今回の内容とは全然関係のない話になってしまうのだけど(まあ無理矢理なんとか結び付けようとはしてみようと思いますけど。どうなりますか)、今日ずっと見ていたテレビ番組の話を書こうと思います。
それは、爆笑問題とビートたけしが司会の番組で、『責任』というキーワードを元に、いろんな社会的な問題を考えてみよう、というような番組でした。
そこでは、学校の責任が扱われ、亀田三兄弟の話題が取り上げられ、今の子供達のあり方を問い、またメディアの現状について討論をしたりしていました。また、責任感テストなるものをやっていて、自分がどのくらい責任感のある人間なのかということが判定できる、というような番組でした。
さてそもそも『責任』というのは一体何だろうか、と考えたわけです。漠然とした問いで、僕だって別に何か答えがあるわけでもないのだけど、でもそもそも『責任』ってなんだろう、って思いました。
僕らは、社会というものの中で生きています。そこではありとあらゆるものに取り巻かれ、ありとあらゆるものが隣同士になっています。また様々なルールが決められ、そのルールを守るように言われます。窮屈ではあるけれども、しかし人間が長い年月を掛けて、より生きやすいシステムを模索した結果、今あるような社会というものが生まれたわけです。
基本的に『責任』という言葉は、この社会とセットになる言葉ではないかと僕は思うわけです。僕が言う社会というのは国とか法律とかそういう大きなものだけではなく、家族とか友人とか、要するに自分を取り巻くものすべて、というような意味合いですけど、その社会というものの中で生きる上で『責任』というものは意味を持ってくるのだと思うわけです。
今日やっていたテレビ番組でも、この社会に対する『責任』というものを扱っていました。社会というものがどんどん高度に、そして複雑になっていくにつれて、『責任』という言葉の持つ意味もどんどんと変わっていきます。それが今、学校という場で、あるいは若者のあり方そのものに如実に現れ、また企業の不祥事とそのトップの辞任や、あるいは亀田三兄弟や何とかっていう横綱などの追求というものに関わっていき、また、『責任を取ること』と『責任を回避すること』が論じられ、またメディアはどうあるべきかということが議論されるわけです。
ただその番組をぼーっとしながら見ていて、僕はふと感じたわけです。
『責任』という言葉は、本当に社会に対してのものだけなのだろうか、と。
社会に対して『責任』を果たしていればいいのか、あるいは社会の『責任』から逃れることだけが悪なのか。
もう一つだけ、『責任』という言葉が対するべき存在があるような気がしました。
それは、『自分自身』です。
僕がこれまで言ってきた社会に対する『責任』というのは要するに、関係性の問題だったわけです。人間関係の中に生じる『責任』であり、他人の存在があるからこそ発生する『責任』でもあります。
しかし、それだけでは満足ではないような気がしました。
もちろん『自分自身』というのも社会の中に含まれはします。しかし、『自分自身』とは関係性で結ばれているわけではなく、存在そのものとして繋がっているわけです。存在に対しての『責任』というのもあるはずだし、それも考えなくてはいけないのではないか、という風に思いました。
では、『自分自身』に対する『責任』とは要するに何でしょうか。
それは、『自分自身と寄り添う』ということではないかと思います。『自分自身を見極める』と言ってもいいし、『自分自身を信じる』と言ってもいいと思うのだけど、要するに『自分自身』の存在を正確に把握するということではないのかな、という気がします。
僕らは意外と、『自分自身』のことを知っているようでいて知らなかったりします。自分を過信しすぎてヘマをしたり、自分のことを信じ切れなくて何かを逃したりと、そんなことばかり繰り返しながら生きているわけです。
僕はこの、『自分自身』の『責任』というのが、社会に対する『責任』というものと表裏を成すのではないかと思っているわけです。
今世の中は、モラルが低下しているだの人を信じていないだのとまあいろいろと言われていて、結局その話は社会的な『責任』を果たせない人間が多いという結論に向くのだと思うのだけど、しかしそれは同時に、『自分自身』への『責任』が果たせていないからではないか、という気もするわけです。『自分自身』を巧く見極めることの出来ない人間が多すぎて、『自分自身』を信じきれない人が多すぎて、『自分自身』と寄り添えない人が多すぎて、それで社会的な『責任』も果たせていないのではないかな、という感じがします。
昔がどうだったか、正直僕は知りません。しかし僕の中でのイメージでは、昔の人は大抵『自分自身』のことをそれなりにきちんと把握できていたのではないか、という気がします。どれくらいの人間で、何が出来て何が出来なくて、何を信じていて何を信じていなくて、というようなことを自分でちゃんと持っていたのではないかという気がします。
今の世の中というのは、情報が多すぎて、僕らは日々ありとあらゆる価値観にさらされ続けます。その情報の多さに、現代を生きる僕らは、どんどんと『自分自身』を見失い続けているのではないかな、と思いました。
社会的な『責任』を果たすことはもちろん必要だし重要だと思います。しかしまずは、『自分自身』への『責任』について考えてみてはどうでしょうか?向き合って飼いならして落ち着いて、そうしてからようやく僕らは、社会的な『責任』を果たす存在になるのではないかと思いました。
子供というのは要するに、その過程を経る期間であるとも言えるかもしれません。社会的な『責任』を果たす大人になるために、『自分自身』と向き合う時間が子供時代であるのかもしれません。
現代は、環境のせいなのかあるいは大人のせいなのか、子供が『自分自身』となかなか向き合うことの出来ない世の中なのだろうな、と思います。もっと傷ついて、もっと考えて、もっと諦めて、そうやって『自分自身』の大きさを知悉して初めて大人になるのではないでしょうか。
僕は子供時代のことをほとんど覚えていません。高校の頃までの人間関係や出来事などはほとんど忘れてしまっています。僕は子供時代に、『自分自身』と向き合って、『自分自身』への『責任』を果たしたのでしょうか?碌でもない大人になってしまった今では、もはや『自分自身』と向き合うだけの勇気はなかなか出てこないわけですけど…。
やっぱり本作の内容とはあんまり関係のない話のまま終わりました。そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、紀子という一人の少女の小学三年生から高校三年生までの九年間を描いた作品です。
紀子という少女は、どの年代でもどこにでもいる普通の少女です。中学時代ちょっとだけグレ掛かったものの、基本的には平凡でどこにでもいるようなありきたりな少女です。
しかしそんな平凡な少女でも、印象に残る出来事、些細なことだけど気に掛かる思い出、つまらないと言って切り捨てることの出来ないゴタゴタなんかがあります。黒魔女のように恐ろしい担任もいたし、恋のドキドキもあった。初めて男の子と付き合ったり、その恋愛にボロボロにされたり、初めてアルバイトをしたりもした。両親の不仲にヒヤヒヤしたり、友人とのいろんな関係もあった。そんな、人から見れば小さな、でも本人としては大きな出来事を通じて、紀子という少女は少しずつ大人になっていく。その過程を、繊細な視点で追いかけながらも、時代背景も映し出しながら一人の少女の人生の一瞬を鮮やかに切り取っていく…。
というような話です。
なるほど、なかなかいい話だと思いました。
本作は、ハラハラするような展開があるわけでもなく、驚くべき結末を迎えたりするわけでもない、どちらかと言えば平凡な話の連続なのだけど、しかし書き手が巧いとそういう平凡な話でもここまで読ませるものなのだな、と思いました。
なんというか、少女というのを巧く映し出しているのだな、という感じでした。微妙な友人関係だったり、思春期特有のあり方だったり、一向に定まることのない生き方だったりするところに、紀子という少女の少女としての不安定さが描き出されていて、その巧さに惹かれて読んでしまう作品でした。
構成としては連作短編集に近い感じになっていて、それぞれの時代毎に章が分かれ、それぞれで印象的なエピソードを中心にその時代を描き出す、という形態です。ちょっとした冒険に少女のドキドキを感じたり、初めての恋愛のふがいなさを一緒に噛みしめたり、何もしたくないっていう諦念みたいなものに共感できたりと、まあ僕とは性別が違うのだけど、いろんな話の中でこの少女に寄り添うことが出来る感じがあって、なかなかよかったな、と思います。
主人公だけではなく他のキャラクターもなかなか巧い造型で、しかも何が巧いかと言えばキャラクターをキャラクターによって際立たせているのではないというところです。よく『キャラクター小説』と言われるような小説があって、特徴的な喋り方とか奇行なんかによってキャラクターを定めて面白く描くような小説があるけど、そういう感じではありません。口癖があるわけでも、変な行動をするわけでもなく、誰もが地に足をつけたようなキャラクターなのだけど、しかしストーリーの中で着実な役割(なんか変な表現ですけど)をこなしているために、そのストーリーの合間からキャラクター性が浮かび上がってくるというような感じでした。キャラクターがストーリーから浮いて独立しているのではなく、キャラクターがストーリーに寄り添う形で存在を確立していて、これはかなり筆力がないと出来ないのではないか、という感じがしました。
僕としては森絵都の作品なら「DIVE!!」の方に遥かに軍配を上げますが、しかし本作もなかなかいい作品です。しっとりとした風合いがあって、ゆっくりと少しずつ読み進めていくのに合うような作品だと思いました。
女性が読んだら、自分にもこんな時代があった、とより共感することの出来る作品なのかもしれません。派手さはないですけど、落ち着いたいい作品だと思います。読んでみてください。
森絵都「永遠の出口」
永遠の出口文庫
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