「ねえ、アヒルさんているじゃん」
「あぁ、あのアヒルのバッグの人?」
「そうそう、あの人また来たんだよねぇ」
バックヤードで検品している時に、山本直子に話し掛けてみた。直子は文庫の担当で、英子と同じ時期に入ったので気も合うのだ。
「やっぱりおかしな本ばっかり買ってくんだ」
「いやね、おかしいってわけじゃぁ決してないんだけどさぁ」
そう、決しておかしくはないのだ。
スタッフの間で「アヒルさん」という名前で通っているお客さんがいる。何故アヒルさんかと言えば、いつもアヒルの絵のついたバッグを持って来店されるからだ。アヒルさんはもしかしたらこれまでもウチの店のお客さんだったかもしれないけど、それまでは特別話題になったということはない。「アヒルさん」という名前で呼ばれるようになったのもごく最近だ。何故そんな注目されるようになったかというと、本の買い方がなんとなくおかしいからなのだ。
「またライトノベルがたくさん?」
「それに東野圭吾とか宮部みゆきとかが一緒みたいな」
アヒルさんは40代だと思われる男性だ。きっちりとしたスーツを着て、ちゃんと仕事が出来る人間なのだなと思わせる雰囲気がばっちりである。そのアヒルさんが、ライトノベルを大量に買っていくのだ。
ライトノベルというのは、いわゆる表紙がマンガ調の中高生をターゲットにしているようなジャンルの文庫本である。もちろん最近では30代40代の男性が買っていくことも多い。しかし、書店で働いていれば、大体ライトノベルを買っていく中年男性の傾向というのは分かるつもりだ。具体的に言葉にして説明するのは難しいが、ライトノベルを大量に買っていく人にはある一定の特徴みたいなものが必ずあるものだ。
しかしこのアヒルさんの場合、どこをどう見てもそんな雰囲気とは程遠いのだ。もちろん、そういう特徴を外れた人だってそういうライトノベルを買ったりするかもしれない。でも、それでもおかしなことはあるのだ。
アヒルさんは、ライトノベルと一緒に、東野圭吾や宮部みゆきと言ったエンターテイメント系の小説も一緒に買っていくのである。ライトノベルを大量に買っていくお客さんは、他のジャンルの本を買わないという傾向がある。もちろん買うお客さんもいるのだろうけど、そういう意味でアヒルさんはスタッフの間でちょっと変だよねということになっているのである。
「昨日も来た?」
「うん、来た来た。でも買ってくのは新刊じゃないんだよね」
ライトノベルを大量に買っていくお客さんは、大抵新刊の発売日にやってきて新刊をまとめ買いしていく。しかしアヒルさんの場合、新刊の発売日であるかどうかに関係なくやってきては、新刊ではないものを買っていくのだ。これもまた不思議なもので、やはりスタッフとしてはその買い方は不自然に思えてしまう。
「何だろうね、ホント。不思議だよね」
直子はそう言って文庫の仕事の続きを始める。まあそうだ。結局のところ、不思議だね、と言って終わるしかないのだ。お客さんが本をどんな風に買っていくかなんて完全に自由だ。多少変な買い方をしていたところで、買ってくれているのだから文句を言うような筋合いももちろんない。
文庫を整理していた直子が、あれ?と声を上げる。
「どしたの?」
「いやね、昨日遅番の子にちょっと文庫の棚から売れてなさそうなものを抜いてもらったの。ちょっときつかったからね。で、ライトノベルの棚から抜いたやつで、スリップがないものがあるんだよね。まあたまにあるけどさ、やっぱスリップがないって気持ち悪いよね」
そう言ってそのスリップがないという本を見せてくれる。
「あれ?おかしいよこれ。だって昨日私この本売ったよ。ほら、アヒルさんにだよ。何でこれ今日店にあるの?売り場に2冊置いてた?」
「ううん、棚に1冊しかなかったはずだよ。えーと、それってどういうことになるんだろう?」
何だかよく分からないけど、アヒルさんはやっぱり何かおかしなことをしてるんだろうか。
バックヤードにスタッフが一人入ってくる。
「アヒルさんが今文庫の売り場にいるんですけど、ちょっと変なことしてるんです」
直子と英子はその話を聞いて売り場へと出て行った。
ライトノベルの棚の前にアヒルさんはいた。アヒルさんに見つからないような位置に立ってアヒルさんを観察する。いつものようにアヒルの絵のついたバッグを持っている。アヒルさんは棚から文庫を抜き出してパラパラめくっている。時折落ち着きなく周囲を見回している。こういうのは万引きをする人間に多い動きだけど、でも別にアヒルさんは万引きはしていないだろう。あれだけ本を買っていて万引きをする意味がよくわからない。
するとアヒルさんは奇妙な行動をした。本に挟んであるスリップを抜き取って、文庫だけそのまま棚に戻したのだ。そしてさらに、アヒルのバッグの中から文庫を一冊取り出し、その文庫に先ほど抜き取ったスリップをつけているのだ。
英子は直子の顔を見た。直子もよくわからないという顔をしている。ただ、この状況は放置しておいてはいけないだろうということぐらいは分かる。二人でアヒルさんに近づく。
「あの、失礼ですが何をされているんでしょうか?」
そう声を掛けた途端、アヒルさんは諦めたようだった。私たちが店員であることを認め、そして素直に状況を話してくれた。
「申し訳ありませんでした」
そう言ってアヒルさんは頭を下げる。売り場でそんなことをされても困ってしまうので、ちょっと汚いけどアヒルさんをバックヤードに案内してそこで話を聞くことになった。
アヒルさんはバックヤードでも再度頭を下げて、そしてこう切り出した。
「息子がこちらの書店で万引きを繰り返していたんだそうです。それを私が知ったのが2週間くらい前でした」
また頭を下げようとするアヒルさんを押し留めて、とりあえず話の続きを聞く。要するにこういうことのようだ。
息子が万引きをした本はかなりの冊数に上る。本来であればお店と警察に伝えるべきだろうと思いはした。しかし、量が量ということもある。あまり穏便には済まないかもしれない。息子も来年には受験を控えている。内申点に響くようなことは出来れば避けたい。
だから、万引きをした本に対してお金を払うことでなんとか解決できないか、と考えた。自宅にある本をバッグに詰めてここにやってくる。売り場を回って、売り場にある本からスリップだけをいただいて、家から持ってきたその本をレジに持っていく。もちろんそれで盗んだという事実が消えるわけではないということは分かっていた。しかし、息子のことも考えた時に、なんとかこの方法でごまかせないか、と思ってしまいました。
「大変申し訳ありませんでした」
そう言うってアヒルさんは話を締めくくった。
事が事なので店長に対応をしてもらった。やはり警察に連絡をすることは避けられないようだ。ただ、店長が最後に言った言葉が英子には印象的だった。
「本を盗んだこと自体は褒められたものではないけど、転売するんじゃなくて自分で読んでいたようだから、それだけは救いだよね」
悪いこととは分かっていても、本好きは本を盗んででも読みたいみたいな部分は少しは理解できてしまうのかもしれないと英子は思った。
一銃「アヒルさん」
自分の中では久々にそれなりにまともな話になったのではないかと思います。本当はちょっと別の話を考えていて、同じ本をいつも探しに来る二人の話を誘拐なんかと交えながら話にしようと思ったんだけど、どう考えても成立しないので諦めました。
この万引きの話の下敷きになるような出来事が最近ありました。この前お客さんが自分のバックから雑誌2冊を出して、「これの会計をお願いします」と言ってきました。何でも話を聞いてみると、その2冊の雑誌は入口付近に置いてあったものなんですけど、そのお客さんは無料の情報誌だと勘違いして持っていってしまったのだそうです。無料でないということに翌日気づいて、お金を払いにきた、というわけです。そんなの初めてだったんでびっくりしました。
まあそんなわけでそろそろないように入ろうと思います。
本作は、コミックkissという女性コミック誌に連載されている、書店を舞台にした恋愛小説と言った感じの作品になっています。あるチェーン店の地方店で勤務していた高野あかりという女性が転属になり、東京の大きなところで働くようになってからの顛末を描く話です。ひと月に300冊本を読む副店長の寺山杜三のことが好きなのだけど、この杜三、本のことにしか興味がなくて、恋愛なんか全然ダメ。あかりの恋はなかなかハードルが高いのでした。
5編の短編が収録されていて、それぞれなかなか面白いです。それぞれをざっと紹介しましょう。
「戦争と平和」
商店街にある時計堂という独特の品揃えの本屋さんのお話。書店が厳しく、しかも万引きも多い中で、いかにしてこの時計堂を残すことが出来るだろうか、という話。
「ドリトル先生と月からの使い」
副店長の杜三はなんと象を今まで一度も見たことがなかった!テレビもないし、動物園にも行ったことがなく、図鑑でしか見たことがなかったらしい。そりゃいかんというわけで無理矢理動物園に連れて行くことになりますが…。
「千一夜物語」
サイン会をすることになって準備に追われるあかりだけど、打ち合わせでやってきたその作家は何だか高飛車。副店長とも何だか知り合いみたいだけど、なんか苦手だなこの人…。
「寒山落木」
サービスカウンターに配属になったあかり。亘くんという、本は全然読めないけど仕事はとんでもなく出来るアルバイトの子をつけてもらってなんとか頑張るのだけど、あるトラブルが…。
「雪の女王」
仕事は出来るけど無愛想な同期の加納緑と一緒に、東北でオープンするお店の開店準備のために一週間派遣されることになりました。開店準備に大忙しのあかり。しかしふとした疑問があって…。
というような感じです。
僕が本屋で働いているからということもあるのだけど、やっぱこのコミックはいいですね。このコミックでの舞台となる須王堂書店というのはかなり規模の大きな書店で、だからウチとは共通しないこともたくさんあるんだけど、でもやっぱり書店の話というのは読んでて楽しいですね。僕はやっぱり本と本屋が好きなんだなと思いました。
今回の話で一番好きだったのは「寒山落木」ですね。サービスカウンターで働く亘くんがホントに仕事が出来て、ウチにもこんなスタッフがいれば…、と羨ましくなる感じでした。本が読めないというのも面白いですね。本が読めないから、わからないことがあったら誰かに聞く。自分が知識を持っていなくても、誰に聞けば分かるのかさえきちんと把握していれば仕事は出来る、ということの好例とも言えるスタッフですね。話自体も、スタッフとお客さんのどっちが悪いというわけでもないトラブルが起こっててんやわんやするんですけど、こういうトラブルはホント困ってしまいますね。こっちが明らかに悪ければ申し訳ないという感じになるのですが、避けようのないミスというのもあるわけで、そういう場合何だかやりきれない感じになります。
僕も同じようなトラブルがあったらこの亘くんと似たような対応をしてしまうと思います。もちろん、最善ではないけど最適な対応だと僕は思うし、現状の書店のあり方としてはそう対応するしかないのだけど、もちろんお客さんとしては納得するわけがないですよね。とにかくこの話のラストではちょっとうるっときましたね。
他の話もどれもいいですよ。3巻の発売予定も決まったそうです。また買わねば。書店コミックの金字塔と言えば「暴れん坊本屋さん」ですが、本作はまた違った意味で楽しめる作品です。本が好き、本屋が好きという人は読んでみてください。
磯谷友紀「本屋の森のあかり 2巻」
本屋の森のあかり 2巻コミック
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