TOP>教会・聖書

2012年05月26日

7周年だそうです。

 さっきメールを開いたら、Biglobeさんからこんなメールが届いていました。
○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
  ブログを開設してから、もうすぐ7周年!!
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○

ウェブリブログに登録してから、あと2日で7周年になります。
ウェブリブログ事務局のまーさです。
ご利用いただき、ありがとうございます!

Tama’s ゴスペラー日記
http://tamak.at.webry.info/


この7年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・

263391 件 になります。


過去のブログを振り返ると、昔の自分が考えたり感じていたことから新たな気づきが生まれたりするものです。

最初に書いた記事は "愛と励まし" でしたね
  http://tamak.at.webry.info/200505/article_1.html

2年目は "出会い・・・神様の意図" でした
  http://tamak.at.webry.info/200605/article_11.html

3年目は "ペンテコステ" でした
  http://tamak.at.webry.info/200705/article_8.html

4年目は "別れは寂しいけど" でした
  http://tamak.at.webry.info/200805/article_8.html

5年目は "死も、悲しみも、叫びも、痛みも" でした
  http://tamak.at.webry.info/200905/article_7.html

6年目は "酒が好きなクリスチャンへ" でした
  http://tamak.at.webry.info/201005/article_6.html

7年目は "イキなお知らせ ブログ開設6周年の感謝" でした
  http://tamak.at.webry.info/201105/article_7.html

ブログを始めてから、あなたのライフスタイルは変わりましたか?
ぜひ、今の思いをブログに記録しておいてください。

後で見直すと非常に貴重な記録になります。

*****************************

 お願いもしていないのにこういう風に知らせてくれるっていうのはいいですね その年その年の出来事や自分の気持ちがよみがえってきます。

 ちなみにブログを開設した7年前の5月にはどんなことがあったのかなぁ・・・と思い起こしてみました。

 そうしたら、世界アッセンブリー大会という3年に1回の大会がオーストラリアのシドニーであり、日本からは当時教団理事長だった佐布先生を団長に参加ツアーが組まれ、私が手配・添乗で15人くらいの教職・信徒の方をお連れしたことを思い出しました。

画像
              (オペラハウスをバックに)

画像
              (会場のヒルソングチャーチ前で)

 会場は世界的にその賛美で有名な Hillsong Church.
 当時も今もそうですが、「ヒルソング」というのがワーシップソングの1ジャンルに数えられてしまうくらいに、この教会で生み出された新しく洗練された賛美は世界中の福音派教会で広く歌われていますが、オーストラリア・アッセンブリーの基幹教会であることはあまり知られていません。
 私もその賛美を期待していましたが、当時ゴスペルミニストリーを始めて3年くらいたっており、アメリカのブラックゴスペルを生で何度も体験していた自分としては物足りなく感じたのを覚えています。

画像
画像


 しかし、全世界から集まったアッセンブリーの教職・信徒たちが主をほめたたえ、賛美し礼拝しているその中に浸り、特にイランなど迫害下にある国の代表の証を聞き、励まされ力が与えられました。
 またHillsong Churchのスタッフのホスピタリティーにも感動しました。

 そんなこともあって帰国後は、ゴスペルミニストリーで日々経験させられている生ける神の御業を広く証しなければ
 という思いでブログを始めたように思います。

 ちなみに余談ですが、このツアーに参加した一般信徒から相原恵子さん(現 天塚キリスト教会伝道師)、神山茂紀さん(中央聖書神学校3年)が献身。私も今神学生になりましたから、すでに神のご計画が着々と進行していたんですね。

 それから7年。

 神の素晴らしさとその恵みは日々新たに増し加わり、まだまだ書き足りません

 なので Tama’s ゴスペラー日記は当分続く予定です

おまけ。
最後にレアな3ショットを

画像


応援クリックお願いします(^^)/⇒にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

2012年05月24日

Uncloudy Day - Beverly Crawford (Apostle Murray's Homegoing Service) みそらのかなた(聖歌)

聖歌644番 み空のかなた をブラックゴスペルのモードで心から歌うとこうなります。主任牧師を天国に送る教会会衆の賛美です。神にある一つの共同体その...

2012年05月24日

金環日食フィーバー

 5月21日の朝、いつもの時間に起きてテレビをつけると、「金環日食まであと20分30秒!」というテロップが流れている特別番組になっていました。
 そしてどのチャンネルに変えても日食騒動でありました。
 そういえば先週あたりから日食があるという話はなんとなく耳にしていましたが、お恥ずかしい話、それが具体的にいつなのかということをまったく意識していなかった私は、今更ながらそれが932年ぶりに日本の広範囲で金環日食が観測されるという歴史的な日だ、ということを知ったのであります

 それで朝食をとっているうちにカウントダウンが始まり、テレビに日食が映されたので、窓を開けて空を見てみると、ちょうど薄雲に太陽が覆われていて、肉眼できれいに金環が見えました

画像


 それはそれで「すごいなー」と思ったのですが、それよりも驚いたのが、国民の盛り上がりぶり。
 台東区の浅草界わいには、明日22日に開業する「東京スカイツリー」と金環日食の「夢の共演」をひとめ見ようと、早朝から、多くの人が詰め掛けた。このうち、日食の太陽とスカイツリーが重なる好位置として注目された、隅田川にかかる吾妻橋周辺には早朝から200人以上の親子連れなどが訪れ、カメラなどを手に「そのとき」を待った。
 金環食の瞬間は薄い雲に覆われたものの、観察にはもってこいのコンディション。天気予報を参考に、観測地を静岡県から東京に急きょ、変更して駆けつけた岡山県倉敷市の小学校3年生、白川聖人君(8)は「見られてよかった。リング状になったところがきれいですごかった」と、お母さんと一緒に喜び合った。
(産経ニュースより)

 午前7時半ごろ、滋賀県東近江市で20代女性が運転していた車が信号待ちの車に追突した。女性は県警に「日食が気になって太陽をちらちら見ていた」。京都府京丹後市でも女性の車が信号待ちの車に追突。女性は「日食を見ようと空を見ていた」と話したという。
 午前10時ごろには、三重県四日市市のドイツ国籍の女性から「夫が富士山で遭難した」と静岡県警に通報があった。夫(40)は日食観測で富士山に登り、 登頂後の同日朝に体調を崩したと妻に携帯電話で救助を要請した。男性は日食を中継していた企業のテントにいるといい、県警などは22日朝に救助に向かう。
(朝日新聞WEBニュースより)

 この規模のものは生きている間には見られない稀有な事らしいので、こういう騒ぎになるのは仕方ないのでしょう。
 私ももちろん感動はしましたが、真冬の厳しい寒さが続いても春が来ると、死んでいたようなモノクロの桜の木にピンクの花が一気に満開になることや、今日のようにからっとしたさわやかな空気の中、緑の木々が風にそよいでいるさまなど、

画像
              (今日の秋ケ瀬公園・埼玉県)           

日常の何気ない自然の営みに大きな感動を感じてしまうので、金環日食もそのひとつという感覚なのかもしれません。
 どれも決して人手では叶わないことですからね。

 とにかくそういった自然の摂理、自然の偉大さ、美しさ、厳しさという面を見るにつけ、知るにつけ、創造者なる唯一真の神を思わずにはいられなくなるのです。
 こういうことを神の「自然啓示」と言うのは、先日、5月8日のブログでも説明させていただきました。

 ともあれ日本列島を駆け巡った金環日食フィーバーを見るにつけ、日本人にも明らかに神を感じ、感動する感性がしっかり植えつけられていることが、私の心にははっきりと刻み付けられました。言い換えるなら、自然啓示を受け取る感性ですね。
 
 
 ところで、世界中で賛美されている How Great Thou Art という聖歌があります。ゴスペラー日記著者としてはヨランダ・アダムスのバージョンでご覧頂きたいと思います


O Lord my God,
When I in awesome wonder,
Consider all the worlds
Thy Hands have made;
I see the stars,
I hear the rolling thunder,
Thy power throughout
The universe displayed.

And when I think, that God,
His Son not sparing;
Sent Him to die,
I scarce can take it in;
That on the Cross,
My burden gladly bearing,
He bled and died
To take away my sin.

Then sings my soul,
My Savior God, to Thee,
How great Thou art,
How great Thou art.
Then sings my soul,
My Savior God, to Thee,
How great Thou art,
How great Thou art!

When Christ shall come, With shout of acclamation,
And take me home,
What joy shall fill my heart.
Then I shall bow,
In humble adoration,
And then proclaim: My God, how great Thou art!"

聖歌480番「輝く日を仰ぐとき」

?輝く日を仰ぐとき  月星眺むるとき
  雷鳴り渡るとき  真の御神を思う

     我が霊(たま)いざ称えよ  大いなる御神を
     我が霊(たま)いざ称えよ  大いなる御神を

?森にて鳥の音(ね)を聞き  聳(そび)ゆる山に登り
  谷間の流の声に  真の御神を思う

?御神は世人を愛し  一人の御子を下し
  世人の救いの為に  十字架に架からせたり

?天地(あめつち)造りし神は  人をも造り変えて
  正しく清き魂 持つ身とならしめ給(たも)う

 この賛美が造られた経緯はこうです。
 スウェーデンのカール・ボバーグ牧師が、ある時田舎を訪問したとき、真昼の時刻にもかかわらず突然雷を伴う嵐に見舞われました。それが通り過ぎた後、輝かしい太陽が照り輝き、美しい虹がかかり、森の中から鳥のさえずりが聞こえてきたとき、彼は思わず大地にひざまずき、豊かな自然を創造された神を賛美しました。
 この体験がこの詩となったのです。

 自然啓示に感動しただけでは人は救われません。
 
 天地万物を造られ、支配しておられるのが神であり、その神のひとり子イエス・キリストが救い主であると言う聖書の「特殊(特別)啓示」を受け取り、信じることで初めて人は救われます。
 この賛美はまさに「自然啓示」から「特殊(特別)啓示」へという、人が 本来たどらなければならないプロセスが歌われているのですね。
 日本の歴史的背景、文化的背景は「自然啓示」⇒「特別啓示」に至る⇒の距離を遠くし、その道のりを険しくしています。でも失望してはいけない

 「自然啓示」に敏感な日本人だから、必ず救いを受け取ることが出来る 

 そう信じてゴスペルミニストリーを進めて行きたいと思った今回の金環日食フィーバーでした。

クリック応援お願いします(^^♪⇒にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

2012年05月12日

GMWC2012終了いたしました。

日程:2011年5/3-5  会場:アクトシティ浜松研修交流館、ライフリバーチャーチ浜北 第8回目は、初の県外開催!静岡県のアクトシティ浜松で5/3-5の3日間を過ごしました。 マスクワイアディレクターは、愛知県を中心に活躍するWarren Alston氏。 今回は新しい試みとして、地域間の交流を促進するための地域別クワイアとして静岡、愛知、三重、岐阜チャプターを編成。 また、中部地...

2012年05月11日

聖なるオヤジ臭

 5月3日から5日の3日間は、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の全国聖会が3年ぶりに川口リリア大ホールで開催されました。

 私は最終日の午後こそ、ゴスペルコンサートの出演者としての参加になりましたが、神学生として会場係りの奉仕で「仕える」ということを学ばせていただきました。

 かつては中央福音教会に派遣神学生として来ていた全国に散らばっている先生たちとの再会、という長く信仰生活を送ってきたことのご褒美のようなシーンや、

画像


 神学生が本科生・通信科生合同でオリジナル賛美をさせていただいたことなど(上の写真)、印象的なシーンは色々あったのですが、特に感動したのは男性と女性が分かれて開催された「男性聖会」でした。
 女性は大ホールで開催でしたが、男性はなんと一番大きい楽屋での開催。
 一番大きいといっても楽屋ですから、椅子をぎっしり100並べると満員電車並みにぎゅうぎゅうの状態です。そこに次々と壮年の男性たちが集まってきて、私たち会場係りは急遽他の部屋から椅子を運んできたり、いったん座った皆さんに改めてお詰めいただいたりで汗だくになってしまいました
 それでも間に合わずに、最終的には立ち見も20名くらい出てしまいました・・・。

 日本のクリスチャン人口は久しく1%と言われており、その中で礼拝出席している人はその半分くらいではないかと想定されています。0.5%の中での男女比はおそらく4:6くらいではないかと思われますので、男性クリスチャンというのはマイノリティー中のマイノリティーなんですね。
 しかも社会の第一線で働いている壮年層となるともっともっと少なくなってしまうのです。

 そんな状況下で、全国のアッセンブリー教会から集められた120名くらいの男・男・男の熱気が楽屋中に充満
 賛美が始まると野太い声が狭い部屋に響き、手を上げて神を崇める光景は壮観でしたねぇ

 私は労組の役員を長年やっていて、特に交通関係の団体の会議に出席すると見事にオジサンばっかりという経験をたくさんしています。そういう集まりに行くといつも、加齢臭とタバコのヤニの臭いで会議室内に入ると吐き気を催すくらいでした
 ところがこの楽屋はどうでしょう
 集まっている年齢層とオヤジばっかりということに何ら変わりはないのに、加齢臭もヤニの臭いもまったくしません。それどころか神の栄光の雲が部屋中に満ちて、聖なる香りが漂っているような気さえしました

 集会では3名の信徒さんが証をしてくださいました。
 旧国鉄の博多駅長まで務められ、退職して教育や地域への貢献に携わりつつ信仰の継承もしっかりされておられる方。
 大きなハウスメーカーに勤務しながら、日曜日に休める部署で働けるように仕事に創意工夫をしてトップ営業に登りつめ、社内ではキリスト者として一目置かれるようになったという方。
 長年学校教育に携わり、教員から校長、教育委員会のトップの立場で不登校や自傷する子供たちに向き合い続け、福音を伝えるために地域のの校正プログラムを始めておられる方。

 どの方の生き様にも感動しました。そして励まされました。
 なぜなら、自らの人生の主人公はキリストであり、キリストの憐みによって生かされているという謙遜が根底にあるがゆえに用いられているからです。
 その結果、社会に良い影響を与えるクリスチャンになっておられます。

 教会には社会に適応できなかったり、心の病を抱えて駆け込んでくる男性は多いですが、社会でバリバリ働いている男性はほとんど来ません。
 その原因は、日本社会に根付く自己実現至上主義や汎神論的価値観やさまざまな要因が考えられますけれども、魅力的な男性クリスチャンが少ないからというのも大きな理由ではないかと思わされます。
 「魅力的」というのはまさに証してくださった方々のように「社会に良い影響力を与える」という意味であります。

 聖書からのメッセージは、溝の口キリスト教会仁井田義政先生。

画像

 創世記12章、アブラムが75歳になって神から召しを受け、どこに行くかもわからないのに出て行った信仰に対し、神が
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
(創世記12:2)

 と約束してくださった記事からでした。
 これは「いい年をした」壮年に対するチャレンジですよね。
 ここでは年齢に関係なく神の呼びかけに従う信仰が求められていることがわかります。しかしそれは容易なことではありません。
 壮年ともなれば重ねてきた人生経験によって考え方が凝り固まっています。もう人生の終幕に向けて準備にとりかかる時期でもあるのに、新たな召しに聞き従い一歩を踏み出すことは相当なエネルギーがいるわけです。
 でもアブラムは一歩踏み出しました。その結果神は99歳()のアブラムにイサクという子供を与え、彼をアブラハムと改名させてユダヤ民族の父祖とし、その系図にダビデ、イエスが連なるようにしてくださいました。
 そんなアブラハムですが、決して完璧な人だったわけではなく、神が老妻サライに子供を授けると約束されたことを信じることが出来ずに、妻の勧めで召使いの女・ハガルと交わって子をもうけるという過ちも犯してしまいます。

 疑う。

 過ちを犯す。


 その姿は私たちと同じだったのです。
 しかし神はそのような者に目を留め、信仰によって義として下さる方なのです。

 アーメン

 このメッセージで、120名のオジサンたちは大いに励まされましたね

 全国には幼子のように主を信じるオジサンたちがこんなにいるじゃないか

 集会が終わると楽屋の後ろと廊下に机を出して、ペットボトルのお茶やコーラやジュースでささやかなおもてなしをさせていただきましたが、先ほど例に出した組合の会合だと、会議が終われば決まってビールで乾杯してのドンチャン騒ぎ。それと比べちゃいけませんが、その聖いというか微笑ましい光景に、 

「キリストを中心にした集いっていいなぁ・・・」

って心から思ってしまいました。そして同じ「オヤジ」として、もっと日本の「オヤジ」のためにもっと祈り、導かなきゃいけないなと反省させられました。


よろしかったらクリックお願いします(^^)/ 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

2012年05月08日

前記事「教会のゴスペルミニストリーの変革」へのコメントから

 前の記事「教会のゴスペルミニストリーの変革」へ、ベテルキリスト教会(埼玉県日高市)牧師・大坂太郎先生より以下のコメントを頂きました。 
 画像  
 興味深く読ませていただきました。
 要は自然啓示特殊啓示の間のことなわけです。

 特殊啓示を受けて書かれた賛美やゴスペルは当然のことながら自然啓示の中にもそれなりの説得力(!)を持つので、クリスチャンのみならず多くの人に好まれるわけですが、そこで気をつけないと単なる音楽の1ジャンルになってしまうわけです。
 そうすると最後は「世」に取り込まれてしまう。そうならないためにも、教会でゴスペルミニストリーを展開する場合には福音真理の本質がいつも想起(アナムネーシス)されるような機会を持たなければならないというのは必然的な帰結でしょう。

 もし一種のミニストリーとしてゴスペルを捉え、活動するのなら「世と分かたれ、世の中で、世のために」働くキリスト者のあり方をいつも握っておくことです。
 神学、やはり大切だと思います。

 神学用語が散りばめられており、少々難解なところもあるかもしれませんので解説をします。

 「特殊啓示」とは、はっきりと神が特別な方法で私たちに神を知らせた啓示です。特殊啓示には聖書と・イエス・キリストがあります。
 神は目に見えません。神の声は耳に聞こえません。しかし聖書を読む時、聖書から私たちは神の声を聞き、神を知ることが出来るのです。そしてイエス・キリストを見るときに、私達は真の神を知り、神の真の姿を見るのです。
 「自然啓示」とは一般啓示とも言われ、だれもが理解できる方法で、神がいらっしゃることを神は教えてくださることです。例えば、どんなに寒い冬が続いても4月には桜が満開になるという自然の営みに神の御手を感じる… また美しく感動的な音楽の中に神を感じるということなどもそうですね。

 ゴスペルミュージックは、作者が聖書によって、また個人的にイエス・キリストに出会うことによってインスパイアされて生み出されます(特殊啓示)。
 それを演奏する者、歌う者は、すでに神からの啓示を受けている音楽に浸ることになるので、自然啓示という形で心が震え、満たされ、癒されるということがクリスチャンでなくても起こりうるということなんですね。
 
 このことをミニストリーを行っている側が理解していないと、音楽の1ジャンルに留まってしまう危険をはらんでおり、神学を学ぶことはとても重要だと先生は指摘されています。

 もちろん神学だけいくら学んでも愛がなければミニストリーは出来ません。
 愛を説くという意味においては多くの教会のゴスペルミニストリーで積極的に取り組まれていると思います。しかしこれだけで終わってしまっているのも現状であり、それを打破する必要があります。
 そのためにはこれに加えて神学的理解を深めなければなりません。そして集められた愛するひとりひとりに福音を明確に伝え、悔い改めに導き、救いを体験する場となることがこれからのゴスペルミニストリーに求められているのではないでしょうか。

 大坂先生 ありがとうございました。

よろしければクリックをお願いしますm(__)m にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村


 

2012年05月01日

教会のゴスペルミニストリーの変革

4:2御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。 4:3人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、 4:4そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。 4:5しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
(テモテへの第二の手紙4:2〜5)

 前回のブログでは、教会で行われているゴスペルミニストリーの弱点について少し述べさせていただきました。

1.牧師・伝道者が主体的に運営に携わっていないこと。

2.聖書のメッセージが定期的に語られていないこと。


 ざっくりとまとめるとこの2点です。もちろんしっかりそれが為されている教会もありますが、そうではない教会も結構あるということです。
 Gospel(福音)とは本来 God Spell(神の言葉)であり、Good News(良き知らせ)のことなのにそれが語られ、伝えられていないということになります。

 ではGospel(福音)の内容はどういうものでしょうか?
 これをすごーく簡潔にまとめると、救いの3ポイントになります。
1.唯一真であり、天地万物を創造された全能の神がおられる
 この神によって人間も造られました。しかも神の似姿で、神ご自身の息を吹き入れられて生きた者とされたのです。ですから神が造られた全被造物の中で人間だけが霊的な存在であり、神と唯一交わることの出来る存在です。
 神は人をご自身と交わることの出来る愛の対象として造ってくださったのです。

2.人間はすべて罪を持った存在である
 最初の人アダムとその妻エバはエデンという何不自由ない場所に住まわされました。しかも神のロボットではなく、自由意思を与えられた存在として。しかし彼らは蛇(悪魔の象徴)の誘惑に負け、自由意思を逆手にとって神から唯一禁じられていた「善悪を知る木の実」を取って食べてしまいました。
 これが人類最初の神に対する背きでした。これを聖書は「罪」と言います。
 「罪」の結果、人はエデンから追放され、一生の労働や生みの苦しみを持つこととなり、何よりもその裁きとして「死」が与えられてしまいました。
 神に背を向ける、神から離れるという「罪」の性質は以降人間のDNAの中に刻まれて現在に至っています。

3.イエス・キリストによる贖罪、そして信仰により救われる
 神は全く聖い方なので、人が神に背く、神から離れる性質のままでは裁きと死から免れる事は出来ません。そこで神は人間を愛するがゆえに、ご自身の子としての性質を持つイエス・キリストを神であるのに人として生まれさせ、十字架という刑罰によって人の罪を負わせられました。
 人はイエス・キリストこそが自分の罪を負い、自分の身代わりになって刑罰を受けて下さったと信じることで、神から罪の赦しを得ることが出来るのです。
 しかもイエス・キリストは死後3日目にからだを伴って復活されました。それゆえに彼を信じる者はその信仰によって罪赦されて永遠に生きる者とされるのです。

 この3点がすべてそろっていないとGospel(福音)ではありませんが、そのことを知っている人がゴスペルソングの歌詞を解説し、メッセージしなければ、「かっこいい」、「感動的な」、「美しい」、歌を大きな声でみんなとひとつになって笑顔で歌うことが出来た ハレルヤ で終わってしまいます。
 
画像

 
 また日本のゴスペルミニストリーは、クリスチャンではない人に何とか教会に来てもらいたいと願いつつ行われていますから、教会の敷居を低くするために特に愛や癒しについて多く語られがちです。
 もちろんそれは真実ですから語られるべきことです。しかし神の愛は受け取らなければ意味がなく、受け取らなければ霊的な癒しもありません。

 冒頭に掲げたテモテへの第二の手紙4:3〜4に記されているように、耳触りの良い感動的な話や面白い話ばかりしていて、救いと裁きについて語らなければそれはGospel(福音)ではないのです。
 しかしこのことを語るには勇気がいります。
 誰しも「裁き」の話など気分が悪くなるし、聞きたくありませんから。でもイエス・キリストは多くのたとえ話をされましたが、そのほとんどの話が救いと裁きをセットにしたものであることにお気づきでしょうか?
 たとえば有名な99匹の羊と1匹の迷い出た羊の話。
15:4「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 15:5そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 15:6家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 15:7よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
(ルカによる福音書15:4〜7)

 なぜ迷い出た1匹の羊を見つけ出してこんなに羊飼いは喜ぶのでしょう?
 それは迷い出たら羊は狼などの動物に襲われるか、元の場所に戻る能力がないため餓死してしまうかで、絶対に生還することがないからなのです。だから探し出して見つかったらこんなに喜ぶのですね。
 羊飼いはイエス・キリストのことですから、イエスから離れていったら永遠の滅びに向うことだよ、という真理がそこにあるわけです。
 でもほとんどの場合は、迷った羊を探し出す愛についてしかスポットが当たりません。もちろんこれも素晴らしい真理ですが、両面が正しく語られなければGospel(福音)ではないのです。

 しかしこれはまだいい方で、牧師や伝道者が主体的にゴスペルミニストリーにかかわっておらず、ディレクターやリーダーも聖書の真理についてよく学んでいなければ、Gospel(福音)の片方ですら語られないこともあります。とても残念なことですが・・・
 その場合はどんな状態になるのか。

 まずみんなに歌ってもらうことが第一の目的になります。良いハーモニーを作り上げることや音楽としてのクオリティーをアップさせることが目的になりますね。その延長線上にはお披露目的なコンサート、イベントの開催。
 そしてメンバー同士の交流。福祉施設への慰問、地域のイベントへの参加といった社会貢献活動にも主眼が置かれます。
 そして

「みんなの一体感が最高でした〜

「お客様の声援、笑顔が素晴らしかった

「横のつながりが深まってますますみんなが好きになりました


 そんな感想で盛り上がったりします。
 ノンクリスチャンの人たちにとってこれらの経験はすごく大事だと思います。みんな良いことです。でもミニストリーとして教会がやっているのなら運営側やクリスチャンはこれだけで留まっていては絶対にいけません。
 ましてや、リハーサルの後やイベントが終わった後、「打ち上げ」と称して居酒屋などに行って飲み会をするくらいなら、そんなミニストリーはやめた方がいいです。
 それは教会ではなく、一般のサークル活動と同じだからです。

 これはかつて私自身が犯してきた過ちでもあります。聖書のメッセージは常に語っていただいていたにも関わらず、リーダーである私の未熟さゆえに世の価値観に迎合していた時期がありました。
 ヒューマニズム的な観点から言ったら、「そんなの律法的すぎると批判されるでしょう。
 でもミニストリーには人の生死がかかわっていることを忘れてはいけません。救いの裏側には裁きもあるのです。
 「愛」だけいくら語っていても救いとは直接関係なく、「神」を認めさせ、「罪」を示し、「悔い改め」を促して、「信仰」に導かなければ人は救われないのです。

 強制的に、人が嫌がるのに無理やり一方的に救いと裁きを語るのは愛と配慮がありませんが、聖霊の知恵と導きを求め、いつでも適切にGospel(福音)を語り伝えることの出来るミニストリーでなければ存在価値は少ない。
 教会はイエス・キリストをかしらとしたキリストのからだです。
 そのからだがゴスペルミュージックを通じて真のGospel(福音)を伝えていないのなら、からだを汚すことになりかねません。

 何とかしてゴスペルミニストリーに携わっている教会が祈り合い、励まし合って、愛する日本人の魂が一人でも多く救われるように仕えていきたいと強く願っています。


最後に・・・
これは特定の教会や団体を想定して批判している記事ではありません。ご理解いただければ幸いです。


よろしかったらクリックお願いします。にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

2012年04月14日

豪華なイースター賛美集会

 我が教会の今年のイースターは久々にコンサート形式で、JESUSの復活の喜びに満ちた時間を多くの人たちと共有することが出来ました
 佐布先生の入院後最初のイースターと言う事もあって、先生のテンションも特に高く、集会のプロデュースを全部ご自身でされました。だから会衆で歌う賛美の多いこと多いこと
 JESUSの復活と、ご自身の肉体の癒しが今年ほどオーバーラップしたことはなかったんじゃないかな・・・と私は勝手に想像しているのですが・・・

画像


 ICGCも久々にリハ以外で賛美する機会が与えられました。
 曲はもちろんイースターにちなんだ Lord I Lift Name on High, そして Because He Lives(主は今生きておられる)の2曲。
 今回はいつもの義宣社長にドラムのヒデ、ベースの竜之介も加わり、ICGCオリジナルのバンドがいよいよ固定化してきたなぁ・・・という感慨も。




 そして草加神召キリスト教会のシュンさんの後押しで実現した4年ぶりの父娘デュエット。
 この4月からわが娘は看護師として新社会人デビューでした。
 看護師になると決めてからは勉強に実習に追われ、ゴスペルからも離れざるを得なかったんですが、彼女がICGCに在籍していた時に賛美した Above All はまさにJESUSの十字架を歌った賛美ですから、導きを感じながら前に立ちました。
 
画像


 しかしやはり血のつながった親子なんでしょうか。先週の礼拝後に1回、そして本番5分前に駆けつけてきた娘とほんの一瞬しか合わせられなかったんですが、呼吸が合うんですよね。不思議です。



 これからもっともっと娘は忙しくなると思いますから、こういう機会はなかなか持てないと思っていますから、シュンさんを通して神が素晴らしい機会を与えて下さったと感謝しています

 
画像


 そのほかにも礼拝のピアニスト&クラリネット奏者の姉妹たちの演奏、

画像


 日曜学校教師の姉妹たちの賛美、

画像


 青年部有志の賛美、

画像


 そして塩谷達也の黒人霊歌 Were you there? の熱唱。



 聖歌隊のクラシカルかつ力強い賛美。



 とにかく賛美・賛美・賛美に満ちた豊かな喜びの礼拝となりました
15:3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 15:4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 15:5ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。 15:6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。 15:7そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 15:8そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。 (中略) 
 15:14もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。 15:15すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。 15:16もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。 15:17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。 15:18そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。 15:19もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
15:20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
(コリント人への第1の手紙15:3〜8、15:14〜20)

 パウロは力強い筆致でこう断言しています。
 私たちクリスチャンにとって、JESUSの復活はこれだけ重要であり信仰の中心と言っていいことなのです。ただのイベントで卵探しをして遊ぶ日ではないのです。
 
 彼の復活は私の罪の赦しの証明であり、永遠の希望です。
 
 これを受け取った時に、賛美が絶えなくなる・・・ これがイースターです。

 
画像


 賛美集会の後は、教会前の満開の桜を愛でながら、教会員手作りのケーキやお菓子を頂き、イースターエッグをもらって喜びを分かち合いました。
 この時には会社のゴスペルクラブメンバーも合流し、再び賛美がスタート

 本当に素晴らしい2012年のイースターでした

クリックお願いします(^^)/ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

2012年03月31日

めったにない父娘での賛美

 先日娘の看護師国家試験の発表があり、見事合格。
 あまり落ちない試験らしいですが、これで彼女も晴れて4月から社会人デビューとなりました ただただ主に感謝であります
 そのことをFacebookでつぶやいたところとても多くの方々から祝福を頂き、それだけでも感激だったのですが、草加神召キリスト教会のゴス友・シュンさんからこんなメッセージを頂きました。
数年前に、ICGCの5周年?かで、お父さんとデュエットしたAbove Allには感動しました。
じつは、わたし勝手に録音してしまたものがあるのですが(ごめんなさいm(_ _)m)、音源ファイルご希望でしたら、差し上げますが。

 全く予想外の申し出でびっくり。

 確かに2008年の2月に行ったICGC5周年感謝会で父娘ユニット「タマーズ」として1曲限定で賛美したことがありました

画像


 1枚だけあまりよく写っていない写真がありましたが、自分たちがどんな風に賛美したかあまり覚えていませんでした
 ところがシュンさんは事細かに覚えていてくださったんですね。ご本人に了解を取ったので転載させていただきます。
 2008年の録音だったと思いますが、ICGC5周年の記念コンサートを聴かせていただいたとき、無断で録音してしまったものです。すみません。
 ちょうど、流行りのローランドの高音質デジタル録音機を入手したばかりで、上手な先輩クワイアのコーラスを録音して勉強させてもらいたいと、プライベートに自分で聴くだけだからいいかなと教会の机椅子の下の聖書などをおく棚のところにおいて録音しました---ですから、ちょっと録音の場所のため、音がこもった感じではありますが、父娘ヴォーカルの迫力はステレオで広がり含めて立体的にとらえられていると思います。

 その生音声ファイルを、MACのガレージバンドでAbove Allの部分をカット編集してiTuneファイルに落として、感動しながら、当時通勤途中何度も聴かせていただきました---本当に勝手に楽しんでいてすみませんm(_ _)m。
 編集するとき、たまさんのMC部分、娘さんと

「タマーズです!」

 と自己紹介するところ(ユリカさんの恥じらいながらたまさんの発語にあわせるところがほほえましい)、

「ユリカがゴスペルを始めたときは、確か、小学生の時だったと記憶しているが、それがこんなに大きく綺麗になってしまって---こんな場所でなければ言えないんですよ---でも、大切な娘よりももっと大切なイエス様がおられる(--ここで、たまさん再度、娘は本当に大切なんですがくりかえす)
娘も自分もやがて死んでしまう、 ---あってあられる方、イエスさまを愛します」---

 Above Allの前のこの名MCを編集で削除しがたく、いっしょに保存したしだいです。
 そして、Above Allのコーラスですが、お二人とも上手で私自身当時大変刺激をうけました。たまさんの声も伸びがあるし、なんといってもユリカさんの清純なソプラノの歌声が魅力的でした。また、お二人の声がやはり父娘ヴォーカルで歌声が似ていて、よく溶け合っているのです。また、ハモリのときたまさの歌声がユリカさんの発声の100分の何秒か(ほとんど気づくか気づかないか微妙なところ)あとに遅れて発せられているようで、そこに、娘を見守り寄り添う、父親の愛情が感じられるのです。
 そんなことで、私にとって、タマーズのAbove All は感動の愛聴曲として当時何度も通勤途中などiPhoneで聴かせていただきながら、その度にイエスの愛、父親の愛(私にも息子が1人いるので)を感じていたしだいです。

 いやいや、そんなに感動していただいたとは・・・ 4年もたって初めてこのエピソードを伺って、驚きと共に感無量になりました。
 それに音源が存在しているなんて思いもよりませんでしたし、こんなMCをしていたなんて全然覚えていませんでしたから、突然思いもかけず神様からプレゼントを頂いたような気持ちになりました
 そして実際に頂いた音源を聞いても、すごくいいんです 当時は高校生だった娘の素直で澄んだ賛美が胸を打ちました。
 
 娘はこれから病院に勤務することになるので、休みも不規則になり、これまで以上になかなか一緒に賛美する機会はないかもしれません。
 それだけにこれは私にとってのお宝音源になりました シュンさん 本当にありがとうございました

 シュンさんはそれだけではなく、こんな励ましまで下さいました。
 たまさんのブログは、毎回熟読させていただき、わたしの信仰生活の活力となってきました(クリスチャンが一般社会で仕事をしていく上での苦労、ゴスペルミニストリーの伝道の働きのパッション、見習う点が多々あります)。
 つい最新のブログに1980年代の教会の青年会で活動していたころの懐かしい写真のシェアがありましたね。佐布先生の教会だからもともと相当伝統的なお堅いところかと思っていたら、バンドを日本の教会ではじめて取り入れたとは目から鱗でした。

 今回の「タマーズ版Above All」をたまたま私が録音していて、たまさんに4年の歳月ののちに、ご本人たちのもとに音声ファイルとしておくりとどけることができたのは、いろいろが偶然(--いえ、主の計画)がかさなった奇跡によってなされたとしか言いようがありません。
 そしてなによりの奇跡は、小学校6年生(?ですかね)のころから、娘さんのいっしょにゴスペルを一緒に歌ってきて、ICGC5周年にこのような賛美を父娘ともに賛美したということだと思います。たまさんのご家庭に主の祝福が豊にありますように。中央聖書神学校通信科での学びの上にも護りがありますようお祈りいたします。

 私がブログを始めたのが2005年。その時、ゴスペルミニストリーをさせていただいてから神から注いでいただく恵みの数々を忘れないために書き残そう、という思い。「ゴスペル」のことを書いたブログやHPは音楽的なことばかりが取り上げられていたので、何とか教会・聖書・信仰・伝道にフォーカスさせたいという願いでスタートさせたことを思い出します。

 それからもう7年近く書き続けてきたのですが、ブログを通して多くの反響と出会いがあり、私が想像するよりはるかに広くて大きな神様の恵みが注がれ続けてきたことを感じます。

 同世代のクリスチャンであるシュンさんが送ってくださった音源、メッセージにとても励まされました

 これからも主がブログをご自身のために用いてくださいますように

追伸:娘の賛美があまりにも素晴らしかったので、4月8日イースター祝会(14時〜中央福音教会)で1日限りの「タマーズ」再結成あるかもしれません
 
クリックお願いします(^^)/ ⇒にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

2012年03月24日

ゴスペルミニストリーの原点(懐かし写真満載!)

 先日部屋の机周りで探し物をしていたら、古い写真が出てきました。それは1985〜86年のアルバムで、当時の教会行事のスナップが中心でした。
 その頃私は大学4年から社会人1年生にかけての頃で、教会では高校生クラスの教師をしていました。今思えば彼らと年の近い先輩クリスチャンというだけで、ほとんどちゃんとした勉強もせずによくやってたなぁ・・・ と冷や汗が出ますが。

画像


 これは高校生クラスのクリスマス祝会の写真ですね。
 同じ中学の同級生が誘い合って10人ぐらい来ていました。みんな仲が良くて、続々と洗礼を受けていった時代だったなぁ。
 この中から現在の礼拝ピアニストが育ち、牧師になった子がひとり。同級生同士で結婚して素晴らしいクリスチャンホームを築いた子たちが一組。彼氏を導いて結婚してクリスチャンホームを築いた子が一人。教会の先輩クリスチャンと結婚してクリスチャンホームを築いた子が一人。
 残念ながら何人かは離れてしまったんですが、多くのメンバーは40代になった今も中央福音教会の中心メンバーとして集い、その子供たちも高校生や大学生になって教会に来ています。
 それを見るだけでも 主は素晴らしい と感激してしまいます。

 この写真に引き続き、1986年の3月。
 今から26年前、私が当時教会で所属し活動していたHosanna というバンドと高校生クラスの女の子たちで賛美チーム「ジョイフル組」を結成し、コンサートツアーに出た時の写真がたくさん出てきました。

画像


 佐布先生を団長に関口先生も同行。マイクロバスをチャーターし、当時派遣されていた神学生の方がドライバーになって静岡・南紀・大阪と回ってそれぞれの教会や公民館で伝道コンサートを開いたのです
 
 その頃ちまたでは、おニャン子クラブが流行っていて、「ジョイフル組」はそれを意識しておそろいのトレーナーを作ったり、アイドル歌謡さながらのオリジナルゴスペルを作り、振付も彼女たちに考えさせて入念に準備したのを覚えています。

画像
               (教会のバンド Hosanna)

 私はその頃ベースとボーカルで、オリジナルソングをたくさん作って賛美していたんですよ。今じゃ信じられませんけどねー 
 バンドリーダーがギターで、ドラムは現在西多摩キリスト教会で牧師をしている井野正人先生だったんです。キーボードは佐布先生のお嬢さんで真理姉妹。
 その頃から私がMC担当で、高校生クラスの担当教師だったことからか「ジョイフル組」のプロデュースもすることになっちゃたんですね

画像
              (大阪・神愛キリスト教会でのライブ前のリハ)

 バスの移動中も賛美して、目的地の教会に着くとリハをやってコンサート。
 終わると教会の皆さんに夕食をもてなしていただき、南紀では温泉に行ったり、大阪ではたこ焼きパーティーをしてくださったり、それは楽しいツアーでした
 もちろん賛美や祈りの中に生きて働かれる聖霊の力を体験し続けためぐみは、何にも代えがたいものです。

画像
               (駿河キリスト教会でのライブ)

画像
           (南紀・古座町の公民館でのコンサート後 教会の皆さんと)

 実はこれらの写真を先に Facebook で公開したところ、最近ゴスペルミニストリーで知り合った南紀出身のゴス友から

「この写真に私写ってます 東京からお兄さんお姉さんたちがたくさん賛美に来てくれて、すごく憧れたのをよく覚えてます

 と連絡がありびっくり
 また別の方からは

「私、このコンサートの司会をやってましたー

 26年前ですよ この写真をUPしただけで2人もの方から反応があるなんて全く想像もしていませんでした。
 私たちはそれぞれの場所で2時間くらい賛美と証とメッセージを伝えただけで移動してしまったので、その集会でどれだけの人が真の神様に出会ったくださったのかを知る由もありませんが、聖霊の働く所では必ず御業がなされているはず。そう信じることが出来ました

 この年はこのツアーが良いきっかけとなって、当時開拓したばかりだった千葉福音キリスト教会にも8月にお伺いし、このチームでコンサートをやりました。

画像


 写真を見るまでは思い出すこともほとんどなかった過去のミニストリー。
 でも見れば見るほど26年前の記憶に付随して、当時の教会の事や音楽伝道のことが甦ってきました。そしてハタと気付きました。
 音楽のスタイルは違うけれど、今のゴスペルミニストリーとやっていることはあまり違わない、と。

 当時の高校生の子たちは、クリスチャンホーム育ちの子も2人くらいいたけれど、あとはノンクリスチャン。クラスに来て賛美し、私や先生たちと交わる中で、最終的には御言葉に触れる中で救われていきました。
 
 佐布先生は1970年代にいち早く教会にバンドを取り入れ、ご本人曰く
「日本の教会で一番最初にバンドを入れた」のだそうです。その流れがずっと教会にあって私がバンドに関わるようになったわけです。だから、おニャン子クラブ的な「ジョイフル組」も活動が許され、その結果彼女たちにとって神様に近づくきっかけになりました。

 それから17年後の2003年にゴスペルクワイヤー・ICGCが誕生し、池ゴスも加えた今の「池袋ゴスペルミニストリー」につながっているってことですね

 よく

「佐布先生がよく教会でゴスペルやるのをOKしましたね

 とアッセンブリー教団の先生方から言われることがあるんです。それは佐布先生がバリバリの神学者であり、神学校の教授と校長を長年務めてこられたので、その印象しかないからだと思われます。
 しかし私から言わせてもらえば、おニャン子クラブ風でもOKの佐布先生だからこそ教会のミニストリーとしてしっかり出来たのであります
 本当に感謝なことです。

 いやー 神様すごいなー

画像


これからも応援してください(^^)/
クリック!!⇒にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

【広告】

サイト内検索

メンバー紹介

このサイトに自分のブログを載せたい!
(ブログの登録は無料です。)


アーカイブ

ショッピング