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2009年09月29日

応用力

応用力が足りない。教科書通りにしか物事を進められない人が多いように思う。

対処すべきケースが教科書通りならなんとかできるが、教科書には書かれたのとは異なるケースに出くわすと途端に立ち往生もしくは出鱈目なアクションとなる。
世の中、教科書通りには事が運ばないケースの方が多いから、なかなか仕事が進まない。あるいは出鱈目なアクションで、それ、本当に仕事したことになるの?と疑問に思うことも。

基本を応用して、パーツとなる手法を組み合わせながら、問題を解くという創造力が書けている。そういう頭の使い方に慣れていないのかな、と。

基本を理解すること

応用力に欠ける要因のひとつは基本が理解できていないことだと思う。ある問題を解くのになぜその方法を用いるのかということを理解せずに、ただ教科書に書かれた通り、こういう問題の場合はこの方法を使うと機械的に覚えてしまっているから、すこし違って見える問題にあたっただけでも方法を応用できなくなる。

とうぜん、基本がわかっていない方法同士の組み合わせができない。レシピに書かれた手順どおりにしか料理ができないと、ちょっと素材が違ったり道具が足りなかったりするだけでも料理ができなくなる。それおなじで、問題がすこし異なったり、使えるリソースに制約があって自分の知っている教科書通りのプロセスでは物事が運べないとわかると、思考停止となる。
そうではなく、料理をするということの基本と、手持ちの道具や方法がどういうものかをちゃんと理解できていれば、教科書とは異なる問題や素材を前にしてもおじけづくことなく応用力を発揮して問題に立ち向かえるはずである。

そうではなく基本をちゃんと理解せずに表面的なレシピや方法論を機械的になぞるだけだから、応用ができないのだ。

アイテムを増やす

とはいえ、応用力を発揮するためには、基本を理解しておくことだけでなく、手持ちのアイテムをたくさん増やしておくことも大切だ。

アイテムには大きく分けて2種類ある。

1つは誰もが共通に取得できるアイテム。方法論だったり、いろんなニュースだったり、本やインターネットに書かれた知識だったり。これらのアイテムの数を集めておくことも大事だと思う。ただし、基本の理解がなくては、これらをいくら集めても宝の持ち腐れになるだろう。いくら冷蔵庫のなかに素材が豊富に入っていても料理の基本知識と腕が伴わなければ、腐らせるだけなのといっしょだ。

もう1つのアイテムは経験だろう。これは個々人でとうぜん違う。こっちのほうが重要なアイテムだと思う。なぜなら、この経験がなければ自分自身のアクションを、そして、自分自身のアクションの結果生じる物事の変化を、評価することができないからだ。料理の味がわからなければ、なかなかうまく料理をつくることはできないだろう。

基本を理解することと同時に、この2つのアイテム蒐集を怠らないこと。それが応用力を伸ばすために必要なことではないだろうか。

はまるか/はまらないか

それにはともかくやってみることが大事だ。

おもしろいこと」というエントリーで、やるか/やらないかがおもしろいことができるかどうかにとっては重要だと書いた。いや、それ以前に『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』では、さんざんそのことを書いて、では、どうすればよいかという処方箋的なところも書いている。

ここでさらにその上に、はまるか/はまらないかという基準を加えてみたい。

物事の上達のためには、はまってみることが大事だと思う。
集中してひとつのことにはまってみる。

例えば、僕なら、人間中心設計というものにはまってみたのが、ここ2年くらいの自分のなかのブームのひとつだろう。いろんな本を読んでみたし、実際に自分でやってみたし、人に教えるということも、本を書いたりすることもやってみた。そうやって、はまって集中していろいろとみるから基本が理解できてくるし、2種類のアイテムもともに揃ってくる。そうするうちにだんだんと応用力もついてくる。自分ではようやく守破離の段階の「破」に足が届くようになったかなと思えている。

subjectである自分を認める

はまるというのは、誰かにやらされている感でやるのではない。誰かにやらされるか、動き方のアドバイスや参考となる事例をみせてもらえないと動けない人が多い。自主的に動くということにそもそも慣れていないのかもしれない。

かといって、はまるということが完全に主体的にやっているかというとそうでもなく、自分以外の何か、そうきっとはまっている対象そのものに突き動かされているような面もあると思う。それが『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で書いた「自分の外に出る」ということでもある。

自主的に動くというのは、ある意味ではsubjectである自分を認めてみることかもしれない。
これはヴィレム・フルッサーが『サブジェクトからプロジェクトへ』で指摘した歴史的な流れをある意味積極的に反転させることになる。そう歴史の流れに自然と身を任せていたら、自分はsubjectではなくすべてを人工的に自己投影しなくてはprojectとなる。これはこれで窮屈すぎるはずだ。

話が逸れたので元に戻す。
基本が理解できていないうちは、そうやってはまってみることが大事だと思う。はまっているうちに基本が身につくのだと思うし、はまるということ自体、得体のしれない基本というものを探る道のりなんだろうとも思う。

とにかく、そうやって自分の応用力を磨くことが肝心だ。
そうでなくては、素人じみた教科書どおりの回答ばかりで世の中があふれかえてしまう。それではちっとも世の中がおもしろくない。

自らおもしろい世界を切り拓いていくためにも応用力を高めていく努力を惜しむ理由はこれっぽちもないだろう。

 

関連エントリー

2009年09月28日

第3回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ2日目

26日の土曜日は、先週に引き続き、第3回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップの講師をしてきました。

前回は、ユーザー調査の結果をワークモデル分析、KJ法を使った分析を経て、ターゲットユーザーのモデルとなるペルソナを作成するところまで作業をしてもらいました。
宿題として各自に、自分たちがつくったペルソナにぴったりだと思われる写真を探してきてもらうことを宿題としました。

ペルソナの写真候補


今週の作業はその写真のなかから一番ぴったりと思われる写真を選んでもらうことからスタート。その後、ペルソナの期待を満たしつつ、ペルソナがゴールと考える状態まで導くためのWebサイトの要件、プロトタイプを、シナリオとペーパープロトタイピングの手法を使ってデザインしてもらいました。
以下のステップです。

  • シナリオ
  • 要件抽出、フロー図作成
  • ペーパープロトタイプ
  • アクティングアウトによる発表

それでは、また作業の内容を紹介しつつ、プロセスの説明を。

シナリオ

ペルソナを使ったシナリオ法によるデザインは、ペルソナがあるゴール(今回の場合は、旅行先での過ごし方のプランを決めるために情報収集を行い、同行者に相談したりしながら、最終的にプランを決定する)に到達するために行う行動、デザインの対象となるモノ(今回なら旅行情報サイト)をどう使うのかを、物語風に記述することで、デザインするモノに求められる要件(今回なら旅行情報サイトのサービス要件)を抽出するために行うものです。

僕がいつもワークショップで使っているシナリオ用のテンプレートは、シナリオで対象となるシーンにおけるペルソナの「目的」と「ゴール」を書く欄が上にあり、その下に、ペルソナが行う行動を段階的に記述していく「プロセス」の欄、それに対応する形で「ユーザーの要求」「必要な機能、コンテンツ」の欄が設けられた表があるものです。

シナリオ用テンプレート


シナリオを書く際は、最初にそのシーンでペルソナが何を目的として行動し、具体的にどんなものを手に入れたらゴールとなるか(行動が終了するか)を明らかにします。
そのうえで、ペルソナがゴールに到達するまでに行う行動、Webサイトでどんな手順で情報を入手し、情報をどう扱うのか、自分以外の誰かとWebサイトを使って情報の共有を行うのか、その際はどんな方法を使って行うのか、などの行動のプロセスを考え記述していきます。

作成するシナリオは、新しくつくるWebサイトのデザインコンセプトとなるものです。ですから、シナリオに描かれたペルソナの行動は、ユーザー調査などでみられた現実そのものではなく、現実の問題を解決する方法をペルソナに提供する理想の状況を提供すべく描かれている必要があります。

今回の参加者には、写真を探してきてもらう宿題とともに、各自がシナリオの案を書いてきてもらうことにしていました。
実際の作業は各メンバーが考えてきた案を元に、チームでひとつのシナリオを書く形で進めてもらいました。

シナリオの作成


事前の説明で、あたらめてユーザー中心のデザインは、チームでの共同作業が基本で、たがいに他の誰かの意見を聞いて自分の意見を膨らませたりというチームでの作業の利点を最大限に生かすようにしましょうとアドバイスしておいたおかげもあってか、今回の作業は前回以上にチーム内でのコミュニケーション・議論が活発になって、どちらのチームも、これまでのワークショップのどの参加者以上に作業がスムーズに進んでいた気がします。

要件抽出、フロー図作成

シナリオを書くときのコツは最初に、ペルソナがゴールに辿りつくまでに行う行動を描いた「プロセス」を埋めるようにすることです。「ユーザー要求」や「必要な機能・コンテンツ」の欄は、プロセスすべてが決まったあとで考えるようにすることです。

何度かワークショップをやっていますが、大体失敗するのは、すぐにペルソナが行う行動よりも具体的な機能やコンテンツの話になってしまうことです。参加者はWebサイトの企画や設計・デザインに関わる方なので、そっちのほうを考える方が楽なんですね。いつもやってるから。
でも、そうすると、ペルソナのことは忘れて自分たち自身が欲しい機能とか、不特定なユーザーのことを想定して機能が盛りだくさんになってしまう。それでは、せっかくターゲットユーザーのモデルとしてペルソナをつくった意味がないんですね。デザインがボケたものになってしまうんです。

そうではなくペルソナの期待することに焦点を絞って、あくまでペルソナの行動、ペルソナが行うWebサイトやまわりの人たちとのコミュニケーションを流れに沿って考えることが大事なんです。そうすれば、いつWebサイト側がペルソナに対して、どんなメニューを提示すればよいか、どういう提供の仕方をすればよいかということがみえてくる。それを元にユーザーがプロセスの各段階で求める情報は何か、それに応えるためにはどんなコンテンツや機能が必要かということがペルソナの期待に対応した形で考えられるようになる。それが結局、ペルソナにあわせたWebサイトのサービス要件の抽出なんですね。

そうやって要件が抽出できたら、今度はそれをすこしWebサイトの形として考えるために、画面のフロー図を作成します。これはできればペルソナが実際に辿る順番で画面の流れを描いたほうがいいんですけど、サイトの構成を把握するためのサイトマップを書きながら考えてもいいと思います。

フロー図を書く


ここでは次の作業として行うペーパープロトタイプで作成する画面数を把握する意味合いもあります。何枚ペーパープロトタイプを作成しないといけないか。どのくらいの作業量か、と。

ペーパープロトタイプ

ペーパープロトタイプは、シナリオを使って考えたサービスのコンセプトを具現化する作業の最終のステップです。シナリオから抽出された要件をフロー図に落とし込みましたが、今度はそのフロー図に描いた各画面のイメージを具体的に落とし込んでいきます。

もちろん、この時点で各画面にどんな情報の要素、機能の要素が必要かが特定されていないと各画面の構成を考えることはできません。昨日のワークショップでは時間がないので、シナリオのなかの「ユーザー要求」や「必要な機能・コンテンツ」の欄で記述した情報だけを元にペーパープロトタイプを作成してもらいましたが、本来ならこのステップに入る前に、そこで上がった要件を具体的にWebサイトのUI上に表現する要素としてラベリングを考えることも含めて整理しておくとよいと思います。

ペーパープロトタイプの作成


ペーパープロトタイプで確認すべき内容は、情報構造、表現、振る舞いの3つだと僕は思っています。画面上、情報がどのように構造化されているか、個々の情報はどのように表現されている必要があるか、また、ユーザーが行うアクションに対してWebサイトはどのように振舞うべきか。

特に、最後の振る舞いの部分がペーパープロトタイピングを行う最大のメリットかなと思っています。
最近のWebサイトはAjaxなどをつかって画面遷移を行うなく、ユーザーとのコミュニケーションを行うインタラクションの形が多くなってきています。これをよくWebサイトの設計者が行うように、パワーポイントなどをつかった平面的で静的な表現だけで考えるのはちょっとむずかしい。その点、ペーパープロトタイプなら、こんな風にパーツをポストイットなどを使ってつくることで、動きの表現も簡単に確認できるようになります。

パーツをポストイットでつくる


このパーツを別々につくるというのがペーパープロトタイピングのコツで、ユーザーのアクションによって動的に変化する部分は、別のパーツとして作成したほうがいいんですね。

ほかにもこんな風にサイト内で変化しないグローバルメニューなどは、台紙のほうに書きこんでしまっておくといいと思います。

グローバルメニューは台紙に書く


そうやってつくるとこんな風なペーパープロトタイプができます。旅のプランをスケジュール表に落とし込む画面のイメージですね。

ドラッグ可能な部分をポストイットを使って表現


ポストイットの部分はユーザーがドラッグして編集が可能な箇所として表現されています。こういう風につくると、ユーザーの利用イメージが思い浮かびやすくなりますし、使う際の問題点もみえてきます。

こちらはグーグルマップ風に、ポイントをクリックするとバルーン表現で情報が表示される画面のイメージ。これもバルーンをポストイットで表現しています。

地図に表示されるバルーンをポストイットで表現


ペーパープロトタイピングは、このように描きながら、ユーザーが実際に使う画面の見た目の印象だけでなく、動きから感じる印象も確認できるという点で、優れた方法だと思います。
メンバー内で分担しながら作業を行うと、おたがいに意見をいいあい、デザインをブラッシュアップできてよいと思います。

アクティングアウト

こうして作成したプロトタイプを元に、アクティングアウトという方法を使って発表してもらいました。
アクティングアウトは実際にサービスを利用するユーザーの利用状況を再現しながらサービスそのものの説明をする方法で、ひとりがペルソナ役、別の誰かがシステム役になってペーパープロトタイプの画面を変更しながらサービス内容の説明を行います。

ペーパープロトタイプは分担して作成してもらいましたので、全体の流れのなかでの整合性も確認するために、チームごとに発表のリハーサルをしてもらいます。
そうすると、またペーパープロトタイプをつくってる際には気づかない問題点に結構気づくんですね。実際のユーザーの利用シーンをシミュレーションするので、ユーザー視点でデザインの問題点が見えてくるわけです。これもペーパープロトタイピングを行う利点のひとつです。

発表はこんな風に、ペルソナの写真を前にしながら各チーム行ってもらいました。

アクティングアウトによる発表


アクティングアウトはちょっとした寸劇みたいなもので、ちょっと演じるのが恥ずかしいところもありますが、2チームともアドリブなども加えながら楽しく発表してくれました。

アクティングアウトによる発表


最後にリフレクションとして2日間の感想や今後の仕事にどう活かすかというコメントをいただきました。そのコメントが的をついてるものが多かったと感じるのは、いつにも増して2チームの出来がよかったからなんだろうなと思いました。やっぱり感じることっていうのはやったことに比例するんでしょうね。
今回の2チームは失敗することをいとわず積極的に作業を行い、かつチーム内での互いのコミュニケーションを積極的に行ったことが成功の大きな要因だったんでしょうね。
よいワークショップになってよかったなと思いました。

先週の1日目の講義の模様:第3回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ1日目

 

第1回目(2008年10月18日、25日開催)
第2回目(2009年2月21日、28日開催)

2009年09月28日

[アクセシビリティ][翻訳]WAI CG Consensus Resolutions on Text alternatives in HTML 5を訳した!

至るところで「忙しい!忙しい!」と言いつつも、シルバーウィークに無理やり時間を作って、翻訳しました。HTML5において代替テキスト(alt属性を含め)はどうあるべきかについてのWAIからの提言です。

alt属性をどのように書くかだけが問題なのではありません。上記文書は仕様でもノートでもありませんが、WAI-ARIAなどの属性や値を使いつつ、ユーザ・制作者・UAにとってベストな形はなんだろうかという議論が垣間見えるようで、非常に興味深い内容になっています。HTML5におけるアクセシビリティを考える上で読んでおくべき文章だと思います。

2009年09月25日

正しい行動を行うための3つのステップ

マーケットをみて顧客をみない。マーケットをみるのも競合他社の動向や流通をみる。いや、いちばん目を向けているのは社内の上司や他部門のことかもしれません。あるいはまわりに目をやる余裕もなく、ただ目の前の自分の仕事を処理するのに精いっぱいだったりするのでしょうか。

それでは売れる商品など、なかなか生まれてくるものではありません。
ヒットするサービスなど、つくれるわけもありません。

自分たちの社内や自分自身の仕事のことにしか目を向けず、外の世界をみることがないのなら、どうして外の世界から評価されるものが生み出されるのでしょうか。

問題を小さく捉えることができない

なかには、そうした現状を憂いて、ちゃんとしたものづくりをしたいなどと口にする人もいます。そのものづくりの対象は商品であることもあれば、自社のWebサイトであることもあったりします。

でも、ちゃんとしたものづくりをしたいと口ではいうものの結局何のアクションも起こさず現状を憂いているだけだったりもします。何のアクションも起こさないのなら、完璧にちゃんとしてはいなくても、まずはできる範囲でいままでの仕事を改善したほうがいいと思うのですが、そうはしないのです。相変わらずおなじやり方で商品づくりをしたり、自社のWebサイトをリニューアルもせずにほっておいたりしてしまいます。

問題を小さく捉えるということができないんですね。自分たちがすぐ手をつけられない大きな問題ばかり捉えても時間の無駄です。それより自分たちがしばらく何も変えられていないのだと感じたら、すこし無理すれば自分たちでもどうにかなる小さな問題に焦点をあて、それを素早く解決してしまうということも、結局は大きな問題の解決へ通じる近道だったりします。この「すこし無理すれば」というところがポイント。まったく無理しないのなら、それは現状のままということでしょうから。

問題を小さく捉えられないというのは、結局、現状がちゃんとみえていないということだと思います。社内しかみていなかったり、自分のまわりの仕事だけしか、ちゃんと目を配っていないのでしょう。外から自分たちの仕事がどうみられているか(あるいは、どう無視されているか)を確かめてみようともしていないのではないでしょうか。

正しい行動を行うための3つのステップ

自分たちの関わる現状をみて問題を正しく捉えること。これがマーケティングにおいても、ものづくりにおいても大事なポイントであるはずです。

正しい行動を行うプロセスというのはすこし乱暴に簡略化すれば次の3つのステップしかないと思っています(念のため書いておくと、この場合の「正しい」はやってる最中にはわからなくて、あとで外から評価されて決まるビジネス的正しさです。ようははじめから決まった答えなどはない)。

つまり、

  • 現実をみて問題を正しく理解する
  • 問題解決のためのコンセプトを生みだす
  • コンセプトを具現化するための実行案を作成し実行する

の3ステップです。
このうち、2番目の「問題解決のためのコンセプトを生みだす」というステップが、『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で「ひらめき」と呼んだ発想の部分にほかなりません。

また、同書で川喜多二郎さんのW型問題解決モデルをつかって説明したとおり、この「ひらめき」の部分をのぞく、ほかの2つのステップは基本的に、自分たち内部で完結できる仕事ではなく、自分たちの外=企業外をみて、それらと交わりながら、問題発見~問題解決を行うステップです。
この外をみる、外と交わるということを問題発見~問題解決のあいだにやらないから、いつまでたっても自分たちだけの袋小路からでることができないのだと思います。

3つのステップのいろんな形での分解の例

乱暴に3つのステップに簡略化しましたが、もうすこし丁寧に分解すれば、いろんなプロセスに合致します。

たとえば、IDEOなら、これを理解→観察→視覚化→改善→実行というプロセスとして分解します(cf.「IDEOにおけるデザイン・プロセスの5段階」)。
おなじ人間中心のデザインでも、アラン・クーパーのゴールダイレクテッドデザインなら、調査→モデリング→要件確定→フレームワークの設定→デザインの精緻化→開発サポートというステップに分解されます(cf.「ゴールダイレクテッドデザインとは」)。

あるいは、マーケティングマネジメントの世界であれば、市場の現状を理解し、セグメンテーション~ターゲティング~ポジショニングを考えながら、消費者のニーズ・ウォンツを明らかにしたうえで、それを商品・サービスのベネフィット、それを実現するための商品属性へと展開し、具体的な商品デザインを行い、同時に販売計画や生産計画なども立案しながら、実際の販売までもっていくというステップになるでしょう。

詳細化のレベルや個々のステップの呼び方は違っても、結局のところ、先の3つのステップをそれぞれのフィールドでの問題に適応して詳細化しているのにすぎません。

いずれも、観察や調査、リサーチというものをプロセスの前半部にもってきて、きちんと現状を理解し問題を捉える段階があることは決して軽視してはいけないことだと思います。現状をみずに自分たちが解決すべき問題がみえてくるはずはないわけですから。

コンセプトワークのための材料

先日、ユーザー中心デザインに関するワークショップの講師をした際に、参加者の方から「上司にこうしたペルソナだとかユーザー中心のデザインの必要性を理解してもらうにはどうしたらいいでしょう? ペルソナとしてひとりの人に絞ってしまう意味をどう説明すればいいでしょう?」という質問がありました。

そのとき、僕がまず最初にいったのは「僕は逆にユーザーのことを知らずに、なぜデザインができるのかわからない」ということでした。あまりに瞬間的にでたので自分でも実はちょっとびっくりしたのですが、実際、利用する人のことを考えずにどうやって機能やスタイルや価格や販売場所を決めているのだろうかと本当に疑問に思うんですね。

相手を知ることで自分たちのアクションが変わる」でも書きましたが、利用者も含めて自分とは異なる他人のことを知るというのは、自分の発想のきっかけを得るためだと思うんです。自分以外の他者の生活、行動に目を向けて仕入れた情報こそがコンセプトワークのための材料です。
それをしなければ、結局、最初から自分の頭のなかにある材料だけで物事を考えることになってしまうのではないでしょうか。

誰のこともみていないのなら…

知るということは何より未知を知るということだと思います。

当たり前ですが、既知のものを知るということはできません。未知のものだからこそ、新たに知ることができます。だから、知るというのは、最初から自分の外に向かう行為だと思うんです。自分の外に出るのをこわがっていたら、何も知ることなどできません。問題を捉えることもできないのです。

先のことばに続く僕の答えはこうでした。
「ひとりの人に絞ることの是非以前に、現状はひとりのユーザーのことも見ていないのではないですか? ひとりに絞るのに問題があるのなら、異なるユーザータイプのペルソナを複数つくって、その全員の要求を満たすデザインを考えればいいと思います。いろんな人がターゲットだというのなら、いろんな人を可能な限り包括できるだけのペルソナを何体かつくればいいだけです。それをせずに、うちのユーザーはいろんな人がいるというだけで、その誰のこともみようとしないのがいいことだとは思いません。」と。
そうしたことを丁寧に上司に説明してみては、というのが僕の答えでした。

そう。いろんなタイプのユーザーがいるといって、その誰のこともみていないこと自体が問題なのではないでしょうか。
そのうち、何人かでも実際にその相手のことをちゃんと観察してみれば気づくはずです。いかに自分たちがそれまで何もみていなかったということを。

未知を知ることからしか、自分たちがいま解決すべき問題を正しく捉えることはできないはずです。



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2009年09月25日

[アクセシビリティ][お知らせ]公開討論会 “だれもが使えるウェブサイト”をよろしくお願いします!

僕がちょこっとお手伝いさせていただいているイベントの告知サイトが公開されました。僕がウダウダ言うよりもプレスリリースをご覧になっていただいたほうが意図も目的も要項も分かりやすいと思います。ぜひご参加ください。

プレスリリース

利用者の視点で「だれもが使え、参加できるICT」を目指して活動しています、NPO法人ハーモニー・アイ&みんなの声で選ぼう!だれもが使えるウェブコンクール実行委員会と毎日新聞社ユニバーサロンとの共同企画のお知らせです。

「みんなの声で選ぼう!だれもが使えるウェブコンクール」を10月より開催するにあたりそれに先駆けて、10月7日(水)19時〜に以下の公開討論会の開催が決定しました!

ぜひ、皆様ご参加ください!


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公開討論会 “だれもが使えるウェブサイト”

〜企業サイトのアクセシビリティでビジネスチャンスをつかむ〜

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詳細と無料お申し込み: http://daremoga.jp/

【概要】

ウェブサイトにとって大切な「だれもが使える」「多くの人に使いやすい」ということ。

このことは、ウェブの利用者に利便性を提供するだけでなく、ウェブサイトを提供する企業にも有効なビジネスチャンスをもたらします。

しかし、多くの企業のウェブサイトは、使いやすさへの配慮が足りないために、ビジネスチャンスを逃しています。

シニアや障害者、パソコンに詳しくない一般の人々がどのようにウェブを利用し、どのようなウェブを望んでいるのか。

使いやすさへの配慮がビジネスチャンスにつながるとは、どういうことか。

企業ウェブサイトのアクセシビリティで、直接的なビジネス効果を出すためには、どのように取り組めばいいか。

毎日新聞社ユニバーサロン編集長の岩下氏をモデレーターに、パネリストが本音で討論します。

【登壇者】

モデレーター:

岩下 恭士 氏 (毎日新聞社 デジタルメディア局 ユニバーサロン編集長)

パネリスト:

馮 富久 氏 (株式会社技術評論社 クロスメディア事業部部長代理)

安田 英久 氏 (株式会社インプレスビジネスメディア Web担当者Forum編集長)

曽根 清次 氏 (社団法人長寿社会文化協会(WAC) 関東ネットワークセンター 事業推進部長)

他、アクセシビリティに積極的に取り組みをされている企業様にも出演依頼中。

【日時】

2009年10月7日(水) 19:00 から 20:30

(公開討論会後、会場にて軽い交流会を予定しています)

【場所】

毎日新聞社 東京本社 4階フリースペース

(東京都千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル 4階)

地下鉄 東京メトロ東西線 竹橋駅 1b出口 直結

社員の誘導がないと入場できないため、18:50 までに4階の西エレベーターホールに集合してください。

なお 18:30 から 18:50 まで、竹橋駅 1b出口 改札にガイドボランティアを配置しています。

【参加費】

無料

(交流会に参加いただく方は1000円)

【定員】

50名

(お申し込み多数の場合、抽選になることがあります)

【詳細と無料お申し込み】

http://daremoga.jp/

【こんな方にお勧め】

・企業・団体・公的機関のウェブサイトの担当者

・ウェブ制作会社・広告会社の方

・ウェブサイトのアクセシビリティに興味のある方

【主催】

みんなの声で選ぼう!だれもが使えるウェブコンクール実行委員会

NPO法人ハーモニー・アイ

【後援】

毎日新聞社

株式会社技術評論社gihyo.jp

株式会社インプレスビジネスメディアWeb担当者Forum

【「みんなの声で選ぼう! だれもが使えるウェブコンクール」とは】

インターネットの活用はすごい勢いで発展し、今や多くの市民もそのシステムを活用するようになってきています。

その窓口ともなるウェブサービスは、みんなの可能性を広げてくれる大切な役割を担っています。

しかし、現在残念ながらまだまだ確実にだれもがアクセスできる、使いやすいウェブの広がりは発展途上です。

特に、高齢者や障害者、ITには不慣れなユーザなどは、おいてけぼりになりがちです。

また、ウェブへのアクセス環境もここ数年で、携帯電話はじめとする様々な環境が一般的に広がりをみせています。

そこで、このコンクールにおいて「おいてけぼり」になりがちな障害者、高齢者の市民モニターへも参加いただき、その意見も参考に、利用者視点を重視した使える、使いやすいウェブを審査し表彰させていただきます。

だれもが使えるウェブ発展のために!

【「公開討論会」および「だれもが使えるウェブコンクール」のお問い合わせ】

NPO法人ハーモニー・アイ 事務局

〒135-0042 東京都江東区木場3丁目14番11号205

メールアドレス: harmony-i@harmony-i.org

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※お知り合いの方、同僚、クライアント等にご紹介いただければ嬉しいです。

ご自由に転送ください。

2009年09月23日

相手を知ることで自分たちのアクションが変わる

自分自身と異なるところをもった相手のことを想うこと。
それは自分たちの商品を買ってもらうためのマーケティングにおいても、より使いやすさのある製品をデザインする場合でも、等しく大事なことだと思います。



マーケティングの場合であれば、相手がどんなものを欲しているのか、必要としているのか、どんなところで相手は情報を入手し、どんな場所で購買行動を、どのような形で行っているのかなどといった面で、相手のことを知る必要があります。
使い勝手の良い製品をデザインする場合であれば、相手が普段どんなものをどんな目的をもってどんな風に使い、どんなものを問題なく使い、どんなものを不満を感じながら使っているのかという点にポイントをおいて相手を知ることが必要です。

こんな風にマーケティングのために相手を知る場合と、使いやすい製品を使うために相手を知る場合では、相手の何を知るかという点で違いはあるものの、自分とは異なる相手を知ることなしには、売れる商品も、使いやすい商品もできる可能性が低いという点では共通しています。

相手を知ることで自分たちのアクションが変わる

なぜ、相手を知る必要があるのでしょうか。
それは相手を知るということが、自分たちのアクションのための発想の種となり、そこから生まれた発想を組み立てる上での重要な要素だからです。

相手を知るということを単に相手の言っていることを聞くことだと勘違いしてしまってはいけません。個人的な関わり合いでも、単に相手の言ったとおりやっても、必ずしも相手は満足しなかったりします。言ったとおりにするのではなく、むしろ、相手が口にしないことを読み取ってはじめて相手は満足したりします。さらに、相手が予想しなかった驚きまで提供できれば、相手の満足度はさらに高まったりします。

マーケティングでもおなじでしょう。顧客のいうとおりにすればいいのではなく、顧客が口にしないニーズやウォンツに応えることが大事です。さらに顧客の期待の上をいく驚きを提供できれば顧客満足はさらに高まるでしょう。
それには相手のことを知り、さらに相手の考える価値の転換を図れるような発想を生み出し、それを現実として相手に提供できれば、その商品なりサービスの顧客満足度は高くなる可能性が高いはずです。

相手を知る方法よりも、相手を知ることの意義を理解する

そのためにも相手のことを知ることが必要です。

相手を知るための方法を理解する以上に、まず相手を知ることの意義をしっかり理解する必要があるでしょう。意義を理解せず方法だけ知識を得ても、意味のあるアクションになる確率は低いはずです。方法以前に目的をしっかり頭に叩き込むことが大事です。

繰り返しにもなりますが、相手を知ることの意義とは、

  • 相手を知ることで自分のアクションを変えることができるようになる。
  • 自分のアクションの焦点を絞り込むことができるようになる。

の2点が非常に大きいと思います。

いつもありきたりなアクションばかりで、そのアクションも常にブレてばかりなのは、きっとターゲットとなる相手のことをよく見ようとせずに、自分たちの空想の世界だけで考えようとするからではないでしょうか。

オフィスのなかの空想ではなく、市場における事実に目を向ける

そうではなく市場における事実に目を向けなくてはいけません。自分たちの閉ざされたオフィスの現実のなかだけで考えるのではなく、人びとが暮らす現実に目を向け、そこで考えるクセをつけることが大事でしょう。
空想の世界でものを考えるのではなく、現実を目の前にしてアクションを起こすこと。そうすれば自分たちのアクションがたびたびブレることも減り、また常にアクティブに変化する現実を目にすることで発想がありきたりの場所に凝り固まってしまうことが防げるでしょう。

ターゲットとなる相手を知ること。
それは結局、自分たち自身の発想や行動にメリットをもたらしてくれるものだと思います。



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2009年09月20日

第3回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ1日目

3回目となり、恒例になった感のあるデジタルスケープ社主催の「ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ」の講師をしてきました。

2週にわたっての2日間(5h/日×2=10h)で行うワークショップの1日目は、いつもどおり下記の内容を実施しました。

  • 講義―ユーザー中心のデザインについて―
  • ワークモデル分析(ユーザー個別での分析)
  • KJ法(ユーザーグループの分析)
  • ペルソナ文書の作成

この作業の流れは、自分たちがこれからつくろうとしているWebサイトあるいは商品のターゲットとなるユーザー層に対して、その人たちが普段どのように生活のなかでWebサイトあるいは商品と関わっているのかを観察&インタビューで調査した結果を、まずは個別のユーザーごとにその行動と背景、そして、そこに潜む潜在的なニーズを理解するための「ワークモデル分析」を行い、その後に類似する行動やその目的を有したユーザーグループごとにKJ法を用いてグループで共通する行動パターンや潜在ニーズを見つけていく、ユーザー理解・ユーザーニーズの把握のための作業にあたります。
この作業を経て得られたユーザーに対する理解、ユーザーニーズの把握の結果を定着して表現したものがユーザーモデルとしてのペルソナになります。

まぁ、こうやって文章にすればなんとなくわかった気になるものの、実際にユーザー理解・ユーザーニーズの把握をする作業は決して一筋縄ではいかないもので、いくらそれをことばだけで説明しても理解してもらうことはむずかしいので、手っ取り早く体験してもらおうというのが、恒例となったこのワークショップの主旨です。
毎回、参加者の皆さんは苦労して作業していますが、苦労していることだけでも、この手のワークショップは成功かなと感じます。苦労して参加者自身のなかに疑問が生じること。そのこと自体がワークショップの場を組織してその場で講師をする立場の一番の役割だろうな、と。

では、簡単にワークショップの内容を振り返り。

ワークモデル分析(ユーザー個別での分析)

事前に実施して文書としてまとめておいた3人分のユーザーインタビューの結果を元に、その人たちの行動とその背景としての行動の目的、影響する人や物事との関係性を、図として描きながら解釈を行うのがワークモデル分析です。

このワークショップでは、Webサイトを中心に旅行の計画を行い、この1か月以内に旅行に出かけた3人のユーザーの対して行った、その具体的な旅行の計画をどのように行ったかという詳細な調査データを元に、ワークモデル分析の作業を行います。
Webを使って旅行の計画を行うユーザーがどんなタイミングでどこから情報を得て、その情報からどのような影響を受け、また、入手した情報を自分以外の人にどのように共有したりしながら、最終的な旅行の計画をたてるのかを理解する作業を行うのです。

ワークモデル分析で用いる視点には、

  • フローモデル:ユーザーがタスクを実行する際に、他の人やメディアとのあいだに行われるコミュニケーションや情報のやりとりの流れを中心に、行動をモデル化
  • シーケンスモデル:ユーザーがタスクを行う際の流れを時系列に沿って理解するモデル
  • アーティファクトモデル:ユーザーがタスクを実行する際に作成する人工物(メモやノート)などをモデル化し、どのようなものを何のために作成するのかを理解
  • 文化モデル:ユーザーがタスクを行う際に影響を与える人間関係や社会的ルール、経済状況などを記述するモデル
  • 物理モデル:ユーザーがタスクを実行する物理的な環境を図示し、どんな物がユーザーの行動に影響を与えているかを理解するモデル

の5つの視点を用いて図示を行いますが、今回のワークショップではこのうち、フローモデルとシーケンスモデルの2つを使って、旅行の計画を立てるユーザーの行動を分析してもらっています。

ユーザーの行動を図にして理解するという作業は、なんとなく文書でまとまったものを読んで理解しているつもりになっているものを、再度図式化を通してその関係性・構造を整理・把握することで、その行動と背景の関係性を解釈しなおすためのものです。

参加者のなかにはむずかしいといいながら、やってる方がいましたが、そのむずかしさを感じることが大事です。他人の行動やなぜそんな行動をしているかを理解するのが簡単なはずはないからです。それを普段の僕らは簡単に理解したつもりになっています。時には、その程度の理解で、相手の行動を非難したりもします。それは相手を理解したのではなく、単に自分の思考の枠組みに相手の行動を勝手に当てはめてしまっているだけで、すこしも相手の立場を理解したことにはなりません。
ユーザー中心のデザインで求められるユーザー理解は、自分の思考の枠組みに相手をあてはめるのではなく、相手の立場そのものになりきることが求められます。それには自分の思考の枠組みをいったん忘れなくてはなりません。
むずかしいのはここです。ただ、そのむずかしさを超えた先にしか、相手の立場になるなんてことはできません。それ以前にむずかしさを感じることができないのだとしたら論外なのです。

ワークモデル分析


KJ法(ユーザーグループの分析)

ワークモデル分析で個別のユーザーの行動を分析すると、ユーザー同士で似ている人とそうでない人がいるのが見えてきます。次の作業は、その似ているユーザー同士をユーザーグループとして、統合的な視点にたってグループ単位を対象に共通の行動やその背景、ニーズを抽出する作業を行います。これにはKJ法を用います。

今回のワークショップでは3名の調査対象のユーザーのうち、2名の類似するユーザーを1つのグループとして、2名の共通点を探るために、KJ法の作業を行いました。

調査データをまとめた文書から、行動に関する情報をポストイットに書き出す作業からはじめます。これを情報の単位化といいます。昨日あらためて感じたのは、この情報の単位化というのは、俳句を詠むなどに似ているのかということでした。「古池や蛙飛びこむ水の音」が短い文章のなかに、蛙が水に飛び込む水の音が印象的に響くほど静かな古池のほとりの情景を描ききるように、KJ法での単位化においても、ポストイットのなかにユーザーの行動とその背景がありありと他の人がみてもわかるように書き出すことが求められます。
ここで個別の行動の情景が浮かび上がるような形でポストイットに情報の単位化ができていないと、「なぜ、KJ法は失敗するのか?」というエントリーで書いたように、次の似ている内容のポストイット同士をグループ化する情報の統合化を行う際に、「他人がみて、どういう状況の行動を抜き出したのかがわからない」とか「観察対象の人びとの行動のなかの体験そのものを想像せずに、カードに書かれた言葉のイメージだけで分類する」ということが起こってしまいます。
また、単位化した情報の数が少なすぎてもうまくいきません。今回1つのチームでは単位化した情報が少なすぎて。ペルソナのプロフィールを作成する部分にあたる情報の統合化がうまくできないなんてことも実際に生じました。多すぎることで困ることはありませんので、KJ法をやるときは単位化の時点でどれを書き出したらいいかなどと悩んで情報を捨てることはせず、書けるものは全部書き出してしまうくらいの姿勢でのぞむ方がよいと思います。

情報の単位化


情報の統合化でグループ化したグループにラベルをつける作業には、今度は俳諧連歌のような力が必要になるのだろうと感じました。俳諧連歌では前の人が詠んだ上句(五七五)や下句(七七)に対して、下句あるいは上句をつけます。とうぜん、前の句を受けての次の句となります。前の句できちんと情景を頭のなかに思い浮かべた上で次の句をつけなくてはいけません。
KJ法でラベルをつける作業にもおなじような力が必要になるのです。『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』でも詳しく書いているように、KJ法は単純に情報を分類する作業ではありません。小さな発想を重ねて大きな発想を生み出す発想法です。グループ化した情報群にカテゴリー名(「検索する」「宿を探す」など)をラベルに書き出すのではなく、グループ化した個々の情報がもっている具体的な内容(「牧場が多いのはどの地域かわからなかったので<牧場 体験>で検索した」「じゃらんは宿の写真が豊富だから宿探しに使う」など)が欠損しないように、やはり短いセンテンスにそうした情報を織りこむ形でラベルをつけることが必要です。
というのも、結局、そこでつけたラベル(「宿探しはクチコミを使って検討したいのでじゃらんや楽天トラベルをみる」「おなじ食事をとるならおいしいものを食べたいと思うので食べログを参照する」など)が次にペルソナを表現する際の、ペルソナの特徴になるからです。

そうした情報の単位化、情報の統合化の作業を経ると、次の情報の図解化で情報間の関係性を理解する作業もスムーズに進むようになります。ユーザーはなぜそのような行動をしたのか、なぜそのような順番で行動をしたのかが見えるようになり、ユーザーに情報提供をする際に何に配慮し、どんなタイミングでどのような情報を与えればよいのかがわかるようになります。それがみえてくれば、どのようなデザインが必要かの発想は浮かびやすくなるはずです。もし、KJ法をやったあとに、そうしたアイデアが生まれてきていないのなら、それはここまでの調査、ワークモデル分析、KJ法の作業に不足あるのです。

KJ法


ペルソナ文書の作成

こうした作業を経て、きちんとしたユーザー行動の理解、そして、その背景にある潜在的なニーズが自分の腹に落ちているからこそ、ペルソナというユーザーモデルの作成が可能になります。
よく「ペルソナは調査を元に作成したユーザーのモデル」といいますが、単に調査をしただけではちゃんとしたペルソナはできないと思います。調査データをもとにワークモデル分析やKJ法を用いて、自分の思い込みを捨て、相手の立場になりきってこそ、まともなペルソナができます。ましてや調査もせずに、自分たちの思い込みだけでユーザー像をイメージしたものをペルソナとは呼びませんし、そんなモデルを使ったデザインをユーザー中心のデザインとはいいません。

ただ、ワークモデル分析やKJ法を経て、きちんとユーザーの立場・潜在ニーズを把握できた場合でも、ペルソナをつくる際に失敗するケースもある。それは何かというと表現で失敗するのです。自分たちではちゃんとわかっていても、それを他の人に表現する場合にうまく伝えられないという間違いが起こるケースはあります。
ペルソナというのはユーザー像を明らかにするためのモデルですので、その目的である「ユーザー像を明らかにする」ことがうまくいかない表現というのはやっぱり問題です。

よくせっかくつくったペルソナを上司や関係者が理解してくれないという話を聞きますが、その要因の1つには表現が稚拙で伝わらないというケースもあるのかなと思います。もちろん、それ以外にそもそも相手がユーザー中心という発想に理解を示さないという場合もありますけど。

ペルソナを作成


こうした作業を経て作成したターゲットユーザーのモデルであるペルソナを元に、次回は、そのペルソナの期待に応えるためのWebサイトを企画・設計するために、シナリオとペーパープロトタイプを用いて、デザインを進めていきます。それについてはまた来週、個の場で報告しようかと。

そうそう。ワークショップを終えて外に出ると、こんな夕焼けに遭遇しました。



いよいよ本格的に秋ですね。

 

第1回目(2008年10月18日、25日開催)
第2回目(2009年2月21日、28日開催)

2009年09月20日

手入れ文化と日本/養老孟司

モノであれ、情報であれ、人がつくった人工物はつくった形のまま、変化しません。変化するとすれば、それは人間がつくりだした部分以外のところで、自然にしたがう形で劣化していくだけ。人工的な部分はつくった時点から変わらず、そのまま残ります。
一方で、人間自身を含めて自然にあるものは常に変化しており、むしろ、おなじ状態であることができません。人工物のうちの変化する部分もまさにこの自然に従っているだけです。

しかし、人間の歴史において、人間はつねにこの変化しない状態を望んできた面があります。エジプトのピラミッド、万里の長城、ミイラ、そして、現在のコンクリートやアスファルトでつくられた都市や情報化技術(IT)。
変化しない人工物で埋め尽くされた都会で暮らしながら、現代人は「私は変わらぬ私だ」と思いこんでいます。自分たちで管理・コントロールできない変化を嫌い、変化を象徴する自然をことごとく自分たちの暮らす都会から排除しようとします。自然である死を、誕生を隔離された病院のなかに押し込め、肌を衣服や化粧で覆います。

わからないものを自分のそばから遠ざけようとする態度もその延長線上にあるのだろうと感じます。

無常から浮世へ

ただ、そんな人類の歴史において、自然の変化を仕方がないものとして受け入れる文化がありました。
冒頭から「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と書き出された『方丈記』が生まれた日本の中世がそのひとつです。日本の中世における無常感は方丈記以外にも「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」と書かれた『平家物語』や「ものゝあはれ」を描きあげた『源氏物語』にも、世阿弥の申楽にも共有される中世の人びとが共通に抱いていた捉え方であったはずです。

そうした世界の捉え方がすこしずつ変化をみせはじめたのが近世とよばれる江戸時代でした。

江戸時代の人は逆の意味で情報の重要性をよく知っていたのではないかと思います。江戸の制度を封建制度とよく言いますが、私にはそういう社会的な見方ができません。そもそも理科系ですから、どう見るかというと、江戸は情報統制社会であると見ます。鎖国政策はその典型で、なぜ人の出入りを止めたか。簡単です。人間というのは見ようによっては情報の塊だからです。情報の塊が自由に出たり入ったりすると何が起こるか。情報処理の問題です。
養老孟司「現代の学生を解剖する」『手入れ文化と日本』

江戸時代には大きな規模で都市化が起こっています。それと同時に都市や、そこに住む人びとを固定しようとする制度も定着しています。士農工商という形で身分を固定する試みもそうですし、それまで各地をさまよっていた職能民たちを固定し、遊女や歌舞伎の役者などを悪所と呼ばれた吉原や歌舞伎街に固定したりもしています。下克上の戦乱の世も終わり、武士階級のなかでの無常な変化のなかで生まれる勝者と敗者の関係もなくなったということもあります。

そのなかで中世の無常は、江戸において浮世へと変化します。
変わらない情報が都市や村にあふれはじめた時代において、まだ変化するものとして実感のあった自然としての自分自身の身体と情報のギャップを感じて、情報によって統制された世界を根なし草の浮世と感じとったのでしょう。

ことばと実体

「情報過多ということは、人が生きている実感がなくなって、データだけが増えてくるということです」と養老さんはいいます。まさに江戸時代の人が感じた浮世という感覚がこれでしょう。

しかし、まだ、生きている実感が薄らいだ浮世を全面的に意識できている分だけ、江戸期の人びとはまだ人工的な情報と非人工的な自分自身の身体や自然そのものとの違いをわかっていたのだろうと思います。
ところが、現代においてはもはや情報とその情報が本来対象にしているはずの実体とのギャップがわからなくなってしまっています。自分の頭が考えていることと自分の身体が感じていることのあいだにあるギャップにさえ気づかなくなってしまっています。

他人が話すことばに何かしらの実体を求めようとします。いや、実体うんぬんなどは忘れて言葉そのものの正しさを求めようとします。そこで自分が見ているものとのギャップを感じたりして、自分が正しいと思うと、相手の言葉を間違いだと断罪しようとしてしまうこともすくなくありません。人が解釈してつくりあげた人工物であることばの表現と実体のあいだの差異がわからなくなってしまっているから、ことばそのものを正しいとか正しくないとか議論しようとしてしまいます。実際の実体あるものを無常であり、変化するものだとしてもです。

仕方がない

そうした傾向はことばに対してだけではありません。他人が行う行動、他人がつくりだすモノに対してもおなじように何か固定された正しいものがあると信じて、もし他人が差し出すものがその正しさに妥当しないと感じられると、それを差し出した相手を非難しようとします。

自然の中に暮らしているときに不幸な出来事が起こりますと「それは仕方がない」となるということです。一方、都会の中で不幸な出来事が起こりますと「誰のせいだ」ということになります。
養老孟司「手入れ文化と日本」『手入れ文化と日本』

僕はいま世の中に足りないのは、何か間違いがあったときに「仕方がない」と感じて、相手を非難しないようにすることではないかと感じます。非難をするのではなく、相手といっしょになって間違いを是正するような方向にはたらきかけることのほうが大事だと思うのです。

だめなものをあるがままに受け入れる

たとえば、なにか問題がある商品・サービスに対して、消費者の側もただ文句をいうばかりではだめだと思うのです。むしろ、その商品・サービスのよいところに目をつけ、それを伸ばしていく方向ではたらきかけ、そのはたらきかけのなかで良くないところを改善する。商品やサービスというのは本来そうやって伸びていくものだと思います。良いところをみつける努力や見る目がないから、ただ文句だけをいうのでしょうけど、それでは文句をいわれる側は疲弊するばかりで、世の中の商品はどんどん悪くなるばかりだと思います。

おなじことは教育の場でも、企業の中の人間関係のなかでも起こっているはずです。教師が生徒のよい面をみない、また、生徒の親が教師のわるい面ばかりをみて文句をいう。会社では社員が経営の悪い面ばかりをみて文句をいい、経営の側も社員のだめなところを嘆く。

でも、だめなところはだめで仕方がないということをまず知る方が大切だと思うのです。だめなところを問題視するのではなく、だめなものを仕方がないと受け止められないことのほうがだめだと思うのです。すべてを自分の思いどおりに(だめでなく)しようとする発想自体に問題があるのではないでしょうか?

自然というのはみんなそうですが、「自然のまま」にしているわけです。それに対して人工そのものの意識というのは「思うようにする」ということです。自然は思いのままにならない典型です。自然は非常に強いものですから、これを思いのままにしようとしても無理だということはわかっています。そこでどうするかというと、これに手入れをして人工のほうに引っ張るわけです。これが本来の手入れです。
養老孟司「手入れ文化と日本」『手入れ文化と日本』

この「手入れ」という文化こそが大事なのではないでしょうか。他人のだめなところを非難したり排除しようとするのではなく、だめなことは自然で、あるがままの状態だと受け入れる力が必要なのではないかと思うのです。

行く川の流れに身をまかせ―

すべてを自分が理解できる状態にすることを望んだり、自分が管理・コントロールできる状態になることを望むのではなく、すこしだけ自分の思う方向に引っ張る手入れをする。それは当然、自然を手入れするのと同様に、自分本意ではなく、あくまで他人のあるがままの状態を認めたうえで、それをすこし自分の都合にあわせて変えてもらうという姿勢が必要になると思います。

このような対象のあるがままに変化する姿を受け入れて、その相手の側に自分をあわせて、ほんのすこし相手にも自分の側に近づいてもらう。世の無常、世界のわからなさを受け入れたうえで、自分自身の立ち振る舞いを決めていく。すべてを方法論や知識に委ねるのではなく、そうした行く川の流れに身をまかせながら、その時々の身の振り方を決めていく。そうした世界との接し方を考え直すことが必要なのではないでしょうか。

そんなことをこの『手入れ文化と日本』という本を読みなおしてみて感じました。



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