河川敷なんかに来たのいつぶりだろう。子どもの頃はよくここで缶蹴りや鬼ごっこをしていた。野球部にいた頃は、ここで自主トレをやっていたこともある。それ以来10年以上、傍を通ることはあっても、河川敷に来ることなんかなかった、と思う。
「久しぶり」
だからその言葉も、河川敷に向けて言ったように聞こえたかもしれない。半年ぶりぐらいだろうか。久しぶりに会えない、と呼び出されたのだった。どうもまだぎこちなさが残る。目を見て話せない。
彼女は変わっていなかった。半年で人間がそうも変わるわけはないだろうが、髪型や着ているものの雰囲気は前と変わらない。それとも、敢えて付き合っていた頃と同じ格好をわざわざしてきたのだろうか。ありえないことではない。
「久しぶりね。元気だった?」
ちょっとかすれたようなハスキーな声。そういえば僕はこの声に惹かれて彼女を気にするようになったんだったよな、などと思い出した。
「どうしたの、今日は」
「突然でごめんね。ちょっとね」
そう言って彼女は、持っていたグローブとボールを掲げてみせる。
そう、今日は彼女から、キャッチボールでもしない、と誘われたのだった。半年ぶりの再会で、しかもあんなきまずい別れ方をした後で、何故キャッチボールなのか僕には全然分からない。付き合っている頃も一度だってキャッチボールなんてしたことがなかったのだ。それがどうしてこのタイミングでキャッチボールなのか。
電話では、やはりお互い微妙な気まずさもあって、深く突っ込めなかった。幸い、少し小さいが昔使っていたグローブはまだ手元にある。ボールは彼女が用意してくれるという。場所も近くの河川敷だ。特に断る理由もなかった。
「キャッチボールなんて懐かしいね」
ホントは、何で今キャッチボールなんだ、と聞いてみたいのだけど、なかなかうまくはいかない。
「まあいいじゃない。とりあえずやらない」
そう言って彼女は、少しずつ後ろに下がって行く。僕もそろそろと後じさりする。まあこのくらいかという距離になったところで、いくよー、と声を掛けて彼女がボールを投げてくる。
案外彼女はうまかった。正確に、僕の胸辺りにボールを投げてくる。昔ソフトボールでもやっていたのかもしれない。
彼女にボールを投げ返そうとしたところで、ふと違和感を覚えた。ボールの感触が何だかおかしい。よく見ると、明らかに既成のボールでないことが分かる。縫い目はもちろんなく、全体的にツルンとしている。プラスチックのボールみたいだがそれなりの重さがあり、それに表面が多少ざらついている。何で出来ているのかイマイチよく分からない。こんなボール、どこから持ってきたのだろう。
それでもまあ僕はボールを返した。細かいことはどうでもいい。彼女はキャッチボールをやりたがっている。彼女が望んでいる通りにすればいい。
昔から僕にはそういうところがあった。自分の希望や不満を訴えるよりは、相手の意思に合わせて行動した方が楽なのだ。何かしたいとか、何をしてほしくないみたいなことはあまりない。まさに優柔不断であり、何も決められない男である。そんな僕に愛想が尽きたのも当然と言えるだろう。ましてあんな別れ方だったのだから、自分のことながら酷いものだと思う。
キャッチボールというのは、やってみると案外いいものだ。ある程度距離があるから、大きな声を出さないと会話が成立しない。自然、黙々とボールをやり取りすることに終始する。しかしそれが気まずいかと言えばそんなことはない。会話がなくても間が保つ。今の僕にとっては、ありがたいとさえ言える時間だった。
太陽はこれでもかとばかり日差しを照り付けるが、しかし風があるので多少過ごしやすい。河川敷に広がる緑もまぶしくて、何だか野球を一生懸命やっていた時代のことをぼんやり思い出してきた。
「ねぇ、怜のこと覚えてる?」
彼女がボールを投げ返しながら叫ぶようにして声を出す。やっぱりその話なのか、と僕は思った。出来れば避けて通りたかった。しかし、嫌なことはさっさと終わらせるに限る。これも僕の信条だ。
僕はボールを投げ返さず、彼女の方に近づいて行く。
「あの時はホントごめん。僕もどうしたらいいかわからなかったんだ」
口だけなら何とでも言えるよね。そんなことを言われることを覚悟していた。
「ううん、いいの。もう気にしてないよ。怜もちゃんと私の傍にいつもいてくれるしね」
やっぱり産んだのか。僕は頭を抱えてしゃがみたくなった。やっぱり産んだのか。彼女は、一人で子どもを産んだのか。
半年前、妊娠してるのと彼女に告げられた僕は、大事なものをすっかり落としてしまったかのような恐怖に襲われたのだった。彼女のことは好きだったし、もしかしたらいつか結婚するかもしれないとも思っていた。子どもが出来たら、女の子だったら怜、男の子だったら真人がいいね、そんな話もしていたのだ。でもあの時はまだそんな覚悟はまるでなかった。僕はもうどうしていいのかわからず、ただ出来れば堕ろして欲しいということだけは必死で伝えた。そんな僕を彼女が見限るのは当然だった。彼女の方から別れを切り出された。それから今日まで一度も会っていない。彼女がどうしていたのかも知ろうとしなかった。だから昨日彼女から電話が来た時から、僕は何を言われるのかビクビクしていたのだ。
「子どもは今日はどうしたの?お母さんとかに預かってもらってるとか?」
もう何を言ったらいいか分からず、そんなどうでもいいことを聞いてしまう。彼女はそれには直接答えず、
「あなたにも怜を会わせたくって」
と言った。
どういうことだろう。今ここに子どもを連れてきているとは思えない。彼女は身一つでやってきたのだ。ならばこれから彼女の家に来いということなんだろうか。出来れば行きたくないが、拒否できる雰囲気でもない。僕は一層憂鬱になった。
彼女はグローブを構える。ボールをくれ、ということだ。僕は下手でボールを投げ、彼女に渡す。
「今日もこうして三人で遊べたしね」
三人で遊べた?
何を言っているのだろう。この場には僕ら以外誰もいない。僕らはただ二人でキャッチボールをしていただけだ。
「お父さんにも抱いてもらってよかったね、怜」
彼女はボールに話し掛けている。
その瞬間、僕は悟った。そういうことなのか。あのボールはまさか、胎児の頭蓋骨なのではないか。
それに気づいた瞬間、僕は瞬時に背筋が凍りついた。彼女は相変わらずボールに向かって何か話し掛けている。もう僕の耳には届かない。逃げなくちゃと思うのだが、体が地面に固定されたようにまったく動かない。
彼女が僕の方を向く。その顔には、無邪気と言って違和感のない笑みがこぼれていた。
一銃「ボールの来し方」
発想だけはなかなか面白いんじゃなかろうか、と思っております。相変わらずストーリーにするのが下手ですけど。
そろそろ内容に入ろうと思います。
1985年。世間では「夕やけニャンニャン」が絶大な人気を博し、おニャン子一色と言ってもいいあの時代。
そんな時代に、都立小金井高校に通う高校生たちが主人公です。
本作の主人公である都立小金井高校の野球部のメンバーももちろん例に漏れずおニャン子大好き。国生派か新田派かで友人同士でも喧嘩が起こるほどだ。もちろん野球の練習なんて二の次三の次。はっきり言ってどうでもいい。どうせ弱小と呼ぶのも馬鹿らしいくらい弱い野球部なのだ。
そもそも学校が酷い。中川が校長になってから、刑務所もかくやと思える異常なまでの管理体制。クラスを成績順に分け、細かすぎる校則を規定しアホな学生を退学に追い込み、というやり方で中川は小金井高校を周辺一の進学校に成長させた。もちろん、部活もかなり制限された。しかし生徒としてはたまったものではない。誰もが無気力になり、少しでも上のクラスに行こうということしか考えない。はっきり言って最悪な高校生活だ。
そんな中で、校則の網をかいくぐってダラダラと適当に過ごしていた野球部のメンバー。しかし、あることをきっかけに状況が大きく変わる。
転校生の沢渡がやってきたのだ。
しかもその転校生はただの転校生ではなかった。中学の頃からスカウトがやってくるほどの天才ピッチャーだったのだ。もちろん推薦で野球の強い高校に進学したのだが、肘の故障もあっていづらくなり転校して来たらしい。
沢渡を無理矢理野球部に入れた。するとしばらくして、沢渡の惹かれて一人の超ド級の美少女がマネージャーを志願してきた。何だか形だけでも活気が出てきた。地区予選でも、ほぼ沢渡のみの活躍によって、トントン拍子で勝ち進んで行ったのだった。まさかこのまま甲子園とか行けちゃうんじゃねぇか。
しかしある時とんでもないことが起こって…。
というような話です。
これは面白いですねぇ~。五十嵐貴久は相変わらず面白い本を書きます。しかも書く作品どれもジャンルが違う。ホラー・ミステリー・時代・青春と何でもアリである。すごい作家だなぁ、と思います。
本作は、転校生がやってきて野球部が強くなる、的なよくあるパターンではありますが、しかしよくあるストーリーではありません。何せ、沢渡が来たところで、誰も真面目に練習しないわけです。とにかく、沢渡がパーフェクトなピッチングをするので、守備の練習の必要がない。打つほうも沢渡の活躍が見込めるので、うちらはまあ練習しなくても大丈夫。努力とかあんま好きじゃないし、それにおニャン子が好きだからね。グラウンドだって週三回しか使えないし、そもそも校長の中川が野球部嫌ってるしね。まあ適当に。
相変わらずそんなことばっかり言っていて、まるでやる気がない。でも、超ド級の美少女マネージャーである金沢真美が近くにいる時だけはちゃんとやってるフリをする。まあ分かりやすいと言えば分かりやすいけど、とにかくまったく真面目じゃない。そんな、全然やる気のない野球部をメインに話が進んで行くのだから、普通の話になるわけがない。
前半は、まあそういうダラダラした彼らがバリバリと描かれるわけですね。高校生活もかったるいし、野球の練習もかったるい。おニャン子はとりあえず好きだし、近くに女の子がいたら頑張っちゃうけど、でも基本的にはダメ、みたいな。
でもまあ後半それが変わっていくわけですね。『ダメダメ』だったのが『ダメ』ぐらいになって、それから『そこそこ』ぐらいに変わるというだけのものですが、それにしても前半のダメダメっぷりを見せられている読者からすると、大いなる変化という感じがするわけです。その辺りがなかなか面白いですね。
野球部のメンバーもそれぞれに個性的で、キャラクターなんかも面白いなと思いました。基本的にみんなダラけているのは同じなんだけど、おニャン子の好みはもちろん違うし、野球に多少やる気があるやつもいるし、キャプテンは無駄に中間管理職的な役割を押し付けられているし、女にモテるのとそうでないのといる。
しかしまあキャラクターで言うなら、マネージャーの金沢恵美が素晴らしいと僕は思う。
とにかく女神のような女性なのである。読んでると、まあこんな女性はどこにもいないだろう、と思わせるぐらいありえない女神っぷりなんだけど、でも男の妄想的には、あぁこういう娘が世の中に一人ぐらいいたっていいじゃないか!と思いたくなるようなそんな女性なわけですね。
とにかく献身的で、小金井高校の生徒ではないのだけど、彼ら野球部のことを第一に考えて行動してくれるわけです。素晴らしい。超ド級に可愛くて、しかもこれだけ献身的な女子なんて、まずいないだろうよ。たぶん。
あと野球部はいろんな場面で校長の中川と対決するシーンがあるのだけど、これもかなり面白いですね。特に沢渡が最高です。あんね屁理屈を捏ねられるとは、素晴らしい。
あと、ラストの重要な場面で関わってくるあるシーンがあるのだけど、そこで僕は珍しく、あぁきっとこれはこういうことだろうな、と思いました。何を言ってるかわからないと思うけど、要するにミステリで言えば謎解きの一つが分かったぐらいのことです。ミステリとか読んでても犯人が誰なのかとかさっぱりわからない僕としてはなかなか珍しいことだなと思いました。
一応野球の話ではありますが、試合のシーンはほとんどありません。野球に関しては練習してる部分がメインで、あとは青春小説と言った感じです。とにかく面白いです。王道の野球小説ではありませんが、王道の青春小説と言っていいとは思います。特に、彼らと同じ時代に高校生だった人達(つまり、30代半ばから40代前半ぐらいの世代かな)の人達にとってはかなり懐かしい雰囲気の漂う作品なのではないかな、と推測します。ますます五十嵐貴久というのは面白い作家だなと思いました。まだまだ読んでみようと思います。
五十嵐貴久「1985年の奇跡」
1985年の奇跡文庫
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