自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。

そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。

そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力のなさに由来することを考えもせずに、話者や論者の語り方・記述の仕方に問題があるかのように非難しがちです。もちろん、そんな風に相手のせいにばかりしているから、いつまでたってもメタ認知や抽象的思考力は育ってきません。

つまり、図式化して表現すれば、下図のようになります。



ある事象A、B、Cがあった時に、とりあえず、それぞれの事象に対する思考A'、B'、C'くらいなら生み出せる。これはほとんど反射神経的なものですから、これができないという人はいない。

ところが、その思考A'、B'、C'を比較して、思考A'とB'の共通点から抽象的思考としての思考Dを取り出したり、思考A'とC'の相違点から思考Eを取り出したりということができない。そうした人びとにとって思考の対象となるのはあくまで目の前に事象(A、B、C)はある時に限られるのかもしれません。自分自身の思考であるA'、B'、C'を、思考の対象として扱い、思考DやEを導き出すことはとにかく苦手です。もちろん、その思考DとEを統合する形での思考Fを生み出すことなんてほとんど奇跡なのかもしれません。

だから、KJ法のような方法も苦手なんですよね(cf.「なぜ、KJ法は失敗するのか?」)。
だって、KJ法って結局、上で図式化したような階層化された思考をカードやポストイットを使って可視化しながら行う推論の方法ですから。
そして、一番の問題は、こうした図式化による抽象的な説明がそもそも具体的なイメージとして理解できないのも問題なので、ここで僕が書いていることもきっと伝わらないのかな?なんて思います。

調査データが読めない

こうしたメタ認知や抽象的な思考を苦手とする人びとの傾向として典型的なのは、調査データが読めないということでしょうか。

「具体的な事例」を欲しがる割に、事実を集めた調査データから思考を働かすことができないというのはまったく奇妙な話です。結局、欲しいのは事実の一例としての事例ではなく、子供にもわかるような物語ということなのでしょう。
それが事実であるかどうかなんて関係なく、テレビドラマのようにその世界観に没頭できる、それなりのリアリティで語られていればいいということでしょう。没頭できるということ。それはつまり自分で考えなくていいということですから。

「ケータイでゲームをする人は男性よりも女性のほうが比率として多い」だとか「あるデジタルカメラを所有している人のカメラの利用傾向は、ほかのデジタルカメラを所有しているユーザーの利用傾向とは著しく異なる」とかいう事象を示す調査データを前に、「へー」と感じるだけで、そこから自分たちの具体的なアクションにつなげていくための思考が展開できない。

そういう自分たちの身の振り方を決めるような抽象的な思考力がなく、だからこそ、なんでもかんでも他人のノウハウや知識ばかりに頼ろうとするようになってしまいます。他人の指示が動けず、他人の成功事例ばかりを追い求めるようになります。もちろん、そんなものの先に自分自身の未来なんてないのにも関わらず。

抽象的思考ができるようになるためには

では、メタ認知や抽象的思考ができるようになるためにはどうすればいいのでしょう?

僕は次の3つを心がけ実行することが大事だと考えます。

  • 思考を文章や図にしてまとめるクセをつける
  • あきらめずにむずかしい本を読む
  • 仕事のなかで自分で考え答えを出す

この3つはメタ認知や抽象的思考を鍛えるための訓練の例です。訓練なので、ただ何も考えずにやっていてはダメです。訓練なので訓練そのものを行っている自分自身について考えることが大事ですし、訓練そのものについても思考をしつづけることが大事です。

では、ひとつひとつ補足を。

思考を文章や図にしてまとめるクセをつける

1つ目の「思考を文章や図にしてまとめるクセをつける」ですが、これは「文章にする」のと「図にする」という作業自体が抽象化の作業にほかならないからです。自分が見たもの、考えたことを文章や図にするというのは、見たもの、考えたものをさらに一段階抽象化しないとできないことです。そもそもメタ認知や抽象的思考が苦手な人というのは、文章を書くことや物事を図式化して表現するのも苦手な人が多いと思います。メタ認知や抽象的思考を鍛えるというと、どうしていいかわからないかもしれませんが、文章化や図解化の練習をするといえば、具体的な作業イメージもできるのではないでしょうか。
ちなみにKJ法でも最後は図解化と文章化を使って、調査データ全体を把握します。それこそがKJ法がアブダクションを使った実践的推論法である所以です。

あきらめずにむずかしい本を読む

次の「あきらめずにむずかしい本を読む」ですが、これもメタ認知や抽象的思考が苦手な人が不得意なことの1つですよね。でも、苦手だからこそ、取り組むべきでしょう。ずっと前に書いていますが「苦手だと認識したら克服する努力をしてみる」ですよ。
話を元に戻すと、むずかしい本って感じる本がむずかしく感じられるのはきっと抽象的な記述がなされていたり、そこで取り上げられている具体的な事柄に対して自分自身の知識が足りなかったりするからではないでしょうか。そうしたものに相対する場合、普段から具体的な事象に関する直接的思考(A'、B'、C')しかしていない人は、何が書かれているのかが理解できないはずです。抽象的な記述を扱うには抽象的な想像力が必要ですし、書かれたものが具体的であってもそれに対する知識がなければその事象は抽象的なものと変わらないわけですから抽象的記述を読むのとおなじでやはり抽象的な想像力を必要とします。なので、無理してでも「あきらめずにむずかしい本を読む」ことで、メタ認知や抽象的思考を鍛えることができるはずです。まぁ、それ以前にそもそも本を読まないなんてのはまったくの論外ですけど。

仕事のなかで自分で考え答えを出す

最後の「仕事のなかで自分で考え答えを出す」ですが、実はこれが一番重要。上の2つは自主的な努力にかかっているのでサボる面がどうしてもでてきますが、仕事になればそうもいってられず、とにかくやらなきゃいけない面が多いと思います。「不安はなぜ起こるのか」や「見本とテンプレート」でも書いているとおりです。
普段は敬遠しがちなことでも仕事になればやらざるをえないことは多々あります。そして、それゆえに思考が普段以上に働きやすいのも仕事でのシーンではないかと思います。僕自身も思考のブレークスルーが起こるのは決まって仕事で苦労して何か答えを出さなきゃいけなかった時のあとです。苦労して、ああでもない、こうでもないと模索することで、思考自体の比較による共通点・相違点の精査が行われ、階層的な思考の組み立て、統合が行われます。抽象的思考を養うのには仕事の場面ほど適した場はないと思います。それは仕事が自分ため(だけ)にやるのではなく、他人のためにやることであるということが大きいのでしょう(ただし、遊びでも真剣に取り組むことでブレークスルーが生まれるケースがあるのは「インフォグラフィックス ワークショップ 2」でも紹介したとおり。こういう遊びの場がすくないのが現代の問題なんでしょうね)。

とはいえ、仕事の場であれば、いつでもメタ認知や抽象的思考を鍛える場になるかというと、決してそうではありません。もし、そうだったら、世の中にこんなにメタ認知や抽象的思考が苦手な人が多いわけがないのですから。
仕事の場でも、自分で考え、自分で答えを出すという姿勢がなければ、メタ認知や抽象的思考を鍛えられる場にはなりません。誰かの方法やノウハウに頼ったり、他社の事例がなければ物事を進めることもできなかったり、自分では具体的に考えることはせず、できる人が考えてくれるための調整役に徹してしまったり。そんなことではいつまでたってもメタ認知や抽象的思考は鍛えられません。ここでも、やはり自分自身の積極的な関与が最初は必要です。自分で「やります」といわなければ、誰も「自分で考え、自分で答えを出す」ような仕事を与えてはくれないからです。

結局は、世界を自分の目で見て考えるか、自分では考えることを放置して他人が見て考えてくれた結果を教えてもらって安心してしまうかという姿勢の違いでしょうか。世界は自分の目の前にあるとおりのものだと思って、なんの疑問も関心ももたなければ、メタ認知や抽象的思考を使って、世界の別の面を見出し、別の新しい世界を作り出すことなどはできるはずもないでしょう。



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