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2007年03月31日

青山七恵【ひとり日和】

単行本ではなく、『文藝春秋』2007年4月号に掲載されたものを読んだ。芥川賞受賞作。



……うーんそうか。そういうことか。

タイトルから「ひとり日和を楽しんでいる人」の話を想像したけど、読んでみたら「いつになったら『ひとり』の状態が終わるのかなー」と思ってる女の子の話でした。



20歳の「私」は日本を発つ母親と離れて、71歳の「吟子さん」という女性の家に居候する。アパートを借りればいいのだが、お金がかかるからフリーターの「私」には厳しい。そこで「私」の母親が古い知人を思い出し、やむなく「私」もその話に乗ったというわけ。

「私」は駅のキオスクで働きはじめ、やがて恋が始まっちゃったりもする。



じつは私も覚えがあるけど、恋が始まるときには「もう一人じゃないんだ!」と思って喜ぶくせに、時間が経つと「一人でいるのも気楽でいいなあ、このまま何の当てもなく付き合ってるのもどうなんだ」と身勝手なことを思い、でも恋が終わると「あたしって、いつまで一人なんだろう……」という不安に駆られる。

そういう気持ちの波も年齢をかさねるうちに落ちついてくるものだけど、まあ20歳の女の子では、大波の真っ只中で揺られ揺られて……という毎日でしょうね。

いま20歳の子が読むと共感できる部分が多いかもしれない作品。

20歳から遠く離れた人間にとっては、ちょっと懐かしい感じがする作品。



文藝春秋 2007年 03月号 [雑誌] 文藝春秋 2007年 03月号 [雑誌]
(2007/02/10)
文藝春秋

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ひとり日和 ひとり日和
青山 七恵 (2007/02/16)
河出書房新社

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2007年03月31日

ロリヰタ(嶽本野ばら)

変わらないものは世の中にはないと思う。それは仕方のないことだろうとも思う。僕らは変化の中に生きていて、というか変化そのものを時間として捉えて、それを基準にして生きているようなところがある。時間と変化とは切っても切り離せないもので、不可分なのだ。であれば、それは享受するしかないだろう。
自分が変わることはいい。それは、自分の意思にせよそうでないにせよ、結局のところ自分が望んだ変化であるはずなのだ。あるいは試練である場合もあるかもしれないが、何にせよそれは受け入れなくてはいけない。
また、他人が変わることもまたいい。それは僕とは基本的に関係のないことであるし、誰か他人が何か変わろうとも、それが僕と関係のないことであるならばそれはどうでもいい話である。
しかし、自分と他人の関係が変わるというのは、すんなりと享受することの出来ない変化だと思う。
前にある小説にこんなことが書かれていた。
家族が引越しばかりするが故に転校を何度もしなくてはいけない子供の話だ。その子は、転校する度に周囲の人間から違う印象を与えられるのだという。ある時はもの静かな子供、ある時は活発な子供、ある時は無愛想な子、というように。
しかしその子は、学校毎に自分のスタイルを変えたりはしていないのです。自分自身のあり方に変化はないのに、周囲の人間がそれを「誤読」して関係性を決める。
こういうことは、結構よくありますよね?
自分自身の変化に応じて、周囲の人間の評価が変わることは、これは当然だと思います。しかし例えば、表面的にも本質的にも何も変化のない人間を、周囲の人間が変わったというだけで勝手に変化を与えられるのは、たまったものではないな、と思うのです。
つい最近も何かの感想で話題に出したけど、夏川純というアイドルの年齢詐称の話もまた挙げましょう。この問題に対する僕の態度は、別にそんなんどっちでもええがな、というものです。
さて夏川純自身には、年齢をサバ読んでいた時とそれを告白した後でどんな変化があったでしょうか?外見的に変わったところがあるわけではないですよね。では本質的に何か変わったか?そういうわけでもありません。夏川純という人間には、あの騒動の前後で変化したことなど一つもないのです。
しかし、周囲の人間はそれで騒ぎます。あんまりテレビを見ないのでどんな展開になっているかわかりませんが、しかし多少バッシング的な非難するような論調があったりするのでしょう。
こういう変化というのが、僕はなんか許せません。変化したのはそちらの側なのに、さも自分の側が変化したかのように錯覚させられるようなものだけは、どうにも納得がいきません。
永遠に変わらないものはない、と冒頭で書きました。しかし、信じることで永遠に近づけることは出来るのかもしれません。他人がどう言おうとも、常に自分を信じる。あるいは誰かを信じる。そうすることで、その信じる道が限りなく永遠に近づいて行くのかもしれません。
信じられるものを僅かでも所有しているのならば、それは永遠への可能性の一つを持っているということなのかもしれません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、中編と短編が一つずつという構成になっています。

「ロリヰタ」
グラビアの撮影現場で偶然出会った君。君は、ロリータなお洋服を着て撮影に臨むところでしたね。でも、着させられたお洋服がどうも違うと思ってスタイリストさんに立ち向かっていましたね。
その場で僕は正統なロリータのスタイルを施しました。
それからですね、僕らがお互いに連絡を取り合うようになるのは。
僕はを持っていませんでした。買ったけど説明書を読みこなさなければメールは使えませんでした。それでも僕は頑張って、君とメールが出来るまでになりました。
いつしか僕は、君に恋をしていることに気付きました。人を愛する資格を失った僕は、君と出会うことが出来ました。君のことが僕は好きです。
それなのに…。

「ハネ」
貴方と一緒の夢を叶えるために、私は表参道の路上でハネを売ります。貴方に作り方を教えてもらったハネです。ここで露天を開くようになったもう長くなりますが、しかしまだ一度も売れたことがありません。
貴方に会いたい。もう一度会いたい。そう心から強く願っているのに。貴方からもらったあのハネを、今でもちゃんとつけています。両親からはこのお洋服も含めて冷たい目で見られるのだけど、気にしません。
徐々に状況が変わって、私のハネが売れるようになってきました。雑誌の取材が来るようにもなり、ある意味でカリスマ的な存在になって行きました。
しかし状況はいつでもわたしに断りもなく、大きく変わって行くのです…。

というような感じです。
どちらも冒頭で書いたように、永遠に変わらないものなどない、というようなことをテーマにした作品だ、と僕は思いました。周囲の都合で変化を強要される人々が、それに屈しずに、信じられる何かを強く信じるというような話です。
どちらの話も結構いい話でした。嶽本野ばらの作品でひさびさにいい作品だと思いました。
どちらも、暴力的なまでに突然何かが奪われてしまいます。当人としては何の変化もしてないし、何も大それたことをしたいわけでもないのに、周囲の人間が何か勘違いをして、その勘違いにいつの間にか巻き込まれてしまいます。
大衆というものの恐さを描いている作品でもあると思いました。名前のない大衆という存在が、人間一人を抹殺することがどれほど簡単かということを思い知らされました。
また、ロリータのファッションをしているからというだけの理由で、彼らをある種の偏見に落とし込む嫌な登場人物がたくさん出てきます。
僕だって褒められたものではなく、ロリータチックなファッションをしている人を見ると、「よくやるなぁ」とか「すごいなぁ」とか思うのだけど、でも悪意や暴力的な何かを感じることはありません。好きでやっていて誰にも迷惑を掛けていないのですから、そんな感情はおかしいだろうと思います。
理解できないものを暴力的に排除するシステムでも人間には備わっているのか、あくまで人間は、理解できるかどうか、ということにこだわります。理解できないものは不気味なものとして、攻撃してもいいものという認識が与えられるのかもしれません。
僕らは誰かに理解されるために生きているわけではないし、理解されることがすべてなわけでもありません。社会と折り合っていかなければいけないのは当然ですが、しかしその範囲内であれば誤解を生む行動であっても非難する理由は特にないはずです。
しかし、服装が変だというだけの理由で、人は攻撃的になります。
「ロリヰタ」の方には、男のくせにロリータの格好をしている主人公を、「ロリコン」だの「変態」だのといいます。また「ハネ」の方では、女性警官がロリータファッションをした主人公を理解できない異星人みたいな扱いをします。
「ハネ」の主人公は、こんな風に言います。

『多分、私に非行歴があったり、ひきこもりや家庭内暴力を起こしていたり、精神科に通院していたりすれば、羽を作って売ったり、ロリータの格好で大きな羽をつけていたり、金メダルのことを知らなくても、大目に見てくれた筈です。人と違う思考や行動をしていても、不良だからとか、精神的に不安定だからという解り易い理由があれば、安心できるのです。全く異質な生物であるから仕方あるまいと納得するのです。グループ分けをして、その中に入れることが可能ならば、そのグループのことが理解出来なくても、認知するのです。私はどのグループにも入らない。不良でもなければ、ロリータでもないし、ましてやハネ族と呼ばれるカテゴリーにも属さない。私は単に、私であるだけ。それが目の前の婦人警官を苛立たせるのです。』

世の中というのは窮屈なものだな、と本当に思います。
本作は、結構いい作品だと思います。僕が持ってるのはハードカバーですが、最近文庫になりました。かなり薄いし読みやすいと思います。嶽本野ばらに手を出してみようかという人にもオススメですよ。読んでみてください。

嶽本野ばら「ロリヰタ」


ロリヰタ文庫

ロリヰタ文庫

2007年03月30日

「風が強く吹いている」三浦 しをん


「風が強く吹いている」三浦 しをん
512p 新潮社

清瀬灰二は、新入生の蔵原走の走りに、魅せられていた。その走を やっとみつけた!その奇跡のような出会いから、陸上とかけ離れている素人同然の寮生たちと 箱根駅伝に挑む。

この人の本は なんか不思議に読まされちゃう。
そんな魅力がある。
今回は、箱根駅伝ファンなら のめりこむね。

2007年03月30日

半藤一利【昭和史 1926-1945】

結論から言うと、

非常に面白かった。



学校の歴史の授業では、縄文時代から始めて、昭和史にたどりつく前に1年が終わってしまう。

私が学校に通っていた時代なんて、そりゃもう遥かなる昔のことだ。だから私が教わった歴史は、今よりいくらか短いことになる。それでもやっぱり教科書を最後の1ページまで授業中に見た記憶はない。

「あとは自分で読んでおいてね」と先生に言われて、そのまま春休みに突入してしまう。



それからン十年が過ぎ、なにを思ったか急激に読書への目覚めを迎えた私だが、読む小説の内容に昭和史が絡むことは往々にして有りうる。

たとえば私は恩田陸の【ねじの回転―February moment】という本を持っているが、これは1936年の「二二六事件」に材をとった小説である。


ねじの回転―February moment (上) ねじの回転―February moment (上)
恩田 陸 (2005/12)
集英社

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ねじの回転―February moment (下) ねじの回転―February moment (下)
恩田 陸 (2005/12)
集英社

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広辞苑をひくと、「二二六事件」とは――

「1936年2月26日、陸軍の皇道派青年将校らが国家改造・統制派打倒を目指し、約千五百名の部隊を率いて首相官邸などを襲撃したクーデター事件。内大臣斎藤実・大蔵大臣高橋是清・教育総監渡辺錠太郎らを殺害、永田町一帯を占拠。翌日戒厳令公布。29日に無血で鎮定、事件後、粛軍の名のもとに軍部の政治支配力は著しく強化された」

とあるが、歴史とは「流れ」であり、ある一点だけを取り出して見ても大きな流れを捉えることはできない。

なんか良い本ないかなぁ……と思って探し出したのが本書。



書き言葉ではなく、半藤先生の話し言葉で、わかりやすく噛み砕いてある。

第二次大戦で日本が降伏したところで本書は終わっており、それは浅学な私でも常識的に知っていることだが、知っているのに興味ぶかく読めるところが素晴らしい。



それにしても昭和の日本が転がり落ちていった坂はなんと急勾配であることか。「こんなことであんな戦争になっちゃっていいのか!?」と驚愕することしきり。

二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。

老若を問わず、胸に刻むべし。



昭和史 1926-1945 昭和史 1926-1945
半藤 一利 (2004/02/11)
平凡社

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2007年03月30日

萩原浩【ハードボイルド・エッグ】

小説に登場する探偵たちはカッコいい。美人の秘書を従え、警察がお手上げの難事件を見事に解決する。ルックス的には弱いと思われる金田一耕助でさえ、「金田一先生」と呼ばれて尊敬される。

しかし現実の探偵が殺人事件の捜査に加わることはない。依頼されるのは浮気調査や家出人さがしなど警察が介入しないデリケートな問題の解決である。金田一みたいに「優秀な探偵」として顔が売れてしまったら仕事がしづらいわけで、そういう意味では優秀な探偵にはなれない。



主人公の「俊平」は、フィリップ・マーロウのようなクールな探偵に憧れ、ブルックスブラザーズのスーツを着こみ、小説と現実との深い溝を埋めるべく探偵稼業に奔走する。

依頼される仕事は主に行方不明のペット探し。勝手きままな小動物を追って、木に登り地べたを這いまわるうちに、せっかくのスーツが台無し。マーロウは遠い。



さて俊平がダイナマイト・ボディの美人秘書を求めて募集をかけたところ、やってきたのは「片桐綾」という女性であった。綾の風貌は俊平の希望とは少し(というか、かなり)隔たりがある。しかし綾は毎朝オフィスへ出勤するようになり、俊平の意志を無視して秘書のポジションを得てしまった。

こうして俊平&綾コンビは誕生したが、主な仕事がペット探しであることは変わらない。やはりマーロウは遠い……。

そんな彼らは期せずして殺人事件に巻き込まれてゆく。



アマゾンのレビューや本書の裏表紙でアオっているとおり、「笑い」と「泣き」が売りのハードボイルド小説。

くすくす笑える場面は随所に見られるが、「泣き」のほうはどうかなぁ……。感涙にむせぶというよりは、高齢化の問題とか、人間の都合で捨てられる小動物をどうするかといった問題を目の前に突きつけられて、ややプレッシャーって感じかな。

しかしエンディング前のアクションシーンはなかなか大がかりで、ハラハラさせてくれます。



探偵の「俊平」には、劇団ひとりをキャスティングしたい。

劇団ひとり




ハードボイルド・エッグ ハードボイルド・エッグ
荻原 浩 (2002/10)
双葉社

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2007年03月29日

「イッツ・オンリー・トーク」絲山秋子

デビュー作で文學界新人賞受賞。
『やわらかい生活』という名前に変えて映画化もされる。
はじめて絲山さんの本を読みました。

主人公の優子は、元新聞記者で躁鬱病で、今は絵を描き、貯金で生活している。
優子は独特な感性の持ち主だが、他の登場人物も負けていない。
同級生の区会議員、ヤクザ、いとこ、痴漢、バッハ。
みんなどこか一般ずれしている不思議な人たち。

誰とでもセックスしてしまう主人公で、そんな描写もあるのだけれど、なんだか淡々と会話が進み官能的な雰囲気はほとんど感じられませんでした。
変わった人たちばかり出てくるので共感とか同感とかほとんど無いのに、そこらへんに転がっている日常のような身近な出来事に思えてくるのが不思議です。
表題作のほかに「第七障害」も収録されています。
こちらの方が健全で読みやすく感じますが、インパクトはやっぱり表題作かな。

イッツ・オンリー・トーク
イッツ・オンリー・トーク
  • 発売元: 文藝春秋
  • 価格: ¥ 410
  • 発売日: 2006/05
  • 売上ランキング: 24095
  • おすすめ度 4.5

★7/10

2007年03月28日

「泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部」酒見賢一

泣き虫弱虫 諸葛孔明 第弐部
泣き虫弱虫 諸葛孔明 第弐部
  • 発売元: 文藝春秋
  • 価格: ¥ 1,890
  • 発売日: 2007/02
  • 売上ランキング: 6309
  • おすすめ度 5.0


あの破天荒な諸葛孔明がまたもや読めるとは。発売前から図書館に予約し、
今か今かと待ちわびてやっと読めました。むっちゃ面白かった。
読み終わってしまった後も「続き読まなきゃ」とふと本を手に取ってしまって
「あ、くそ、読んでしまったんだった」と思ってまたぱらぱら読んで笑ってしまう、
そのくらいの面白さ。
あー続きー。あー。まだですかー。(出たところやから、落ち着け自分)。
別冊文藝春秋で連載ですよね?雑誌買おうかなー。ってちょっと思ってるくらいです。
あ、でも別冊文藝春秋って一冊1500円とかするんだ。・・・・。やめときます(おい)。

2007年03月28日

NHK【プロフェッショナル 仕事の流儀】

この春から放送枠が変更されて火曜10時となったが、司会者は住吉美紀アナウンサーと脳科学者の茂木先生が続投。新しい放送枠での初オンエアは、スタジオジブリの宮崎駿監督。



うーん……。「プロフェッショナル」で「スタジオジブリ」。やけに既視感。

そう、この番組では宮崎監督のご子息である吾郎さんが初めて監督をつとめた『ゲド戦記』の公開前に、ジブリのプロデューサーが出演したのであった。

今回はジブリの「脳」とも言える宮崎駿監督が直々のご登場。しかもNHKは監督の大嫌いな「密着取材」を敢行。よくやるよ。ぶっとばされるなよ……。



吾郎さんが監督をつとめることに、宮崎監督は最後まで反対したという。さぞ息子さんの門出が心配なのだろうと私は思ったが、そうではなくて、「いままでアニメの監督をしたことがない者には、とても任せられん」というわけです。

『ゲド戦記』公開前の試写で、宮崎監督は始まって1時間で席を立ち、ロビーへ出てしまった。カメラは後を追う。険しい表情で煙草を吸う宮崎監督に、NHKのディレクターがおずおずと声をかけた。

「あの、ご感想、というか……」


そんな質問の仕方では宮崎監督でなくても苛立つ。


息子さんの作品をご覧になっての感想を一言お願いいたします、ぐらい言えないのか、NHKよ。単語じゃなくて文章で質問しろ。そしてビビるな。密着取材なんてのは相手が苛立って当然だ。いや、相手を苛立たせてこそ本音を引き出せるってもんじゃないのか?

……とかなんとか言ってる私も、取材する立場だったらビビるだろうなぁ。

宮崎監督は苛立ちをこらえて感想をポツポツもらす。『ゲド戦記』の何がお気に召さないのか。それは、過去のジブリ作品を思わせる要素が随所に見られたことであったらしい。

シロウトの私なんかは、息子が父親の影響を受けるのは自然なことだと思うけど……つねに新しいものを追求しつづけてきた宮崎監督にとって、「新しくないもの」がジブリ作品として名を連ねるのは、いたたまれないのだろう。

日本国内はおろか海外でも高く評価されたジブリ作品の数々。しかし宮崎監督は過去の実績を振り返らない。これまでは絵柄の精密さを追求してきたが、新作『崖の上のポニョ』では一転して「素朴さ」を前面に出すという。ロンドンで19世紀のラファエル前派の絵画を見て衝撃を受け、「精密さを追求するには限界がある」と悟ったからだそうだ。



前述のビビりのディレクターは、なんと宮崎監督が『ポニョ』の構想を詰めるために一人でこもる瀬戸内の一軒家にまでついていく。監督は普段以上にピリピリしており、「もうこれぐらいで取材はいいだろ」と言ってカメラを止めさせる。

まあ今回の【プロフェッショナル 仕事の流儀】は、要するに『ポニョ』の宣伝と言ってしまってもいいわけで、NHKとジブリとの間にどんな密約があるか知らないが、現場のディレクターにとっては、こんなやりにくい仕事はないだろう。(それにしても少しビビり過ぎ)

孤独を好み、高い理想を追い求める芸術家肌の宮崎監督にとっても、密着取材なんて迷惑この上ない。しかし映画を宣伝しないわけにはいかない。そんな現実は監督だって百も承知だ。だからこそ大嫌いな密着取材も受けたのだろう。

この世の中は、自社の商品を少しでも多くメディアに露出させ、他社商品の露出を少しでも減らそうとするケチな商業主義で溢れている。このまえ民放の某番組を見ていたとき、たまたま画面に清涼飲料の某メーカーの自動販売機が映った。ところがその番組は別の清涼飲料メーカーがスポンサーだったため、自販機に書かれた社名にボカシが入ったのだ。ほんの一瞬、他社の社名がテレビに映ったくらいで売上に大きな変動があるものか?

……なんて、そんなことを私がブーブー言っても、これが民放にとっての現実であることには変わりないけど、こればっかりじゃ考え方が薄っぺらい。

かといって、自分の理想だけを追求して売上はどうでもいい……という考え方では生活が成り立たない。



自らを「理想を持った現実主義者」と称する、粘り強い二枚腰の宮崎監督は、「大人の論理で『子供のためによかれと思うもの』を作るのではなく、子供に『おもしろい!』と言われるものを作りたい」と理想を語った。

宮崎監督は「長編アニメは今度の作品が最後」とおっしゃるが、そのセリフは前にも聞いたことがあるような、ないような……。でも「次が最後」ぐらいの引き締まった気持ちがないと、名作を生み出すことはできないのかもしれない。



プロフェッショナル仕事の流儀 10 (10) プロフェッショナル仕事の流儀 10 (10)
(2007/02)
日本放送出版協会

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風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡
宮崎 駿 (2002/07/19)
ロッキング・オン
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2007年03月28日

「サロメ後継」早瀬 乱


「サロメ後継」早瀬 乱
430p 角川書店

最初に見つかった箱に 納められた左手首には 古い傷が 無数に残り、しかも指がなかった。
その指は 手首が切断される何年も前から 少しずつ切り落とされていたらしい。
手首の持ち主は、拷問を受けていたというのか?



ホラー小説らしいけど ホラー小説というより推理小説のように どうなるのかと、引き込まれていく。

2007年03月27日

カカシの夏休み

<帰りたい、あの頃に>

幼なじみの死をきっかけに集まった、あの頃をすごした友人達。ダムに沈んだ村に郷愁を感じながら、現実を生きている。村に再び帰りたい。あの頃に帰りたい。
失った過去へのノスタルジーと、今を生きることを教えてくれる表題作をはじめ、中編3編を所収。

何といっても、表題作が良いです。
30代半ばを過ぎて、家庭や仕事に悩みを抱えて生きている人たち。そうですね、この登場人物たちは、紛れもなくわたしたちなのですね。

友人の死をきっかけに、再会することになり、ダムに水没した村のホームページを見ることになります。そこには幼い時代を一緒に過ごした仲間や村の人たちの生き生きとした生活があったんです。
おりしも、ダムの水が干上がり、あの村が現われる事態に。主人公コンタは友人の遺骨を伴い、帰ることになります。そして、待ち合わせ場所に集まる友人たち。
うまいです。生活を抱え、今を精一杯、奮闘している主人公達。こういう話を書かせると本当に重松さんは上手いと思います。
「帰りたい」と何度も言う、主人公。しかし、反面、「ノスタルジー禁止」と口にしています。
昔への郷愁と現実とのギャップ。そこがこの小説のキモですね。

「ライオン先生」は、教え子と恋に落ち、結婚したものの妻は若くして亡くなります。熱血教師だった昔を取戻すために先生がとった行動とは。

「未来」はとっても重い話。いじめを苦に自殺した子どもが残していた遺書に、弟の名前があった。重いです。誰もが被害者と加害者の関係になってしまう。そんな時代なんです。

それぞれの作品にそんな時代が切り取られています。ぜひ「カカシの夏休み」をぜひ読んでみてください。
わたしは、表題作が良すぎて、あと二作が印象薄と感じてしまいましたが。

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