「おはよう」
「おはようございます」
いつものように挨拶を交わしながらフロアに入る。何だかいつもと違う風に見えるのは、やっぱり今日が最後の出勤だからということなのだろうか。なんとなく雰囲気が違う。僕の気のせいかもしれないのだけど。
「宮部くん、今日で最後なんだよね」
課長の佐々木さんに声を掛けられる。僕の直属の上司でもあって、これまでも可愛がってもらった。この会社に入って、一番お世話になった人だと言ってもいい。
「今まで本当にありがとうございました」
「まあそんな大したことをしたつもりはないけどさ。で、明日が手術だって?」
「そうなんです。なんか緊張しますよね」
今では盲腸並のありきたりな手術になってしまったが、しかしやはり多少不安を感じるのは否めない。
「まあ大丈夫よ。あたしの妹も受けたみたいだけど、大したことなかったって言ってたしね」
「そうだといいんですけどね」
「まあしかし、宮部くんまで寿退社となると、いよいよ女ばっかりになっちゃうのか」
僕は一ヵ月後に結婚式を控えている。手術のこともあるし、式の手配のこともある。仕事のキリもよかったので、この時期に寿退社ということになったのだった。
時代は大きく変わった。
話で知っているだけであるが、かつては会社員と言えばほとんど男のことを指していたような時代があったようだ。男女雇用機会均等法という、今では存在を忘れかけられている法律が制定されたお陰で女性も雇用されるようになっていき、平等とまではいかないまでも男女が比較的同じ割合で仕事をしていたようである。
今ではその状況は大きく変わってしまった。
今では会社員と言えば女性のことを指すのが一般的になってしまった。会社の上役はほぼ女性で占められているし、社員の9割以上が女性という会社が普通になってきている。この会社も、僕が最後の男性社員であり、僕が抜けると社員すべてが女性という状況になる。
女性が社会に進出するようになってからこういう状況に少しずつシフトしていったのだろうけど、しかしそれでも大きな制約が残っていた。
それが出産である。
どれほど女性の地位が向上しても、どれだけ社会福祉が充実しても、子どもを産むのが女性であることには変わりない。その期間仕事を離れなくてはいけなくなるわけで、やはり女性としてはそれが大きな制約となっていた。
しかしそれも、ある技術革新によって解消されるようになった。
発想としては単純だ。要するに、出産の機能を男性側に移植してあげればいいのだ、というものだった。これは今では「性質転換」と呼ばれている。明日僕が受ける手術もこれだ。
妻から子宮を摘出し、それを夫に移植する。この技術が開発された当初は社会でも大きな問題として取り上げられたが、しかし非合法であってもこの手術を受ける女性が後を断たなかった。国も世論に押し流されるようにして、この手術をなし崩し的に認めることになったのだった。
もちろん子宮を移植するだけでは十分ではない。例えば男性側の射精の機能を変えなくてはいけない。つまり、外に向かって射精するのではなく内側、自分の腹部に入った子宮側に射精するような仕組みに機能を変えるのだ。これは妊娠のために必要な措置ではあったが、しかし思いがけず女性に好評だった。何故ならば浮気が出来なくなるからだ。男性はセックスをして射精すると、それが直接自らの子宮に届いてしまう。安易に浮気をするわけにはいかないのだ。同時にオナニーも制限されるようになった男性側からの不満の声は大きい。避妊の方法はあるが、多少お金が掛かる。多少面倒ではある。
また、女性ホルモンを使わずに母乳が出る機能も開発された。男性でも、出産から一定期間の間母乳が出るので、女性が育児休暇を取る必要がなくなったのである。
また法整備も急ピッチで進められた。この新しい手術により様々な法案が作られることになった。例えば、夫婦が離婚する際、男性の腹部にある子宮はどうするのか、ということなどだ。もちろん、その子宮は女性の側に戻さなくてはいけない。ではその手術台はどちらが負担するのか。そういう細々としたことも決めなくてはいけなかった。
こうしたごたごたはもう昔の話で、今ではこの「性質転換」に伴う変化というのは定着した。結婚した夫婦の実に9割5分がこの「性質転換」を受けるという統計があるし、「性質転換」は一種のビジネスとして大いに成功している。どうしても子宮が男性の身体で拒否反応を起こしてしまったため「子宮離婚」に至ったり、離婚時男性が妊娠していたため子宮の移植が出来ず、またその妊娠が男性自身によるオナニーの結果としての妊娠であることが立証されたために、子宮を「貸している」間の損害賠償を求める裁判が起こされるなど、細かいトラブルは未だにあるが、女性が外で働き男が家を守るというスタイルは違和感なく成立している。欧米各国から「日本はクレイジーだ」などという批判を浴びることはあるが、それが僕らの生活に影響することは特にない。
明日からまるで違った生活に入るのだと思うと、何だか不思議な気分がする。最後の出勤日なので、仕事も特にない。どちらかと言えば、お世話になった人を回って挨拶をする方がメインである。ほとんど片付いたデスクに座りながら、僕は細々とした仕事を片付けていた。
この「性質転換」がもたらしたのは、女性の社会進出だけに留まらない。僕はその恩恵に預かって、幸せな未来を描くことが出来るのだ。
昼休みに京子から電話が掛かってくる。
「明日はどこに行けばいいんだっけ?」
「直接○○総合医院に来てくれれば、そのまま手術って流れになるよ」
「わかった。ちょっとそれだけ確認したくて。じゃあまた明日」
それから僕は婚約者の猛に電話を掛ける。
「やぁ」
「明日はいよいよ手術だね」
「ちょっと不安なんだけどね。明日は来てくれる?」
「もちろんい行くさ。大丈夫だって。俺がついてる」
「ありがと」
僕の婚約者は男。男同士の結婚は未だに法律では認められていないけど、しかし「性質転換」のお陰で、男同士の結婚でも子供を持つことが出来るようになった。今ではお金のために子宮を売る女性は結構いる。お金は掛かるが、しかし彼との子どもを持てるなら、大したことではない。
会社の人には、普通に女性と結婚するのだと伝えている。そうやって嘘をついたままここを去らなくてはいけないのが、唯一の心残りだ。
一銃「性質転換」
今回はラストが2パターンあったんですけど、こっちにしました。もう一方は、婚約者(女)から電話が掛かってきて、実は子宮ガンだったということが判明する、みたいな感じにしようかなと思ってました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、連作短編集のような構成になっていますが、僕は長編だと思ったので長編として紹介します。
総合音楽企業の企画部の係長である墨田翔子。37歳、未婚。会社ではいわゆるお局様で、とにかく仕事は出来るが、周りから嫌われていることは痛いほど自覚している。ランチも一人。飲み会にも誘われない。そんなのにはもう慣れっこだが、しかし何とも思わないわけでもない。ついイライラしてしまう自分を抑えるのはなかなか苦労する。
今も入りたての新入女子社員にイライラしている。あからさまにあたしのことを目の敵にしていて、それで周囲の評価を勝ち取っているようなところがある。頭のいい女なんだろうが、しかし凡ミスが多い。プライドも高い。扱いづらい。あぁ、めんどくさ。
そんな日々に疲れたある日、ふと入った旅行代理店でオーストラリアのケアンズのパンフレットを見た。なんかいい。ここに行こう。海外旅行なんてもう何年も行ってないけど、よしケアンズに行こう!
ケアンズには、現地でツアコンとして働いている嵯峨野愛美がいる。翔子とはメールでのやり取りがあったが、もちろん会うのは初めて。愛美は30歳未婚で、給料もびっくりするほど低い。うんざりするような観光客のお守りをしてクタクタ。日本で働きたくなくて外へ飛び出したのに、何だか全然うまくいってない。
そうやって翔子と愛美は出会う。お互い働く女性でありながら境遇は大分違う二人の女性が、働く中で感じるリアルを描く。
というような話です。
いやぁ、これはなかなか面白かったです。柴田よしきという作家はもちろん知っていて、作品もちょこっと読んだことがあるぐらいでしたけど、自分の中で評価がグンと上がった気がします。幼稚園の園長さんのシリーズは結構面白かったけど、デビュー作がちょっとダメで、しかもちょっと作品数も多くてどれから読もうかみたいな感じだったので、これはなかなかよかったです。
本作を読んでとにかく一番思うのは、ホント男でよかったなぁ、ということです。もちろん僕はサラリーマンじゃなくてフリーターで、会社で働くなんていうことは全然知らないので、ここに書かれているようなことを身近なものとして捉えることは難しいんですけど、でももし自分がサラリーマンで会社にいたとしたら、やっぱ女より男の方がいいよなぁ、と思えてしまうわけです。
女性というのは会社の中では、波風立てないで大人しくしているか、あるいはバリバリ仕事をしてグングン上に上って行くかのどっちかしかないわけです。男だったらそれ以外にも、適当に仕事をしてでも出世だけはする、みたいな道もきっとあるんだろうけど、女性だとなかなかそうはいかないんでしょう。仕事で評価されないと上にはいけないし、評価され続けないと下に下がってしまうし。本作を読む限り、とにかく女性というのはかなり気を張って仕事をしないといけないようで、本当に大変だなと思いました。
それにしてもこの作品はリアルだなと思いました。さっきも書いたけど僕はサラリーマンではないので、厳密な意味で本作のリアルさについては判断できないんですけど、でもきっとこういうところなんだろうなと思わせるだけのディテールがありました。
本作には、翔子を中心として、ほんのささやかな「悪意」というものが存在します。この「悪意」の描き方がすごく緻密でリアルっぽく感じられるんですよね。恐らく実際会社で起こってもおかしくないようなことで、しかもそのそれぞれに最終的なおとしどころを用意しているわけです。ネタバレにならないように書くにはこれが限界ですが、ホント巧いなと思いました。大勢人間がいて、しかも相手の足を引っ張ってでも上に行きたいと思っている人間が集まっているわけで、そりゃあささやかどころではない「悪意」が存在するんでしょうけど、何だか怖いなと思いました。
その「悪意」に、翔子は歴然と立ち向かうわけですね。これがなかなかかっこいい。自分が嫌われていることにもさほど動じなくなったという女性ですからまあ大抵のことにはへっちゃらだとはいえ、自分の管理している範囲内に、自分以外の人間に向けられた「悪意」が存在するというのも気持ち悪い。まあそんな感じで翔子はその一つ一つに向き合うことになるんですけど、そういう部分も含めて大変だなと思いました。
一方愛美の方も大変で、アホな観光客に振り回されたり、変なガイジンに捕まったりと忙しいわけです。恐らく一般的な読者からすれば遠い存在である翔子よりは、こっちの愛美の方に共感する人の方が多い気はします。章毎に交互に視点が変わるので、この対照的な二人の存在がなかなか面白い感じになっています。
翔子や愛美だけではなく、その脇を固める人たちにもきちんとストーリーを用意していて、ただの脇役という風に終わっていないところもいいですね。それが全体のストーリーともほどよく絡まっていて、なかなか巧いと思いました。
あんまり本作について巧く評価できてないような気はしますが、僕はかなりいい作品だと思いました。働く女性には是非読んでみてもらいたいなと思います。案外、あたしたちはこんなこと考えて仕事してるわけじゃない、みたいに言われるかもですが(笑)。ただ、サラリーマンではない僕でも十分面白いと思ったので、少なくとも働く女性についての世間一般のイメージみたいなものはかなり巧く掴んでいるんだと思います。柴田よしきの経歴はよく知らないですけど、やっぱ昔OLだった経験があるんですかね。そうじゃないと、なかなかここまでリアルに書けないような気もしますが。
僕は結構傑作だと思いました。是非読んで欲しい作品です。
柴田よしき「ワーキングガール・ウォーズ」
ワーキングガールウォーズ文庫
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