ECO話はないです。
私には父親が幼い頃から不在で、母親も入退院を繰り返しており、
幼い頃から高校まで、そのほとんどを祖父母に育てられました。
なかでも、祖父が大好きで、近所でも有名なじいさんっ子でした。
じいさんが山へ行けば山へ。
畑へ行けば畑へ。
どこへでもついて行きました。
幼稚園の頃は一緒に寝るときに昔話をしてもらうのが特に好きで。
(とはいえ、近所の幼稚園へは 嫌だといって行きませんでしたが;;)
小学校へあがってから3年くらいは母親と兄弟で暮らしましたが、再びそこから10年ほど祖父母と一緒に暮らしました。
すごく厳しく、怒ると怖い。
近所の大人、子供にも関係なく怒鳴り、叱る昔ながらのじいさんでした。
一方でいい加減な部分は、果てしなくいい加減で。
こわもてな顔の癖に、笑い出すと止まらなくて顔が真っ赤になり、くだらない冗談が大好き。
じいさんがアホな英語を披露すれば、私がじいさんの悪口を盛り込んだ替え歌を歌う。
一緒に将棋を指したり、あるときは小学5年の私と100メートル以上ある急な坂道を競争したりする元気なじいさん。
マムシの目を飲むと目が良くなる。という迷信を信じており、マムシをよく捕まえては食べていたじいさん。
そんな体力自慢のじいさんももう歳。
近年、何回も倒れることがあり、車の運転もやめ、口癖のように「俺のうちの家系は80で死ぬで、俺ももうすぐや」も段々と真実味を帯びてきていました。
「俺が生きとるうちは何でもしたる。けど、俺は80までしか生きとれんでな。間違いなく、ポポルより先死ぬで」
子供の頃は「そんなこと言うな!くそじじい!!」と悲しくて泣いて家をよく飛び出していましたが。。。
先日、じいさんと同居している、おじさんのお嫁さんから電話があり、13日の金曜日に脳溢血で倒れて入院をした。との連絡がありました。
これで3回目。
前回までは奇跡的な回復をみせ、普段どおりの生活に戻っていたじいさんも
今回は左半身に麻痺があるようで、左目も左手も左足も動きはするけれどほとんど動かないよう。
右半身は力もあり、自由らしく、頑張ってリハビリすれば車椅子には自力で乗れるのでは?
とお医者さんはゆっているようですが、当の本人に全くその気力はなく、
「死んだほうがましだ」 「死にたい」
そういって、点滴も引きちぎるらしく、毎日おじさんたちが交代で付き添っているらしい。
戦争で父親と二人の兄を無くしたじいさんは、6歳から家族のため、生活のために体を酷使して心臓肥大等になってはいるものの、体の丈夫さがとりえで自慢だった。
趣味であり、生きがいである「畑仕事」ももう出来ない。
自分の思い通りにならない体と身の回りの世話をしてもらわなくてはいけないことを考えると耐えれないのでしょう。
認知症も出てきたそうです。
親よりも一緒に過ごした記憶がある大好きなじいさん。
いなくなってしまったら。。。
いなくなることはわかっていたけれど、実際いなくなってしまったら。。。
ごくごく身内が亡くなったことがない私は怖くて怖くて、ただただ忘れたい。
お見舞いに行って、もし、じいさんが「死にたい」とゆったとき、
いつも通りに「アホか!私の農園(じいさんの畑)どーすんの!」と言えるだろうか。
泣き出してしまわないだろうか。
そもそも「私」を覚えているだろうか。
…親孝行、したいときには、親はなし。ふと頭をよぎる。





