誰かに何かを伝えるために必要なものってなんなんだろうか。
僕はずっと、「力」だと思っていた。どんな形のものでもいい。権力や立場や、容姿や人気や、金や実績でも、とにかくどんなものでもいい、「力」のあるものの意見が通るし、「力」がなければ伝わるものも伝わらないのだ、と。
実際世の中は、「力」のある人間の意見によって支配されている。何らかの形で発言力を持った一部の人間が、その発言力をフルに活用して自分の意見を通そうとするそのあり方で、世界というのは動いているものだ。
だから僕は、「力」さえあればどんな意見でも通るものだろう、と思っていたし、「力」がなければどんな意見も通らないとまあそんな風に思っていたのだ。
しかし、最近違うかもしれないな、という風にも思う。
「力」を持った人間の意見は確かに通りやすい。しかし、自分の望んだ意見が通るのかといえば、それは違うのかもしれないと思うようになった。
「力」を持った人間が通すことの出来る意見は、自分が望んだ意見ではなく、あの人はこう望んでいるのだろう、と周りが考えた意見なのだ、ということだ。恐らく「力」を持つということは、そういうことなのだろうな、と思うのだ。
僕は昔から、お金持ちにはなりたくないな、と思っていた。それだけではなく、偉い人にもなりたくないし、権力だとか地位だとかも全然いらないな、と思っていたのである。それをきちんと言葉で説明できてこなかったのだけど、恐らく昔から悟っていたのだろう。「力」を持つことは、自分の意見を引っ込めなくてはいけない人生である、ということに。
最近読んだ本に、高田純次の「適当論」という新書があるが、その中で高田純次はこんな風なことを書いていた。中華料理屋に言って、その時餃子が食べたくても、なんとなくメニューの中で一番高い物を頼まなくてはいけない雰囲気になったりする、と。
結局そういうことなんだろうな、と思うのだ。自分の意見を引っ込めてまで、「力」を持っている自分というものを優先させなくてはいけない。その生き方を肯定できる人間は恐らく世の中にはたくさんいるのだろうけど、少なくとも僕には無理だと思う。窮屈すぎると思うのだ。
容姿がいい、というのも恐らく似たようなものだろうな、と思うのだ。僕は生まれてこの方かっこいいとかなんとか言われたことのない人間なのでまあよくわからないが、かっこいい人間にも相応の悩みがあると思うのだ。それはきっと、自分の意見が通らないということに関係する悩みであるような気がするのだ。かっこいいということがフィルターになって、思っていること、伝えたいことが伝わらないということはきっと多いだろうと思うのだ。
それは綺麗な女性でも同じことが言えるだろう。誰でも綺麗な女性に憧れるものだろうが、しかしそれにも相応の悩みがある。綺麗であるという壁が、言葉を遮断するのである。
朝起きてみたら超美男子に生まれ変わっていたとしたら、それはまあ人生が変わるだろう。たぶんいろんなことがうまく言って人生がより楽しくなるかもしれないとは思う。しかしそれと同時に失わなくてはならないものも多いはずだ。超美男子に生まれ変わることで誰にも理解されなくなってしまうのならば、まあ今のままでいいかな、という風にも思わないでもない。
今の世の中、容姿が「力」であることは間違いないし、容姿がいいことが人生において有利であることもまず間違いないと思う。それでも僕は、度を超えた美男子にはなりたくないものだな、という風に思ったりする。まあなれるわけがないのでそんな心配はしなくていいのだけどね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
俺は売れない漫画家だ。漫画家と言っても、雑誌の連載を持っているわけでも、コミケで同人誌を売っているわけでもない。自費出版で作った漫画をストリートで売っているのだ。ほとんど売れないのだけど。これまでに買ってくれたのは、自称ゲロ子という、非常に不細工な女だけである。
もちろんそれだけでは生計が成り立たないので、コンビニの深夜アルバイトをしている。しかしもう30歳を超えているのだ。漫画への情熱は変わらずあるのだけど、商業誌との相性が悪い。なかなか採用されないのだ。
まあそんないつもと変わらぬ日常だったはずの俺の人生は、ある朝とんでもない形でひっくり返る。
朝起きたら、超美男子に変身していたのだ。
それからの俺の人生は、まるでジェットコースターの如く変遷していった。ストリートで売っている漫画が一気に捌け、商業誌での連載もスタート、一躍人気漫画家への階段を駆け上がり、生活は一変。すべてが順風満帆で人生絶好調…。
…のはずだったのだけど、なんだろう、あれほど漫画へ情熱を傾けていたはずの俺は、一体どこへ行ってしまったのだろう…。
というような話です。
嶽本野ばらの作品は、こういう感じの作品が多い気がします。ストリートで自分の信念を持ってある活動をしていたのだけど、何かのきっかけでそれがブレイクし時の人になる。有名になったはいいけども、どうにも初めの自分の信念は踏みにじられているような気がして…。
というような話ですね。
ま嶽本野ばらのパターンなんでしょうが、不思議と作品毎に特色があって、まあ似たようなパターンの作品を読んでも、そこそこ飽きないように工夫されています。
本作もそのよくあるパターンの作品ですが、朝起きたら美男子になっていた、というカフカの「変身」ばりの設定の妙と、美男子になったのだから少女漫画的に一気にサクセスだぜ!…というわけでもなくいろんな屈折があったりで、なかなか面白い作品にまとまっているかな、という感じです。
本作を読んで、本当に伝えたいことというのは伝わらないのだろうな、と改めて思いました。それも、不特定多数の顔の見えない誰かに向かって何かを伝えるというのはほとんど不可能なんだろうな、ということです。
本作の主人公も、情熱と信念を持って、全員には伝わらないだろうけどきっと伝わる人はいるはずだと信じて漫画を書き続けるのだけど、結局彼の想いは一人を除いて誰にも伝わらないわけで、まあそんなもんだろうな、という感じがします。
日本という国に特有なのかどうなのかわからないけど、とにかく一時のブームに流される人間が多すぎて、それがいろんなものをメチャメチャにしていくような気がします。韓国ドラマがいいとなればブームになり、mixiがいいとなればブームになり、「白夜行」のドラマがブームになったりするわけです。別に韓国ドラマやmixiや「白夜行」がダメだと言いたいわけではありません。でもそうやって何でもかんでもブームにしてしまうことで、本当に大切なもの、本当に伝えたいことがどんどんと消えてしまって、万人受けするようなメッセージ性のないありふれたものが世の中にどんどんと積もっていくような気がして、そういうのは厭だよなとか思ったりします。
僕だって書店員として売上を伸ばさなくてはいけないわけで、ブームに乗っかって売れる本を売り場に置いたりするわけで、まあ同罪なのかもしれないけど、でも本当はブームに乗っかる人間を相手にしたくないなぁ、なんていう傲慢な考えがあったりとかします。
でも芸術を含めてありとあらゆるものは、基本的に経済活動の元に成り立っているわけで、売れなければどうしようもないわけです。内容がいいとか思想が素晴らしいとか、どれだけ他にアピールポイントがあっても、売れなければどうしようもないわけです。それも同時に分かっているからこそ、こそばゆいというか歯がゆいというか、そんな気持ちになってしまうのだろうな、と思ったりします。
話を変えて、本作の中で主人公が、美男子になったために何人かの女性と付き合うようになるのだけど、でも悉く失敗に終わるわけです。その理由を読んでいると、やっぱ恋愛ってめんどくさいよなぁ、とか思ってしまったりします。
なんというか、何かしてもダメだし、何もしなくてもダメだし、じゃあどうすればいいわけ、みたいな感じになりますね。僕としては、本作の中で主人公にあれこれと文句をいう女性よりも、主人公の意見に賛成してしまうような人間なので、恋愛ってやっぱ難しいのだろうな、と思います。百年の恋も冷めるような、という形容がありますが、恋愛というのは本当に幻想に幻想を重ねた上で成り立っていて、いつ崩れてもおかしくない書割りなのだろうな、と思ったりしてしまいます。女性って、やっぱ恐いですね。
嶽本野ばらの作品にほとんどと言って出てくる洋服の話ですが、今回はそれがかなり抑えられていて(いつもは洋服の話がメインだったりするけど、今回はそんなことはない)、正直ファッションに疎い僕としてはよかったな、と思います。いつも横文字のブランド名が出てきてうんざりしていた人(がいるかどうか分からないけど)も、本作は割といいかもしれません。とにかくさくっと読めるエンターテイメントで、まあ軽く読むには面白いと思います。としまえんにも行ってみたくなりましたしね。
嶽本野ばら「変身」
変身ハード
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