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2008年03月25日

写真を撮る

夏頃から色んな街に訪れる機会が増え、多くの人に出会うようになって。その時の想いや感じた事を残しておきたくて写真を撮り始めたんだ。その中から20枚ほどPicasa Webにあげてみたよ。 写真って不思議で。本当に私が感動したもの、心が動いたものしか実はいい写真にならないんだよね。ちゃんと構図を考えて、想いを込めたり。友人の結婚式などで嬉しさや幸せな気持ちがあふれていたり。 テクニックなんて知らないけど、どうしたら一番気持ちいいか。それだけを大事にして、あとは感性の赴くままに。 本当は出会った人をもっともっと撮りたいのだけど、まだまだそれはうまくできなくて。気持ちが強すぎちゃうのかも。それにWEBにあげるのは恥ずかしい(w あ、あと簡単に加工(トリミングや傾き補正や露出くらいだけど)するのも楽しいね。その作業の過程で私が本当に何を感じたのか、そのときは分からなかったけど写っている素敵なものを見つけることもできるんだよ。ひと手間書けるだけで見違えるほど素晴らしい写真になったりしてね。 明日からはまた福岡。仕事の合間にちょこちょこ隠し撮りしちゃおうっかなー(w
My First Album

2008年03月24日

手入れの思想

養老孟司さんは『人間科学』のなかで、西洋や中国などの都市のように城郭という明瞭な境界をもたずに、自然から人工につながる都市をもつ日本社会においてその境界に位置する「田んぼ里山」に注目しています。
そして、自然と人工の入り混じった中間形態としての「田んぼ里山」を成立させた思考こそが日本の思想であろうといって、それを「手入れの思想」と呼んでいます。

手入れとは、自然のものに「手を入れて」、できる限り自分の都合のよいほうに導こうとする作業である。そのためには、明瞭な前提が必要である。
それにはまず対象である自然の存在と自律性を認め、それを許容しなければならない。「仕方がない」とは、自然の負の面を認めざるをえないときにいわれることは明らかであろう。
養老孟司『人間科学』

『人間科学』という本で、養老孟司さんはモノとエネルギーを対象にしてきた科学に、情報系という新たな視点をもちこんだ人間科学を模索しています。かつてユクスキュルが『生物から見た世界』で描きだした動物によって脳によって構築される世界像の違いなども参照しつつ、脳化・情報化という観点から科学を見つめなおしています。

その観点から「都市社会は、巨大化したヒト脳の機能、とくに意識が中心となっている」と言いつつ、先の引用における日本の近世までの都市の特殊性について述べているわけです。

2008年03月24日

[ウェブ][デザイン] ICCマッシュアップ・アート・コンテスト - デジタル・アート


NTT東日本NTTレゾナントNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)gooの協力により開催したウェブのAPI(Application Program Interface;アプリケーション・プログラム・インターフェイス)利用公募イベント「ICCマッシュアップ・アート・コンテスト」の受賞作品が3月14日に発表された。複数の異なるAPIを複合した新たなサービスを生成するマッシュアップは「混ぜ合わせる」という意味で、既存のものにアレンジを加え、全く新しいものを生み出す手法のことである。マッシュアップは特にIT業界での活動が活発になってきており、Amazon(アマゾン)Googleはてななどの企業がサービスのプログラムAPIを公開してバックアップし、提供企業主催のコンペテションも多数開催されるようになった。実験的な作品が多数制作され、"デジタル・アート"の新潮流となっている。同コンテストは、そのマッシュアップの技法を用いたデジタル・アート作品を対象にしたもので、新しい制作・表現手法の「芸術領域でのインパクト」に注目だ。


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(大賞:岡村直明 「s.b.p.v_goo_yahoo」)


大賞に選ばれた岡村直明氏の作品は、「gooウェブ検索最新キーワード」のAPIを利用し、8方向に広がる円をクリックすると「gooウェブ検索」で検索された最新キーワードと、それに対応し検索された画像が表示され、その動きに合わせて効果音を奏でるという作品だ。キーワードと音、特徴的な映像パターンが醸し出す不思議な魅力が高く評価されたようだ。


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(高木完特別賞:村田篤史 「FOUND 404」)


僕が注目したのは、審査員の高木完氏が表彰する高木完特別賞を受賞した村田篤史氏の作品だ。高木氏がエレクトロな感覚にマッシュアップのルーツであるヒップホップを感じたというこの作品。入力したキーワードはもちろんのこと、gooの注目ワードを基に検索された画像がコンピューター・グラフィックスによって制作された折り紙のロボットに変形し、入力したキーワードをぼやいてくれる。


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当サイトでは、特別コンテンツとして世界中のマッシュアップ作品のリンク集を提供している。その中で衝撃を受けたデジタル・アート作品をご紹介。「Cornelius x Merce Death x polo-Really x Google Map x YouTube」は、ミュージシャン・コーネリアスの「SENSUOUS(センシュアス)」という曲のミュージックビデオ・コンテストで発表された作品。作品名の通り、Google MapやYouTube等のAPIを複合して制作された当作品は、映像と音楽が見事に融合し、ユーザーがインタラクティブに映像を操作できる芸術的なミュージック・ビデオだ。


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2008年03月24日

Windows Live Hotmailのキャンペーンで目玉のおやじWebカメラが当たるらしい



Windows Live Hotmail と メッセンジャーのキャンペーンで、「まいこと話してプレゼントをゲット!」みたいな企画をやっているみたいなんですが、なぜかそのプレゼントの中に「目玉のおやじWebカメラ」があるじゃあないですか・・・
(トミモトリエにプレゼントすると喜ぶものとして常に右のサイドバーに表示させているけど未だに誰もプレゼントしてくれないアレです)

このキャンペーンのプレゼントの一つである「目玉おやじWebカム」は、hiniclipさん で紹介されていたもので、プレゼント企画段階でhiniclipさんのブログを参考にさせていただいたものです。
Via:インターネットマーケティングの疑問

って、まさかこんなマニアックな商品を、マイクロソフトさんにプレゼントとして参考にしていただけるとは思いませんでした(笑) これは応募するしかないじゃないか!!
  

2008年03月24日

普通の言葉ではなそう

今日の東京は雨。少し肌寒いくらい。花粉の量も穏やかで過ごしやすい。 社内で明日SEOについての勉強会をしようってことになった。そのたたき台を作ったんだけど、何を明日皆で話そうか、何を私は伝えたいのだろうというのを考えるよいきっかけになった。 資料を作ろうと色んなデータ集めたりWEBサイトチェックするとさ、とても難しい言葉が多いことに気がつく。英語3文字は多いし、なんとかテクニックやらメソドロジーやら。当たり前のように使われている言葉も実はごく一部のコミュニティでしか使われていなくて。けどその一部のコミュニティが多くの情報発信をしているからデファクトスタンダードのように言葉を操っていたり。 その狭い世界のハイパーリンクの中をうろうろしていると(wikipedia地獄)、大事な物を見失いそうになる。資料も言葉の説明、羅列になり、時系列に整理するだけで終わってしまう。そう、何も伝わらない。人の顔も見えないし、想いもわからない資料になる。 だから横文字3文字などの言葉を利用するのはできるだけ避けて、当たり前のように使っているカタカナ語も平易な言葉に置き換える。格好いい言葉でまとめることを完全に諦めてしまう。少しくらい冗長になっても文章やイメージ絵で伝える。 例えば「イテレーション開発」「反復開発」という言葉。普通に国語的に素直に感じてみよう。頭で考えるよりも直感で。 私はこの言葉には違和感があるんだ。ずーっと同じ事繰り返すという意味に感じて、いつまでも終わらない感じがしてしまう。反復横跳びとか踏み台昇降運動とか、そういうイメージもあるかな。 ではどう説明するか。 開発を2週間くらいで全て扱える小さな単位に区切って、小さな1つの物語として小さな成功体験を積み重ねていくような開発のやり方 こんな冗長な書き方をしている。言葉の定義に聞こえるかもしれないけど、大事なのは一度も「反復開発とは」って言葉を続けない事なんだと勝手に思ってる。言葉の定義として捉えるのではなくて、文章としてちゃんと言葉の裏に含まれている内容を伝える事が大事な気がする。 もちろん「反復開発って何ですか?」と聞かれれば皆応えられると思うんだ。けど、定義された言葉が強すぎるとその言葉の意味を探すのに時間がかかってしまい、本当に伝えたいことを見失ってしまうんじゃないかな。だって大事なのは”反復開発”じゃなくて、そこからもたらされるメリットだったり、その開発スタイルがあるからこそできる話し合いやビジネスの仕方になるから。 例え話が長くなっちゃった。本題に戻せば、だから今回はSEO以外には難しい業界用語は使わずほとんど日本語、ほとんど文章、ほとんど普段使う言葉。そしてできるだけ皆で話し合える問いかけ。 明日皆の反応が楽しみ。想像しているものとは違うことは確かだと思う。けど、これが今私にできること。噛み砕いて大事な事を皆で話し合えるようにすることなんだよね。 テクニックや技術論じゃなくて、これからの方針を決めるきっかけを作りたい。想いを重ねることができたら、その軸が固まったら、とんでもなく仲間は力を発揮すると思うから。 ◇ ちなみにファシリテーションやらコーチングやらにはまって勉強していたときは、その業界の難しい言葉、特に横文字を多用したブログやメールを書いてました。もちろん噛み砕く事もできず、質問されても応えられず、もがいたもがいた(w

2008年03月24日

自分は信じない。人を信じる。

問題をやたらと外部環境や方法の問題に還元して、そこへの自分自身の関わり方自体(コミュニケーション、進め方など)が問題そのものを顕現してしまっていることに気づかずにいる人が多いなかで、こうした姿勢は大いに参考にすべきではないかと思います。

鈴木氏のプロフェッショナルとしての仕事の流儀、それは「自分は信じない。人を信じる。」鈴木氏には、1人の人間が考えていることは、たかが知れているという考えがある。周囲の人間に解決策を求める中で、自分の最初の思いつきを閉まっておくことで、おのずと答えが出る。最終的に自分が思いついたアイディアに戻ってくるのではなく、周囲の意見を取り入れた別の言い方に言い換えてみるということが大切である。

問題があれば、それは他人を疑うよりはまず自分を疑うべきだと僕は思っています。他人を変えようとするのではなく、自分が変わることが大切だと思います。

そうであれば、現在の問題を外部の環境のせいにしたり、方法論のせいにしたりはどうもしっくりこない。それは自分の進め方が外部環境を変えたり、道具をうまく使いこなすにはいたっていないふがいなさを反省し、もっとうまくいく方法をとことん考えてみればいいと思います。

壊されたらまた積み重ねればいい

その意味で、上記の引用はすごく納得感がある。

ここでの「自分は信じない。人を信じる。」は、もちろん、自分に対して自信をもっていないということとは違います。
むしろ、自分に対して明確な信念・自信がない人ほど、他人や外部の環境、方法論に難癖をつける傾向があるでしょう。それは上にも書いたとおりの意味で。
自分に自信があれば、自分をいまより高めようという信念があれば、むしろ他人の耳に傾け、外部の状況に応じた適切な判断・言動を行い、よい方向に導くこともできる可能性は高くなるはずです。

いまの自分が外部の環境や既存の方法論に頼って、真に自分自身の主張だと思えることがなければ、その手法や考え方を否定されただけで、自信を喪失してしまうかもしれません。それは本当の意味での自信ではないと思います。外部の客観化されたものを頼りにしてるだけで、主観としての自分の強さを持ちえていない。「自分を信じない」というのはそういう客観化されたものに頼ってしまって、自分の主観の強さを磨こうとしない態度をつねに疑ってかからないといけないということだと思います。
壊されたらまた積み重ねればいい。そう思っていれば、それこそ積極的に他人の意見や外部の意見に耳を傾けていこうという姿勢が生まれるのではないでしょうか。いや、むしろ積極的に壊そうと思っていなければ客観にまみれた自分のなかで主観を磨きだしていくことはできないのではないか、と。

2008年03月23日

[テレビ] プロフェッショナル仕事の流儀 - 科学者・古澤明


ある物の状態が一瞬にして別の現れるテレポーテーションという映画のような夢の技術が、ミクロの世界で起きることを証明してみせた科学者・古澤明氏の回の放送分を拝見した。古澤氏は、物質は動かないが目に見えないミクロの世界の量子というもので情報が瞬間的に伝わり、移動する"量子テレポーテーション"という画期的な新しい現象を世界で初めて検証した方だ。未知の領域に挑戦する心構えを学ぶ。


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「科学は最高のスポーツである」と語る古澤氏。大学の教授はプレーヤーである生徒にとってはいわゆる監督と呼ばれる存在であり、その勝負に対して全ての責任を負う任務がある。監督である古澤氏の仕事は、研究のテーマを決定し、プレーヤーを動かすことだ。そんな古澤氏は選手達に言う。「バントはするな、ホームランを狙え」と。


研究費は主に国からの予算で納められているそうで、期限内に成果が出なければ以後研究費は打ち切りとなってしまう。1番以外は全く価値のない世界で、結果が全てであるということ、そして目的を達成するまでの過程がスポーツと似ていることから、科学はまさに、世界を狙えるスポーツだ。監督は選手達に対して、思い切りバットを振ってこいとしか言えず、彼らを信じて、バッターボックスに送ってあげることしか出来ない。研究という分野でも全く同じで、選手皆がホームランを打てる能力を備えているように、一人一人の頭脳には大差はなく、彼らの根性こそが監督して、研究員の教授として注目すべき所であると古澤氏は語る。空振りをしても得るものは確かにあるのだ。


最前線の研究の失敗率は、99パーセント以上にまで達しているそうだ。、いくら根性がある研究者でも音をあげそうな研究を行っていく中で、古澤氏が大事にしている流儀は、「失敗を楽しめ」。成功するまで失敗し続ける、これは同じく研究者として活躍している、同番組にも出演した生物学者の長沼毅氏がおっしゃっていた「した後悔」と類似している。99パーセントが失敗ならば、成功への種がそれだけ転がっているということになる。そうやって思考を180度回転させることで、新しい方策が見つかるのだろう。ちなみに、古澤氏の失敗しても意に介さずひたすら実験を楽しむ心構えはアメリカ留学時代に培ってきたものであり、向こうの研究室では実験機器を"Toy(おもちゃ)"と呼び、実験を始めるときには"Let's Play(さあ、楽しもう)"と言っていたそうだ。


失敗を楽しむ古澤氏の笑顔は、「これぞ研究!」という科学という営みが本来持っていた楽しさから生まれる笑顔そのものだった。


「どんな状況でも楽しめる、エンジョイできるというのがプロフェッショナルだと思います。どんな一見すると嫌だなあと思うようなものも楽しめるというのが重要なプロフェッショナルの要素だと思います。」 - 古澤明


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2008年03月21日

[テレビ] プロフェッショナル仕事の流儀 - スタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫


様々な分野の第一線で活躍中の一流のプロの仕事を徹底的に掘り下げるドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」のDVD第一弾で見逃した放送分をレンタルして拝見した。最も見たかったのは、宮崎駿監督の回にも登場したスタジオジブリ・プロデューサーである鈴木敏夫氏。スタジオジブリで働く1000人もの人を巻き込んでその気にさせ、それぞれの力を最大限に引き出す「鈴木マジック」の秘密に迫る。


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プロデューサーとしての鈴木氏は、映画の企画はもちろんこと、予算調達、人集め、スケジュール管理、宣伝戦略までいわば映画の始まりから終わりまで全ての責任を負う総責任者である。プロデューサーは人を動かす仕事。仕事を「祭り」にするという流儀の下、鈴木氏は億単位の金が働くビジネスの現場でさえも、みんなで楽しめる祭りに変えてしまう。人を巻き込むということは、その祭りの中にいかに引き込むかということに直結している。良い仕事とは、仕事を忘れた時にできる事であり、社内社外関係なく人と接する時は、仕事現場を踏まえた発言は伏せさせ、それぞれの力を最大限に引き出すことを鈴木氏は心掛けているという。それぞれ目的や困惑があるのは確かだが、それが全面的にでてきたら、例え1つのテーマで皆でやるのは不可能。まず、自分の仕事上の立場を忘れないと、1つのことを議論するにも土俵に立てないのだ。仕事のキャリアもそうだが、経歴はその人の本質ではない。その人の本質は別の所にあり、例えば喜怒哀楽を感じる所は別の所で、鈴木氏はそこに触れたいという気持ちが常にあるような感じがした。


鈴木氏のプロフェッショナルとしての仕事の流儀、それは「自分は信じない。人を信じる。」鈴木氏には、1人の人間が考えていることは、たかが知れているという考えがある。周囲の人間に解決策を求める中で、自分の最初の思いつきを閉まっておくことで、おのずと答えが出る。最終的に自分が思いついたアイディアに戻ってくるのではなく、周囲の意見を取り入れた別の言い方に言い換えてみるということが大切である。人の熱意を信じてみる。それが結果的に、宮崎駿監督が言う鈴木氏の魂胆でもある、"作らせているようなふりはしないで、作らせる"に繋がるのだ。


「プロフェッショナルとは、みんなの期待に応える。」 - 鈴木敏夫


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2008年03月20日

HCDプロセスにおける上流工程と下流工程の溝

人間中心設計プロセスに欠けているのは具体的なモデリングの手法」でも書いたことですが、デザインプロセスのなかで、調査・分析が主体となる上流工程と視覚化・具体化が主体となる下流工程をうまいこと結びつける具体的で実践的な方法を提示していくことがいまの課題なのかなと思っています。

ユーザー調査などによる調査・分析からペルソナ/シナリオ法を使ったユーザーとモノとのインタラクションの可視化といったところから、よりモノのデザインに近づく視覚化・具体化への落とし込みといったあたりが、いままさに意外といろんな現場で問題になっているんだと思うんです。人間中心設計・ユーザー中心のデザインのプロセスを導入しようとしたのはいいのだけれど、そのあたりがどうもうまくいかない、どうしたらいかないというケースはあるんだろうなと

シナリオから要件に落とし込めなかったり、さらにいえば要件をプロトタイプを使って精査していく作業ができなかったり。そのあたりに具体的なプラクティスがないばかりに、調査・分析が主体となった上流工程と視覚化・具体化が主体となった下流工程に溝ができてしまっている。さらに具体的なプラクティスがないというところに加えて、職能の分業が調査・分析はわかるけど視覚化・具体化についてはわからない、また、その逆もという状況を生んでしまっている。こうなるとたちが悪くて、作業工程の溝に人間関係の溝が絡んできてしまいます。これはやっかい。特に組織が大きくなればなるほど。

2008年03月19日

[本] 「みんなの意見」は案外正しい - Wisdom of Crowds


邦題の 『「みんなの意見」は案外正しい』というタイトルだとピンと来ない人は多いかもしれない。原題は「The Wisdom of Crowds(ウィズダム オブ クラウド)」。梅田望夫氏の「ウェブ進化論」でも話題になった"群衆の叡智"というキーワードの基となった書籍だ。


これからのネット世界を考える上で「Long tail(ロングテール)」と並んで重要なコンセプトだと思うのが「Wisdom of crowds」である。 - Wisdom of crowds - My Life Between Silicon Valley and Japanより


「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい


タイトルから想像してしまうような浅い内容ではなく、学問で言うと「行動学」・「心理学」・「経済学」・「組織行動学」を交えた実践的な内容が多く、読んでて非常に楽しかった。簡単に要約すると、「ある条件」を満たせば「みんなの意見」が「最も賢い個人の意見」より正しくなるということを主張している。本書では一見するとバラバラだけれど実は根本的には似通っている現象(株式市場や高速道路、民主主義社会など)を複数取り上げ、それぞれの条件の必要性と考察についても章を割いて述べられている。


著者のスロウィッキー氏は、集団が賢い判断を下すには、以下の4つの用件が満たされていなければならないと語る。


  • 意見の多様性(各人独自の指摘情報を多少なりとも持っている)
  • 独立性(他者の考えに左右されない)
  • 分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)
  • 集約性(個々人の判断を集計して集団として1つの判断に集約するメカニズムの存在)


多様で、自立した個人から構成されるある程度の規模の集団に予測や推測をしてもらうと、その回答を一人一人の個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺される。なぜなら、個人の回答には情報と間違いという2つの要素が存在し、集団で回答を出す過程において間違いを引き算したら情報のみが残るというわけだ。個々人によって成り立っている集団の多様性は肌の色、服装、髪型といったな外見的な多様性ではなく、認知的多様性、つまり本質的な意味での考え方の多様性のことである。同じ基本コンセプトを少しづつ変えただけのアイディアよりも、発想が根本から違う多様なアイディアをでてくるように、起業家の発想のような認知的多様性が必要なのだ。


多様性には2つの側面で集団に影響を及ぼす。1つは新たな視点が加わり、集団の意思決定が持つネガティブな側面を弱めたりできるということだ。一貫的な知性ではなく、問題を多角的に検証する視点の多様性が加わることで、似通った情報ではなく分散化された情報を得ることが出来るのだ。更に認知的多様性は、個々のメンバーが自分の本当の考えを言いやすくする環境を整えてくれる。多様性は独立性の確保に不可欠なのだ。群集全体の行動からは独立した行動をとる人が十分揃わなければ、過ちが起きる可能性もかなり少なくなると言う。


みんなの意見が優れているのは、多様な考えを持つ人々がそれぞれ自分の私的情報に基づいて独自に判断した場合でもある。自分が持っている私的情報だけに基づいて判断を下すということは、不完全な情報に基づいて判断を下す場合と同じである。そのため、私達人間は他人の持つ情報を信用し、正しい判断を下すようになるのかという疑問が浮上する。「ウェブ進化論」においても、最後に梅田氏が「あちら側」と「こちら側」という考え方と組み合わせるもう1つの軸として提示していたのが「不特定多数無限大への信頼」というポイントだ。


『「コンピューターの私有に感動した」世代と、「パソコンの向こうの無限性に感動した」世代の決定的な違いは何か。1つは、ネットの「こちら側」と「あちら側」の違いだ。これは主に技術と事業構造の違いだから、比較的わかりやすい。もう1つが「不特定多数無限大を信頼できるか否か」の違いである。これは心根の問題であるからわかりにくい。』 - 「ウェブ進化論」pp223


しかし、市場は人々にお互いを信頼するようには教えないかもしれないが、お互いを信頼しやすい環境を整えてくれることは確かである。一番望ましいのは、個人が持つローカルな知識と私的情報を集約して集団全体に組み込めるようになっている状態だ。個人の知識をグローバルに、そして集合的に役に立つ形で提供できるようにしながらも、その知識が確実に具体的でローカルで有り続けるようにしなければならないのだ。みんなの意見は必ずしも正しいわけではないが(案外正しい)、民主主義のようにどのように私達は共生できるのか、どのようにすればみんなの利益になるように力を合わせられるのか、という問いに答える力を貸してくれるのだ。


「民主主義の下に生まれたみんなの意見に集団の知恵が現れないこともある。けれど、民主的にみんなの意見を聞くということに集団の知恵が現れているのである。」 - pp282


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