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2007年06月30日

2007年4月〜6月のドラマについて。

「今年の梅雨は少雨かも」と予測されてる2007年6月。

そんな6月に最終回を迎えたドラマについて……。



第1位 日本テレビ『セクシーボイスアンドロボ』 火曜10時

やっぱり私は木皿泉さんという脚本家のドラマが好きなのだ!――と明確に認識させられた作品。ドタバタなストーリーのようでありながら、深いものを感じさせてくれました。

視聴率が伸び悩んだと聞きましたが、タイトルに「セクシー」とついちゃうと女性は遠慮するかな? 原作が男性向けの漫画らしいので(読んだことはない)、男性の目を意識したタイトルなんでしょうけど。

面白かったですよ。浅岡ルリ子さんが素敵だったなあ。ゲストとして小林聡美、もたいまさこ、ともさかりえのお三方が登場したのも嬉しかった。

途中、「ドラマの中の場面が現実の事件を想起させる」ということで放送されない回があったのは残念ですが、やむをえないでしょう。テレビの影響力は大きいし、恐ろしいほど短絡的な考え方をする人が世の中にいることも事実です。

放送されない回は仕方ないにしても、それ以降のストーリー展開に何か影響があったんでしょうか。次回予告をしなくなったので、もしや急に脚本を書き換えたりしておられたのではないかと、ちょっと気になりましたが……

木皿さんのドラマには今後も注目していきたいと思います。


セクシーボイスアンドロボ 2 (2) セクシーボイスアンドロボ 2 (2)
黒田 硫黄 (2003/02)
小学館

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第2位 日本テレビ『喰いタン2』 土曜9時

今回は1位と2位との差が、ものすご〜く大きいと思ってください。

最初の『喰いタン』は好きですが……『2』では視聴者が子供であることを意識しすぎかな。やや説教くさい気がしました。

特別編ってことで時代劇バージョンがありましたね。東山紀之さんはカツラが似合います。


喰いタン 8 (8) 喰いタン 8 (8)
寺沢 大介 (2007/04/23)
講談社

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第3位 フジテレビ『プロポーズ大作戦』 月曜9時

最終回で長澤まさみチャンが着ていたドレスがとっても綺麗でした。ドレスの裾をたくしあげて走る場面を想定して作られてるのね。オフホワイトのスカート、その下に薄いブルーとピンクの2層になったパニエ。

「長澤まさみが着てたドレスでお式を挙げたいな〜」という女性が多いことでしょう。


でも……すみません。ドラマのほうは、わたくし、合計視聴時間が1回の放送時間にも満たなかったと思います。

だって結末が読めるじゃない? あの流れで最終回まで来て、まさみチャン演じる女の子が主人公(山下智久)と結婚しなかったら、ブーイングの嵐でしょう。

来るべき最終回が来たって感じかな。


ドラマコミックス プロポーズ大作戦(上) ドラマコミックス プロポーズ大作戦(上)
脚本・金子 茂樹/画・遠藤 さや (2007/05/22)
扶桑社

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さて7月からはどんなドラマが登場するでしょうか。

新作ドラマの予告をチラチラと見る限りでは、うーん……年齢的に私には合わなそうだけど、あまり考えずに素直に見れば楽しめるのかも。

2007年06月30日

瀬戸内寂聴【秘花】

評伝ものが好きです。

ただし世阿弥(ぜあみ)は室町時代の能役者。著作は残っているものの、2007年の今では調べても分からない部分が多いわけです。


秘花 秘花
瀬戸内 寂聴 (2007/05)
新潮社

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たとえば最相葉月【星新一 一〇〇一話をつくった人】は、関係者に取材し膨大なデータを駆使して、著者自身の感情を排除して書かれたノンフィクション。

星新一 一〇〇一話をつくった人 星新一 一〇〇一話をつくった人
最相 葉月 (2007/03)
新潮社

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かたや本書はデータを踏まえたうえに著者の想像を広げて書かれ、ノンフィクションというより小説の香りが強い。



まずは世阿弥の基本データ。

観阿弥(かんあみ)を父にもち、幼いころから芸を仕込まれて育ちました。ときの将軍・足利義満がパトロンになり、若く美しい世阿弥は都のスターになります。

しかし72歳のとき、六代将軍の足利義教によって、何の罪もないのに島流しにされてしまいます。



物語は漆黒の闇で始まり、著者の生みの苦しみと作品に対する執念、そして世阿弥の芸に対する執念が絡まり合うかのようです。

つづく一章では、序章の闇をざっくり切りひらくかのように、広々とした海の景色がぱーっと広がります。

とても映像的なオープニング。



世阿弥は佐渡へ向かう船に揺られながら、これまでの人生をゆっくりと振り返ります。

若いころは絶世の美少年で、義満将軍に一目で気に入られます。



……足利義満って両刀遣いなんですね、ええ。

このとき世阿弥はわずか12歳。現代ならば義満公は間違いなく逮捕されるでしょうが、なにせ室町時代です。将軍こそがルールブック。誰にも止めようがない。

また、一座をひきいる観阿弥が芸で都を制覇するためには、将軍のお墨付きがどうしても必要で、それを勝ち取るための武器が、息子の世阿弥の美しさだったわけです。

将軍と世阿弥が寄り添うシーンは妖しく芳しい色香が漂い、毒気にあてられて目まいがするようです。



足利尊氏という偉大な祖父を持ち、地位も財力も生まれながらにして備わった義満。きれいな男や女を常に身の回りにはべらせ、その日その日の気分で選んだ一人を寝室に「お持ち帰り」しちゃう。

かたや芸事ひとつで生きる観阿弥・世阿弥親子。将軍をはじめとする高貴な人々に気に入られるためには、芸だけ磨けばいいってものじゃない。漢詩や和歌など基本的な教養を身につけ、蹴鞠(けまり)をおぼえ、酒の席での礼儀作法や気配りを忘れない。



そうやって懸命に心を尽くしても、将軍が代替わりすると状況は一変。世阿弥に代わる新しいスターが将軍の寵愛を受けます。いっぽう家庭内では跡継ぎを誰にするかという問題も浮上します。

その挙句、まるで石ころがポーンと蹴り飛ばされるように都を追われる。

華々しい過去を持つ世阿弥だけに、島での生活が始まった当初は苦悩しますが、やがて苦悩を超越して悟りの境地に入っていきます。このへんの描き方は仏門に入られた寂聴先生らしい感じがします。



本書の一章から四章のうち、三章までは世阿弥の視点で書かれますが、四章は島で世阿弥の世話をした女性の視点です。

世阿弥が島でどんな晩年を送ったのかは、データ的にはよくわかっていないんですね。だからこそ寂聴先生はご興味をもたれ、その心中を探ってみたいとお思いになられたのでしょう。

この「四章」のために、一章・二章・三章があると言ってもいい。

それはそれは美しいです。せつないです。



もうねぇ……ラストはただただ泣きました。

横尾忠則さんによる装幀と題字もすごくいい。書店で表紙だけでも眺めてみてください。

2007年06月29日

古本屋開業入門(喜多村拓)

昔僕が住んでいた街(と言っても、今住んでいるところから二駅しか離れてないんだけど)には、駅周辺に古本屋が四軒もありました。
と先に書いておかなくてはいけないのが、古本屋とは何か、ということですね。僕が普段古本屋という時は、それはブックオフみたいなところを指しますが、しかし今回の感想ではちょっと言葉を分けましょう。ブックオフのようなところを「新古書店」、昔ながらの頑固なおじさんがやってそうな古本屋を「古本屋」と呼ぶことにしましょう。
そういう意味で言えば、その前に僕がいた街にあったのは、新古書店が2二軒と古本屋が二軒となります。
どれもそこまで規模としては大きくなく、新古書店の方もたぶんどちらもチェーン店ではなかったような気がしますが、とにかく僕はその四軒を結構回って本を買ったものでした。
僕は大抵本を新古書店で買います。本屋で働いているのに、と言われそうですが、確かにその通りです。ただやはり普段から大量に本を買っているので、なかなか普通の本屋で買うとお金が大変です。僕の場合は、新古書店で買った本を読み、それで得た知識を元にお客さんにいい本を勧めている、と解釈して自分の中でオーケーにしています。
話がずれましたが、そんなわけで僕はよく新古書店に行きます。引っ越したりとかすると、結構すぐに新古書店探しをしたりします。もちろん同時に普通の本屋も探しに行くのですが、古本屋を探すということはあまりないですし、古本屋に本を買いに行くということもあまりありません。
その前によく行っていた古本屋二軒も、大抵買うような本はありませんでした。どちらも、こんな本誰が買うんだろうなぁ、というような本がずらりと並んでいて、とても商売が成功しているようには見えませんでした。売れない本がたくさん並んでるな、とそんな印象です。
時々新古書店に本を買い取ってもらうことがありますが、誰もがそう思うでしょうが、買取額はすごく安いですね。そこから考えると、すごく儲かってるんだろうな、とか思ってしまうのだけど、どうもそうでもないようです。仕入れた本のほとんどが売れないわけで、それを見込んで安く買い取らなくてはやっていけない、とのことです。
確かに、今僕がよく行っている新古書店があるんですけど、そこもずっと同じような本が棚にささっています。もう2年くらい通っていると思いますが、2年間ずっと売れていない本がほとんどといった印象です。回転しているものはほんの一部で、ほとんどが不良在庫なのだろうな、という風に思ったりします。
今はネットで古本屋を始めるのがブームだそうで、セドラーと呼ばれる若者達が生み出されてきているようです。
セドラーというのは、「せどりをする人々」という意味ですが、じゃあ「せどり」って何だよ、って話ですね。「せどり」とは、ある古本屋で何故か相場より安く売られている本を見つけ出し、それを他の古本屋に転売して利益を出す仕事のことです。
このせどりというのは昔から古本屋業界に存在したようですが、最近では若者がこのせどりをしているようです。場所はなんと、ブックオフの100円均一コーナー。そこから若者達は、まあそれなりに売れそうな本を抜き出しては、それをネットで売っているんだそうです。まあ儲からないでしょうけど。
儲からないと言えば、とにかく古本屋という仕事自体が儲からないようです。最近は人々が本を読まなくなったこともあって、確実に本の需要が減っているのだそうです。僕も、本屋で働いていてそんな印象は受けます。売れる本は売れますけど、売れない本はまったく売れないという二極化という感じですね。
そんなわけで取りとめもなく古本屋についていろんな話を書いてみました。そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、青森で古本屋を営んでいる著者が、古本屋開業のノウハウを具体的に細かく書いた本になります。
とにかく本作は、細かな実際的な仕事や手続きなどについて書かれていて、非常に実践的です。これを読めば、明日からでも古本屋を開業できそうな、それくらい具体的な仕事内容が書かれています。だから、これから古本屋を始めようと思っている人には最適なテキストになると思います。
ただ、本作はそういう古本屋開業について詳しく書かれた本ではありますが、それは「みんなも是非古本屋を始めましょうね!」という思想で書かれた本ではありません。それとは逆に、「ほら古本屋というのはこんなに大変なんです。だから止めた方がいいですよ」という思想で書かれた本です。
とにかく本作の中にも随所に書かれていますが、本が好きでないととてもじゃないけどやってられない商売です。脱サラしてまで古本屋を始めようという人が相談にくるらしいんですけど、「前もらってた給料を大きく下回るのは間違いないから止めた方がいい」というそうです。それくらい儲からないし大変な仕事なわけです。
こういうハウツー本としては珍しいと思います。大抵、「これはオススメだからどうぞ!」という紹介をするために本を書くのに、本作の場合、「これはオススメできないから止めた方がいいよ」という紹介をするために本を書いているからです。まあありえないですけど穿った見方をすれば、これ以上同業者を増やさないように敢えて厳しいことを言っている…なんてことはまあないでしょうね。
本作の著者がやっている古本屋は、なんというか厳密には古本屋ではありません。店売りはやっていなくて、完全にネット販売のみです。以前は普通の街の古本屋さんとして店売り一本でやっていたのですが、万引きに悩まされ続け、やむなく店売りを諦め、倉庫を借りてそこに在庫を押し込み、ネットでの販売一本に踏み切ったようです。店売り以上に煩雑な手間の掛かるネット販売だけでやっているわけで、万引きには悩まされないかもしれませんが、それはそれで大変だろうなとやはり思います。
というわけで、これから古本屋をやろうと思っている人(店売り、ネットを問わず)は、是非とも読んだ方がいい本だと思います。これだけ大変な仕事内容を読み、また著者も止めた方がいいよと警告している中で、あなたは古本屋を開業する勇気がありますか?ということを問われる本です。読んで損することはないでしょう。もちろん、古本屋を開業するつもりのない人でも、ただの読み物として面白い本になっています。もちろん僕も開業する予定はまったくありません。読んでみてください。

喜多村拓「古本屋開業入門」


古本屋開業入門は―d

古本屋開業入門ハード

2007年06月28日

ミステリーの書き方(ローレンス・トリート)

結構前の話であるが、小説を書いてみようと思ったことがある。僕は年号に弱いので正確には分からないけど、たぶん3・4年くらい前の話だ。
その頃僕はかなり参っている状態で、社会に対して恐ろしく後ろ向きだったために、僕はもはや作家として生きていくしかない、というわけのわからない発想の元、アホみたいに文章を羅列していたのである。
僕は記憶力にすこぶる自信がないのでこれまた正確なことは覚えていないのだが、確かほとんど誇張なしに一日中キーボードを叩き続ける生活を一ヶ月くらい続けていたような気がする。そうやって確か、原稿用紙500枚くらいの文章を書き上げたのだ。
一応僕としてはミステリのつもりであって、その前に小説を書いているつもりだった。しかし、読み返して思ったのは、なんじゃこりゃ、ということであった。もしこれを小説と読んでいいなら、ドブネズミさえミッキーマウスと呼んでいいことになるだろうと思えるくらいだったのである。
まあそのくらい酷い代物だったわけで、その後僕はなんとかその酷い代物を、細かい部分を改変することでなんとか小説に近づけることは出来ないものだろうか、と苦心惨憺したものであるが、しかし貧弱な土台の上に高層マンションは建たないように、僕の文章もどうあがいたところで小説という名前を冠することが出来るようなものには変わらなかったのである。まあ当然だ。自転車をポルシェに変えるようなものだ。
そのデータファイルは未だにパソコンのどこかに眠っているし、紙に印刷した状態でも確かどこかにあるはずだが、しかしもう全然見ていない。おぞましいくらいである。消し去ってしまいたい過去であるが、生来の貧乏性なので、どうもデータを消せないでいたりするのだ。
まあそんなわけで以後一度も小説を書こうとしたことはないのだが、しかし今でも作家への希望というのは持ち続けている。もちろん、なれるとは思っていない。なれたらいいな、という程度のものである。アイデアを書き溜めているわけでもなければ、文章の練習をしているわけでもない。本当に何もしていないのである。まあ、作家はデビューが遅いのが結構普通であるから、そこまで急ぐことはないだろう、と最近では思っている。
さてというわけで、当時僕がどうやって小説もどきを書いていったのかを思い出してみるのだが、手法とかスタイルとかそんなものがあるわけでもなく、ものすごく適当であった。起こる事件の大体の概要を考え、主人公の大体の動きを考え、それから特に何をまとめるでもなくいきなり書き始めたのだったような気がする。そんな状態だから、書いている間も矛盾だらけで、あれここはどうすればいいのだろう、と困ってさらに深みにはまったことも何度もあるのだ。
作家はよく、プロットというものを作る。プロットとは、初めから最後までこういう流れで物語が進んでいく、とううものを書いたもので、僕が知っている中では、プロットを1000枚書く人もいるらしい(つまりプロットを何度も書き直すことでそのくらいの枚数になる、ということだと思う)。しかし、僕にはどうしてもプロットが書けると思わないのである。なぜなら、僕が飽きっぽいからだ。僕の場合、もし万が一プロットが作れたとしたら、そこからの執筆が急にめんどくさくなるような気がするのだ。なんだ、もうこのプロットで物語は完成ではないか。じゃあ書かなくてもいいや、という感じである。なんか、物語の先の先まであらかじめ決まっているというのは、どうにも面白くないものだ、と思ってしまうのだ。しかし恐らく、凡人であればプロットを作るしかないのだろうな、とも思う。
世の中にはなかなかすごい作家がたくさんいて、プロットを作らないという人もいる。例えば伊坂幸太郎は、現在どうかは知らないが、「重力ピエロ」や「ラッシュライフ」などの作品はプロットなしで、あんまり構想も固まっていないまま書き始めたのだそうだ。
もっとすごいのは森博嗣で、森博嗣が自身で書いているところによると、頭の中にトリックも何もない状態から物語を書き始める、という。とにかく1行目を書く。書きながら次の行を考える。そうやって書いていくうちに登場人物が決まり、事件が起こり、トリックが浮かぶのだそうだ。無茶苦茶としかいいようがないが、しかしそういう作家も実在するのである。
まあそんなわけで、作家にもいろんなやり方があるということだ。それぞれ違うと言ってもいいだろう。誰か一人の手法を学ぶことが有効であるかは分からないが、多くの人の手法を知ることは、限りなく有効ではないか、と僕は思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、アメリカ探偵作家クラブ(恐らく日本で言うところの日本推理作家協会みたいなものなのだろう)に所属する人気ミステリ作家達が、自分たちの執筆の秘訣を出来る限り書いたもの、である。
世の中には、小説の書き方、みたいな本が結構あるけど、中でもミステリの書き方について書かれた本というのは有効だ。何故なら、他のジャンルはそうでもないが、ミステリというジャンルはかなり形式を持った分野だからだ。つまり、暗黙のルールのようなものが存在するジャンルなのである。そういう限定された条件の中で書かれてきたジャンルであるからこそ発展してきたのだし、また素晴らしいミステリ作家を生み出し切磋琢磨することでこミステリというジャンルをより発展させようという気持ちの元で、本作が生まれたのである。
本作が日本で出版されたのが1984年で、だからアメリカで出たのがもっと古いと思うのだが、とにかく内容的にちょっと古いことは否めないだろうと思う。また、日本での話ではなくアメリカでの話ということで、原稿応募や文法などの話でどうしても日本の事情と合わないこともある。しかしそれを抜きにしても、全体として非常に有益な作品であると僕は思う。
本作は、大きく二つの種類の文章に分けられる。
一つは、クラブに所属する作家達へのアンケート結果をまとめた項である。「何故作家になったのか」「テーマはどうやって決まるのか」「いつ執筆するのか」というようなことについてのアンケート結果について、編者であるトリート氏が厳選し載せているわけである。
もう一つは、ある作家があるテーマについてその手法を書いている項である。プロットの作り方や会話の運び方などありとあらゆることについて、それについて論じるのに適当であるとされた人々が真摯に自らのやり方を語っている。
本作が特に素晴らしいと思うのは、一人の人間のやり方が載っているわけではない、ということだ。
僕は、世の中に出回っているハウツー本についていつも感じていることがある。それは、「そのやり方はあなただからこそ成功したのですよね?」ということだ。
例えばダイエットを例にしてみよう。まあ株でも資格取得でもなんでもいいのだが。
世の中には様々なダイエット本があるが、それらはほとんど、「私はこうしたら成功しました」という話である。まあ確かに、誰かの成功体験を知るというのは無益なわけではない。しかしいつも思ってしまうのだ。それは、あなたの場合だからこそ成功したのでしょう?と。人はそれぞれ違いがあるわけで、一つのやり方で世の中の人すべてが成功するわけがないのである。それなのに、そういう思想で生み出されるハウツー本が世の中には多すぎると思う。
それに比べ本作は素晴らしいではないか。本作はとにかく、ありとあらゆる作家のありとあらゆるやり方が載っている。当然、それぞれのやり方同士に矛盾が出てくることもあるし、相容れない意見もたくさんある。しかしそれは全然構わないのである。いい作家になる唯一の方法などあるわけがないので、多くの人のやり方を知り、その中から自分に合いそうなものを選択出来るというのが非常に素晴らしいと僕は思いました。
本作に載っていることは、実際に書こうと思ってプロットなりなんなりを作っている人間でないとあまり実感できないようなものもあるのだけれども、今の僕の段階でもなるほどと思うようなこともある。中でも、「削除」という題の文章があり、そこではとにかく文章を削れと言っているのだけど、この手の話は何度も聞いたことがあるのに、やはりなるほどと思ってしまう。とにかく、削って削って削って削って削らなくてはいけないのである。また、一人称と三人称などの視点の問題や、あるいはワトソン役は必要だろうかという話もあって、非常に面白い。
ミステリに限らず、小説を書こうと思っている人にはかなり有益な作品ではないかと思います。ここに書かれていることを実践するかどうかはともかく、こういう考えの人がいて成功をしているのだ、ということを知るだけでも充分に意味があると思います。また、実際にすぐに自分のやり方に取り入れることが出来ることもあるでしょう。他の「小説家になるには」的な本をあんまり読んだことがないので比較は出来ないのだけれども、本作はかなりオススメできると思います。

ローレンス・トリート「ミステリーの書き方」


ミステリーの書き方文庫

ミステリーの書き方文庫

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