相変わらずAVEXの松浦社長のブログに釘付けです。
最近、気に入っているのは一連の以下のエントリー
松浦勝人の起業史 1
http://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10026525030.html
松浦勝人の起業史 2
http://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10026560264.html
松浦勝人の起業史 3
http://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10026596910.html
松浦勝人の起業史 4
http://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10026687308.html
というわけで、誰に頼まれたわけではありませんが、
なぜ、僕が起業家になってしまったかを書いてみたいと思う。
僕が起業家になった大きな理由はうちの父に起因する。
うちの父は化学メーカーで営業をした後、
1974年に独立し、約30年、会社を経営し続け、
昨年、引退し、財を築いた。
約30年の歴史のうち、数億円の不渡り手形を食らった
悪夢の年を除いて、全年度、黒字決算である。
僕の人生は偉大な父との対峙に尽きると思う。
仕事と酒と女遊びばかりの父だったが、今思うと、
僕の教育には力を入れてくれていた。
兵庫県尼崎市に生まれ、ひどい空気に喘息に悩まされていた僕のために、
兵庫県川西市に一戸建てを父が購入したのは僕が幼稚園の年少組の時だ。
山と川に囲まれ、僕は元気に育った。
父が勉強しろ!と言ったことは一度もなかったが、
スポーツは奨励され、剣道→野球とスポーツ少年だった。
兵庫県はあまり良い公立高校がなく、
中学受験して、灘や甲陽に行く子が多く、
僕も自然と小学生の頃から自分から志願し、塾に行き始めた。
同世代の子供が多かったのだが、父は僕が小学校六年生の時、
僕ら家族の反対を押し切って、千里ニュータウンへの引越しを決める。
理由は大阪でも名門の北野高校のある学区だからだった。
僕は大阪教育大学池田付属中学を受験したが、落ちて、
公立の中学に行き、陸上部で長距離、そしてキャプテンになった。
この時もスポーツは応援してくれたが、勉強しろとは一切言わなかった。
ただ、僕は比較的、勉強が好きだったので、学年で10番前後の成績で、
めでたく北野高校に入学した。
「文武両道、君達はエリートだ」などと朝礼で先生がのたまってしまう
学校でしたが、確かに優秀な子が多く、同期には弁護士の橋下徹や
一つ上かな?NHKの有働由美子アナウンサーもいる。
その他、何しろ、学年の100位くらいまでは東大か京大か阪大に入るので、
必然的に大企業には大体、同級生が一人はいる。
僕は高校では完全に陸上一筋で、インターハイと駅伝のことばかり考えていて、
将来の夢は、ソウルオリンピックに出るなどと真剣に考えていた。
大学は父が化学と非鉄金属の商社をしていて、父が昔、行きたかった京都大学の工学部を必然的に志願していた。
長男なので、父の会社を継がなきゃなという漠然とした想いがあったからだ。
僕の成績は学年で、300番前後だったので、先生からは
京大は万が一、億が一、兆が一、無理と言われましたが、
関々同立は受けず、前期は京大、後期は東大という狂った受験をしました。
正味、勉強をしたのは高校三年生の駅伝の終わった12月からだったので、
当時、最後の共通一次を一ヶ月で徹底攻略し、
共通一次は690点で、京大も東大も合格圏内に入りましたが、
さすがに二次の勉強は一夜漬けでは、どうにもならず、共に落ちます。
実はこの時、父からは浪人は絶対許さない。
落ちたら、高卒で会社で働いてもらうと言われていて、
すごいプレッシャーの中、共通一次終了後、一日17時間勉強しました。
4時間勉強して、少し休憩するというクレイジーなもので、
3週間目に記憶喪失となり、ノイローゼとなります。
これが精神的に壊れた一度目の出来事でした。
一年浪人し、あまり勉強し過ぎておかしくならないを課題に
1日12時間までしか勉強しないと決めて、
翌年、同志社の工学部、早稲田の理工学部とともに
京都大学工学部石油化学科に合格し、入学しました。
大学入学後、遊ぼうと思い、当時、全盛だったマハラジャとかに通い、
イベントサークルとディスコとナンパみたいな日々を送っていましたが、
あまりに不毛なため、一年生の10月に彼女ができたのを機に、
体育会の陸上部に入りましたが、陸上は高校で燃え尽きていたので、
幽霊部員で、彼女とデートばかりしていたように思います。
大学二年生くらいから将来どうするんだ?ということを考え始め、何か新しいことをやりたいと思い、
CREATIVE NETWORK
というインカレのサークルを創りました。
これは小説・絵・写真・映像など何かCREATIVEな表現を目標としている
学生を集めて、公募ガイドという雑誌の応募情報を元に賞金稼ぎをする
というサークルでした。
今、思うと、これはかなり斬新な発想なのですが、
なぜこんなことをやり始めたかというと、当時、付き合っていた彼女と
シンデレラエキスプレス状態だったのですが、
三年生から工学部の化学系は実験の時間が多くなり、
バイトの時間が減るため、山口県に会いに行く資金や
膨大な電話代、そして、真剣に学生結婚を考えてました。
少ない時間で、実験しながら、稼ぐ方法で、
こういう道を思いついたのでした。変わってるな、俺。
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