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2008年12月31日

Amazonアソシエイト 2008年注文数ベスト20

2008年最後のエントリーはこれで。
当ブログで今年注文の多かった本、ベスト20を紹介しておきます。

昨年に引き続きランクインしている本があるのが結構驚きです。


また、先日僕自身が「冬休みの読書におすすめする16冊の本」でピックアップした今年の16冊とかぶるものが少ないというのは、ちょっとさみしかったりもします。

そんなことを感じつつも、まずは20位から17位。
※書評名/著者名のリンクは当ブログ内書評です。

20位 脳と日本人/松岡正剛、茂木健一郎
今年のはじめに紹介した本です。松岡さんの茂木さんの言葉のキャッチボールのアクロバティックさに驚いたものです。科学と日本を同時に考えさせてくれた面白い一冊でした。
19位 知の編集工学/松岡正剛
19位も松岡正剛さんの本。松岡さん絡みは2冊の対談を含めて4冊ランクインしています。この本は松岡さんが自身の編集工学について語った一冊。前半は情報とは何かを教えてくれ、後半でその情報をもつ特徴をもとにした編集工学のテクニックの入口のところを紹介してくれています。他にも松岡さんの本を読んでいる僕にはあらためて松岡さんの考える情報観を整理できたという意味でよかったです。
18位 About Face 3 インタラクションデザインの極意/アラン・クーパーほか
この本がランクインしたのはうれしい。僕はこの本がいまのところ日本語で読めるユーザー中心デザインの本ではベストだと思っているので。ユーザー中心デザインを学びたい人はこの本こそを読んでほしい。
17位 木に学べ―法隆寺・薬師寺の美/西岡常一
法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さんの話を口述筆記した本。「棟梁は、木のクセ見抜いて、それを適材適所に使う」「木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません」。かつてのものづくりがもっていた思想を感じさせてくれる僕自身お気に入りの一冊。

   

続いて16位から13位。

16位 二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑/佐治晴夫、松岡正剛
これは20位で紹介した茂木さんとの対談集以上にものすごい対談が行われている驚愕の一冊。詩摘で科学的で音楽的で日本的。理系だとか文系だとかいう区別が本当に馬鹿らしく感じられる。そんな区別で何かわかった気になってる場合ではなく、そんな無意味な境界もぼやけて見えなくなるトワイライトの誘惑に心底浸ってみた方がいい。
15位 17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義/松岡正剛
この本がランクインするんですね。確かに松岡さんの本としては格段の読みやすさ。しかも古代から近代以前までの世界と日本の歴史の核心が松岡さんの軽妙な語り口でわかりやすくたどれてしまうのはよいところ。僕としての不満は『山水思想』『空海の夢』『外は、良寛。』のような本にこそ、松岡さんの本の醍醐味があるのにと思うところ。この本を読んで興味をもった方はぜひそちらも。
14位 モノからモノが生まれる/ブルーノ・ムナーリ
この本の書評を書いたのは去年の12月16日。ということもあってか、去年はランキングしなかったようですが、デザインの方法ということを僕がはっきり意識したのはこの本のおかげです。もちろん、それ以前にも人間中心設計のプロセスやIDEOのデザインプロセスなんかは知っていましたが、人間中心なんてことをいわずに、より一般的な形でデザインの方法、発想の方法を示してくれているのに触れたのは、この本が最初かもしれません。僕のなかでも転換点になった1冊です。
13位 デザインの輪郭/深澤直人
去年8位で引き続きランクインは深澤直人さんの著書。確かにこの本はいい本です。僕自身、いまでも時々読み返すことがある。まだ読んでいない方はぜひ読んでみては。

   

12位から9位。ここに昨年のランキング1位から3位が集結してます。

12位 ペルソナ戦略―マーケティング、製品開発、デザインを顧客志向にする/ジョン・S・プルーイット
この本は去年1位でした。当時は確かに日本語で読めるペルソナを紹介した本はなかったからね。でも、いまは結構あります。さっきのアラン・クーパーのものもそうですし、あと2冊ランクインしてます。
11位 グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ/バーバラ・M・スタフォード
バーバラ・M・スタフォード。この人の本を今年はじめて読んで衝撃を受けました。僕が最近、白川静さん、田中優子さん、杉浦康平さん、そして、この本の訳者でもある高山宏さんの本に非常に関心を示しているのもこの本と出合ったからです。「グラフィックな表現を救えというのは、芸術、人文諸学、そしてもろもろの科学の境界を超えざるをえない課題」。そう。この人が展開するイメージングサイエンスの分野にこそ、バラバラの世界をつなぐためという課題を克服するヒントがあると思う。読め!そして、つなげ!
10位 デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方/奥出直人
前年2位の1冊。今年もベスト10入りしています。僕が「デザイン思考」という言葉を最初に知った1冊でもあります。
9位 発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法/トム・ケリー
この本も昨年3位から引き続きベスト10入り。ユーザー中心デザインやデザイン思考を語る上ではもはや古典?

   

8位から5位。ここでのキーワードは「わかる」ですね。

8位 「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学/山鳥重
「わかる」というのは僕自身、この1年こだわってきたキーワードのひとつです。この本は脳科学の視点から「わかる」とはどういうことかを考察した一冊。あっ、タイトルのままですね。この本では「わかる」というのは生物本来的な欲求であることが書かれています。同時に言葉をわかろうとしない現代人の心がそうした生物的欲求から離れてしまっていて不健康であることも示唆しています。あらためて要約してみて、そりゃ、そうだ、そうでなきゃ情報の意味がわからないなんて勝手に納得してます。
7位 「わかる」ことは「かわる」こと/養老孟司、佐治晴夫
16位にも松岡さんとの対談で登場した佐治晴夫さんが養老孟司さんと対談した一冊。「わかる」ことは「かわる」こと。これは個人的に今年の名言ナンバー1です。デザインする過程での創造性とは自分自身が変わることだとこの本を読む以前からずっと思っていたことですが、その創造性には「わかる」が関わっていることに気づかせてくれた一冊です。養老さんが「じゃあどうしたらいいんですか」というのはまったくの間違いといっているのも、そうだそうだ!と妙に納得したものです。
6位 Webサイト設計のためのペルソナ手法の教科書 ペルソナ活用によるユーザ中心ウェブサイト実践構築ガイド
この本に関しては書評はありません。ぺらぺらとめくっただけで読んでないからです。でも、売れたんですね。
5位 わかったつもり 読解力がつかない本当の原因/西林克彦
この本は昨年ランキング15位。それが今年は5位。ちょっと驚き。8位のところで、現代人の心がわかるという生物的欲求を欠いて不健康な状態にあると書きましたが、まさにわかったつもりになって、それ以上、わかろうとする好奇心を遮断することの問題はこの本も指摘するところ。「わかる」ということの必要性を完全に誤解していて、逆にそれが余計に心を不健康にさせてしまっているんだなと思うばかり。みんな、情報過多だと勘違いしてるんですよね。情報なんかぜんぜん増えてない。その意味はバーバラ・スタフォードの本を読めばわかります。今年はこのあたりがテーマかな。

    

そして、いよいよ4位から1位。

4位 なぜデザインなのか。/原研哉、阿部雅世
昨年同様4位をキープしたのがこの本。この本を含め、1位から4位は全部、デザインに関わる仕事をしている人は読んだ方がいいと思う。デザインとは「生活文化をつくる仕事」という阿部さんのことばに僕はデザイン観をすっかり変えさせられました。
3位 自分の仕事をつくる/西村佳哲
この本が去年の5位から引き続き3位にランクしていることが驚き。だって、今年はこの本にあんまり触れていないですから。やっぱりタイトルですか? なんかみんな自分が生きるための指針を外に求めているんですかね。まぁ、それ自体は当たり前のことだと思うんですけど、あまりにその指針の求め方が直接的じゃないのかなって思います。一気に答えにたどり着こうとする。答えへの道のりを自分で組み立てようとしないんですよね。さっきの「わかる」ことを遮断してしまうのと深く関連してある種の病気なんだと思います。病気は言いすぎでも心が弱ってしまっている。「わかる」こともあきらめ、自分で答えを組み立てることもできない。この本に関してあるのは、それとは正反対のことだと思います。文字通り、自分の仕事をつくる。自分での仕事をデザインして組み立てることです。
2位 表象の芸術工学/高山宏
「デザインに関わる人はこれを読まずにデザインを語れない」。この本の書評を書いた時、僕はそう言いました。それもあっての2位? でも、いまもその思いは変わりません。まさに「わかる」ことを遮断し自分で答えを組み立てられない現代人が真っ先に読むべき本だと思います。情報過多なんて嘘ですし、ものが余っているなんていうのも嘘。自分でわからないといけない情報はいくらでも眠っていますし、足りていないものもたくさんある。18世紀の人びとは同じように情報過多、もの余りと感じられる状況に接して、いまとは違い、必死に情報整理、ものづくりを行ったことがこの本を読めば理解できます。その意味で「これを読まずにデザインを語れない」と強く思います。そして、この本はさらに読むべき本が何かを示唆してくれることでも貴重。
1位 ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト/棚橋弘季
ありがとうございました。この本に関しては何よりそれが一番です。正直、この本をランキングに含めていいものかも迷いました。でも、実際、注文数が多かったのだから入れておこうと。
この本を書いていたのはちょうど去年の今頃。大晦日も正月も感じられなかったのを覚えています。覚えているのは今年もおんなじ状況だから? というわけで、来年もまたよろしくお願いします、という意味不明なことも書いておきます。いずれにせよ買っていただいた方、読んでいただいた方、本当にありがとうございます。そういう方々がいてくれてはじめて、僕も本が書けるというものですから、これほどありがたいものはありません。本当に感謝しています。ありがとうございました。

   

以上が今年のAmazonアソシエイト注文数ベスト20でした。
そして、これが2008年最後のエントリーになりました。
みなさん、今年も当ブログをご愛顧くださり、ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします。
みなさんもよいお年をお迎えください。

関連エントリー

2008年12月30日

2008年○○が多かったエントリー

今年はこのエントリーを含めて、これまで338のエントリーを書いてきました(まだ書くかもしれませんが、とりあえず)。1日1エントリーには達しなかったようです。
その中から、アクセス数とはてなブックマーク数が多かったエントリー上位10ずつをそれぞれご紹介。

アクセス数・ベスト10

まずはアクセス数(ページビュー)の多かったエントリーのベスト10から。5位まではそうだろうなと思うものがランクインしていますが、それ以外は、へーと思うエントリーも。
ちなみに1位のアクセス数は、2位と比較すると約2.5倍、10位と比較すると約5.2倍です。100位と比べるとほぼ20倍のアクセスがあります。書く僕の側からみると、どれも同じくらいの力と思いで書いたエントリーなんですけどね。

  1. 自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋
  2. 質問ができる人/できない人
  3. PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ
  4. 冬休みの読書におすすめする16冊の本
  5. プロジェクトをデザインする
  6. なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?
  7. 自分は引き際の良さ、時機の見極めができてないなと感じる人のための3つの処方箋
  8. 机のうえを整理できない人は頭のなかの整理もできないとはいうけれど
  9. どうせやるなら一流を志そう。
  10. 「わかる」ためには引き出しを増やさないと

はてなブックマーク数・ベスト10

次ははてなブックマーク数の多かったエントリーのベスト10。5位くらいまでは似てますけど、それ以下は意外と違うものですね。こっちのランキングだとなんとなくライフハック風のエントリーが人気なのかな? あるいは、リスト的な要素があるエントリーでしょうか。そんなにみんな、まとめ系がすき?

  1. 自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋
  2. プロジェクトをデザインする
  3. PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ
  4. 冬休みの読書におすすめする16冊の本
  5. 質問ができる人/できない人
  6. なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?
  7. 失敗を恐れ、労を嫌って、何を得ようというの?
  8. 自分は引き際の良さ、時機の見極めができてないなと感じる人のための3つの処方箋
  9. ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(後編)
  10. ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(前編)

検索キーワード・ベスト10

ちなみにエントリーのランクではありませんが、検索キーワードの上位10位はこんな感じです。だから、どうだってことはないですが、なんとなくね。

  1. フレームワーク
  2. 費用対効果
  3. ideo
  4. design it
  5. 神経経済学
  6. クリエイティビティ
  7. webマスター
  8. 棚橋弘季
  9. タクソノミー
  10. アウトプット

「フレームワーク」の検索件数は、10位の「アウトプット」の約4.7倍、100位の「敬意」の約16.7倍です。

この10位までのなかでは「費用対効果」がダントツで直帰率が高い!95.72%です。ほぼ直帰。90%を超えるのはこれぐらい。お求めになっているものとは違うんですね。まぁ、そうでしょう。
逆に直帰率が低いのは「棚橋弘季」(48.75%)と「design it」(56.76%)。まぁ、これも指名されてるわけだから、当然かな。
50位まで含めると「ペルソナ マーケティング」(55.77%、20位)、「ucd」(55.26%、35位)、「ファブラボ」(53.59%、40位)、「ペルソナ シナリオ 手法 」(53.53%、46位)なんてあたりが直帰率50%台で健闘。

今年も多くの方に読んでもらったおかげで、こういう結果もあるというもの。ありがたいですね。来年もまた1日1エントリー前後のペースで続けていけたらいいなと思います。

2009年もDESIGN IT! w/LOVEをご愛顧のほどを。

2008年12月28日

東洋文化史/内藤湖南

原研哉さんとの対談集『なぜデザインなのか。』のなかで、イタリアで活躍しているデザイナーの阿部雅世さんは、デザインというものを日本語に翻訳する際に「生活文化をつくる仕事」というふうに訳してみたらどうかということをいっています。そうしたデザインの仕事をするためには、前提として「質のいい暮らしをするためには、自分自身が、文化に支えられた生活をすることが必要」「自分の生活を支える哲学を豊かにすることがたぶん必要」ともおっしゃっています。

今年1年を振り返ってみると

僕にとってこの1年というのは、まさにこの「生活文化をつくる仕事」ということを公私ともに考え実践してきた1年だったという気がします。

「公」というのは『ペルソナ作って、それからどうするの?』の出版や情報デザインフォーラム関連の一連の活動を含めてユーザー中心のデザインの仕事に関わってきたことを指します。「私」というのは日常の暮らしのなかでの仕事(家事やそれにつかう道具)を見直したり、いろんな場所に出かけて古い文化の名残に実際に触れてみたり、あるいは書籍を通じて文化(特に日本文化)について調べてみたことを指します。

自分の生活を支える哲学

デザインを「生活文化をつくる仕事」として捉えるという点では、今年やってきた活動はまだようやくスタート地点に立てたかな、くらいの印象を僕自身もっていますので、来年以降も引き続き自分にとっての課題だなと思っています。その観点からまずは「デザイン思考(デザインシンキング)」というものを僕なりに一度まとめてみようと思っています。これがまず来年早々の課題。

それが短期的な課題だとしたら、もうひとつにはやはり「生活文化」というものに関して「自分の生活を支える哲学を豊かにする」ということを考えていく必要がある。基盤もなく上っ面だけ固めても簡単にグラついてしまいますから、ここをどうにかしないといけない。「自分の生活を支える哲学」と書きましたが、これは「自分の」に限らないとも思っています。
おそらく来年以降、この社会情勢の変化で「生活文化」の見直しは避けられないでしょう。そこで本当の意味でデザインを仕事にしている人がいかに自身の役割である「生活文化をつくる仕事」に結果を出していけるかが問われるはずです。とうぜん、結果を出すために今後の「生活文化」はどうあるべきかのヴィジョンが見えていなくてはいけない。その意味で「自分の生活を支える哲学」だけではダメで(もちろん、そこが出発点でなくてはいけないとも思いますが)、日本の「生活を支える哲学」といった点も考慮に入れていかないと、それが文化として根付かせるのはむずかしいのではないかと、そんな大そうな課題ももったりしています(年末なので、ちょっと大きなことも言っておこうか、と)。

書斎-実験-野外のバランス

といっても、僕自身がやることはといえば今年の延長でしょう。別に変ったことをやるつもりはない。

最近読んだ川喜田二郎さんの『発想法―創造性開発のために』という本で、科学を「書斎科学」「実験科学」「野外科学」に分けてありましたが、僕の活動もその3分類をバランスよくやっていくことになると思っています。すなわち、書斎で先人たちの知恵にあたること、実務を通じた実験を繰り返すこと、野外で自分を含めた人びとの生活に触れることの3つです。

意外とこの3つをバランスよくできてる人って少ないので、こんな僕でもその点がちょっとした強みになっていると思うので、来年以降もこの方向で、ということです。

近代文化の平民精神

と、前口上が長くなりましたが、内藤湖南さんの『東洋文化史』の書評ですw
もちろん、「生活を支える哲学」を考えるための「書斎科学」の一環。

ちょっと前の「日本文化史研究/内藤湖南」(「冬休みの読書におすすめする16冊の本」で紹介した1冊です!)でも触れましたが、内藤湖南さんは中国文化史を中心に、東洋文化史を研究した方で、中国の近代は宗以降にはじまると述べたことで有名だそうです。
具体的には、これですね。

宋以降は政治でも、学問でも、芸術でも、工芸でも、あらゆるものに平民精神が入ってきておる。これが近代のいちばん大事な内容と思います。
内藤湖南「近代支那の文化生活」『東洋文化史』

文化や政治の平民化を近代化と捉える視点は、『日本文化史研究(下)』に所収(この『東洋文化史』にも入ってます)の「応仁の乱について」で、

とにかく応仁時代というものは、今日過ぎ去ったあとから見ると、そういうふうないろいろの重大な関係を日本全体の上に及ぼし、ことに平民実力の興起においてもっとも肝腎な時代で、平民のほうからはもっとも謳歌すべき時代であるといってもいいのであります。
内藤湖南「応仁の乱について」『東洋文化史』

と記して、文化の庶民化と同時に、中国から日本文化の独立が生じた時代と見る視点とつながっている。政治に限らず、経済、文化の点でも、平民化・民主化が成立した時代をその国の近代化と見ているんですね。

近代化の時期は国によって違う

それもあって、内藤さんは「近代支那の文化生活」のなかで、古代、中世、近代といっても簡単に年数で分けられるものではなく、古代から数えても2500年程度の歴史しかない日本と、4000年とか3000年とかいわれる歴史をもつ中国では、いつからが近代なのかという区分も違ってくると書いています。

一人の人間で申せば幼稚な時期と青年の時期と、それから老衰の時期があるごとく、国とか民族とかいうものにも、そういうものがあるといたしますると、古代というような幼稚な時期がどのくらい、何年から何年ぐらいの間に当たる、中世というのはどのくらいからどのくらいに当たるというような、おのおの相違があるわけであります。そうしてまたおのおのの時代、幼少の時期、それから壮盛な時期、それから老衰の時期というようなのは、そのおのおのの国に特別なこともあり、あるいは各民族に共通した点もありますが、要するにおのおの時期によって有する内容が違うと思います。
内藤湖南「近代支那の文化生活」『東洋文化史』

近代化の時期は国によって違う。これ、考えれば当たり前なんですけど、あらためて言われて新鮮でした。
そこで近代というものを単に世界共通に年数で分けるなんて馬鹿なことをせず、近代とは何かを定義した上で、各国の近代化の時期を同定しようというのが内藤さんのスタンスであり、そのスタンスからみて中国の近代化を「政治でも、学問でも、芸術でも、工芸でも、あらゆるものに平民精神が入って」きた宋以降としているのです。宋といえば、年数にすれば960年-1279年ですから、これがいわゆるヨーロッパを中心にみた場合の近代化の時期とは大きく異なっているのはいうまでもないですね。

平民精神と個人所有

で、なぜこんな話を取り上げたかというと、最初に書いた「生活文化」の見直しということを考える上では、まさにこの近代化=平民化そのものを再考する必要があると思っているからです。

ちょうど池田先生が書いたエントリー「所有という幻想」が人気になっていますが、まさに平民化の一部としての「個人所有」という概念の見直しが迫られているのが現在だと僕も思います。はじめに紹介した『なぜデザインなのか。』という本のなかでも阿部雅世さんが洗濯機などの共同所有なんて話をされていますが、これまで平民化という話と財産の個人所有の話がごっちゃになって進められてきたのが近代だとすると、どうやらそれってごっちゃにしなくてもいいんじゃないの?ということに人びとが気づきはじめているのが現代だという気がします。

ものは「個人所有」のものという前提に立てば、企業から消費者への販売/購入という不可逆的な図式が成立します。私企業から私個人への財産の移動ですね。でも、ものの「個人所有」が前提ではなくなり、たとえば、洗濯機でもいいですが、共同所有あるいはレンタルのような位置づけになれば、別に販売/購入という形での財産権の移動は必ずしも必要なくなります。所有権を前提とした販売という商売自体の見直しが必要になってくる。もちろん、どんどん売るために目新しさを重視したデザインを、という意味も変わる。
売ってしまったら、あとは買った人がどれだけ使おうがかまわない。いや、むしろ、できるだけ早く買い替えてほしいといった発想が、ものが共同の財産として、環境への配慮も考慮しながらも用いられるとなると、それはむしろできるだけ長く使ってもらえるような配慮が必要になってくるかもしれません。安かろう悪かろうなものをどんどん消費する形から、高くてもよいものをできるだけ長く使い続けるという価値観の変化が起こってもおかしくない。
まぁ、そういう方向に行くかはわかりませんが、とにかく何らかの発想の転換は求められるでしょう。生産の単位、消費の単位、所有の単位を全部ごっちゃにして、平民化したけど、それでよかったんだっけ?ってあたりで。共同所有を考えるにしても、それは「スケール感」で書いたのと同じような意味で単位が問題になりますし。いずれにしろ、かつてあった生活単位は近代が木っ端微塵にしてしまったのだから、これは科学の分野の還元主義の問題同様、バラバラにしたものをどう組み合わせるの?という問題は不可避ですね。

本来を知らない効果検証なんて

こういうことを考えるにあたって、単に民主化を目指した近代は失敗だなどと単純な答えを出したら、また失敗を繰り返すだけでしょう。仕事でもそうですけど、効果検証というのは最初に何を目指したかが明確でなければ検証する基準がない。まぁ、そういう無意味な検証が多いのですけど、それと同じで単に事後的ないまの視点だけで近代化を評価してもそれは意味はない。だって、さっき書いた共同所有のアイデアだって何も考えずにやったら単に共産主義の焼き直しになりかねないでしょ? 本当に意味のある評価をしたければ、実験が開始された当初に目指されたものをはっきりとつかんだ上で検証を行わなければ、将来の道は拓けてきません。
本来と将来」に書いたとおり、<将来のためには「本来」がよく吟味されなければならない>です。本来を知らない効果検証なんて、なんの将来の方向性も示してくれません。そんなのはただの愚痴といっしょです。

といったことを考える上で、この本も非常に面白い本でした。

人間の生活のなかで政治というものはかならずしももっとも重要なものでないのみならず、これは動物時代から続いてきておるので、たとえば人間に尾骶骨があるくらいのものと私は考えておる。
内藤湖南「近代支那の文化生活」『東洋文化史』

なんていうくだりも含めて。

ここで紹介されている江戸期の学者、富永仲基や山片蟠桃なんて話も面白くて、今後勉強してみたいなと思いました。やっぱり「書斎科学」「実験科学」「野外科学」のバランスは大事だと思いますよ。



関連エントリー

2008年12月27日

Wiiの動画配信サービスはなにを配信するのか?

任天堂と電通が共同で動画配信サービスを手がける。
プラットフォームは「Wii」。
動画コンテンツダウンロードするしかけは、
Youtubeのようなストリーミング再生にくらべると逆行している。

イメージ画像を見ても謎。

2008年12月26日

スケール感

マーケティングの顧客セグメントとペルソナ」にmas.さんよりコメントをいただきました。

棚橋さんには、本来のマーケティングが、売る、でも、訴求だけ、でもないことを思い出していただきたい。
本質的に何が大事かを考えれば、大事なことにそれほど種類はない。

おっしゃることはすごくわかるし、また、ありがたい。

ただ、僕だけが思い出しても如何ともしがたい状況も目の前にある。それが僕にマーケティングの精神は認めても、「マーケティング」という用語を現時点では肯定的には使いたくないと思わせる要因となってしまっている。それはスケールの問題です。

小なるものの積み重ねは大に至らない、別の物になる

今年の最初に読んだ本で、松岡正剛さんと茂木健一郎さんが対談した『脳と日本人』という本があります。そのなかで松岡さんがこんなことを言っています。

松岡 茂木さんは、あるもののスケール・メリットってどう思っていますか? ぼくは、規模というのは、ダーウィニズムに関連して問題があるんじゃないかと思っているのだけど。ぼくの美意識の結論から言うと、「大は小を制しない」ということでね。逆にいえば、小なるものの積み重ねは大に至らない、別の物になる。だから、大と小の関係には食い違いがある。それをスケールの問題は隠していると思うのです。

このことを今年1年ほど、身にしみて感じたことはなかったかもしれません。100人では可能なことが、1,000人、10,000人という規模では不可能になる。1,000人が100人の組み合わせが10あるとか、10,000人が100人の組み合わせが100あるとかいうユニット的な考えではどうにもならない規模の違いというのがあるのを感じました。そして、それに悩まされ続けた1年でしたね。松岡さんのいう「小なるものの積み重ねは大に至らない、別の物になる」は僕には実感として感じられます。

仕事の細分化、間接コストの増加

100人の規模が1,000人、10,000人となると仕事の奪い合いになる。奪い合いもしくは細分化です。本当は必要な仕事の数はそれこそ限りがあるんですが、組織の規模が大きくなると、仕事の数を人の数が越えて、不必要な仕事の細分化が起こります。本来なら仕事を増やすのではなくて、Workが増やせればいいんでしょうけど、それも1つの仕事を複数人でいっしょに行える人数に限りがあって、かつ、日本人の場合、その数が小さくなるために作業の増加にはならないんですね。

そうなると、仕事を細分化せざるをえないのですが、そこで新たに発生するのが間接コスト。端的にいうと仕事wo分け合った人たちの間で互いに理解しあうためのリソースが馬鹿にならなくなってきます。しかも、たいていの場合、コストをかければ理解しあえるというものでもありません。
また、仕事を細分化することによる問題は分ける前には不足なくできていたことが、分けることで必ず不足が出るようになることです。これは仕事の分割によってできた溝から生じます。

さらにいうと大きな一枚のおせんべいとそれと同容量の小さな複数のおせんべいは必ずしもイコールではありません。大きな一枚のおせんべいが共有する精神を、小さな複数のおせんべい間では共有されない。おいしいせんべいもあれば、おいしくないせんべいもある。さらにおいしいせんべいさえも大きなせんべいの底の深い味わいには到達できない。仕事の分割ではそれが起こる。ただし、じゃあ、仕事を分割せずにもっと巨大な大きなおせんべいの状態にすればよいかといえば、それはすでにおせんべいとして適切なサイズを超えてしまっている。

スケールの違い対する鈍感さ

仕事という機能に必要とされるライトサイズを超えてしまった場合、それを細分化する方向に向くのは、いまの組織のやり方です。でも、それには大きな精神の共有がむずかしくなるという弊害があります。

松岡 ぼくは、組織というものは、生物学的にも社会的にも、それぞれの機能おいてライトサイズがあると思っている。

もっと僕の仕事に直接的に関係があるところでいえば、携帯電話やデジタルカメラなどの小さなディスプレイ、PCのディスプレイ、さらに大きなTVのディスプレイにおけるUIの設計思想を同じにすることはできないのですが、そのスケールの違いに意外と鈍感な人が多かったりします。

たぶん、こういうスケール感の違いを感覚的に感じられず、単に大きくなりすぎたらディヴィジョンに分ければ済むという鈍感さが、根本的なところの思想の共有をむずかしくしてしまっているように感じます。ディヴィジョンに分けて、そこを横断する仕事を扱う部門を別に設けたところで、仕事そのものが本来必要とする人数をはるかに超えた人員をそこに割かなくてはいけないとしたら、本来の仕事よりも間接的コミュニケーションに必要なリソースが増えるばかりだし、仕事そのものの細分化が本来の仕事の意味を喪失してしまうことにもなる。

非人間的にデザインされたものは機能しない

人間中心設計なんて仕事をしていて、人とその人がもつ役割、役目、そして、その役目をこなすために用いるツール、そして、そのツールと人とのインタラクションのことばかり考えていると、こういった組織における人、仕事、機能ユニットとしての組織、そのサイズについてのおかしさ、非人間中心で設計された組織デザインの非ユーザビリティが気になって仕方がなくなってきます。

ユーザビリティの仕事では基本的に利用者がある製品の操作ができないのは利用者が悪いのではなく、その製品のデザインが悪いとみなしますが、組織の場合も同じように考えた方がいいのではないかと思います。どんなに優秀な人間を集めても組織のデザインが非人間的で非ユーザブルなものであれば、機能しないと。ましてや、そこに真に経済的で文化的なマーケティングの精神など宿りはしないのではないか、と。

それが結局、個々の利用者にも、社会にも、そして、もっといえば経済や文化にも影響を与えることになっているわけですから、実はこれって大きな問題だと思います。大きすぎて、僕にもどうやって手をつけていいかわからないんですが。

とりあえずはマーケティングという用語を一旦捨てて、デザインという用語を使ってなんとかできないかというのが昨年来の僕の戦略なわけです。
用語は変わっても、僕自身の精神はそれほど大きく変わってないつもりなんですが、外から見たら違うのかな? なんか年末にきて大きな宿題をもらった気がします。実はひとつ答え(大を小に変換してしまう方法)を持っていることは持っていますが、それをどう実現するかが来年の課題かな。



関連エントリー

2008年12月26日

発想法―創造性開発のために/川喜田二郎

KJ法=川喜田二郎・法。

そう。この本はKJ法の生みの親である川喜田二郎さんの著書。KJ法について、もう一度、頭のなかをちゃんと整理しておこうと思って読みました。



といっても、単にKJ法だけを紹介した本じゃありません。タイトル通り、発想法について書かれた本で、KJ法はそのなかで使うツールの一部です。で、発想法とは何かというと、こんな説明があります。

発想法という言葉は、英語でかりにそれをあてると、アブダクション(abduction)がよいと思う。
川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』

  • アブダクション(abduction、発想法)
  • インダクション(induction、帰納法)
  • デダクション(deduction、演繹法)

という3つの分類はアリストテレスによる論理学の方法の分類。帰納法と演繹法については知られていますし、その方法もギリシア以来発展してきていますが、アブダクション=発想法はそれに取り残されてきた形です。アブダクションという言葉もアリストテレス以来、忘れられていて、その名前がひさしぶりに登場したアメリカのプラグマティズムの祖として知られるチャールズ・パースが取り上げたからでした。

とはいえ、発想法については、いまひとつ体系化された方法がなかったわけです。それに1つの体系化された形を与えたのが、この本の著者・川喜田二郎さんです。

この本の初版は1967年に出版されていますから、ちょうどハーバート・A・サイモンが『システムの科学』第1版を書いたのとおなじ年というのが僕にはとても興味深かったです。というのも、この発想法。ほとんど僕が『ペルソナ作って、それからどうするの?』で紹介したようなユーザー中心のデザイン(以下、UCD)の前半部でやることとおなじなんですね。つまり、この発想法では何をしているかというと、問題発見=仮説創出をしてるわけです。
デザインの上流工程でも必要とされる創造的な発想を行っているんですね。そこでUCDにつながってくる。『システムの科学』もある意味ではUCDの元祖的なところがあるんですけど、一方、日本でもUCD的方法の元祖的なものがおなじ年に生まれているという偶然がすごいなと思うわけです。

発想法のプロセス

著者がこの本で紹介している発想法のプロセスをおおまかにまとめると次のようになります。

  • 問題提起と内部探検
  • 外部探検(観察と記録)
  • 情報の単位化と分類
  • KJ法による情報の統合(図式化と文章化)

最初にどんな問題を解決するのかを内部で考えます。これを内部探索といっていますが、著者が専門とするのは民俗学の分野です。イノベーティブなもののデザインをするのでもそうですが、民俗学でも、最初の段階ではっきりとした問題はわかっていません。いや、最初に頭でだけ考えた問題をもって実際の現場に行ってしまうと、現実が偏った形で見えてしまうので、むしろ、それを嫌うのは民俗学でも、イノベーティブなもののデザインでもいっしょなんだと思います。
ただ、フィールドワークによる調査を行うにあたって、事前にメンバーの頭のなかにある仮説みたいなものをブレインストーミング的な方法で外部化しておくんですね。これは非常に納得できて、UCDの場合でもそうなんですが、最初に各自の頭にある先入観みたいなものを一度外部化して共有しておかないと、調査の前におなじスタート地点に立てないんですね。最初がブレていると、最後までそれが尾を引くので、これは大事です。

具体的に投影した諸要素を組み立てるのである。それらの諸要素は互いにどういう関係にあるかを表現してみる。問題に関係のあることを書きとめ、それを組み立ててみたときに、はじめて問題の構造がわかるのである。
川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』

『ペルソナ作って、それからどうするの?』でも、調査を行う前にまず、わかることを整理して「わからないことは何か?」を抽出するように、と書いたのとおなじことで、それを前に「デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(c.問題の研究のためのデータ収集、分析)」で書いたように、問題の要素を構造化してみることで問題全体を理解しておくんですね。自分たち内部での問題構造を明確にしておくんです。それで分かっていることは何か、わからないことは何かが整理できた状態になります。

フィールドワーク=外部探検をはじめるのはそこからです。

現場に行って観察とインタビューを行うことで、「わからないこと」に関する情報を集める。著者が言っているのは、データ集めは問題に関連したことだけじゃなく、関連してそうなものも含めて集めることが大事だということ。はじめから確実に関連してると思うのものだけに範囲を狭めてしまうのでは、データ集めが単に自分の頭のなかにあるフレームワークにあてはめる作業になってしまうんですね。それでは、あとから新たな発想を生むようなデータは集まらない。
調査で単に自分が理解できるものだけを集めても仕方がないんです。調査を行うのは自分が新しいものに出会って変化するためです。その場で変化が起こらなくても、自分でうまく整理できない得体の知れないデータを収集しておくと、それをあとで分析したときに「あっ、そうか」という驚きをともなう発見につながるケースがあるんですね。そのためにも納得できるデータ集めではダメなんです。

図式化+文章化による発想

そうやって集めたデータをまずは単位化という作業で細かなデータに分解する作業とそれにインデックスをつける分類作業を行います。インデックスはそのデータがどんな種類のデータか、どこで収集したのか、誰が収集したのかなど、検索用のしるしをつける作業ですね。

それを経てKJ法で単位化したデータを統合するんです。これはKJ法をやってみたことがある人なら誰でも知ってることだと思いますが、異なるデータを類比によってつなぎとめ、それを小さなデータの束からより大きなデータの集合へとまとめていく作業です。データ間に類似する要素を見つけ、類似によってグループ化したデータ群にラベルをつける。そして、そのラベルを元にまた別のデータ群やデータとの類似を見つけてグループ化する。著者はこれを圧縮化の作業と呼んでいます。

僕がこの本を読んでKJ法というものの理解が間違っていたと認識したのは、KJ法というのは、この圧縮化による図式化だけを呼ぶのではなくて、その後、図式化したものをベースに文章化する作業も含めて、そう呼ぶんだということです。
これはちょっとびっくりでした。実際、僕がやってるUCDでは、KJ法で統合したユーザーデータをペルソナとシナリオという形で文章化します。図式化したものを文章化する際に、図式化による理解の不十分なところが見つかったり、文章化によって新たな発見が得られることがあるんですが、著者は図式化+文章化によるKJ法でもそういうことが起こることを示唆しているんですね。

文章化は図解のもっている弱点を修正する力をもっている。もっと平たくいえば、その誤りを見破って、発見し、かつ修正の道を暗示する力をもっている。
川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』

図式化は文章化の弱点を補って直観的な理解を助け、文章化は図式化の弱点を補ってデータ間の関係性のメカニズムを明らかにしてくれます。

ただ、UCDで図式化と文章化を交互に行って互いの弱点を補うのは、KJ法からペルソナ+シナリオをつくるときだけじゃないんです。ユーザー調査の結果を文章化したものを個別にワークモデル分析で図式化する際にも起こりますし、ペーパープロトタイプ的にUIをスケッチしたり画面遷移を考えるのといっしょに細かいインタラクションを記述したシナリオを書く作業を同時または交互に行うことがあるんですが、そこでも同じことが起きるんです。なので、最近ますます、この図式化+文章化って重要なんじゃないかと思っていたんですが、この本を読んでその思いを強くしました。


シナリオ作成とUIのスケッチを同時作業で行う


日本人の仕事の弱点

ところで、この本に日本人の仕事のやりかたの弱点として「情報処理を計画的にやらない」ということが書かれています。

自分の頭のなかに体験的に積まれている範囲内で、カンを働かせてその雑然たる情報を統合的に処理する。このような人間的能力にかけては、日本人は世界でも稀な才能の持ち主であろう。しかしその範囲を超えた複雑な情報処理に直面すると、めんどうくさくてやろうとしない。あるいはどうしてよいのか放心状態にもなりかねない。
川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』

「めんどうくさくてやろうとしない」「放心状態になる」。これはペルソナ作成のワークショップを行うなかで、僕がよく経験し、常に頭を悩ませている問題だったので、すごくよくわかります。たくさんのデータを前にすると、投げだしてしまうか、どうしていいかわからなくなってしまう人がすごく多いんですね。何でこんなことをさせられるのかと不機嫌になる人もいます。というか、この本が書かれた1967年当時からそうだったんですね。これはもう国民性なんでしょうか。そう思うと今後の仕事の考えてちょっと暗くなります。

ただですね、この本でも書かれているとおり、その何だかわからない作業の先にしか発想は生まれてこないんですね。普段、ひとりでは体験できない量の複雑な情報を前に、普段「カンを働かせて」やってるのと同じように「雑然たる情報を統合的に処理する」という作業を無理にでもやってみない限り、普段では出ない発想にたどり着くことはむずかしいと思います。

著者自身もKJ法をやっていて不安になることはあるそうです。僕自身、ユーザー調査をやってみて膨大な情報を前に、ここから意味あるペルソナやシナリオが生まれてくるのだろうかと不安になることはある。
でも、ちゃんとデータをKJ法を使って統合していけば、そこからは必ず発見があって、新たな発想につながるヒントが得られます。これは実際にやってみないと絶対にたどり着けないものです。めんどくさいからといって適当に並べて終わりにしたり、データ量に圧倒されて放心状態で手を付けなかったら、新たな発想なんてでてきません。とにかく現場で集めた生の情報を徹底的に整理してみることが大事です。

つなぐ技術としての発想法

と、そんな風に自分の普段やってることをあらためて整理させてもらった感じで読んだかいがありました。ペルソナを使ったゴールダイレクテッドデザインやIDEOのようなデザイン思考による発想法・商品開発法に興味をもっている方も読んでみるとよいかなと思いました。極論すればUCDもデザイン思考も理解しなくても、川喜田二郎さんの発想法があるじゃんってくらいです。1967年にこの本が出てたのに、それを忘れて活かせずに輸入品であるUCDやデザイン思考に夢中になってるってのもいかにも日本的ですよね。

「この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、総合の方法である」と著者はいっています。
また、「はなればなれのものを結合して、新しい意味を創りだしてゆく方法論である」というのは、あのバーバラ・S・スタフォードが「自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジー(analogy)は、とめどない揺動を特徴とする情熱的なプロセスでもある。身体にしろ、感情にしろ、精神的なものであれ、知的なものであれ、何かが欠けているという知覚があって、その空隙を埋める近似の類比物への探索が始められる」と謳った『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』も彷彿させます。「国際的にも国内的にも、人間が、あるいは民族や国民が、はなればなれになってゆくような状況に対して、逆にそれを結合してゆく方法としてとりあげることができる」ものとして捉えるとき、つなぐ技術としての発想法はいまなお、そして今後ますます身につける必要があるものではないかと思うのです。

ちなみに僕もまだ読んでいませんが続編(『続・発想法』)もあります。



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