TOP>2006年11月
行動は必ずしも幸福をもたらさないかもしれないが行動のないところに幸福は生まれない
− ベンジャミンディズレ
いよいよ12月師走に突入しサッカーシーズンのクライマックスを向えます。
Jリーグでは12月2日(土)に長いシーズンの年間チャンピオンが決まる浦和vsG大阪戦が行われます。
そしてJ1・J2入替え戦、天皇杯サッカーと見所満載のプロサッカーですが、もう1つの冬の風物詩である『全国高校サッカ-選手権』も開幕します。
この時期にテレビから流れる選手権のテーマ曲『ふり向くな君は美しい』を聞くとクラブユースでプレーする中学3年生が進路を高校サッカーに変えようかと悩むぐらいに魅力があり感動的な大会なのです。
今年の東京都のAブロック・Bブロック共に白熱した決勝であり、特に都立久留米高は後半ロスタイムの劇的な決勝ゴールで前評判を覆しての全国大会出場を叶えた。
この都立久留米高は少子化の波に飲み込まれ統廃合で来年3月で廃校が決まっている。
そんな中で全国大会出場の切符を勝ち取るところなど、Jリーグの横浜フリューゲルスの天皇杯快進撃を彷彿させる。
私の勤める会社で隣のセクションで働く男子が都立久留米高サッカー部OB(中村憲剛と同期)であるが、等のOB本人も全国出場を勝ち取ったのは驚きであったらしい。
しかし常に彼が言っていた『今の3年には絶対に勝たせてやりたい』言葉が現実になり本当に良かったと思う。
彼から聞いた話では、今の3年生は都立久留米高の廃校が決まっていて後輩が入学してこないのを承知で『久留米高でサッカーをしたい』と言って入学してきた部員です。
都立久留米高OBが運営している杉並区のクラブチーム(Jrユース)からも『久留米高でサッカーをしたい』とコーチの制止を振り切って数名が進学をして行った。
私は今大会で、この3年生だけの都立久留米高が1試合でも多く一緒にプレー出来るように心から願っている。
がんばれ!都立久留米高サッカー部!!
全国高校サッカ-選手権大会東京都大会
歴代東京都代表一覧*【】内は全国大会成績
第 9回(1926年)暁星中【ベスト4】
第10回(1928年)東京附中(筑波大付)【ベスト4】
第11回(1929年)青山師範(東京学芸大学付)【ベスト4】
第12回(1930年)東京附中(筑波大付)【ベスト4】
第13回(1931年)青山師範(東京学芸大学付)【ベスト4】
第14回(1932年)青山師範(東京学芸大学付)【準々決勝】
第15回(1933年)青山師範(東京学芸大学付)【準優勝】
第16回(1934年)青山師範(東京学芸大学付)【ベスト8】
第17回(1935年)東京附中(筑波大付)【準々決勝】
第18回(1936年)東京八中(都小山台)【1回戦】
第19回(1937年)豊島師範(東京学芸大学付)【ベスト4】
第20回(1938年)豊島師範(東京学芸大学付)【1回戦】
第21回(1939年)青山師範(東京学芸大学付)【ベスト8】
第22回(1940年)青山師範(東京学芸大学付)【ベスト8】
第26回(1947年)都五中(都小石川)【1回戦】
第27回(1949年)大泉【ベスト8】
第28回(1950年)都九高(都北園)【ベスト8】
第30回(1952年)大泉【ベスト8】
第31回(1953年)豊多摩【1回戦】
第32回(1954年)青山学院【1回戦】
第33回(1955年)朝鮮人高【ベスト4】
第34回(1956年)青山学院【ベスト8】
第35回(1957年)私城北【2回戦】
第36回(1958年)暁星【2回戦】
第37回(1959年)教大付(高師付中・筑波大付)【ベスト4】
第38回(1960年)私城北【1回戦】
第39回(1960年)帝京【ベスト8】
第40回(1962年)早大学院【1回戦】
第41回(1963年)私城北【2回戦】
第42回(1964年)帝京【1回戦】
第43回(1965年)帝京【1回戦】
第44回(1966年)帝京【1回戦】
第46回(1967年)帝京【1回戦】
第49回(1970年)帝京【ベスト8】
第50回(1971年)帝京【ベスト4】
第51回(1972年)帝京【ベスト4】
第52回(1973年)本郷【2回戦】
第53回(1974年)帝京【優 勝】
第54回(1975年)本郷【2回戦】
第55回(1976年)帝京【ベスト4】
第56回(1977年)帝京【優 勝】
第57回(1978年)本郷【ベスト4】
第58回(1979年)帝京【優 勝】
第59回(1980年)帝京【ベスト8】
東京Aブロック ・東京Bブロック
第60回(1981年)帝京【ベスト8】・創価【2回戦】
第61回(1982年)帝京【ベスト4】
第62回(1983年)暁星【3回戦】・帝京【優 勝】
第63回(1984年)帝京【優 勝】・暁星【2回戦】
第64回(1985年)修徳【1回戦】・帝京【ベスト8】
第65回(1986年)私城北【1回戦】・暁星【3回戦】
第66回(1987年)帝京【ベスト8】・暁星【3回戦】
第67回(1988年)帝京【3回戦】・暁星【ベスト4】
第68回(1989年)帝京【2回戦】・堀越【3回戦】
第69回(1990年)帝京【3回戦】・暁星【ベスト8】
第70回(1991年)帝京【優 勝】・堀越【3回戦】
第71回(1992年)久留米【1回戦】・帝京【3回戦】
第72回(1993年)暁星【2回戦】・修徳【2回戦】
第73回(1994年)帝京【準優勝】・東亜学園【1回戦】
第74回(1995年)帝京【2回戦】・東海大菅生【2回戦】
第75回(1996年)修徳【1回戦】・国学院久我山【1回戦】
第76回(1997年)帝京【準優勝】・駒場【1回戦】
第77回(1998年)帝京【準優勝】・修徳【3回戦】
第78回(1999年)帝京【ベスト8】・国学院久我山【2回戦】
第79回(2000年)東海大菅生【2回戦】・修徳【3回戦】
第80回(2001年)帝京【2回戦】・国士舘【1回戦】
第81回(2002年)帝京【ベスト8】・国士舘【1回戦】
第82回(2003年)成立(成立学園)【3回戦】・国士舘【2回戦】
第83回(2004年)実践学園【1回戦】・修徳【2回戦】
第84回(2005年)成立学園【1回戦】・修徳【1回戦】
第85回(2006年)暁星(Aブロック)・久留米(Bブロック)
*1回~8回大会までは関西を中心に開催された為、関東からの出場校は無し。
1941年~45年は戦争の為、中止。1946年は関西のみの復活大会を実施
出場回数:1位 帝京(31) 2位 暁星(10) 3位 修徳、青山師範(7) 4私立城北、教大付(4)
(3)本郷、国士舘
(2)都久留米、成立学園、東海大菅生、国学院久我山、堀越、青山学院、大泉、豊島師範実践学園、都駒場、東亜学園、創価、(1)早大学院、朝鮮人高、豊多摩、都九高、都五中、府八中
Jリーグ各クラブは来期契約の有無を選手に通達する期限である11月30日を控え、1部選手の引退、契約満了などを発表した。
今シーズンは30日の期限前から元日本代表の秋田豊【名古屋】奥大介、下川健一、中西永輔、平野孝【横浜FM】高桑大二朗【仙台】などの大物選手の解雇が報じられている。
しかし、この元日本代表の大物選手たちは所属チームからの指導者就任オファーを断り現役続行を希望し移籍先を模索するようだ。
その中でもJ1史上最多出場の390試合を記録しているDF秋田豊(36)は『サッカー選手の寿命が短いという概念を取り払いたい』との理由から現役続行の意思は固い。
秋田豊はJ1に拘らずJ2も視野に移籍先を探っていく予定である。
この秋田選手の『サッカー選手の寿命が短い』というイメージ払拭へのチャレンジには強い共感を覚える。(当の私も寿命が短いと感じている1人であるが・・・)
現在のJリーグ各クラブは健全経営が出来ているJ1ビッグクラブ以外は財政的に厳しく、経理的な採算からベテラン選手の保有が厳しい部分は否めない。
しかし、この財政的な部分を選手の年齢に問題を挿げ替え『選手の寿命』を大義名分にベテラン選手を解雇をているように強く感じる。
クラブが強い立場で主導権を握った契約の中で日本的な企業倫理が働き生まれた勝手な概念である『サッカー選手の寿命が短い』に対して立向かう36歳の秋田豊選手を応援したいと思う。
元来から閉鎖的な日本プロ野球と違い色々なカテゴリーが存在し色々なレベルのサッカープレイヤーがチャンスを得られるのが日本サッカーの良い部分であり、サッカー普及の礎であると私は考える。
三浦知良、城彰二【横浜FC】などの元日本代表がJ2でプレーすることも賛成であり、仮に秋田豊が出身地に近い中部地区の岐阜FCのような地域リーグでプレーするのも大賛成である。(元フランス代表FWパパンのように)
そして今まで世界舞台やトップリーグで培った経験、技術、知識を下部リーグでプレーする若手プレイヤーに伝え、新たなJリーガー、日本代表を1人でも多く育てて欲しいと思う。
がんばれ!日本代表おやじ!!