越中国射水郡仏生寺村(富山県氷見市仏生寺)生まれ。
寛政10年(1798)2月28日−明治4年(1871)10月24日 74歳
幕末の神道無念流の剣術家。
江戸三大道場の一つ「練兵館」の創立者。
桃井春蔵(鏡新明智流・士学館)、千葉周作(北辰一刀流・玄武館)とともに幕末三剣士のひとり。
剣客斎藤弥九郎伝

文化9年(1812)志をたてて江戸に出て、神道無念流も岡田十松吉利の撃剣館に入門し、剣術を学んだ。同門に、江川英龍や藤田東湖らがいる。
弥九郎の修業ぶりは目覚ましく、わずか数年の間に先輩たちを凌駕して、代稽古を勤め、師匠の没後にはその遺言により道場を継ぐこととなった。
この間、儒学、馬術、兵学を学び、のちに砲術も学んだ。同門の江川太郎左衛門英龍と親交を結び、その援助により、文政9年(1826)、独立して九段坂下俎橋(まないたばし)近くに「練兵館」を開いた。
この頃、すでに弥九郎の剣の腕は天下無双と称され、その道場である練兵館は千葉周作の玄武館や桃井春蔵の士学館と並んで江戸三大道場の一つに数えられ、「位の桃井」、「技の千葉」、「力の斎藤」といわれた。
長州藩は弥九郎の道場のレベルの高さに驚愕すると同時に敬意を表し、藩士の多くを練兵館で学ばせその門下生として、塾頭を務めた桂小五郎のほか、高杉晋作・品川弥二郎・井上馨・伊藤博文らがいた。
また西洋銃隊調練や品川台場の築造、あるいは尊攘問題に献策するなど、幅広い活躍を示した。
維新後は、新政府に出仕し、会計官として、大坂に赴任した。
斎藤弥九郎生誕地銅像(富山県氷見市仏生寺・脇之谷内公民館)
斎藤弥九郎銅像(富山県氷見市飯久保・十三中学校)
斎藤弥九郎銅像(富山県氷見市幸町・朝日山公園)
練兵館跡(靖国神社内・東京都千代田区九段北3)
靖国神社拝殿近くの南門付近に石碑がある。
説明板には、以下のように記されている。
「この練兵館は、神道無念流の剣客 斉藤弥九郎により、それまで俎(まないた)橋付近にあった練兵館が 天保9年(1838年)の火事で類焼したため、この地に再建され、その後約30 年間隆盛を誇った。練兵館には、高杉晋作、桂小五郎、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は剣の腕前も優れ、師範代もつとめている。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていたといわれる。なお、この練兵館は千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場といわれている。」
斎藤弥九郎墓所(福泉寺・東京都渋谷区代々木5-2-1)
日本剣豪列伝

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