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2011年08月19日

声の文化と文字の文化/ウォルター・J・オング

ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』。原題は"Orality and Literacy"。
当ブログではここ最近何度も取り上げてきたこの1冊を今日はあらためて紹介してみようと思います。



著者自身が「序文」で書いているように、この本の主題はオラリティー(声の文化)とリテラシー(文字の文化)の違いを明らかにすることです。
あるいは、すでに文字があることやそれを使って生きるということに親しみすぎてしまって、もはや文字がない生活や思考がどういうものなのか想像もできなくなっている僕ら現代人にも、文字のない声の文化における思考や言語表現がどのようなものであるかを知れるようにすることが本書の主題だともいえます。

実際、文字を使って思考し生きることに親しみすぎてしまっている僕らは、文字をもたない人びとがどれほど自分たちとは異なるかを想像することもできません。

例えば、こうやってブログを書くことに関してもそうです。文字がなければブログが書けないのは当然としても、実は文字がなければ文章でそれを表現できないどころか、同じような内容で考えることさえできないことを僕らは見過ごしています。

僕自身、実際、文字をたよりにせずに、いつも書いているように長文のブログと同じ内容を話せるかといわれると絶対無理だと思います。似たような事柄を含む話はできると思いますが、ブログで書いているような文体で話をすることはまず不可能です。よく実際に会ってみるとブログを読んでいる印象と違うと言われることがありますが、僕からすればそんなことは当たり前なんじゃないかと思うのです。文字で書くことと声で話すことはおなじようにことばを扱うのでもまったく修辞法が異なると思うし、修辞法が異なれば思考のスタイルは変わって当然だと思うからです。
とにかく僕はブログを書くように話すことはできません。何よりブログでやるような引用という方法を採ることができません。それは単に他人の言葉を記憶から正確に繰り返すことだけができないというのではなくて、たとえ思い出そうとする言葉が自分が過去に発したことであっても正確に反復することも不可能という意味です。

かつて歌われたもろもろの歌に対する口誦詩人の記憶力は活発である。「10音節の詩行を1分間に10行から20行」歌うユーゴスラヴィアの吟遊詩人に出会うのは「めずらしいことではない」。しかし、録音された歌をいろいろ比較してみると、それらは、韻律のうえでは規則的であるけれども、おなじやりかたでは二度と歌われなかったことがわかる。基本的には同一のきまり文句とテーマが何度も使われていた。しかし、そうしたきまり文句やテーマは、たとえ同一の詩人によって歌われるときでも、聴衆の反応、詩人の気分、その場の雰囲気などの社会的、心理的要因にあわせて、歌うたびごとに違ったふうに縫いあわされ、「綴りあわされた」のである。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

オラリティーの世界に生きる詩人は同じ歌を二度と歌わない。
もちろん、正確に同じ内容を歌うことは文字という記録の道具のない状況で記録のみを使って歌うことの限界もあってむずかしいというのもあります。ですが、それ以上に、正確に同じ内容であることに意味=価値があるのは、あくまで文字という記録の道具があることを前提にしているということを僕らは忘れがちです。同じように歌えないと同時に、歌う意味もないのです。吟遊詩人が同じように歌えない歌を、どんな聞き手があれとこれとは違うだとか同じだとか正確に判定することができるでしょう。
正確に同じであるということに、そもそも意味がないのです。

前のものと今のものが同じであるかどうかは、ある程度の長さをもったことばが対象になるのであれば、もはや文字の助けを借りなくては不可能な判断であるということを、文字に慣れ親しみすぎている僕らはわかっていません。引用のように同じことばを正確に反復することに意味を見出すのは、書き言葉以降、もっと言えば同じ本の私有が可能になった印刷技術以降の文化に生きる人びとだけなのです。

こうした例をはじめとして、僕らはあまりに文字があることに慣れすぎてしまっているがゆえに、自分たちの思考をどれだけ文字の影響を受け、それに限定しているかがわからなくなってしまっています。そうした自分たちの生活や思考に対する文字の影響を知るためにも、本書で明らかにされる文字のないオラリティーの世界で生きる人びとの思考に目を向けることは非常に価値あることだと僕は思っています。いや、今後、テキスト以外の音や映像によるコミュニケーションがますます盛んになる情報空間においては、こうした声の文化的なものも予想される以上、本書は必読の一冊だと思います。

そんな一冊を以下ではもうすこし紹介していきます。


記憶できるような思考を思考する

声の文化=オラリティーの世界を考える上で、何よりまず認識しておきたいのは、その世界においては、ことばは音声に限られ、そうであるがゆえに、ことばは表れたかと思ったと同時に消え去る儚い存在であるということです。人は声で話されることばを、文字として書かれたことばのように保持しておくことができません。保持できないのですから、ことばを並び替えて別の意味を創出させるようなことも、複数のことばを比較して分析するようなこともむずかしいはずです。
音声のみで考えるということは、文字という記録ツールを使って考える僕らが慣れ親しんでいる思考とはまったく別物です。

声の文化のなかで生きる人が、ある1つの複雑な問題を考えぬこうと決心し、とうとう1つの解答をなんとか表現できたとしよう。そして、その解答自身もわりに複雑で、たとえば、2、300語でできているとしよう。この人はこんなに骨身をけずって練り上げた言語表現を、あとで思い出せるように、どうやって記憶にたくわえておくのだろうか。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

まず複雑な問題を考えるためには、それを考えるための素材としての知識をことばとしてもっている=記憶している必要があります。知っているということは思い出せるということであり、考えるためには、この思い出せる知識が素材としてある程度必要になります。
知っていて思い出せる対象が現実世界に存在する具体的な事物であれば、それを目にすることで思い出すことができます。ただ、具体的な事物ではない、抽象的な事柄に関する知識となるとそうはいきません。もちろん、文字があれば、かつて自分や他人が思考した結果の抽象的な思考そのものも、書かれた文章を読んでふたたび思い出すこともできますが、文字がない場合、抽象的な思考そのものを自分自身で記憶しておく必要がある。果たして、それをどう行うか?というのが上の引用された箇所での疑問です。

それに対する1つ目の解答は、話し相手をもつことだとオングは言います。「声の文化においては、長くつづく思考は、人とのコミュニケーションに結びついている」と。これは文字の文化に生きる僕らにとっても身に覚えのあることではないでしょうか。他人と話すことで自分の考えが明晰になるということは誰しも経験したことがあるのではないかと思います。

しかし、それでもまだそうやって話し相手のおかげで浮かんだ考えをどう記憶に残すのかという問題は残ります。では、どうやって思考の結果を記憶に残すか?
それに対するオングの答えは僕らには意外すぎるものです。その答えは「記憶できるような思考を思考する」なのです。

声の文化では、よく考えて言い表された思考を記憶にとどめ、それを再現するという問題を効果的に解くためには、すぎに口に出るようにつくられた記憶しやすい型にもとづいた思考をしなければならない。(中略)強いリズムがあって均衡がとれている型にしたがっていたり、反復とか対句を用いたり、頭韻や母音韻をふんだり、〔あだ名のような〕形容句を冠したり、その他のきまり文句的な表現を用いたり、紋切り型のテーマごとにきまっている話し方にしたがったり、誰もがたえず耳にしているために難なく思い出せ、それ自体も、記憶しやすく、思いだしやすいようい型にはまっていることわざを援用したり、あるいは、その他の記憶をたすける形式にしたがったりすることである。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

考えたことを忘れないようにするためには、そもそも記憶しやすいことばで思考すること。そのための方法がここでは列挙されていますが、僕がこれを読んでまず思い浮かべたのは、多くの枕詞や反復表現が多い万葉の歌でした。枕詞はここでいう「〔あだ名のような〕形容句を冠した」きまり文句にほかなりませんし、対句表現が多いのも同様です。

僕らは歌/詩というとどうしても実用とは離れた美的/芸術的な表現であるかのように捉えがちですが、声の文化においては実用とはかけ離れた存在などでは微塵もなく、むしろ実際の生活の文脈とは切っても切り離せない表現=思考の方法だったことが本書を読むとわかります。

声の文化に生きる人びとの思考と表現の9つの特徴

表れた瞬間に消え去る儚い音声で「記憶できるような思考を思考する」声の文化に生きる人びとの思考や表現形式はそれゆえに、僕らのそれとは大きく異なります。

オングは、声の文化に生きる人びとの思考と表現の特徴として、次の9つを挙げています。

  1. 累加的であり、従属的ではない
  2. 累積的であり、分析的ではない
  3. 冗長ないし「多弁的」
  4. 保守的ないし伝統主義的
  5. 人間的な生活世界への密着
  6. 闘技的なトーン
  7. 感情移入的あるいは参加的であり、客観的に距離をとるのではない
  8. 恒常性維持的
  9. 状況依存的であって、抽象的ではない

1つ1つ説明する余裕はないので、いくつかピックアップします。

まず4番目の「保守的ないし伝統主義的」というのは、何より声の文化のなかではあらゆる概念化された知識が声に出して繰り返していないと消えてなくなってしまうということからくるものです。大事な事柄は何度も繰り返して口に出される必要がある。そうしなければ、それはなかったものになってしまいます。とはいえ、声の文化に創造性がないということにはなりません。先に吟遊詩人がその場の状況、その場の人びとにあわせて歌を綴りあわせるという例を出しましたが、口頭で語られる物語の創造性はまさにそれと同じで新しい話しのすじを考え出すことにあるのではなくて、「ほかならぬこのとき、この聴衆と、ある特別の交流をつくりだすということにこそ、それはある」のだとオングはいっています。それは日本の茶の湯における一期一会の創造性と同種のものであるはずです。
印刷技術や大量生産以降のような正確に同じものの反復に意味=価値がない文化においては、新しいすじを考え出す=イノベーションするということには何の価値もなく、その場における特別な交流が生まれるかどうかのほうにより大きな価値があるのです。

次に5つめの「人間的な生活世界への密着」。オングは「書くことは、知識を、生活経験から離れたところで構造化する」といっています。洗練された分析的なカテゴリーも書くことに依存し、それをもたない声の文化はすべての知識を自分たちの人間的な生活世界に密接に関係づけるようなしかたで概念化=ことば化するしかありません。僕らはあらかじめ知識としてカテゴリーを与えられることで自分たちの生活とは無関係なことまで思考の範囲に入れることができますが、声の文化に生きる人びとはそうした生活と切り離された抽象的なカテゴリーをもたないがゆえに、あらゆる事柄を生活のなかで身近な「Aさんの牛」「Bさんの家」といった形で記憶させ思考させることになるのです。
そして、この生活世界への密着はは、7つめの「感情移入的あるいは参加的であり、客観的に距離をとるのではない」ことや9つめの「状況依存的であって、抽象的ではない」ことにも深く関連します。
そして、「抽象的ではない」という点では、オングは声の文化は次のような事柄にまったく関連をもたないと書いています。

たとえば、幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、また、包括的な記述や、ことばによる自己分析さえもそうである。これらの項目はすべて、思考そのものではなく、テクストによってかたちづくられた思考に由来するのである。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

自己分析さえもが文字の文化に生きる人びとの特殊な思考なのです。
「自己分析ができるためには、状況依存的な思考がある程度うちこわされていなければならない」。
もちろん、現れた瞬間消えてしまう音声によって思考を行わなくてはならない声の文化に生きる人びとにとって、音声が実際に響く生活の状況から自らを引き離すことなどできるはずもありません。それはあくまで言葉が文字として状況に依存せずに維持できるようになってはじめて可能になる態度なのです。

書かれた文字、印刷された文字へ

そんな話し言葉の世界に生きていた人類はあるとき、声としてはかなく消え去る運命にあったことばを記録として残す手段としての文字を手にします。
マクルーハンは「すべてのメディアは人間の機能および感覚を拡張したものである」と言いますが、文字というメディアを手にした人類に対して、オングは「どんな発明にもまして、書くことは、人間の意識をつくりかえてしまった」といいます。

オングは、プラトンが書くことに対して嫌悪を表明していることを紹介しつつ、しかし、プラトンが実践していた哲学的思考こそが、声の文化にはありえなかった抽象的で客観的で、何より「イデア」というものを持ち出しているように生活世界からの密着とは程遠い思考であったことを指摘しています。

『パイドロス』や『第七書簡』のなかで、プラトンは、書くこと​に深刻な留保を表明していた。書くことは、知識を処理する手段と​しては機械的で非人間的であり、〔書かれたものは〕尋ねられても​即座にこたえられず、記憶力をそこなわせるものだ、というように​。しかしそれにもかかわらず、われわれがいまや知っているように​、プラトンがそれを求めて戦った哲学的思考とは、この書くことに​全面的に依存していたのである。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

ただ、古代ギリシア以降、人類が文字の文化に移行して、それまでにはなかった哲学的な思考が生まれても、それは以前、僕らの印刷以降のエレクトリック文化とはまったく異なるものでした。

というのも、文字が生まれ、手書き本が書かれ読まれるようになっても、その文字はあいかわらず声としての言葉を呼び覚ますきっかけにすぎないと捉えられていたからです。
昨日の「ホメロスらの詩的作品が「ある特殊な状況のもとでのある特殊なできごと」であるのと全く同じようにユーザーインターフェイスとのインタラクションも同様にコンテクストに依存する」という記事でも、中世のスコラ哲学者トマス・アクイナスが口述筆記で自身の著作を綴っていたことを紹介しましたが、書くことも口述筆記のような形で行われれば、読む行為も必ず声に出して読むという形で行われていたのが印刷以前の手書き文字の時代であったといいます。

われわれは、読むことは視覚的な活動であり、その活動がわれわれに音を指示すると感じているのに対し、印刷の初期の時代の人びとは、読むことは、まず第一に聞く過程であり、視覚はたんにそのきっかけをつくるにすぎないと、なおも感じていた。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

印刷技術以前、そして、印刷本が生まれてまもなくの時代まで、あくまでことばは声だったのです。外世界に音声として響いてはじめて、それはことばとしての意味を成したのです。
それが外世界に響く音ではなく、人びとの内面で静かに鳴るこころの声になったのは、印刷本が普及し、人びとが本を黙読しはじめてからでした。かつて、複数人が集まって声を出して読まれた本は、それぞれが私有できるようになった印刷本を誰にも読むのを邪魔されない個室で黙読される形に変わったのです。

印刷物によって、書くことが人びとのこころに深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、なんであれ抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思っていなかった。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

そして、その時、ことばは紙面にレイアウトされる物的な存在となり、ことばであらわされる概念もまた、実生活の文脈とは別に本を所有する人が自由に編集可能なものに変わったのです。

正確に同じものを繰り返せるということ

はじめにも紹介したように、声の文化に生きる吟遊詩人たちもその詩の聴衆たちも詩が正確に同じように繰り返されることに意味を感じたりしませんでした。

正確に同じものを繰り返すことに意味が生じたのは、まさに印刷技術によって同じ本を複数生産できるという大量生産の第一号商品としての印刷本が生まれ、人びとに受け入れられたからでした。
それはルネサンス期にはじまる変化ですが、その「正確に同じものを繰り返すこと」が可能になったという変化は、文字が哲学的思考を生んだのと同じように、人類には新しい思考形式を可能にしたのです。
その新しい思考こそがほかでもない近代科学的思考です。

正確に反復できる視覚情報があらたに生まれ、そのことによって生じた帰結の1つが近代科学である。正確な観察は、近代科学とともに始まったわけではない。はるか昔から、たとえば、猟師や多種の職人が生き残るためには、正確な観察がつねに欠かせなかった。近代科学をそれ以前のものと区別するのは、正確な観察をことばによる正確な表現と結びつけたということ、つまり、注意深く観察された複合的な事物や過程を、正確なことばで記述したということである。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

ここでオングが指摘しているように、正確になったのは観察眼のほうでなく、その結果の表現の正確な反復だったのです。同じ条件で同じ方法で行ったのであれば誰が行っても同じ結果が出ることを求める近代科学の実験の思想などはまさにこの表現を正確に反復することが可能であることを前提としたものです。そして、この発想はT型フォードに代表されるような初期の大量生産品の画一性にもつながっていくことなどは、マクルーハンも同様の指摘をしていますが、オングもまた本書で印刷技術により人びとの思考や表現への影響として、そうした点を指摘しています。

このあたりの印刷技術がもたらした変化に関しては、次に紹介しようと思っているバーバラ・スタフォードの『アートフル・サイエンス―啓蒙時代の娯楽と凋落する視覚教育』に詳しいので後日あらためて書こうと思います。

というわけで、あまり長くしまってもいけないので、ほんの一部しか紹介できないことが残念なほど、これからの情報技術と人びとの生活や思考の関係を模索しデザインしていく上では知っておくべき事柄が満載な一冊です。
くりかえしますが、ぜひぜひ手にとって読んでいただきたいと願います。



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2011年08月18日

ホメロスらの詩的作品が「ある特殊な状況のもとでのある特殊なできごと」であるのと全く同じようにユーザーインターフェイスとのインタラクションも同様にコンテクストに依存する

前回「おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する」を書いたのが、7月6日の土曜日なので、すでに10日以上が過ぎました。ブログを書かない日々がどんどん過ぎ去っていくのを感じて、おやおやと思っています。

あいかわらず「声の文化」という僕たちにとっては非常にオルタナティブな環境に生きた人びとの思考に驚きを感じつつ、人ともの、あるいは、人と情報のあいだのインタラクションの可能性としては、印刷以降の視覚偏重思考を超えたものを「声の文化」的なところから考えることができそうだなと感じつつも、なかなかそれをこまめにブログを書いていくことができなくなっていて、ちょっと残念。
その分、Facebookページのほうに小分けにして、このあたりの考えを書き出してもいるので、気になる方はそちらも見ていただいて、どんどんコメントください。


DESIGN IT! w/LOVE Facebookページ

さて、そんな風にブログを書かずにいるあいだにも読書のほうは進んでいて、ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』を読み終え、メアリー・カラザースの『記憶術と書物―中世ヨーロッパの情報文化』を読み始めています。

これがまた、おもしろい。

記憶術という点では「記憶術/フランセス・A・イエイツ」であったり、中世ヨーロッパの思想という点では「中世の覚醒/リチャード・E・ルーベンスタイン」や知はいかにして「再発明」されたか/イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートンといったあたりともつながっているのですが、それよりも僕はマクルーハンやオングの流れで、印刷以前の人びとのものの認識の仕方や世界の捉え方ってどうだったんだろう?という観点から興味深く読んでいます。

ジョルジョ・アガンベンが『事物のしるし 方法について』という本のなかで、人文科学の最近の流れのなかで認知科学的なものが主流となっている傾向に対して、方法のコンテクスト性といった視点から警鐘を鳴らしています。
僕もまったく同様のことをずっと感じていて、認知に用いる方法が変われば人間の認知などというのは大きく変わるのに、そのことを視野にいれずに現代の人びとの認知のみを調べて認知のなんたるかを議論する傾向の強い認知科学には疑問を感じているし、それを土台にした人間中心設計(HCD)やHCI的な考えも再考の余地が大いにあると考えています。ようするに、マクルーハンやオングらが民俗学的な視点も踏まえつつ、印刷文化以降の人間の思考や感覚の特徴を括弧に入れ、それが印刷というメディアがもたらす活字文字文化がインストールされた文化の特徴であって、それをもって人間そのものの特徴と考えるのがどれだけおかしいかを示してくれているのに、それを無視して、現代の人間の認知傾向だけをたよりに情報システムだのユーザーインターフェイスだのを考えるのは、あまりに間抜けすぎると感じています。

ということを思っている人が書いているのだという前提で、今回も「声の文化」の特徴についてすこしまとめてみようと思います。

手書き本の文化のなかでは、本を、1つの対象物というより、一種の発話として、つまり、会話のなかでの1つのできごととして見るような感覚がずっと保たれていた

というわけで、前回の「おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは~」でもすこし書いた「かつて言葉は記号ではなく、それゆえモノにタイトルとしての言葉がつけられることはなかった」という話の続きから。

言葉を記号として扱うことなかった「声の文化」や印刷以前の手書き文字の文化においては、ことばは何より音声であり、書かれた文字も声に出して読むためのものでした。ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』のなかの、こんな一文が「声の文化」やそれに続く印刷以前の写本の時代に生きた人びとと現在の僕らとの、言葉と物の関係に対する感覚の違いを際立たせてくれます。

手書き本の文化のなかでは、本を、1つの対象物というより、一種の発話として、つまり、会話のなかでの1つのできごととして見るような感覚がずっと保たれていた。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

実際、スコラ哲学を代表とする中世に書かれた本を読むと、その記述形式が話し言葉で行なわれる議論の形式をとっているのがわかります。それは会話的であるがゆえに、冗長な繰り返しも見られます。実際、それらの本は口述筆記で書かれたものがほとんどだったといいます。

メアリー・カラザースは『記憶術と書物―中世ヨーロッパの情報文化』のなかで、スコラ哲学の大家であるトマス・アクイナスが口述筆記で一度に3つの本の内容を筆記させたという驚くべき話を紹介しています。筆記者が、アクイナスがまるで本を読むかのように書くべき内容を声にして出したことを驚いたという話なのですが、そもそも、印刷以前の中世からルネサンス初期にかけては、アクイナスがそこにない本を読むように自分のこれから書かれるべき本の内容を口にしたのと同様に、本は声に出して読まれるものであったのです。そして、それは知識が物質のように蓄えられている空間というよりも、声や発話を呼び覚ますきっかけとして認識されていたのであり、だからこそ、そのきっかけもなしに知識を呼び覚ますことができるアクイナスの行為が驚かれたのです。

書物は、必ずしもテキストと同じものではない。「テクスト」とは、人間が文字による作品を作る材料である。私たちにしてみれば、テクストは必ず書物の形をとっているので、書物とテクストの区別があやふやになり、失われてさえいる。しかし、記憶文化の中では、「書物」は「テクスト」を覚える手段のひとつにすぎず、忘れがたい言行を記憶に供給し、また記憶に合図を送るものだった。

とした上で、カラザースはアクイナスの「物事は記憶を助けるために、書物という物に書きとめられているのである」という言葉を紹介しています。中世までの記憶はそもそも僕らが考える、知っていることの復唱ではなく、記憶されたさまざまな知を用いて発見的な想起を行うことと考えられていたのです。

カラザースはさらに記憶​術の大家のひとり、アルベルトゥス・マグヌスが「物事は聞くだけ​では完全に自分のものにならない。見ることでしっかり印象に残る​」と言っているのを紹介しつつ、記憶術が文字がまったくなかったギリシア以前の文化のみならず、手書き文字の写本があった中世においても重視され、そこでその術における視覚的なものの重要性を指摘しています。記憶術が視覚を重視する傾向があるのは「記憶術/フランセス・A・イエイツ」で古代における記憶術が記憶の場として建築を用いていたことからもうかがい知ることもできます。

ことばを記号として考えてなんの疑問も感じないわれわれの態度は、すべての感覚、さらにはすべての人間的な経験を視覚に類似したものと考えてしまう傾向にもとづいている

記憶術が視覚をたよりにしていたという事実は、現代の僕らが本に知識が記録されていると感じるような意味ではないことをあらためて理解しておくことが必要です。

というのも、カラザースが「その当時の記憶というのは、訓練された記憶、十分に発達した教授法に即して教え込まれ、仕込まれた記憶を意味していた。そして、このような訓練された記憶は、文法や論理学、修辞学などと並んで、初歩的な言語技能の一部とされていた」という記憶を効果的に用いるための記憶は、先にも紹介したように、記憶されたさまざまな知を用いて発見的な想起を行うためのものでした。

かれが思いだしているのは、記憶されたテクストではない。なぜなら、そんなものはないからである。また、逐語的なことばのつながりでもない。かれが思いだしているのは、他の歌い手たちがかつてそれを歌い、かれがそれを聞いたところの主題やきまり文句である。かれはそれをいつも違ったふうに思いだす。つまり、特定の場で、特定の聴衆のために、自分流にそれを朗誦する、つまり、縫い合わせる。「歌は、かつて歌われたもろもろの歌の思い出なのである」。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

ホメロスなどの口承時代の詩人たちにとって思い出すべき「記憶されたテクスト」などはそもそもありませんでした。彼らの記憶にあったのは、自分以前に他の詩人が歌った歌の記憶です。彼らはそれを主題やきまり文句として記憶したのであり、詩全体を同じものとして記憶しようとは考えませんでした。いや、そもそも、詩全体の同一性など、つかみとることも、それに意味を見出すこともなかったのでしょう。彼らはそれぞれ自分なりに、かつての歌の思い出を歌ったのです。

そこでは僕らが記憶と聞いて想像するような「同じものの想起」は求められていなかったのです。いや、より正確にいうなら、僕らのように同一のものの繰り返しを求める価値観自体が、印刷文化以降にあらわれたものです。話しことばではもちろん、手書きで書かれた本でさえ、同じものは2冊としてなかったのですから。本が物として認識されるようになったのは、それが物のように同じ存在が2つにある状態が現実となったからなのでしょう。
そして、本が物として認識されることで、それに名前が付けられます。

印刷とともにタイトルページが現れることは、すでに見たとおりである。タイトルページとはレッテルなのである。それは、本を一種のものないし対象物と見る感覚をあらわしている。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

こうしたもののレッテル=ラベルとして言葉を使う傾向、「ことばを記号として考えてなんの疑問も感じないわれわれの態度は、すべての感覚、さらにはすべての人間的な経験を視覚に類似したものと考えてしまう傾向にもとづいている」とオングはいいます。そして、続けて、そのような傾向は、声の文化から手書き文字の文化に移行する中で目立つようになり、活字文化やエレクトロニクス文化を経ていっそう顕著になったものだというのです。

反イリュージョニズムの立場は17世紀末フランス懐疑派の自由主義の伝統に根を持っていた。フォントネルのデカルト的な懐疑の知が働いて、やがて18世紀後半にはどうしようもなくはっきりするはずのある重要な区別が浮き彫りになる。彼は深い専門家的観察と上っつらの讃嘆というものを区別した。いかにも魅惑的という現象に目を止めるぐらいのことなら、舞台の上の驚異や奇跡を眺めるのと同じく、「一種の魔術」なのであって、深い理解など何も必要ない、と。

バーバラ・M・スタフォードが『アートフル・サイエンス―啓蒙時代の娯楽と凋落する視覚教育』で詳述している18世紀後半にあらわれる「どうしようもなくはっきりするはずのある重要な区別」はまさに、視覚偏重のプロフェッショナルな観察〜分析をよいものとして浮かび上がらせる代わりに、聴覚/触覚的なものや言葉と手を握らなかった曖昧な視覚的表現を悪質なもの、低俗的なものとして区分する価値観を定着していく背景には、まさにこの印刷技術がもたらした、あらゆるものを同じ空間的フォーマットにおさめてしまう印刷レイアウト的な感覚が大きく影響しているのだといえます。

時間は、カレンダーや時計の文字盤のうえで空間のようにあつかわれるならば、手なずけられるように見える。しかし、これは時間を時間でないものにしてしまうことでもある

声であり音であったことばは、印刷本の上で物のように配置されるものにとって変わりました。

音は時間のなかのできごとであり、「時間は歩みつづける」。時間はうむことなく歩みをつづけ、そこにはどんな停止も分割もない。時間は、カレンダーや時計の文字盤のうえで空間のようにあつかわれるならば、手なずけられるように見える。つまり、一見、たがいに隣接している分離した単位に分割されているように見える。しかし、これは時間を時間でないものにしてしまうことでもある。現実の時間はけっして分割されず、中断されずにつながっている。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

時間はカレンダーや時計の文字盤のうえで視覚的に空間的に―かつ静止した状態で―表現された時から、把握しやすくなると同時に、本来の時間がもつうつろいやすく立ち止まらない性質を失います。時間は時間がもつ本来の動的な性質を殺して空間的に静止されてはじめて、僕らが理解しやすい状態―つまり手なずけた状態―にできるのです。

同じことが、言葉とものの関係にもいえるのです。声としてのことばは時間と同様うつろいやすく、けっして静止した視覚的な現象としてとらえられるものではありません。声の文化の詩人ホメロスが、ことばについて語るとき、「翼をもったことば」という常套句を用いるように、ことばはたえず動いていて、もののように世界に縛られることはないと考えていたのが、文字以前の人々のことばに対する感覚でした。

その感覚が言葉が印刷技術によって本の上に固定されるようになって大きく変化したのです。そして、言葉はレッテル、ラベルのように物にはりついた記号となり、僕らは言葉を視覚的に追いかけるだけでそのラベルやレッテルが指し示すものに実際に触れているかのような錯覚を受け入れられるヴァーチュアルな感覚を身につけたのです。これはとんでもなく大きな飛躍だといえるでしょう。

詩的作品の独創性は、この歌い手あるいは語り手が、この瞬間、この聴衆に対してかかわる、そのありかたのうちにある

では、僕らのようなヴァーチュアルな感覚を身につける前の、書き文字文化までの社会に生きる人びとにとって、ことばがものを指し示す記号ではないとしたら、ことばは何との関係で語られたのでしょう。

それは「状況」だといえます。

詩をとりまいている状況からその詩を切り離すなどということは、声の文化では想像もできない。声の文化では、詩的作品の独創性は、この歌い手あるいは語り手が、この瞬間、この聴衆に対してかかわる、そのありかたのうちにあるのだから。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

物のように空間に固定された視覚偏重な感覚をもたない声の文化に生きる人びとにとって、音声である会話として現れては消え去ることばというのは、僕らが五感すべてを通して感じる状況やそこでの行動、イベントと同じようにアクティブなものだったはずです。
それが行動やイベントなのであれば、それはその場のコンテクストに依存するのは当然でしょう。それが舞台で演じられる劇中の行為や台詞であろうと、それはその劇中のシーンと強く結ばれているのであって、声や行為を写真のように静的な状態に切り取ることはできません。

まさに、これはインタラクティブシステムのための人間中心設計において、コンテクスト・オブ・ユースが重視されるのとまったく同じであることに皆さんは気付くでしょうか? 静的な視覚ではなく、声や行動が問題になった際には、人びとがまわりの世界(のインターフェイス)と接する状況そのものが、人間の感じる価値=意味に大きく影響を与えるのです。

先の引用に続けて、オングはこんな風にも言っています。

詩的作品は、もちろん、ある意味で、ある特殊な状況のもとでのある特殊なできごとであり、他の種類のできごととは区別される。けれども、詩的作品の目的ないし結果が、たんに審美的なもの[つまり、実生活から離れて鑑賞されるもの]にすぎないことはめったにない。叙事詩を口頭で演じ語ることは、同時に、たとえば、祝祭の行為としても、パイデイアつまり若者のための教育としても、集団の一体性を強めるためにも、また、あらゆる種類の伝承の知識を生き生きと保つやりかたとしても、役立つことができる。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

これを読んでもまだコンテクスト・オブ・ユースとの関連性にピンと来ないのであれば、HCDのことなどは忘れた方がいいw
「詩的作品は、もちろん、ある意味で、ある特殊な状況のもとでのある特殊なできごと」であるのとまったく同じ意味で、ユーザーインターフェイスとのインタラクションは「ある特殊な状況のもとでのある特殊なできごと」なのであり、その「目的ないし結果が、たんに審美的なもの[つまり、実生活から離れて鑑賞されるもの]にすぎないことはめったにない」のです。

まさに、僕はこのような意味で、印刷技術やそれにともない生じた大量生産文化がもたらした視覚偏重文化とは異なる、話し言葉や手書き文字文化の人びとの感覚に、現代そして今後のインタラクションデザインを考えるためのヒントがあると考えているのです。
そんな意味で、最近は「おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する」や「事件でありできごとである話しことばでは人は客観的で分析的な思考をするのがむずかしく、メタ認知を働かせて研究やデザインをすることができない」という記事は書いているし、これからものんびりとこのあたりのことを考えていくのでしょう。



関連エントリー

2011年07月13日

猛スピードで積み重ねられる過去と不確定な未来に板挟みにされてすでに虫の息である現在において、新しさも懐かしさも感じられなくなった社会で僕らはどうしていくべきか?

新しい技術でつくられたものよりも古い技術でつくられたもののほうが好きです。とにかくクラシックな作りのものに惹かれます。懐かしさからではなく、新鮮さから古いもに惹かれている僕がいます。

もう5年以上、その傾向が続いているのですが、手作りで丁寧に作られた品や機械を用いていても今とは比較にならないほど丁寧な作りのものに惹かれます。陶磁器や織編品、木工、竹編品などの民藝・工芸品が好きなのは以前からお伝えしていたとおりですし、身につけるものでも好きなブーツは100年以上の歴史のあるブーツメーカーのものだったり。も19世紀後半から1930年代くらいのものをリプロダクトした商品のもつ独特の縫製やディテールに魅了されます。現行品にはあり得ないほどの細かい運糸で縫われたシャツやジーンズ。洗うと縮む綿の生地と縫製糸が独特のパッカリングを生んで、それが着込めば着込むほど、愛着のある味になります。
逆にいうと、新しいテクノロジーを使ったガジェットや流行のファッションなどにはまったく興味がもてなかったりします。



それから、よく考えると、本の好みに関しても似たような傾向があり、新刊のビジネス書などに興味を惹かれることはほとんどなくて、読むのは、折口信夫さんや白川静さん、宮本常一さん、マーシャル・マクルーハンランスロット・L・ホワイトのようにすでに亡くなられた方の作品か、扱うテーマが現代ではなく古代からせいぜい19世紀までのものだったりします。

ただし、古いものが好きだといってもノスタルジーや懐かしさからそういうものに惹かれているのではありません。なにしろ、ほとんどの対象を僕自身がリアルタイムに経験してきていないような時代のものなので、そもそも懐かしさなど感じようもないものです。

では、なぜ古いものに惹かれてるかといえば、むしろ、僕にとっては、古い技術でつくられたもののほうに現在普通につくられているものにはない新しさを感じるからだし、本の場合でも自分たちが普段考えたのでは思いつかない発想が時代の違う場所でのほうが見つかると感じられているからです。つまり、僕は自分が新鮮に感じられ、かつ共感をもてるものを探すのに、時間軸的な新しさ/古さとは無関係に選びとろうとしているのです。それは少なくとも僕にとっては社会的に新しくつくられたということが必ずしも新鮮に感じられないということを意味します。
この話のうちの「社会的に新しいものが必ずしも新しく感じられるものでない」ということに関しては、おそらく僕より若い世代の人たちのほうがより当たり前のように感じていることだったりするのではないでしょうか?

最近、ソーシャル化する社会を話しことば社会化する世界であると述べてきましたが、今日のこの話に関しては、まったく逆で、書き言葉社会のひとつの完成形が現在のこの新しさも懐かしさも欠いた世界であるという視点からすこし雑多に述べてみたいと思っています。

ないがしろにされる現在

フランスの作家であるジャン=クロード・カリエールは、イタリアの中世学者であるウンベルト・エーコとの対談 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで、技術の進歩のスピードがとてつもなく高速化したことで過去が積み重ねられる速度はどんどん早くなっていく一方で、未来は相も変わらず不透明なままだったりすることもあり、そんな過去と未来に挟まれた現在はどんどん居場所をなくし存在感が希薄になっているという話をしています。

未来は過去を尊重しませんが、現在はもっと粗末な扱いを受けています。飛行機の機体組立士たちは、今日、20年後に実用化される飛行機の製作に取り組んでいますが、燃料に使われる灯油は、20年後にはもう存在しません。心底驚くのは、現在がすっぽり消えてなくなってしまっていることです。(中略)過去は猛スピードで我々に追いつき、遵守しているやり方はすぐに3ヶ月くらい前のものになってしまいます。未来は相変わらず不確かで、現在はしだいに縮んで、消えてしまうのです。
ウンベルト・エーコ&ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

あまりに早すぎる時間の流れが、いま最先端の事柄を学び取ろうとする努力も、それがようやく実を結ぶくらいの3ヶ月後には学ぶ対象だった事柄自体が過去のものになっているというのが、上の引用の前後で語られている話です。
こういったスピード感はまさに僕ら自身が感じとっていることであり、一瞬でも躊躇して立ち止まったら置いてけぼりを食うのが今の刻の流れではないでしょうか。かといって、未来は誰にも予測できるはずもなく、僕らはほんの一瞬前にみた対象が完全に視界から消え去る前に捕まえて、とにかく自分の身になるように、それを使い、それを語ることで、なんとか未来から見捨てられないようにしています。そのとき、どうしても犠牲になってしまうのが、イマココの現在です。

計画という名の下に、未来のために現在を犠牲にするのは人間の悪癖であるといったのは、ジョルジュ・バタイユですが、まさにジャン=クロード・カリエールが「私たちは終身学習刑を宣告されている」という言葉で表現するのは、いくら学んでも学びきれないほどの猛スピードで過去が蓄積される現代の流れにおいては、進歩という幻想の未来に向かう人間の罪を償うしかない僕らの社会の悪癖なのでしょう。

印刷革命と時間感覚の変化

時が流れていくのは、話しことば社会でも、書き言葉社会でも変わりありません。異なるのは、書き言葉社会の場合、流れた時の軌跡が視覚的に残ってしまうということです。

おしゃべりの痕跡はそれをあらかじめ録音する意図などなければきれいさっぱり消えてなくなりますが、本に書かれた言葉は誰かが読んだあとでも変わらず残っています。いや、誰かが読むかどうかに限らず、本に書かれた言葉は一定です。おしゃべりにおいては人がことばを実際に発しないかぎり流れは存在しないし、見えていないのとは大違いです。

マクルーハンが印刷本を最初のマスプロダクトだといったのも、そうした面から理解する必要があると思っています。

印刷技術とともに、ヨーロッパは人間の長い歴史のなかで、消費を社会の原動力とする消費時代の最初の段階にさしかかったのだった。なぜなら、印刷はたんなる消費媒体であり商品であるにとどまらず、人間が自分のすべての経験、あらゆる活動を線形システムにもとづいて再組織してゆく営みを教示していたからだ。また印刷は人間に対して市場を作り出し、国民軍を創設する方法も教えたのだった。

印刷革命によって、ヨーロッパは中世から近代への歩みをはじめました。それは時間が生命的に流れる時代から機械的に刻まれる時代への移行です。また、それは一直線に流れる時間を具体的に大量生産しはじめた契機でもあったはずです。
先に過去と未来のはざまで現在が犠牲になるという話をしましたが、そうした現象が起こってしまうのも、マクルーハンがグーテンベルク以降の変化として「新しく生まれた時間と空間の観念は、時間と空間を事物や活動によって満たされるべき容器と見なしはじめた」と指摘するような、時間を視覚的に満たすべき容器として捉えるような視点がデフォルトになっている僕らの時間概念によるものです。
古代の人びとの時間概念であれば、逆にそうした現象は起きえないのです。

村には歴史がなかった。過去を考えぬ人たちが、来年・再来年を​予想したはずはない。先祖の村々で、あらかじめ考えることのでき​る時間があるとしたら、作事はじめの初春から穫り納れに至る一年​の間であった。
折口信夫「若水の話」『古代研究〈1〉祭りの発生』

古代の人びとには過去も未来もなかったのです。昨日や明日ができてからも、それはいまのように線形に進む時間概念をあらわすものではありませんでした。それは次のような「みこと」「祝詞」と時空間の関係にもあらわれています。

みこともちをする人が、その言葉を唱えると、最初にみことを発した神と同格になる、ということを前に云ったが、さらにまた、その詞を唱えると、時間において、最初それが唱えられた時とおなじ「時」となり、空間において、最初それが唱えられた処とおなじ「場処」となるのである。つまり、祝詞の神が祝詞を宣べたのは、特にある時・ある場処のために、宣べたものと見られているが、それと別の時・別の場処にてすらも、一たびその祝詞を唱えれば、そこがまたただちに、祝詞の発せられた時および場処と、おなじ時・処となるとするのである。
折口信夫「神道に現れた民族論理」『古代研究―2.祝詞の発生』

僕はこの折口信夫さんの語る古代の時間感覚を知ったさいに衝撃を受けたのですが、けれど、こうしたものが、古代から中世まで基本的に続いていた時間感覚なんだろうといまではつよく信じられるようになりました。

むろん、印刷による大量生産はできないまでも、すでに文字による記録が可能になったギリシア以降、中世までは、書くことによって時の記録そのものは可能でした。ただ、それは蓄積する過去の量としても限られましたし、そのアーカイブに対するアクセシビリティも非常に限られた範囲であったため、アーカイブの共有はほぼ不可能で、それはまた共通にひとつの線形的な時間を共有することの不可能さでもありました。

おそらく印刷本によって生み出された大量の蓄積され固定され視覚化された過去がなければ時計の発明もいまのような意味をなさなかったでしょう。
印刷革命というのは、その意味で体内時計的で自然な時間を刻んでいた世界を、一直線に流れる機械的な時間へと置き換えたという意味でも革命だったのです。

ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになる

印刷革命によるマスプロダクトの発明は同時に、アーカイブされるデータと実際に利用者されるアウトプットを別物として切り分けたクラウドモデルの先駆けだと捉えていいと思っています。
逆にいえば、マスプロダクトというのはクラウドモデルに至る過渡期の形態であって、蓄積されるオリジナルデータと僕ら一般の人びとが利用するアウトプットされた情報/商品は、ひとつ前の「無文字社会に生きる人びとに目を向けると、文字通り、リテラシー=読み書き能力が人間の思考や社会生活を変えるのだということに気づかされる」でも書いた個人の意識と行動の分離や、イデアと個々の現象と同様の関係として切り離されたと考えていいでしょう。いや、それを切り離すことを発明し、その現実における有効性を社会に浸透させたのが印刷革命であり、その延長にあるものとしての情報技術革命だと思います。

機械時代の終焉を迎えているにもかかわらず、なお人びとは、新聞やラジオは、いやテレビさえも、情報形態であることは認めながらも、実は車や石けんやガソリンと同じように有形商品(ハードウェア)の製造者や消費者によって売買されるものと考えていた。オートメーションが地歩を固めるにつれて「情報」こそが肝心の商品であって、有形の生産品は情報の移動を助ける付随物にすぎないことが明確になってくる。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

そう。情報技術はあくまで印刷技術の延長にあるのであって、電子書籍を紙の書籍と対立させるのは狭い業界的な対立以外にはまるで意味がないことです。

すこし話は変わりますが、最初に民藝・工芸的なものに魅力を感じると書きましたが、それらも紛れもなく大量生産的な生産物であることを僕らは忘れてはいけないと思っています。それらがアーカイブされ、時代をはるか下った僕らも利用可能なのは、それがデジタルなサービス同様のITの恩恵を広い意味では受けているのだということも、僕らはあらためて認識しておくことが大事だと思っています。

生活道具は企業ではなく個人の手によって作られるものが多いから、作る人がいなくなると、そのまま途絶えて、消えていくものも多いと思います。作り手は有限の時間のなかでものを作っているのだから、それも仕方がないことだと思っています。でも、ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになるでしょう。生活道具はそんな風にして途切れながら、またつながるようなかたちでバトンリレーされ、技術まで伝わってきたのだと思うのです。

昔、この松本で活躍する木工デザイナーの三谷さんの文章を読んだときに、僕は実はちょっと違和感を感じました。違和感を感じたのは、「ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになる」という部分です。まさにここがデジタルなコピーと同様なものに感じられて、工芸というイメージとのギャップを憶えたのです。

ただ、僕がいま、この話を持ち出したのは、まさに僕が前に感じた違和感こそが、先ほどあらためて認識することが大事と書いたITの恩恵を、当時の僕自身が理解できてなかったと思うからです。
三谷さんのいう「ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになる」ということに、僕はデジタルな印象を受けて、そこに違和感を感じたのですが、僕はいまはっきりとデジタルな印象をうけたこと自体は正しく、そこに違和感を感じたことが間違いだったと考えています。
つまり、いったん時代とともに失われた魅力的なものが再生するのは、まさにデジタルの恩恵にほかならないと僕はいま考えているのです。違和感を感じた当時は、実際に物理的にものをつくる手仕事的な作業と、過去に失われたものを再生しようとする頭の働きをごっちゃにしてしまったのですが、そこは分けて感じるとないといけません。

僕らがこれからすべき2つのこと

まさに冒頭に書いた僕の好きなクラシックなつくりのものはデジタルな技術によってものとしてつくられているわけではないのですが、僕がそれに対して魅力を感じて、かつ、それを実際に購入して利用できるためには、現在の膨大なアーカイブを保存でき利用でき共有できる情報技術なしでは実現されないはずなのです。
それは単に技術そのものの問題であるだけでなく、その技術の利用に慣れた僕らの頭と社会におけるリテラシーの形成の問題でもあるのです。

というわけで、僕らはいま非常に複雑な時代に生きているのです。一方で今回書いたようなきわめて記録的で、書き言葉的な社会における最新の動向があり、他方、「話しことば社会への回帰だろうか?」で書いたようなこともあるからです。

いずれにせよ、こうした状況下において僕らが行うべきことは、2つです。
まず1つはこうした僕ら自身が置かれた時代の傾向をさらに深く理解すること。
それと同時にもう1つ、現在が消えてなくなってしまう危機にあるくらい、過去と未来の両方に板挟みになっている状況から抜け出すために、これまで手をつけてこなかった未来予測についての学問に真剣に取り組むべきなのだろうと思っています。



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2011年07月13日

猛スピードで積み重ねられる過去と不確定な未来に板挟みにされて、すでに虫の息である現在で、新しさも懐かしさも感じられなくなった社会で僕らはどうしていくべきか?

新しい技術でつくられたものよりも古い技術でつくられたもののほうが好きです。とにかくクラシックな作りのものに惹かれます。

もう5年以上、その傾向が続いているのですが、手作りで丁寧に作られた品や機械を用いていても今とは比較にならないほど丁寧な作りのものに惹かれます。陶磁器や織編品、木工、竹編品などの民藝・工芸品が好きなのは以前からお伝えしていたとおりですし、身につけるものでも好きなブーツは100年以上の歴史のあるブーツメーカーのものだったり。も19世紀後半から1930年代くらいのものをリプロダクトした商品のもつ独特の縫製やディテールに魅了されます。現行品にはあり得ないほどの細かい運糸で縫われたシャツやジーンズ。洗うと縮む綿の生地と縫製糸が独特のパッカリングを生んで、それが着込めば着込むほど、愛着のある味になります。
逆にいうと、新しいテクノロジーを使ったガジェットや流行のファッションなどにはまったく興味がもてなかったりします。



それから、よく考えると、本の好みに関しても似たような傾向があり、新刊のビジネス書などに興味を惹かれることはほとんどなくて、読むのは、折口信夫さんや白川静さん、宮本常一さん、マーシャル・マクルーハンランスロット・L・ホワイトのようにすでに亡くなられた方の作品か、扱うテーマが現代ではなく古代からせいぜい19世紀までのものだったりします。

ただし、古いものが好きだといってもノスタルジーや懐かしさからそういうものに惹かれているのではありません。なにしろ、ほとんどの対象を僕自身がリアルタイムに経験してきていないような時代のものなので、そもそも懐かしさなど感じようもないものです。
では、なぜ古いものに惹かれてるかといえば、むしろ、僕にとっては、古い技術でつくられたもののほうに現在普通につくられているものにはない新しさを感じるからだし、本の場合でも自分たちが普段考えたのでは思いつかない発想が時代の違う場所でのほうが見つかると感じられているからです。
つまり、僕は自分が新鮮に感じられ、かつ共感をもてるものを探すのに、時間軸的な新しさ/古さとは無関係に選びとろうとしているのです。それは少なくとも僕にとっては社会的に新しくつくられたということが必ずしも新鮮に感じられないということを意味します。

この話のうちの「社会的に新しいものが必ずしも新しく感じられるものでない」ということに関しては、おそらく僕より若い世代の人たちのほうがより当たり前のように感じていることだったりするのではないでしょうか?
最近、ソーシャル化する社会を話しことば社会化する世界であると述べてきましたが、今日のこの話に関しては、まったく逆で書き言葉社会のひとつの完成形がこの新しさも懐かしさも欠いた世界であると思っています。今回はその辺りをすこし。

ないがしろにされる現在

フランスの作家であるジャン=クロード・カリエールは、イタリアの中世学者であるウンベルト・エーコとの対談 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで、技術の進歩のスピードがとてつもなく高速化したことで過去が積み重ねられる速度はどんどん早くなっていく一方で、未来は相も変わらず不透明なままだったりすることもあり、そんな過去と未来に挟まれた現在はどんどん居場所をなくし存在感が希薄になっているという話をしています。

未来は過去を尊重しませんが、現在はもっと粗末な扱いを受けています。飛行機の機体組立士たちは、今日、20年後に実用化される飛行機の製作に取り組んでいますが、燃料に使われる灯油は、20年後にはもう存在しません。心底驚くのは、現在がすっぽり消えてなくなってしまっていることです。(中略)過去は猛スピードで我々に追いつき、遵守しているやり方はすぐに3ヶ月くらい前のものになってしまいます。未来は相変わらず不確かで、現在はしだいに縮んで、消えてしまうのです。
ウンベルト・エーコ&ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

あまりに早すぎる時間の流れが、いま最先端の事柄を学び取ろうとする努力も、それがようやく実を結ぶくらいの3ヶ月後には学ぶ対象だった事柄自体が過去のものになっているというのが、上の引用の前後で語られている話です。
こういったスピード感はまさに僕ら自身が感じとっていることであり、一瞬でも躊躇して立ち止まったら置いてけぼりを食うのが今の刻の流れではないでしょうか。かといって、未来は誰にも予測できるはずもなく、僕らはほんの一瞬前にみた対象が完全に視界から消え去る前に捕まえて、とにかく自分の身になるように、それを使い、それを語ることで、なんとか未来から見捨てられないようにしています。そのとき、どうしても犠牲になってしまうのが、イマココの現在です。

計画という名の下に、未来のために現在を犠牲にするのは人間の悪癖であるといったのは、ジョルジュ・バタイユですが、まさにジャン=クロード・カリエールが「私たちは終身学習刑を宣告されている」という言葉で表現するのは、いくら学んでも学びきれないほどの猛スピードで過去が蓄積される現代の流れにおいては、進歩という幻想の未来に向かう人間の罪を償うしかない僕らの社会の悪癖なのでしょう。

印刷革命と時間感覚の変化

時が流れていくのは、話しことば社会でも、書き言葉社会でも変わりありません。異なるのは、書き言葉社会の場合、流れた時の軌跡が視覚的に残ってしまうということです。

おしゃべりの痕跡はそれをあらかじめ録音する意図などなければきれいさっぱり消えてなくなりますが、本に書かれた言葉は誰かが読んだあとでも変わらず残っています。いや、誰かが読むかどうかに限らず、本に書かれた言葉は一定です。おしゃべりにおいては人がことばを実際に発しないかぎり流れは存在しないし、見えていないのとは大違いです。

マクルーハンが印刷本を最初のマスプロダクトだといったのも、そうした面から理解する必要があると思っています。

印刷技術とともに、ヨーロッパは人間の長い歴史のなかで、消費を社会の原動力とする消費時代の最初の段階にさしかかったのだった。なぜなら、印刷はたんなる消費媒体であり商品であるにとどまらず、人間が自分のすべての経験、あらゆる活動を線形システムにもとづいて再組織してゆく営みを教示していたからだ。また印刷は人間に対して市場を作り出し、国民軍を創設する方法も教えたのだった。

印刷革命によって、ヨーロッパは中世から近代への歩みをはじめました。それは時間が生命的に流れる時代から機械的に刻まれる時代への移行です。また、それは一直線に流れる時間を具体的に大量生産しはじめた契機でもあったはずです。

村には歴史がなかった。過去を考えぬ人たちが、来年・再来年を​予想したはずはない。先祖の村々で、あらかじめ考えることのでき​る時間があるとしたら、作事はじめの初春から穫り納れに至る一年​の間であった。
折口信夫「若水の話」『古代研究〈1〉祭りの発生』

僕はこの折口信夫さんの語る古代の時間感覚を知ったさいに衝撃を受けたのですが、けれど、こうしたものが、古代から中世まで基本的に続いていた時間感覚なんだろうといまではつよく信じられるようになりました。

むろん、印刷による大量生産はできないまでも、すでに文字による記録が可能になったギリシア以降、中世までは、書くことによって時の記録そのものは可能でした。ただ、それは蓄積する過去の量としても限られましたし、そのアーカイブに対するアクセシビリティも非常に限られた範囲であったため、アーカイブの共有はほぼ不可能で、それはまた共通にひとつの線形的な時間を共有することの不可能さでもありました。

おそらく印刷本によって生み出された大量の蓄積され固定され視覚化された過去がなければ時計の発明もいまのような意味をなさなかったでしょう。
印刷革命というのは、その意味で体内時計的で自然な時間を刻んでいた世界を、一直線に流れる機械的な時間へと置き換えたという意味でも革命だったのです。

ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになる

印刷革命によるマスプロダクトの発明は同時に、アーカイブされるデータと実際に利用者されるアウトプットを別物として切り分けたクラウドモデルの先駆けだと捉えていいと思っています。
逆にいえば、マスプロダクトというのはクラウドモデルに至る過渡期の形態であって、蓄積されるオリジナルデータと僕ら一般の人びとが利用するアウトプットされた情報/商品は、ひとつ前の「無文字社会に生きる人びとに目を向けると、文字通り、リテラシー=読み書き能力が人間の思考や社会生活を変えるのだということに気づかされる」でも書いた個人の意識と行動の分離や、イデアと個々の現象と同様の関係として切り離されたと考えていいでしょう。いや、それを切り離すことを発明し、その現実における有効性を社会に浸透させたのが印刷革命であり、その延長にあるものとしての情報技術革命だと思います。
そう。情報技術はあくまで印刷技術の延長にあるのであって、電子書籍を紙の書籍と対立させるのは狭い業界的な対立以外にはまるで意味がないことです。

すこし話は変わりますが、最初に民藝・工芸的なものに魅力を感じると書きましたが、それらも紛れもなく大量生産的な生産物であることを僕らは忘れてはいけないと思っています。それらがアーカイブされ、時代をはるか下った僕らも利用可能なのは、それがデジタルなサービス同様のITの恩恵を広い意味では受けているのだということも、僕らはあらためて認識しておくことが大事だと思っています。

生活道具は企業ではなく個人の手によって作られるものが多いから、作る人がいなくなると、そのまま途絶えて、消えていくものも多いと思います。作り手は有限の時間のなかでものを作っているのだから、それも仕方がないことだと思っています。でも、ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになるでしょう。生活道具はそんな風にして途切れながら、またつながるようなかたちでバトンリレーされ、技術まで伝わってきたのだと思うのです。

昔、この松本で活躍する木工デザイナーの三谷さんの文章を読んだときに、僕は実はちょっと違和感を感じました。違和感を感じたのは、「ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになる」という部分です。まさにここがデジタルなコピーと同様なものに感じられて、工芸というイメージとのギャップを憶えたのです。

ただ、僕がいま、この話を持ち出したのは、まさに僕が前に感じた違和感こそが、先ほどあらためて認識することが大事と書いたITの恩恵を、当時の僕自身が理解できてなかったと思うからです。
三谷さんのいう「ものに力さえあれば、どこかでまた誰かがそれを作りはじめ、また、暮らしのなかで使われるようになる」ということに、僕はデジタルな印象を受けて、そこに違和感を感じたのですが、僕はいまはっきりとデジタルな印象をうけたこと自体は正しく、そこに違和感を感じたことが間違いだったと考えています。
つまり、いったん時代とともに失われた魅力的なものが再生するのは、まさにデジタルの恩恵にほかならないと僕はいま考えているのです。違和感を感じた当時は、実際に物理的にものをつくる手仕事的な作業と、過去に失われたものを再生しようとする頭の働きをごっちゃにしてしまったのですが、そこは分けて感じるとないといけません。

僕らがこれからすべき2つのこと

まさに冒頭に書いた僕の好きなクラシックなつくりのものはデジタルな技術によってものとしてつくられているわけではないのですが、僕がそれに対して魅力を感じて、かつ、それを実際に購入して利用できるためには、現在の膨大なアーカイブを保存でき利用でき共有できる情報技術なしでは実現されないはずなのです。
それは単に技術そのものの問題であるだけでなく、その技術の利用に慣れた僕らの頭と社会におけるリテラシーの形成の問題でもあるのです。

というわけで、僕らはいま非常に複雑な時代に生きているのです。一方で今回書いたようなきわめて記録的で、書き言葉的な社会における最新の動向があり、他方、「話しことば社会への回帰だろうか?」で書いたようなこともあるからです。

いずれにせよ、こうした状況下において僕らが行うべきことは、2つです。
まず1つはこうした僕ら自身が置かれた時代の傾向をさらに深く理解すること。
それと同時にもう1つ、現在が消えてなくなってしまう危機にあるくらい、過去と未来の両方に板挟みになっている状況から抜け出すために、これまで手をつけてこなかった未来予測についての学問に真剣に取り組むべきなのだろうと思っています。



関連エントリー

2011年07月08日

無文字社会に生きる人びとに目を向けると、文字通り、リテラシー=読み書き能力が人間の思考や社会生活を変えるのだということに気づかされる

今日、昼食を食べながら、ふと思いました。
話し言葉社会に生きるロシア人スパイは、果たしてクックパッドを使うことができるのだろうか?と。



昨夜「話しことば社会への回帰だろうか?」という記事で話し言葉社会に生きるロジア人スパイは頭の中で考えることと身体を通じて外部化する行動が分離していないがゆえに、裁判で「現実に行なったスパイ行為のためというよりは、頭のなかでたんに意図したという廉で自分の罪状を全面的に認めた」という話を紹介しました。
昼食を食べながら気付いたのは、ロシア人スパイが思考と行動が分離していないのならクックパッドは使えないはずだということです。だって、食事をすることを考えることは彼らにとって実際に食事をするのと変わりません。であれば、きっと情報を検索しているだけでお腹いっぱいになってしまうはずです。

逆にいえば、僕らのように情報検索や収集活動が可能なのは、印刷文化以降の社会に生きる僕たちがすでに思考と行動が完全に分離しており、行動することを別として想像することが可能だからだということです。

文字通りにリテラシー=読み書き能力が人間の思考や社会生活を変えることがある

では、本当にロシア人スパイがクックパッドを見てお腹いっぱいになるかというと、おそらく、そうはならないはずです。
むしろ、彼らは目の前に映し出される料理の図像を自分と関係づけて感じられないのではないかと想像できます。つまり、どんな美味しそうな料理も自分に関係者づけて美味しそうと感じることができないのではないかと。彼ら自身は、その写真の料理を食べられないのですから、自分が食べられない料理を思考と行動が分離していない彼らが美味しそうに感じることはないだろうと思うのです。

そんな風に思うのは、マクルーハンが『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』で紹介している、無文字社会に生きる人びとが、映像に現れていた人物が画面のフレームの外に消えることが理解できず、「あの人はどうなったのだ?」と訝しがる話を思い出すからです。
アフリカの観客はひとりの男が演技を終えて場面の端から姿を消すと、あの男はいったいどうなったのかと尋ねると言います。その男が演技を終えたために映画のストーリーはもはや彼を必要としないということがわからないからです。観客を納得させるためには、男が角を曲がったから見えなくなったという演出を加える必要があるそうです。

すべての文字社会における鑑賞者の基本的な一面は、本であれ映画であれ、そのまえでただただ受動的な消費者としての役割に徹する、という点である。しかしながらアフリカの聴視者は、物語が語られるとき仲間から離れてただ黙って耳を傾けるという訓練をまったく欠いている。

つまり、無文字社会の人びとは事象に参加せずに黙って聴いたり見たりということができないのです。彼らは常に起こっている事柄のなかで役割をもった参加者であり、思っていることは常に起きている事柄というわけです。

それは文字社会の僕らとはまるで違います。僕らが本を読んだり映画を見たりできるのは、自分が本や映画のなかにはいないことがわかっているからです。自分が本や映画のストーリーに参加しているなんて思ったら、悠長に読者や鑑賞者気分ではいられなくなるはずです。

リテラシー=読み書き能力は、まさに人間に事柄の参加者であることをやめ、客観的な消費者の立場で物事に接することを求めるのです。

「共に」ある人びと

それはまた僕らが物事を考える際でも同じです。
僕らはその場に参加していないからこそ、考えることができる。考える対象が自分に関係する事柄でも、事態が起こっている真っ最中よりも、一旦ひいて客観的に考えることができる場合のほうが考えごとがしやすいではないでしょうか。

つまり、僕らが考えごとをする場合は、行動の現場から離れているほうがよく、それは読書をしたり映画鑑賞するのと同じような参加的な役割を欠いた消費的な態度だといえます。
他人事のような客観的に引いた視点をもつことで、起こっている事柄を冷静に全体的に見ることが可能になり、必要あれば考えたのちに参加して考えたことを実行することができます。

文字使用は人間にイメージのやや前方に焦点を合わせる力を与え、それによってイメージもしくは絵の全体像を瞬間的に概観することが可能となる。

一方で無文字社会の人びとはそのような客観的な、部外者的な立ち位置に立つことができません。

非文字型の社会のなかに生きるひとびとはこのような後天的に獲得された習性をもたないし、そのためにわれわれが見るようには事物は見ない。むしろ彼等は対象物やイメージをわれわれが印刷された頁上に文字を追うように、断片から断片を追って走査する。かくて彼らは対象を離れたところから客観視する視座をもたない。彼等はまったく対象と「共に」あり、対象のなかに感情移入によってのめり込む。

彼らは常に対象と共にある。外から客観的にみたのではわからないものを参加者同士で共有しているのです。それがときに呪術的に感じられたりもするのでしょう。熊狩の猟師は熊を狩るときに熊と一体化しているのだと言います。

かけがえのない経験を共にする時代

この無文字社会に生きる人びとの「共に」という感覚、客観的にみるのではなく場に参加しているという感覚が、現在のソーシャルなつながりと類似しているなと思うのが、昨日、「話しことば社会への回帰だろうか?」を書いた理由です。

それはこれまでのあらゆる経験を均質で交換可能、組み合わせ自在なものにして利便性の向上を狙った方法論とは大きく異る方向にシフトしています。

「われわれは方法それ自体に集中して注目すればよい」と主張するホワイトヘッドはまさに正しいことを主張していたのである。現代世界の諸特徴をつくりだしたものは経験を均質的な断片に分けるグーテンベルク的方法であった。

均質な経験を一歩引いて消費する時代が終わろうとしているのでしょうか?
いや、それが終わるかどうかは別にしても、一方でかつての参加者として経験を他の人びとと共有する形の文化が回復してきているように感じます。

その参加の場では、食べ物はクックパッドを検索するようには客観的に全体的に見渡すことはできません。ただ目の前に出された料理を食べるか、それがイヤなら最初から料理をするところに参加するかです。

そこには読み書きの対象となる客観的な情報はないのかもしれません。でも、そんなことよりよっぽど楽しい経験を直接味わえるのではないでしょうか? 何より情報だけを味わって涎をたらすより、直接料理を味わえることのほうがよい気がします。

それは旅行ガイドをみて旅行に行った気になったり、まとめサイトを見て何かを理解できた気になったりすることとは、まるで異なる体験でしょう。
僕らはリテラシーを得ることで失った、話しことば社会の聴き触れる能力をふたたび復活させることが求められるているのではないでしょうか? おしゃべり社会化するソーシャル時代におけるサバイバル能力として。

 

関連エントリー

2011年07月08日

話しことば社会への回帰だろうか?

ここ数日、頭のなかでまとまりきらないけれど、何かこれはことばにしないといけないと感じるようなもやもやした現象に意識が奪われています。もやもやしてるのでなかなか記事にできずに困っているのですが、これはすっきりとまとまった話に落とし込むのは、相当時間がかかるだろうと断念し、今日もやもやのままをことばにしようと思います。なので、いつにもまして読みにくい文章だとおもいますが、そのあたりはご了承を。



さて、以前、「版(version)の危機」というエントリーで書いたように、僕はTwitterやFacebookのような最近のソーシャルメディアのコミュニケーションを、おしゃべりだと思っています。話しことばを使う、会話をするという意味でおしゃべり。
そして、共感のメディアだとも言われるソーシャルメディア。その「共感」を生む要素のひとつとして「他人同士が同じ時間を過ごす」ことがあるのではないでしょうか。

僕は、いまのソーシャルメディアはおしゃべり空間だからこそ、たがいに離れた場所にいながら同じ時間を過ごしているような感覚から醸成される共感が重視され、かつ私有より共有、競争より共創が好まれる空間になっているのではないかと思っています。そして、それが社会そのものにも影響を与えている。もちろん、それだけが唯一の要因ではないにしても。

「時間や会話のリアルタイムな共有のみで共同体的連帯というのが果たして生まれるのか? それにはまず会話や時間が共有される場への愛着が必要ではないか」といった考えもあると思いますが、僕はおそらく逆だと思っています。共有された時間とおしゃべりでつながった共有があってはじめて、その場やそこで話題にあがった物事への愛着が生じるのでしょう。「好きだからいっしょにいるようになった」のではなく、「いっしょにいたから好きだという思いが芽生えてきた」恋人同士のように、時間やおしゃべりが共有されるからこそ、共感=Likeが生まれてくるのだろう、と。

すこし前に書いた「ソーシャルメディアという寄合空間」で、民俗学者の故・宮本常一さんが伝える「話しに花がさく」村の寄合空間の話しことば空間と、ソーシャルメディアの流れることば空間の類似をみたのもそんな思いがあったからです。

話しことばが生み出す連帯感はそのくらい官能的なものではないだろうか。
そして、あくまでUI上に表示されるテキストであるTwitterやFacebookの情報群も、そのフロー的性格によるおしゃべりに似た印象が話しことば社会同様の官能的で呪術的な様相を復活させはじめてはいないだろうか?
そんなことを思いつつ、今回は話しことば社会の特徴をすこし紹介してみようと思っています。

知識獲得の2つの方法

歴史上、人が知識(暗黙知を除く)を習得し利用可能にするための​方法は大きく分ければ2つしかなかったと思っています。

ひとつは文字で書かれた知識を個人が読みあさり自分でまとめ直す​方法。
もうひとつは話し言葉で他の人の話を聞いたり自分の考え​を言ったりして議論する方法です。

前者はヨーロッパ中世前期の修道院の時代やルネッサンス直後の混​乱の時代に採用されました。一方で、後者はちょうどその間を埋める中世後期の大​学誕生の時代=スコラ学の時代と、さらに古代ギリシアの哲人たちの時代をはじめ、ヨーロッパがナショナリズムに​向かった18世紀以降のゼミナールの時代に用いられています。

両者の違いは前者が知を獲得する個人を孤立させるのに対して、後​者は知の所有者をあいまいにするとともに個人という概念を薄れさせコミュ​ニティ的なものを主体として扱う点です。まさに後者に位置づけられる大学が知​的職業のギルドであったように。
このあたりの変遷はイアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートンの『知はいかにして「再発明」されたか』書評)に詳しいので興味のある方はぜひ読んでみてください。

この観点でみると、僕はいまのソーシャル時代は、後者の話し言葉による知​識獲得の時代だろうと感じています。
いや、知識の獲得に限らず、社会がますますかつての話しことば社会的なものを回帰させているように思うのです。

内的なことば行為が同時に社会的行動としての効果をもつ話しことば社会

さて昔読んだ養老孟司さんが数学者の佐治晴夫さんと対談をしている『「わかる」ことは「かわる」こと』という本のなかで、養老孟司さんがこんなことを言っているシーンがあります。

養老 日本のかたは「そういう考え方は間違っているでしょう」と言うと、「じゃあどうしたらいいんですか」と来るんです。それはどういうことかというと、思想が行動に影響するという考え方がまったくないんです。

ちょっとここだけの引用だとわかりづらいのですが、養老さんがセミナーなどで講師をした際などに自分の考えを述べたり、別の考えの間違いを指摘した際に、参加者から「じゃあどうしたらいいんですか」という声が聞かれるというのです。そして、「じゃあどうしたらいいんですか」と聞く人を、養老さんは「思想が行動に影響するという考え方がまったくない」と感じているわけです。つまり、裏を返せば、養老さん自身は「思想は行動に影響する」と信じていることになります。

僕は昔この話を読んだときは、単に思想を行動原理として捉えられるほど信じていない人が多いのだろうというくらいにしか感じていませんでした。
でも、その後、日本古代の言霊の思想や祝詞を唱えれば始原に戻るという呪的な思考が古代人にとっては当然であったこと、さらにはマクルーハンの指摘する話しことば社会と文字社会の人々の思考の対比を知るにつれ、「思想が行動に影響するという考え方がまったくない」のは現代人の多くがどっぷりと文字社会につかってしまっているからなのだろうと思うようになっています。

マクルーハンは文字以前の話しことば社会の人びとにとって頭のなかで考えることと実際に行うことの間に相違はなかったことを『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』のなかで示しています。そして、「表音文字使用が思考と行動とを分裂させる以前には、どのような人間であろうと、自分が考えたことに対しては、行なったことに責任をもつのと同じように責任を持たなければならず、それ以外の選択の道はありえなかった」と言っています。

その具体的な例としてあげるもののなかには、それほど古い過去ではない1930年代のロシアのスパイの例があります。

現在でも基本的には話しことば社会であるといえるロシアでは、スパイ行為は眼によってではなく耳によって行なわれるのであり、たとえば1930年代に行なわれたあの記憶すべき「粛清」裁判は西欧人たちを当惑させる結果となった。それは多くのスパイたちが現実に行なったスパイ行為のためというよりは、頭のなかでたんに意図したという廉で自分の罪状を全面的に認めた、という件である。高度に発達した文字社会では、視覚的、もしくは行動上の社会規範への遵守が強調されるためにかえって心の内部での離反を自由にしている。内的なことば行為が同時に社会的行動としての効果をもつ話しことば社会ではとてもそうはいかない。

いまだ「内的なことば行為が同時に社会的行動としての効果をもつ話しことば社会」の住人であった1930年代のロシアのスパイは、実際に行ったスパイ行為によってではなく、頭のなかの意図だけで自身の罪状を認めています。話しことばの人であるロシア人にとっては、考えたのならそれはやったも同然だということです。頭のなかで意図が生まれてしまえば、もはや「じゃあどうしたらいいんですか」などという疑問は一切わくことはなく、それはすでにやったのと同じことなのです。

印刷革命以前の話しことば社会に生きる人間は「思考」と「行動」が分裂していない

とうぜん、思考と行動の分離がない話しことば社会の人は、自我と外からみた自分のイメージの分裂に悩んだりしません。マクルーハンは、自我と行動のあいだに分裂が明確に生まれたのは、印刷革命以降に、アルファベット文字による視覚偏重な文化がより浸透したからだと考えています。そして、それは同時に、人びとを部族的共同体から孤立させ個人化し、そして、あらゆるものを絵画化=図式化して理解する方法を生み出したと言っています。

ホメロス詩の英雄は自我をそなえるにしたがって分裂した人間となったのだった。そしてその「分裂」は、それまでの聴覚中心の部族的な人間が視覚化の努力をいっさい払わなかったような複雑な状況の絵画的なモデル化、または「からくり」を見るにつけても明白だった。すなわち、非部族化と個の出現と絵画化(による諸観念の把握)はひとつの現象なのだ。呪術的様式は心理内部における事件が視覚的に明瞭になるにつれて消失する。しかしながら視覚化による明確化は、同時に複雑な心理関係の単純化でもあり歪曲でもある。

視覚化による聴覚や触覚などの他の感覚の切り離しは、複雑な心理を単純な図式にはめ込むことを可能にし、その他さまざまな事柄を三次元空間や時系列の直線の上に配置して理解することを可能にしたのです。
話しことば社会に生きた人が複数のさまざまな時間経過が共存するなかを生きたのに対して、印刷革命以降の人びとは均質で線形的な時間のレールを生き始めたのです。
本を個人が所有できなかった写本の時代には記憶に頼ることが大きかった知の獲得も、記録装置としての本を記憶の外部化のために用いるため所有することで、意識もまた外部化可能なもの、自分から容易に切り離せるものとなりました。

視覚的空間と専門分化

マクルーハンはまた、視覚的空間と専門分化の関係についても次のように述べています。

洞窟のように地上にあけられた穴は閉じられた空間ではない。なぜなら穴は三角形やアメリカインディアンの円錐形のテントのように力線を現しているにすぎないからである。だが、(空間を囲み閉じ込める)四角は力線を現さない。ただ触知しうる空間を視覚的空間へと翻訳するものだ。このような翻訳は書字が現れる以前には発生しなかった。そしてエミール・デュルケームの大作『社会分業論』を辛抱して読み通したひとにはその理由がわかるのだ。それによれば定住生活が仕事の専門分化を可能にするまで、視覚をますます強調することになった感覚生活の分化はなかったのである。

話しことば社会の人には分業制的な職業はなく、あらゆる人が部族の一員として役割を果たしたといいます。先に書いたように考えたことが行なったこと、起こったことと同じである呪術的な世界に生きていたわけで、人びとは他者と一体化した形で拒否できない役割を担ったのです。それは近代以降の職業のように任意に選択できるものでもなければ、職業が個人のアイデンティティになるようなものでもなかったのです。

そして、それが人工的な視覚空間を人間が自由に設計し実現する力が芽生えるのと同時に生じるのです。

視覚空間は人間が作った人工物であるが、聴覚間は自然の環境形態である。視覚空間は眼が他の感覚から抽象され引き離されたときに、眼によって創造され知覚された空間である。その特質に関して言えば、この視覚空間は連続的、均質的(画一的)そして静的な容れ物である。そして他の諸感覚やその独特の様態との相互作用から注意されてあるという基本的な意味において、視覚空間は人工物である。
マーシャル・マクルーハン、エリック・マクルーハン『メディアの法則』

人は人工的な空間にみずからを移し入れたことで、その空間の制御を可能にしたといえます。自然科学が自然を理解して制御できると思えるようになったのも、数学という方法を用いて自然を人工的で視覚的な抽象空間に翻訳する方法を得たからだといえます。

いまを捉える新しく学

ところが、そうして自然を大きな機械とみなした近代の思考も、それを応用した多くの工業的人工物が地球全体を覆い尽くすと、実はその人工物自体が第二の自然といえるほど制御不可能なものだということに気づかされます。それはポスト工業的な情報技術の産物ではなおさらで、もはや誰も自分たち人間が日々生み出している大量の情報をコントロール可能だとは思っていないでしょう。

そして、僕らはいまやマクルーハンがかつて“ルネッサンス以来の抽象的な「方法」からそのテクニックを引き出してきた古い学は、今ではあまりに視野が狭く、硬直的なものとなってしまっている。それは内容と伝達の中身についてだけの科学である”と指摘した思考方法を本格的にあらためなくてはならない時期にきたようです。

こうした時代の変化は、長い間、線形的に進んできた時間の感覚も歪めるようです。
今日の社会においては、かつてのように新しいだけの物事が喜ばれることはなく、新しさよりも自分にとって共感できるものが求められるようになってきています。
もしかすると時間が経つことの意味がなくなってきているのではないだろうか?とさえ感じます。いや、もう少し正確にいうと四季のような円環的な時間の経過は相変わらず意味はあるものの、右肩上がりの成長を期待するような時間の概念の価値がなくなってきたのではないか?と思うのです。それはまさに話しことば社会に生きた古代の人びとが生きた時間です。その時間は何かゴールに向かって流れるというより、TwitterのTLのようにフローとして流れて行くだけです。

こうした変化を捉えるには、マクルーハンの言うような新しい学が必要だと思います。
まだまだ僕自身、古い思考に縛られている部分が多いのですが、すこしずつ新しい学への道をすすんでいこうと思います。

  

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2011年07月04日

人間や社会にどんな知的ソフトウェアがインストールされているかを知り、それが変更されると何が変わるかを想像できるようにすることの必要性

はい。今までで一番長い記事タイトルじゃないでしょうか?



最近、読み始めたウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールという2人の博覧強記の愛書家の対談『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の序文はこんな文章ではじまっています。

「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」
ヴィクトル・ユゴーのこの名言は、『ノートルダム・ド・パリ』に出てくるパリのノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロの言葉です。おそらく建築物は死にませんが、変貌するある文化の象徴という役割を失うでしょう。「それに比べて、思想が書物になるのには、わずかの紙とわずかのインクとペンが一本あれば充分だということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術を選んだからといって、どうして驚くことがあるだろう」。
ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

西洋の知の歴史に疎い人は、この文章を読んで頭にクエスチョンマークが浮かぶかもしれません。
なぜ、書物が建築を滅ぼすのか?と。
しかし、このブログでは以前からことあるごとに紹介してきたように、西洋の歴史において建築は、書籍同様に知や記憶のための情報メディアでした。

マクルーハンがいうように、メディアは人間を拡張させるのであって、それは人間や社会のある部分を「強化」し、ある部分を「衰退」させ、またあるものを「回復」させると同時に、ある状態を「反転」させます。そうした人間や社会を変化させるメディアの変転というものを考えるための準備として、ひとつのメディアの移り変わりを知っておくことは、ウェブやインターフェイスなどのデザインに関わる人には必要不可欠なことだと思っています。

というわけで、今回はすこし印刷本以前の情報メディアである、建築や写本の時代の人びとについて、現代の印刷本を経て日々ネットの情報にアクセスしている現代の僕らと比較する形でみていくことにします。

情報メディアとしての建築物

例えば、以前に紹介した『記憶術』のなかで、著者のフランセス・A・イエイツは、古代から中世にかけての西洋の歴史において建築が記憶の場として利用された様を詳しく描いています。

敬虔なる中世がとくに記憶しておきたいと望んだ事柄とはどのようなものだったのだろうか? いうまでもなく、それは救済や天罰に関わる事柄であり、信仰個条であり、徳により天国に至る道であり、悪徳により地獄に落ちる道であっただろう。これらは、中世がその教会や司教座聖堂のあちこちに彫刻し、窓やフレスコ画に描いた事柄であった。
フランセス・A・イエイツ『記憶術』

イエイツは「スコラ哲学の時代は、知識増大の時代であった」とも言っています。マクルーハンも同様のことを述べていて「中世後期からルネッサンスにかけて情報量が山積みしていったわけだが、こうした情報データの処理、組織化のひつようが視覚的枠組みへの強い要請、圧力をつくりだしたのである」としています。
ここで増大した事柄、情報こそが、「救済や天罰に関わる事柄であり、信仰個条であり、徳により天国に至る道であり、悪徳により地獄に落ちる道」でした。そうした知識を一般の人びとにも伝えるための記憶の装置が必要でした。ゆえに中世はまた<記憶>の時代であり、「あらたな知識を記憶するためにあらたなイメージが必要とされた」のです。

そのイメージを載せるメディアがゴシック聖堂に他なりません。
まさに建物そのものと一体化した形でさまざまな彫刻やステンドグラスで埋め尽くされたゴシック建築は、現在の都市空間がさまざまな紙や電飾やモニターなどを通じて映し出される広告に埋め尽くされた情報メディアであるのと同じ意味で、宗教の伝道には不可欠な情報メディアだったのです。

情報メディアの変遷を広い視野でみる必要性

中世の宗教建築は持ち運べないメディアであり、人がそのなかに入って参加することで経験されるメディアでした。持ち運び不可能で、かつ私有ができないメディアであったからこそ、カトリック教会による宗教的知識の独占が可能であったのだといえるでしょう。
冒頭の『ノートルダム・ド・パリ』の登場人物フロロの嘆きである「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」は、まさに持ち運ぶことができず私有することのできない建築という情報メディアが、持ち運び可能で私有することもできる印刷本にとって代わられようとする時代の到来に怯えた、当時の知の所有者のひとつの集団を成していたカトリック修道士の嘆きだったのではないかと思われます。

紙の書物がもうすぐ絶滅するとは思いません。
ただし、印刷本以降も滅ぼされることなくしっかりと生き残った建築が、ただ、それ以前とは人間にとっての意味、社会にとっての位置づけや価値を大きく変えたということを、僕らはしっかり見るべきだと思います。印刷本と自分自身の関係だけで変化を考えたのでは、あまりに視野狭窄すぎます。

変化を広く捉えて、いろんな可能性に目を向けるには、そもそも印刷本が建築に取って代わることで何が変わったのかということも把握しておく必要があるはずです。そういう広い視野をもった上で、僕らはデジタルメディアの時代以降に、書物というものと人間の関係がどう変わるか、はたまた新たなデジタルメディアとの関係を結ぶなかで、人間自身あるいは社会がどう変わっていくかをちゃんと考えることが求められているのではないでしょうか。

ポータブルでもなければ私有もできない本

というわけで中世における情報メディアとしてゴシック建築とともにあった本、写本についても見てみましょう。

写本というと、どうしてもそれが本であるという限りにおいて、僕らはどうしても普段慣れ親しんでいる印刷本と同じようなものを想像してしまいます。でも、写本は僕らが知っている本とはまるで違うんです。きちんとしたその時代に関する知識をもった上でほんのすこし想像力を使うと、中世の写本は、僕らが知っている印刷本とはまったく異なるものだったことがわかってきます。

まず、写本は、ゴシック建築が持ち運び不可能で、個人所有ができなかったのと同じ意味で、ポータビリティも私有可能性もほとんどないメディアであったという点が、いわゆる僕らが知る本とは大きく違います。

これも以前に紹介した本ですが、ヘンリー・ペトロスキーの『本棚の歴史』では、印刷革命以前の本は高価で、鍵のかけられた本箱のなかで保管されたり、その後、デザイン上の工夫を経て書見台に本を鎖でつないでおく形になったりと、とても「ポータブル」とはいえないメディアであったことが紹介されています。

本が鎖でつながれていたという事実が、イギリスの歴史的な図書館の構造と発展を17世紀末まで左右し続けたのだ。
ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』

鍵がかかる箱の中に保管されたり、書見台に鎖でつがれていたりした当時の本は持ち運ぶことなどは前提としていない本でしたし、そもそも手書きの文字で一文字一文字書き写されたものでしたから、印刷された本より文字自体も大きく、したがって本そのものの大きさも必然的に大きいものでした。

著者も読者もいなかった

そうした物理的な形態の違いや希少性もさることながら、中世の写本が現在の本と大きく異なったのは、何より著者とか読者という存在がほとんど意識されなかったという点でしょう。

不思議なことだが、著者であるとか、偽作の問題にひとびとが関心を持ちはじめるのは、消費者中心の文化なのである。写本文化は製作者中心の文化、つまりほとんど完全な手作り文化であるといってよかった。そして、扱っている事実がどこから由来したかということよりも、それ自体として目的にかなっているかどうか、役立つかどうかが問題にされた。

中世においては印刷時代以降に理解されるような意味での作者個人というのは知られていなかったとマクルーハンは言います。
考えてみれば、ごくごく当たり前なのですが、印刷が発明される以前には、完成品と未完成品の区別がなかったといいます。印刷するというタイミングがないし、そのタイミングで決まる版というのがないのですから、いつまででも書き連ねようと思えばできるのですから。それはブログやTwitterに完成がないのと似ています。
その上、紙そのものが貴重な時代でもあったので、誰かが書いたものの上に上書きしたり、つづけて書いたりということもありました。マクルーハンは「印刷以前の執筆活動はオリジナルな行為というよりも、モザイクの作製であった」といいます。

中世の大学の教養学部の諸コースでは、朗読法と呼ばれる厳格で徹底した書き取り形式で学生たちはノート兼写本を行っていました。つまり、写本は学ぶ立場の人が声に出されたことばを書き写したのであって、僕らが想像しがちなように書かれた文字を見ながら写したわけではないのです。

そんなわけで、著者がいなかったのと同時に読者もいなかったのです。多くの本はいまのようにひとりの人間が著者に向き合うように静かに読まれるものではありませんでした。それは講義や宗教的集まりの場で声を出して読む=詠まれたのです。孤独な読者が個室で行うことが可能になったのは印刷革命以降のことです。

ピューリタンの基本的な思想は「儀式と教会の空間はナンセンスだ。あんなものは、共同体の幻想にすぎない」というものだ。では一体何があるのか。印刷術のおかげで、聖書を一人一人が自分の個室で読めるようになった。

ゴシック建築で写本に書かれた言葉を詠唱されるような儀式やステンドグラスやフレスコ画に描かれた偶像を否定したピューリタンは、まさに持ち運び可能で私有もできる印刷本があったからこそ可能だったのです。

こうした経緯を踏まえると、以下のような言葉を読む際も、僕らは単に印刷本とハイパーテキストの世界を比較すれば事足りるわけではないのがわかります。

ハイパーテキストという仕組みは、著者と読者のあいだに特有の水入らずの感じを必然的に損なうでしょう。何かを「囲い込み」ものという本のイメージは失われ、それによってある種の読み方は間違いなく姿を消すでしょう。
ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

なぜなら「著者と読者のあいだに特有の水入らずの感じ」そのものが印刷本による人間社会の拡張の結果なのですから。
読み方が変わる。それはもちろんでしょう。しかし、実際はそれ以上のものではないでしょうか? かつてゴシック建築が参加するメディアであり、写本が声を写し声を再生するメディアであったように、情報メディアは本のように読まれるものとは限りません。それはTwitterやFacebookが読むというより参加するメディアであるのと同じように。

内側から光を照らし出させる

中世では、テキストの注解は「光沢=グロス」と呼ばれたそうです。テキストの内側から光を照らし出させるという意味だといいます。
光を当てるのではなく、光を内側から透過させる。まさに照明で建物を照らすのではなく、ステンドグラスにより建物そのものの内側から光を照らし出させるようなゴシック建築の技術に通じます。

中世の人びとは、聖なる光はこちらから見るのではなく、あちらから浴びるのだと信じていました。こちらからとにかく闇に光を当てようとした啓蒙の時代とはまるで逆です。

ジークフリート・ギーディオンが『機械化の文化史』のなかで指摘しているように、中世の部屋にはほとんど家具というものが置かれていなかったのである。グーテンベルク以後、視覚があらたに強調されたために、すべてのもののうえに光を要求することとなった。また新しく生まれた時間と空間の観念は、時間と空間を事物や活動によって満たされるべき容器と見なしはじめたのである。だが、視覚が触覚と密接な関係にあった写本時代には、空間は視覚的容器ではなかった。

みずから光輝いた中世的空間で人はそのやわらかな光にやわらかく包まれていたのでしょう。そのとき、光は単に視覚的なものではなく触覚的なものでもありました。

しかし、啓蒙の時代は、蒙(くら)きを啓(ひら)くため、とにかく何でも光の下にさらけ出そうとしました。そのとき、光とともに浴びていた声による言葉も、光を当てなくては見えない印刷された文字に取って変わられたのです。

そして、版面が文字で埋め尽くされた大量生産品としての本が市場に浸透するのを追うように、新たに生まれた個室に家具が、そして、後にはさまざまな大量生産品が視覚的になった空間を埋め尽くしたのです。
その部屋はもはやゴシック建築のもつ内側から輝くような情報メディア性を失って、光とともにさまざまなイメージを投射する映画のスクリーンのような空間に変容したのです。

いまのデジタルメディアへの移行を考える際もこうした視点で、メディアの変化がもたらす人間や社会への影響を考える必要があると思っています。
持たない生活とかってそういうことでしょって感じます。

   

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2011年06月22日

中世の覚醒/リチャード・E・ルーベンスタイン

長い間、西ヨーロッパから失われていたアリストテレスの著作は、レコンキスタでムスリムの支配から脱した12世紀のスペインで再発見されます。実に1000年近く、西欧の人々に忘れられていたギリシアの哲学者の思想は、当時のキリスト教者にとっては異教の敵であったはずのムスリムの人々の手で守られてきたおかげで、西欧の人々の視線のうちに復活したのです。



それが中世スコラ学を生む原動力ともなり、さらには近代の科学革命にもつながる西欧思想の源流ともなった「アリストテレス革命」のはじまりでした。同時に、それは古代と近代のはざまで実現した「信仰と理性が手を結んだ希少な時代」でもあったのです。

ヨーロッパ中世の歴史に疎い僕らはつい、ヨーロッパの中世というと「暗黒の時代」だと思い込みがちです。
しかし、実際には、本書で著者が明らかにしてくれたとおり、ヨーロッパ中世の1000年がまるごと暗黒に包まれた時代というわけではありません。少なくとも本書で「知の革新」「信仰と理性の蜜月」の時代として描かれた12世紀から13世紀に関しては、近代化を進めた啓蒙の時代とは別の考え方で、「蒙(くら)きを啓(ひら)いた」時代であったことが本書を読むとわかります。

アリストテレス革命を再現することによって、私たちはおのれがコペルニクス、ガリレイ、アダム・スミス、トマス・ジェファーソンの子どもであるにとどまらず、アリストテレスの子どもであることを理解する。そう、私たちは、近代的なるものの欠陥が明らかになるにつれてより興味深く啓発的に思えてくる、中世の伝統の後継者なのだ。

アリストテレスを再発見し、それをキリスト教の信仰と同居させようとした中世のキリスト教者の知的格闘があればこそ、その後の知的発展があったのだということがこの本を読むと納得できます。
そして、著者もいう「近代的なるものの欠陥」が近代のはじめに中世的なものを無理やり捻じ曲げて忘れさせたことにも由来しているであろうことにも気づかせてくれる。そんな点で、西欧の中世からは遠く離れた僕たちにも、無縁とは思えない、とても興味深い一冊でした。


イスラム経由でのアリストテレスの再発見

さて、ローマ帝国がゴート族の強襲によって滅亡して以来、西欧から失われていたアリストテレスの著作は、その後、東ローマ帝国を経て、イスラムの人々の手に渡り、その知でさまざまな注釈書などを生む形で十分に研究された後、冒頭にも書いたとおり、12世紀のスペインの地で、再び、西欧の人々の手に帰ってきます。

だから、スペイン人が再び、アリストテレスの著作に接した際、それはギリシア語ではなくアラビア語で書かれていたのであり、さらにそれだけでなく膨大な注釈書といっしょに発見されたのでした。

それはちょうど、古ぼけた容器に納められた文書を発見したところ、古代のアインシュタインと称すべき人物の著作ばかりか、アインシュタイン自身も含めた現代の物理学者たちによる注解書や応用例、改訂版まで揃っていた、というような具合だった。これらの注解書のおかげで、アリストテレスの著作はすぐに利用できる形-そして、おおいに議論を招く形で-西ヨーロッパに再登場した。

キリスト教者たちにとっては、このイスラムの「注解書」とともに発見されたことが大いに意味がありました。というのも、神という思想をもたない、きわめて自然科学的なアリストテレスの哲学を同じく一神教の信者であるイスラムの人々が自分たちの現実にあわせて解釈してくれたことは、キリスト教者たちが信仰とアリストテレスの哲学を調和させるヒントを大いに与えてくれていたからです。

それゆえ、アリストテレスの思想は1000年近い時を経ての再発見であるにもかかわらず、「すぐ利用できる形」で受け入れられるとともに、「おおいに議論を招」いたのでした。
イスラムの注解書は、アリストテレスの思想をキリスト教に近づける役割を果たすと同時に、近くて似ているからこそ、相違点や矛盾を目立たせる形でも働き、当時のキリスト教者たちの間に論争の種をまいたのでした。

ヨーロッパに再登場したアリストテレスの思想は後世のいかなる発見ともまったく異なる力を発揮して、社会に革命的な変化をもたらした。
(中略)
なんと、フランシス・ベーコン(1561-1626)、ルネ・デカルト(1596-1650)が高らかに「科学革命」を宣言する400年以上も前に、近代的とみなしうる-合理主義的で、現世主義的で、人間中心主義的で、経験主義的な-ものの見方が、西ヨーロッパ全域で文化戦争に火をつけ、旧来の文化の中核にあった伝統的な宗教信条や社会通念に挑戦したのだ。信仰と理性の闘争は通説とは異なり、コペルニクス(1473-1543)の地球中心説への挑戦や、ガリレイ(1564-1642)の異端審問によって始まったのではない。それは、12世紀から13世紀にかけてのアリストテレスの思想をめぐって交わされた論争に端を発していたのだ。

ただ、この信仰と理性をいかに融合させるかという格闘こそが、中世の代表的な思想ともいえるスコラ学をつくったのです。
前々回のエントリー「知はいかにして「再発明」されたか/イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン」で紹介した、ヨーロッパでの知の装置が「修道院」から「大学」に変遷したのも、まさにこのアリストテレス革命の時代であり、信仰と理性の融合のために論争を交わした議論の時代だったのです。

12世紀のヨーロッパの発展

さて、アリストテレスの再発見があった12世紀のヨーロッパは、スペインでのレコンキスタというヨーロッパ人にとっては明るい出来事があったのみならず、「ヨーロッパ人の生活を規定する物質的・社会的条件が11世紀以降劇的に変化していた」時代でもありました。

急激に進む気候の温暖化は凍てついた北方の海を溶かし、中央ヨーロッパの海面を上昇させるとともに、1世紀以上にわたって農業に好適な気象条件を提供した。農業技術の改良によって食料生産が増大し、人口の大幅な増加が可能になった。それまでヨーロッパには移住と侵略の波が絶え間なく打ち寄せていたので、人びとの生活は常に危険と混乱に覆われていた。この移住と侵略の波がしだいに穏やかになり、やがて止むにつれて、経済が拡大発展するペースが加速された。人々は森林を開墾して沼地を干拓して、せっせと農地を拡大した。

アリストテレス革命と呼ばれた知の革新も、「知はいかにして「再発明」されたか/イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン」でも書いた教師と学生による知的同業者組合としての大学の成立も、こうした12世紀ヨーロッパの社会的安全の確立と経済的な発展を背景にしていたのです。
砂漠の宗教として清貧を重んじ、僻地に置かれた修道院が、都市の大学に知的装置の座を受け渡したのも、ほかの同業者組合の成立同様に、都市での人口増加が大きな要因だったといえます。

その後、彼らは十字軍に従軍して東方の知で新たな土地と機会を見出した。至るところで(商人や職人や知的職業人の同業者組合-ギルド−や、宗教団体などの)新たな社会的ネットワークが誕生し、旧来の領主と農民の関係に新たな人間関係が加わった。商業活動がふたたびさかんになり、村は町に変容し、町は都市に成長した。

そして、現代もそうであるように、都市への人口の集中は、経済的な格差を生む要因ともなります。中世においても、この経済的な格差と人口の集中が民衆の運動を引き起こしました。
そこで、これも現代でも同じですが、新しい考え方というのは旧来的な権力のなかで育まれるというよりも、旧来の権力に不満をもつ側ではぐくまれる傾向があります。アリストテレスの思想を受け入れたのも、旧来的な修道院の側でなく、都市で力をもちはじめた大学のなかであり、カトリックのなかでも新しく登場してきたドミニコ会やフランシスコ会のような托鉢修道会のような新しいグループの中ででした。


理性と信仰を融合させた神学

いわゆる神学を、従来の大学における学芸学部に対して確立したのは、ドミニコ会やフランシスコ会の修道士たちでした。
スコラ学の大成者として知られるトマス・アクィナスはドミニコ会士ですし、ロジャー・ベーコンはフランシスコ会士です。
もちろん、トマス・アクィナスやロジャー・ベーコンがそうであったように、ドミニコ会士もフランシスコ会士も理性と信仰を対立するものと見ることはなく、あくまで信仰のために理性を用いるためにはどうしたらよいかという姿勢で神学を志したのでした。

ドミニコ会の神学者もフランシスコ会の神学者も、今日いう意味での「原理主義者」ではなかったのだ。彼らは伝統主義の熱烈な擁護者だったが、ヨーロッパの覚醒は不可逆な現象であり、理性という道具は-たとえ異教の哲学者が発展させたものであっても-長い目で見れば正統的宗教を利するように使うことができる、と信じていた。その結果、西ヨーロッパの地の歴史がきわめて重大な転機を迎えたときに、最も戦闘的で確信に満ちた信仰の守護者たちが、新しい知識の最も熱心な擁護者となった。

ドミニコ会もフランシスコ会も、異端と戦い、カトリックの腐敗と戦った宗教的熱情の強い人々でした。新しく都市に生まれた民衆との関係も結んだのも、これら托鉢修道士たちであり、そうした人々が宗教的熱情ゆえにアリストテレスの思想を積極的に受け入れたのでした。

中世の終わり

しかし、こうした理性と信仰の蜜月も、中世の社会の力関係において国王や貴族などの俗的な権力の力が強固になっていくとともにあやうくなりはじめます。そして、カトリック教会内部でも統制が失われていき、宗教戦争への道を進み始めます。。

1309年以来、教皇庁はアヴィニョンに置かれていたが、1378年にアヴィニョンとローマがそれぞれ強行を擁立し、相手側の教皇を詐欺師ないし「対立教皇」と称するに至ったのだ。(中略)大離教が解決されてわずか1世紀のちに、マルティン・ルターというドイツ人修道士が教皇制度に心底幻滅し、これよりはるかに大きな教会分裂の引き金を引くことになる-それによってキリスト教会の一体性は終わりを告げ、ヨーロッパ大陸は宗教戦争に突入したのだ。

しかし、14世紀のヨーロッパをおそった不幸は、この宗教戦争だけではありませんでした。
200年にわたって続いた経済成長は終わりを告げ、各地で領主と濃度、大貴族と小貴族、傭兵と市民などの異なる人々のあいだで衝突が生じました。気候は悪化し、小氷河期とよばれる時代に突入していましたし、黒死病が流行し、ヨーロッパ大陸を荒廃させていたのです。僕たちが知っている「暗黒の時代」はまさにルネサンス前夜のこの時期のヨーロッパをさすのでしょう。

そうした中世のコンセンサスがことごとく崩壊していく中で、アリストテレス革命と呼ばれた中世の信仰と理性の蜜月も最後のときを迎えます。そのとき、登場してきたのが「オッカムの剃刀」という言葉で知られるウィリアム・オッカムというフランシスコ会士でした。オッカムは剃刀の名のとおり、旧世代の神学の誤謬を容赦なく切り捨てていきました。そのオッカムの思想にはそれから後の近代経験科学の胎動がたしかに感じられます。

しかし、それでもオッカムはまだ最後の中世神学者でした。
その後のフランシス・ベーコンらがスコラ学を完全に否定し、経験科学の道への歩みを一気に加速したのに比較すると、どんなに切れ味の鋭い批判を加えようと、オッカムはまだ神への信仰をすこしも疑ってはいなかったのです。

このオッカムが最後まで捨てなかった信仰と理性の融合の可能性の有無こそが中世の人々の思考と、近代以降の僕らの思考を決定的に隔てるものだと感じました。そして、冒頭で引用した「近代的なるものの欠陥」をどうにかするためには、再び、フランシス・ベーコンらが消し去った中世の記憶を取り戻す作業が必要なのでしょう。それがこの本を読んだ僕の一番の感想です。



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2011年06月22日

モノではなくヒトをつくる

いまの時代、僕らはモノではなくヒトをつくることにより一層注力しなくてはいけないのではないでしょうか。

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少子高齢化だから子作りに励めとかそういう話ではありません。
ますますソーシャル化して組織における人材に求められるものもP2Pのピアとして機能する人、ピンで機能するチカラのある人が求められる時代にあって、組織のマネジメントにおける「人事」の重要性がよりいっそう高まってくるのではないでしょうか、という話。

下の人間が経験する時間を奪わない

その意味で、このソーシャルな時代に組織のマネジメント層に求められるのは、自分たちで商品やサービスやらのモノをつくったり、事業というコトをつくりだすことではないはずです。自分たちが躍起になってアイデアを捻り出すより、そうしたモノやコトを生むことができるヒトをつくることなのだろうと思います。そして、そうしたヒトが組織の外の人たちとともに物事を生み出していくことを支援することだと思います。

さらにヒトをつくるという面からみると、マネジメント層が自らモノやコトをつくることに躍起になってしまうことが障害になることさえあると思います。
なぜ障害になりうるかといえば、ヒトが育つためには自らモノやコトをつくりながら自分自身をつくっていくという経験をする必要があるのですが、そういう経験をする時間が上から押し付けられたモノづくりやコトづくりに奪われてしまうと、ヒトづくりの時間が組織から失われるからです。

ヒトをつくろうとしたら、マネジメント層は積極的に、自分以外のヒトが自分自身でモノやコトをつくれるよう支援しないといけません。そして、モノやコトをつくれる環境、テーマ、リソースなどを積極的に提供して、ヒトが自らをつくる時間を与えてあげる必要があります。
それがソーシャルな時代にますます必要とされる人事、マネジメントでしょう。

どんなによいアイデアも単にいま最良であるに過ぎない

経験ある人間はつい自分のアイデアを過大評価して、そのアイデアの実現を求めがちです。しかし、経験のある人ほど、それを実現する作業は下の人間にまかせてしまわないとできなかったりもします。

ところが、そうやって実現するアイデアは、どんなによく評価しても、たかだかいまの時点で最良のものでしかなく、そのモノをつくるのをあきらめてヒトをつくる方に時間を回した場合に得られる将来のアイデアには到底かなわないはずです。

いま最良のものは将来のそこそこのアイデアにはかなわないと自覚しつつ、上の人間は下の人間に賭ける必要がある。
それができなければ、単にそれができたまわりの組織に負けていくだけなのです。

誰とどんな経験をしたか、誰とどんなつながりがあるかが重要

モノではなくヒトをつくるということで僕がイメージしているのは、そういうことです。

いま必要に思えるモノを手に入れるために、将来不可欠な人材をつくる時間を失ってしまっては元も子もありません。そういう近視眼的な見方が取り返しのつかないミスになるのが、個々のヒトの力(特にどんな経験をどんな人たちとしてきて、いまはどんなつながりがあるのか、など)がこれまでとは比べられないほど、価値をもつのがソーシャルの時代ではないかと考えます。

過剰消費の20世紀には、信用履歴や広告、所有物によってその人が定義されたのに対し、コラボ消費の21世紀には、評判や属するコミュニティ、何にアクセスできるか、どうシェアするか、また何を手放すかが、人を定義するだろう。
レイチェル・ボッツマン&ルー・ロジャース『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』

「評判や属するコミュニティ、何にアクセスできるか、どうシェアするか、また何を手放すかが、人を定義する」。ソーシャルの時代にヒトの活かし方を考えようとすれば、このことをしっかりと理解する必要がある。組織のマネジメント層は、自分たちの会社のスタッフが、どんな経験を組織の外部の誰として、どんなつながりをいまも持っているかとか、どんな知識(をもった人)にアクセスできるか、過去にどんな知識にアクセスしてきたか、どんな知識にそのヒトの名前が関連づけられているか、といったことこそを重視して、そうした人材をいかに多く育成できるかを一番に考える必要があるはずです。

そうしたつながりこそがソーシャルな時代における何より重要な価値でしょう。だとすれば、組織のマネジメント層が管理しリードする必要があるものがそれ以外にあるでしょうか。

そういう大事なことを考え、やらずに、これまで同様にモノやコトをつくることばかりに頭を働かせていたら、ちょっとあやういのでは…。
僕もとにかく意識をシフトさせていかないとと日々感じます。

2011年03月12日

いろんな職場の上司、リーダーへ

先ほど買い物に行ったとき、道路の脇に「ワレモノ」と書いた背の高いカンバン付きの柱のようなものを、何本もコンクリートで固めて建てる工事をしているのを見かけました。

それは今日やるべき仕事なのでしょうか?

さっきFacebook上でも、ビルが停電したから作業ができないとの古巣の会社からの情報発信を見かけました。

それも本当に今日やらなくてはいけない仕事なのでしょうか?

各地で決して小さくない余震がつづき、公共交通の運行状況も乱れたまま、東京電力が節電を呼びかけている状況で、今日明日やるべき仕事とは何なのか?
各企業が年度末の書き入れ時であるのは理解しても、この状況下で何が本当にいまやるべき仕事なのかを、上司やリーダーがしっかり自分の部下に伝えて、それ以外の仕事はストップするべきではないでしょうか。
それがいま上司やリーダーに求められる仕事ではないでしょうか。

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