TOP>2009年10月

2009年10月31日

記憶術/フランセス・A・イエイツ

ようやく、この本を紹介することができます。はやく紹介しないと、と思っていた本です。



というのも、以前に僕自身が「この本を読まないデザイン関係者なんてありえない」と書いた高山宏さんの『表象の芸術工学』の本のなかで、高山さんが「今、デザインを勉強しようとする人間でイエイツの『記憶術』(1966)とか『世界劇場』(1969)とか名さえ知らないなんてこと、ぼくが絶対に許しません」と断言していたうちの一冊がこれだから。

デザインを勉強している人が最低でも名前くらいを知っておかなくてはいけない本を、ここで紹介しない手はありません。
ちなみに、もう1冊の『世界劇場』も3分の2くらいは読み終えたので、そのうち紹介できるか、と。

結論から書いておくと、自分がデザインに関わる仕事や勉強をしていると思っている人は必読!の1冊だといえるでしょう。

記憶術の体系化の歴史を扱った一冊

最初にはっきり書いておかなくてはいけないのは、この本は、いま流行りの"脳"本のように記憶力を高めるための方法について書かれた本ではないということです。
そうではなく、西洋ではルネサンス期まで非常に重要視されており、かつ西洋における〈宗教、倫理、哲学、心理学、芸術、文学、科学的方法等々の歴史と重要な関連を持っている〉記憶術の体系化の歴史を扱った一冊です。つまりは歴史書。

とはいえ、西洋の歴史に関しては特に興味があるわけでもなく、知識もそれほど持っていない僕が、この本をとても強い興味をもって最後まで読めたのは、記憶術という古代ギリシアで生まれた〈記憶に「場」と「イメージ」を刻み込む技術を憶えこもうとする技〉である記憶術が西洋の文化、思想に及ぼした影響が非常に大きく、それこそ、数学のコードに支えられた科学技術文明を生みだした根本要因の1つだということがこの本を読むとよくわかるからです。
まさに現代の社会をデザインするための考え方そのものをデザインすることになったのが、この本で論じられる記憶術の体系化の歴史だといってよいのだろうと感じました。

その意味でこの本は大きな意味でデザインに関わる仕事や勉強をしている人はいつかは読むべき一冊だと思うのです。

記憶術における「場」の変遷

〈記憶に「場」と「イメージ」を刻み込む技術を憶えこもうとする技〉である記憶術は、著者によれば、

この術は、記憶の場としてその時代の建築を使い、そこにおくイメージとしてその時代のイメジャリーを用いる都合上、他の技芸同様、古典時代、ゴシック時代、ルネサンス時代といった時代区分をもっている。
フランセス・A・イエイツ『記憶術』

といいます。

記憶したい事柄を頭で思い浮かべ、それを実際の建築物の様々な「場」にひとつひとつ「イメージ」を置いていくことで、記憶を呼び起こしたいときは、その建築のなかを再度頭のなかで歩きまわることで1つ1つイメージを思い起こしていくというギリシアの詩人シモニデスが創始者とされる記憶術は、記憶に実際の建物を使う点で時代時代の影響を受けざるをえないことを著者は指摘します。
記憶術が生み出された古代であれば古代の建築が、キリスト教の影響が強い中世においては教会のゴシック建築が、そして、古典古代の文化を復興を目指したルネサンス期のイタリアにおいては新古典主義建築が、それぞれ記憶の場として用いられることになります。
そして、イタリアルネサンスから時代的には遅れたイギリスのルネサンスにおいては、シェイクスピアのグローブ座に代表される木造の公衆劇場が記憶の舞台として選ばれます。著者は、この関連性からいまはまったく記録として残されていないためにどんな姿をしていたかが不明なグローブ座の復元を、シェイクスピアと同時期を生きたロバート・フラッドの記憶術に関する考察を含む思想から蘇らせます。それが本書における非常にエキサイティングな論考のクライマックスの1つであり、またそれは著者が次に書いた『世界劇場』でさらに展開されることにもなります(なので、僕は間をおかず、そちらの方も読み進めているわけです。

20091031b.jpg
ロバート・フラッド『両宇宙誌』中の図版


中世における記憶術の「イメージ」の変化

記憶術にとって重要な要素の一方の「場」のほうに、こうした時代による変遷がみられるのと同時に、もう1つの重要な要素である「イメージ」のほうも時代における記憶術の位置づけとともに変化しました。

古代においては、キケロのような雄弁家が自身の演説内容を記憶しておくために、記憶術を用いました。まだ記録のメディアとしての紙が十分に用いることができなかった時代、より多くを記憶するための技としての記憶術はその本来の実用性をもっていました。その初期の記憶術においては、場に置かれるイメージはあくまで記憶を保ちたい人自身の頭のなかにあるもので、実際に図像として物理的なメディアのうえに表現されることはなかったのです。

それが変容したのが中世においてです。それまでは単に記憶術を用いる個々人が自分の頭のなかで使ったイメージが、教会の壁面やその空間に絵画や彫刻などの芸術作品として物理的な実体をもった表現として外在化されるようになったのです。と、同時に記憶術そのものにキリスト教的道徳的な意味合いが加わり、用いられるイメージも宗教的・倫理的訓練の一環として美徳や悪徳、天国や地獄を表わすイメージが中心となります。中世において記憶術の再編を行ったのがスコラ哲学の大成者として知られるトマス・アクィナスであり、神学者としてのアクィナスが大成したスコラ学は長きに渡ってカトリック教会の公式神学となったことをあわせて考えれば、いかに中世における記憶術がキリスト教の影響下において用いられたかが想像できるでしょう。

スコラ哲学の時代は、知識増大の時代であった。それはまた、<記憶>の時代でもある。この<記憶>の時代にあって、あらたな知識を記憶するためにあらたなイメージが必要とされた。キリスト教の教義や徳育において枠組みとなる主題自体は、この時代になっても、さほど大きく変化したわけではない。しかし、その細部は、複雑さを増すこととなった。
フランセス・A・イエイツ『記憶術』

アクィナスらカトリック教会の神学者たちは、古代における雄弁家の弁論術のために用いられた記憶術を、説教師たちが行う説教の記憶のための術に改編しました。そして、そこでの記憶を助けるために、絵画や彫刻などの芸術表現を用いて記憶術におけるイメージを強化したのです。そこでは記憶の場であるゴシック教会は場そのものにすでにイメージが置かれた状態の記憶術的空間になったのです。

つまり、ここでデザインの問題が生じているわけです。コミュニケーションのためのグラフィックデザインの問題。人びとのあいだに特定の価値を認知し理解して記憶してもらうためにグラフィカルなイメージを用いる現在のブランディングにおける操作とおなじ課題の解決が、宗教的道徳観、倫理観の理解・記憶のために求められていたわけです。
その具体的な技術として中世における宗教画表現の技術や、ダンテの『神曲』などの文学表現の技術が、記憶術のイメージ技術との関係で磨かれたのです。

秘術化したルネサンス期の記憶術

さらにスコラ哲学化した中世の記憶術が、古代復興のルネサンス期においては、キリスト教以前のヘルメス文化、カバラの影響、さらにはラモン・ルルの『大いなる術』(Ars Magna)などを取り込む形で大きく変容します。

それはひとことでいえば、記憶術の魔術化であり、秘術化です。
そこにはカバラ・数秘術の影響を受けた前数学的な術によって大宇宙(自然世界)と小宇宙(人間)を結び付ける方法の探究がなされます。この前数学的、前科学的な探究は後に薔薇十字団やフリーメーソンなどにおける錬金術的探究を経て、ライプニッツやニュートンによる数学・科学的方法の確立にまでつながっていきます。

宇宙が魔術によって動かされているという、ルネサンス期の有霊観的宇宙論は、宇宙が数学によって動かされているという、機械観的宇宙論に至る道を準備した。ブルーノの無限の諸世界という有霊観的宇宙にも、同じような魔術=機械観的法則が浸透しており、その意味で、彼の宇宙論は17世紀の宇宙論を魔術的に表現した、ひとつの予表といえる。
フランセス・A・イエイツ『記憶術』

この引用のなかに現れるブルーノ(ジョルダーノ・ブルーノ)という人物は、この本の主役といえる人物であり、スコラ哲学の解釈をくぐった古典的記憶術と、ヘルメス=カバラ主義、さらにはルルの術を統合したルネサンス期の記憶術を大成した人です。そして、ブルーノが大成した記憶術を中心に据えた魔術的哲学は、その後、近代を準備することとなる薔薇十字団やフリーメーソン的活動の礎をつくることにもなります。さらにはイタリア出身でありながら、ドミニコ教会に破門され、異端とみなされたことで、フランスやイギリスを彷徨する生涯をおくったブルーノは、中世からルネサンスへの移行が遅れていたイギリスにおいて、先にも名前をあげたイギリスにおけるロバート・フラッドの記憶術の誕生や、さらにはシェイクスピアの演劇やその演劇空間にも影響を与えることになるのです。

その意味で、このブルーノに代表されるルネサンス期における魔術的・前数学的な探究としてのヘルメス=カバラ主義的な思考がなければ、いまの数学や科学の確立もなかったかもしれないし、シェイクスピア演劇も生まれなかったかもしれないということです。
ここがこの本で論考されている記憶術というものが、宗教、倫理、哲学、心理学、芸術、文学、科学的方法等々の歴史と重要な関連を持っている〉かということがよくわかる点で、もっとも刺激的なところでしょう。

値段は高いけど、おすすめ

なにしろ、400ページを超える大著なので、ここではざっとその外観をなめただけの紹介しかできません。

ただ、この本で論考された記憶術を中心した西洋の歴史的流れ―現在の数学的コードで表現された科学技術中心の世界、さらにはその世界と人間を認知・理解・記憶においてつなぐ術としての文芸表現を核としたデザイン技術が生み出された背景の中心に、この記憶術という古代の方法があったということ―は、デザイン(もちろん、企画、設計、エンジニアリングを含む)にたずさわる人びとは、すくなくとも興味をもったほうがいいし、できれば、この6千を超える高価な本を無理してでも買って読んでおいたほうがいいと思うのです。
まぁ、高いのでなかなか手を出しにくいのは確かですけどね。

ともかく、僕としては非常に楽しく読め、いろんな考えを発展させていくためにはとても役に立つ一冊でした。
興味をもった人には、間違いなくおすすめの一冊です。



関連エントリー

2009年10月30日

体験を支える情報アーキテクチャ

タイトルから想像いただけるとおり、昨日の「情報アーキテクチャのデザイン」の続きです。
今日は「体験」というキーワードから考えを進めてみようと思います。

情報アーキテクチャというのは、人びとがものや世界に接する=体験する際のインターフェイスの構造・骨格にあたるものです。体験・コミュニケーションを通じて味わうことになるインターフェイスのストラクチャであり、スケルトンです。もちろん、この構造や骨格がきちんと設計できていなければ、人びとの体験やコミュニケーションは無残なものとなる確率が非常に高くなります。

ところが、この大事な要素である構造や骨格というものを、物事の表面しかみない人にはみえていなかったりします。そういう人はたいてい、構造の設計、骨格の設計もなしに表面やスタイルをデザインしようとします。そうやってできあがったものはなんとなく見た目には素敵に思えても、ちょっと触れると途端にイライラさせられる体験をさせられたり、不安を覚えさせられたりします。決して少なくない人たちが表面のデザインやスタイリングだけで、気持ちよい使い心地、素敵な体験が生み出せるかのように勘違いしているようです。残念ながら。

しかし、その一方できちんとした配慮の行き届いたサービス、おもてなしは、しっかりと組み立てられた骨格や構造のうえに成り立っています(さらに、その背後に要件や戦略があることをきちんとモデル化したJesse James Garrettの考察力は素晴らしい!)。


Jesse James Garrettの5 Planes Model


もちろん、その骨格、構造というのは単に情報アーキテクチャだけではありません。システムのアーキテクチャもそうでしょうし、物理的な意味での構造もきちんと設計されているはずです。ただ、そうした骨格や構造のなかでも、一番みえにくい情報アーキテクチャがやはり一番おろそかにされていることが多いと感じます。そもそも、情報を組織化する、構造化する、関係づける、流れをつくるということが、どんなことでどんな意味をもつものかが理解できていない人が多いようです。
まぁ、理解しているかどうかの前に、そのことを直観的に必要だと思えるセンスに欠けていることのほうが多いようですが。

ブランド・エクスペリエンスのデザイン

とはいえ、そんな問題点ばかりをあげていても仕方ありません。とにかく人びとの体験の具体的な対象となるものや世界とのインターフェイスをきちんとデザインするためには、情報の骨格や構造を組み立てる情報アーキテクチャの設計スキルをなんとしてでも養うしかありません。そうでなければ、ブランド・エクスペリエンスのデザインなんてできるわけないのですから。

先日紹介した『地域ブランド・マネジメント』という本にも、こんな一節がありました。

コンセプトとはあくまでもラフ・スケッチであり、抽象度の高いコンセプトを来訪者や住民が実際に体験していくためには、より具体的で詳細な設計図を作り上げていかなければならない。そのために、どんな資産に光を当てるのか。また複数の資産をどのように組み合わせていくのか。また資産を活性化するために新たにどのような要素を加えていくか、ついて検討していかなければならない。あたかも雑誌の編集者のような高度な編集力や展開力が求められる。そのようなプロセスを経て、コンセプトをもとにさまざまな資産が組み合わされていくことで、訪れる人々に対する体験がデザインされていく。

ここでいうコンセプトは、情報アーキテクチャにおいては、骨格や構造の下にある戦略にあたるものといえるでしょう。この戦略づくりとしてのコンセプトワークももちろん大事なのですが、今回はそこには触れません。それよりもコンセプトを具現化するための要件を抽出したあとに、それをさらに具体的なデザイン要素へと変換し、そのデザイン要素を組織化(グループ化、分類)し、その組織化した情報群をさらに構造化(階層構造、関係性の定義)するストラクチャのデザイン、さらにそれをより詳細なコミュニケーションやものの骨格へと落とし込むスケルトンを描いていく作業について、ここでは触れておきたいと思います。

先の引用にも、「どんな資産に光を当てるのか」という要素の優先順位づけや、「複数の資産をどのように組み合わせていくのか」という組織化や構造化の問題、「資産を活性化するために新たにどのような要素を加えていくか」といった不足要素の調達の問題などが指摘されているわけですが、情報アーキテクチャの構造、骨格の設計というのは、まさにコンセプトとしてスケッチした戦略を現実化するためのシステムの基礎を組み立てる作業にほかならず、そのためには素材として集めた要素をどのように組み合わせ、機能させるのが最適化を探っていく作業です。

もちろん、その組み立ての際にもっとも優先されるべきは、いかにして人びとに豊かな体験をしてもらうえるかということを、体験者である人びとも含めて大きな1つのシステムとして情報アーキテクチャの設計を考えるかということです。

A Model of Brand、再び

これをうまくモデル化しているのが、以前「ブランドとは何か?:1.A Model of Brandとパースの記号論」というエントリーでも紹介した、Dubberly Design Officeというサンフランシスコのデザインファームによる「A Model of Brand」というブランド・コンセプトマップです。

A Model of Brand


説明はすでに「ブランドとは何か?:1.A Model of Brandとパースの記号論」で書いているので省きますが、ようするに、この図にあるとおり、ブランドというのは単に商品やサービス、それからブランドのアイデンティティを表現するロゴやキャラクターなどからのみできているのではなく、それらのブランド要素を摂取する人びと、そして、その人びととブランド要素の接触の体験、そして、その体験を経て醸成される認知といった要素を含む全体的なシステムそのものが生み出す価値のことを指すのです。

この"A Model of Brand"というモデルは、まさに昨日の「情報アーキテクチャのデザイン」で、人間の側の「感覚、意味、行為」とシステム側の「操作、データ、フィードバック」という対応として描いたものを、ブランドという観点から統合的に捉えたモデルにほかなりません。ブランドの価値というのは、静的に存在するのではなく、まさにこうした人間そのものを含む統合的なシステムのなかで絶えず動的に生み出され/消耗していくものなんですね。

もちろん、このことは本来、情報アーキテクチャが必要とされるWebサービスや情報システムでもおなじです。Webサービスにしても情報システムにしても、サービスやシステムの側だけが機能しても価値は生まれません。そこに人びとが絡み、体験を通じて価値を感じる/醸成する動きがあるからこそ、システムは価値生産性をもつはずですから。

人を含めたシステム全体を捉えていないと…

結局、こうした人とサービスやシステム、商品との関係を組み立てたものが情報アーキテクチャの骨格や構造にあたるものです。そうした骨格や構造の組み立てがしっかりできていてこそ、表面やスタイルによる人とシステム側との具体的なコミュニケーション、体験が成立しうるのです。

とうぜん、どんなに骨格や構造がしっかりデザインされていても、最後の仕上げである表面やスタイルがどうしようもないデザインであれば、それまでの苦労もすべて水の泡になりかねないので、表面やスタイルが重要ではないということには決してならないのですけど。

もうひとつ付け加えると、ここまでの説明でなぜ情報アーキテクチャの設計に、人間中心設計の考え方や、ペルソナやシナリオといった手法が必要なのかもわかるかなと思います。ようするに、サービスや狭義のシステムの側だけをデザインするのではなく、それを利用し体験しながら価値を自らのなかで醸成する人間も含めた全体をシステムとして捉えるのですから、その欠かせない要素としての人間を、ほかの素材同様に知っておかなければ、システム全体を設計することはできないからです。

逆の見方をすれば、情報アーキテクチャの骨格や構造の設計をまともにしていない人たちにとっては、ペルソナもシナリオも役に立つ場面がほとんどないわけです。このへんをちゃんと理解することなく、ペルソナだ、シナリオだと騒いでいる人はいますが、意味わかってるのかな?と疑問を感じることは多いです。

という感じで、2回にわたってブランディングと情報アーキテクチャの関係を考えてみましたが、次回からはもうすこし本来のテーマであった地域ブランディングのことに話を戻していきたいな、と。

 

P.S.
と、こんな感じで情報アーキテクチャについて、僕なりに考えていたら、どんぴしゃなタイミングでコンセントの長谷川さんが本を出されたそうです。僕もついさっき迷わずAmazonで買っちゃいました。
これは内容を吟味することなどせず、とにかく買え!w



関連エントリー

2009年10月30日

[WordPress][記事]WordPressをCMSとして使うための必須プラグイン集

WordCamp Kyotoも無事に終わったので、記念エントリー。当日の様子に関しては、

などをご参照ください。また、プレゼンのスライドは、WordCamp Kyoto » スピーカーのスライド & 資料集で公開されています。

さて、それでは本題。WordPressをCMSとして使用する際に必須のプラグインを自分のメモも兼ねて掲載します。

必須プラグイン

Akismet
スパムコメントなどの対処。
Contact Form 7
お問い合わせなどのフォームをどこにでも設置できる。
Duplicate Post
記事を複製できる。
FeedBurner FeedSmith
WordPressのRSSフィードをFeedBurnerにリダイレクトする。
Google Analytics for WordPress
Google AnalysticsをWordPressに埋め込む。
Google XML Sitemaps
GoogleやYahooのサイトマップを自動的に生成する。
Revision Control
リビジョン機能をオフにしたり、オンにしたりする。
WP-DBManager
WordPressでデータベースの最適化、バックアップなどができる。
WP-PageNavi
Googleの検索結果のページのようなページネーションを作り、投稿・ページを移動できるようにする。
WP Multibyte Patch
WordPressの日本語に関するさまざまな問題に対処する。
WP Super Cache
WordPressのキャッシュを強化する。

必要に応じて使用するもの

2009年10月28日

情報アーキテクチャのデザイン

昨日の「売れ続けるしくみとしてのブランド」では、ファンを育み、ブランド価値を高めていくようなブランド・マネジメントができない理由として「ちょっと複雑なしくみ=システムを設計する力がないというのもあるでしょうね。設計する力がないというか、それをイメージして考えるためのスキルをもっていない」ことを挙げ、その欠点を補うためには「情報アーキテクチャの設計を学んでおくと役だつ」ということを仄めかしておきました。

ブランディングと情報アーキテクチャを関係づける考えというのは、僕のなかではずっと以前からあるもので、例えば3年前の2006年11月に書いた「ブランド・アーキテクチャとパースの記号論」といったエントリーでもそれらしいことを書いています。そんな風に考えるのは、ブランドにしてもインタラクティブなシステムにしても、結局のところ、それらが求められる背景には、大量の情報のなかでいかに効率よく自分が欲するものを見つけ利用できるようにできるかという現代の人間の欲求があると思うからです。ブランドもインタラクティブなシステムも、そうした人間の欲求に対して、自身を他と区別して認識できるようにし、さらに人間の欲求に対して自身がそれを満足させうる存在であることを教え、継続的な利用につながる信頼を築くことが求められます。そうした点を満たしてこそ、商品はブランドとなり、インタラクティブなシステムは利用可能(ユーザブル)な存在となります。

そこで共通して重要となるのが、認知や理解、信頼につながるような情報アーキテクチャをいかにデザインするかということだと思うんですね。それはきわめて人間中心デザイン的な問題だと考えます。

必要なのは、コミュニケーションや体験の体系化

最近、地域ブランディングということを考えているわけですが、その場合にも「地域というインターフェイス」というエントリーを書いたように、僕はブランディングというものとインターフェイスデザインやインタラクションデザインの共通点を強く意識しています。

地域ブランディングが目的としている「地域のものを買ってもらう」→「地域に遊びに来てもらう」→「繰り返し訪れてもらうようになる」→「住んでもらう」というアクションに人を駆り立てるためには、それこそ、地域を知ってもらい、理解してもらい、欲してもらい、信頼してもらうというプロセスを、ものを買う、来てもらう、リピーターになってもらう、住んでもらうというステップが上がるたびに繰り返し双方のインタラクション=コミュニケーション、体験によって伝えていく必要があります。

そうしたインタラクション=コミュニケーション、あるいは体験の体系化というものをいかにして設計するかというところで、地域ブランディングにおける情報アーキテクチャのデザインの必要性を感じるわけです。
もちろん、それは地域のブランディングに限らず、企業におけるブランド・マネジメントでも共通する課題だと思います。

ブランドとインタラクティブシステムの共通する問題

いかにしてターゲットとなる人びとに知ってもらい、理解してもらい、信頼してもらうかというところは、数ヶ月前に紹介したクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』のなかで、人間がある対象に「注意を向ける仕方3つの間の推移」としてモデル化している「認識」→「探究」→「信頼」の3段階の推移と大いに関係があります。

注意を向ける仕方3つの間の推移


ブランドに信頼を寄せて価値を感じるのにも、道具を信頼していちいち使い方を意識しなくても使えるようになるのにも、その前段階として、ブランドや道具に対する価値や使い方の探究があり、さらにそれ以前にはブランドや道具の存在やそれが何のためのものかを認識しておく必要があります。

つまり、ブランドでもインタラクティブなシステムでも共通して問題となるのが、対象となる人に、
  • どう知ってもらい、どう認識してもらうか
  • 持っている価値の探究をどのようにして行わせ、その価値をどう伝えるか
  • いかに信頼してもらい、信頼を裏切らないようにするか

ということです。

それがうまくいかなければ先の図に合ったように、探究の結果、落胆するかもしれないし、信頼を失い混乱し、もっと悪くすれば離脱してしまうかもしれないからです。
ブランドをつくる上でも、インタラクティブなシステムをつくる上でも、できればそうしたことは避けたいでしょう。

そこで重要な意味をもってくるのが、情報アーキテクチャの設計スキルだと思うのです。

感覚、意味、行為

では、情報アーキテクチャとは何のために必要かというと、人間が外界と接して、その意味を理解し利用できるようにするためのインターフェイスを確立するために必要だということができます。

ここでもう一度、クリッペンドルフを引いて、「感覚」→「意味」→「行為」が連続してまわりながら「意味」を更新していくという下の図のようなモデルを考えてみたいと思います。

感覚、意味、行為


このモデルが表現していることは、

  • 人は「感覚」によって「外部の世界」を感知する
  • 人は「感覚」に基づいて頭のなかで「意味」を構成する
  • 人は自分が構成した「意味」に基づいて「行動」する
  • 人は自分の「行動」の結果、生じた「外部の世界」からのフィードバックを「感覚」で感知し、「意味」の構成を更新する(以下、繰り返し)

という人間の意味形成と感覚、行動との関係性であり、つまりは人間にとっての「意味」というのはインタラクション(=体験)によって生じる動的な価値であるということです。

ブランディングにおいて継続的なコミュニケーションや繰り返しの体験が重視されるのも、まさにこうした「感覚」→「意味」→「行為」のサイクルを繰り返し人びとに回してもらうことで、意味=価値を醸成してもらいたいからにほかなりません。繰り返しのコミュニケーション、繰り返しの体験だけがブランドの価値を高める方法です。

操作、データ、フィードバック

情報アーキテクチャを考える場合、当然、この「感覚」→「意味」→「行為」に対応するものを、情報アーキテクチャの側で用意する必要があります。
それが「操作」―「データ(コンテンツ)」―「フィードバック」の3つの要素です。
人が「行為」を行えるように、対象となる「データ(コンテンツ)」に対する「操作」を可能にし、その「操作」の結果の「フィードバック」を「感覚」で感知してもらい、「意味」を構成してもらうことで「データ(コンテンツ)」の価値を意味づけてもらう。
たとえば、具体的にいえば、動画という「データ(コンテンツ)」に対して、再生するための「操作」を提供し、その操作に基づきユーザーが行動することで、実際の動画が再生されるという「フィードバック」を提供する。そうすることで動画そのものの内容=意味を理解してもらうだけでなく、一連の操作方法=システムとのコミュニケーションの方法を理解してもらうわけです。これが情報アーキテクチャをデザインする際の基本となる単位です。

実際には、こうした「操作」―「データ(コンテンツ)」―「フィードバック」という要素は1つのシステムあるいはブランディングのプランに無数にあって、複雑に絡み合っているはずです。なので、情報アーキテクチャのデザイン―つまり、システムの設計、ブランド・マネジメントのプランニング―の際には、こうした要素を洗い出したうえで、その要素群を組織化(グループ化、分類)、構造化(階層構造化、関係性の定義)を行い、整理・組み立てする作業を行うわけです。このあたりのより具体的な進め方は拙著『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』の第4章に詳しめに書いておいたので参照いただけると幸い。

情報アーキテクチャの設計スキルを身に着けていれば…

というわけで、情報システムであれ、継続的なコミュニケーションが重視されるブランディングであれ、この情報アーキテクチャの設計スキルともっていると、結構、役立つと思うわけです。

ところが、現実にはブランディングに携わる人以前に、本来はもっと情報アーキテクチャのデザインに関わっているはずの、ものをつくったり、デザインしたり、企画したりといった人たちの間にすら、「情報アーキテクチャを設計する」という発想がこれっぽちもないなと感じることが多々あるといった状況です。とにかく情報を組み立てて、その構造をもって人びとと物事とのコミュニケーションを成立させるという考えがないんですね。本当にびっくりするくらい、頭の中になくて、アイデアが整理、構造化される前に最終的なアウトプットとしてのスタイルに考えが飛んでしまいます。
デザインというのは、そもそも構想という日本語に訳すこともできる言葉だと思うんですが、この構想力というのが欠けている人が残念ながら多いようです。

まあ、そうした状況なので、この日本の環境で、情報アーキテクチャのデザインの必要性を理解し、その方法を根付かせていくというのは一筋縄ではいかないなと印象ももっています。
逆にいえば、この情報アーキテクチャの設計スキルを身に着けていれば、他の人に差をつけられるということでもあるんですけど。

 

関連エントリー

2009年10月27日

売れ続けるしくみとしてのブランド

売れるものを作るか。売れ続けるもの、あるいは、そのしくみを作るか。
これは似ているようで、違う考えによってプランを組み立てる必要があることです。

単に瞬間的に売ることが必要なのであれば、キャンペーンを行ったり、価格を下げたり、話題性のあるものでとりあえず試しに買ってもらったり、まだ買ったことがない人に向けた商品をわかりやすい販促手段で買ってもらったりすることで、一時的に売り上げを伸ばすことはできるはずです(もちろん、それにはそれなりのプランが必要ですが)。

ただ、そうやって買ってもらったものがその後も買ってもらえるかというと、ほとんどの場合、あやしいでしょう。買った理由が価格の安さやキャンペーンだったりすれば、それはものを評価して買っているわけではないのでリピートにはつながりにくいでしょう。話題性だけの商品なら買ったあとにがくんと評価は下がって逆に二度と買わないと思うかもしれません。まだ買ったことがない人向けの商品であれば、その人が次に買うときは「すでに買ったことがある人」になるわけですから、その商品を買う理由はなくなります。

そういった面で、売れるしくみを作ることと、売れ続けるしくみを作ることには違う面が多々あります。売れ続ける仕組みとしてのブランド・マネジメントを考えるなら、従来の売れる仕組みとしてのマーケティングとはまた違った視点での発想が必要になるはずです。

価値がわかる人に喜んで買ってもらう

まず、ひとつには、価値がわからない人に無理やり売るのではなく、価値がわかる人に喜んで買ってもらえるようになることがブランドをつくる上では大事な戦略だと思います。
必要な人に必要よりちょっと上の価値を届けるのです。必要かどうかも自分で認識していない人に無理やりなトークで説得してとにかく買ってもらうのとはわけが違うのです。もちろん、それはわかる人にだけわかればいいということではなく、わからない人にもわかってもらえるようにする努力は常に必要なのですが、それで本当にわかる人にとっての価値を損ねるようなことはしてはいけないということです。

価値のわかる人に喜んでもらい、その喜びをまわりの人にも伝えたくなるようにするしくみ・環境をつくりあげていくことこそがブランド戦略の核になくてはいけません。そのためにはファンが他の人たちに伝えたくなることを、ブランドが提供する商品・サービスそのものによってだけでなく、さまざまなメディアを使ったブランドコミュニケーションによっても提供していくことが必要になります。

人はコミュニケーションする生き物です。もちろん、誰もが誰にでも話をしたがるわけではないですが、誰とも話したくない人というのもマレでしょう。特に自分が感動したり、嬉しかったりしたことは他人に話したくなるのではないでしょうか。そこでブランドは人が喜ぶ価値を提供するだけでなく、その価値を他の人に話す際の話題もいっしょに提供することで、ファンによる口コミを発生しやすくすることが求められます。Webであれば、ブログなどで記事を書きやすくなるよう、引用しやすいメッセージや動画などの提供をすることで、ファンが喜びを表現しやすくなるはずです。

ブランドプロミスを裏切らないための組織のしくみ

ただし、その口コミの内容がバラけて、ブランドのメッセージがぼやけてしまってはいけません。そうならないためにも、ブランドがどんな価値をもつのかは事前に明確にしっかりと設計しておく必要があります。自分たちのブランドがもつ資産と市場のニーズ・ウォンツをマッチングさせた上で、ブランドの核となるコンセプトを固め、その価値を伝えていく商品戦略やコミュニケーション戦略に落とし込んでいくのです。どんな価値をファンとなる人たちに提供するのかをきちんとブランドプロミスとして、その人たちに約束し、それを認識してもらうのです。

当然、そこで提供すると宣言したブランドプロミスはファンを裏切ってはいけません。そのためには実現可能な価値をきちんと吟味した上でコミュニケーションに、そして、商品・サービスに落とし込んでいく必要があります。そのためにも自分たちの資産をきちんと棚卸した上でブランドコンセプトを設計するのです。

また、ブランドは常にファンを驚かせ、新鮮に感じてもらわなくてはなりません。そのためにはブランドは常に成長する必要があります。当然、ブランドをつくる組織のスタッフは常に学習を怠らず、価値提供に必要なスキルや感性を研いておかなくては、継続的に新しい価値を提供していくことはできないでしょう。組織の経営者はスタッフが価値提供のための学習やスキルアップに打ち込める文化、しくみを提供することができなくてはいけません。また、ブランド価値の持続的な維持に必要な新しい採用希望者が応募してくれるよう、組織としての魅力も保つことも同時に考える必要もあります。

さらには、ブランドを取り巻く環境は自分たち自身の活動によっても、外部的な要因によっても常に変化します。その変化に対して自分たちのコアとなるブランドプロミスを維持ししつつ、変化に応じたブランドの革新も同時に行えるようにするため、外部とのコミュニケーションとそれに対する迅速なフィードバックが行えるようクローズドループシステムももつ必要があるでしょう。

ブランド・マネジメントができない理由

こうやって書くと一見むずかしいことのように思えますが、ちゃんと自分たちが誰のために仕事をしているのかをいつもしっかり見つめて、それを見失わなければ、本当はそんなにむずかしいことではないはずです。それができないのは、自分たちが誰のどんなことのために働いているのかを見失っているからではないかと思うんですよね。

もうひとつの理由としては、ここで書いたようなちょっと複雑なしくみ=システムを設計する力がないというのもあるでしょうね。設計する力がないというか、それをイメージして考えるためのスキルをもっていないというか。このあたりは情報アーキテクチャの設計を学んでおくと役だつんですけどね。

もちろん、それ以前にブランディングをやる気がないというのもありますが、それはここでは論外でしょう。

関連エントリー