つい最近、「
ゾラ・一撃・さようなら」の感想の冒頭で、僕はお金持ちにはなりたくないのだ、という話を書いたのだけど、その話まさに本作の感想で書くべきないようでした。いやはや、タイミングを見誤ったなぁ、というか。
その感想の中で僕は、お金持ちになりたくない理由を二つ書きました。一つは「お金持ちになってもやりたいことがない」で、もう一つは「お金持ちになったらめんどくさいことばっかりだ」というものです。この二つが、本作の流れに非常によく合っているわけです。著者の岡田氏は、アニメで世界征服を謳う悪の組織には、「世界征服をしてどうしたいのか」というビジョンが見えないし、またいろいろと考えてみると、「世界征服をしたらいろいろめんどくさいことがあるよ」と言っているのです。うーむ、まさに僕がお金持ちになりたくないという話と同じではないですか。
さて、子供の頃に世界征服なんてものを夢見たことがあるでしょうか?僕は子供の頃「ヤッターマン」とか見てましたけど(本作でもちょっとだけ「ヤッターマン」の話が出てきて懐かしかったです。「タイムボカン」シリーズは面白かったなぁ)、でも別に世界征服とかには憧れなかったと思います。世界征服なんかできっこない、とかそんな醒めたことを考えていたわけではないとは思うんだけど、どうせ世界征服をしようとしても正義の味方が現れるしなぁ、ぐらいのことは考えていたかもしれないですね。まあ子供の頃のことはさっぱり覚えていないのでわかりませんが。
そういえば唐突に変なことを思い出しました。世界征服と多少は関係あるんではないかと思います。
小学校だかの卒業の時に、なんか文集とか作るじゃないですか?クラス毎にページがあって、各クラスがクラスメイトの紹介を含めてページをどうするか決めるんですけど、確かウチのクラスは、将来誰がどうなっているかというのを勝手に予想する、みたいな企画だったような気がします。正確には覚えてないんですけど、そんな感じだった気がします。でもその予想は一体誰がしたんだろう?思い出せませんね。
その僕の予想の欄に、「総理大臣」とか書いてあった気がします。「大統領」とかだったかな。あんまり覚えてないですけど、そんな感じだったと思います。なんだか知りませんが、当時の同級生の目から見たら、こいつはまあ総理大臣にしとけ、みたいな感じに見えたんでしょうかね。総理大臣になるというのは世界征服とは関係ないですけど、でもある意味で支配するということに繋がるので書いてみました。変なことを思い出したものです。
さてアニメとか特撮ヒーローの話ですが、よく世界征服という設定が出てきます。で彼らはその目標を達成しようといろいろと頑張るわけですけど、そこに正義の味方が現れて悪の組織をコテンパにやっつけるわけです。で悪の組織の目論みはなかかな達成されない、というのが王道のストーリーなわけですけど、やっぱりおかしいですよね。
本作では、「悪の組織が敵を一体ずつしか出してこないのがおかしい」とか「世界征服をするのに人民を殺してしまうのはよくない」みたいなことを書いているわけですけど、僕が変だなと思うのは、何で自分たちの世界征服という目標を邪魔する正義の味方を仲間に引き入れようとしないんだろうな、ということです。
だって考えてもみてください。正義の味方というのは、とにかく毎回邪魔してくるわけです。悪の組織からすれば、別に正義の味方と戦うために敵を送り込んでくるわけではなくて、基本的には世界征服をしたいから、それには正義のヒーローが邪魔だから敵を送り込んでくるわけです。それには膨大な手間とお金が掛かるし、効率が悪いです。
だったら、その豊富な資金力にモノを言わせて、正義の味方を買収すればいいんじゃないか、とか思いますね。まあいろんな事情でそれは出来ないのかもしれないけど、少なくとも戦う前に出来る限りの交渉をしてみるべきではないかと思います。まああのアニメとか描かれているのは、その交渉が破綻した後で、もう戦う以外に選択肢など残されていないのだ、という状態なのかもしれませんけどね。
本作では、実際に世界征服をした実例も挙げています。
例えば北朝鮮の金正日です。彼は、自分の私利私欲のために一国を支配しているわけです。
ただ、この金正日の成し遂げた世界征服を分析することで、世界征服における構造的な問題点というものが浮かび上がってくるわけです。
それは何かと言えば、結局金正日が欲しいものは北朝鮮内のはない、ということです。
金正日は北朝鮮を支配しているわけで、もちろん何でもし放題です。物量という点では圧倒的です。どんなものでもどんな量でも手に入るし自由です。
しかしそれでも金正日は満足出来ません。何故か。それは、北朝鮮内部からは面白い娯楽が生まれないからです。
金正日は北朝鮮を支配することで、人民に不自由な生活をさせて自分だけ豊かになろうとしています。しかしそうすると、経済というものがうまく回っていきません。経済が上手くまわっていないところに面白い娯楽が生まれるわけがないのです。娯楽というのは、自由主義の原理の元で切磋琢磨が繰り返されるからこそ面白いものが生まれるのです。
だから金正日は大好きな映画を外国から輸入しなくてはいけないのです。一国を支配しているのに、娯楽は他国から輸入しなくてはいけない。つまり、暴力的に支配するだけでは世界征服のうまみはない、ということなのです。
では、世界征服を首尾よく成し遂げたとして、これからも自分は豊かで楽しく生きていきたいと思ったらどうするべきかと言えば、それは人民を豊かにしていくしかないわけです。ということは支配者である自分がしなくてはいけないことは何かといえば、世界を平和に保ち、経済を順調に回していくということになります。しかしそうなると、世界中のありとあらゆる問題の解決が自分に持ち込まれることになります。それを解決しないと世界の平和が訪れず、世界が平和でなくなれば自分も豊かに暮らして行けないからです。そうすると、折角支配者になったのに世界中の紛争を解決するだけの人になってしまうわけで、これはただめんどくさいだけです。
そこから著者が何を考えるかと言えば、世界征服にはうまみがあるのか、ということです。
少なくとも18世紀くらいまでならうまみがあった、と著者は言います。それは、まだ階級社会というものが残っていたからだ、と言います。
階級社会というのは何かと言えば、お互いの階級のことを理解しあうことの出来ない社会です。文化や娯楽のすべてが、階級によって断絶をしている社会です。
少し前のイギリスは階級社会だったそうです。例えば飲み屋の真ん中には仕切りがあって、一方を「パブ」、もう一方を「サルーン」と呼んで区別していたようです。「パブ」には労働階級が行き、「サルーン」にはアッパーミドルと呼ばれる人達は「サルーン」に行きます。
この違いは何かと言えば、出てくるビールは同じなのに「サルーン」の方が値段が高い、というだけです。他に違いはありません。つまり高い階級の人達は、階級が高いというだけの理由で高いお金を払う、それが階級社会なわけです。
また階級社会では芸術や娯楽もまるで違います。労働階級の楽しむ音楽と言えば街頭でのギターの弾き語り、貴族階級は専属の音楽団を持っている、という違いがあって、この両者は決して交わりません。労働階級が音楽団の音楽を楽しむことはまずないし、貴族が街中で立ち止まって弾き語りを聞くということもありえません。
こういう階級社会であれば、世界征服をするうまみはあります。つまり、異なる階級の文化や芸術を楽しむことが出来るようになるわけで、今まで出来なかったことが出来るようになるわけです。
しかし現在は階級社会というのはほとんどありません。自由主義というものが広まって、階層はあるけども階級はありません。この違いは何かと言えば、結局お金を出せば何でも手に入る世の中になった、ということです。
例えば今現在世界征服をしたとして、じゃあ何を望むかと言えば、出来る限り高いものを手に入れよう、というぐらいのものです。しかしそれだってお金さえあれば手に入ってしまうものであって、わざわざ苦労して世界征服をしなくたってどうにかなる類のものです。世の中のものにはありとあらゆるものに値段がついてしまっていて、逆に一部の特権的な人だけに与えられるものというのはほとんどありません。どんなに高価なダイヤだって、お金さえあれば僕だって買えます。この1億円のダイヤは、年収が1兆円以上ある人にしか売りません、なんていうことにはなりません。また映画だって、特権階級の人専用のものが作られることはありません。貧乏人も支配者も同じものを見ます。そんな世の中において、世界征服というものはあまりうまみのないものになってしまったというわけです。
じゃあもし今世界征服をするとすればどういう形になるのか、ということを著者は考察します。それにはまず、悪とは何かという定義が必要です。
悪というのは結局のところ、現在の価値観を否定すること、になるわけです。バブル時代の悪は「お金があるのに儲けない」ことで、バブル後の悪は「お金のことしか考えない」になるわけです。
じゃあ現在の価値観はどう形作られているかと言えば、それは「自由経済」と「ネットの情報」です。つまり、「おのには適正な値段がついている」とか「ネットの情報に頼って考えることをしなくなった」というものです。となれば、これに対するものが悪ということになります。つまり、「高くても敢えてこれを買う」とか「ネットではなく周囲の人間の意見を大事にする」というようになるわけです。これらを目指すことが現在における世界征服になるわけです。なんだかロハス的なボランティア団体のようで、全然悪の組織という感じがしませんが。
アニメなんかでよく出てくる「世界征服」という設定について大真面目に考えてみた作品です。
本作はまあ最近割と話題になっている作品ですけど、なるほどなかなか面白い本だな、と思いました。
初めこそアニメとかの設定を真面目に考えるという感じで、こういうアニメに突っ込みを入れる感じの本なんだろうな、と思っていたら、中盤から後半に掛けて結構真面目な感じの内容になっていきました。
世界征服をするためには組織を作らなくてはいけない、という話からその組織をどう運営していくかというところまで語っていて、これはまさしくビジネスの話だな、と思いました。また、世界征服の構造的な問題を指摘したり、あるいは織田信長やチンギスハンなど歴史上世界征服を成し遂げた(あるいはその寸前までいった)例なんかも挙げていて面白いなと思いました。
個人的には、世界征服をする過程で資金を集めなくてはいけないのだけど、その資金集めがうまく行き過ぎて世界征服なんかどうでもよくなってしまうのではないか、というような辺りがなるほどなぁと思いました。確かに世界征服にはお金が掛かるでしょうけど、そのお金を稼ぐことが出来るならばもうそれでいいんじゃないか、と思ってしまいそうになりますね。何でわざわざ世界征服なんてめんどくさいことをしなくちゃいけないのか、って話になります。
またドラゴンボールに出てくる「レッドリボン軍総帥」の話も、あぁそんな奴もいたなぁとか思って面白かったです。彼は悪の組織を率いて、何でも願いの叶うドラゴンボールを部下に探させるんですけど、その目的はなんと、自分の背を高くすること、だったわけです。部下たちは総帥が世界征服を目指しているものだと思って一生懸命頑張っているのに、その総帥はなんと自分の背を高くするためだけに部下をこきつかっているわけで、そりゃあ部下もやってられないですよね。
まあそんなわけで、真面目な部分と面白い部分が入り混じっている本だな、と思いました。もちろん、全然真剣に読むような本ではないんですけど、暇つぶしにさらりと読むにはなかなかお手ごろな本ではないかと思います。もちろん世界征服なんて荒唐無稽なわけですけど、でも北朝鮮みたいな例もあるわけでなんとも言えませんね。というわけで、読み方によってはいろいろ考えられる本でもあると思います。興味のある人は読んでみてください。
岡田斗司夫「「世界征服」は可能か?」
「世界征服」は可能か?新書
| このブログのURL
|この記事のURL