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2007年12月30日

撲殺天使ドクロちゃん(おかゆまさき)

まあなんというか、特に書くこともないようなというか。
なんともいえないんでさっさと内容紹介に入ろうかなと思います。
草壁桜は中学生で、彼の元にある日突然、天使と名乗るドクロちゃんという超可愛い女の子がやってきた。あの某アニメのキャラクターみたに、机の引き出しから出てきて、未来からやってきたと言う。頭の上には天使の輪っか。
で、そのドクロちゃんに彼は何度も殺されてしまう。エスカリボルグというそのバットみたいな凶器は、それで相手を殺しても何度でも生き返らせてしまう、まあそんな凶器なんです。
彼の生活はドクロちゃんがやってきてからもう大変。ありとあらゆることがてんやわんやになって…。
というような話です。
まあなんというか、なんとも言えないような作品でしたね。萌え系ギャグマンガをノベライズしてみました、みたいな話のような気がします。まあ読んでて笑っちゃったりすることもあるし楽しくないわけでもないんですけど、小説としてはやっぱダメでしょうね。
しかし、昨日読んだ「狼と香辛料」とは全然違う出来ですね。同じレーベルでここまで差が出るか、と思うくらいの違いです。僕はやっぱ、「狼と香辛料」みたいなストーリーのちゃんとしたライトノベルならいいけど、本作みたいにテンションだけで乗り切ろうとしてる作品はあんまり好きにはなれないですね。
もちろん二巻目以降を読むことはないでしょう。僕はオススメはしません。

おかゆまさき「撲殺天使ドクロちゃん」


撲殺天使ドクロちゃん文庫

撲殺天使ドクロちゃん文庫

2007年12月30日

狼と香辛料(支倉凍砂)

神は細部に宿る、らしい。誰の言葉だか忘れたけど。
本当にいるなら会ってみたいよな、と思う。どんな姿をしているのか、何を考えているのか、本当にこの世の中を作ったのか、普段何をしているのか。聞いてみたいものである。
まあそんな機会が来ることはないだろう。
神が実在するかどうか議論をするつもりは特にない。僕は特定の宗教を信仰しているわけでもないし、神というもののついて普段から考えていたりするわけでもない。何か困った状況になったら、神様になんとなくお願いでもしてみたりするけど、それだって特定の誰かを思い描いているわけではない。
だから神が実在するかどうかということは僕にとってどうでもいい問題なのだけど、神の姿を目にすることはありえないだろうな、ということぐらいは確信出来る。
古来、神というのはありとあらゆる形で語られてきたのだろう。何を考えているのかは分からないし、こちらの願いを常に叶えてくれるというわけでもないけど、でも信じなくてはいけない対象だったわけで、そこに様々な理屈をつけて神の存在を示していたのだろうと思う。つまり、神が不在であるということ、神が目に見えないことこそが、神の実在である、というような理屈である。
まあよく分からないが、僕からすれば、目に見えないのに存在すると信じることはなかなか難しい。人生のうち一回でもいいし、何なら写真に写っているのを見るだけでもいいけど、とにかく何らかの形で神を目にする機会があれば、まあ信じてみてもいいかもしれないとは思う。でも、神はどうしたって人前には現れない。誰かの妄想が結実して、その人にだけ見える神というのはありえるかもしれないけど、万人の前に、これこそ神であるという形で神が現れたことはかつてないだろう。
いや別に、宗教を信じている人をバカにしたいわけではない。そもそも神を信じるという形態ではない宗教もあるのだろうけど、とにかく神の不在を主張することと宗教を貶すことは僕の中ではイコールではない。神の実在は、哲学や科学の世界でも時折耳にする話である。僕は一応、そういう系統の話をしているつもりである。
かつて物理学では、「エーテル」というものの存在を信じていたことがあった。
エーテルというのは何かといえば、宇宙空間を充填している物質であると考えられていた。当時、と言ってもまだほんの少し前のことだが(このエーテルの存在を完全に打ち崩したのが、あのアインシュタインである。確か)、光というのが何を通って伝わってくるのかが問題になり、その説明として生み出されたのがエーテルである。
音や光や電波などは、すべて波として扱われるものであるが、通常波というのは何か媒介するものがなければ伝わることはない。例えば音波は、空気や水などの媒介するもののないところでは伝わらない。だから、例えば真空中に人間が生身の状態で存在できるとして、しかしその中では会話を交わすことが出来ないのである。それは電波にしても同じで、何か媒介するものが必要となる。
光も同じく波であり、であれば同じく何か媒介するものがなくては伝播しないと考えられた。光というのは宇宙空間でさえも伝播する。宇宙空間は真空であると考えられていたが、しかし真空であれば光が伝播するはずがない。そうして考えられたのが、エーテルという物質である。
要するに物理学は、宇宙空間にはエーテルという物質で充たされていると考えることで、この矛盾を解消しようとしたのだ。これは当時の一部の物理学者が唱えていたわけではなく、物理学での常識と言ってもいい考え方であった。
しかしその後、宇宙空間にエーテルが充填しているとしたら都合の悪い実験結果がたくさん出てくるようになる。しかし、物理学はそのエーテルという考えをなかなか放棄することが出来ない。そしてようやく、アインシュタインという天才物理学者が、宇宙空間というのはそもそも光を伝播する性質を持つのだ、という考え方を披露し、このエーテル問題は決着を見ることになった。
僕にとって、神というのはこのエーテルに似たようなものでしかない。観測することも出来ないし、現実のデータと矛盾することも多々あるのだけど、しかしその存在を多くの人に認められているもの。そういう意味で、神とエーテルは非常に近いものがある。
結局エーテルは存在しなかった。エーテルが存在していないことは100%間違いなく、疑いようがない。科学というのは、こうして何かを決定付けることが出来るから僕は好きだ。
神も、まず間違いなく存在しないだろう。まさにエーテルと同じである。しかし問題は、その不在を証明することは絶対に出来ないということだ。同時にその存在の証明も決して出来ないのだけど、このどちらの証明も決して出来ないという点が、神の実在がここまで信じられるようになった要因だろうと思う。
別に誰が何を信じようが僕には関係ないが、しかし少なくとも、神は存在しないというところからスタートした方がいいんじゃないかな、と僕なんかは思ったりします。
そろそろ内容に入ろうと思います。
行商人であるロレンスは、山の奥地での取引を終え、麦の産地である村を通り過ぎ、また別の取引に向かおうとしていた。川に差し掛かり、今日はここで一休みしようと思ったところで、荷馬車に人の気配を感じた。
素っ裸の美しい少女だった。
彼女は自らを、ホロと名乗った。ホロと言えばロレンスには一つしか思い浮かばない。麦の産地である村で信仰されている、豊作を司るとされる神の名前だ。実際彼女が豊作の神であるのかロレンスは半信半疑であったのだが、北に帰りたい、その前に諸国を旅したい、というホロと一緒に旅をすることになったのだ。
ロレンスはそれからしばらくして、ある奇妙な話を耳にする。近い内にある銀貨が値上がりするという話で、それに乗れば大金を得られるような儲け話だった。しかし、そううまい話があるはずもない。ロレンスは、これまた半信半疑ながらも、とりあえずその話に乗ってみることにするのだが…。
というような話です。
僕は時々ライトノベルを読んでみたりするんですけど、これは結構いいなと思いました。近々アニメ化するようで、なかなか人気のあるシリーズなんですけど、結構面白い作品です。
とにかくホロのキャラクターがかなりいいですね。まさにロレンスを手玉に取ると言った感じで、緩急自在という印象です。ツンデレというのとはまた違って、時々姉キャラなんだけど、時々妹キャラみたいな、そんな不思議なキャラクターでした。僕もホロには結構振り回されてしまいました。
話もきちんとしていて、僕はそこまでライトノベルを読んでいるわけではないんですけど、ライトノベルっぽくない話だと思いました。普通のファンタジー小説と言われても充分通用するくらいで、面白く読めました。ライトノベルらしくなく挿絵もそこまで多くはなくて、やっぱり電撃文庫はジャンルも豊富でレベルも高いのかなとか思ったりしました。
しかしまあ、とにかくホロのキャラクターが全開に楽しい作品です。ホロとだったらちょっと旅に出てみてもいいなぁ、とか思ったりします。まあロレンスのように頭が切れる男ではないんで、すぐ愛想をつかされてしまうかもしれませんけどね(笑)
僕はライトノベルを読むと、二巻目はもういいかなと思うようなことが結構多いんですけど、これはシリーズで読んでみてもいいかなと思える作品でした。なかなか面白いです。機会があったら二巻目を読んでみようと思います。
そういえば全然関係ないですけど、この作品はちょっと記念すべき作品で、それは、これまで読んだ作家数がこの作品でちょうど500人になりました。なかなかたくさん読んでるものです。これからも、まあ頑張ります。

支倉凍砂「狼と香辛料」


狼と香辛料文庫

狼と香辛料文庫

2007年12月29日

もえない(森博嗣)

森博嗣の小説は、何だか小説らしくないという印象を受ける。
これは決して悪い評価ではない。むしろいい評価であると言える。その辺りのことをちょっと説明してみたいと思うのだ。
小説というのは、まあ様々なジャンルがあるものだけど、何だかんだと言ってストーリーを伝えるための器だと僕は思っているのだ。小説の中には、人間もいれば自然もある。感情もあれば論理もある。そういった様々なものが含まれて小説と呼ばれるようになるのだけど、しかし常に求められることは、それがストーリーを伝えているということだと僕は思う。それが、小説の本質とは言えないかもしれないけど、少なくとも骨格にはなりえる。
もともと小説というのは、いつの間にか小説として存在していた、それを発表してみた、というような形態だったはずだと僕は思うのだ。もっと昔、まだ小説家なんていう存在が全然なかったような頃を想像してみると、どこかに発表したりそれでお金を儲けたりといったような意思なく小説が生み出され、それが人に読まれたりするようなのが始まりだったのではないかと思うのだ。始まりという言い方はおかしいけど。
だからこそ、まず小説という器があって、そこにストーリーを盛るという流れで小説というものを生み出せたのだと思う。少なくとも、ちょっと前まではそうだったはず。
しかし最近は違うように思える。最近では、とにかく小説というのは一つの道具になった。表現ではなく道具だ。書きたいことがあるから小説を書くのではなく、作家になりたいから小説を書いたり、あるいは小説を書き続けなくてはいけないから小説を書いたりといったような状況になっている。
そんな状況の中では、まずストーリーが優先されるのだ。ストーリーがあり、その後で器である小説の形にする。そんな小説が多いような気がする。
さてその場合小説というのはどうなるかと言えば、ありとあらゆる要素がそのストーリーのために存在するようになってしまうのだ。僕が言っていることが分かるだろうか?
イメージとしては、中心がある、ということになる。円みたいなイメージだ。人間も自然も感情も論理も、小説の中に含まれるありとあらゆる要素が、ストーリーという中心に向かって注ぎ込まれていく。もっと言えば、ストーリーに関係のある要素だけが残され、ストーリーに無関係な要素はどんどんと殺ぎ落とされていく。そんな感じである。
だから最近の小説というのはすごくすっきりしている。分かりやすい。それは当然で、ストーリーに関係のない余分なものは省かれてしまっているからだ。まさにそれはデザインそのものであり、車になんとなく近い。昔の車は、余分なものが多くすっきりとしていなく効率なんかも悪かったけど、しかしそれがいいという人もいる。最近の車は余分なものはないしすっきりしているし効率もいい。それがいいという人もいる。まさに小説も、車のようなデザインのされ方をしているように思える。
ただ、そういう小説の難点は、やはりどうしても現実からは遊離するということだ。ぼんやりと小説を読んでいる時は気づかないのだが、ストーリーに余分なものを削っている分、小説の中にノイズがなくなってくる。僕らは普段生きている中で、まさにノイズとしか呼べないような行動や感情を有している。理由もなく行動したり、理不尽な感情を抱いたりといったような積み重ねで日常というものが成り立っていく。そのことはあまり意識されないので、ノイズを取り払った小説を読んでも違和感を感じなくなっているのだけど、よくよく考えてみると、そのノイズのなさが小説を現実から遊離させているように思えてくる。
森博嗣の小説には、最近省かれてしまっているノイズが意識的に残されているように僕には思う。ストーリー全体からしたら余分で、まるで不要なピースの紛れ込んだジグソーパズルでもしているような感じなのだけど、それが逆に現実っぽさをかもし出しているように思う。特に会話にそれが現れているように思う。小説の中の会話は、読者に情報を伝達する手段として存在することが多い。特にミステリではそうだ。しかし僕らが日常にする会話のほとんどは伝達を意図したものではない。お互いの隙間を埋めるような、そんな目的で喋っていることが多い。そういう雰囲気を、森博嗣の小説を読むと感じることが出来るのだ。
ノイズが多い小説は、中心を生み出しにくい。それは小説全体の分かり難さを高めるということにもなるだろうと思う。誰だって、パッと見で名前を思いつけないような複雑な図形より、円とか平行四辺形みたいな単純な図形を見たいものだろう。
それは、本を読むということがどんどん受身になってきたその歴史を物語ってるのだと思う。たぶん昔は、本を読むという行為はもっと能動的なものだったはずだ。既に僕には、能動的な読書というのがどういうものかイメージできないのだけど、そんな気がする。だからこそ、名前のつけようもない複雑な図形を見せられても大丈夫だったのだ。
僕らは、本を読むという行為に受動性を求めているために、目の前に現れるものがより単純で美しくあればいい、と考えてしまう。恐らく忙しすぎるのだろうと思うのだけど、じっくりと一冊の本を読むような余裕がないのだろう。だからこそ、円や平行四辺形みたいな雰囲気の小説ばかり求めるし、読者がそれを求めるから、作家もなるべくノイズのない作品を書こうとする。そうして今のような状況になったのだろうなと漠然と想像する。
別にノイズがあればいいというわけでもないだろう。僕だって、やはりどちらかと言えばノイズのない小説の方が読みやすいと感じてしまうだろう。しかし、時々こうしてノイズの残っている作品を読むと新鮮に感じられていい。そんなことを思った。
そろそろ内容に入ろうと思います。
特に親しかったわけでもないクラスメートの杉山が死んだ。なんとなく葬儀にも出た。退屈だった。皆出るものだと思ったけど、葬儀に参加したのは僕を含めて数人だった。
親友の姫野と話している内に、去年だったか杉山からもらった手紙のことを思い出した。封を開けた記憶がなかった。家に帰って探してみると、やはり未開封のままで見つかった。そこには、なんとも奇妙なことが書かれていた。
「友人の姫野に、山岸小夜子という女と関わらないように伝えてほしい」
結局杉山は死んでしまったわけで、その真意は分からない。
学校に杉山の父親がやってきた。僕の名前が掘り込まれたプレートを持っていた。棺に何冊か本を入れていたのだけど、恐らくそこに挟まっていたのだろう、とその父親は言った。僕にはまったく見覚えはなかった。結局そのプレートはもらうことになった。
それから、なんだかぼんやりと日々を過ごした。杉山のことが気になっているのかというと、そうではない気がする。何だか分からない。分からないけど、何かがどうしても気になるのだ…。
というような話です。
まあ全体的には普通ぐらいの作品ですね。森博嗣の作品は新刊が出るたびすぐ買って読むんですけど、最近そこまで当たりと感じられる作品には出会わないですね。ここ最近では、「ZOKUDAM」は傑作だったなと感じたのだけど。
本作のような雰囲気は結構好きですね。森博嗣の作品らしい、静謐というかクールというか、そんな感じの雰囲気の作品です。「記憶と殺人をめぐるビルドゥングスロマン」と書いてあって、ビルドゥングスロマンってのが何かさっぱり分からないのだけど。
タイトルは恐らく、「萌えない」と「燃えない」を掛けてるんだろうな、と思います。「萌えない」の方は「萌え~」とかの萌えるじゃなくて、植物が生えるという意味の萌えるです。森博嗣はタイトルを考えるのに半年以上掛かるという話を日記に書いていますけど、確かに森博嗣の小説のタイトルはかなりセンスのいいものばかりだなと思います。
まあ、オススメするほどの作品ではないけど、読んで損することもないだろうと思います。まあそんな感じの作品です。

PS:この感想を書いている途中で、もう後から考えれば考えるほど面白いような出来事があって、さすがにブログに書いたらまずそうなんで書かないですけど、いやぁ、年の瀬に大いに笑わせてもらいました。

森博嗣「もえない」


もえないハード

もえないハード

2007年12月28日

「タタド」小池昌代

タタド
タタド
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 1,470
  • 発売日: 2007/07
  • 売上ランキング: 33150
  • おすすめ度 5.0


「タタド」「波を待って」「45文字」の3編が収録された短編集。
「タタド」で川端康成賞を受賞。川端康成賞は短編小説に贈られる賞らしいが、
今までの受賞者を見ていると、静かな作品を書く人が多いなあと思う。
敷居高いけどチェックしていこうかな。川端賞を取るような、淡々とした短編小説を、
味わい深くかみしめられるような大人になりたいな、と思う。
年齢だけは大人なんだけどね・・・。

小池昌代さんは詩を書くひとだという印象があって、だから難しい言葉とか、
抽象的な言葉で読みづらく感覚的なことばを使うのかなという先入観で読み始めたが、
文章はすっと私の中に入り込んできた。難しくないけど、美しい。
さりげない表現や比喩がすごくうまくて、官能的だと思ったりした。匂い立つような。

2007年12月28日

2007年ジャンル別総括

今年の読書をジャンル別に紹介。ジャンル分けはかなり適当。
特にオススメ、は画像つき。感想は灰色部分はリンクしています。
今年はSFとファンタジーの当たり年でした。
海外作品も挑戦して、いい作品にたくさん出会えて、充実でした。

2007年12月28日

「ウインクで乾杯」

「眼鏡にかなうためには、いろいろと大変なのよ。ねえ、あなたクラシックに詳しい?」
「全然詳しくない」
「音楽は何を聴くの? 刑事だから、やっぱり演歌?」
「どうして刑事だったら演歌なんだよ。俺はだいたい、若い女性ロックが好きなんだ。特に好きなのは、『プリンセス・プリンセス』だな」

「ウインクで乾杯」東野圭吾著(祥伝社文庫)  ISBN:9784396322632 (4396322631)

コンパニオンがホテルの一室で、毒入りビールを飲んで命を絶つ。仕事仲間の小田香子と、若い刑事の芝田は自殺説に疑問を感じ…。

積読の山のなかから思いついて、古い文庫を手にとった。88年新書判で出た「香子の夢」の改題。88年といえばデビューから3年。相当初期だ。裏表紙には「ミステリー界の若き騎手が放つ」と書いてあって、歴史を感じさせる。

軽妙で、よくできた2時間ドラマのような作品。密室、真相を書き残したメッセージなどの謎解きもきちんと入っているし、香子の描き方に著者の「達者さ」の片鱗がみえる気がする。玉の輿を狙っていて打算的なのだけど、さばさばした物言いと、同僚に友情を感じているところが憎めない感じ。芝田との掛け合いもいいテンポだ。

東野作品はこれまでかなり読んでいる。順次感想を書いて整理したいけど、なかなか手が回らない… (2007・12)

2007年12月27日

アニメ化――あさのあつこ【テレパシー少女「蘭」事件ノート】

NHK教育テレビで2008年春以降に放送予定。

ファミ通.comの記事



さらわれた花嫁―テレパシー少女「蘭」事件ノート〈8〉 (講談社青い鳥文庫)さらわれた花嫁―テレパシー少女「蘭」事件ノート〈8〉 (講談社青い鳥文庫)
(2006/03)
塚越 文雄、あさの あつこ 他

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2007年12月27日

アニメ化――さいとうたかを【ゴルゴ13】

連載開始から40年目にして初のテレビアニメ化。

放送開始日時など詳細は2008年2月25日発売の「ビッグコミック」(小学館)で発表される。

中日スポーツの記事



ゴルゴ13 147 (147) (SPコミックス)ゴルゴ13 147 (147) (SPコミックス)
(2007/12/05)
さいとう たかを

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2007年12月26日

「遭難、」本谷有希子

遭難、
遭難、
  • 発売元: 講談社
  • 価格: ¥ 1,365
  • 発売日: 2007/05/16
  • 売上ランキング: 23875
  • おすすめ度 4.0


本谷有希子が最年少で鶴屋南北賞とやらを受賞した戯曲。
演劇には疎い私にはどこまでの快挙かわからないんだけども。
とにかく表紙強烈やし本谷さんやしということで読んでみる。

劇の脚本って高校の文化祭で書いたことあるけど、一つ、あるいは数個の舞台を固定して
そこでドラマをやらなきゃいけないし、登場人物もそんなに出せないし、いっぱい制約があって、
どうやって舞台内でドラマを収めるか、そして面白くするか、と考える面白さがあった。
この戯曲は中学校の職員室に舞台を絞っていて、
登場人物もほんの5人程度、教師と保護者だけだ。
生徒数人がキーパーソンになるものの、出てはこない。でも存在感はある。
5人だけど何人もいるような広がりを見せつつ、その5人がまず曲者揃いだから
もうそれだけで面白いし。
脚本の制約をあっさりクリアしてなおかつべらぼうに面白く、引き込まれる。
改めて脚本や劇のおもしろみを知った気がした。

2007年12月26日

皇帝のかぎ煙草入れ(ディクスン・カー)

古典で名作と言われているものは、長い間残り続ける。
これが文学作品であれば問題はない。文学作品にしても、時代背景をしっていなければ、あるいはその当時の言葉遣いをしっていなければ読むのに苦労する作品というのはたくさんあるが、しかし文学の古典作品というのは普遍性を持ちうる。それは、人間を描いているからであり、人間の本質を描いているからだろうと僕は思う。
人間の本質というのは、時代が変わっても変わらない部分というのは必ずある。あるいは、その時代背景とセットで受け入れることの出来る場合もあるだろう。そうやって、文学の古典作品というのは、その作品に普遍性さえあれば、いつまでも残り続け、いつまで新鮮なまま読み継がれて行くだろうと思う。
しかし、これがミステリとなるとなかなか難しくなってくる。
ミステリにももちろん、古典的な名作と呼ばれるものはたくさんある。大抵海外の作家の作品になるが、日本でも江戸川乱歩や横溝正史と言ったような大家がいる。そういう作家の作品は今でも古典的な名作として残っているし、今でもミステリベストなんて企画をやると上位に来るものもあったりする。
しかし、ミステリの古典作品というのは普遍性を獲得するのがどうしても難しいと僕は思っている。その理由が、ミステリというのは人よりもまずトリックを描くジャンルであるからである。
ミステリというのは基本的に、トリックやあるいは意外な犯人といったような部分がメインになる。古典的な名作と言われる作品も、そういうトリックが優れていたり、あるいはこれまでにない手法で読者を騙したりといったようなことが話題になり、今も読み継がれているのである。
しかし、トリックというのは残念ながら古びてしまうのだ。
ミステリというジャンルは、先人の仕事をいかに乗り越えるか、という重圧を必然的に背負ってしまったジャンルである。先人が生み出したトリックと同じものを出しても仕方がない。読者を驚かせるためには、先人の仕事以上のことをやらなくてはいけない。そういう宿命にあるジャンルであるから、どうしても先人の仕事というのは古びて見えてしまうものだ。
忍者が大木を飛び越す、という話がある。まず忍者は、木の苗木を買って来てそれを植える。そして、その苗木の状態の木を毎日欠かさず飛び越すようにするのだ。木の生長というのは早いものではない。即ち、昨日と今日ではほとんど差がないということになる。昨日飛べたのであれば、今日も飛べるはずである。一方で木は着実にその高さを増していくことになる。それを続けていけば、いずれ忍者は大木でさえも飛び越せるようになる、という話である。
ミステリというジャンルは、まさにこの話に似ていると思う。ミステリというジャンルが生まれた時は、まだほんの小さな苗木の状態だった。それを、時代を超え多くの人が飛び越してきた。もちろん、ミステリという苗木はどんどんと成長しその背を伸ばしていく。今では自分の背の高さ以上の木を飛び越せる忍者が、かつて自分が飛び越したことのある背の低い状態の木を見て、昔はこんな高さの木でも必死だったのだなぁ、と回想するようなものである。
分かりづらい話をしたが、要するにそういうことだ。ミステリの古典作品というのは、やはりどう比べても現代のミステリよりは驚きに劣る。それは、先人の仕事が劣っていたということでは決してない。その時育っていたミステリという名の木の最も高い部分を飛び越した作品であることは間違いないのだ。しかし、今ではその木はもっと生長し高さを増してしまっている。現代の読者は、その高さの木を飛び越えるだけの素養を既に見に付けてしまっている。とすれば、かつての高さの木を飛び越すような作品を読んでも、やはり新鮮さに欠けるというのは否めないだろうと僕は思うのだ。
ミステリの古典作品を読むことはあまりないのだが、時々気まぐれに読んでみたりするといつも同じことを思う。それは、なるほどこれが当時驚きをもって迎えられた作品なのだな、ということだ。確かに、かつての読者を驚かせることは出来たかもしれない。しかし、より複雑なミステリを読みなれた現代の読者には、なかなかその驚きを再現することは難しいだろうなと思うのである。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、ディクスン・カーという、不可能犯罪の作家、そして密室の大家と言われたミステリ界の大物の作品である。割と有名な作品だと思うのだけど、どれぐらい有名なのかは僕はよく知らない。
イヴ・ニールは夫であるネッド・アトウッドと離婚し、一人身になった。それからしばらくして、真向かいの家に住む、トビイ・ロウズという青年に惹かれ、またその家族にも受け入れられ、婚約するところまで話が進んだ。
そんなある日のこと。
突然前夫であるネッドがイヴの家に忍び込んできた。帰るように言うのだがなかなか立ち去らない。そんな時、ネッドが驚くようなことを口にする。なんと、真向かいに住むトビイの父親が死んでいるというのである。それによってさらに焦った彼女は、ネッドを無理矢理追い出すようにして立ち去らせた。
これでようやく一安心と思ったが、しかし事態はとんでもない方向に進んでいるのだった。なんと、様々な状況証拠から、イヴが殺人の容疑者と考えられていたのである!前夫が部屋に来ていたとはなかなか言いづらい彼女は、身の証を立てることが出来ない。絶体絶命だが、そこへ心理学者だというダーモット・キンロス博士がやってきて…。
というような話です。
まあ現代のミステリを読みなれている人からすればありがちな話だろうなと思います。当時としては驚きの作品だったのかもだけど、まあ今の読者を驚かすことはなかなか難しいのではないかと思います。
まあでも、外国人作家でかつ古典作品という僕の苦手な二つの要素があったにしては、それなりにスラスラ読めた作品だったなと思います。会話が古臭かったり、あるいは時代の背景的なことがよく分からなかったりしましたけど、まあ普通に読めました。
本作みたいに、気になっているミステリの古典作品というのは結構あるんですよね。「アクロイド殺人事件」とか「黄色い部屋の謎」とか「Xの悲劇」とか「モルグ街の殺人」とかですけど、でもどうなんだろうなとか思ってしまいます。やっぱりこういうミステリの古典作品を読むと、やっぱ現代ミステリの方が驚きがたくさんあって面白いな、とか思ってしまうわけです。そりゃあ歴史的には価値のある作品なのかもしれないけど、だからと言って面白いとは限らないだろうな、なんて。だからいつも二の足を踏んでしまうんですよね。
まあそれでもたまには読んでみようかなと思ったりしますけど。とりあえず「黄色い部屋の謎」を読んでみたいかな。

ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」


皇帝のかぎ煙草入れ文庫

皇帝のかぎ煙草入れ文庫

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