宝暦7年(1757)9月28日−文政10年(1827)3月30日 71歳
陸奥一関藩医玄梁(げんりょう)の子。
江戸後期の蘭方医、蘭学者。
杉田玄白・前野良沢の弟子。「玄沢」とは、師である二人から一文字ずつもらってつけた通り名である。
少年時より秀才の誉れが高く、13歳で同じ郷里の医師、建部清庵に医学を学び、安永7年(1778)江戸に出て杉田玄白、前野良沢に蘭学を学んだ。天明5年(1785)長崎のオランダ通詞本木良永のもとに寄宿、オランダ語を学んだ。翌年江戸に戻り、江戸詰め仙台藩医となり、京橋に学塾「芝蘭堂(しらんどう)」を開き多くの人材育成に当たった。
玄沢の弟子としては、宇田川玄真、稲村三伯、橋本宗吉、山村才助の4人は特に名高く、「芝蘭堂の四天王」と呼ばれた。
文化8年(1811)幕府天文台に出仕、ショメルの百科事典の翻訳である『厚生新編』訳述事業に参画した。
寛政6年閏11月11日(太陽暦の1795年1月1日)に、太陽暦の新年を祝して、「阿蘭陀正月」の会を芝蘭堂で催した。この賀宴には江戸の蘭学者たちが参集して蘭学の発展を祈念した。また、ロシアへ漂流した大黒屋光太夫なども招待された。
天明8年(1788)、蘭学の入門書『蘭学階梯』を記したことで、蘭学界での地位を確立、これを読んで蘭学に志した者が少なくなかった。
師である杉田玄白から『解体新書』の改訂を命ぜられ、『重訂解体新書』を刊行。
玄沢の息子に漢学者の大槻磐渓、孫に国語学者の大槻文彦がおり、郷里の一関では、この3人を「大槻三賢人」と称する。
大槻玄沢邸跡(岩手県一関市磐井町)
大槻三賢人像(JR一ノ関駅前・岩手県一関市駅前67-1)
一関市博物館(岩手県一関市厳美町字沖野々215)
原始から現代までを扱った「一関のあゆみ」、日本刀の源流「舞草刀と刀剣」、江戸時代の蘭学者「大槻玄沢と蘭学」、日本初の国語辞書編纂者「大槻文彦と言海」、江戸時代の数学「一関と和算」の5つの常設展示室からなり、それぞれ映像等を交えて紹介する。
大槻玄沢肖像・芝蘭堂新元会図(早稲田大学図書館蔵・東京都新宿区西早稲田1-6-1)
芝蘭堂新元会図(しらんどうしんげんかいず)
江戸の蘭学者たちが大槻玄沢の居宅である京僑水谷町の芝蘭堂に集まり、いわゆる「おらんだ正月」を祝ったとき、その有様を描いたもの
大槻玄沢墓所(東禅寺・東京都港区高輪3)
江戸人物科学史―「もう一つの文明開化」を訪ねて (中公新書)

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