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2007年08月29日

ジャケ買い

GOETHE (ゲーテ) 2007年 10月号 [雑誌]GOETHE (ゲーテ) 2007年 10月号 [雑誌]


幻冬舎 2007-08-24
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書店で立ち読みしようと思った『GOETHE』。
しかし、教授の眼差しに吸引されレジへ。
教授の最近の仕事が分ることと、村上龍の「仕事における品格・美学」も興味深い内容。

モンブランの万年筆についても語っている。
10代のころ、万年筆が欲しくて、たしか16歳の誕生日プレゼントに買ってもらった。
でも、モンブランではなかった。
ブルーブラックのインクが近所の文房具店になくて、ブラックのインクを使用して、教授宛にマメにファンレターを書いていました。
と、記憶が甦る。

2007年08月29日

ジャケ買い

GOETHE (ゲーテ) 2007年 10月号 [雑誌]GOETHE (ゲーテ) 2007年 10月号 [雑誌]


幻冬舎 2007-08-24
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書店で立ち読みしようと思った『GOETHE』。
しかし、教授の眼差しに吸引されレジへ。
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モンブランの万年筆についても語っている。
10代のころ、万年筆が欲しくて、たしか16歳の誕生日プレゼントに買ってもらった。
でも、モンブランではなかった。
ブルーブラックのインクが近所の文房具店になくて、ブラックのインクを使用して、教授宛にマメにファンレターを書いていました。
と、記憶が甦る。

よければよろしくお願いします。更新の励みになります。
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2007年08月29日

家、家にあらず

家、家にあらず 家、家にあらず
松井 今朝子 (2005/04)
集英社
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同心の娘・瑞江は、亡き母につながるおば様・浦尾の勧めで、砥部家の奥御殿につとめ始めた。
女たちの強烈な確執のなか、不可解な事件が起こる。
一方人気歌舞伎役者の心中死体が見つかる。その相手は砥部家に関わりのある者だった。
瑞江の父は娘を案ずる…

松井さんは137回直木賞の受賞作家さんです。
この「家、家にあらず」は受賞作ではないのですが、ネッ友さんが読んでおられて
面白そうだったので、手にとってみました。
大奥好きの方は面白いと思いますよー。
大名家でも奥はあったんですね。いやはやもうちょっと質素なのかと思えば
役者を呼んだりと豪華だったのですね。
江戸の八丁堀で育った瑞江が、この大名家の奥に入り戸惑い矛盾を感じながらも
一生懸命に日々をこなしていく姿は、好感が持てます。
瑞江を引き寄せた当の浦尾の冷ややかなこと。だけどそれが御年寄なのですよね。
女であることを半ば捨て、家に仕えるということは早々できたことじゃないことなのかもしれないですね。
終わりに近づくにつれ、瑞江にも変化が生まれてきてるところが奥に勤める女になってきている
ということなのでしょうね。
江戸庶民の話も面白いのですが、こういう大名家の話も面白いです。

最近読みたい本のベクトルが、こうい時代モノや歴史モノに向いてます。
秋がやってくるからでしょうか。
読書の秋となればいいですね〜。

2007年08月29日

漱石の『こころ』

こころ (新潮文庫)こころ (新潮文庫)
夏目 漱石

新潮社 1952-02
売り上げランキング : 1558

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夏目漱石『こころ』。
先生を尊敬している私。
私は先生の私生活に関心があった。
後に明かされる先生の苦悩。

以下ネタバレがあるので、先入観なしに読みたい方はここまで。



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2007年08月29日

漱石の『こころ』

こころ (新潮文庫)こころ (新潮文庫)
夏目 漱石

新潮社 1952-02
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夏目漱石『こころ』。
先生を尊敬している私。
私は先生の私生活に関心があった。
後に明かされる先生の苦悩。

以下ネタバレがあるので、先入観なしに読みたい方はここまで。



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2007年08月28日

「血脈〈上〉」佐藤 愛子


「血脈〈上〉」佐藤 愛子
576p文藝春秋

当代随一の人気作家、佐藤紅緑(洽六)は、シナこと新進女優(三笠万里子)が 現れるまで、妻ハルと長男の八郎、節、弥、久と長女喜美子の そこそこ幸せな生活だった。
洽六が シナに 夢中になって、かわいがっていた長女喜美子が 結核で死ぬと一家の崩壊が始まる。
第四十八回菊池寛賞受賞。


佐藤紅緑 サトウハチローの とんでもない 濃い生活に 圧倒。すごすぎ。

上では 佐藤愛子は まだ小学生。

●血脈つながり

「石の血脈」半村 良
「アナンシの血脈」ニール ゲイマン
↑こちらは フィクションだけど 佐藤愛子のは本物だ〜

2007年08月27日

蜷川幸雄演出【お気に召すまま】

公爵の部下だった父の死後、兄から不当な扱いを受ける青年オーランドー(小栗旬)は、宮廷のレスリング大会でロザリンド(成宮寛貴)に出会った。二人は恋に落ちる。

しかしロザリンドは叔父のフレデリック公爵(外山誠二)によって追放され、いとこのシーリア(月川悠貴)とともにアーデンの森へ向かう。

一方、オーランドーも兄の存在に嫌気がさし、ロザリンドが来たとは知らぬままアーデンの森に逃げ込んだ。

アーデンの森にはフレデリック公爵に追放された前公爵――つまりロザリンドの父(吉田鋼太郎)が住んでいた。


お気に召すまま



というわけで、いろいろと事情を背負った高貴な人々がお供を連れて集まってくるアーデンの森で、明るい恋愛模様が展開される、蜷川幸雄さん演出のシェイクスピア劇でございます。

初演から3年を経ての再演は、2007年7月5日のBunkamuraシアターコクーンでの東京公演から始まりまして、私が見たのは仙台のイズミティ21大ホールにおける8月25日の昼の公演。



しかしね〜、何だかんだ言ってもウィリアム・シェイクスピアは16世紀の人。現代のわれわれから見ると、ストーリーは「そんなもんでいいのかい!」っていうぐらい大ざっぱ。

だいたい、み〜んな「あそこに行けば何とかなる」とばかりアーデンの森に集まっちゃうところが甘いというか、ご都合よろしすぎというか。それで何とかなってしまうのが、なお凄いんだけど。

セリフは修飾語がやたら多くて一度きいただけでは意味が通らないところもあるし、人間関係は芝居を見てても分からないしさ〜。(蜷川さんに叱られそうだ)

いま私はこの記事を新潮文庫の『お気に召すまま』と会場で買ったパンフレットと首っ引きで書いています。


お気に召すまま (新潮文庫) お気に召すまま (新潮文庫)
ウィリアム シェイクスピア (1981/07)
新潮社

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でもね、お芝居は「細かいことはどうでもいいや」と思えるぐらい


すんごく楽しかった♪


のでございます。(どうでもいいだなんて、またも蜷川さんに叱られそうだ)

実を言うと、私が本格的なお芝居を見るのは今回が初めてですが、やはり蜷川さんは凄い人なんだなと実感いたしました。



まずオープニングで驚いた。観客席の後ろの出入口から、役者さんたちがドドドドドッと出てきて通路を走りぬけ、舞台へ上がったかと思うといきなり着替えを始めた。小栗旬さんもオーランドーに変身です。

(ちなみにオーランドーは「ドー」と伸ばすのが正しい。ハリウッドスターのオーランド・ブルームも、「オーランドー」と書くほうが、より英語に近いカタカナ表記になる。発音も「オーランドォ」ぐらいにすると本物っぽいよ)



場面が変わると今度は白いドレスに白い日傘のロザリンドとシーリアが、やっぱり客席側から登場。この後も役者さんたちはしばしば客席側から登場いたします。

これは一種のファンサービスかしら♪ なにせ成宮寛貴と小栗旬、二人の人気俳優が顔をそろえているんですものね――と安直に考えたけど、劇中にこういうセリフがあるんです。


「この世界すべてが一つの舞台……」


だから客席とステージの区別なくホール全体が舞台。役者さんたちがホールいっぱいに駆けまわる、それはそれは賑やかで楽しいお芝居が展開されたのでございます。

それにしても、いったい階段を全部で何段、昇ったり降りたりしたのでしょうか。いや〜役者さんって体力勝負なんですね。



もちろん顔も大事。だって『ガラスの仮面』の月影先生も「顔は役者の命です」って言ったもん!

ロザリンド役の成宮寛貴さんは目がぱっちりしてて女性的なメイクが映えるけど、やや口が大きくて男性的な声質で、ちょっと新宿二丁目っぽくもある(成宮ファンの皆さんゴメンナサイ)。そういう猥雑さも蜷川さんの狙いかもしれません。

いっぽうシーリアは、てっきり本物の女性が演じているのかと思ったほど女らしい! (いま手元のパンフレットを見ても、シーリア役の月川悠貴さんは惚れ惚れするほど美しい……)

でも女優さんが出てくるわけがない。これは「オールメール」、つまり全ての役を男性が演じる芝居なのです。

日本の歌舞伎もそうだけど、シェイクスピアの時代のお芝居はすべて男だけで演じられていたのですね。そういえば男ばかりの芝居の世界に女が一人まぎれこんで騒動を巻き起こす、こんな映画もございました。


恋におちたシェイクスピア 恋におちたシェイクスピア
グウィネス・パルトロウ、ジョセフ・ファインズ 他 (2007/01/25)
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

この商品の詳細を見る


さらに本作では、男性が演じる女のロザリンドが、アーデンの森でギャニミードと名のって男のふりをするという一ひねりが加わります。

男のふりをしたまま恋しいオーランドーに再会したロザリンド。すぐ自分の正体を明かせばいいのに、そこでちょっと悪戯心が出ちゃって、男のままオーランドーをからかうんですね。

(「いくら男のふりをしても顔を見ればロザリンドだって分かるじゃねーか!」というツッコミはなしにしよう! なにせシェイクスピアだから! これは喜劇だから! 大らかな心でどうぞ)



ところがロザリンドは思いがけずオーランドーの熱い恋心にふれた。しかし「わたくしがロザリンドよ」と名乗りを上げることもできないほど状況はねじれている。男のふりをしたロザリンドに惚れちゃう女まで出てくる始末。

もつれにもつれた恋の糸を前にしてオーランドーたちは叫ぶ。


「どうしてあなたに恋しちゃいけないんだ!」


いいえ、いいえ、オーランドー様! 小栗様! 恋しちゃいけないなんてそんな法律はございません! たとえあったとしても、あなた様のためなら、わたくしは法に背くことも厭いませんわ!

そんなセリフを勝手につくって叫びたいほど小栗旬くんの憂い漂う端正なお顔立ちが素敵でございます。こちらの胸まで本気で苦しくなるような気がいたします。

笑いに満ちあふれたお芝居ながら、こういう場面では客席がシーンと静まり返ります。苦さと甘さが分かちがたく混じり合った恋の味は、シェイクスピアの時代であろうと、現代であろうと、変わらぬものでございましょう。

大ざっぱなストーリーに過剰すぎるほど修飾されたセリフが飛び交う芝居ではありますが、よ〜くかみしめてみると不変の真理がそこかしこにちりばめられている。やはりシェイクスピアは偉大な劇作家なのだなぁ。



最後にはロザリンドの「魔術」によって4組のカップルが誕生いたします。まあ魔術っつったって要はロザリンドが正体を明かせばいいのですけれどもね。

ただでさえ恋には苦しみが伴うものであり、そのうえ変に自分を偽るとロクなことはない。しかし人間は得てして複雑な状況に自分を追いこみがち。そんなときには「自分に素直になる」ことほどシンプルで強力な魔術はないのかもしれません。

2007年08月27日

「世界征服」は可能か?(岡田斗司夫)

つい最近、「ゾラ・一撃・さようなら」の感想の冒頭で、僕はお金持ちにはなりたくないのだ、という話を書いたのだけど、その話まさに本作の感想で書くべきないようでした。いやはや、タイミングを見誤ったなぁ、というか。
その感想の中で僕は、お金持ちになりたくない理由を二つ書きました。一つは「お金持ちになってもやりたいことがない」で、もう一つは「お金持ちになったらめんどくさいことばっかりだ」というものです。この二つが、本作の流れに非常によく合っているわけです。著者の岡田氏は、アニメで世界征服を謳う悪の組織には、「世界征服をしてどうしたいのか」というビジョンが見えないし、またいろいろと考えてみると、「世界征服をしたらいろいろめんどくさいことがあるよ」と言っているのです。うーむ、まさに僕がお金持ちになりたくないという話と同じではないですか。
さて、子供の頃に世界征服なんてものを夢見たことがあるでしょうか?僕は子供の頃「ヤッターマン」とか見てましたけど(本作でもちょっとだけ「ヤッターマン」の話が出てきて懐かしかったです。「タイムボカン」シリーズは面白かったなぁ)、でも別に世界征服とかには憧れなかったと思います。世界征服なんかできっこない、とかそんな醒めたことを考えていたわけではないとは思うんだけど、どうせ世界征服をしようとしても正義の味方が現れるしなぁ、ぐらいのことは考えていたかもしれないですね。まあ子供の頃のことはさっぱり覚えていないのでわかりませんが。
そういえば唐突に変なことを思い出しました。世界征服と多少は関係あるんではないかと思います。
小学校だかの卒業の時に、なんか文集とか作るじゃないですか?クラス毎にページがあって、各クラスがクラスメイトの紹介を含めてページをどうするか決めるんですけど、確かウチのクラスは、将来誰がどうなっているかというのを勝手に予想する、みたいな企画だったような気がします。正確には覚えてないんですけど、そんな感じだった気がします。でもその予想は一体誰がしたんだろう?思い出せませんね。
その僕の予想の欄に、「総理大臣」とか書いてあった気がします。「大統領」とかだったかな。あんまり覚えてないですけど、そんな感じだったと思います。なんだか知りませんが、当時の同級生の目から見たら、こいつはまあ総理大臣にしとけ、みたいな感じに見えたんでしょうかね。総理大臣になるというのは世界征服とは関係ないですけど、でもある意味で支配するということに繋がるので書いてみました。変なことを思い出したものです。
さてアニメとか特撮ヒーローの話ですが、よく世界征服という設定が出てきます。で彼らはその目標を達成しようといろいろと頑張るわけですけど、そこに正義の味方が現れて悪の組織をコテンパにやっつけるわけです。で悪の組織の目論みはなかかな達成されない、というのが王道のストーリーなわけですけど、やっぱりおかしいですよね。
本作では、「悪の組織が敵を一体ずつしか出してこないのがおかしい」とか「世界征服をするのに人民を殺してしまうのはよくない」みたいなことを書いているわけですけど、僕が変だなと思うのは、何で自分たちの世界征服という目標を邪魔する正義の味方を仲間に引き入れようとしないんだろうな、ということです。
だって考えてもみてください。正義の味方というのは、とにかく毎回邪魔してくるわけです。悪の組織からすれば、別に正義の味方と戦うために敵を送り込んでくるわけではなくて、基本的には世界征服をしたいから、それには正義のヒーローが邪魔だから敵を送り込んでくるわけです。それには膨大な手間とお金が掛かるし、効率が悪いです。
だったら、その豊富な資金力にモノを言わせて、正義の味方を買収すればいいんじゃないか、とか思いますね。まあいろんな事情でそれは出来ないのかもしれないけど、少なくとも戦う前に出来る限りの交渉をしてみるべきではないかと思います。まああのアニメとか描かれているのは、その交渉が破綻した後で、もう戦う以外に選択肢など残されていないのだ、という状態なのかもしれませんけどね。
本作では、実際に世界征服をした実例も挙げています。
例えば北朝鮮の金正日です。彼は、自分の私利私欲のために一国を支配しているわけです。
ただ、この金正日の成し遂げた世界征服を分析することで、世界征服における構造的な問題点というものが浮かび上がってくるわけです。
それは何かと言えば、結局金正日が欲しいものは北朝鮮内のはない、ということです。
金正日は北朝鮮を支配しているわけで、もちろん何でもし放題です。物量という点では圧倒的です。どんなものでもどんな量でも手に入るし自由です。
しかしそれでも金正日は満足出来ません。何故か。それは、北朝鮮内部からは面白い娯楽が生まれないからです。
金正日は北朝鮮を支配することで、人民に不自由な生活をさせて自分だけ豊かになろうとしています。しかしそうすると、経済というものがうまく回っていきません。経済が上手くまわっていないところに面白い娯楽が生まれるわけがないのです。娯楽というのは、自由主義の原理の元で切磋琢磨が繰り返されるからこそ面白いものが生まれるのです。
だから金正日は大好きな映画を外国から輸入しなくてはいけないのです。一国を支配しているのに、娯楽は他国から輸入しなくてはいけない。つまり、暴力的に支配するだけでは世界征服のうまみはない、ということなのです。
では、世界征服を首尾よく成し遂げたとして、これからも自分は豊かで楽しく生きていきたいと思ったらどうするべきかと言えば、それは人民を豊かにしていくしかないわけです。ということは支配者である自分がしなくてはいけないことは何かといえば、世界を平和に保ち、経済を順調に回していくということになります。しかしそうなると、世界中のありとあらゆる問題の解決が自分に持ち込まれることになります。それを解決しないと世界の平和が訪れず、世界が平和でなくなれば自分も豊かに暮らして行けないからです。そうすると、折角支配者になったのに世界中の紛争を解決するだけの人になってしまうわけで、これはただめんどくさいだけです。
そこから著者が何を考えるかと言えば、世界征服にはうまみがあるのか、ということです。
少なくとも18世紀くらいまでならうまみがあった、と著者は言います。それは、まだ階級社会というものが残っていたからだ、と言います。
階級社会というのは何かと言えば、お互いの階級のことを理解しあうことの出来ない社会です。文化や娯楽のすべてが、階級によって断絶をしている社会です。
少し前のイギリスは階級社会だったそうです。例えば飲み屋の真ん中には仕切りがあって、一方を「パブ」、もう一方を「サルーン」と呼んで区別していたようです。「パブ」には労働階級が行き、「サルーン」にはアッパーミドルと呼ばれる人達は「サルーン」に行きます。
この違いは何かと言えば、出てくるビールは同じなのに「サルーン」の方が値段が高い、というだけです。他に違いはありません。つまり高い階級の人達は、階級が高いというだけの理由で高いお金を払う、それが階級社会なわけです。
また階級社会では芸術や娯楽もまるで違います。労働階級の楽しむ音楽と言えば街頭でのギターの弾き語り、貴族階級は専属の音楽団を持っている、という違いがあって、この両者は決して交わりません。労働階級が音楽団の音楽を楽しむことはまずないし、貴族が街中で立ち止まって弾き語りを聞くということもありえません。
こういう階級社会であれば、世界征服をするうまみはあります。つまり、異なる階級の文化や芸術を楽しむことが出来るようになるわけで、今まで出来なかったことが出来るようになるわけです。
しかし現在は階級社会というのはほとんどありません。自由主義というものが広まって、階層はあるけども階級はありません。この違いは何かと言えば、結局お金を出せば何でも手に入る世の中になった、ということです。
例えば今現在世界征服をしたとして、じゃあ何を望むかと言えば、出来る限り高いものを手に入れよう、というぐらいのものです。しかしそれだってお金さえあれば手に入ってしまうものであって、わざわざ苦労して世界征服をしなくたってどうにかなる類のものです。世の中のものにはありとあらゆるものに値段がついてしまっていて、逆に一部の特権的な人だけに与えられるものというのはほとんどありません。どんなに高価なダイヤだって、お金さえあれば僕だって買えます。この1億円のダイヤは、年収が1兆円以上ある人にしか売りません、なんていうことにはなりません。また映画だって、特権階級の人専用のものが作られることはありません。貧乏人も支配者も同じものを見ます。そんな世の中において、世界征服というものはあまりうまみのないものになってしまったというわけです。
じゃあもし今世界征服をするとすればどういう形になるのか、ということを著者は考察します。それにはまず、悪とは何かという定義が必要です。
悪というのは結局のところ、現在の価値観を否定すること、になるわけです。バブル時代の悪は「お金があるのに儲けない」ことで、バブル後の悪は「お金のことしか考えない」になるわけです。
じゃあ現在の価値観はどう形作られているかと言えば、それは「自由経済」と「ネットの情報」です。つまり、「おのには適正な値段がついている」とか「ネットの情報に頼って考えることをしなくなった」というものです。となれば、これに対するものが悪ということになります。つまり、「高くても敢えてこれを買う」とか「ネットではなく周囲の人間の意見を大事にする」というようになるわけです。これらを目指すことが現在における世界征服になるわけです。なんだかロハス的なボランティア団体のようで、全然悪の組織という感じがしませんが。
アニメなんかでよく出てくる「世界征服」という設定について大真面目に考えてみた作品です。
本作はまあ最近割と話題になっている作品ですけど、なるほどなかなか面白い本だな、と思いました。
初めこそアニメとかの設定を真面目に考えるという感じで、こういうアニメに突っ込みを入れる感じの本なんだろうな、と思っていたら、中盤から後半に掛けて結構真面目な感じの内容になっていきました。
世界征服をするためには組織を作らなくてはいけない、という話からその組織をどう運営していくかというところまで語っていて、これはまさしくビジネスの話だな、と思いました。また、世界征服の構造的な問題を指摘したり、あるいは織田信長やチンギスハンなど歴史上世界征服を成し遂げた(あるいはその寸前までいった)例なんかも挙げていて面白いなと思いました。
個人的には、世界征服をする過程で資金を集めなくてはいけないのだけど、その資金集めがうまく行き過ぎて世界征服なんかどうでもよくなってしまうのではないか、というような辺りがなるほどなぁと思いました。確かに世界征服にはお金が掛かるでしょうけど、そのお金を稼ぐことが出来るならばもうそれでいいんじゃないか、と思ってしまいそうになりますね。何でわざわざ世界征服なんてめんどくさいことをしなくちゃいけないのか、って話になります。
またドラゴンボールに出てくる「レッドリボン軍総帥」の話も、あぁそんな奴もいたなぁとか思って面白かったです。彼は悪の組織を率いて、何でも願いの叶うドラゴンボールを部下に探させるんですけど、その目的はなんと、自分の背を高くすること、だったわけです。部下たちは総帥が世界征服を目指しているものだと思って一生懸命頑張っているのに、その総帥はなんと自分の背を高くするためだけに部下をこきつかっているわけで、そりゃあ部下もやってられないですよね。
まあそんなわけで、真面目な部分と面白い部分が入り混じっている本だな、と思いました。もちろん、全然真剣に読むような本ではないんですけど、暇つぶしにさらりと読むにはなかなかお手ごろな本ではないかと思います。もちろん世界征服なんて荒唐無稽なわけですけど、でも北朝鮮みたいな例もあるわけでなんとも言えませんね。というわけで、読み方によってはいろいろ考えられる本でもあると思います。興味のある人は読んでみてください。

岡田斗司夫「「世界征服」は可能か?」


「世界征服」は可能か?新書

「世界征服」は可能か?新書

2007年08月27日

夜明けの街で(東野圭吾)

そもそも僕は、結婚というものに対してあまりいい印象がないのだ。積極的にしたいと思えるものではない。一生しないかといわれればそんなことはないと答えるしかないが、しかししない可能性の方が高いだろう。まあそもそも出来ないとは思うけど。
僕が嫌だなと感じるのは、結婚というのがあまりにも巨大なイベントであるという認識である。僕はこれが、ありとあらゆる人間の人生を縛っているのではないかと思うのだ。
例えば一例を挙げよう。周りの人間も皆そうだけど、ほとんどの人は大人になるとサラリーマンになる。もちろん、資格を取って自立するような人もいるだろうし、あるいは起業するような人もいるかもしれないが、まあ何にせよ、社会的に安定した基盤を築こうとするのだ。
まあ確かに当然かもしれない。社会人として生きていくのは何らかの仕事をしていることが当然だとは思うし、自立して生活をしていくにも仕事をすることが必要だろう。しかし、ここからは僕の想像だが、皆がサラリーマンになるのには結婚という要素も大きく関わっているのだろうと思うのだ。
つまり皆、結婚するために、あるいは結婚するという可能性を消さないためにサラリーマンになるのではないか、という風に考えてしまうのだ。結婚するためにはどうしたって経済的に安定していることが必要だし、技術も資格も才能もない自分は経済的に安定するにはとりあえずサラリーマンになるしかないだろう。そんな発想がないとは言えないだろうし、というか間違いなくあるだろうと思うのだ。そのために皆、やりたくもない仕事をし、下げたくもない頭を下げ、飲みたくもない酒を飲むのだ。結婚するために、である。
おかしなものだ、と思うのだ。僕は別にそういうことを嫌ってフリーターをやっているわけではないけど、しかし結婚の可能性を減らさないようにサラリーマンになる、というような発想は絶対に嫌だなと思うのだ。何かが間違っていると思うのだ。まず自分の生きたいように生きて、もしその生活と寄り添える人がいればその人と結婚をすればいいのに、人々はまず結婚をするということが頭にあってそれに向けて人生を設計しているように思えてしまうのだ。
確かに昔から結婚というのは一大イベントだっただろうとは思うのだ。しかし時代は大分変わったのだ。以前であれば、結婚しないということはそれだけで人間としての評価が下げられるようなものだったし、そもそも結婚をしないという選択肢がなかったのだとは思う。しかし今は、結婚しなくたってそこまで評価が下がるわけでもないし(まあ女性はまた違うかもしれないけど、男はそうでもないだろう)、結婚をしないで生きていくという選択肢だって十分に確立されていると思うのだ。
しかしそれでも人々は、とにかく結婚することを考えている。結婚することを一つのゴールと考えているように思う。僕にはそれがどうしても不思議で仕方がない。
結婚をゴールにしたってどうにもならないだろう、と思うのだ。結婚というのは一つの通過点でしかないわけで、それは高校に入学するとか、会社に就職するとかそういうようなことでしかない。それぞれのことはもちろん大事だが、しかしそこから新しく何かが始まるのだ。
しかし結婚の場合、そういう発想は二の次三の次にされる。結婚してから始まる新しい生活についてはとりあえずおいておいて、まず結婚するということを優先にするのだ。結婚のどこにそんな魅力があるのか僕にはさっぱり理解できないわけで、ちょっとおかしいなぁ、と思ったりする。
僕の理想としてはこんな感じがいい。付き合っている女性がいるとして、まあ別段普通の付き合いをしているわけだ。お互いに、結婚がどうとかそういう話をすることもなく、お互いに相手の収入がどうとか料理の腕がどうとかそういうことを特に考えもしない。で、何でもない時、まあ例えばテレビでも見ているような時に突然僕が、「結婚でもしてみる?」とか言って、相手の方も「ああいいねぇ、しようか」みたいなそんな感じで、で特に何も変わることなくとりあえず婚姻届だけだして、またそれまでと特に変わらない生活をする。こんな感じだったらいいなぁ、と思うのだけど、まあそうなることはまずないだろうな、と思う。
さてそれで浮気の話である。僕は思うのだけど、結婚をあまりに巨大なイベントにしすぎるから浮気が起こるのだと思うのだ。
つまりこういうことである。結婚を一大イベントだと考えて結婚したある夫婦は、まあ新婚の時はいいとしても、次第に生活が色褪せてくる。結婚をした時が二人のピークで、後は下がっていくだけの生活だ。それに、結婚する前はお互いに、相手を振り向かせようとして一生懸命努力をしてきた。つまりお互いのいいところだけを見てきたのだ。しかし結婚をすると、安心感からそんな努力も放棄するようになる。悪い点もどんどん見えてくる。
そうなると、何か刺激を求めたくもなるし、つまらない日常から脱却したくもなる。そうなると、誰か別の異性との交際が楽しくなったりする…。
みたいなことではなかろうか。浮気はすべて、結婚というものに浮かれすぎた夫婦の元に起こるのではないか、と暴論を唱えてみることにする。
僕が上で書いた理想のような結婚であればそんなことはないような気がする。そもそも結婚というのは一つの通過点でただの区切りでしかないわけで、結婚する前と後で特別何かが変わるというわけではない。今までだってそういう生活を続けてきたわけで、だから何も変わらない。結婚というのはただ婚姻届を出した日ということなだけで、イベントでもなんでもない。そんな夫婦なら、そもそも浮気という発想にもなりにくいのではないかと思う。
結婚するのが嫌な理由をもう一つ思い出したけど、そうそうついさっき書いたことだけど、結婚をするとお互いに努力をしなくなるということだ。つまり、結婚をした瞬間から相手の悪い面も見なくてはいけない、というのが嫌なのだ。もちろん人間にだっていろいろ嫌なところはあるわけでそれを見たくないと言っているわけではない。そうではなくて、結婚という区切りを境にそれを見なくてはならないのが嫌なのだ。どうせなら、付き合っている頃から悪いところは出していかなくてはいけないと思う。それで相手に嫌われたって、それは仕方ないだろう。お互いに合わなかったというだけの話で、結婚前にそれが分かってよかったということにもなる。
しかし実際はそういうことにはならなくて、お互いにいい面ばかりを相手に見せようとする。だからこそ結婚してからの変化も急激なものに感じられるわけで、悪循環であると思うのだ。
もう少し時代が進んで、結婚というのがイベントでも何でもないという時代にならないだろうか。それこそ、ピザでも頼むかのように結婚出来るような世の中であれば楽なんじゃないかと思うんだけど。
うーむ、浮気の話を書こうと思ったんだけど、全体的に結婚の話になってしまった。僕はまあ個人的には浮気はいいと思っているんだけど、この「いい」というのは相手がしてもいいということでもあって、まあなんというかそんな感じ。まあしょうがないんじゃないかな。好きになっちゃったら、そらしょうがないでしょ。
そろそろ内容に入ろうと思います。
僕はそれまで、浮気をする奴なんかアホだと思ってきた。妻も子供もいるのに女性と付き合って家庭を壊すなんて愚の骨頂だと。
だからそんな自分がまさか浮気をすることになるとは思わなかった。
会社に秋葉という派遣社員がやってきた。31歳。歓迎会では、結婚しない相手とは付き合いたくはないし、彼氏が浮気をしたら殺すとも言っていた。僕は最初は別に彼女になんの興味も持っていなかった。
きっかけは、バッティングセンターで偶然会ったことだ。僕は大学の友人と飲んでいたのだけど、流れで彼女も入れてカラオケに行くことになった。そこで彼女は酒をたくさん飲んで酔っ払い、僕が送る羽目に。だからってどうにかなったわけではなくて、彼女は僕の背中でゲロを吐いてぐらいだ。
翌日。彼女の方から待ち合わせのメールがあった。汚れたスーツを返してくれるのだろうと思ったのだけど、彼女はそれをお金で返すという。それに彼女は謝っていない。それを指摘すると、じゃあとりあえず明日また、という話に。何だかおかしなことになったなぁ、と思いはするものの、久々に若い女性とのやりとりで楽しいというのもある。
そんなきっかけで彼女と親しい仲になっていった。友人の助けもあって、クリスマスイブを一緒に過ごしたりもした。僕の心も次第に彼女の方へと傾き、彼女と一緒になりたいと思うまでになっていった。
しかしある時、彼女から思いもかけない話を聞かされる。かつて実家で殺人事件があったというのだ。その時はそれだけの話だったが、しかしその後いろんな人からの話を聞くに、どうも秋葉がその殺人事件の重要参考人と目されているらしいということが分かってくる。
彼女とは一緒になりたい。しかし彼女は本当に殺人犯ではないのか…。僕の心は大きく揺れ動いていた…。
というような話です。
さてこの作品ですが、僕がちらほた聞いていた前評判はどれもあまり芳しくないものでした。で読んでみての感想ですが、確かにこの作品は、東野圭吾の作品としてはちょっと劣るなぁ、というものでした。
後半ミステリ展開になるのだけど、しかしあくまでも全体的には不倫の話が中心で、それがあんまり面白くない感じです。妻側の視点がない、というのも一つの理由かもしれないな、と思ったりもしました。基本的に主人公と不倫相手の視点ばかりで、妻がどう思っているのかという描写がなかったので、ただ主人公と秋葉が普通に付き合っているような感覚であまり緊迫感がなかったような気がしました。
また後半に出てくるミステリ的な展開というのもそこまで大した話ではなく、そこまでびっくりという感じではありませんでした。
割といいなと思ったのは、主人公と秋葉が不倫関係に陥っていく初めの過程で、なるほどこんなやりとりがあれば僕も引き込まれてしまうかもしれないなぁ、と思いました。なかなか自然な流れではないかな、と思いました。
というわけで今回はあまり東野圭吾らしさを感じることの出来ない作品でした。まあ毎回傑作を書けるというわけでもないでしょうからね。これは仕方ないとは思いますが。次回に期待をしましょう。

東野圭吾「夜明けの街で」


夜明けの街でハード

夜明けの街でハード

2007年08月26日

「きみはポラリス」三浦しをん

きみはポラリス
きみはポラリス
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 1,680
  • 発売日: 2007/05
  • 売上ランキング: 105647
  • おすすめ度 3.0


三浦さんのエッセイはけっこう読んでいます、私。
だからなんだか最近三浦さんが本当に友達みたいに感じてしまってます。
ブログも読んでるし。ああ、風林火山好きなんだ、私もー。みたいな。
こんなに親近感覚えてる作家もこの人しかいません。
だって気が合うんだもんきっと。

だからこそ小説は冷静に読めない部分もあって、いいんだか悪いんだかです。
(自称)お友達のしをんさんの恋愛小説集は、ちょっと気恥ずかしいような、
でもしをんさんの本心を覗き見しているかのような、そんな不思議な感覚で
読んでしまいました。

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