成島柳北(なるしま・りゅうほく)・東京の偉人

父祖代々の奥儒者の子として江戸浅草に生まれる。

天保8年(1837)2月16日‐明治17年(1884)11月30日 48歳

奥儒者、幕府将軍侍講。
漢詩人、随筆家、新聞人。
ジャーナリストの草分け的存在で、明治新聞界の盟主。

成島柳北
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 歴史ブログ 偉人・歴史上の人物へ

幼名甲子麿、のち甲子太郎、22歳のときに惟弘(これひろ)と改めた。確堂、何有仙史、柳北などと号し、のち柳北を通称とした。

父祖代々の奥儒者の子として生れるが、養子説もある。
成島柳北 (朝日選書)

甲子太郎は、柳北の本名で彼が誕生した天保八年(一八三七)二月十六日の干支が、甲子であったことから命名されたという。
永井荷風が紹介した「成島家先祖書」によれば、柳北は成島家七代稼堂桓之助の三男で、兄二人は早世したことになっている。しかし、柳北は稼堂の実子ではないという所伝もあって、「先祖書」の末尾には柳北の女婿成島謙吉の書き入れたつぎのような一文があったという。

 成島柳北翁ハ・・・成島桓之助ノ実子トセシナリ。其実子アラザリシノ発覚セシハ・・・柳北本人モ之ヲシラザリシト云フ。
幼少時より読書に励み、詩文に長じ、嘉永6年(1853)家督を継ぎ、将軍徳川家茂の侍講をつとめた。

文久3年(1863)幕閣への不満を一篇の狂詩に託したことで三年間の閉門を命ぜられる。閉居中、柳河春三、神田孝平、箕作秋坪らを招いて英学を研鑽した。

慶応元年(1865)復帰後、騎兵頭、外国奉行、会計副総裁などの要職を歴任したが、明治2年(1869)隠居して向島に閑居、新政府に仕えず、「無用の人」と称した。

明治5年(1872)東本願寺の大谷光瑩の欧州遊学に随行、フランス・イギリス・アメリカなどを歴訪した。

帰国後、『朝野新聞』の主筆に迎えられ、以後、没するまでの10年間、新聞人として活躍した。
『森銑三著作集 続編 第5巻』

新聞社の社長になっても、柳北は、・・・以後は無用の人たらうと宣言したことを忘れなかった。・・・無用の文の雑録を書くことを受持った。然もその雑録は、柳北の独創に成る独特のものであり、『朝野新聞』は、柳北の雑録に依って重きを成すという現象が生じた。
・・・
柳北の文は、漢文の直訳体なのではない。俗語を随処に取入れた自由なもので、頗るユーモアに富んでゐる。世の中を茶にしてゐるやうでゐて、真意はどこまでも真面目であり、根本に一貫した主張が存する。砕けてはゐながらも、文に品格がある。
・・・
新聞人としての柳北は、雑録に隠れて、藩閥政府と正面から対決しようとはしなかった。しかしその雑録を熟読する時、柳北の腹の底には涙のたたへられてゐるを見る。柳北もまた一管の筆を武器として立った言論家だった。明治前半期の新聞人の有した精神を、柳北もまた有した。柳北も気概気節の士として、決して人後に落ちない。
政府の言論弾圧に対して、「新聞供養大施餓鬼」を主催するなど、軽妙洒脱の筆をふるって巧みに時事を諷するなど、新時代風俗への嘲罵をほしいままにした。
新聞人群像―操觚者たちの闘い

「新聞殺し」の異名をとった新聞紙条例と讒謗律が制定されて、ちょうど一年後の明治九年(一八七六)六月二十八日午後、浅草寺本堂で新聞供養大施餓鬼会が営まれた。東京と横浜の新聞十八社が一斉に休んで、この日は期せずして本邦最初の新聞休刊日となった。
・・・
法要は表向き、新聞に掲載された横死者の亡霊を慰めるためのものとされたが、実のところは、筆禍の憂き目にあって日の目をみることのなかった新聞紙の亡霊を弔い、獄中に呻吟する多くの記者に声援を送って、激励することにあった。あわせて施餓鬼会という奇抜な形をとることによって政府への抗議の意思をあらわし、言論の自由に対する世論の盛り上がりを図ろうとしたのである。
・・・
獄中にあった柳北が思いつき、出獄後、ただちに福地桜痴、栗本鋤雲らに諮り、賛同を得たとみて間違いない。法施行一周年の当日に挙行しなければならなかったのは、「言論の自由死して一周忌」に掛けたかったのだろう。
文芸雑誌『花月新誌』を創刊し文芸界でも活躍、商法会議所(現商工会議所)の設立や墨田川河畔の桜植樹にも尽力した。

山陽地方への紀行『航薇日記』、ヨーロッパ旅行記『航西日乗』、漢文随筆『柳橋新誌』などの著書がある。
柳橋新誌 (岩波文庫)

幕末から開花期にかけての柳橋の風俗を描いた柳北の随筆集。花街という視角から幕末維新期の激動を巧みにとらえた傑作。

成島柳北碑(長命寺・東京都墨田区向島5-4-4)



成島柳北の住居跡(言問小学校・東京都墨田区向島5-40)
言問小学校は、海棠園と名付けられた成島柳北の住居跡で、学校の脇に墨田区教育委員会による説明板がある。



すみだ郷土文化資料館(東京都墨田区向島2-3-5)



成島柳北碑(マリンスパあたみ・静岡県熱海市和田浜南町4-39)
成島柳北 (朝日選書)

晩年の柳北は静養の地として熱海温泉を愛した。明治初年の熱海は、政府の高官や政商たちが浩然の気を養う離れ座敷のおもむきがあったが、柳北は彼らとの交誼をあたためるかたわら、東京では叶えられなかった自由な遊人の面目を発揮した。毎年のように執筆された熱海の遊記は、その死に先き立つこと四ヶ月の明治十七年七月に『柳北仙史 熱海文藪』と題して一本にまとめられている。


成島柳北墓所(雑司ヶ谷霊園・東京都豊島区南池袋4-25-1)
本所本法寺に葬られたが、のちに改葬された。



成島柳北研究



幕末維新パリ見聞記――成島柳北『航西日乗』 栗本鋤雲『暁窓追録』 (岩波文庫)


■GOOD JOB!
この記事よいネ!クリック!→


New!不動産物件土地建物居住用事業用) 即金買取致します。
見積査定無料!秘密厳守致します。
(鹿児島市及び隣接地区・姶良~国分方面)
不動産物件(土地・建物・居住用・事業用)、即金買取致します。
   ・見積査定無料!秘密厳守致します。販売の依頼もOKです。
   対象エリア:(鹿児島市内と隣接地区及び・姶良~国分方面)
   一寸聞いてみようでも構いません。情報お待ちしています。