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2008年05月31日

あなたはオペレーターですか? デザイナーですか?

大事なのはトータルな視点での創造する力であって部分的な方法ではない。」に、こんなコメントをもらいました。

グラフィックデザインの場合に限って言えば下積みの期間もなく簡単に線が引ける様になって、結構誰でも一人でコントロールできる工程が格段に増えました。
コントロールしようと思えば、どこまででもコントロールできるようになってしまっていて、今まで気にしていなかった部分まで気にしなくてはいけなくなったのでは? と思っています。

僕が「本来身体から切り離せないはずのデザインという行為を、やたらと機械や方法論のほうに切り出してしまっていて、それゆえに全体が見えなくなってしまっている感はないでしょうか? 手で線を引いていた時代には見えていたものが見失われていて、ユーザー中心デザインなる方法も過剰に特別視しすぎてしまっているような気がします。」と書いたことへのコメントです。

ツールは「線を引く」という作業を操作に変える。

「下積みの期間もなく簡単に線が引ける」。まぁ、確かにそうでしょう。このことを必要以上に悪くいうつもりはないのですけど、そのことが無条件にいいことだとは考えることはできないと思います。間口が広がったことはいいことだと思いますけど、下積みという経験から得られるものがなくなったことはむしろ損だと思うからです。

結論からいえば、「下積みなしに線が引ける」ことと「下積みをやってはじめて引ける線がある」ことは同居している状態のほうが僕はいいと思っています。

「下積みの期間もなく簡単に線が引ける」ようにしているツールは、線を引くという作業を、単なるUIの操作に変えてしまっているということにもうすこし敏感になっていいのではないかと思うんです。
線を引く速度や筆記具をもつ腕の角度にも気をつけて行われる手で線を引くという身体的な作業が、単なるオペレーションに変わってしまっている。その違いを感じたければ、キーボードで文字を打つことと、紙の上にさまざまな筆記具で文字を書くことの違いを感じてみればよいのです。

念のため、「ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか」で引用したノーマンのメモするということに関する考察をもう一度引用しておきましょう。

ノーマンは、メモやチェックリストの使用を例に次のように指摘する。メモやチェックリストを作業で使用している場面を第三者的に外から眺めた場合には、それらの道具は記憶と作業の遂行の両面を補助し、強化するもののように見える。しかし、作業を遂行している人にとっては、メモやリストを使うことそれ自体が新たな作業であり、しかも、その作業はそれらを使わずに行うのとはまったく異なる作業であると。このように、道具は、使う人の認知を強化するわけではなく、作業自体を変えている。
川床靖子『学習のエスノグラフィー』

手描きで線を引くのとPC上のツールを使って線を引く場合で何が違うかって、極端な話、ツールを使って線を引く場合、見なくても線が引けるわけですよ。線を感じることなく、操作ができる。
キーボードで文字入力する場合も同じ。文字の形を意識することなく、文字が書けてしまう。

ツールを使って線を引く、文字を入力するという作業はもはや、手書きで線を引いたり文字を書く作業とはまったく別物になっていると考える必要があるのだと思います。
それは決して「線を引く」という作業を単純にサポートしているわけではなく、「線を引く」という感性や身体的能力を必要とする作業を単なるオペレーションに置き換えてしまっているのです。

ツールは「線を引く」という作業を操作に変える。

ようするに、「線を引く」という作業を、見ないでもできるオペレーションに変換してしまっていることに気づかないということは、形を扱っているはずなのに、その形が意識されないまま、感じとられることがないまま、自分が線を引く操作をしてしまっていることにも気づかない状態なのではないでしょうか。

トキメキについての感性がない」でも引いた『二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑』のなかの言葉をもう一度引用しておきましょう。

佐治 やっぱり事象のなかに自分を重ねることができなくて、遠くから見ているんでしょうか。自分を重ねるのが怖いんでしょうね。 
松岡 オペレーション(処理)してしまって、ドライブ(能動)していない。

PC上のツールで線を引く場合、単に実際に線があるところからは遠く離れて操作をしているだけですから、その線を引くという行為にトキメキは感じにくい。自分はモニターの外から単に操作をしているだけであって、その形のなかに参加せずにも済ませることができる。

しかし、手で線を引いている場合、その線を引く画面全体に参加する形で線が引かれますので、その内部において常に全体を意識しながら図面を書くという作業が行われます。Photoshopのようなレイヤーの機能はないわけですから、その線はすでに引かれていた他の線と1つの図像を形成して、1つの部品・要素というよりも全体とつながった一部と感じられるはずです。
もちろん、それを分析的に取り出すことは可能です。でも、分析的に取り出す行為は線を引く行為とはまた別の行為として行われます。線を引く際、線が引かれた図面を見ている視覚にとってはそれは1本の線というより他の線と1つの図像をなす全体の一部として感じられるはずです。PC上の操作のようにどこか別のところで作成した線をこっちにもってきて、他の要素の横に置くという操作的な行為とは異なります。手書きで作成された紙の図面には、Photoshop上の線のようにレイヤーの1つを不可視の状態すれば要素が消えるというオペレーショナルに扱える線はそこには存在しません。

あなたはオペレーターですか? デザイナーですか?

この違いに気づいてないのだとしたら、形を扱うデザイナーとしては、ちょっとイケてないないんじゃないかって思うんですね。あなたはオペレーターですか? デザイナーですか? と問わなきゃいけないくなってしまいます。これは悲しい。

PC上のツールで引いた線が、手書きの線や印刷物の線と同じであると感じているのだとすれば、それはもはや線がもつ質量を身体的に感じ取れなくなっているのであって、線が質量をもたない数学的な線になっているのではないでしょうか。肌触りも温もりもない線が無意識に提示するような、そんな感覚の麻痺したデザインじゃどうしようもないでしょう。

もちろん、ツールを使ったって、そのあたりをちゃんと意識してデザインしてる人はいます。それはツールではやりにくい下積みを自分なりにどこか別の方法でやられているからできるのではないかと思うんです。だから、僕は別にツールを使うこと自体を否定しようとはまったく思いませんし、僕だって文字を書くのはPC上の方がよっぽど多い。今回の本だってとうぜんPCで原稿を作ったし、図版もPCで作りましたから。

だから、PC上のツールを使うなら、手で線を引いていた頃ならそれだけで下積みになった身体的・感覚的訓練を道具を使う作業とは別のところでする必要があるということをしっかり意識すべきなんだと思います。
その1つの下積みの代わりになるのが、ユーザー中心デザインにおける観察という行為ですし、プロトタイピングを使った検証なんだろうと僕は思っています。「線を引く」作業から形を身体的に意識することができなくなっているのだとしたら、すでに人びとが暮らす生活のなかにあるモノの形と人びとの行動における形との関係をひたすら観察から学んで、それを身体に吸収することが必要なんじゃないかと思います。

下積みの経験がない分、必要となる別の経験

「ユーザー中心デザインなる方法も過剰に特別視しすぎてしまっているような気がします。」そう書いた背景がここにあるんです。ユーザ中心デザインといったってユーザビリティ云々の話じゃないわけですよ。デザインそのものの根本的な問題がここにあると思ってます。

ユーザー中心デザインの方法を付加的プログラムとしてデザインプロセスに組み込むことが必要になった背景には、作業から直接身体的デザイン感覚を鍛えることができなくなった現代ゆえのデザイン環境があるんだと思います。かつて徒弟制のなかで普通にやれていたことが、ただ単にツールによって物理的な線を引くことだけは下積みなしでできるようにして、どんな線を引くかについてはまったくフォローしていないところに、ある意味ではよけいともいえる観察という作業をデザインプロセスのなかに組み込まざるをえなくなった1つの原因があるのでしょう。それは単に作るものがインタラクティブなものになったというだけでは決して説明しきれないものだと僕は考えています。

といっても、観察という追加プログラムだけで事足りているかというとそれはまた別の話。僕がユーザー中心デザインを超えて、もういちど、天才たちの仕事に着目する必要があると思っているのはそのあたりにも関係してのことだったりします。この話はまたおいおい。

   

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2008年05月31日

大事なのはトータルな視点での創造する力であって部分的な方法ではない。

さて無事、『ペルソナ作って、それからどうするの?ユーザー中心デザインで作るWebサイト』も出版されましたので、あらためて僕のペルソナ観について書いておこうと思います。いや、ペルソナ観というよりもデザイン観・ものづくり観でしょうか。

デザインは結局エンジニアリングにはなりえない

昨日の「『ペルソナ作って、それからどうするの?』発売開始。TB&コメントはこちらへ」でも書いているのですが、僕は、

  • デザインという作業は、問題発見から具体的な問題解決法の創造、そして、それを実現する方法を編み出す、総合的で創造的な思考・作業だと思いますし、
  • また、それは決して一握りの優れた才能の持ち主だけのものではなく、「創造の方法」というものを知り、それを訓練によって身につけることで意欲あるものには可能なことだと思っています。

ただ、この方法というのは、誰もが学べ、意欲さえあれば身に着けられるものだとは思っていますが、その方法を使って導き出されるものが画一的-誰がやっても同じではないという意味では、エンジニアリング的な方法ではないと思っています。
誰にでも習得でき、かつ、その方法を習得したものであれば誰もが同じ結果を導き出せることをエンジニアリングだと定義するなら、デザインは結局エンジニアリングにはなりえないと思いますし、それでいいのではないかと僕は考えています。

ビジネス的に考えればそれはバラつきになるのかもしれませんが、それはビジネスの勝手な都合であって、デザインが生み出したものを利用する側・所有する側からすると、バラつきがあったほうがむしろありがたいと思います。それは製造の品質とは違い、志向性のバラつきだと思いますので、使う側・所有する側もバラつきを承知で選べばいいでしょう。使う側・所有する側が志向性のバラつきまで認可できないほど、自分で選択する目を鍛えられていないほうが問題であって、そんなもの、これ以上甘やかす必要はないだろうし、むしろ、甘やかしてはいけないはずだと思います。

デザイン作業を含む創造性の生態系のメカニズム

そうした意味においてデザインとはクリエイティブな作業です。それはデザインする側にクリエイティビティを求めると同時に、デザインされたものを使う側にもクリエイティビティを求めます。

最近、こんなことを思うのです。

  • 人びとが意識/無意識的にもっている思想・哲学がモノの形を規定し、
  • モノの形は人びとの行動に制約を与えるとともに、行動判断のリソースを提供し、
  • 人びとの行動はその思想・哲学を形作る。

と。



ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか」で書いたことは、上記の3つの関係性からなるプロセスのうち、2番目のものです。

結局、この3つの関係性からなる世界が視野に入っていれば、自分たちがものをデザインするという行為が人びとの生活・行動に影響を与え、それが人びとの思想・哲学を変化させ、結局はそれが自分たちの思想・哲学も変えうるという輪廻が理解でき、その創造性に気づくことができるのではないかと思うのです。

僕はこういう視点でデザインという作業を捉えたい。

それはこういう巡り巡って自分が変わるという創造のプロセスをつくることを意識しろというのではなく、そもそも、そういうプロセスが動いている生態系に生きているのだから、そのつもりでものづくりに励もうということです。

中途半端なものづくりではこのプロセスに乗ることもなく、いくら作っても何も変わらず、同時に自分たち自身も生態系から押し出されて破滅に向かうことになる。そういう進化論的メカニズムがここに働いているという風に考えた方がいいのではないかと思っているんです。

ものづくりの本質を夢想する

そんな生態系のメカニズムを踏まえたうえで、『ペルソナ作って、それからどうするの?』で紹介しているユーザー中心デザインの方法というのは、創造的なデザインが決して一握りの優れた才能の持ち主だけに可能な特殊な能力なのではなく、意欲あるものなら誰でもその方法を知り訓練によって身につけることで可能になるような、とりあえず現時点ではもっとも優れた手法の1つであると思っています。

ようするにこれ、別にユーザビリティを向上するための方法でもなければ、ユーザーのためのものをつくるための方法でもないんですよ。あくまで人間が暮らす思考-もの-行動が織りなす生態系のうちでデザインという方法で発想し創造するための方法でしかないんだと思います。場合によっては、ユーザビリティの向上につながることもあれば、ユーザーが欲しているものづくりにつながることもあるでしょう。

でも、ものづくりの本質って欲深く自分の欲しいものが手に入ればいいなんて思ってるユーザーを満たすことが目的なんじゃなくて、先にも書いたとおり、デザインする側もデザインされたものを選んで使用・所持する側も同時にそのクリエイティブなプロセスに参加することで、生態系のメカニズムのうちに自分たちが存在することを実感するようなそんな行為なんじゃないかと思っています。その意味では、ものづくりという行為は古代の祭りとなんら変わりない行為なんじゃないか。そんな風に考えています。

それには、現時点では最上のものだといえるにしてもユーザー中心デザインの方法もまだまだ非力だと僕自身は認識してるんですが、このへんに気づいて進めている人はほとんど見当たらない。それは僕が不勉強なせいもあるのですが、僕が松岡正剛さんや最近だとバーバラ・スタフォードにこだわるのはこのへんが理由です。

私としてはヴィジュアル・イメージと観念の間の失われた環を、視覚することでのみ思考するような直観的方法をもう一度蘇らせたいのである。
バーバラ・M・スタフォード『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』


全体のなかで詩的に部分を描くことと、言語論理的に部分を分析的に取り出すことの違い

そういう全体のなかで僕はペルソナ/シナリオ法というものを捉えています。

なので、それだけを取り出して、その手法がどうたらこうたら言うことに僕自身はあまり関心がありません。
だって、それはユーザー中心のデザインのプロセスの全体につながった一部なのですし、さらには創造の生態系のメカニズムのなかで本来ジーニアスなものづくり人たちが日常的に特に意識もせず行っていた行為でしかないのですから、それを無意識にできるくらいに身につける方向で切磋琢磨するならともかく、その部分だけを切りだして殊更その方法の可否を還元論的に分析しようとしたってまともな答えは出てこないはずです。

デザインがエンジニアリング的ではない所以は、方法論を全体性のなかで詩的・視覚的に部分的に捉えることはできても、その取りだした部分を言語的な論理によって分析的に切り出して、非身体的に思考してしまうことができない類いのものだと思っているからです。すくなくともいまの言語にはそれはできないし、いまの科学の人間の理解ではとうていそれはできないと思っています。
それには違う記述の仕方がいる。スタフォードや松岡さんが志向しているのはそういう記述方法としてのヴィジュアル・イメージそのものによる思考法ですし、科学の分野においてもそうした試みは行われていると思っています。

手で線を引いていた時代には見えていたもの

ただ、そのなかで本来視覚的な技法でありはずのデザインの分野で奇妙に、言語論理的な分析の方法に偏りすぎているのが気持ちが悪いのです。
本来身体から切り離せないはずのデザインという行為を、やたらと機械や方法論のほうに切り出してしまっていて、それゆえに全体が見えなくなってしまっている感はないでしょうか? 手で線を引いていた時代には見えていたものが見失われていて、ユーザー中心デザインなる方法も過剰に特別視しすぎてしまっているような気がします。

本当はユーザー中心デザインとして方法論化されてることなんて、手で線を引いていた時代であれば、たぶん、みんなが普通にやっていたし、できていたことだと思うんですよね。それができなくなってしまった時代だからこそ、再度、それをいったん体系化した上でさらにそれを体験的に身につけてもらう訓練が必要ななんておかしな具合になってるだけだと思います。まぁ、それもやたらといろんな道具を生み出したおかげで、生態系のメカニズムに従って、思想や行動のスタイルが変化してしまった結果なんだと思うんですけど。

まぁ、このくらい訳のわからんことを僕が書けるのも、いまのところ、このブログ上くらいということで。

   

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2008年05月30日

シャングリラ・ダイエットでSeesaaダイエット特集に参加

というわけで、「シャングリラ・ダイエット」の効果を自分の体で試してみる。
(詳しくは「PASSION HACK 情熱でマーケティングに差をつけろ!: 百式御用達痩身術『シャングリラ・ダイエット』出版記念イベントで」を参照)

幸い、Seesaaブログにはダイエット・ログ機能があるので使ってみる。

現在
身長:184cm
体重:95.0kg

目標
身長:そのまま
体重:75kg

いずれ体脂肪率も追加したいが、まずはここから。

2008年05月30日

丸の内・丸善に売ってました。

売ってました。
まぁ、今日から発売開始なので当然といえば当然ですけど。初の単著なので、自分でも見ると感動するわけですよ。



丸の内・丸善の4Fのシステム系の本が並んだ「Web開発」というコーナーに。
確かに分類しづらいでしょうね。この本。

僕自身は「創造の方法」についての本だと分類してますが。

あとさっきAmazonを見たら、本での売上ランキングが562位でした。
予約中はよくて4桁の前半。ほとんどが5桁台でしたので、やっぱる発売開始されると動きが違いますね。
1つ、お勉強になりました。

買っていただいた、皆さん、ありがとうございます。



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2008年05月30日

[ウェブ][デザイン] ドリコムの「Resumy」 - ユーザーに負担をかけないUI


ドリコム(ドリコムジェネレーティッドメディア)がリリースした、ブロガー向けプロフィールサービス「Resumy(レジュミー)」のユーザー・インターフェイスが非常に興味深い。


人材紹介会社と組んで、自分のプロフィールやブログの内容をもとにIT系求人情報をマッチングするプロフィールサービスだが、そのためには学歴、職歴、プロフィール、希望条件など多くの内容を入力をする。よくある求人情報など他の同様のサイトだと、入力欄や選択肢がたくさんあって、入力するのも一苦労でうんざりしてしまう。


職歴や学歴など、個人情報としては入力しづらい情報でありながらも、この「Resumy」の入力方法に関するユーザー・インターフェイスが面白い。どのようなインターフェイスかと言うと、ウィザードみたいな対話形式で、ゲーム感覚で入力していくものだ。「あなたの名前を教えてください」と表示され、入力すると「ユーザー登録が完了しました!」と表示される。そして、「性別と誕生日を設定しましょう」や「アドレスを変更しましょう」などと順番に案内してくれる。


f:id:bokuno-nou:20080530210717p:image


一度にたくさんの内容を登録させず、そして決して入力を強制することもない。「〜を登録しましょう」と、現在ウェブデザイン会で注目されている対話型Webアプリケーションの実装形態の"Ajax(エイジャックス)"を使っているようで非常にスムーズだ。入力した量によって、表示されるコンテンツもだんだん増えていき、プロフィール画像の下部にあるプロフィール項目の達成率現在がパーセンテージ・グラフで表示されているのも、直感的で面白い。このように表示されると、100パーセントにしてやりたくなるのは間違いない。


今回ご紹介したユーザーに負担をかけずに、ユーザー情報を登録させるユーザ・インタフェース。これは他サイトも、この画面上のユーザー・インターフェイスについては見習うべき点が多くあるのではないかと思った。ちなみに、First PenguinのResumyページは下記の通り。

https://resumy.jp/public/Firstpenguin


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2008年05月30日

福祉情報工学研究会での気付きや学び

福祉情報工学研究会に参加して、そこで得た気付きや学びを皆さんとざっくりと共有しておきます。

福祉情報工学研究会

僕が参加したのは、第42回 福祉情報工学研究会です。前半しか参加しなかったのですが、その主な内容は今年4月に発表された視覚障害者のパソコン・インターネット・携帯電話利用状況調査2007の要約的な紹介でした。個人的には、生の渡辺哲也先生を見れたことが一番の大きな収穫だったかもしれませんが、それはさておき。本当にざっくりなのですが、メモを紹介します。

触覚ディスプレイ

  • 触覚ディスプレイが面白い。パソコン上にある文字や画像を点字のような形にして触覚に伝える機器。それに画像を表示し、普及できるように研究中。ユニプラン社を参考
  • 今まで視覚障害者に画像を伝える方法は代替テキスト(alt属性のような)しかなかったが、この機器は触覚によるモノの形の認知ができる。
  • Windows付属のペイントなどで作成可能。手間もコストもかからない。その上、画像に文字情報を付加できる。
  • ただし、面白いソフトではあるが、ないと困るというものでもない。また、ハード機器をもっと安価にしないとならない。普及が難しそう。

視覚障害者の携帯電話・パソコン・インターネット利用状況調査

  • ZoomTextなどの画面拡大ソフトを使っている人は非常に少ない。ただ、Windowsのユーザ補助を使っている人は多い。よく使われている機能としては、ハイコントラスト、拡大鏡、マウスポインタの設定など。
  • スクリーンリーダーはPC-Talker、95Readerの順番、音声ブラウザはホームページ・リーダーの使用割合が高い。また、これら2つのソフトを組み合わせて使う人も多い。JAWSは使用頻度として2番目以降というのが多いのが特徴的。
  • ネットの利用目的として若い世代ほど「メール」という回答が少ない。携帯電話への移行が進んでいるのかもしれない。

視覚障害者のブラウジング時の課題

  • 視覚を使った文字の読み書きができない人にとっては、代替テキスト、Flash、スキップナビという順番が利用時の課題。視覚を使った文字の読み書きができる人にとっては、文字サイズ(小さい、変更できない)が課題。
  • click here(ここをクリック、こちら)などのリンクはやっぱりよくない。リンクだけを抽出して移動する音声ブラウザのコマンドが役に立たない。
  • 1つのメニューの項目が長すぎると、利用者がその親子関係を覚えていられなくて、ジャンプ先を間違える。
  • ページ内に情報量が多すぎると、その読み上げに恐ろしく時間がかかる(公共団体のトップページなど)。
  • PDFへのリンクは、「○○○(PDF)」というリンクよりも、「(PDF)○○○」というリンクのほうが親切。読み上げ中にリンクをクリックしてしまい、PDFを意図せずに開いてしまう。
  • アクセシビリティへの配慮はもちろんだが、一般的なユーザビリティを高くするだけでもかなり使い勝手はよくなる。ただし、WebコンテンツJISを遵守しただけでは視覚障害者の検索時間が短くなるわけではない。

個人的な感想

視覚障害者といってもネットの利用度は個人差があるので、一般化はできませんが参考にはなります。一方、上記で触れた課題や問題は既出のアクセシビリティの注意点も多いように思います。

あと、携帯すごいですね。アルファサードの野田社長ミツエーリンクスの中村さんも書いていましたが、これは重点的に追っていきたいトピックですね。

そろそろ本格的にBeyond ALT Textを考え始めるときのようです。

2008年05月30日

『ペルソナ作って、それからどうするの?』発売開始。TB&コメントはこちらへ

いよいよ僕の初の単著『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』が発売開始されました。



あらためてここまでこぎつけるのに協力していただいた方、すでに予約いただいた方に、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます。



なお、今後は当エントリーを感想やご意見などをトラックバックやコメントとして受け付ける窓口としてご活用いただければと思います。

まだ、本書をご覧になっていない方や買おうかどうか迷ってる方のために、以下で本書の内容をすこし紹介しておきたいと思います。

目次

まずはamazonなどにも載っていない詳細な目次を紹介しておきます。すこしは本書の内容がイメージしやすくなるのでは、と思いますので。

【概要編】なぜユーザー中心のデザインなのか?
  • 第1章 デザインの問題を特定する
    • デザインとは何か?
    • ウェブの制作とデザイン
    • 創造性とデザインの方法
    • ユーザーの行動とデザイン
    • ウェブサイトをデザインする際の境界線問題
  • 第2章 ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン
    • ウェブサイトではなく人々の暮らしをデザインする
    • ペルソナ/シナリオ法とは
    • ユーザビリティとペルソナ
    • ユーザーエクスペリエンスとペルソナ
    • ペルソナを用いてインタラクションデザインを考える
  • 第3章 ユーザー中心デザインの方法
    • ユーザー中心のデザインのための5つのデザインプロセス
    • ユーザー中心デザインの方法を考える
    • 認知科学と「わかる」ということ
    • アフォーダンスと身体の動き
    • 日本のデザイン、日本という方法

【実践編】ユーザー中心のデザイン
  • 第4章 体制作りと基礎体力作り
    • ユーザー中心のデザインを行うための基礎体力・基本スキル
    • ユーザー中心のデザインを実施する体制作り
    • ケーススタディ1
  • 第5章 デザイン問題を定義する
    • 問題を発見する
    • 問題について議論を行い、問題を定義する
    • ケーススタディ2
  • 第6章 ユーザー行動の観察と問題理解のためのデータ収集
    • ユーザーの利用状況を把握する
    • 行動調査の結果をシナリオにまとめる
    • 評価グリッド法とラダーリング
    • データを収集する
    • ケーススタディ3
  • 第7章 ユーザー行動の分析と統合
    • ワークショップ:みんなで手を使いながら考える
    • ユーザー行動を5つのワークモデルを使って分析する
    • 行動モデルを統合する
    • ケーススタディ4
  • 第8章 ペルソナ/シナリオ法を使ったユーザー行動のリデザイン
    • グランドデザインとウェブサイトのデザイン
    • ペルソナ基本文書を作成する
    • ペルソナの行動をリデザインする
    • ユーザー要求一覧を作成する
    • >
    • ケーススタディ5
  • 第9章 プロトタイピング
    • ユーザーインターフェイスをデザインする
    • ペルソナ作って、それからどうするの?
    • プロトタイプを作る
    • ケーススタディ6
  • 第10章 ユーザーテスト法によるデザイン評価
    • ユーザーテストによくある間違い
    • ユーザーテストを企画・設計する
    • ユーザーテストを実施する
    • 問題の分析・改善案の作成を行う
    • ケーススタディ7
  • 第11章 オペレーションをデザインする
    • オペレーションのデザイン
    • コミュニケーションのデザインとオペレーション体制
    • アジャイル開発と成長するウェブサイト
    • ユーザー中心のデザインを社内に浸透させる
    • ケーススタディ8
「目次」より

ご覧になってイメージしてもらえたと思いますが、「ペルソナ/シナリオ法」を単独に扱う本というよりも、それを含めたユーザー中心デザイン・プロセス全体を紹介し、できるだけ具体的な実践に使ってもらえるよう方法やそれを用いる際の注意点などを紹介しています。

本書が目指したもの

ペルソナは現在、注目を集めている手法です。ただ、僕が今回この本を書こうと思ったのは、ペルソナへの注目に乗ったというよりも、そのペルソナの理解のされ方に危機感をもったからです。どうも世間ではペルソナをマーケティング手法だと理解されている方が多い。
でも、実際はペルソナという手法はデザインの手法です。しかも、ユーザーを知るための手法ではなく、ユーザーがどんな風にデザインするものを使うのかを考えるための手法です。つまり、ペルソナ/シナリオ法というのは、デザイン・コンセプトを具体的に明示する方法であり、当然、コンセプトができたら実際のデザインに落とし込まなくてはいけません。
しかし、流行としてのペルソナはマーケティング手法だと思われてるので、デザインをどうするかということを具体的なコンセプトに落とし込もうとしないし、ましてや、そこから具体的なデザインを作ることなど考えもしません。ペルソナを作ったら終わり。ペルソナとモノとの関わり合いを具体的に記そうともしないし、プロトタイプを作ってその仮説が正しいかを検証してみようともしない。
まったく、ペルソナ作って、それからどうするの?です。

2つ目として「ペルソナ作って、それからどうするの?」をテーマにしたのは、現実の体験としてWebデザインの現場で、ディレクターやデザイナーがどうやってペルソナ/シナリオを使いこなせばいいか戸惑ってしまう場面に出くわしたからです。先にも書いたようにペルソナ/シナリオ法はデザイン・コンセプトを具体的にかつ詳細に記述したものです。いわゆるデザインの上流工程の最終段階のドキュメントと考えられます。でも、それが具体的な構造や骨格、表層のデザインに落ちていかないのだったら、そのデザイン・プロジェクトは不幸なことこの上ない。ペルソナ/シナリオ法というコンセプト・メイクの手法だけでなく、コンセプトをモデルに落とし、さらにプロトタイプという具体的なデザインに落とし込む手法が現場で使えるようにならないとダメだろう。そう思いました。
ところが、残念ながらここのところを丁寧に解説した本って僕の知るかぎりなかったんです。じゃあ、僕がそこを書こうと思った。

3つ目としては、いまのWebデザインの現場の分業体制がどうにも気に食わないという思いもあります。技術が高度化・細分化していますので役割分担するのはいいのですが、分業によってできあがるデザインがバラバラになっているという印象をずっと持っていたんです。
SEO、ユーザビリティ、マーケティング、ライティング、ブランディング、などなど。Webのデザインに求められる品質・効果というもの自体がこんな風に細分化され、それが別々の専門家が担当していたりする。こんな状態でスピーディーにすべての品質を加味した1つのWebデザインを生み出すのはかなり困難です。しかも、それが別々のタイプのユーザーを想定してそれぞれが頭に思い浮かべたユーザー像に最適化してれば、できあがったものは誰にも不適合なものになりかねません。
この状況を打破して一貫性のあるWebをデザインするには、デザインする視点そのものを統合するしかないんです。じゃあ、誰の視点で統合するのがよいかといえばユーザーの視点でやるのが手っ取り早い。だから、ユーザー中心デザインのプロセス・方法をみんなが使えばいいじゃないか。それがこの本でユーザー中心デザインの方法を紹介している理由です。

まとめると、本書で僕が目指したのは、以下の3つです。

  • ペルソナを本来のデザイン手法という位置づけに戻して、デザインの現場でこそ使ってもらえるようにすること
  • ペルソナ/シナリオを作成したあとの具体的なデザインの方法を明らかにし、デザインプロセスにおける上流工程と下流工程の断絶をなくすこと
  • ユーザー中心デザインのプロセス・方法を導入することで、デザイン過程のすべての工程において一貫した視点で思考・作業ができるようにすること

デザインという総合的で創造的な思考・作業を、すこしでもやりやすくできるようになればというのが一番の狙いです。
決して一握りの優れた才能の持ち主だけのものではない「創造の方法」というものを示せていればよいなと思います



読者タイプ別読み方

さて、そんな欲張りな目的をもって書きましたので、既報どおり「A5判、縦書き2段組、384ページ」とボリュームは、それなりにある本になっています。ですので、どこから読めばいいのかの目安になるように、いちお読者タイプ別に読み方・順番の参考を書いておきます。

  • すぐにでもペルソナを使ってみたいというお急ぎの方:【実践編】からお読みください。【概要編】はプロジェクトを進めながら合間にお読みください。
  • もっと手っとり早く「ユーザー中心のデザイン」の雰囲気をつかみたい方:【実践編】の各章の最後に設けた「ケーススタディ」をお読みください。ユーザー中心デザインのプロジェクトの進め方が小説仕立てでわかるようになっています。
  • ペルソナって何よ。ユーザー中心のデザインって?という方:まずは順序良く【概要編】からお読みください。
  • すでにユーザー中心デザインをやってるという方:通してお読みください。特に自分がやってるのがユーザー中心デザインの1パートである場合は特に。【実践編】の「第4章 体制作りと基礎体力作り」と「第9章 プロトタイピング」あたりは、なぜユーザー中心のデザイン・プロジェクトがうまく行かないかを考えるためのヒントになるのではと思います。
  • Web以外のデザインに関わってる方:Web以外のデザインをやられている方でも、UIのデザイン、ソフトウェアデザインなどに関わっている方であれば、本書で紹介している手法は有効だと思っています。説明に用いている事例がWebになっていますが、ご自身の関わっているものに置き換えて読んでいただけると幸いです。特にWebデザインの現場で用いられている情報デザインの考え方、手法は参考になると思いますよ。
  • Webデザインに関わってる方:従来の仕事で用いられる「Webデザイン」とか「Webデザイナー」とかいう言葉はいったん忘れてください。そのためにも【概要編】の「第1章 デザインの問題を特定する」で「デザインとは何か?」を整理、定義していますので、こちらを読まれると本書で「デザイン」という言葉をどう扱っているかがイメージしやすくなるかと思います。
  • いいから好きに読ませろって方:申し訳ありません。差し出がましいことをしました。ご自由にお読みください。

実際には全部通して読んでもらったほうが内容は理解しやすいかなと思います。上記はあくまでどこにどんなことが書かれているかの参考ということで。

参考文献

巻末に参考文献のリストも掲載していますが、その一部はすでに下記のエントリーでも紹介しています。これと目次をみてもらうと本書がどのあたりを網羅しているのかが想像してもらいやすくなるのかなと思います。


単なる技術本、マニュアルになってしまわないように、というのが、今回、僕がこの本を書く際に念頭に置いていたことです。ですので、僕がどういう思考を経て、どういう情報を参照にして、この本を書いたかを明らかにし、読んでくれた方それぞれが同じ情報を再編集して、僕のまとめた手法よりさらに良い手法が生み出せるよう、文中にもさまざまな書籍から引用もしています。この本をできるだけ開かれた本にしようと思ったんです。この本の中だけで閉じているのではなく、ほかの本とネットワークされているような。ただ、書籍だとリンクが張れないので、そこを補助するために、上記のエントリーでそれを補っています。

以上が『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』の紹介です。

興味のある方はぜひお読みいただけると幸いです。



関連エントリー

2008年05月29日

[クリッピング][広告] ブロマーシャル


アメブロ、テレビ朝日とユーザー参加型テレビCMで提携:ニュース - CNET Japan

サイバーエージェントは5月26日、同社の運営するブログサービス「Ameba(アメブロ)」テレビ朝日と事業提携し、ブログとテレビコマーシャルを連動させたクロスメディア広告商品「ブロマーシャル」を共同開発したと発表した。


ブロマーシャルは、会員数310万人を誇るアメブロのブロガーを対象に、ブログの記事ネタ提供サービス「クチコミ番付」や、著名人ブロガーを活用してテレビコマーシャルの企画案を募集する広告サービス。投稿された企画案の記事から選抜されたものをテレビ朝日の協力により製作及び放送するというもものだ。ブロマーシャルの目的は、テレビコマーシャルの制作に直接携わることで、広告主の商品やサービスへの認知を高めることにあるという。ブロガーを対象に行うことで、ブログ上のクチコミも期待されているそうだ。ブロマーシャルは電通が一括して販売し、本年夏頃の実施を目標としている。


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2008年05月29日

心の痛み

少しさ、エゴがあって。どうしようもなく暗い闇をかかえている人をみると、そばに行ってその闇を昇華させられないかと、私に何かできないかと真剣に考えてしまう癖があってね。同じように、あとちょっと、技術的なことじゃなくて気持ち的なもののきっかけで変われそうな人を見ると、ホカっておけなくて。 先日友人がmixiに日記を書いててね。 「痛みや苦しみを正当化してはいけない」 コーチングやファシリテーションを勉強すると、正当化する手段を学んでしまう気がする。大丈夫、全てのものには意味がある。今のこの苦しみにも意味があって、乗り越えるときっと素晴らしい世界が待っている。ってね。 けどさ、本当にそうなのかな?意味はあとで勝手に見いだしてるだけだよね。未来につながるからって、今の苦しみが消えるわけではない。ごまかしているだけだよ。 かといって今の苦しみを見つめすぎてしまうと、抜け出せなくなって、絶望感の中に埋もれてしまう。同じ年の方の、華々しいと思っていた方の悲しいニュースを聞く事になる。もっと早くに気づいていればって、そんなこと出来たら本当にどれだけいいかって思うけど、基本的に人は自分が一番だからね。家族でも恋人でも友人でも、心の奥までわかるなんて難しいんだと思う。 最近あまりに悲しいニュースが多くて。 もう二度と会う事ができないと思うと、どう気持ちを保っていいかわからなくなる。メディアは残酷だから、根掘り葉掘り話を作り出し、えぐっていく。もうどうしようもならないのに、正当化して、この出来事から学ぼう!なんて対策を練ったりする。人の痛みなんて当の本人にしかわからないのに。 痛みや苦しみを正当化することなく、ただ過ぎるのを見つめる。深呼吸をして、時の流れを感じて、身を委ねる。 そんなことができたら、どんなにかいい。私は今居る仲間、これから出会う人たちと、その気持ちで付き合っていけたらなと思います。それしかできないからね。痛みは消えない。でも流す事が、少し風化させることはできると信じたいです。 末尾ですが、ご冥福を、心からお祈りいたします。