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2008年09月29日

ハローサマー、グッドバイ(マイクル・コーニイ)

ある占い師の助言を受けて、Z県まで旅行に来た。一人旅なんて学生時代ぶりだろうか。失恋の痛手を癒したい、そう占い師に告げると、ここに来ればいいと言われてやってきたのだ。
そこは、旅行会社に行ってもパンフレットすら存在しないような、観光的にはまったく何もないところだった。周りは田んぼか畑かあるいは山。神社やお寺があるわけでもなく、海水浴や潮干狩りが楽しめるわけでも、紅葉狩りやハイキングが出来るわけでもなく、観光名所になるようなものもまったくないところだった。そもそも泊まれるような場所も限られていて、行ったところで何をするというわけでもなく時間を過ごすしかないような場所だった。
当然観光客の姿なんかないだろうと思っていたのだけど、しかしそれは大いに間違いだったと言わざるをえない。行く場所など何もないはずの土地を、観光客らしい人々がたくさん歩いているのだった。いつの間にここはそんなに有名な観光地になったのだろうと、私は不思議な気分になった。
まあいい。何もないところをブラブラ歩いているだけでも充分気が晴れるし、それに占い師がここが良いって言ってくれたんだから、たぶん間違ってはいないんだろう。あそこに田んぼで農作業をしているおばあさんがいる。飛び入りで手伝ったりしたら迷惑かな?

僕はZ県の役所で働いていたのだけど、どういうわけか今は東京にいる。何でこんなことになったんだろうか。
Z県の役所内にある観光課では、どうしたらこの県に観光客を呼べるかという議論をよくしていた。もちろんいい案が浮かぶわけもない。そもそもこの県には、観光の目玉に出来るようなものが何一つないのだ。
そこである職員が奇抜なことを考え出した。
「占い師に扮して、この県に人を呼んだらどうだろう」
何故かその案が採用されて、そして何でか知らないけど僕が東京に出て占い師の真似事をする羽目になった。
初めの内はふてくされていた。こんなの、役所の人間の仕事じゃないだろ、と。来てくれた人におざなりに相手をして、そして最後に、Z県に行くといいですよ、と付け加えるだけの適当なことをずっとやっていた。
しかし、何が幸いするのか分からない。いつしか僕の占いは評判になっていたのだ。よく当たる、なんて紹介されることが多いんだけど、みんなどんな勘違いをしてるんだろう?
今では僕は人気占い師として注目されている。一応義理でZ県への案内は続けているけど、別にもう止めてもいいかなって思ってる。占い師として食っていく方がお金になりそうだしね。

一銃「占い師の招待」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、地球ではないどこか別の惑星を舞台にした話です。しかし、そこでの異星人は人間型で、感情や思考なんかも地球の人間に近い、っていう設定になっています。
政府の高官である父を持つドローヴは、毎年恒例の夏休暇を過ごすために港町バラークシを訪れる。そこには、去年ほんの少しだけ話したことがある宿屋の少女ブラウンアイズが住んでいて、ドローヴは彼女との念願の再会を果たす。他にも同世代の遊び相手が出来て、ドローヴは彼らと日々共に過ごすことになる。
戦争の陰が町を覆っていき、また町の住人と政府の人間との対立も深くなっていく。粘流というこの惑星特有の現象も近づいて来て慌しくなっている。お互い気になっていたドローヴとブラウンアイズは気持ちを確かめ合い、急速に仲良くなっていく。
しかし、誰もが予想し得なかった壮大な計画が進行していて、そしてその時がやってきてしまう…。
というような話です。
ちょっと今日は時間がないので急ぎ目で感想を書くけど、割と面白い作品だと思います。ただ帯や表紙裏の内容紹介のところに、『SF恋愛小説の最高峰』とか、『SF史上屈指の青春恋愛小説』とか書いてあるんですけど、さすがにそれは言いすぎじゃないかなと思います。そういう文言をそのまま信じて読むと、ちょっと肩透かしを食らわされるような気がします。
僕はいつ思っているんですけど、帯の文句とかはちょっとやりすぎだなと思うわけなんです。確かに出版社としても本を売らないといけないわけで、誇大広告気味の文句を書いて読みたいという気を煽るしかない、というのもわからなくはないんだけど、でも帯の文句で余計に期待を煽りすぎる分、その作品がたとえ素晴らしい作品であっても感動が薄れてしまうと思うんです。僕も今まで何度もそういうことがあったけど、そうなると帯の文句に信用を置けなくなっていきますよね。そうなるとまたどんどん本が売れなくなるという悪循環になっていくと思うわけです。
本作は、『SF』と呼ばれるけど、SF的な部分はあんまり多くはありません。もちろん最後の最後でSF的な展開が活かされるし、粘流や奇妙な動物の存在などSF的な要素はあるんだけど、基本的には青春小説のウェイトの方が大きいと思います。ドローヴという少年の成長物語という風な読み方でいいと思います。
実際ドローヴを中心として様々な出来事が起こります。両親との対立、新しく知り合った友人とのあれこれ、バラークシの住人との触れあい、ちょっとした悪戯や冒険、そして何よりもブラウンアイズとの恋愛。こういういろんな要素が組み合わさって物語が進んでいきます。
後半、壮大な機密計画の全貌が明らかになって、ドローヴは非常に苦しい立場に立たされることになります。もし自分が同じ立場だったらと思うとやりきれないものがありますね。しかし、これが救いだと思うんだけど、最後の最後でドローヴは勝利することになります。この、『ドローヴの勝利』と僕が呼ぶ展開はなかなかうまいと思いました。それまでに出てきた伏線をうまく使って、なかなか大きな仕掛けに持っていったなと思いました。
SFと言われるとちょっと臆する人もいるかもしれないけど、基本的には青春小説だと思っていいと思います。一人の少年の成長を描いた作品で、文章も読みやすいいしなかなか面白い作品だと思います。すごくオススメするわけではないですけど、興味があったら読んでみてください。

マイクル・コーニイ「ハローサマー、グッドバイ」


ハローサマーグッドバイ文庫

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2008年09月28日

重力波とアインシュタイン(ダニエル・ケネフィック)

「いつでも、僕にはそれが見えました」
ある一人の物理学者が、最晩年に残したあるインタビューである。その冒頭でその物理学者はそう語りだした。
「私は昔から視力に問題があった。私の両親は、私の視力が弱いのが原因だと思い、眼科に行ったり適切なメガネを求めたりと奔走してくれた。しかし、状況は一向に改善されなかった」
その物理学者は今、世界中から大いに注目を集めている。その特殊な視覚そのものにも注目が集まっているが、しかしそれ以上に、その視覚によって見えるものの方への関心の方が強いだろう。
「病院にも何度も通わされたけど、原因はまったく分からなかった。あらゆる検査をしたけど、機能的には何の問題もなかった。その内、精神的な問題かもしれないと両親は考えたのだろう。カウンセラーや精神科医と話す事も多くなっていきました」
その物理学者が見ている光景は、他の人間には決して見ることが出来ないものだ。彼が本当にそういう光景を見ているのかどうかも、ほとんど確かめようがない。それでも、彼が嘘をついているように見えないこと、そしてその理由がまったく見当たらないことを根拠に、多くの物理学者が彼の話を信じようとしている。
「私にも、初め何が起こっているのかまったくわかりませんでした。私には、何かが見えていた。しかしそれは、他の人が見ている光景ではないようだったし、何よりも日常生活に意味のある光景ではなかった。今でも私には、鉛筆や夕陽や人間と言ったものはまったく見えません。そういう意味で私は失明していると言っていいでしょう」
物理学は大いに期待しているのだ。これまで謎だった理論が、彼によって進んでいくのではないかと。
「その内物理学を学ぶようになり、私は自分が見ているものが何なのか分かるようになっていきました。要するに私の視覚は、顕微鏡のようなものだったわけです。倍率が極端に大きく、極限的に小さなものしか見えない。そういう眼だったのです。
私に見えていたのは、ひも状のものが振動している様子でした。それは、すべての粒子はひもの振動によって説明できるとするひも理論を目の当たりにしているということだと私は思いました。
ただ私は、このことをこれまで誰にも言いませんでした。言って信用されるとは思わなかったからです。私はもう老い先短い。今なら、私の発言がどう受け取られようと後悔はしないだろう。もしかすると、私の発言によって、理論に何か新たな展開があるかもしれない。そう期待したいと思う」
彼のインタビューから10年後、まさに彼の発言をきっかけとして研究が加速したことで、ひも理論は正しいものとして公に認められることになった。

一銃「とある物理学者の告白」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、タイトルにもあるように「重力波」と呼ばれるものに関する本です。
重力波というのはそもそも、アインシュタインが発表した一般相対性理論に端を発します。一般相対性理論からの帰結として、重力波というものが考えうるという考えが出てきたわけです。
この重力波というのは多分に、電磁気学からのアナロジーとして現れました。電磁気学では、場の理論というものがあります。これは、電磁場と呼ばれるものがあり、それが電磁波という波を出しているのだ、というような解釈です。
これと同じようなアナロジーで、重力場というものが存在し、そこから重力波と呼ばれる波が出ているのではないか。そういう風に考えられたわけです。
しかしこの重力波に関しては、様々な紆余曲折を経ることになります。そもそもアインシュタインでさえも、二度重力波は存在しないという立場に回っています。重力波という考えが出された当初は、その存在に対して懐疑的な物理学者の方が多かったわけですが、しかし時を経るにつれ重力波は間違いなく存在するだろうという風に傾いていき、今ではもうそろそろ観測されるのではないか、とまで言われているわけです。
本作では、その重力波に関わる紆余曲折を描いています。
まあそんな感じの作品なんですけど、この作品はちょっと難しすぎました。僕は読んでて、ほぼ理解できませんでした。本作はまず間違いなく一般向けの作品ではないですね。少なくとも、大学とかで一般性相対性理論について少しぐらい齧ったりしていないと無理じゃないかなと思います。結構難しめの用語が説明なく使われていたり、そもそも現役の若手物理学者が書いている本なので、一般人の目線で描かれていないという点があります。
僕は本作のような理系作品をよく読むんですけど、そういう作品は大きく以下の四つに分けられると思います。

①内容が簡単で、文章が読みやすい
②内容が簡単で、文章が読みにくい
③内容が難しく、文章が読みやすい
④内容が難しく、文章が読みにくい

本作は残念ながら、明らかに④です。内容のレベルの高さもさることながら、とにかく文章が読みにくくて仕方ありません。これは先ほども書いた通り、現役の物理学者が書いているために、一般人の目線で描かれていないという部分が大きいと思いますが、訳の方も問題があったりするんじゃないかなと思います。そもそもの文章が難解なのでこれ以上の訳は無理だったのかもしれないけど、でもこの文章はちょっと読みにくすぎます。
①の例としては、集英社新書から出ている「時間はどこで生まれるのか」が挙げられますね。これは、量子論を扱っていながら内容は結構分かりやすく書かれていて、かつ著者が予備校の先生ということもあるだろうけど、文章が読みやすいです。
②というのはあんまりなさそうな気がしますね。
③の例としては、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」が挙げられるでしょう。これはこれまで読んだ理系作品の中でもトップクラスに素晴らしい作品でした。内容は、現代物理学の総括みたいなものなので、相当レベルが高いです。かなり難しいと言っていいでしょう。でも、文章がとんでもなく読みやすいんですね。著者も、周囲の人に何度も読んでもらったと書いているし、そもそも僕のような一般人にむけて書いているので、内容がかなり難しい本でもどうにかついていけました。近年の物理学についてそこそこのレベルでちゃんと知りたいという人にはまさにうってつけの作品です。
あと、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」もこの④に分類できそうな感じですが、しかしこのサイモン・シンの作品というのはあまりにも文章が読みやすいので、内容までも簡単に感じられるという部分があります。なので、実際は④なんだけど、感覚的には①のように思える作品だったりします。
まあそんなわけで、本作はちょっと一般人には難しすぎると思いますね。
少しだけ内容に触れましょう。と言ってもほとんど理解できなかったので書けることは多くないんですけど、重力波の研究というのがいかに普通の物理学とかけ離れているかという話を書いて終わりにしようと思います。
普通物理学というのがどのように進歩していくかという話をまずはしましょう。普通は、これまで考えられてきた物理学に反するある観測結果が現れるわけです。例えば有名なのは地動説でしょうかね。昔は太陽が地球の周りを回っていると考えられていたけど、しかしそれだけ火星の軌道を説明するのに酷く骨の折れる理屈が必要でした。火星の軌道をもっと簡単に説明するには、地球が太陽の周りを回っているとする方が自然だ、という考えになるわけですね。一般性相対性理論は結果的にエーテルの存在を否定することになったし、量子論にしても、これまでの理屈では説明できない現象を理解するために生み出され発展していったわけです。つまり物理の進歩には何にせよ、何らかの実験結果や観測結果が必要だということです。
しかし重力波というのはそういう分野とはまったく違う進展をします。そもそも重力波というのは、未だに予想でしかありません。あるかどうかまだ分からないわけです。そもそもが、一般相対性理論の帰結として考えられたもので、こういうものがあるかもしれない、というところからスタートしています。しかしこの重力波というのは、もし存在するとしても、あまりにも小さすぎて限りなく検出が難しいと言われているもので、1910年代に重力波が提唱されてから今まで、結局一度も実験によるデータのない分野になってしまったわけです。だから理論物理学者は、もしあるとしたらこういう性質だろう、もしあるとしたらこういう現象が起きるだろう、というようなことを熱心に考えているわけです。
しかしいかんせん観測による結果がないわけで、未だに何が正しくて何が間違っているのかが渾沌としているし、そもそも存在するのかどうかもはっきりしていないという、実に不安定な分野だったりするわけです。いろいろあって一時期重力波の研究は廃れてしまったらしいんだけど、しかしそれでも今こうして復活しているわけで、なかなかそれはすごいことだなと思ったりします。
まあそんなわけで、もし重力波というものに興味があっても、是非別の本を読んだ方がいいだろうなと思います。ホント、普通の人には難しすぎると思います。内容もですが、文章も、昔国語の授業で読まされた評論文のような感じでものすごく難解でした。これを読んで理解出来る人はそもそも頭がいいんだろうなと僕は思ったりします。

ダニエル・ケネフィック「重力波とアインシュタイン」


重力波とアインシュタインハード

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2008年09月28日

恋とは、「堕ちる」もの ツ、イ、ラ、ク

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫 ひ 8-13)ツ、イ、ラ、ク (角川文庫 ひ 8-13)

姫野 カオルコ

角川書店 2007-02
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姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』
本ブロガーさんが絶賛していた本。
裏表紙には
恋とは、「堕ちる」もの

と書かれている。
直後の感想は
ヤ・ラ・レ・マ・シ・タ。
まさにツ・イ・ラ・ク。

この本をどのように紹介したらいいかなと考えました。
と、いうのも先入観なしに読んだほうが面白いから。
読み始めは全体像が見えず苦戦。
今までにない構成、引用、文体。
これらに馴染むのに時間がかかった。
中盤、一筋の糸が見え始めたら一気に読み終えました。
例えていうなら、バラバラに見えてたモノが少しずつ細い糸に紡がれていき、終盤太い糸となって現れてきた。
それと「記憶の削除」と「既視感」。
懐かしく、苦くて、心当たりがあって・・・。
最後はグッときました。

2008年09月28日

恋とは、「堕ちる」もの ツ、イ、ラ、ク

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この本をどのように紹介したらいいかなと考えました。
と、いうのも先入観なしに読んだほうが面白いから。
読み始めは全体像が見えず苦戦。
今までにない構成、引用、文体。
これらに馴染むのに時間がかかった。
中盤、一筋の糸が見え始めたら一気に読み終えました。
例えていうなら、バラバラに見えてたモノが少しずつ細い糸に紡がれていき、終盤太い糸となって現れてきた。
それと「記憶の削除」と「既視感」。
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最後はグッときました。

2008年09月28日

「七瀬ふたたび」筒井康隆

七瀬ふたたび (新潮文庫)発売元: 新潮社価格: ¥ 540発売日: 1978/12売上ランキング: 5040おすすめ度 posted with Socialtunes at 2008/09/26 旅に出た七瀬、電車に乗っていたら崖崩れに遭うリアルな夢を見て、 目覚めると、近くに座っている3歳の男の子が同じ映像を見て泣...

2008年09月26日

映画化――谷崎潤一郎【春琴抄】

6度目の映画化となる『春琴抄』。

主演は斎藤工、長澤奈央。2008年9月27日から公開。

Sponichi Annexの記事


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2008年09月26日

映画化――佐々木譲【笑う警官】

角川春樹が11年ぶりに監督として復帰。

主演は大森南朋。2009年の秋に公開予定。

eiga.comの記事


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2008年09月25日

慟哭 小説・林郁夫裁判(佐木隆三)

「99%探偵って知ってる?」
「何それ?ドラマとか?」
「じゃなくて。ホントにいる人みたいなんだけどね。的中率が99%を超えるんだって」
「的中率って何が?」
「だから、よくマンガとかであるでしょ?殺人事件とかが起きてさ、『犯人はこの中にいる!』ってやつ。現実にそういう探偵さんがいてね、しかもほとんど間違わないんだって」
「へぇ、すごいじゃん。じゃあその99%探偵がいれば、警察なんてもう全然いらないよね」
「そのはずなんだけどねぇ。でもさ、そんな探偵がホントにいたらさ、もっとニュースとかにバンバン出てきてもよくない?」
「何それ?じゃあホントはいないの?」
「わかんないんだってば。どうなんだろう。ホントにいるのかなぁ、99%探偵」

その頃、99%探偵は。

「犯人はこの中にいる」
99%探偵は声を張り上げた。
「犯人は、二人の人間を殺し、その後発見を遅らせる目的で密室状態を作りだし、またさらに3人を殺害しその死体をバラバラにした。どちらの犯行においても関係者全員にアリバイがなく決め手に欠けていたが…(中略)…、だから、犯人はお前だ!」
そう言って99%探偵は一人の男を指差す。
その男は、腰縄をつけ、裁判長の前に正対している。
被告人である。
そして、99%探偵は、その被告人の弁護人である。
99%探偵は、ミステリー小説が大好きだった。いつか自分も探偵になって、事件をバンバン解決したい、そんな風に思っていたのだ。
しかしもちろんそんな風になれるわけもなく、彼は弁護士になった。しかし彼は、自分の希望を満足させる方法を思いついたのだ。
それが、法廷で探偵ごっこをするということ。
法廷には被告人がいて、その被告人がほぼ間違いなく犯人である。だからこそ彼は、「犯人はこの中にいる」と宣言して探偵の真似事をするのだ。そりゃあほとんど当たるというものである。何せ、日本の有罪率は99%を超えるのだから。
彼は優秀な弁護士であり、この法廷での奇行を差し引いても依頼したいと思う人が多い。裁判所としても、さして重大な問題でもないから放っておいている。
今日も99%探偵は、ほぼ間違えようのない犯人指摘をし、満足したのであった。

一銃「99%探偵」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、かつて社会を大混乱に陥れたあのオウム真理教の治療大臣であった林郁夫の、逮捕から裁判の結審までを追ったノンフィクションです。副題に、「小説・林郁夫裁判」とありますが、小説風のまとめ方をしているというだけであって、基本的にはノンフィクションです。
林郁夫は、元々優秀な心臓外科医でしたが、ある時を境に家族と共にオウム真理教に出家をしています。そのきっかけになったのが、オウム真理教による「坂本弁護士一家殺人事件」でした。元々オウム真理教に対するシンパシーは感じていたのだけど、この坂本弁護士の事件がオウム真理教の手によるものだと報道されると、オウム真理教はそんな団体ではないということを証明したいという思いが強くなり出家を決意したとのことです。
それからはオウム真理教内で主に診療を担当することになるのだけど、池田大作をポアしようとして、間違ってサリンを吸引してしまった患部を治療したり、「ナルコ」「ニューナルコ」と呼ばれる記憶を消す技術を開発し実行したり、あるいは指紋の除去手術をしたりと、様々なことをやらされるようになります。
そして最後には、あの「地下鉄サリン事件」の5人の実行者の一人として、サリンをまいたわけです。
林郁夫は当初、別の事件で逮捕されていました。元々捜査本部も、林郁夫が地下鉄サリン事件の実行犯の一人であることはまったく掴んでいなかったところに、様々な心境の変化のあった林郁夫が自ら自供したという展開です。
拘置所の中で麻原への信仰心が消え、オウム真理教と訣別する決意をし、また自らが極刑になる可能性を増大させる結果になるとしても、真実を明らかにするために積極的に証言を行った、オウム真理教絡みの事件で起訴された189人の被告の中でも特段に際立った展開をみせた林郁夫のすべてを追ったノンフィクションです。
なかなかすごい作品でした。正直そこまで期待しないで読んだんですけど、これはノンフィクションとしてなかなか素晴らしい作品なんではないかなと思いました。
オウム真理教の事件があってからもう大分時間が流れました。今でも覚えているのが、地下鉄サリン事件のあった日が小学校の卒業式で、麻原が逮捕された日が、中学校の遠足の日だったということですね。また、当時報道でよく耳にした上九一色村というのがあったと思いますけど、あれが僕の住んでたとこからそこそこ近いところにあったんですね。だからというわけでもないですけど、あの当時は結構ニュースとか見てすごいなと思っていたような気がします。
とは言え、やはりどんな大事件があっても時間はそれを風化させるわけで、今ではオウム真理教の事件なんかすっかり忘れ去られてしまっています。もちろん、オウム真理教が起こした事件によって何らかの被害を受けた人は忘れることは出来ないでしょうが、しかし一般の人からすればその後に起こった9.11の方がさらに印象深いでしょうし、その9.11さえももはや忘れ去られようとしているような気がします。
事件のあった当時中学生ぐらいだったわけで、ニュースを見ていても分からないことも多いし、そもそも報道に乗らないことも多かったでしょう。大分時間は経ちましたけど、改めてこうして当時何があったのかというのを振り返ってみるというのは大事かもしれないなと思いました。
本作はノンフィクションですが、普通のノンフィクションとは大分違った感じがします。
まず、先ほども書きましたが、副題に「小説・林郁夫裁判」とあるように、本作は全体的に小説風の構成になっています。様々な場面を、そこにカメラを置いて撮影していたかのように描写している感じで、もちろんこういう手法のノンフィクションは他にもあるでしょうけど、僕はそこまで読んだことがなかったので新鮮でした。
また、本作の特徴的な点は、著者の意見がほぼ含まれていないということですね。これに関しては賛否両方ありそうですが、僕はかなりいいと思いました。
普通ノンフィクションというのは、あるテーマや対象に対してどういう切り込み方をするのか、という点が重要になります。そのアプローチの仕方にこそ、著者の考えが反映されることになります。また、本文中にも、その時々で著者がどんな風に感じたのかという点についてどんどん描写がされるのが普通だと思います。
でも本作にはそういう部分はほとんどありません。本作は、基本的に『こういう流れで事実は推移していきましたよ』ということぉお提示しているだけの本です。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、それから林郁夫が別の事件で逮捕され、突然地下鉄サリン事件の実行犯であると告白し、それから心を入れ替えて真相究明に全力を尽くしていく過程を、その事実の部分だけを追って描かれています。著者がどう感じたのか、というような文章はほぼありません。林郁夫に関して、起こった出来事をすべて並べた、そういう作りになっています。
上質なノンフィクションの場合、著者の意見というのは邪魔にならないんですけど、でも大抵のノンフィクションを読むと僕は、どうも著者がどう感じたのかという部分が鬱陶しく感じてしまうんですね。それはたぶん、マスコミというもの全般に不信感みたいなものがあるからなんだと思います。マスコミというのは大なり小なりいろいろありますが、基本的には知る権利や報道の自由を振りかざして、踏み込んではいけない一線まで踏み込んで無理矢理何かを明らかにしようとしているような、そんな印象があります。僕は、人が人を裁くのかなかなか難しいと思っていて、でも印象的には、マスコミに関わる人というのは何らかの形で人を裁いているように思うわけです。テレビのニュースなんかを見ていても、事実だけを報道してくれればいいのに、とよく思います。コメンテーターの推測や、野次馬的な些事はいいから、ちゃんとした事実だけを報道してほしい。細かい部分はこっちがちゃんと判断するから、と。
本作は、著者の意見は挟み込まれることはなく、こういうことがあったという事実の提示だけをしています。読んだ結果どう判断するかという部分はきちんと読者の側に残してくれています。そういうノンフィクションというのは僕は好きですね。そういう意味で、僕はこの作品が結構好きだったりします。
ただすごいなと思うのは、事実を提示するだけで一冊の本になってしまんだな、ということです。普通何か事件に関するノンフィクションを書こうとしても、事実を書き並べるだけでは到底分量が足りないでしょう。だからこそ著者独自の視点というのが必要となるんでしょうけど、この林郁夫の裁判に関しては、事実を提示するだけでドラマチックなんですね。特に前半、林郁夫が逮捕されてから自供に至るまでの取調室でのやり取りというのはかなり読み応えがあります。特にこの部分が小説風だなと僕は思うわけですけど、警部補と巡査部長が、林郁夫というなかなか理解しがたい相手と相対し、最終的に心を開かせる過程を読むと、事実は小説よりも奇なりと実感できます。
また裁判部分もなかなかいいと思います。僕はそもそも、林郁夫にどんな判決が下されたのか知らなかったので、この裁判の流れでどういう判決になるのだろうか、という興味も併せて読んでいました。裁判の部分を読むと、いかに林郁夫という人物が元々頭がいい人間だったのかということがよくわかりますね。本当に、何でこんなに頭のいい人がオウム真理教なんかに騙されてしまったんだろうなと思います。
僕はこれまで、オウム真理教関連の被疑者というのはすべて一緒くたに見ていましたけど、どうやらこの林郁夫という人物だけはちょっと違うようです。他の被疑者に関して詳しいことはまったく知らないので完全に憶測ですが、林郁夫ほど真摯で正しいことをしようとした人間はいなかったでしょう。もちろん、地下鉄サリン事件を含め、様々な違法行為に手を染めたことはダメですが、しかし、地下鉄サリン事件によって命を落とした被害者の遺族からもその態度に対して寛容な言葉が出るほど、裁判においては真摯な態度だったようです。オウム真理教に騙されさえしなければ、素晴らしい人格者であったことでしょう。それが残念です。
多くの被害者がいる事件を扱った作品を読んで面白いと書くのは不謹慎でしょうが、なかなか興味深い作品でした。すでに風化しつつある事件だからこそ、こういう作品は読まれるべきだなと思いました。僕は人間を信じていないので、また同じような宗教が現れ、同じような事件を起こすことだってありえるでしょう。恐らくそこで、僕達は過去の教訓を活かすことは出来ないでしょう。それでも、こういうことがあったのだということを知っておくのは意味のあることではないかと思います。是非読んでみてください。

佐木隆三「慟哭 小説・林郁夫裁判」


慟哭 小説林郁夫裁判文庫

慟哭 小説・林郁夫裁判文庫

2008年09月25日

■ 図書館危機 有川浩

図書館危機図書館危機有川 浩

メディアワークス 2007-02
図書館は誰がために!
王子様、ついに発覚!山猿ヒロイン大混乱!
玄田のもとには揉め事相談、出るか伝家の宝刀・反則殺法!
そしてそして、山猿ヒロイン故郷へ帰る!?そこで郁を待ち受けていたものは!?
終始喧嘩腰で「図書館戦争」シリーズ第3弾、またまた推参!
発売と同時に読んだのですが、感想を書いていなかったので再読。

…もうここまで来ると、感想は、前作と同じ!としか言いようがない気もします。とにかく大笑いさせてもらいました。そして堂上と郁の「ラブコメ」のベッタベタの甘さに、身もだえしました。のたうちまわりました。胸キュン(死語)…を通り越して心臓麻痺で逝ってしまいそうでした。もう勝手にやって!(笑)。

郁の乙女心っていうか恋愛感情だけでなく、上官としての堂上や、人間堂上に対する尊敬の気持ちが深まっている事が、わかりやすく描かれていた事が微笑ましい第3巻でした。

「ラブコメ」以外の部分は、えらく真面目でしたね。このシリーズは実は全体的にテーマは真面目なんですが、シリーズの中で一番っていうくらい、真面目なテーマが散りばめられていたと思います。放送禁止用語について、とか。ブロガーとして…はともかく(汗)、教師として、日々言葉を発信する立場にいるので、すごく考えさせられました。戦闘シーンも逃げずにしっかり描かれていて、なかなか感動的でした。やはり図書隊は、単なる正義の味方、子供のヒーロー、乙女の王子様(笑)などではなく、現実の戦闘組織なのですよね。隊員は自分の手を血で汚し、自らも時に傷つき倒れる。

登場人物それぞれの人間的成長も印象的でした。作中で意外に時が立ってて…郁達はもう入隊3年目で、昇進試験を受けたりしちゃう。そりゃあ、みんな成長してなくちゃね。特に手塚の成長ぶりが素敵で印象的。彼、どこまでも可哀相な役回りですが、キャラクターとしては好きです。男性陣の中では一番好き。女性陣も含めると、一番好きなのは柴崎なので、この2人がくっついてくれる将来を妄想してます。普通にお似合いです。

玄田はさすが。稲嶺も勇退。図書隊自体が大きく動きそうなところで終わっています。ラスト付近でうっかり感動。

・王子様、卒業
・昇任試験、来たる
・ねじれたコトバ
・里帰り、勃発―茨城県展警備―
・図書館は誰がために―稲峰、勇退―

2008年09月25日

「春の雪―豊饒の海」三島由紀夫

春の雪 (新潮文庫―豊饒の海)発売元: 新潮社価格: ¥ 660発売日: 1977/07売上ランキング: 22548おすすめ度 posted with Socialtunes at 2008/08/15 三島由紀夫を読むのは久しぶりだった。大学の頃に文豪と呼ばれる人たちの 作品を少しは読んで、三島由紀夫も「金閣寺」は読...

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