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2011年11月30日

[お知らせ][NPO]ソーシャルビジネス・スケールアウト・シンポジウム

めちゃご無沙汰のブログになってしまいましたが、さらにアクセシビリティやWeb関連とも関係ありませんが、こんなシンポジウムを今度開催いたしますので、ご興味あればご参加ください。最近はこういう仕事の割合がどんどん高くなっていたり。

以下、本文。

NPO法人しゃらくは、2012年2月25日に神戸国際会議場において「ソーシャルビジネス・スケールアウト・シンポジウム」を開催いたします。

ソーシャルビジネスの事例紹介や起業を扱ったフォーラムやシンポジウムは過去にも開催されてきましたが、ソーシャルビジネスの成長戦略のみを扱ったシンポジウムは全国的にもあまり例がありません。また、日本の専門家だけではなく、イギリス・オックスフォード大学とアメリカ・デューク大学からもソーシャルビジネスの専門家を招き、ソーシャルビジネスの先進事例を知る機会にもなります。

現在、ソーシャルビジネスは経済産業省・内閣府が積極的に推進しており、各自治体でもさまざまな支援策が始まっています。また、東日本大震災の復興支援にソーシャルビジネスを利活用することも検討されています。一方、民間でもソーシャルビジネスに取り組む企業やNPOが増えています。

しかし、担い手は増えてきたものの、大きな成果を上げたといえるソーシャルビジネスはまだ多くなく、私たちは大きな成果を上げるための手法・方法論を提供したいと考えています。

なお、当シンポジウムは兵庫県から平成23年度地域づくり活動基盤整備事業スーパーNPO育成事業を受託して、実施します。

詳細はソーシャルビジネス・スケールアウト・シンポジウムのホームページをご覧ください。

2011年09月09日

ユニクロがジル・サンダーの次に選んだのはAKB48 前田敦子

ファッション・デザイナーのジル・サンダーとのコラボレーションブランド「+J」をやめると同時に選んだのが、低価格ブランド「g.u.」の強化です。

AKB48の前田敦子さんをイメージキャラクターに選ぶという堅実さはさすが。

「g.u.」の成長に期待したいところです。

2011年09月09日

さらばジル・サンダー(ユニクロの残念な決断)

ユニクロがファッションデザイナーのジル・サンダーと契約して、
「+J」というブランドを立ち上げました。2009年のことです。

ジル・サンダーはドイツ出身だったので、
ドイツ好きとしてはうれしかったのを覚えてます。

しかし、残念なことに契約が終了し、ブランドも店じまいようです。

結局、価格帯をあげるのに失敗したということなのでしょうか。

2011年05月20日

今起こっていることを読み解くには「パラダイムを認識し分節する能力」が必要

一般の人にはある程度、古さをもったもののほうが人気があって、新しすぎるものがなかなか一般の人に受け入れられないのは、古今東西変わらなかったりするのではないかと思います。

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新しいものが受け入れられないのは、それを評価する視点を持たず、かつ自分で評価の視点を新たにつくり出すなんてことは普通の人にはなかなかできないからであって、その点、古いものが評価されるのは、評価の枠組み自体がすでに共有されているからだったりします。

つまり、言い換えると、人はそれだけ評価の枠組みが定まらない(ようするに、何だかわからない)ものが苦手だということです。
わからないものに対してみずから積極的に新たらしい評価の枠組みをつくろうとして、あれこれ考えたりすることが苦手ということです。
苦手というか、どうしたらいいかわからないのでしょうし、場合によっては、どうにかすべきことだとさえ認識していない人もいるのでしょう。

ある事実が範例として採用されるとき、そこに新しい規則が生まれる

けれど、そういうわからないものを積極的に評価できる人が、センスがある人、できる人と呼ばれたりもします。評価の枠組みが定まらないところに、とにかく正解だの不正解だのなんて馬鹿げた話は置いておいて、とにかく対象を評価してしまう。実は、そこには評価の明確な基準などはないのだけれど、ただ、その評価を行ったという事実が範例となり、後の人びとに評価の枠組みとして使われたりします。

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哲学者のジョルジョ・アガンベンは、この範例が新たな基準・ルールを生み出す動的な過程をパラダイムと見ています。

パラダイム的な事例のたんなる提示こそが、それ自体として適用されることも言表されることもありえない規則を構成するのである。
ジョルジョ・アガンベン『事物のしるし 方法について』

パラダイムははじめ単なる事例として提示される。それが範例として認められる際、それは規則を生じさせるようなパラダイムとして機能するということをアガンペンは丁寧に分析しています。

まさにパラダイムシフトというのは、古い規則しか存在しない状況で、現実に対してある新しい評価を何の基準にも頼らず生み出したという現実的な事例が模範となった際に、新しい規則の認知とともに起こるのだといえそうです。

パラダイムを認識し分節する能力が新しい読み=評価の枠組みを発生させる

これは何も新しい出来事が新しく起きているときだけに限りません。
何よりアガンペンは、考古学こそがパラダイム論だと言っているくらいなので。

その意味で、考古学はつねにパラダイム論である。アーカイヴの史料を検討する手腕だけでなく、パラダイムを認識し分節する能力こそが、研究者の序列を規定するだろう。実際、結局のところ、それ自体では活力のない年代的なアーカイヴの内部に〈断層〉を生み出し、そうしてアーカイヴを読みうるものにする可能性は、パラダイムにこそ依存しているのである。
ジョルジョ・アガンベン『事物のしるし 方法について』

という具合で、アーカイブの史料のなかに、それまで存在しなかった評価を導入することで、それまでの評価との間に〈断層〉を生み出し、新たな読み=パラダイムを発生させる。
もちろん、これは何も考古学的なアーカイブが対象でなくとも当てはまることで、現在起こっている事柄を読みうるものにする可能性も「パラダイムを認識し分節する能力」に依るということがいえるはずです。

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パラダイムはアナロジー思考で範例を見出す

アガンペンは、さらにパラダイムの個別性=範例的な性格を明らかにするために、帰納や演繹とパラダイムの違いについて以下のように述べています。

アリストテレスは、パラダイムによる手続きを帰納および演繹から区別している。
(中略)
帰納が個別から普遍へ進み、演繹が普遍から個別へ進むのにたいして、パラダイムを定義するのは第3のパラドクシカルな運動であり、個別から個別へと進むのである。
ジョルジョ・アガンベン『事物のしるし 方法について』

アガンペンも明確に述べていますが、これはアナロジー思考です。類推により個別から個別へ進む思考法であって、なんらかのルールに基づいて次の個別に進むのでもなく、次に進むことで普遍性へと連なる仮説を生じさせようとする頭の働きでもありません。
ようするに、古い既存の評価軸を使って評価しようとするのでもなく、事象の連なりのなかにいきなり規則を見出そうとなどもしません。
そうではなく、これこそはと思う単独の事例を1つの範例として認識し分節するだけです。
新しいパラダイムシフトの規則を構成するような言説が導かれるかどうかはあくまで結果であり、それを目的としたらアナロジーは働きません。

一般の人が苦手なのは、このアナロジー的な思考の仕方なんですよね(だから、アナロジー思考に関してはさんざん著書に書きました)。
どうしても演繹的に既存のルールに頼ろうとしてしまったり、帰納的にとにかく最終形に近い普遍性を最初から導きたがります。
でも、その両方がまだ評価の定まらない現実を前にした際の頭の使い方としては不向きなのは言うまでもありません。

未知なる現実を前にした際に有効なのは、とにかく既存の枠組みに頼ったり、そこに規則があるはずだなんて幻想は捨てて、とにかく模範となる言表あるいは行動を示すことだけです。
それが認められればパラダイムシフトは起こるし、認められなくても何も起こらないだけでしょう。
リスクはあんまりないはずなのに、どうしてかみんな、そういう立ち振る舞いが苦手なんですよね。

そして、それが無難なことだとでも勘違いしているのか、新しい事象を古い枠組みのなかで読みたがる。昨日の「ソーシャルメディアマーケティングなんてないでしょ?」もその一例ですよね。

でも、それが無難なんてことがありえるわけがありません。だって、現実を見誤っているわけですから。
単に問題を見て見ぬふりして後回しにしてるだけです。

後回しにしたからって問題がなくなるわけじゃないのにね。やれやれ。



関連エントリー

2011年05月19日

ソーシャルメディアマーケティングなんてないでしょ?

「ソーシャルメディアマーケティング」という用語を平気で使ってらっしゃる、自称ソーシャルメディアコンサルタント的な方がいらっしゃいますが、うーん、ソーシャルメディアがどんな変化を起こそうとしているのか、わかていっているのかしら?と違和感を感じます。
あるいは、マーケティングという言葉の意味が理解できていないのが理由かもしれませんが、「ソーシャルメディア」という言葉の意味するものと「マーケティング」という言葉の意味するものとの齟齬にそれほど鈍感でいられるのは何でだろう?と感じます。

そもそも、どうして個人的に「買ってもらう」「所有してもらう」という旧来的なマスマーケティングの方向性と、ソーシャル的な共有・共感・信頼性のような方向性とのギャップをもっと指摘し、そのギャップを企業がこれからどう捉え直して、自身の活動を再定義し直すかという作業こそが、今後ますます顕在化してくるであろうソーシャル的な社会では急務であることを述べないのでしょうと思うんですね。もちろん、うまくやればソーシャルメディアを旧来的なマーケティングに用いることはぜんぜん可能ですが、ただ、そういう古いマーケティング的な視点からだけで、ソーシャル的なパラダイムの変化を捉えてしまっては見落とすものがあまりに多すぎて、企業のこれからを考える上では危険すぎるでしょうというのが今日のエントリーの主旨です。

そういう指摘をすっ飛ばして、ソーシャルメディアをマーケティングに活用しましょう的な話で済ませようというのは、ちょっとどうかな?と思ってしまいますし、やっぱりそういう意味では、本当の意味でソーシャル的なパラダイムシフトが捉えることができないまま、いま起こっている事象だけでソーシャルを語ってしまっているのかな?と思うのです。

でも、マクルーハンも指摘するとおり、新しいメディアの内容は古いメディアであり、新しいメディアの真のメッセージはその内容にはないわけです。
いまソーシャル的なものとして起こっている事象=内容だけでソーシャルを語るのは、まさにソーシャルのもつ真のメッセージを見ずに、古いものの見方(例えばマーケティング)でソーシャルを捉えようとしてしまっているのだろうと感じます。それではもったいないですし、大事な点を見逃してしまいますよね。

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