
江戸時代の頃、江戸っ子の自慢は水でした。
何が自慢かと申しますと、江戸の水は、水道水だったのです。
もちろん井戸はありましたが、飲み水は、玉川や神田などの上水道を整備していたお陰なのです。
当時の江戸の文化や生活を見直そうという運動もありますが、参考にしたいのは、インフラです。上水道の設備は世界でも有数のものでしたし、下水の設備やごみ処理なども目をみはるものでした。
なにしろ100万人の人口を有する都市等、当時は、世界でもありませんでした。
そこには、多くの知恵が利用されていたのです。
そして、食にも影響されました。
東京近郊の畑では、特産の野菜が大消費地の江戸を支えていました。
「小松菜の名の由来となった小松川の菜っ葉」「砂町(砂村)の葱」「亀戸大根」「練馬大根」などなど。
お米は貨幣の変わりでもありましたので、各地から送られて来きて交換する事により莫大な取引が出来ました。
そして、味噌や醤油などの調味料は、当時大量に輸送できる手段としての河川を利用して小麦や大豆などの産地から送られて来ました。
400年以上前の江戸市民の暮らしは、随分暮らしやすかったようです。
たびたび起こる火事や地震のため、そして人口の増加により、多くの家屋の修繕や新築の需要に「木場」が設けられ、それに連れて職人の数も多かったようです。
江戸前と言われる魚も江戸近郊の現在の東京湾で賄うことが出来ました。現在築地にある「魚河岸」も元々日本橋にありました。
日本人は元々、乳製品など取らなくとも充分に栄養素を取り入れられておりました。
そして、内臓の機能上も肉食にはむいていないそうです。
最近、この江戸の暮らしぶりを見直す機運があるようです。
全てが正しいとは思いませんが、エコロジーの観点からももっと見直しても良いのかも知れません。
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