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2010年02月27日

形をめぐる冒険のはじまり

さっきも書きましたが(cf.「古を知ることから新しさが生まれる」)、ランスロット・L・ホワイト『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』を昨日から読み始めました。
実はこの本、あるところで僕自身の「冬休みの課題図書」として7冊ほど挙げていたもののうちの1冊ですが、いろいろと寄り道しているうちに、すっかり存在を忘れていました。

それを思い出したきっかけが、twitter上での@miiiyamさんとの「飾り」に関するやりとり。そこにタイミングよく@MURAIIIさんの、40年前の設計図面から「手描きの線の濃淡使いがうまくて、設計意図がすごく伝わってくる」という話がタイミングよく重なってきて、さらに@yusuke_arclampさんの「手紙でもメールでも情報に形を与える意味では同じ。ただし、手紙では身体性の痕跡が情報そのものに残り、メールではデータという論理モデルに抽象化される」なんてつぶやきが目に飛び込んでくると、これは「形の会」なるものを開いて、徹底的に話をしてみるとおもしろそうだなということに。
この一連の流れは、ご面倒でも僕のTLを辿っていただくこととして、とりあえず3/4(木)に先の3人の方とまず第1回の会合をもつことに決定。

そんな流れの中、あらためて形というものを考える材料を取り込んでおこうと思って、手に取ったのが、ランスロット・L・ホワイト『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』です。最初に何を読もうかなと思ったとき、頭に浮かんだのは杉浦康平さんらによる『形を遊ぶ』でしたが、本棚を見てこの本があったのを思い出したわけ。当然ながら、先に「冬休みの課題図書」に挙げていたくらいなので、読みたかったんです。そこに加えて僕自身のなかで新たに読む際のテーマが見つかったんですから、これは俄然読む気がわいてきたというわけ。

「形」に対する思考の喪失

そもそも、僕がこの本を知ったきっかけは、松岡正剛さんの千夜千冊でこの本が紹介されているのを偶然見つけたからでした(どういう流れだったかは残念ながら記憶してません)。

松岡さんは、〝「過去の伝統」と「現在の経験」と「生産的行動」の3つのバランスが崩れている〟と、ホワイトがこの本の最後で「失望」を記述していることを紹介したうえで、こんなことになった理由の1つに「思考そのものが内的秩序を失っている」ことをあげ、次のように述べています。

結論を先にいうと、われわれは「形」に対する思考を失ったのである。形態が生成されるプロセスに何があるかということに思索を集中しなくなったのだ。
そもそも人間は象徴機能という独自の特徴をもつ動物だったはずである。多様な複雑な動向の中から任意のパターンを選び、それを別のパターンと比べることができ、それらの作業を通しながら、さらに新たなパターンを創出する能力をもっているはずだった。

パターンの比較から、新たなパターンを創出するというのは、まさに松岡さんのいう「編集」です。そこに形・形態が欠かせないものであるというのは僕自身の見方でもあります。象徴機能が人間独自の特徴だとしても、形を使って象徴化を可能にするには形を分別してパターン化する下部機能が先に備わっていなければならないはずです。

そんなことが元々考えにあったので、この冒頭の一文を読んだだけで、『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』を読みたくなった。そして、すこし時間は空いたものの、実際に読んでみると、予想していた以上の広がりをもつ本でおもしろい。

動く形、生成する形態

おもしろいと思うのは、昨夜読み始める前にtwitterでつぶやいた、こんな形の捉え方に相通じるところもあるからです。

身なりといい、形振りという。そのなり(形/態)は「成り」と同源だそう。そこには固定した形というより変化する形がみえる。

僕は形というものを捉えるとき、それを固定したものとして捉えるよりも、動き変化し生成するものとして捉えたほうがよいと思っています。それは空模様や雲行きを読み、満天の星に星座の物語を描いた、僕らよりもはるかに優れた象徴機能をもっていたであろう、僕らの遠い祖先が何より形・形態を見出したのは、自然のなかでの生死や季節の移り変わり、月の満ち欠けの変化のパターンを発見することから、思考の俎上にあげたのがはじまりだと思うからです。だからこそ、これまでも「古代日本の月信仰と再生思想/三浦茂久」などで紹介してきたようなエントリーで度々紹介してきたような古代人の思想の根幹に、蘇生や言祝による原初の再生があるのでしょうし、長く自然信仰を受け継いできた日本の文化のなかに「型」や「見立て」というものがあるのではないかと思っています。

ホワイトもこの本で「自然に対する人間の最初の解釈が、プロセスと変化をテーマにした神話だったのはこのためだ。おそらく、あらゆる原始的文化にこうした神話は存在していた。それはそのまま、人間の経験に説明を与え、事物をそのものたらしめる理由だと考えられていた」と書いていますが、本来、形・形態とは、物の固定した形というよりも、変化や形成に関わるものだったのだろうと感じます。形は静止しておらず、常に動き、変化している。

形態という概念の探求

@miiiyamさんと「飾り」についてやりとりをしていた時も、実はこんなことをつぶやいていました。

「飾り」とアフォーダンス理論、ユクスキュルの環世界あたりを関連づけて考えるとよいと思います。白川静さんの漢字論あたりもあわせて。

アフォーダンス理論では、まさに人が環境のなかで動くことによる環境との相互作用(インタラクション)のなかで情報が形成されるとみます。ユクスキュルは、生物ごとに世界は違って見えると考え、それを環世界という用語で捉えましたが、それは生物と環境のインタラクションとそこで生物の側が受け取ることが可能な刺激が異なることで、生物の受け取る情報=世界が異なるからでしょう。その意味では、僕らが人間である限り、世界そのものを知覚できることなどなく、あくまで人間中心の見方で常に世界が情報=形態として生成されるのを感じているのだと考えたほうが自然です。世界という形は固定した状態であるのではなく、常に形成されてくるのです。

このあたりは僕なんかよりはるかに的確に、すでに50年以上前のホワイトが捉えています。

ギリシア語のEidosやSchema、あるいはMorphe、またラテン語のFormaなどは<形態(フォーム)>と訳される場合が多いが、これらの語の意味は「すべての事物をそのものたらしめている資質」にほかならない。もしこの定義をそのまま受け入れるとするなら、すべての哲学と科学は事物の形態について研究する学問、すなわちあらゆる事物の背後にひそむ、そのものたらしめている形成原理を明かすための努力だとみなすことができる。

ホワイトはこの本のなかで、人間にとってとりわけ重要と思われる概念として、「数」「空間」「時間」「エネルギー」「歴史過程」「統計」などを含む12の概念を挙げていますが、そのなかに「形態」も含めています。ただし、重要な概念のリストに含めた上で〝<形態>は今のところきわめて曖昧な、さまざまな意味を含む概念〟であるとして、それゆえにあらためて形態という概念の探求を行っているのです。

と、そんなホワイトの探求から50年以上たった今、僕も「形の会」などを通じて、形をめぐる冒険をはじめてみようか、と。そんな風に思う次第です。



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2010年02月27日

古を知ることから新しさが生まれる

唐突にTwitterでのつぶやきから。

利休は花も変えてしまったと言います。それまで神=彼方に向けて立てた花を、こちらに向けて立てるようにした。茶室を壁で囲ったのも利休ですね。古を知るから出ることの出来た杭なんでしょうね。

茶の湯を大成したといわれる千利休ですが、実は華道においても革新的な人物であったようです。
利休以前、花というのは、今のように立てた花を人の側に向けるのではなく、あちら側に向けていたといいます。供花の意味合いが強かったのでしょう。
それを利休が180度反転させた。花がこちらを向いているように生けた。死者や神に向けて生けていた花を、生きている自分たちに向けた。竹を割って花入をつくったこと以上に、花の伝統からみれば文字通り大きな転回だったのではないかと思います。

それから、茶室の壁。
日本建築に壁ができたのは、それまで書院造の建物の一部を毛氈などで囲った仮説的な場をつくって行われていた茶の湯の空間を、千利休が壁で囲われた茶室に移し変えたことからはじまっていると内田繁さんは『茶室とインテリア―暮らしの空間デザイン』書評)で書いています。

古(いにしえ)を俎上に上げる

こんな前提となる知識があって、先のつぶやき。そして、そのすぐあとに続けて、こんなつぶやきもしています。

古=既成概念は意識化するからこそ、疑問で調理する俎上に上げられる。無意識という海を自由に泳がせていたのでは調理はできない。当たり前を疑うという革新への第一歩は古を知る=意識化することから。それが温故知新。

「故(ふる)きを温め新しきを知れば、以て師為(な)るべし」。それが『論語』にいう温故知新。「温め」というのは、熟知し、理解し、心得ていることを指す。

前置きが長くなりましたが、古を知る=意識化するというのは、実は今を知る=意識化することにほかならないというのが、僕の基本姿勢です。意識化するというのは、疑問をもつことができる状態をつくるという意味。無意識に当たり前にやっている状態から、意識で捕まえた状態をつくることで俎板の上で調理できる状態をつくること。つまり、現状把握。この現状把握の「現状」のスコープを広げて古(いにしえ)をいれることで、調理できるバリエーションが増えてくる。

今日は、そんなことをすこし書いてみようかと。

形態の革新は現状把握から

僕が解説を書かせていただいた『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』書評)でも数多くの事例が挙げられているように、モノの形の進化は現状の欠陥に気づくことからはじまります。

食器類のような一見単純そうなモノについて、その形がいかに進化してきたかを想像してみるとはっきりわかるのは、人工物が今あるような形になった経緯を理解するための支配的原理として、「形は機能にしたがう」説は不適切だということである。(中略)
本当の意味でモノの形を決めるのは、ある働きを期待して使ったときに感知される現実の欠陥にほかならない。

「形は機能にしたがう」が不適切なのは、形を要求するはずの機能そのものがそれ以前の形態の歴史に大きく依存するからです。食べるための機能をもった道具も、西洋のフォークやナイフと東洋の箸といった具合に、形が大きく異なるのはそれぞれの文化が歩んできた歴史の違いでしょう。ペトロスキーの本のサブタイトル(実は原題でもありますが)に「実用品の進化論」とあるように、それは生物の進化同様に、進化前の種の形態(必ずしも物理的形態ではありませんが)を引き継ぐ形での進化であることが多い。

すでに存在する1つの形に対する使用上や倫理面・経済面など、さまざまな欠陥が改善要求を出すことで、新しい形の模索がはじまる。であれば、現在の利用状況における欠陥を発見するための現状把握が新しい形態を生み出すためには必須となる。これはあらためて言うまでもないことですが、いちお整理のため記述。

古を含めた大きなスパンでの現状把握

というわけで、話を戻すと、繰り返しますが、古を知るというのは大きなスパンでの現状把握ではないかと思います。現状というのを、まさに今だけと小さく捉えるか、自分が生きてきた時間全体を視野に入れるか、はたまた、もっと大きなスパンで、あるモノが人類に使われてきた歴史全体を視野に含めるのか?

例えば、こんな話もある。

ある企業がやってきて、「新しいトースターをデザインしてもらいたい」と言ったとします。私は「パンがどうカリカリになっていくかを研究しましょう」と答えるでしょう。相手は「いや、トースターのデザインをお願いしているんです。さあ、始めて下さい」とくる。トースターが何であり得るかという彼らの想像の世界は、狭いのです。しかしわれわれは、「われわれの仕事は、パンの歴史を見ることから始まるんです」と返事をする。
デヴィッド・ケリー「第8章 デザイナーのスタンス」
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』

現状把握のスパンを大きくとることで、ただ直近のみを知るよりも、現状において、あるモノやある状態を成り立たせている隠れた論理という共通パターンを見つけやすくなるはずです。現状把握の対象のサンプルを時間的な変化も含めたものにまで量的に広げることで、より根源的な(つまり、あらためて意識してはじめて気づく普段は当たり前になってしまっている)無意識的な論理の形態を見出すことが可能になるでしょう。

そのなかで、どの論理に改編を行えば、何がどう変わるのかの仮説が立てられるようになる。利休が花をこちらに向けたり、花入れを竹で作ったり、茶室を壁で囲ってしまったの、大きなスパンで、花の現状、建築の現状というものを捉え、その上でどこが「当たり前」と無意識のうちに受け継がれていて、それを変えることでどうなるかと想像できたからこそできた、大きな飛躍・転回だったのではないでしょうか。

温故知新というのは、そういうことではないかと思うのです。視野を広く持ち、将来を切り開くための疑問をつくれる状況を自ら生じさせる。

発見=discover、覆いをはがす

昨日、読み始めた『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』という本に、こんな一節がありました。

この無意識の裡につみ重ねられていく人間独自のプロセスの本質を、私は発見と呼びたい。ここには、自然の発見と人間のもつ生まれながらの潜在能力の発見という、外と内に向けられた同時的かつ相互的な2つの活動が含まれる。創造も想像も発明も、すべて新しいものを発見(ディスカバー、覆いをはがす)する営みの一側面である。

「無意識の裡につみ重ねられていく人間独自のプロセス」を働かせるためには、プロセスの対象となるサンプルを増やすことが望ましいでしょう。それが無意識の覆いをはがし、当たり前の下に隠されたものを発見する機会を確率的に向上させるはずです。創造や想像や発明につながる発見の機会を増やすには、そうした「つみ重ね」をいかに意識的に増やすかということにかかっているところも大きいのではないかと思います。

もちろん、古を知ることだけがその機会を増やす唯一の方法ではありませんが、僕自身はわりとその方法が気に入っています。

   

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2010年02月21日

[アクセシビリティ][記事]『大学教育とアクセシビリティ』レビュー

アクセシビリティのニュースを追っていると、広島大学のことがときどき耳に入ります。例えば、

このようなニュースを見るたびに、「なんで、広島大学はアクセシビリティに積極的なんやろうか?そういう下地があるのかな?」といった疑問が沸いてきました。この疑問を解決してくれたのが、本書『大学教育とアクセシビリティ』です。

大学におけるアクセシビリティ

大学におけるアクセシビリティという字面だけを見てみると、キャンパス内の段差をなくしたり、点字ブロックを敷き詰めたりといったバリアフリー化が中心なのではないかと思われそうです。もちろん、バリアフリー化は大事なことですが、それだけではありません。

本書が一貫して主張していることは、障害を持つ学生が入学したときに、どのように平等な教育の機会を提供するのか、ということです。

車いすを使う学生が入学すればスロープをつけることも大事かもしれませんが、スロープは聴覚障害を持つ学生に役立つわけではありません。聴覚障害を持つ学生にとっては、授業のノートテイカーを確保することの方が大事だからです。では、聴覚障害を持つ学生が授業に出席するたびに、どうやってノートテイカーをアサインするのか。この点に広島大学のノウハウがあり、本書の中心的なトピックなのです。

ほかの学生にとっても役立つからアクセシビリティ

また、障害を持つ学生によいより教育機会を提供することは、障害を持っていない学生にとってもメリットがあります。

例えば、聴覚障害を持つ学生のために、大学の先生が分かりやすい資料を事前に配布してくれたり、板書をしてくれたりすれば、聴覚障害を持つ学生にとっては有益ですし、一方で授業が理解しにくい学生にとっても役立つことになります。このように、障害を持つ人たちにとってリソースを使いやすくするということが、結果的にほかの人たちにとっても役立つという、アクセシビリティの本来意義を改めて感じました(これはWebアクセシビリティでも同じです)。

社内のアクセシビリティエバンジェリストに読んでほしい!

本書は大学の職員や福祉関係者を主な対象にしていると思います。また、Webアクセシビリティを社内に広げたいと思っている方々にも読んでもらいたいです。

Webアクセシビリティや大学におけるアクセシビリティは担当者が一人でいくら重要性を訴えても社内にはなかなか根付きません。社内のあらゆる人たちがその重要性を理解し、学び続けなけるための仕組みを導入しなければなりません。

その点。本書は、広島大学が障害を持つ学生を初めて受け入れ、アクセシビリティが大事だと気づくも、はじめはてんやわんやしながら、徐々にノウハウを蓄積し、組織に根付かせていくのかというプロセスを知ることができます。

だからこそ、「なかなかうちの営業が分かってくれなくてさ」とか、「デザイナーはアクセシビリティ考えてなくて、かっこよけりゃいいと思ってるんだよね」(今時、こんな人たちがいるかは知りませんが)、とこんな声を聞きつつも、アクセシビリティを社内に根付かせたい方々にとっては役立つ一冊になるのではないでしょうか。

注文と手に入れ方

ただ、本書について1点だけ注文があります。

本書は150ページ前後と非常に短く、サッと読めることがメリットなのです。ただ、これだけのノウハウがあれば、ページ数を倍にしてもよいから、個々の学生のケースや大学内でアクセシビリティが根付いていくプロセスをもっと詳細に記してほしかったなと思いました。

また、本書の入手の仕方ですが、広島大学アクセシビリティセンターのお知らせに、『大学教育とアクセシビリティ:教育環境のユニバーサルデザイン化の取組み』を刊行しました。(PDF) 関係者には寄贈いたします。 とあります。ぼくは1ヶ月前くらいにこれを発見し、アクセシビリティセンターにメールし、本書を郵送してもらいました。

このリンク先はPDFよりもHTMLのほうがいいですよね[余計]。

2010年02月20日

イデア―美と芸術の理論のために/エルヴィン・パノフスキー

イデア。
強引に簡略化してしまえば、個別の事物の背後に潜む本質であるイデア。

プラトンの哲学に端をなすイデアは、17世紀の初頭のマニエリスムの時代において、芸術家の精神のなかに形成された内的素描として、実際の作品の原型と捉えられるようになる。芸術家は自身の精神のなかであらかじめ形成された内的素描としてのイデアを自身の技術を用いて絵画や彫刻などの外的素描へと移し変える。
このような理論化を最初に行ったのが、マニエリスムの画家であり芸術理論家でもあったフェデリコ・ツッカーリであり、それは1607年の『絵画、彫刻、建築のイデア』という書物のうちにおいてなされたものであることは、すでに「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」で述べておいた。

ところが、本書の著者、パノフスキーによれば、そもそもイデアという哲学的概念を生み出したプラトンは決して「造形芸術に対する公正な審判者ではありえなかった」という。「プラトン哲学はやはり、芸術に敵対するとは言わないまでも、芸術に疎遠なものと呼ばれるのにふさわしいものであった」といいます。

その芸術に疎遠なはずのプラトン哲学のイデアがなぜ、マニエリスム期に至っては、芸術活動の根幹をなすものの地位を獲得するに至ったか?
古代から中世を介してルネサンス、マニエリスム、バロックの時代へと、イデアの歴史的変遷を辿ってみせるのが、このパノフスキーの『イデア―美と芸術の理論のために』という本です。
それは同時に、芸術の社会的地位や役割の変化を観察する試みにもなっています。

芸術を攻撃するプラトン、芸術から身を守ろうとするプロティノス

まず、個別の事物の背後に潜む本質であるイデアをこそ重視するプラトン哲学において、単純に外界の個物を模倣する術としての造形芸術が大きな価値をもつものと見做されなかったのは、当然だといえます。見かけをつくる模倣の術としての造形芸術は、人間の不完全な目を惑わせるものとして攻撃の対象でさえありました。
個別より一般化を目指す傾向の強いその哲学においては、個別を超えた、普遍的なイデアとの合致を目指す限りにおいて芸術的創造の価値は認められたのです。特にこうしたイデア的な意味での芸術的な美を見出す能力を芸術家のなかに見出す思想は、プラトンより500年以上後の人で、ネオプラトニズムの創始者といわれるプロティノスの思想のなかに見出せるといいます。

同じ古代においても、この500年の時間差のなかで、すでにプラトンとプロティノスの思想には差異が見られます。

プラトンにとって、芸術とは人間の内的な眼差しを感覚的な像に引きとどめ、イデア界を観照することを妨げるものであって、それゆえにこそ彼は芸術を断罪したのであった。他方プロティノスにとって、芸術派人間の内的な眼差しをいつも新たに感覚的な像のうえへとさまよいださせ、イデア界へと視野を開きながらも、同時にそれを覆い隠してしまうという悲劇的な運命をもつものであり、それゆえに彼は芸術に有罪を宣告するのである。
エルヴィン・パノフスキー『イデア―美と芸術の理論のために』

ここでプラトンとプロティノスのあいだで、芸術に対する態度に違いはみられますが、いずれにせよ感覚的に知覚できる世界を超えたイデア界を優位におき、それゆえに感覚的技術としての芸術の価値があまり認められないという点では、古代の芸術観はそれほど大きく変化していないと見做すことも可能でしょう。

中世における準イデア、独立性を認められない芸術

ところが、キリスト教社会となった中世においては、芸術の社会における地位に変化が訪れるとともに、イデアの位置づけにも変化が起こります。

まず、以前、フランセス・A・イエイツの『記憶術』という本を紹介した際にも書いたように、中世においてはキリスト教の世界観を伝え理解するためのメディアとして、教会の壁面やその空間に絵画や彫刻などの芸術作品として物理的な実体をもった表現が用いられるようになります。絵画や彫刻は、宗教的・倫理的訓練の一環として美徳や悪徳、天国や地獄を表わすイメージとして制作されました。

こうした中、新プラトン主義の非人格的な世界精神を、キリスト教的な人格神へと置き換えたのがアウグスティヌスであり、そのなかでイデアもまた世界精神に内在した本質としての地位から、人格神に備わり思惟へと変換されたのです。

そうしたなか、イデアと芸術との関係にも読み替えが起こります。イデアが人格神の思惟となり、芸術が神の世界を描き出す役割を担うものとなったとき、芸術家は、本来神の思惟であるイデアを神秘的な直視により捉える能力をもったものと見做され、その芸術家の直視したイデアを神のイデアの模倣としての準イデア的なものと考えるようになったのです。

神のうちで生みだされ抱かれたこの像が、それでもなお、一般に人間と関係をもつことが考えられるとすれば、それはたいていの場合、論理的認識の対象や像家低的な模倣の対象としてではなく、むしろ神秘的直視の対象であった。とはえいもちろん、芸術家の精神がその内的表象と外的作品に対してもつ関係は、神の知性がその内的イデアと彼によって想像された世界に対してもつ関係と平行していると考えられた。
エルヴィン・パノフスキー『イデア―美と芸術の理論のために』

中世においては、このような神と人との関係性においてのみ、芸術家とその作品の社会的役割、地位が約束されたのであり、古代のように断罪されることは免れるようになったとはいえ、いまだ芸術そのものの独立性はまだ認められていなかったのです。

芸術の独立、独立を正当化するために援用されたイデア

ところが、宗教改革が過熱するルネサンス期になると、キリスト教に守られる形で存在意義を保っていた芸術に危機が訪れます。
それは「主観と客観の裂け目の発見(デザインの誕生3)」で書いたとおり、主体の独立を促すような危機でもあったのです。

かつての問いは、人間はどのようにして芸術作品を造るのか、というものであった。これに対して、いまやそれとはまったく別の、中世にはまるで縁のなかった問いが立てられる。すなわち、自然に立ち向かうことが必要になったとき、それを上手にやり遂げるためには、人間には何ができなくてはならないのか。とりわけ、何を知らなくてはならないのか。
エルヴィン・パノフスキー『イデア―美と芸術の理論のために』

中世のキリスト教的理想を描いた絵画から放り出され、再び、自然に向き合い、観察することで自らの描く世界を見出さなくてはならなくなったルネサンス期の芸術家にとって、主体である自分自身がいかにして客体である「自然に立ち向かう」べきか、それには何を知る必要があるかという問いに答えなくてはならなくなりました。その答えがパノフスキーの別の本、『象徴形式としての遠近法』で、これまた詳しく古代から中世、そしてルネサンス期への変転が描かれた本で詳しく論じられる「遠近法」でした。

ところが、遠近法によって主観と客観の立場が確立されると、今度は別の難題が生じます。そこで芸術における課題はルネサンスの後を継ぐマニエリスムにおいて大きく変転します。

芸術論の目標は、かつては芸術的創造を実践的に根拠づけることにあった。ところがいまや、芸術論は芸術的創造を理論的に正当化しなくてはならない。芸術家が自らの内的表象に、正確さという点でも美しさという点でも、主観を越えた妥当性を要求したとき、そうした要求を正当化してくれるはずのものとして、芸術理論はいわば形而上学に助けを求めるのである。(中略)この時代は避けがたい必然性によって、ほかのどんな方法によっても解くことのできない問題が自らの前に立ちはだかっているのを目の当たりにしたのである。
エルヴィン・パノフスキー『イデア―美と芸術の理論のために』

ルネサンス芸術が、遠近法という自然と向き合う術の考案とそれによる主観と客観の関係性の確立とともに、中世までのキリスト教に従属した芸術という立場から、芸術を独立的な存在に変えたことで、芸術には宗教に頼らず、自らの正当性を立証しなくてはならないという課題が生じたのです。
それが明確に意識されたのがマニエリスム期であり、その課題の1つが最初にあげたツッカーリの『絵画、彫刻、建築のイデア』であり、プラトンのイデアを大きく歪曲することで芸術に本質的な存在の正当性を主張する理論的根拠を生み出したのです。

社会と人間精神の変化の具体的把握とそのダイナミズムの理解

ざっと流れを要約してしまいましたが、このイデアと芸術の社会的役割、そして、何より人間精神の変容には驚かされるものがあります。

よく「時代は変わる」などという一般論を能天気に語る人がいますが、問題は変化するのが当たり前ということの認識というより、どんな因果関係によって何がどのように変化するのか/したのかという具体的な変化の軌跡とその背景を理解することではないかと思います。そこには偶然であれ必然であれ変化を促し、多くの場合、後戻りできない変容を社会にも、人間精神にも植えつける複雑な力学が隠れています。その力学をそれこそ一般論して変化を本質的なものとだけ言うのではなく、個別の事象を丁寧に読み解きながら変化の具体的な内容を理解することこそが求められるはずです。

そうした具体的な事象としての古を知ることなく、現在のダイナミックな動きを有意な形で捉え、その変化の力学に影響のある形で参与していくことなどできないはずですから。

そのような意味で、本書とそれに続けて読んだパノフスキーの『象徴形式としての遠近法』は温故知新の姿勢をとるうえで僕にとって非常に価値ある読書体験でした。

P.S.
この手の本の多くが5千円以上するのが当たり前というなかで、本書も含め、文庫版も数多く出版されているパノフスキーの本は、お得だと思います。このあたりの話に飛び込んでみようという方には手に取りやすい作者の1人ではないでしょうか。



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2010年02月19日

創造的な過程としての読書

意識というのは結局のところ、行動の残滓のようなものではないかと思う。

ずっと前に紹介した脳神経科学者ジェラルド・M・エーデルマンの『脳は空より広いか―「私」という現象を考える』書評)には、こんな図を紹介した上で、

ダイナミック・コア


次のようなことが述べられます。

Cは、高次元の識別を反映し、ゆえにその高次元の識別をもたらすC'の存在なくしてCが生じることはない。Cは対応関係を反映するものであって、直接的にも場の属性を通しても、物理的に何かを引き起こすことはできない。しかし、C'は違う。C'の活動は次のC'の活動を因果的に引き起こす。そのC'に必然的に伴う、伴立するのがCというわけだ。

ここでエーデルマンが言っているのは、意識プロセスとしてのCは、あくまで外界の信号を受け取り、それに対して行動を起こし、さらにそのフィードバックを外界から受けるといった一連の因果関係をもった活動のプロセスであるC'を「現象変換」させたものにすぎないということです。

なぜ意識が物理的な肉体を動かすのか?という従来からの志向性の問題を、エーデルマンは逆転させる形で、意識プロセスを物理的・神経的プロセスの投影として、残滓として捉えている。僕はこの考え方にとても納得するところがあるので、自分でもこの考え方を仮説として採用しています。

創造的な過程としての読書

こんな仮説のうえで考えると、結局は思考というのは行動のあとについてくるものではないかと思うのです。

今日もTwitterでこんなつぶやきをしてみました。

  • 意識に上った考えなんて、所詮は普段の行動の残滓だろう。普段いろんなむずかしい課題にチャレンジしてるからこそ、言葉が生まれ、他人の言葉にも反応できる。難題から逃げてばかりでは言葉さえ生まれないし、他人の言葉も受け取れない。
  • 何かやってる時のほうが考えなきゃいけないことが多いから、やってる人の方がつぶやくことが多いというのは、僕も自然な気がします。

さらに昨日は昨日で、こんなこともつぶやいています。

  • 本に書かれた知識を追うのではなく、本を書いた人がなぜそれを知ったか、考えたのかという人生を読め。でなければ、確かに読書は大しておもしろいものではない。

結局のところ、言葉を発したり理解したりしようとすれば、先行する行動がともなわければ、ただの言葉遊び的になってしまい、展開力がともないません。また、同じように自分の過去の行動経験がなければ、なかなか他人の言葉を引き受けることもできない。

それは本を読む場合でもおなじで、自分の経験のアーカイブがある程度なければ、他者が自己の人生を引き受けながら書いた言葉を、人生に裏打ちされた言葉として受け止めることも、それを自分の人生に引き受けて解釈することもできないのではないか?

それをしないからこそ、読者は単なる情報の取得、知識の取得というつまらないものと見做されてしまう。

町を捨て、書へ出よう

だが、本来の読者はそうではなく、著者の人生を経た残滓としての思考の記録を、自分自身の行動に裏打ちされた解釈によって読み、さらにそこで得たものを、他の本に書かれたことや自分自身の経験から得られた知見と編集的に組み合わせることで、新しい何かを生みだす創造的な過程だろう。

そうした読者体験を忘れて「書を捨て、町へ出よう」などと言っても仕方ない。
そのことを忘れた世界であるなら、町に出たところで自分の人生に関係するような出来事は何も起きえず、ただただ予定調和の情報交換がわかりやすさというルールの元で繰り返し行われるだけだろう。

それなら僕はあえて言いたい。「町を捨て、書へ出よう」と。



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2010年02月17日

未知のものにどう接するか?

最近、バーバラ・スタフォードの『実体への旅―1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』を読みはじめた。

旅(特に観光旅行、物見遊山)というものが、民衆もするものとなった歴史的経緯について考えてみたいと思ったからだ。
未知のものや場所に対して赴く人間の姿勢を考えるうえで、知らない土地を人びとが訪れる際の行動についてあらためて考えてみたくなったからである。

旅!エクスペリエンス!!

高山宏さんは『近代文化史入門 超英文学講義 』書評)のなかで、こんなことを書いています。

18世紀半ば、イギリスでは「エクスペリエンス」という言葉がキーワードになる。

18世紀前半のイギリスが長く続いた戦争の時代を一段落させ、道路と運河のネットワーク拡張期に当たったからだと、高山さんはいいます。この道路や運河の整備により、人びとはいろんな場所を旅して歩くようになった。
旅が可能になると、それまで身近ではできなかった経験がいろいろとできるようになる。

1719年にデフォーが『ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険(いわゆるロビンソン・クルーソー漂流記)』を書き、1726年にスウィフトが『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇(いわゆるガリヴァー旅行記)』を書いたのが、その時代だ。
世界ではじめてのアルファベット順の索引をもつ百科事典『サイクロペディア』をイーフリアム・チェンバーズが書いたのは1728年である。

『ロビンソン・クルーソー』が魚の釣り方、その釣り針の作り方、穴の掘り方、屋根の作り方というきわめて実践的な知識を扱ったのと同様に、『サイクロペディア』という百科事典もまた、学者の知を集めたものではなく実践の知を集めている。つまりキーワードとなるのが経験である。

旅に先行する旅行ガイドブック

ほぼ同じ時代、日本では、1780年に秋里籬島が『都名所図会』を出版している。これは京都の名所ガイドブックで、この籬島のガイドブックは当たり、次々といろんな土地の旅行ガイドブックを籬島は続けて出版している。

そして、1802-22年には有名な十返舎一九の『東海道中膝栗毛』。弥次喜多のガイドブックを持たない旅の珍道中は、すでに19世紀初頭には笑いのタネになっている。

このあたりは以前に紹介した、タイモン・スクリーチの『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学』に詳しいが、英国で旅の経験が注目されたと同じ時期に、日本では旅を先取りする旅行のガイドブックという疑似体験に注目が集まっている。
もちろん、これは一般人による旅というものを両方の面からみた結果だろう。つまりは英国が重視した経験を得る旅をするためには、結局、『ロビンソン・クルーソー漂流記』や『ガリヴァー旅行記』が、『東海道中膝栗毛』と同じ役割を果たしたのだ。とうぜん、一方には籬島の『名所図会』にあたるガイドブックがあったはずである。

つまりは実際の経験には、常に疑似体験(ガイドブックやマニュアルの参照)が先行していたのである。

これはいまの僕たちの観光旅行のスタイルとなんら変わりはない。
変化といっても、モバイルインターネットが普及したおかげで、それが旅行に出かけるずっと前から、直前に変化した程度だろう。

旅を基点に、あれこれと思考はさまよう

昨日あたり、Twitterでだらだらと流した、次のようなつぶやきは、このような話と関係している。

  • 情報と体験の境がなくなる疑似体験のはじまり。
  • 知っているということと、実際にやって感じたことの区別がつかない身体。驚きや喜びもあらかじめ疑似体験しておかなければ感じられない愚鈍な身体。予習やマニュアルなしでは何も見えないし聞こえない。予定調和のなかにしか驚きも喜びもないという矛盾の支配。
  • 未知の場所に旅する際、旅行ガイドに頼るようになったのが18世紀末。行きあたりばったりで未知の場所に赴くのではなくマニュアルによる事前の予習が当たり前になる。未知と対する時、事前にマニュアル的知識による疑似体験があって、そのあとに実際の未知に対するのだからすでに相手は未知ではない。
  • さて未知の商品を使う際、マニュアルを見なくても使えるようにということがユーザビリティの話でよく出てくる。つまりそれは未知の商品を既知のもののように扱えるようにすることだろう。商品の側も使う人の側も極力既知の領域からはみでないようにする。それは何が新しいのか?
  • と書くと、人は新しい使い方をしたいのではなく、新しい機能や結果がほしいのだという声が聞こえてきそうだが、本当だろうか?では、なぜヒットするのが、iPhoneやWiiやDSなのか?
  • 未知はこわい。でも楽しい、といえないだろうか? 過度なマニュアル文化はリスクとともに人から楽しみを奪っていないか?
  • 未知の物事に対して、情報収集から入るのではなく体験から入る。さらにいえば、まだ情報が出揃わないような未踏の地こそを目指す。誰かが体験した内容を綴ったニュースばかり読んでても仕方がないヨ。

といったあたりの思いつきの仮説を、もうすこしきちんと考えるために、バーバラ・スタフォードの『実体への旅―1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』を読み進めているというわけです。

疑似体験を超えた実体への旅ははたして可能か?
可能であるとしたら、いったい、どのようにして?
ということが、18世紀中盤から19世紀初頭にかけてどのように考えられてきたか。
それが現在にどのように影響を与えたかです。

 
 

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