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書物とは、ただ単にそこから必要な情報や教養を得るための便利な道具ではない今福龍太『身体としての書物』
文字をコミュニケーションの道具だと断定しきれないなにか、払拭できないなにものかが、「あるがまますべて」や「文化」となって登場してくる。ことばや文字をめぐる不安を引き受けよう。
文字というものは、もちろん言葉を情報保存するためにつくられた記号でわるわけですが、文字がコミュニケーションの維持・強化・洗練から離れて、書としてリリースされていくときには、文字が犯してきたコミュニケーションの中での罪を捨てるためにあるようなところもあります。松岡正剛『外は、良寛。』
おもかげから記録(ログ)へ。類似(アナログ)から離散(デジタル)へ。五感によってつながっていた世界はいまやバラバラの情報として離散し、検索エンジンなしには必要な情報ひとつ手に入れられない世界になりつつあります。それを僕らは情報過多の世界と呼んでいます。
「濃し」というのは、もともと液体などの濃度を指す言葉ではありませんでした。『源氏物語』には、この言葉が頻繁に登場します。そこで「濃し」は人間関係の深い交わり、つまり男女の情愛や肉体関係の親密さを意味していたようです。つまり「濃し」という言葉は、性愛にかかわるひじょうに官能的・肉体的な内実をもった形容詞として使われていたのです。今福龍太『身体としての書物』
『奇蹟』の文庫紙面は、視覚的な均質性を獲得している。長い歴史の結果、私たちはこの紙面に辿りついた。オリジナル原稿がもっているノイズを削ぎおとし、均質な紙面を手に入れた。なんのためか。テクストのなかの時間や空間が、読者の読書という実践の場でのみ受容されるためである。読書の純化という事態は、人間中心主義が行きついた地点でもあるだろう。だが、置き去りにしたものの余りの多さに不安をもつ。くっきりとしたものも、よく見ればその輪郭には滲みがある。
「秩序」がそこに実現できているとだれが判定するのか。正解はどこにもないのだろう。20世紀のデザインは、というよりデザインはきわめて20世紀的なものだが、いつも正解を求めてきた。可読性や視認性に情報量である。大衆性や公共性、訴求力という価値基準もある。結局は経済効果に換算された数字が「客観的」な基準になる。


文身の美しさを文章という。文は人の立つ形の胸部に、心字形やV字形やXなどを加えるのである。章は文身を加える辛(はり)の先の部分に、墨だまりのある形である。

「かまわぬ」と判じる、しゃれのめした言葉遊び。言論の自由を厳しく規制された町人たちの反骨心・諧謔心をかきたてて、着物や浴衣に染めぬかれ、江戸中で大流行したという。杉浦康平『文字の美・文字の力』

見誤ってはならないのは、ただ一般に人や情報が動くようになったから「観光」が重要になったのではない。とくに地球規模で見たとき、人と情報の動きには明らかな方向性がある。人が動く方向には、高開発社会の強者ないし富める者の、弱者ないし貧しい者の低開発地域への観光と、その逆の流れである出稼ぎ、移民、そして弱者の側から強者への情報の流れ、というよりは強者の側からの吸い上げ(学術調査、マスメディアの取材、栽培食物の遺伝子情報の探索など)があり、流れの方向の格差は、1960年代以降一層はなはだしくなってきたといえる。
いまや人びとのアイデンティティ=らしさは誰が袖のような色や香がはかなくたゆたうおもかげではなくなり、色も香もない無機質なデータと化したプロフィールとなってしまっています。人間のプロフィールだけではありません。あらゆる物事が匂いも触感も感じさせない機械的な情報に取って代わられています。かつての見立ての手法が五感をともなうイメージの連鎖を引き起こしたようには、グーグル検索は人びとの連想(アナロジー)を喚起してはくれません。人は梅の香に恋心を感じたかつてのように、現在自分を取り巻く多くの情報から身体が自然と動くような動機(モチベーション)を感じとれなくなってしまっています。
もう先々週の話になってしまいますが、AMNのブログイベントでおもしろいヤツがあったので、行ってきました。これ↓
「インターネットが選挙を変える? ~ Internet CHANGEs election ~」
講演の内容なんかは、Business Media誠がかなりしっかりまとめてくれてる(というか、ほぼ講演内容を全部起こしてるw)ので、こちらを読んでもらった方が良いかなw 前後編で超長いけどw
Business Media 誠:“ネットと政治”を考える(前編)――オバマにできたことが、なぜ日本の公職選挙法ではできないのか? (1/6)
Business Media 誠:“ネットと政治”を考える(後編)――ネットユーザーが選挙でやれることとは? (1/9)
あと、実はビデオも撮ってたんだが、後半のパネルディスカッションが電池切れで撮れなかったorz 前半部だけでもそのうちネットに上げようと思います。そんときゃまたエントリーします。
内容は、前半戦がオバマが選挙戦を戦う上でどういう新しいコミュニケーション戦略をとったかという講演と、公職選挙法に関する解説。後半がそれらを受けて、インターネットから選挙に対して何か出来ないかというディスカッションだった。
ちなみに結論としては、「公職選挙法の縛りがきつすぎるから、選挙期間中は基本的に何もやっちゃダメ」という悲惨な方向にww 司会の徳力さん、ちょっと涙目(´;ω;`)ウッ…
しかし、立候補者たる議員さんから見ると、ネットで選挙活動が出来ないことで不自由を感じたことはないらしい。むしろ、それ以外の公職選挙法の縛り(チラシの枚数や配り方、拡声器の数、ハガキの枚数や送り方・・・etc)の方が遥かに窮屈だという。
パネルディスカッションに参加した議員の方も言っておられたが、選挙期間は12日間という短い間でしかなく、その間にネットを使ってメール発信やブログ更新をしているヒマは、少なくとも候補者にはまったくないらしい。考えてみれば、そりゃそーである。毎日、そこら中を走り回ってるわけだから。
そうすると、必然的に日頃から情報を発信しつづけておいて、いざ選挙になったらこれまで発信し続けた情報を見てもらって判断すれば良いという事になる訳だ。その意味では、インターネットを使った選挙活動というのは、候補者から見れば現状でそれほど問題があるものではないらしい。
では、有権者から見た場合はどうか?
実は、公職選挙法は候補者だけを取り締まるものではなく、その間の有権者や支持者、第3者の行動をも取り締まる法律になっている。しかも、わかりやすい事に完全な「べからず集」となっており、法律で明確に許可された事以外は基本的にやっちゃいけない。またシンポ内でも指摘があったが、日本の公職選挙法は基本的に立候補者のために作られており、有権者の視点はほとんど存在してない。存在していないから、例えば第3者が誰かの候補者をHPで支持表明するなんてことは想定に入っていない。想定に入っていないと言うことは、つまり「してはいけない事」になる。
えっ、それマジ?って印象の方が多いと思うが、厳密に解釈すればそうなるらしい。厳密に膾炙すればというのは(これもまたどうよって感じだが)、公職選挙法はグレーゾーンが多く、解釈しだいで何とでもとれる上に、実際に摘発するかしないかは個々の選挙管理委員会に任されている。よくよく考えてみると、すげえ怖ろしい話なわけだw
しかし、これは逆に「選挙期間中でなければ」何をやっても特に問題ないという事でもある(投票依頼は除く)。なぜなら、それらは全て選挙活動でなく政治活動にあたると解釈されるからだ。そうすると、公職選挙法は政治活動を取り締まる法律ではないから関係ない。
ここまで語ってようやく、私のようなネット住民が、選挙や政治に関わろうとした時の対応の仕方が見えてきたように思う。まず重要なことは、日常から動くことである。
いざ選挙!となった時には、もう遅い。常日頃から政治や選挙に関するアンテナを巡らしたり、ブログで情報発信したり、まとめサイトやwikiで情報蓄積したり、果てはオフやイベントまで仕掛けてみたり・・・etc そういう事を日常からしつづけることが何より重要なわけだ。選挙の時期が来たから・・・ってのではダメなのだ。
こう考えると、自分の日常にどれだけ政治的なものを取り込んでいけるか?という問いにも繋がるかと思う。多くの人は、大概それは無理だと言うだろう。日常の忙しい中に、ただでさえ興味のない、しかも面白くもない政治の話を取り込むなんてめんどくさい。それに、なんかダサイw しかし、オレラはもうそんな事言って現実から目をそらし続けているわけにはいかないのではないだろうか?
人間は誰でも人間として尊重されるべきであり、それは年寄りも若者も同じだ。しかし、存在そのものを尊重することと、意見を尊重することは違う。年 寄りを人間として尊重することは必要だけど、年寄りの意見を聞いてはいけない。少なくとも、何故自分がそれを尊重するのか、よくその理由を考えるべきだ。
まして、政治をまかせたりしてはいけない。
政治がどういうものなのか、年寄りの概念で考えてはいけない。
この言葉は重い。オレたちゃすでにそういう状況に立っているって事でもある。興味を持たず、日常に政治を取り込んでいかなければ、それは死んでいるのと同じである。後になってから、文句をいったってしょうがないのだ。サイレントマジョリティーは、サイレントであるままではいないのと一緒なんだと思う。少なくとも、多くの政治家にはそう思われているのが現状だ。
さて、こんな事を考えながら同時に思い出したのは、このエントリ。
しかし、日本では、オバマやペイリンやメドベージェフになるべき人が、今、どんどん権力から遠ざけられているか自分から逃げ出して、2ちゃんねらになっているのではないだろうか。
これは、実は結構真実なんじゃないか?でももう、逃げ出してばかりではいられないだろうってのが、オレの率直な感想。そろそろ正面切って戦わないと、本当にクソミソにされて悲惨な人生送ることになるぜって状況が見えて来つつある。現実をちゃんと見つめて、取るべきアクションを取らなければならない。
疑うのと信じるのとは交互に行われなければまったく意味が無い。疑ってばかりでは何も行動できなくなるし、信じるだけでは間違いを見付けられない。
なんでもいい。自分が信じられないなら他人を信じればいい。他人が信じられないなら自分を信じればいい。過去の人物でも伝説上の人物でもラノベの登場人物でもその一部でもなんでもいい。
とにかく信じて、前に進む事を考えよう。考えるべきは疑うことじゃない。どうやって一歩前へ、歩き出すかだ。
オレも含め、2ちゃんねら~は大概アイロニーだ。皮肉屋で、斜めにしか物事を見れず、真面目に頑張るとか信じるってことが苦手だ。でも、そんな2ちゃんねら~でも、意外と動く人間もいるってことを、オレは去年の長野やいろんな場面で見てきた。そして、そういう所から少しづつ世の中を変えていけるかも知れないって可能性が生まれつつある、とオレは信じてる。MIAUだって、そういう形で生まれたまったく新しい可能性だ。
アイロニーでも良いじゃない。斜に構えながら、それでも「まあ、しゃあないか」と言って腰をあげて行動を始めようぜ。どうやら今が、そのタイミングみたいな気もするしさ。


ショックを受けたというのは、実際に結果が重要なのはワークショップよりも仕事のほうなのに、うまくいかないとしたら、それはいったい何なんだろう?

私は、武家社会における茶道のスタイルは結構ワークショップだったのではないかという気がしているんですよ。身分の差はあるのに、にじり戸をくぐった時にそれはなくなって、ある種の作法は必要なんですが、それがちゃんとしていれば、後は「同時性」をどれだけ楽しめるか、という点に集中できますよね。
連は、会社組織などとは異質な一回性をもち、思想運動・芸術運動などとは異質な、純粋に機能的な性格をもっている。ひとつの具体的作業のために集まり、それが終われば解散する。
彼らにとっての「場」は権威や論理によって保証されたものではなく、前提がはっきりしている以上、あとは実際の働きによって保証されるものだからだ。
能楽よりあとに出現してきた茶の湯などでは、そこにだれもが主客を入れ替えながら入っていけるようなシステムになってきた。しかも、床の間には各種の情報メッセージをもった掛け物や花や置き物をアドレスできるようになっているし、茶道具のひとつひとつにも由緒由来というデータベースがついていて、亭主や客人はこれを売価に一座建立の場を共有できる。
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東京のマークアップの皆さんと忘年会に行ってきましたというご報告です。
完全に乗り遅れましたが、参加していただいた皆さんからはすでにレポエントリーが上がっているので、概要を知っている方もいらっしゃると思います。今週月曜日に東京のマークアッパーな方々と出張がてら飲んできました。参加者はこんな感じです。
なんていうすごい面々だ、これはwこんな人たちを僕の都合に合わせてもらって、なんかもうごめんなさいというか何というか><月初+月曜日+平日っていうかなりの悪条件なのに誰一人も遅れずに来てもらいました!(一番遅かったのが僕というザマ)いやもうほんとありがとうございます。
はじめはTwitterでTakazudoさんと僕が今度飯でも食いに行きましょう的な話から、じゃあせっかくだし、いろんな方を呼んでみましょう[謎]という盛り上がりでこんな方々に集まってもらいました。
関西で働く僕としては、関東のマークアッパーな皆さんはどんなことに将来性を感じ、何を課題に感じているのかをぜひ聞いてみたかったというのがありました。
会話をボイスレコーダーでとっておくべきだった(もしくはメモ書きしておくべきだった)と今更後悔しても仕方がないのですが、このときの会話で上がったものなど(時系列は無視で)。
といろいろと書こうと思ったんですが、やべ、日にちが経ってしまっていて、微妙に覚えていないwというより、すでに参加されていた方々がそれぞれエントリーとして残してくれているので、それを参照してください(おい
僕の中では関東圏のマークアッパーの方々って、こうなんていうんだろう、技術のみを追いかけるようなストイックな人たちの集団という印象を持っていたのですが、どうやら悩んでいることは全国共通のようです。それに安心したというかなんというか。
それでも、ここに参加していた人たちの技術的な野心というか、その貪欲さというのがやっぱりすげえなーと。おれ、もっと頑張らないとって単純に思えました。本当にお集まりいただいた皆さんありがとうございます。加えて、いろいろと準備をしてくれたTakazudoさん、hamashunさん、ありがとうございます!
で、次回ですが、Sugamo.css[仮称]で皆さんにお会いできるってことですね!w