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2009年03月24日

有効さ、効率、満足度

ユーザビリティの分野ではデザインを、

  • 有効さ
  • 効率
  • 満足度

の度合いで評価します。
ISO9241-11にそう書いてあるからです。

特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効さ、効率、ユーザの満足度の度合い。

ちなみにそれぞれの説明は以下。

  • 有効さ (Effectiveness): ユーザが指定された目標を達成する上での正確さ、完全性。
  • 効率 (Efficiency): ユーザが目標を達成する際に、正確さと完全性に費やした資源。
  • 満足度 (Satisfaction): 製品を使用する際の、不快感のなさ、及び肯定的な態度。
  • 利用状況 (Context of use): ユーザ、仕事、装置(ハードウェア、ソフトウェア及び資材)、並びに製品が使用される物理的及び社会的環境。

有効さ>効率では?

ただ、この3つを同等に評価するわけではありません。

他の部分がどんなに効率よく使えるものでも、肝心の使いたい機能が使えない=有効さに欠ける場合は評価が低い。逆に、一部極端に効率がわるい部分があったとしても、その機能はそもそも利用用途がほとんどないのであれば問題はありません。

こう書くと、当然のことでしょ?

でも、どういうわけか、普段仕事をしていて効率面ばかり気にする人っていませんか?
手書きするのは非効率だとか、何度も書き直すのは面倒だとか。
KJ法みたいな作業をさせると特にそういうのが多い気がします。

いや、別にほかの方法でおなじ結果=有効さが得られるのなら、効率うんぬんをいってもいいんですけど、そもそも結果が出てないのに効率がわるいだのなんだのいわれてもねー。
面倒というのと効率というのをごっちゃにしてはいけません。

効率はあくまで効果に対する作業コストの比率であって、いっぽうの方法が効果がゼロなら比率にならないわけです。指定された目標を達成が達成できてないのなら、効率うんぬんの対象外です。

効率うんぬん、いや、作業をめんどくさがる前に、ちゃんと成果を出すことを目指さないとだめですね。
効率の話をするのはそのあとです。



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2009年03月21日

稽古不足

やっぱり稽古が足りないのではないかと感じます。過去に学ぶという姿勢が足りず、自分たちの現在を過去につなげて考える姿勢が乏しいように思います。



  • 稽古の「稽」は「考える」という意味です。
  • 「古を考える」「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」が、漢語「稽古」の原義だといわれます。
  • これは常に新しい時代よりも古い時代のほうが優れていたと保守的な考えをもつ中国ならではの姿勢だと感じます。

稽古の喪失

ただ、常に古い時代のほうが優れているかはともかくとして、確実に過去のほうが優れていたこともあったはずで、それに学ばないのは単純にいって損じゃないかと思います。

とにかく、自分たちの現在が過去と陸続きであるという感覚をもてない人が多いのかなと思います。自分たちがどう考え、どう生きるのかということがいかに過去の恩恵を得ているかということに無神経なまでに鈍感です。

茂木 いま、われわれが持っている道具とか方法というのも、結局、個々人がというより、われわれに至る生き物がずっと生きることを習慣化してきて、その中で蓄積されてきたものだと思います。ですから、今ここにあるものを、われわれは自分が所有しているかのように錯覚するけれども、それは所有というのではなく、単に受け継いでいるということなのですね。

この感覚がないから過去に興味をもたないし、過去の優れたものをどんどん忘れて、しまいには使わないものはいらないものだなどという自分勝手な理屈で、過去の智恵を廃棄していく。

日々の習慣のなかからの創発

多くの人が昔のことは自分とは関係ないと考えるのか、はたまた、中国の保守的思考とは逆に、極端な進歩的思考をもって常に新しい時代のほうが優れていると考えているのか、過去の智恵を学びとって、自分たちの思考活動・生活行動に取り入れていこうという姿勢が欠けているように感じます。
まぁ、単純に勉強嫌い、稽古嫌いという風にとるのが自然ですが、そういう意味で現代人って体力が落ちてるんでしょうね。思考的な面でも感性的な面でも足腰が弱ってしまっている。

だから、「グループワーク」というエントリーで書いた、古代の神遊びから茶の湯や俳諧連歌にも通じる主客の遊びと現代のグループワークの成否が「異なるものをいかに招き、そこから創発を生むか」という点でつながっていることにも気づくこともないのでしょう。また、それを知ってもそのつながりの意味が理解できない。
いまほど性急に答えを求めることがなかった過去の人びとが何度も繰り返し習慣化するなかで方法そのものを創発してきたということの価値がわからないのではないかと思います。

松岡 千の単位で繰り返された習慣が臨界値に達して何かを創発することと、習慣もないのに便利になった道具を持っていることの格差が、これから、ますます開いていくだろうね。

まず、この創発がわからない。複数の異なるものがぶつかりあいを繰り返すことで創発が行ってくるということを、そういう体験ができる稽古・修練を日々行っていないから感覚としてわからないということがあるのだと思います。まさに稽古不足です。

日常から学習機会が失われている

便利な道具をもつことで、外部との接触を繰り返す習慣を現代は自分たちのまわりから追いやってしまっています。かつてなら手仕事を通じて、繰り返し物自体と接触するなかで身体で学んできた事柄を学ぶ機会を失っている。

もし歴史が後に控えていなかったら、あの簡単に見える草履一つだって作るのに難儀するでありましょう。一枚の紙だとて、どうして作るか、途方にくれるでありましょう。吾々の言葉だとて、なくなってしまうでありましょう。これを想うと、どんなものも歴史的なつながりを有って、存在していることが分かります。吾々の生活はどうしても歴史と縁を切ることができません。

それがどういうわけか、いまの時代は生活が歴史と縁が切れた状態になってしまっている。
この手仕事はなにも民藝的な話だけでなく、洗濯物を手で洗うこと、部屋を箒やぞうきんで掃除すること、草花の手入れをすること、他人とメールやSNSやtwitterを通じてではなく面と向って話をすることなど、そういう身体を使った仕事が日常からどんどん失われているのも問題なのだろうと思います。

結局、それが「人間能力向上のための教育について」で書いたような日常の暮らしのなかでの学習機会の喪失、失われた学習機会を別の形で用意するための教育コストの増大にもつながっていくのですから。しかも、現実的には失われた学習機会を教育によって補うことはほぼ不可能に近い。

カンタンなものを求めすぎでは?

僕は過去に興味をもたないいまの傾向って、結局、人間に対する興味を失っている、自分自身を知ろうとする意欲に欠けているということにもつながっているように感じています。
とにかく計算しづらい、読みづらく、簡単には答えを教えてくれない対象である人間だとか、自分自身だとかに関わらないようにしている傾向があるのではないでしょうか? 枠にはめないと理解できないから、近づくのを避けてるのかなって。

とにかく簡単でわかりやすいのがいいんでしょうか。その対象は自分自身にさえ及んでしまっています。自分探しみたいなものが流行る一方で、自分が外の世界から何を感じ、その感じた何かを自分のなかでどう扱っているのかということに目を向けることを避けているように思う。
人間をなにか機械のようなものとして捉えてしまうのか、そのインプットからアウトプットへの機構をブラックボックスにしたまま平気でいるのではないかと感じます。

稽古不足を幕は待たない

それで結局、どうなるかというと、

  • 自分自身のインプット~アウトプットの方法を身体的に理解できていないから、すぐに他人の要約、箇条書き的なまとめ、手順の書かれたマニュアルにたよってしまう。
  • 方法依存症」となる。
  • 自分自身で外部のものを感じて自分なりに要約したり理解したり盗んだりということができないということになる。
  • それですこしでもむずかしい物事に接すると逃げ出すか、思考停止をするしかない。
  • むずかしいことにぶつかって、それを自分でなんとか理解できる形に自分のなかで変換してみせることに意味があるのに、そうではなく、元からかんたんなものを求めてしまう。
  • なので、他人に対しても同じように考えてしまい、他人の経験や感覚というものを敬えなくなる。
  • 他人との協働作業の価値も見いだせないし、実際やろうとしても他人に敬意をもって接したり、他人と呼吸をあわせて何かを生み出すということもできない。

これね、仕事をしていくには結構、問題だと思うんですよね。
だって、自分たち自身の活動のなかから何かを見出し、それを他人と共有しながら膨らまして、価値あるものを生みだしていくということがきわめてむずかしくなってしまうから。
もちろん、仕事でなくても、普通の日常生活の面でも問題になる面は多々あるでしょう。

何か新しい体験ができないかと探し回っている人びとは、実はあらゆる体験が常にはじめての体験であることを見落としています。

そう。稽古不足を幕は待ちません。恋はいつでも初舞台なのですから(from 「夢芝居」)。

いつでも同じ毎日と思ってしまうのは、日々の暮らしから受けるフィードバックに対する感性が鈍っているからではないでしょうか。本当は同じような毎日でも常に昨日とは違う今日があるはずです。それに気づかないのは、自分の思考の殻にとじこもって、外からの刺激に対する敏感さをなくしてしまっているからだったり、外への働き掛けもそこからのフィードバックもないまま、日々をやリすごしてしまっていたりするところに原因があるのではないか、と。

日々の自分自身の行動からのフィードバックを積極的に使わないっていうのは結構大変なことだと思います。自分の知ってることの外に出るのを恐れて、そこから得られる新たな計算外のフィードバックから学びとっていくという姿勢がないというのは、かなりおそろしいことではないかと感じます。
日常の暮らしを未知のものにチャレンジする稽古の場にできない箱入り娘的生活を送っていると、どんどん身体も頭も働かなくなるのではないでしょうか。

面倒を嫌ってはいけない。面倒なことにこそ、学ぶチャンスは隠されているのだから。そうした日々の発見から学ぶことこそが本来のライフハックではないでしょうか。

道具と道具の身体化の関係

『脳と日本人』には、写真家の土門拳さんが若い頃の修行として、銀座にあった事務所のビルの屋上で「ライオン歯磨」の広告塔を被写体にして、「ラ」「イ」「オ」「ン」という風にパッ、パッとさまざまな角度からシャッターを押す練習をした話がでてきます。そうすることで「初めてカメラが指の中にやっと納まるようになった」そうです。

松岡 道具と道具の身体化という関係は、土門の練習のようなものを抱えているはずなんですね。人間工学が悪いとは言いませんが、なにかまちがった感じがする。

結局、それは道具に対する態度として、道具を使うことで人間の側も変わり、その変化によって道具との関係も変わっていくという創発的な自体を道具のデザインを考える際に盛り込めていないということにもなると思います。

「手ずれ」とか、「使いこみ」とか、「なれ」とか、これがいかに器を美しくしたであろう。作りたての器は、まだ人の愛を受けておらぬ。また務めも果しておらぬ。それ故その姿はまだ充分に美しくない。

このへんは「型と形」でも書いたことですね。

コンテキストをキーとした使いやすさを追求する人間中心設計とは別の次元で、こう感じます。

人間を知らずにどうして道具をデザインできるのか?


こうしたデザインに関することのみならず、せめて自分たちが何を失ったのかを見つめ直す意味でも、古を稽えるための稽古が必要なんだと思います。
めんどくさいとか思わずに過去を学ぶことです。そうすることでしか、自分たちの弱った足腰を鍛えることなんてできないはずですから。

   

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2009年03月21日

ニコ割アンケートはあなどれない

ニコ動ユーザーの定額給付金の用途、「消費に使う」46.7%
2009/3/18 特別アンケート「定額給付金について」

先日初めて「ニコ割アンケート」という、ニコニコ動画で実施されている一斉アンケートに出くわしたので、まぁ楽しく回答したわけですが、このニコ割アンケート、改めて調べてみるとよく考えられているなーと思いました。最近では偏向報道することを隠しもしない新聞・TVの世論調査の乱発にうんざりしてたので、より正確な世論を知る術はないかなーとずっと考えていたのです。

「ニコ割アンケート」第1回、8万人が同時に回答

いわゆるインターネット上でのアンケートというと、組織票が発生したりある特定のユーザの意見に偏ったりする弊害があると言われており、他のメディアのアンケートより信憑性に疑問が残る、という主張が多いです。

そこで「ニコ割アンケート」がとった手法とは、ある一定時間に一斉にアンケートを実施して終わったらすぐに集計して結果を公開するというもの。これは2ch的な祭気分を盛り上げるためのものだと勝手に思ってたのですが、ユーザをランダムに抽出して組織票を防ぐという、前述したインターネット特有の問題を解消することが目的なのだそうです。確かにワタクシ自身、アンケートに答えるつもりでニコニコ動画見てたわけではなくまったくの偶然だったわけで、これは有効な方法だと感じました。

それでも「ニコニコ動画ユーザである」という前提の時点で偏った結果になる、 という意見があると思いますが、そもそも新聞社やTV局がよくやる世論調査、ランダムな固定電話番号に電話する方法が多いらしい(Wikipedia)ですが、固定電話である以上世帯につき一人しか回答できないし、そもそも固定電話は若い世代になればなるほど持っていないことが多くなるので、こちらが偏っていないとはとてもいえません。それに電話による世論調査では有効回答数は1千あれば多いほうでしょうか、それに対して回答数が7万を超えているという説得力は侮れないものです。これはインターネットアンケートは回答しやすいという元々持っていた利点でもあるし、ニコニコ動画の膨大なユーザー数が武器になる。

ニワンゴ杉本氏「進化し続けるニコニコ動画、今後の展開について」

ニコ割アンケートはインターネットを新聞やテレビ放送に代わるマスメディアにしようとする手段の一つであると思います。別にニコ割アンケートが完璧! と思っているわけではなく、現時点では信憑性は他の方法と半々くらいという感触。携帯電話も対象にするという実現可能な改善点が電話調査にはあります。インターネットvs既存マスメディアの重要な一端であり、なかなか楽しみなのです。

…ところでオレがその昔、MAD動画について投稿したときは、ニコ割アンケートを「どうせニコニコ動画のアンケートだしー」ってブッた切ってましたね。うーん、MAD動画をよく見る人が50%を超えるユーザ層って、やっぱ偏ってるか…?

2009年03月20日

グループワーク

IDEOが何より組織的なチームワークによるイノベーション技術を重視するように、デザイン思考の仕事術では、複数人がグループになって仕事をする方法がとられます。ワークショップやブレインストーミング、プロトタイプなどを使ったシミュレーションなどが代表的な方法でしょう。



当然ながら、ひとりで同じ成果が出せるなら、グループワークをする意味はありません。デザイン思考においてグループワークが重視されるのは、その方法を用いれば個人個人がひとりで仕事をする以上の成果が期待できるからにほかなりません。

まず、グループワークということを考える上では、このことを忘れてはいません。

では、どうすればグループワークによってひとりで仕事をする以上の成果を得ることが可能になるか?
あるいは、グループワークという方法はなぜそのような成果を出せるのか?

このグループワークという仕事の方法について、今日は考えてみようと思います。

なぜ仕事でのグループワークがうまくいかない場合があるのか

まず、グループワークについて考えるきっかけになったのはコレ。

ショックを受けたというのは、実際に結果が重要なのはワークショップよりも仕事のほうなのに、うまくいかないとしたら、それはいったい何なんだろう?

藤井さんは、僕が「遊びに関するメモ。」というエントリーのなかで「ひとつの組織のなかで仕事として行うワークショップと、自由に応募してきた所属もバラバラの参加者がワークショップでのグループワークでの仕事の仕上がりが違」い、かつ後者のほうが仕上がりがよいと書いたことにひっかかったようで、「なぜ、ワークショップの仕上がりが違うのか?について、事実(体験)ベースで考えてみる」と「ワークショップ再考(コート、ルール、下準備、そして参加者)」というエントリーを続けて書いてらっしゃいます。

実際には「考えるきっかけ」というより、このエントリーを「書くきっかけ」なので、それゆえ、藤井さんが「ワークショップ」について考えているところが、僕の場合、もうすこしスコープを広げて「グループワーク」になっています。そして、元々のエントリーで「「遊び」と複数の人びとが集まって行う仕事との関係性を感じている」と書いているとおり、藤井さんが「いったい何なんだろう?」と疑問に思ったことの答えも、僕は「遊び」というもののなかに見出しています。

それについて以下で書いてみようと思います。

グループワーク成功の条件

最初に僕がグループワーク成功の条件だと思っていることを示しておこうか、と。



そう。「発想」「能力」「意欲」という3つの要素がグループワークの場に結集してくれないことには成果は出ないと僕は考えてます。

意欲

簡単なところから説明していくと、意欲がなければ、成果が出ない。これは当然ですよね。仕事でやってるのに、意欲がないなんてことあるの?と思われるかもしれませんが、これは実際によくあることです。

原因は、ろくな説明もないままグループワークの場に参加させられたり、そもそもグループワークなんてめんどくさいと思っていたり、いろいろです。この点では、個人が自主的に参加してきたワークショップのほうが参加者の意欲が高いことのほうが多いんですね。

ほかにもグループワークを行う場所という要因もああります。なんとなく集中できない場所だったり、あまりに整然とした刺激のない空間だったりすると意欲がそがれるケースがあります。
あとは作業手順や必要な道具などの準備が足りないなんてケースも、メンバーの集中力が欠けて意欲がそがれてしまう一因です。

グループワークを行うメンバーに意欲をもって参加してもらえるよう、空間、メンバー選定、グループワークで何をやるかの共有、そして、作業手順や道具の準備などはあらかじめしっかり行ったうえでない意欲のある場にならないかなと思っています。

能力

次に、能力ですけど、これもわかりますよね。そもそもグループワークで行う作業ができる能力に欠けると成果がでないのは当たり前ですよね。

ただ、作業能力そのものは、全員がダメだとあれですが、ある程度、グループのなかに作業に必要な能力をもった人がいれば、参加メンバー同士で補うことができます。一人や二人、作業能力に欠ける人がいても問題ありません。自分がちょっと他の人より能力に欠けるなと感じたら、アシスト役にまわればいいので。
もちろん、そういう気が利かず、ぼーっとしてしまう人がいると、グループ全体の効率が落ちるのは「内省する力(第2回ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ1日目)」でも記したとおりです。

なので、グループワークで欠かせない能力って、コミュニケーション能力なんですね。他人といっしょに作業をする能力。俺が俺がというのではなく、他人の意見も聞きつつ、自分のアイデアを膨らませたり、それをあらためて他の人にも共有する力。

はじめて顔を合わせた人どうしが集まったワークショップの場ですと、はじめはここで戸惑うことはありますが、「横浜デジタルアーツ専門学校・Web科箱根合宿 リフレクション」でも書いたとおりで、知らない人とのコミュニケーションって、会話から入るより作業の共有から入った方が打ち解けやすいわけで、適切な作業が設定されたグループワークの場ならそれほど問題は生じません。
この点でも、決して仕事の場で顔見知りの人同士でグループワークをすることに利点があるわけではありません。

発想

最後に発想。これが一番の問題なんですね。僕は実はこの点にこそ、同じ会社内で仕事でやるグループワークがうまくいかない一番の要因があると思っています。

皆さん、発想ってどこからやってくるかわかってますか?
それは外からやってくるんです。外から来たものを自分に招きいれたところに、ひらめきは生まれます。

予定調和的なところからは発想は生じず、発想には偶然の出会いが必要なんですね。もちろん、出会いなので外から来たものを受け止める感性が働かないと発想にはなりません。

ここがポイントです。発想を生むためには自分の領域の外から刺激が入ってくることが必要なんです。
グループワークがひとりでやる仕事とは違った成果をあげやすいのも、ここに理由があります。他人といっしょに作業をするのですから、そこには自分が想定していなかった様々なことが起こります。その予定外の出来事に刺激を受け、普段と違った発想が生じることにグループワークの意味があります。そして、そうした普段とは異なる発想が複数人のあいだで次々に起こっていき、それが結びつくことで、いわゆる創発的な発想が生じてくる。それがグループワークという仕事の方法なんですね。

さて、もうおわかりでしょうか? なぜ、同じ会社内でのグループワークがうまくいきにくい理由が。
そうなんです。普段、いっしょに仕事をしている人が集まってしまうと、外がなくなってしまいやすいんですね。作業やコミュニケーションのなかでの意外性がすくないんです。これが同じ社内でも、ぜんぜん別の部署の普段はほとんど顔もみないような人なら別ですけど、それでも同じ会社としての共通理解が外部性をすくなくしまうということはあります。

IDEOが外の会社とのコラボレーションを推奨するのも、ここに理由があります。また、領域横断的な好奇心を大事にするのもおなじことでしょう。

グループワークが組織内でちゃんとできるかどうかって結構重要なことだと思うんですよね。それによってIDEOのようなクリエイティブな組織になるか、ただの凡庸な組織になるかの違いが生まれてくるわけですから。グループワークの技術はきちんと組織内で身につけていかないといけないんじゃないかと思います。

客を招く

どうでしょうか? 僕が「遊びに関するメモ。」で、なぜ古来の神を招く祭りの場としての「遊び」とグループワークの関係に触れたのか、なんとなくわかってもらえたでしょうか。

折口信夫さんのマレビト(客人)論が、外から来る人びと―神を招く場を祭り=遊びの場として論じたように、遊びの場というのは、外からくる異質なものをもてなす場です。これが日本文化においては、茶会、連歌会、聞香の会、立花の会など、主客が集い一座建立する遊びの場へとつながっていきます。田中優子さんが『江戸はネットワーク』で述べているように、そういた場には必ずといってよいほど、神座が用意されました。主人が異質な人(客人)を招くことで、そこで遊びが生まれるという意識が、そうした場にはずっと受け継がれてきたわけです。
昔は、異質なものを招く技術というのがちゃんとわかっていたんですね。

これは『ワークショップ―偶然をデザインする技術』という本を書いている中西紹一も書いていることですね。

私は、武家社会における茶道のスタイルは結構ワークショップだったのではないかという気がしているんですよ。身分の差はあるのに、にじり戸をくぐった時にそれはなくなって、ある種の作法は必要なんですが、それがちゃんとしていれば、後は「同時性」をどれだけ楽しめるか、という点に集中できますよね。

この本のサブタイトルである「偶然をデザインする技術」というのも、まさにグループワークのポイントがきちんと押さえられていると思います。グループワークには異質な者同士がひとつの場における「同時性」のなかで一座建立しながら、偶然から生まれる発想を積み重ねて成果につなげていくことができるかというところに、そのむずかしさも、それを行う意味もあるはずなんです。

遊びのなかのはかなさ

もうすこし日本文化における遊びの場ということを紹介しておくと、前に「「連」という創造のシステムを夢想する」でも書いたように、江戸期のさまざまな文化は「連」と呼ばれたネットワークの場によって生まれています。まさにグループワークによる創作が盛んだったんですね。

その連というのも、グループワークにおける「異質性の受容」というところをしっかりと押さえています。

連は、会社組織などとは異質な一回性をもち、思想運動・芸術運動などとは異質な、純粋に機能的な性格をもっている。ひとつの具体的作業のために集まり、それが終われば解散する。

「ひとつの具体的作業のために集まり、それが終われば解散する」。これなんて、個人が自主的に参加するワークショップの形に近いですよね。

また、その「連」の場というのも、

彼らにとっての「場」は権威や論理によって保証されたものではなく、前提がはっきりしている以上、あとは実際の働きによって保証されるものだからだ。

といった具合に、そこで行われる作業そのものによってはじめて保証されるという意味で、いわゆる遊びに近い。
遊びはトランプゲームでも鬼ごっこでも野球やサッカーのようなスポーツでもそうであるように、制約となるルールはありながら、そのルールは遊びを遊ぶため以外には意味がなく、でありながら、ルールを破れば遊びそのものが成り立たなくなるという「実際の働きによる保証」というはかなさをもっています。

でも、この遊びのなかのはかなさに意味があるのだと思います。

グループワークというのはある意味ではハレとしての仕事の場だと思うんです。日常のケの場からは切り離された形で、にじり口を通った様々な身分の人が身分を忘れて「同時性」の場を共有するように、日常の立ち位置からは離れた場所で異質なものに出会うというところにグループワークという仕事の方法の価値が生まれてくるのだと思います。

一に結構、二に手続き、三に趣向

本当はこうしたことさえわかっていれば、同じ会社の顔見知り同士でもグループワークを成功させることはできなくはないんですね。それがある種の祭りであり、異質のものと出会い、それをもてなすことで自分たちが変化していく場だということを忘れなければグループワークの成果は出せるはずです。
その場合は人ではなく、テーマだったり作業の場所だったりを工夫して、異質なものとの出会いがその場に生じるよう工夫すればよいかと思います。

つまり、これですね。

能楽よりあとに出現してきた茶の湯などでは、そこにだれもが主客を入れ替えながら入っていけるようなシステムになってきた。しかも、床の間には各種の情報メッセージをもった掛け物や花や置き物をアドレスできるようになっているし、茶道具のひとつひとつにも由緒由来というデータベースがついていて、亭主や客人はこれを売価に一座建立の場を共有できる。

「意欲」のところにも書きましたが、グループワークを行う場の設え=室礼が大事か、と。
松岡正剛さんは遊びの本分として、「一に結構、二に手続き、三に趣向」をあげています(「おもてなしのための主人の覚悟とユーザーエクスペリエンスのデザイン」参照)。

まぁ、あとは自分自身で体験しながら、それぞれ藤井さんのよう考えてみてください。

現在参加者募集中のワークショップ
「シナリオとプロトタイプによるデザイン法」(5月27日(水)10:00~17:00)

   

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2009年03月20日

プロのカメラマンが無料でこどもを撮影してくれるinららぽーと横浜(by Nikon『my Picturetown(マイピクチャータウン)』)

横浜在住のパパとママに朗報。
本日、ららぽーと横浜でプロのカメラマンがこどもを撮影してくれるイベントを発見。

2009年03月19日

ポジショニングを考えるための「腰は低く、志は高く。」

マーケティングを考える際に大事だと思うのがコレ。

腰は低く、志は高く。

なかなか自分でも実践しきれないところもありますが、コレができるとマーケティングはうまくいく可能性が高いのではと思います。



Webマーケティングを組み立てる」、「マーケティング、マネジメントを組み立てなおす」、「業務プロセスと人材教育に視点をおいた企業戦略の見直し」と最近、マーケティングづいてるこのブログですが今日も引き続き。

志は高く

まずは「志は高く」のほうから。

これは何かというと、顧客に対して、自社の哲学とヴィジョンを明示することを指しています。自分たちがどんな世界を実現することを目指しており(哲学)、そのためにどんな価値を具体的に提供しているのか(ヴィジョン)を示すことです。

例えば、どういうことかといえば、

  • インテリアを扱うメーカーや商社が、自社の商品を使えばどういう暮らし、ライフスタイルを実現できるかをトータルコーディネイトした写真などで表現してみせる。
  • 経営コンサルティング会社がどういう経営哲学をもち、それをどんなプロセス・手法を用いて実現するかをトータルのモデルとして開示する。
  • 教育サービスを展開している企業が、生涯学習という視点に立ち、どのような学習を行うとよいかを伝え、幼児期から小・中・高、大学、社会人までを対象にした教育サービスをそれぞれ提案する。

など。

もちろん、その表現の仕方は、自分たちがターゲットに部分をしている顧客層にあわせた表現が望ましいのであって、リッチなコンテンツによって表現する必要がある場合もあれば、エンターテイメント性が高い表現が必要な場合もある。そうかと思えば、継続的にインタラクティブなコミュニケーションが必要になることもあれば、ひたすら哲学とヴィジョンを文章で語るというケースが効果的な場合もあるでしょう。

当然ですが、具体的な表現、コミュニケーションを考える前には、自分たち自身がどういう世界を実現したいか、そのためには何が必要かを明確することが先決。それを明確にした上で、マーケティング・コミュニケーションをどうするかということだったり、それ以外にも、商品ラインナップのデザイン、価格のデザイン、流通や販売経路のデザインなどを行う必要があります。

腰は低く

次に「腰は低く」について。

これはつまり、「志は高く」で大上段にかまえてみせたイメージを、現実的なレベルに引き戻してあげるためのもの。

あなたがたがどういう世界像を描き、どんな価値提供をしてくれるのか、イメージはわかった。で、私はまず何を買えばいいの? それは私に手が届くものなの? という顧客の問いに答える商品ラインナップを具体的に提案することです。謙虚にお客さんが実際に利用できる形をつくってあげなければ、どんなに立派なヴィジョンを描いても現実の利用にはつながりませんから
もちろん、商品購買のどのステージにいるお客さんに対しても、「私に手が届く」と感じられるとベストです。

高級ブランドがまずはブランド体験のスタートに比較的安価で買えるキーホルダーみたいなものを販売したり、僕の場合であれば、ユーザー中心デザインのプロセスでユーザー要求にあったものを開発しましょうという全体像を見せておきつつ、まずはプロセスを体験していただくために、5万円の体験ワークショップはいかがですか?と提案するようなものです。

もちろん、それで終わりではダメで、はじめて体験して気に入った人がだんだんとステップアップできるようなラインナップを組み立てたり、主要な商品とオプショナルな商品をきちんと分けたり、消費サイクルも考慮して長く使ってもらいたいならメンテナンスメニューも充実させるなどのトータルな組み立てのなかで、個々のメニューとしてして細分化する必要がある。その際には「志は高く」で描いたヴィジョンに基づき、顧客とどう付き合っていくかも考慮しつつ、商品ラインナップ、価格戦略、流通・販売戦略、コミュニケーションを組み立てていく必要があるでしょう。

そのためにはマーケターは関連部門、関係企業とうまく連携をとりながら、マーケティング計画全体をプロデュース、プロモートしていく必要があるはずです。

ポジショニング

これはなかなか大変です。
昨日の「業務プロセスと人材教育に視点をおいた企業戦略の見直し」でも書いたBSCの4つの視点の戦略バランスをうまくとりながら進める必要があるし、それこそ組織内の学習・イノベーションの戦略をどうコントロールするかというところでの連携をはかるのはかなり大変でしょう。

ただ、僕は結局、マーケティングにおける自社のポジショニングって、この「腰は低く、志は高く。」の両方が揃ったときにはじめて、市場および顧客に効果的に認知・理解がされるのではないかと思うんですよね。つまり、この両輪がうまく組み合わされたときにブランドができる(このあたりは「ブランドとは何か?:1.A Model of Brandとパースの記号論」で紹介した"A Model of Brand"というブランドのコンセプトマップもあわせて考えてみてもらえるといいかと思います。これなんか見てるとブランディングにもUCDだなって思えます)。

なので、大変であろうと努力する価値はあります。

当然、この双方をバランスして組み立てるには、いろんな方法論・フレームワークを用いつつも、結局はマーケターには自分の嗅覚で(リサーチ以前に)市場および顧客のニーズをつかみとり、かつ、リサーチなどによってデータも収集しながら論理的・構造的に、志の部分と腰のうまくマッチングさせた形で組み立てるセンスが必要だと思っています。

鼻が利かなきゃリサーチしても無駄だと思うし、それって結局、普段の生活のなかで顧客となりそうなターゲット層の人に対して興味を抱いてないという証拠です。ふだんからそういう人たちをちゃんと気にしてみていれば、なんとなくニーズなんて匂ってくるものです。普段からフィールドリサーチ力、観察力を鍛えられてるかどうかです。
また一方で、論理的・構造的に情報や物事を組み立てたり、チームビルディングができないとせっかくつかんだマーケティングチャンスを生かしきれないこともあります。

まぁ、なかなかこの森を見る目と木を見る目を巧みに移動させて、「腰は低く、志は高く。」の状態を実現できるマーケターはいないんですけど。

  

関連エントリー

2009年03月19日

ユニクロがドイツのデザイナー、ジル・サンダー氏とコンサル契約

わたしの服の80%以上はユニクロ製。
品質と価格のバランスには大変満足しているものの、デザインにはすこし不満があった。
カラーバリエーションは豊富なものの、デザイン自体のバリエーションが少ないからだ。

でも、その状況も改善されるかもしれない。
ジル・サンダー氏は独出身のデザイナー
ドイツブランド、HugoBosファンの私としてはこの出会いが生み出すものに期待したい。

2009年03月18日

業務プロセスと人材教育に視点をおいた企業戦略の見直し

昨日の「マーケティング、マネジメントを組み立てなおす」に引き続き、企業戦略の見直しと、そのためのツールとしての戦略マップ、バランスト・スコアカードの利用について書いてみようと思う。

今日は特に、企業における価値生産のための方法、プロセス、そして、そのための人材育成というところにフォーカスして。

CSF:主要成功要因

バランスト・スコアカードの基本的な考え方は、ビジネス戦略上の目標である重要目標達成指標(KGI=key goal indicator)を達成するために、「財務の視点」「顧客の視点」「業務プロセスの視点」「学習・成長の視点」の4つの視点それぞれに対して下図のように主要成功要因(CSF=critical success factors)を設定し、各CSFの関係性を定義しておく。
これを戦略マップと呼び、このツールは戦略全体の可視化のために用いられる。

戦略マップ


例えば「顧客の視点」に「顧客に対する納品までのリードタイムを30%削減する」というCSFを定めたら、そのために必要な「業務プロセスの視点」でのCSFとして「出荷の承認プロセスを簡略化する」だとか「部品数を20%削減する」などを設定する。
もちろん、その「業務プロセスの視点」のCSFを実現するために必要な「学習・成長の視点」でのCSFも検討し設定する。

この4つの視点での各CSFを抽出するためには、昨日書いたようにシックスシグマのロードマップを使うのがよいが、より現場レベルでの作業でいえば「W型問題解決モデル」で書いたように、ブレインストーミング的な方法を用いた内部探索~KJ法といった手順を用いて、4つの視点それぞれにおける問題の構造を明らかにした上で、戦略的に改善が必要な要素を定義しCSFとして設定するのがよいだろうと思う。

KPI:重要業績評価指標

このCSFそれぞれに対して、測定可能な重要業績評価指標(KPI=key performance indicator)を設定し、定期的に測定を行うことで戦略の達成度合いを管理できるようにする。
それによって、戦略目標であるKGIを達成するためにボトルネックになっているCSFは何か、あるいは各CSFがそれぞれ目標に達しているにも関わらずKGIが達成できていないのであれば、戦略それ自体の見直しが必要であるという判断も可能になる。

バランストスコアカード


バランスト・スコアカードの4つの視点は上の図のように、過去―将来、内部―外部の軸で分けられ「財務の視点」「顧客の視点」「業務プロセスの視点」「学習・成長の視点」がそれぞれ対応する形となっている。

過去の「財務の視点」のパフォーマンスをみて、それを改善したければ外部である「顧客の視点」での改善が必要だし、顧客接点での改善を行おうとすれば当然内部の「業務プロセスの視点」での改善が必要になる。そのためにも将来を見据えた従業員個々人の学習、企業組織そのものの成長をいかに行うかという「学習・成長の視点」での改善がなくてはならない。

方法とプロセスと人材

従来のマーケティングは基本的に「顧客の視点」での改善を行うことで「財務の視点」における成果をあげようと考える。しかし、上で見たようにそのためには本来「業務プロセスの視点」「学習・成長の視点」での改善がそれに同期し、回っていかないとマーケティング戦略は絵に描いた餅で終わることが多い。

いまの不況で企業の予算が限られるなか、重要なのはこの「業務プロセスの視点」における方法やプロセス面での見直しと「学習・成長の視点」での人材育成・企業の成長をどう戦略化しマネジメントしていくかではないかと思っている。もちろん、それは組織内部だけの話ではなく、他企業とのコラボレーションなども含めて自社で不足したリソースの補充をどう行っていくかということも含めて。

企業組織内において、方法・プロセス・人材といったところの戦略の組み立てがいかにうまく組み立てられ、また、それを「顧客の視点」「財務の視点」での目標につなげていくかという戦略的組み立てが、いま何よりも必要とされているのではないだろうか。

そのための教育をどう組み立て、実施するか。
自社の価値生産の方法・プロセスをいかに標準化して社内に浸透させることができるか。

もちろん、それにはいまの時代を、これからの市場をどう読み、そこに自社をどのような形でポジショニングしていくかという視点が必要だろう。

また、この教育というのが「テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか」で書いたとおりむずかしい面もあり、単なる座学やツールの使い方などに偏ってしまうと、教育コストをかけただけで効果が少ないということもある。どのような教育のしくみを導入するかも企業にとっては悩みの種ではないだろうか。

ここはじっくり腰を据えて自社の戦略を描いてみる必要があるはずだ。
既存の枠組みや過去の成功体験に縛られず、これからの戦略を見出せた企業がいまは苦しくても将来的な活路を見いだすことができるのだと思う。

  


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2009年03月18日

「J-CAST」会社ウォッチに「自分屋24」のインタビューが掲載されました



J-CASTの会社ウォッチに「自分屋24」のインタビューが掲載されました。
掲載されたのは16日なんですが、さっき会社ウォッチのトップページ開いたら、編集部イチオシ!のところにドーンと自分の顔があったのでびっくり・・・
J-CASTさんは先日「おごるTV」も取り上げていただきました。
ありがとうございます。

記事の中で使われている写真は、12月に行った「クスールでAdobe CS4(Creative Suite 4)Web Premiumを8台のPCにインストールする作業」の時の写真です。

私の「暇な時間」売ります!24時間「人間レンタル業」

自分屋24は他にもいろんなウェブサイトで紹介していただいたのですが、そのうちまとめようまとめようと思いつつ気づいたら何ヶ月も経過していたといういつものパターン。せっかくの機会なので、現時点でブックマークしておいたものをまとめてみます。

2009年03月17日

マーケティング、マネジメントを組み立てなおす

個人にしても、企業にしても、どこも不況で苦しい状態が続いていると思います。おそらくこの状態は春になればさらに厳しさを増すでしょう。そうしたなか、自分たちがどう生き残っていくかをしっかり考えているのとそうでないのとでは、結果に大きな差が出るのではないかと感じています。

いまこそ、個々人にしても、企業にしても、もっているマーケティング力、マネジメント力、デザイン力が試される時期です。
これら3つの環境適応能力をいかにうまく使って自分たちのこの先のプランを描き、変化が必要なところは速やかに変化し、やるべきことをしっかり見定めて実施し、その行動の結果をあらかじめ設定した測定基準に基づき常にチェックしながら、戦術の微調整・戦略の立て直しといった管理を行えるかという能力が試される時期に入っているのかと感じます。

測定できないものは管理できない、記述できないものは測定できない

まずは自分たちのいまいる環境を冷静に把握する力が必要でしょう。

必要以上に焦らず周囲をちゃんと見渡して、どこにチャンスがあるのか、そのチャンスをものにするためには何を行う必要があるのかを考える。
これはマーケティングの能力でもあり、デザインの能力でもあります。チャンスを正しく見極め、それを攻略する計画を立てる。また計画の実行に必要な力を速やかに集結し、実行に移す。
もちろん、あらゆる施策には計画段階において、その施策の実行における目的と具体的な成果を定めたうえで評価基準を設けていなければいけません。それがなければ実行の過程において計画がうまく運んでいるかをチェックすることができないからです。もし計画に重大な間違いがあっても実行過程でのチェックのしくみがなければ、途中で気づいて戦略の立て直しをすることもできない。

測定できないものは管理できない。記述できないものは測定できない。
ロバート・S・キャプラン 、デビッド・P・ノートン『戦略マップ』

ようするに、その計画はマネジメントを欠いている。
マネジメントもない行き当たりばったりの施策で乗り切れるほど、現在の状況は甘くないのではないかと感じます。

戦略マップ、バランススコアカード、シックスシグマ

こういう状況だからこそ、行き当たりばったりで慌てて事を仕損じるのではなく、落ち着いて自社の現状の問題点とこれからのあるべき姿のギャップを把握した上で、ギャップを埋めるための戦略を、戦略マップやバランススコアカード使って描いてみればよいのだと思います。



「財務の視点」「顧客の視点」「業務プロセスの視点」「学習・成長の視点」の4つそれぞれに主要成功要因(CSF=critical success factors)を明確にし、各CSFに対して測定可能な目標としての重要業績評価指標(KPI=key performance indicator)を設定する。もちろん、主要成功要因が満たされたとき、戦略の目標である重要目標達成指標(KGI=key goal indicator)が達成できるよう、全体的な戦略の組み立てがなされている必要もあります。

この戦略を組み立てる際には、シックスシグマのロードマップも役に立つはずです。

  • ステップ1:コア・プロセスと主要顧客の把握
  • ステップ2:顧客要求の定義
  • ステップ3:現行パフォーマンスの測定
  • ステップ4:改善活動の優先順位づけ、分析、実行
  • ステップ5:シックスシグマ・システムの拡張と統合

何より自分たちのビジネスのコア・プロセスを明確にすると同時に主要顧客が誰かを把握することが必要です。その上でSIPOCダイアグラムなどを用いて、主要顧客の要求とコア・プロセスのあいだのギャップを測定し、問題点をみえるようにする。この見直し作業をいまのうちに行っておくのがよいのではないかと思います。

先の戦略マップとバランスとスコアカードは、このシックスシグマのロードマップにおける「ステップ4:改善活動の優先順位づけ、分析、実行」および「ステップ5:シックスシグマ・システムの拡張と統合」に用いるとよいでしょう。

人間中心設計プロセスの方法の活用

また「ステップ1:コア・プロセスと主要顧客の把握」や「ステップ2:顧客要求の定義」では人間中心設計プロセスの上流工程における方法も利用可能なはずです。顧客要求の定義などはまさにペルソナやシナリオを使って行えます
頭のいい方はこれで気づくはずですが、「ステップ3:現行パフォーマンスの測定」などは、プロトタイプまたはテストマーケティングを用いたユーザーテストだと捉えるとよいのです。

本来「能動的」とは、事態が起こる前に行動する姿勢、つまり「受動的」と対極にある姿勢を指す言葉である。だが「能動的」経営管理と言った場合は、新たな「習慣」を生み出すという意味合いが強くなる。こうした習慣は、意欲的な目標設定と頻繁な見直し、明確な優先順位の設定、事後的な消火活動よりも問題予防的な行動の重視、「いかにして行動するか」という現状維持的な発想に代わり、「なぜ」この活動が必要なのかを自問すること、といった軽視されがちなビジネス・プラクティスから成っている。
ピーター・S・パンディほか『シックスシグマ・ウエイ―全社的経営革新の全ノウハウ』

ようするに事前の計画の組み立てが大事です。
いまだからこそ、戦略立案能力、問題発見能力、要求定義能力といったデザインの上流工程における能力が、マネジメントの分野で試されているのです。

また、それはマーケティングの領域においても同様です。

マーケターは次の3点で失敗することが多い。すなわち、(1)ブランドをポジショニングするため、顧客に関する知識を利用する能力の欠如、(2)従来型のメディアを超えてブランドを広める能力の欠如、(3)ブランド・マネジメントのために組織・文化・情報を支援するのに必要な、顧客視点でのプロセス形成能力の欠如である。
デイブ サットン 、トム クライン『利益を創出する統合マーケティング・マネジメント』

特に3番目の「顧客視点でのプロセス形成能力」が重要になっている。このプロセスのデザイン能力がなければ、この厳しい状況において効率よくマーケティング戦略を立て直し、実行可能な状態にすることはむずかしいでしょう。

マネジメントの領域でも、マーケティングの領域でも、いまこそデザイン能力の有無が試されてるのだと思います。

環境適応能力、自ら変化する力

何よりこの状況において大事なことは、環境適応のために自ら必要な変化が何かをとらえ、恐れず必要な変化を実行するということでしょう。
ここで変化を恐れて何もしないのなら、この先もどんどん不況の波に飲まれて窮地に追い込まれるだけなのではないでしょうか。

シックスシグマ・レベルの品質に近づくには、新しいアイデアと手法が必要だ。だが、それにはある程度のリスクが必ず伴う。サービス改善やコストの削減、新しい能力開発など(すなわちより完璧に近づく方法)につながる有効な方法を見出した者がいたとしても、失敗したときの結果を極度に恐れてしまうと、絶対に試そうとはしないだろう。その結果、パフォーマンスは停滞から下降に向かい、最終的には倒産へと至る(まさに惨憺たるシナリオである)。

まぁ、普段からこれができている企業は、この時期に急に慌てたりもせず、普段どおりのプロセスのなかで戦略の見直しなどが行われているのではないかと思います。そう。これは何も特別なことではなくて、マーケティング、マネジメントを行おうとすれば当たり前にやっておくべき戦略の検討、デザインなのです。むしろ、こういうことが普段からできていないから、不況になると必要以上にあわてなくてはいけなくなる。
ただ、これまでそれができていなかった企業もいまこそ自分たちの姿勢を見直し、きちんとしたマーケティング、戦略のデザイン、マネジメントを組み立てなおす時期なのではないかと思います。

個人も「自ら変化する力」がないと危うい

ここまで書いてきたことは、どちらかといえば企業にとって重要な事柄なのでしょうけど、個人にも無関係なものではありません。

この状況において何もせずにじっとしているのなら、自分自身どころか、まわりをも窮地に追い込んでしまうはずです。慌てる必要はすこしもないと思いますが、ただ何もせずに悠長にかまえていられる余裕もないはずです。
自ら状況を把握し、これからどこへ向かえばよいかを見定め、そのためにはどんな行動が必要かを考え、計画に落とし込んで実行する。そういったプロセス全部を含めた意味での実行力がいまなにより必要とされるはずです。

自ら変化する力。それがないのなら、残念ながらこの先はあまり楽しい世界ではないのだろうと感じます。

   

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