時々愚痴を言いたくなるのをお許しください。
本当に、ウチの店のスタッフは終わってるなぁ、といつも思うわけです。
僕は基本的に遅番で入っていて、普段遅番に入っているスタッフと一緒に仕事をしている。だから、ということもあるかもしれないけど、基本的に遅番のスタッフというのはまともなんです。というか、遅番に新人が入った場合、僕や僕が昔教育したスタッフがその新人を教育するわけで、僕の考えが浸透する、ということなんだと思いますけど。
逆に、朝番は本当に酷いんです。
遅番と朝番の違いを一言で説明するなら、お客さんのことを考えているか、スタッフのことを考えているか、という違いになります。
遅番は、基本的にお客さんのことを考えて仕事をしています。お客さんはどんな風に望んでいるだろうか、お客さんは何を求めているだろうか、という部分を汲んで仕事をしています。まあ当り前ですけど。
でも朝番というのは本当にお客さんの視点というのに乏しいんです。それより、いかにスタッフの負担を減らすか、ということばかり考えています。
具体的な例を二つほど書きましょう。
まず一つ。これは客注担当者と雑誌担当者の言っていた話。
『cher』という雑誌があります。何か洋服のブランドの本らしくて、すごく売れます。一番新しいのが、今年の2月に発売されました。
しかし3月ぐらいの時点で既に出版社品切れ、その時点で重版する予定もない、というような話で、雑誌の担当者がスタッフ用の連絡ノートに、「『cher』の客注は受けないでください」というようなことを書いていました。
まあとりあえずそこまではいいとしましょう。
さて、4月下旬頃、遅番のあるスタッフがお客さんから『cher』の客注をしたいと言われました。そのスタッフは、恐らく出版社に在庫はない、恐らく手に入らない可能性の方が高い、ということを伝えた上で、それでも出版社の在庫を確認してほしい、と言われたので受けました。連絡ノートに客注を受けないでくれと書いたのは3月で、4月下旬だったらもしかしたら状況が変わっているかもしれない、と思うので僕は客注を受けるのは当然だと思っています。
しかし朝番の人間はそうは思わなかったようです。3月の時点で客注を受けないでください、とちゃんと書いてあるのに、どうして客注を受けるんだ、と怒っていたようです。雑誌の担当者が改めて、『cher』の客注は受けないでください、と連絡ノートに書いていました。
で昨日、また久しぶりに『cher』を客注したいという問い合わせがありました。直接僕が受けたわけではありませんが、対応したスタッフに受けちゃっていいよ、と指示して、メモに僕の字で、『連絡ノートに客注を受けるなと書いてありますが、恐らく手に入らないだろうと伝えた上でそれでも在庫を確認してほしいと言われたので受けました』と書いておきました。社員を含めて店にいるスタッフのほとんどが、僕には文句言ったり指摘したりできないんで、朝番とトラブルになりそうな時は僕の名前を前面に出すようにしています。
朝番としては、どうせ品切れなんだからと出版社に問い合わせる手間を省きたいんでしょう。しかし、それはお客さんに対して誠意のある対応ではありませn。そこのところが理解できないみたいなんです。
別の話。これは、社員の一人が言っていた、店内の本の並べ方の話についてです。
今ではパソコンで在庫管理が出来て、どの本がいつ発売で最近いつ入ってきて今売場に何冊あるか、というようなデータがすぐ出せるんだけど、それと同じデータ上にジャンル分けも表示されています。『一般文芸』とか『ビジネス』とか『児童』とかです。このジャンル分けは誰が決めているのか分かりませんが、すごく適当に分けられています。僕は新書の担当もしているんですが、よく新書なのにジャンルが『ビジネス』になっているものがあります。文庫サイズなのに『実用』というものもあるし、本のタイトルからするとそのジャンルはおかしいだろ、というようなものもあります。
さて以前ウチの店に、売上を伸ばすために外から来てくれていた人がいました。その人は文芸書の売上を伸ばすべく、独自の品揃えで売場を作っていました。ジャンルが『実用』だろうが『芸術』だろうが『コミック』だろうが、一緒に並べたら売れそうなものはどんどん同じ棚に集めていたわけです。
そんな状況の中、先に挙げた社員はこんなことを言ったわけです。
『いろんなジャンルの本がぐちゃぐちゃに置かれていて、問い合わせがあった時に探せなくて困る』
つまり、店の売上を伸ばしに来てくれた人が頑張って作っている売場を、探しにくいから、という理由で否定しているわけです。
まさにスタッフのことしか考えていない視点ですよね。お客さんからすれば、登録されているジャンルなんて知ったこっちゃありません。ジャンルがどうであろうと、同じような感じの本、似たような雰囲気を持つ本が近くにあれば買おうという気になるかもしれません。
それを先に挙げた社員は、スタッフが探せないから、というだけの理由で一刀両断です。そんなものは、スタッフが努力しなくてはいけない領域の問題であって、売場を非難する理由にはまったくならない、ということに気付かないんです。
ちなみにその社員はコミックの担当者なんですが、こんな売場作りをしています。ジャンプJブックスという、ジャンプコミックが出している小説レーベルがあるんですけど、そこから村山由佳という一般小説を書く作家が、「おいしいコーヒーの入れ方」という超有名な超売れるシリーズを出しています。普通の書店ならこの本は文芸書の売場に置くでしょう。しかしその社員は、それをコミックの新刊台に置きます。しかもシュリンクして。凄いと思いませんか?
あまりに価値観が違いすぎるんで、社員や朝番の人間に何かを指摘したり議論したりすることはもうなくなりましたが、彼らのアホみたいな仕事に我慢するというのは本当にストレスが溜まります。もうホント、僕を拾ってくれる書店はどこかにないですかね?文庫の担当の仕事が面白すぎるし、無駄に権力のある立場なんていうのも気楽でいいんですけど、やっぱりもう少しまともな仕事がしたいな、と思います。しかし、何だってあんなにおかしな人間が店を仕切っているんだか…。
そろそろ内容に入ろうと思います。
ヤスさんは、運送会社の荷分けのプラットフォームで荷分けをしている。さほど仕事熱心というわけでもなく、後輩にもサボり方から教えてやる、というようなタイプ。結婚したものの、夜は仲間を連れて飲み歩いたり、休みの日は競馬をしたりとせわしない。周りも、ヤスさんは奥さんと二人きりでいることに照れてしまうだけだ、と知っているんだけど、それにしてもフラフラ遊び呆けているヤスさんに苦言を呈したりすることもある。
そんなヤスさんが変わったのだ。
昭和38年、ヤスさん28歳の秋、長男アキラが生まれた。
ヤスさんは目一杯張り切って仕事をするようになったし、子供が生まれるまでは願掛けのために酒も断った。子供が生まれるという幸せを全身でかみしめていて、俺は世界一の幸せ者だ、と感じている。すべてが子供中心の生活になり、まさに溺愛している、という感じだった。
しかし、そんな幸せな生活もそう長くは続かなかった。突然訪れた不幸に嘆きながら、子育ての難しさに音を上げそうになることがあっても、それでもヤスさんは不器用にでもひたむきに、アキラを育てあげていく。
アキラの誕生から、アキラが大人になるまでも描く長編小説。
しかし、相変わらず重松清は素晴らしいです。読み始めは、もちろんうまいはうまいんだけど、これまで読んで来た重松作品と比べたらさほどでもないかな、とか思っていたんだけど、やっぱり駄目ですね。重松清の作品を読んで泣かないってことはやっぱりないです。本書でも、途中泣いちゃいましたね。いい作品だと思います。
とにかくヤスさんがアキラを溺愛しすぎるんです。しかもヤスさんが不器用でしかも頑固だから余計に始末が悪い。古い人間らしく、『スジ』を通そうとするからさらにややこしくなる。アキラのことを心の底から愛しているんだけど、常にアキラの味方になってやりたいと願っているんだけど、嫉妬してしまうがために頑固になったり、素直になれなかったり、あるいはお互い思っていることがすれ違ったりとかして、どうにも生活がうまくいかなかったりする。そんなズレを、重松清は本当にうまく描きます。ヤスさんの性格上そうしてしまうのは分かるし、でもアキラがそれに対してそうしてしまうのも分かる。そんな中でどうやってうまく親子の関係を築いていくのか。いい作品だなと思いました。
本書のもう一つの魅力は、ヤスさんの周りにいる人々です。田舎の地方都市に住んでいるヤスさんは、田舎らしい濃い人間関係を築いていて、いつだって輪の中心にいるような感じです。幼なじみのナマグサ坊主・照雲とか、居酒屋『夕なぎ』の女主人・タエ子さんとか、他にも運送会社の仲間とか飲み仲間とか、そういう連中がつねにヤスさんの周りにいる。困ったこと、悲しいこと、不安なこと、そんなことがあった時はいつも彼らを頼っていたし、アキラが生まれてからは本当に頼りっぱなしだった。みんなヤスさんがどんな人なのか知っていて、頑固で素直になれないことも知っていて、アキラのことを溺愛していることも知っていて、だからこそヤスさんとアキラがうまくいくようにみんな協力してくれる。ヤスさんもアキラも本当に幸せ者だったなという感じです。
という感じで作品はすごくよかったんですが、ここからは蛇足です。いや、もしヤスさんが自分の父親だったらなぁ、と考えてしまうんです。
うっとうしいですねぇ。僕だったら、こんな父親にはちょっと耐えられないと思います。
僕は家族っていうのが本当にダメなんです。じゃあ家族小説とか読んで何で泣けるんだ、とか言われると困りますけど、家族って近すぎて人間関係的に僕には本当に厳しい。僕は実家にいる時、いかに家族と関わらずに過ごせるか、ということを常に考えていて、それは今でも変わらないのだけど、だからヤスさんみたいな父親だったらちょっと無理だったかもなぁ、という気がします。溺愛とかされたら、ちょっと窮屈で仕方ないですね。
人の家族の話だと思う分には感動できるんですけど、いざこれが自分の家族だと思うとちょっと無理です。こういう感覚はおかしいですかね?
まあそんなわけで、相変わらず重松清は素晴らしいです。もちろん、本書よりいい重松作品はたくさんありますが、本書もいい作品だなと思います。重松清は、何で同じような雰囲気の作品を書いているのに、どうしてここまで一作一作違いがあって、しかもどれも面白いんでしょうね。凄い作家だなと改めて思います。それに作品を異常なスピードで出す。正直僕はもう追いつけないんですけど、これからもバリバリいい作品を書いて行ってほしいなと思います。
重松清「とんび」
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