってしまうものもあります。
例えば、このブログを読んでくれている人にはそこまで馴染みのある本ではないかもしれないけど、ライトノベルで「涼宮ハルヒ」シリーズというのがあります。これは、大袈裟ではなく、最も人気があり最も売れているライトノベルだと言ってしまっていいと思います。僕もさんざん売りました。
で、4月からアニメがまた始まる(まあ実は再放送だったり、でも実は新作アニメがこの前やったりといろいろあるみたいですが)というので売場に置いているんですが、そんなに売れません。結局のところ、もうみんな持ってるわけなんです。ライトノベルをヘビーに読んでる人で、涼宮ハルヒを読んでない人とかいないんじゃないか、なんて思ったりしますね。ただ、それほどの超人気作なんで、売場に置かないわけにはいかない。そこまで売れるわけではないけど外せない、というのがなかなか辛いところです。
あるいは、本当にもうすぐ村上春樹の新作長編「1Q84」が発売になりますけど、それに合わせて村上春樹の文庫を相当集めて並べています。でもこれも正直なところ、「1Q84」を発売と同時に買おうなんていう連中はみんな読んでるだろう、という感じがするんですよね。もちろん、「1Q84」が発売されればいろんなメディアで話題になるだろうし、そうなればこれまで村上春樹を読んだことのない人がじゃあ読んでみようかという風になって売れるという流れがあるんで置かなくていいということにはならないんですけど、でもやっぱりそんなには売れないだろうなぁ、と思ったりします。ちなみに話は脱線しますが、「1Q84」のamazonでの予約数が、国内長編文芸作品で過去最高を記録した、とか。ちなみにこれまでの最高記録は、同じく村上春樹の「アフターダーク」だったようです。さすがです、村上春樹。あー、ホント楽しみですね~。
正直なところ、新刊の関連本を探してみても、世間のニュースに関連した本を置いてみても、正直なところそんなには売れないんですね。それでもやる必要がある。それは、この店はこれから出る新刊や世間の話題なんかにちゃんと関連した品揃えをしていますよ、というアピールをお客さんにし続けるためです。そうやって地道にやり続ければ、その内お客さんの方としても、もしかしたらあの店になら置いてあるかも、と思ってくれるかもしれない。結局のところ書店というのは、ここになら置いてあるかもしれない、と思わせて来店客数を増やしていかないとどうにもならないんですよね。問題は、少なくとも僕のいる店には、このことを理解している担当者・社員はほぼいない、ということなんですね。参ったものです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は僕には珍しくマンガです。しかも、タイトルにもあるように萌え系のマンガです。ねこ耳少女とか出てきます。あんまりマンガを読まないんで王道なのかどうなのか正確には分からないけど、でも失恋した男がちょっと変わった女の子と運命的な出会いをして…みたいな話はやっぱり王道な気がします。
しかしその変わった少女というのが、何と量子論が大好きな女の子だったのだ!
好きだった女の子が学校で別の男子とキスしているのを目撃してしまった少年・勇希は、ある日一人の女の子と出会う。あいりと名乗ったその少女は、何故か物理の話を、というか量子論の話ばかりを勇希にするのだ。物理の話なんかさっぱりの勇希は、しかしこんな可愛い女の子と喋れるんだからと、あいりの語る量子の話を理解しようとするんだけど…。
というような、超初心者向けの物理入門書です。
読む前から分かっていたことだけど、僕には易しすぎる本でした。理系の人間が読んだら、当たり前のことばっかり書いてあって、物理的な部分で面白さを感じることはないと思います。とにかく本書は、基本的に文系で物理とかまったく意味不明で、量子?何それ?美味しいの?とか言うような人向けの本です。
本書は、細かいところをかなり省いているし、ざっくりとした説明に終始しているんで、この本を読んで理解したというレベルに達するのは難しいだろうなと思います。僕の解釈では、本書はそういう本ではありません。理解を求めるんではなくて、その量子論の世界の入り口に立つ、みたいな感じです。
量子論というのは、本当にハードルの高い物理理論です。何故なら、僕らが普段持っている常識をいとも簡単にぶち壊していくからです。相対性理論にしても量子論にしてもそうなんですけど、そういう20世紀に進化していった物理理論というのは、僕らに一つの事実を突き付けます。
それは、僕らが普段生きている世界というのは、世界全体からするとあまりにも非常識だ、ということです。つまり、僕らが普段常識だと思っていることは、世界全体から見ればあまりにも例外的で非常識なことなんです。
だから、世界全体を記述する量子論や相対性理論が奇妙に見えるのも当然です。非常識なことを常識だと思ってきた僕らには、いきなりこれが常識です、なんて言われてもそれを受け入れるのはなかなか難しいものがあります。
そんな、常識の枠組みを壊す必要のある理論なんで、その世界には簡単には入っていけない。
目の前に一枚のドアがあると思ってください。そのドアをくぐれば、量子論の世界に足を踏み入れることが出来るとしましょう。本書は、木で出来ているそのドアを透明にする、というような効果のある本だと僕は思います。ドアが開いたわけではないので量子論の世界にまだ入り切れていないんだけど、ドアが透明になったんでその世界のことはちょっとは目に入るようになる。それで興味を持ったら、次はどのドアを自力で開ける努力をする。本書はそんな役割の本ではないかなと思います。
なので、本書を一冊読んだからと言って、量子論の概略について大雑把にでも理解できる、と思ったらそれは違います。本書はあくまでも、量子論というものへの抵抗を軽減させて、興味を抱かせるという目的の本なので、本書を読んで量子論に興味を持ったら、是非何か他の本も読んで欲しい、と僕は思います。
萌えマンガとしての評価は僕には分かりませんが、バイト先のスタッフの一人は絵が可愛いと言っていました。まあ、ねこ耳少女あいりのキャラクターはなかなか面白いと思いますよ。
僕が持っている本では、2009年2月23日初版で、2009年3月31日の時点で4刷りまで行っています。割と売れているみたいですね。僕としては、やっぱり簡単すぎたんでそこまで面白くはなかったけど、こういう本はあっていいと思います。量子論って難しそう、物理ってわけわかんない、と思っている方、ちょっと読んでみて欲しいなと思います。

竹内薫「ねこ耳少女の量子論 萌える最新物理学」

2009年05月25日

船に乗れ!Ⅱ(藤谷治)

湿気が多くなってきているからだと思いますが、最近売場で面陳(下に平積みにしているものではなくて、棚で表紙を見せて置いているやつ)の表紙がペロンとなってしまってすごく困ります。お客さんの立ち読みのマナーが悪くてそうなる場合もありますが、最近あまりにも数が多いんで、たぶん湿気のせいなんだろうな、と思っています。見つけるたびに、その表紙がペロンとなっているものを奥の方にやっているんですが、いつまで経ってもなくならない感じで嫌になります。早いとこ、湿気の少ない気候になってほしいものです。
さて今日は、報奨金の話でも書こうかなと思います。
この報奨金という仕組みが、他の小売店でも普通に存在するのか分かりませんが、書店の場合結構普通にあります。要するに、ある本をこれだけ売ってくれたら、ご褒美としてこれだけお金をあげます、というのが報奨金です。
正直この報奨金というのは、もちろんですが担当者個人に入ってくるわけではなくて会社に入るんで、どれぐらいもらっているのかみたいな具体的な話はイマイチよくわかりません。でも、ちょっと漏れ聞いた話では、例えば某出版社の場合、ありとあらゆる条件をすべてクリアした場合、報奨金が100万円になる、みたいなところもあったりするようです。たぶんその条件は厳しすぎて誰もクリア出来ないんじゃないかな、とか僕は思っているんですけど。
あるいは某出版社の場合、例えばフェアなんかを告知するFAXなんかに、1冊売るごとに50円の報奨金、というようなことが書いてあったりします。文庫1冊500円くらいとして、その1割が書店に戻ってくるんだそうです。本1冊分の値段の7割が出版社の取り分だと何かで読んだ気がしますが、そこから著者印税だの印刷代だのと必要経費を引いていくとそんなに多くは残らないんじゃないかな、と思います。それなのに、1割に当たる報奨金を出す、というのだからすごいなと思います。別の出版社の営業さんは、1冊50円の報奨金をつけて、どうやって利益を出しているのか分からない、と言っていました。
その、利益をどうやって出しているか分からない、という出版社は、報奨金を頑なにつけないんだそうです。書店から、報奨金は出ないの、と聞かれて場所を確保できない、なんていうこともよくあるそうです。
大型書店や、売場面積が広くなくても売上のいい店なんかの場合、目立つ場所にいろんな本を多面展開とかしていたりしますよね。時には雑誌なんかを多面展開しているようなところもありますけど。ああいうのはきっと報奨金と絡んでいるんだろうな、という気がします。書店側から話をするのか、あるいは出版社側から話をするのかわかりませんが、その目立つ場所に置いてあげる代わりに、どれぐらい売ったら報奨金をくれ、というような交渉をするんだろうな、と思います。
最近では、どこかの書店で爆発的に売れたものが全国的に波及していくという傾向がすごく強いので、例えある一店舗(あるいはある書店グループ)との間で出版社が損をするような報奨金を提示したとしても、最終的にそれを回収することが出来る可能性が高くなっているのでしょう。恐らくそういうこともあって、報奨金によって書店の一等地を確保する、というのが出版社としては重要な戦略になっていくんだろうなと思います。
まあ、所詮現場で働いている人間には報奨金とか関係ないので(少なくとも僕にはあんまり関係ない)、あろうがなかろうがどっちでもいいんですけど、しかしそうなっていくと、報奨金を出せるような体力のある出版社しか生き残っていけないのかもしれないな、という気がして、それでいいんだろうか、という気がしてきます。
そろそろ内容に入ろうと思います。本書はたぶんまだ発売されていないはずで、また出版社の方にゲラをもらいました。
以前もらった「船に乗れ!」の二巻目です。音楽高校に通うようになった津島サトルが、チェロに真剣に取り組みながらも、学校で起こる様々な出来事に関わり、悩み、そうやって日々をすごしていくというようなストーリーです。
ちょっとネタばれになりますが、1巻の最後でサトルは、同級生でバイオリン奏者である南枝里子と付き合うことになります。2巻目は、そんな南をサトルがオペラに誘うところから始まります。
南と一緒に時間を過ごすようになって、より南を好きになっていくサトルは、ある時南の決意を聞いて、自分も決断する。南は、先輩が初めて芸大に受かったと聞いて、自分も芸大を目指す、と宣言したのだ。それを受けてサトルも、自分も芸大を目指す、と決めた。
それから二人は会う時間が少なくなった。南が猛烈に練習をするようになったからだ。二人で会っている時間も、音楽の話ばかりした。それで充分だった。ずっとそのままの関係が永遠に続くと思っていたのに、そうはならなかった。
おかしくなり始めたのは、降って湧いたように出てきた留学の話だ。サトルはその頃、いろんな人から一緒に演奏をしようという話をもちかけられていた。しかも、今年のオーケストラの課題曲が絶望的なほど難しくて、その練習も大変だった。そんな時期、おじいさまから突然、ドイツのハイデルベルクでチェロを習ってこないか、と言われた。もう大体の準備は整っているのだという。二か月ほどの短期のもので、おじいさまが校長なのだから学校との折衝も問題ではない。サトルはハイデルベルク行きを決めるのだが…。
というような話です。
1巻もそうでしたが、2巻も読み始めが結構きつかったです。2巻の始まりは、オペラ。そのオペラについて冒頭30ページ弱を使って永遠内容を説明するんです。しかもそれが、内容が意味不明だと言われているらしい、モーツァルトの「魔笛」。確かに内容を紹介されてもイマイチよく分からない。そんな良く分からない話が30ページくらいずっと続くのである。これは正直結構きつかったです。何でもう少し読み始めを入りやすくしないんだろうか、と不思議に思います。これじゃあ、立ち読みして読もうかどうしようかという人に買わせるのは難しいんじゃなか、と。
でも読んでいくにつれて段々と面白くなっていきました。1巻では、高校生活におけるサトルの日常というのが大体のメインになっていたと思いますけど、2巻の場合はサトルと南の関係、というのに主眼が置かれています。どちらも恋愛は初めてで(たぶん)、しかも二人とも真剣に芸大に入ろうと思っている。二人が通っている高校はまだ三流高校なので、そこから芸大に行くというのは凄いことなのだ。そのために彼らは、会う時間を惜しんでまで練習に励む。時々会えても、演奏の話ばっかり。そんな二人の、もどかしいというんじゃないけど、ちょっと普通の距離感とは違う恋愛というのは読んでてなかなか面白かったです。
しかも、その恋愛関係が途中から非常に雲行きが怪しくなっていく。その境が、サトルのハイデルベルク行きなわけなんだけど、ハイデルベルクから帰ってきたサトルには何が起こったのか分からない。南の態度がおかしいことは分かるし、南の周りにいる人間もどうしたっておかしいのだけど、でも誰も事情を教えてくれない。ハイデルベルクに行ったことがそんなにまずかったのか?南は一体どうしちゃったんだ?サトルは心の底から南を愛していることに気づき、しかしそれが取り返しのつかない事態になってしまっていることも理解して、深い絶望に浸ることになる。そんなサトルの鬱々とした心情みたいなものも読んでてなかなか面白くて、読んでて楽しかったです。
でも僕が一番好きな場面は、そういう恋愛とか音楽とかに関わる部分ではなくて、公民の教師である金窪先生の最後の授業です。これは素晴らしかった。どうして金窪先生は、『最後』の授業をすることになり、しかもそこでどうして『ソクラテス』の話をすることになったのかは是非読んでみてほしんだけど、この金窪先生の気丈な態度は素敵でした。金窪先生に関わる記述は本当にあっさり終わってしまうんだけど、すごく印象に残りました。金窪先生がいかに怒りに打ち震えているのかということが、その場で授業を聞いている人間のほとんどには分からなくても、読者には分かる。ソクラテスについて語ることで自らについて語り、潔い形で幕を閉じた金窪先生にブラボーと言いたいです。
全体的に音楽の話が非常に多いんですけど、音楽を知らない人でも普通に読めると思います。何らかの楽器を演奏した経験がある人じゃないと分からないような会話や説明なんかが結構出てきて、楽器なんかリコーダーくらいしか吹けない僕には何のことかさっぱりだったけど、でもそういう知識がなくても全然楽しめると思います。
確か全三巻とかだったと思うけど、これからどういう風に展開していくのか楽しみな感じです。1巻も2巻も初めは読みにくいと思うんだけど、内容はいいと思います。読んでみてください。

藤谷治「船に乗れ!Ⅱ」

2009年05月25日

「老いの身辺をさわやかに生きるための言葉」曽野 綾子

評価:
曽野 綾子
イーストプレス
「老いの身辺をさわやかに生きるための言葉」曽野 綾子
174pイーストプレス

目次
減らす
老いる
失う
消える
生きる

曽野 綾子さんが いろいろな本から ピックアップした言葉。

字が 大きいのは 老眼鏡なしで読むため?

人生折り返し点を 過ぎたら、こんな言葉が 心に 響く。
取り上げられた本を 読みたくなる。

2009年05月25日

「禁書売り―緒方洪庵・浪華の事件帳」築山 桂

評価:
築山 桂
鳥影社ロゴス企画部
「禁書売り―緒方洪庵・浪華の事件帳」築山 桂
300p鳥影社ロゴス企画部

目次
禁書売り
証文破り
異国びと
木綿さばき

蘭学塾、思々斎の 緒方章(後の洪庵)が、大坂の町を陰で支え守り続けてきた「在天」の一族で左近と名乗る男装と出会う。

この本が 先だったのだけど、2の方を 先に読んだ。

NHKドラマで見ていたから 読むのには 困らなかった。
結構そのまま 映像化されていたと思う。

2009年05月23日

麦酒の家の冒険(西澤保彦)

さて、相変わらず店内ではマスクをつけていますが、これが本当に大変です。
もちろん、口の周りがモワモワする、というのも大変なところです。息苦しいし、新鮮な空気を吸いたい気分に駆られます。
しかしそれ以上に辛いのが、耳です。とにかく、マスクをずっとつけてると、耳が痛くなるんです。
僕が特別弱いのかもしれませんが、ようするにマスクってゴムを耳に引っかけるじゃないですか?あのゴムが引っ掛かってる部分がすごく痛くなるんです。
僕はメガネもコンタクトもしていないまったくの裸眼なんですが、昔とあるスタッフが最後にシフトに入っている日に、遅番のスタッフ全員がメガネを掛ける、という企画を誰かが考えて実行しました。その辞めているスタッフがメガネ好きだったんですね。で僕も100円均一で変な老眼鏡みたいなのを買ってきてつけたんですけど、2時間も掛けていると耳が限界ですね。メガネのつるっていうんですか?あの部分が耳に当たっているところがとにかく痛くて仕方ないんですね。
そんなわけで、マスクをつけ続けていると耳が痛くなってすごく辛いです。早いとこ落ち着いてほしいです。
今日の本屋の話は、発売日以外に出る新刊です。と言っても何のことか分からないでしょう。これはもうほとんど幻冬舎という出版社の話で、結論としては、みんな幻冬舎の真似をすればいいじゃんか、ということです。
幻冬舎という出版社はいろいろ変なことをやってくるところなんですけど、文庫の新刊でも結構変なことをやらかしてくれます。例えば、幻冬舎文庫というのは基本的に二か月に一回新刊が出ます。確か奇数月に出るんだったかな。で、ちょっと前ぐらいから偶数月に仕掛け文庫なる新刊を出すようになりました。これは、初めっから仕掛けることを目的に作っている本で、毎回FAXが送られてきますが、初回の注文50冊以上でお願いします、なんて書いてあります。そんなのはとても無理なんで、いつも頼まないんですけど。
で本題ですが、先ほど書いた通り、幻冬舎というのは奇数月の10日くらいに新刊が出るんですけど、それ以外の時でも自由に新刊を出すんです。意味が分からないかもしれませんが、詳しいことはこれから書きます。何にせよ、こんなことをやっている出版社は、幻冬舎くらいしか思いつかないです。
普通の出版社というのは、毎月大体決まった時期に新刊が出ます。出版社の規模によって出る点数は違いますが、とにかくその決まった発売日以外の時期に新刊を出すことはありません。これが普通です。
しかし幻冬舎の場合、奇数月の発売日以外の時期でもよく新刊が入ってきます。具体的には、例えば「ツレがうつになりまして」というドラマがやってるんだかこれからやるんだか分かりませんけど、あれが最近文庫になりました。でも、奇数月の発売日の時期ではなく、恐らくですけどドラマが始まるちょっと前くらいの時期に合わせて送ってくるんです。大体ドラマ化とか映画化のタイミングに合わせて、ということが多いですが、そういう風にして発売日以外のタイミングでも新刊を出すんですね。
もちろん他の出版社でも、映画化やドラマ化に合わせて文庫化するというのはよくやっていますが、しかしそれらは結局毎月の発売日のタイミングで出すわけです。
例えば、毎月1日に新刊を出す出版社があるとしましょう。今度Aという本が映画化されるんだけどそれが5/25公開だとしましょう。
その場合この出版社は、Aという文庫を5/1に新刊で出すことになります(6/1に出すと映画が既に公開しているのでタイミングとしては悪すぎる)。しかし、発売日の5/1から映画公開日の5/25まで大分間が空くことになります。状況によっては、一番売り時である映画公開直前に書店の在庫がなくなる、なんていう可能性もありえます。
でも、これが幻冬舎だと違うんです。幻冬舎は奇数月の10頃に新刊を出しますが、今度あるBという本が映画化されることになって、それが5/5公開だとしましょう。
通常の出版社の仕組みであれば、この新刊は3/10に発売されることになります。ただ、さすがに3/10から5/5までは間がありすぎる。そこで幻冬舎はこれを、文庫の発売日の時期ではない、例えば4/20頃とかに文庫の新刊として出すわけです。
僕は、幻冬舎のこのやり方はすごく理にかなっていると思うんで、どの出版社もやればいいのにな、と思っているんですけど、どうしてやらないんでしょうね。もちろん、幻冬舎が二か月に一回しか新刊を出さない、というのと大きく関わってはいるんだろうけど、でも他の出版社でやっても効果のあるやり方ではないかなと思うんです。まあ、幻冬舎っていう出版社は、僕のイメージでは出版業界のアウトローっていう感じなんで、もしかしたら何らかの業界の慣習(というか暗黙の了解みたいなもの)を破っている、という可能性もあるとは思いますけどね。
まあそんなわけで、書店的には在庫の確保しにくい出版社のトップに来るだろう幻冬舎ですが、いろいろと面白いこともやっているんで、これからも良かれ悪しかれ(?)いろいろ変なことをやっていってもらえればなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。久々に、これはいい本を掘り出したなぁ、という感じの本です。まあ掘り出したと言っても、WEB本の雑誌の書評を読んで面白そうだと思ったから読んでみただけなんですけど。
一応匠千暁(タック)を主人公とするシリーズ作品の一作みたいなんですけど、そんなこと知らずに読んでも全然面白い作品です。
大学で何となく繋がりのある四人、ボアン先輩、タカチ、ウサコ、タックは、ちょっとした気晴らしのためにR高原へとやってきた。旅程は順調。楽しかった数日が過ぎ、さて帰ろうという段になってちょっと困ったことになった。
いろいろあって森をさ迷う羽目になってしまったのだ。まあ、ほぼボアン先輩が悪いんだけど。
まあともかく、彼らはようやく民家らしき建物を見つけた。あまりの疲労に、窓ガラスを割って不法侵入する四人。
しかしこの建物、あまりに異常なのである。
とにかく、物という物がほとんど一切ない。食料も家具もカーテンさえないのだ。あるのは、クローゼットに隠されたヱビスビール96本とキンキンに冷やされた13本のビアジョッキ、そしてベッド一台だけ…。
まあこんだけあるんだし、とりあえず飲もうということになった一向は、飲みながら、この建物は一体なんのために存在するのかを推理し始めるのだけど…。
という話です。
いや、すごい話ですよ、これ。だって、初めっから終わりまで、ひたすら謎の建物についてあれこれ推理を繰り返すだけの小説なんです。ヒントは、ビールとジョッキとベッドだけ。もちろん、まさかあれが実はヒントだったのか、という情報もたくさんあるし、また中盤で一回とても大きな情報が一つ追加されるんだけど、でも基本的に彼らの手元にある情報はビールとジョッキとベッドだけ。
しかし、まさかこれだけの情報から、あれだけたくさんの仮説が生まれるとは思いませんでした。四人がそれぞれに想像力を働かせて、論理的に整合性のある仮説をひたすらに追い求めていきます。仮説を出す度に穴が指摘され、仮説はどんどんと崩されていくのだけど、しかしそもそも正解があるのかどうかも分からないような謎解きなわけです。気楽なお喋りの延長というような会話です。
しかしこの会話が面白いんですね。普通本格ミステリの場合って、登場人物があーでもないこーでもないって推理しているような場面ってそんなに面白くないじゃないですか?早く新しい展開が起こってほしいし、早く真相を知りたいと思ってしまうと思うんだけど、本作の場合、その仮説のやり取りがとにかく面白い。少ない情報から、仮定と論理を積み重ねただけのまったくの机上の空論がいくつも展開されていくだけなのに、これが滅法面白いんです。タカチという論理的な謎解きにかなり関心を持っている女の子と、何だかんだで鋭い思考力を持っている主人公のタックが議論を引っ張り、そこにのほほんとしてるボアン先輩とウサコが変な角度からボールを投げ込むことでまた新しい展開が生まれていく、というような感じで、そのやりとりが楽しくて仕方ないですね。僕もその場に混ざりたいくらい。
しかもいつまで経ってもあの謎めいた建物について議論しているだけだから、最後までこういう小説なんだろう、と思ったけど、でもこれどういう風に終わらせるんだろう、って途中で思いました。だって難しくないですか?だって、四人が議論している中で、最も真相に近そうな仮説が決まって、はいそれじゃあ解散、なんて風には終わらせられないと思うんです。かと言って、じゃあ真相を知る手だてはそもそもあるのか…。と考えていたところ、やっぱり捻ってきますね、著者は。終わりの方で、一旦ちょっと変わった方向に矢印を向けるんです。これがまず素晴らしかった。その後、また本線に戻るんですけど、その一旦寄り道したことで本線に戻れた、というその流れがよかったな、と思います。
あー、しかし本書の魅力をどうにも伝えきれていないような気がする。本書を読んで、東野圭吾の「むかし僕が死んだ家」って作品を思い出しました。「むかし僕が死んだ家」は、登場人物はたった二人、舞台は最初から最後まである一軒の家、という設定で進んでいく話で、確か出生の謎みたいなのを解き明かすようなストーリーだったと思うんだけど、でも「むかし僕が死んだ家」の場合、読み進める中で新しい情報というのがとにかくたくさん入ってくるわけです。それを元に謎を解いていくことになる。
でも本書の場合、ほぼ新しい情報というのは入ってこないんです。そりゃあそうです。家中探したって、ビールとジョッキとベッドしかないんですから。追加の情報が一切ないままで、たったそれだけの情報から、仮定と論理を積み重ねることであれだけたくさんの仮説生み出せる。これはすごいなと思いました。
本書は、安楽椅子探偵モノ、つまり現場に行かずに情報を聞くだけで事件を解いてしまうというタイプの亜流のような作品ですが、著者はある時、安楽椅子探偵モノで現代を舞台に長編を書くのは難しい、というような文章に出会ったんだそうです。それで、というわけでもないですが、じゃあやってみようじゃないか、と思って本書を書いたとか。まあ何にしても、レベルの高い作品だなと思いました。あと、本書のあとがきとか解説とかでたくさん触れられていた「九マイルには遠すぎる」という作品は是非読んでみたいものだなと思いました。
本格ミステリ、と聞くと殺人だの何だのというのを想像する人もいるかもしれませんが、本書はそういう物騒な話は出てきません。純粋に論理のみによって、謎めいた状況を解き明かしていくその手腕は素晴らしいものがあります。なかなか似たような作品がない作品だと思います。これはちょっとPOPでも作ってもらってガンガン売っていこうと思っています。面白いですよ~。是非読んでみてください。

西澤保彦「麦酒の家の冒険」

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