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2008年06月30日

東北新社の2009年度新卒採用サイトがおもしろい



今更なんですけど、東北新社の「2009年度新卒採用サイト」内にあるスペシャルコンテンツがやばい。おもしろすぎる。

左の「CMができるまで」のほうは、ゆるーいイラストとFlashの動きがいい感じ。「CMおつくりします。」の方は、CM界の巨匠中島信也先生が、弟子と共に8時間以内に東北新社のCM作りにチャレンジするという無茶振りストーリーになっています。

なんかもう半端ないクリエイティブ魂を感じました。ヒゲボウズ専務スゴイ!

4月に公開されていたサイトなので、すでに新卒採用の募集は終わってしまっているみたいですが、まだ見てない人はぜひ。

細かいところで、左下の「すたっふぅー」もツボでした。

TFC RECRUIT 2009 | 東北新社 2009年度新卒採用サイト
http://www.tfc.co.jp/recruit2009/special/

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2008年06月30日

RBC meets JRuby

JRuby勉強会、開催してきました。
RBC meets JRuby
Charles、本当にいい人でした。技術が大好きで、人に優しくて。プレゼンで見せてくれた沢山のデモ。彼でないと出来ない、本当に素敵なデモでした。 JRubyの可能性は、まだまだこれから。でも確実に私たちの業界、働き方を変えるきっかけになると思う。Javaだから、Rubyだからと、そいうことだけでなく、JavaとRubyがあるから、今までの資産があって、今の私たちの発想、技術があるから、できること。そこをもっと自由に捉える事ができるようになってきた。 それに、わかっているけど、体感した事は、コードは国境を越えるということ。Charlesのコード、彼の性格や想いがとても伝わってきた。開発の過程でFixされるバグや、今後の方針、何を選択して何をしないのか。その過程で彼らの戦略、ビジョンが見えてくる。コードで語られる、未来。 私は、こうした技術の可能性が大好き。でもだから自分で作るというよりも、学ぶ場を提供して、活かす場を創造していきたいと思う。それがマーケティングということだろうし、ビジネスなんだと思う。 先日福岡のとある会社の社長様とお話をしてたんだ。その社長は元銀行エンジニア。組み込みもやっていたことがあるし、PL1からC,COBOL、C++なんかもずっとやってた方。優秀なエンジニアでもあったのだと想像できるほど、詳しくて、想いのある人。で。その方が仰ったの。 作る事は楽しい。 売る事は難しい。 文化を醸成することはもっと難しい。 経営することは、本当に難しい。 なーんか、すごく納得してしまった。私はここに「学ぶ事はもっと楽しい」と一番最初にいれたいけどね。 ビジネスはこれらが全てうまく回って、はじめて成り立つのだと思う。部署として切り出される事もあるだろうし、クロスファンクションで共に働く事もあるとは思うけど、全てがバランス。継続して行くために必要な条件。 JRubyの楽しさ、創る喜びを感じたら、その技術を使って何を売るのか。技術力?製品?アイディア? そんなことを考えながら、とても多忙でハードだった6月が終わります。

2008年06月29日

次はFirefox 3.1(SHIRETOKO)とFirefox Mobile(Fennec)



What's next for Mozilla?

ITmedia Biz.ID主催のブロガー応援イベント「MozillaのCEOに直接聞く?『Firefox 3』のあんなこと、こんなこと」のレポート続編です。

イベントの様子はこちら
MozillaのCEOに「Firefox 3」のあんなことこんなこと聞いてきた

Download Dayが話題になり、公開初日で800万ダウンロードを記録した「Firefox 3」。あれかだまだ1週間が経過したばかりだというのに、このイベントでは次期バージョンやモバイル版についても語られました。
   

2008年06月29日

一生太らない体のつくり方を500円で聞くチャンスはあと30数名

摂取エネルギーを減らすダイエットは、
体が慣れて効果がでづらくなる????????

そこで登場するのがトレーニングとの組み合わせ。
一昔前流行した、ダンベル体操やダンベル・ダイエットがなつかしい。

最近では自分の体重をいかしたトレーニングが注目されている。
体ひとつでできるので、場所も道具もいらない。

そのひとつ、スロートレーニングを提唱する石井直方さんの話が聞けるイベントが来週の木曜日、7月3日にある。
場所は、丸善の丸の内本店。東京駅から歩いて5分程度。

2008年06月28日

[エコ][クリッピング] 今年中に北極の氷がなくなる


北極の氷が年中には消えてなくなってしまうとの記事を拝見した。下の画像をまずはご覧頂きたい。薄い水色が昨年の冬の時点での厚さが薄い氷の面積を表している。どれだけ薄いかと言うと、公園のボートでも問題なく進んでいけるほどとのこと。年中にはそれらの氷が全て溶け、オープン・ウォーターになるらしい。専門家によると、変化によって北極付近に埋まっている石油や鉱物が採掘可能になるとのことだが、北極圏の崩壊は地球にそれ以上の変化をもたらすはずだ。水位が上昇してしまうと、陸を海が覆い、水没してしまう島や国だってある。


f:id:bokuno-nou:20080628115228p:image


今年の夏の時点で北極の氷が消えてなくなってしまう可能性は既に5割を越えているとのこと。通常の厚さの氷の面積が例年よりも減少しているのが原因としてあげられるようだ。このような事態において、とある専門家は下記のように説明している。


Exclusive: No ice at the North Pole - Climate Change, Environment - The Independent

"Last year we saw huge areas of the ocean open up, which has never been experienced before. People are expecting this to continue this year and it is likely to extend over the North Pole. It is quite likely that the North Pole will be exposed this summer – it's not happened before."

「昨年、私達人間は海洋の巨大な領域がオープン・ウォーター化されていくのを目の当たりにしました。それも、一度も経験したことがないほどです。我々はこれが今年も続くと予想しています。そして、それは北極にも達するということもです。北極は、今年の夏にはかなり露出されるでしょう。それは、これまでの過去に起こったことがありません。」


関連エントリー:

2008年06月28日

夏の沖縄は未体験

今年の夏は沖縄に行くつもりだ。
1歳の息子は長時間の移動をがまんできない。
でも、夏のきれいな海をみせてやりたい。

というわけで、人生で初めて夏の沖縄にいく予定。

その矢先、Seesaaブログ「おきなわいいさ〜」クイズキャンペーンを発見。

2008年06月28日

Flash Liteとらくらくホン

急増するFlash Liteとアクセシブルな携帯電話、らくらくホン。いつか見た景色が繰り返されそうではあるのですが。

Flash Liteはらくらくホンで読み上げられるのか。

ふと思いついたのがこの疑問です。(追記)やはり難しいようです。コメントを参照してください。

世間では携帯電話の旬なネタといえばやはりiPhoneなわけですが、アクセシビリティの中ではDoCoMoのらくらくホンかと。らくらくホンについてあまり詳しくない方は(僕もですが)、次のリンク先を参照してください。

らくらくホンはコンテンツを音声で読み上げる機能がついていて、それが視覚障害者のネット閲覧行動を大きく変える可能性があるかもしれない、という話です。

その一方で、Web Designing (ウェブデザイニング) 2008年 07月号 [雑誌]の特集の「携帯電話サイト こと始めリファレンス」ではFlash Liteが大きく取り上げられています。Flash Liteって何?という方は次のリンク先に携帯電話でアクセスしてみてください(P.40参照)。対応していないとダメなんでしょうけど。

個人的にはパソコンのフルFlashサイトは重いし、ナビもよくわからないから好きではないのですが、携帯電話の場合は非常に快適だなと思いました。携帯というメディア特性のためか、その表現の制限が逆にユーザビリティを高める結果になるのかもしれません。

では、本題です。このFlash Liteで作られたコンテンツというのはらくらくホンで読み上げられるんでしょうか。実は僕もわかりません。らくらくホンを持っていないので、試していないのです。もし読み上げられるのであれば、万事OKです。何の問題もありません。もし読み上げられなかったら、いつか見た景色というやつです。

らくらくホンがFlash Liteを読み上げるための解決策

もし読み上げられない場合、以下のレイヤーで今後解決策を考えていく必要になるかと思います。

Flash Liteが携帯電話のOSのAPIとの親和性を保つ

主にパソコンのWindowsの場合は、Flash PlayerがMicrosoft Active Accessibility(MSAA)のAPIに対応しているため、スクリーンリーダーがFlash Playerで再生されるFlashのコンテンツを読み上げることができるようになります(表現合っているかな?)。Flash Liteの場合もMSAAに相当するようなAPIに対して合わせることにより、らくらくホンの読み上げができるようになるはずなのですが、それを作っているのはどこだろう?

NTTドコモが携帯電話の基本設計を抜本的に変更、OSにGoogleの「Android」を採用へ - GIGAZINEを読む限りはAndroidだからGoogle?という疑問も生まれるのですが、らくらくホンIVに読み上げ機能の不具合――ソフト更新で対応 - ITmedia +D モバイルを読むとNTTドコモとも富士通とも読み取れます。

どの会社かはさておきAPIの規格が共有されることにより、スムーズな開発が進むのは間違いありません。

FlasherやWebデザイナーがアクセシビリティの技術を学ぶ

これはFlashにも言えることなのですが、Flash Liteを実装する人たちがその技術を学ぶこと、そしてその意識を持つことが必要なのは変わりありません。

Flash Liteそのもののアクセシビリティ化

Flash Lite自体はFlashのオーサリングツールで作成できるのですが、Flashのアクセシビリティ対応の方法がFlash Liteそのもののアクセシビリティ化にもつながるのかはいささか疑問の余地があります。

いつか見た景色

アクセシビリティを学んだことがある人には残念ながら見慣れた風景なのかもしれません。Flash、そしてAjaxですね。

先日書いた福祉情報工学研究会での気付きや学びというエントリーのはてブコメントで、id:inopieさんがこんなことを書かれていました。

PDFリンクの件で思ったけど、標準の進歩に対して支援技術の進歩はゆっくり。開発側にお金がないし、利用者も最新を追いかける人は少数。どうにかならないものか。

全くもってその通りです。僕もその解決策は正直一向にわかりません。ただ、まずはこういった課題があるよということを共有することから始めていきたいと思っています。

2008年06月27日

学びと創造性

みなさん、どうも勘違いされているようですが、人間って本来、創造的な生き物です。
それをどういうわけか「創造性を発揮するにはどうすればいいのか?」ってヘンな議論になったりする(僕自身、勘違いして同じことをやっていたわけですが)。

本来、生物として創造的なんだから、あらためて創造的になろうとすること自体、おかしいわけです。でもね、確かにそうしなきゃいけない理由もある。それは何かというと、創造的でなくなるようなことを、いまの人間ってあまりに多くやってしまっているから。それも日常茶飯事に。

創造的でなくなるための日常的な行為

創造的かどうかって、ようは新しく何かを生み出せてるかってことです。ある人が創造的かどうかは、その人が新しく何かを生み出すということをどの程度の頻度でやってるかってことにほかなりません。

でもね、創造的でありたいとか思いつつ、ほとんどの人が何かわからないことがあると既存の答えを探そうとしたりしませんか? グーグルで検索するのもそうだし、他人に答えを求めるのもそう。何か分からないことがあると自分でろくに勉強もせずに、セミナーで人の話を聞いて理解しようとしたりします。
それって、まったく創造的じゃないですよね。

何かを理解するのに事例に頼ったり、何になりたいかと考えるとき見本となるロールモデルがないとわからなかったり、何になりたいと質問されて既存の職種を答えたり。自分を既存の答えやカテゴリーに合わせるのに日々多くの時間を使っている人が、そのおなじ口で「創造的でありたい」とかいうのは本当にどうかしてます。本当に創造的であろうとすれば、既存の答えを探したりしないはずです。

何かというと創造性だのクリエイティブだのいいますけど、本当に意味わかって言ってますか?って思います。
本気で創造的な人間になりたいと思うなら、何になりたいと思っているかと訊かれたら、「おれ自身です」くらいのことを言ってほしいです。まぁ、本当にそう答える人がいたら、それがどういうことなのかを根掘り葉掘り質問攻めにしますけどw

正しい答えとか見つけようとするからいけない

クリエイティブになるための1つの視点」で、クリエイティブになるために心がけることは、外部と能動的に関わることで変化を生み出そうとすることだと書きましたけど、本来、外部と関わってれば人間って自然と創造性を発揮せざるをえないと思うんですね。

誰かに何かを質問されて、誰かがつくったような答えではなく、自分で考えて考え抜いた答えを返そうとすればそれだけで創造的であるはずです。それを正しい答えを言わなくてはいけないと思って、既存の答えを探そうとするから、新しいものを生み出す創造性とはどんどんかけ離れていく。相手との一期一会の場をわざわざ他の場所で使い古されてきたような正解ばかりを使って埋め尽くし、一言も自分の言葉を話さず、自分の感覚で相手の話を受け止めようとしない。出された質問に答えるのにも信頼できると思いこんだありがちな方法論を使って答えてしまえば、そりゃ、どこからも新しいものが生まれるはずはないでしょう。

相手との一期一会の場を創造のために使おうと思えば、できるだけ相手の発する言葉を自分自身の感覚で受け止め、自分自身の言葉で返せばいいだけです。それを正しい答えを言わなきゃいけないと思ったり、相手や相手の言葉を何かのカテゴリーに無理やり押し込んで理解しようとしたり、そんな余計なことばかりしてるから創造性は失われるわけです。

方法と目的を取り違えてませんか?

普通にやってれば本当は人間なんて創造的なわけです。それをやたらと方法にこだわるから創造性を失うわけです。

ペルソナが流行ればペルソナって何かを知りたがる。知りたがるのはいいんですけど、じゃあ、なんで自分で知るための努力をしないの?って思います。なにか正しいペルソナ/シナリオ法っていうのがあるとでも思ってるんですかね? ペルソナなんて、それがどんな問題を解決する作業を手助けしてくれるツールなのかをちゃんと理解しさえすれば、あとは自分で使いやすいように勝手に作り変えちゃばいいだけなのにね。

もちろん、それはどんなツール・方法でもおなじこと。それがどんな役割を果たしてくれるものかを理解しさえすれば、別にその方法にこだわる必要なんてない。それなのに方法そのものを知りたがるし、それでいて自分でそれがどんな役に立つのかを考えてみようともしない。何の役に立つのかを考えずに、どうして方法に興味をもてるんだろ?って逆に不思議に思いますけど、僕なんかは。

方法と目的を完全に取り違えちゃってるんですよね。目的の達成を考えるんじゃなくて、方法ばかりを求めてしまう。方法そのものが目的になってしまう。何か正しい方法があるかと勘違いして、その答えを学ぼうとするからおかしくなる。そうじゃないでしょ?って思う。創造性は方法を学ぶことだけじゃ発揮されません。むしろ、さっきも書いたように方法ばかりに頼ろうとするから、本来、人間が持っている創造的な性質を失ってしまう。

勉強するってことを答えを知ることだと勘違いしてません?

そりゃ、創造性を発揮するのにも道具や適切な方法を使ったほうがラクなことはある。でも、それは創造的な結果を生み出すという目的にフォーカスしてるからいいのであって、方法から入ったら何も生まれてはきませんよ。

それなのに方法ばかりに着目して、その方法が何に役立ったのかという事例を知りたがる。うーむ、何と言っていいのやら。
学校で間違った勉強の仕方をしてきちゃったんですかね? それとも、社会人になって自分で考えるとか、自分で答えをつくるという勉強の仕方を忘れてしまったのでしょうか?

勉強する、学ぶとはどういうことなのか。なんか、そんなことを考えちゃいますね。

勉強とか学びとかって、答えを知るってことじゃないですよね。単純に知識を増やすことではまったくない。本を読むこと、それ自体は勉強でもなんでもない。いろんなことに興味があるので僕だって本は読みますが、それはあくまで勉強をはじめるにあたっての準備運動的なもの。最低限知らなきゃいけないことは押さえておかないと、実際の学びのための活動のスタート地点にも立てません。
本当の勉強はそのあとから。スタート地点に立って自分で走り出してからが勉強です。走りながら、自分のできることの範囲を増やしたり、よりうまくできるようになったり、自分の視野を広げたり、そういう自分を磨く方向での学びにつながる活動を勉強と呼ぶのかなと思います。

学ぶ前からむずかしそーとか思ってれば学ぶ前から負けてます

また、ペルソナの話に戻りますけど、ペルソナだとかユーザー中心のデザインの話をしていて、口では興味があるといいながら、さっぱり自分で勉強してわかろうとしない人が本当に多いんですね。何なの、それ?流行りだから知っておきたいだけですか?
本当に自分が何かをデザインするなかでペルソナを使おうという気があれば、まずはできないなりにも自分でやってみるしかないと思いますよ。ちゃんとできるようになるためにはそれなりに経験を重ねることが当然必要ですけど、そもそもそれがどういうもので、やり方はどうするかという程度のことなら本を数冊読んで、自分なりにそこに書かれたことを整理してみれば、2、3ヶ月もあればできることです。そこまではスタートに立つためのストレッチみたいなもの。

実際、僕が前の会社でペルソナなんてまるで知らない状態から『ペルソナ戦略』読んでペルソナ作成のコンサルティングをするサービスリリースまでには3ヶ月くらいしかかかりませんでしたよ。僕にそれができたのは最初からペルソナに正しい方法なんてないとわかっていたからです。自分なりのペルソナ法をつくらないとどうにもならないと思ってた。だから、3ヶ月でそこまで辿りつけたんだと思います。

ペルソナってなんだかすごそうな方法だとか、むずかしそうだとか思ってたら最初から負けてます。最初から自分がもっといいものに変えてやるよと思っていれば、別に正解を探す必要などなくて、勉強の仕方もまったく変わってくる
それに大事なのはペルソナ/シナリオ法という方法そのものではなくて、それを使って何を解決できるかということを具体的に創造していくことですからね。

機会をつくるのも勉強。経験できる場をつくるのも勉強

もちろん、僕の場合、UCDに関する知識はその前からあったわけですし、その3か月の間に社内でユーザー調査の練習や調査データの分析・統合の仕方も繰り返しやってみたりもしました。当然、実際にペルソナやシナリオを書いたりもしました。それがクライアントのビジネスにどう役立つかを考えたり議論したりもしましたし、実際に仕事が受注できるまで何度も営業したし、提案したりした。そこまでなら別に誰かにやり方なんか教えてもらわなくてもやる気があればどうにでもなる。

最初に本を読んで、おおまかにそれが何かということをつかんだりするのは、勉強するための身支度みたいなもんです。そこから、わからないなりに自分で本をちょこちょこ参照しながらでも、実際にやってみることこそが勉強です。いっしょにやってくれる仲間と会社の理解とバックアップがあればいうことないですけど、それがなければ、それを作る行動をするのも勉強ですよね。まさに「機会がないとか経験がないとかいうけれど」ですよね。機会をつくるのも勉強。経験できる場をつくるのも勉強です。そういう勉強をしないで、いったい何をわかろうとしてるのか僕にはわかりません。

学ぶということ自体が創造

もちろん、ペルソナの話は1つの例です。ただ、ほかの方法でも話はおなじです。

本当に学ぶ気があったら知識を得ること自体を目的にするのではなくて、自分の目的を達成することに注力して、その視点から方法が適切かどうかを自分がそれを使うなかで判断できる目をもつことを学ばないと意味はありません。それに最初から書いているように人間にはそうしや創造的な学びの力がそもそも備わっているのですから、それを使わずにわざわざ他人のお古のような方法にすがろうとするからいつまで経っても何も身に付かないわけです。

学ぶということ自体が創造です。学ぶということは何より新しいことにチャレンジして、自分自身を変えていくことにほかならないのですから。自分を変える以上の創造的な行為ってないと思うんですけど。

   

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2008年06月27日

まわりの人を信じられるから夢にむかって前に進むことができる

夢をもたなければ、個人でも、組織でも、決して未来に向かって道を切り拓いていくことなどできないと思う。

「夢」という言葉があいまいで、生ぬるく感じられるなら、自分が何を実現したくて、そのために何が必要なのかという絵=計画だと言い換えてもいい。見えないものに向かって歩を進められるほど、ヒトは器用な生き物ではないと思う。見えていなければ前には進めない。どちらが前か後ろかわからないのだから。

ここまではごくごく当たり前のことだと思う。ただ、問題はそれが見えていないことを問題にすら感じない人がいるということだ。

トップが夢を描けなければ、組織は夢を見られない

いま見えていなくても、それが問題だと思い、必死で探している人はよい。何がよいかと探しながら、いろいろチャレンジするうちにぼんやりとでもヴィジョンは絵として見えてくるはずだから。危機感はおぼえつつ努力しながらも決して焦る必要はないと思う。

だが、問題は夢ももたずにいることに何の疑問も感じていない人や企業だ。企業のトップがもしそうならきっとその企業で働く人たちも夢をもつことがむずかしくなる。自社で働くスタッフが夢を描けるようにし、それによって、その人自身がもつ可能性を伸ばせるようにすることは、企業のトップの最低限の仕事だろう。それさえしていれば、トップなど他に何の仕事もしなくてもいいはずだ。
そのためには企業のトップ自身が夢をもち、夢を語り続けなければどうにもならないだろう。たとえ、口下手でうまく表現できなくても、夢を大きくもち、下手なりにスタッフに伝え続けていれば、そこに何かあることぐらいはなんとなく感じられるものだ。もちろん、夢は鮮やかに伝わったほうがいいが、夢すらないことに比べれば、あいまいなイメージでも夢の存在が知れ渡ることのほうがどんなにマシだろう。

トップが夢を描けなければ、組織は夢を見られない。
夢のない組織に未来はない。なにしろ、未来を切り拓く歩を進められないのだから当然だ
それが組織にとって何よりのピンチであることにトップに立つ者が気づけないのなら、もはや言葉もない。

人を大事にするための組織のデザインがない

何より人が大事だとはどんな組織のトップでも一度は口にしたことがある言葉だろう。しかし、その「大事」の意味を本当の意味で理解しているかどうかはかなりあやしい。

「大事」だと思うなら、どうやって働く人々個々の力をフルに発揮できるようにするか、また、グループワーク・チームワークの力で個々人がもつ力以上のものを生み出せるように、組織を、働く環境を、働く場でのコミュニケーションを、いかにデザインするかということに何より真剣に取り組まなくてはいけないはずだ。それが本当の意味で「組織においては人が大事」だということの意味するものだろう。

では、組織を、働く環境を、働く場でのコミュニケーションを、個々人それぞれがもつ力以上のものを出せるようなグループワークができるようにするためのデザインを行うには何が必要か?
必要なものは、どんなデザインともおんなじように、何を実現したいかという哲学とそれを実現するためには何が必要かというヴィジョンにほかならない。つまりは夢だ。

個人が安心していばらの道に足を踏み出せるのも、信じられる仲間がまわりにいてこそ

組織のデザインが悪ければいくら人材の育成に力を入れても人は育たないし、育った人ほど辞めていくだろう。まともな組織デザインもできない夢のない会社には、夢をもった力のある人ほど長くはいられない。
そうなってしまうことに対して「人が大事」という言葉を本当に信じて口にすることができるのだろうか?

一方で、トップのことばかり責めても仕方ないということもある。
個々人それぞれだって夢をもつ必要があるし、組織の一部のチーム・グループ単位でもリーダーがおなじく夢を語る必要があるだろう。

ところで、じゃあ、夢にむかってそれぞれが実際に歩を進めるうえでは、組織は、そして、実際のまわりの人はどう関わるのだろう? 僕はこれまで自分が自分自身の夢を、そして、自分が所属する組織の夢をかなえるために歩を進める場合、組織の夢を信じられていたり、まわりにいる仲間の力を信じられていたことが、安心して、そして、自信をもって歩を進めるうえでの何よりも力強い原動力になっていたことを感じる。自分が道なき道を切り拓くときに失敗を恐れずに足を前に出せたのは、多少の失敗ならしっかりと支えてくれる存在としてまわりの仲間がいたからだと思う

個々人がまわりを信じて前に進む歩を踏み出せるようになるためにも

クリエイティブになるための1つの視点」で書いた協働作業が創造性を生み出すということには、そうした信頼関係があってこそだと思う。そこで書いたライバルというのも何よりその力を信じられる存在にほかならない。そんなライバルたちがまわりにあふれかえっていれば、おちおち手を抜いてなどいられないし、自分の未来をしっかり描いて、どう前進しようか、どう自分を磨いていこうかと考えずにはいられなくなる。

それが信頼と競争意識の両方でつながれた組織の創造性を高める何よりの力なんだと僕は思う。

そんな風にスタッフ同士が信頼関係や競争意識を育める環境を、システムを、組織はちゃんとデザインして、提供できているか?

だからこそ、企業のトップはそうした企業文化をデザインし実現することを何よりの仕事と考えなくてはいけないのだと思う。そうでなければ、どんな夢もかなうはずがないのだから。
企業の夢もかなわなければ、個々人の夢をつぶしてしまうかもしれないのだから。

  

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2008年06月27日

選ばれるメタボリック対策とは

まだメタボリックシンドロームになっていないとはいえ、限りなく身近ではある。
具体的には「カラダトレーナーでメタボリックから脱出できるか」の通り、4つの条件のうち、1つを超えている。

この現実がわたしをシャングリラ・ダイエットに取り組ませている原動力でもある。
ネットリサーチをみると、さまざまな対策に取り組んでいるのがわかる。