米沢袋町生まれ(山形県米沢市松が岬2村山織物工場付近)。
天保15年(1844)3月25日−明治3年(1871)12月28日 27歳
米沢藩の志士。壮志と悲調とロマンテイシズムに溢れた詩人とも評されている。
本名は小島守善(もりよし)
雲井龍雄という名は明治元年(1868)頃から用いたもので生まれが辰年辰月辰日から「龍雄」とし、「龍が天に昇る」との気概をもってつけたといわれる。
14歳から藩校・興譲館に学び、館内の友于堂に入学。
龍雄は興譲館の一部として建てられた図書館の約3000冊もの蔵書の殆どを読破、当時の学風朱子学を盲信する非を悟り陽明学に到達する。
慶応元年(1865)、22歳で米沢藩の江戸藩邸に出仕、上役の許可を得て安井息軒の三計塾に入門、桂小五郎、広沢真臣、品川弥二郎ら志士と交わる。
戊辰戦争後、龍雄はその才能を買われ衆議院寄宿生に選ばれ、多くの意見書を提出しました。
しかし、薩摩・長州中心の明治政府には取り入れられず、逆に迫害を受け退去。
血気盛んな龍雄は、自分の信念・理想を貫き、新政府に不満を持つ人々を集め「帰順部曲点検所」を組織、政府に対抗。
この決起行動により内乱罪で逮捕され、米沢に蟄居後、江戸の牢獄に送られた。
厳しい取調べの後、明治3年(1870)12月26日に判決。梟首という重い刑が言い渡され、ただちに小伝馬町牢獄で軌首、小塚原に晒されました。享年27歳。
辞世の詩
死不畏死 死して死を畏(おそ)れず
生不偸生 生きて生を偸(ぬす)まず
男兒大節 男児の大節は
光與日爭 光(かがやき)日と爭(あらそ)う
道之苟直 道 之(これ)苟(いやし)くも直(なお)くんば
不憚鼎烹 鼎烹(ていほう)をも憚(はばか)らず
渺然一身 渺然(びょうぜん)たる一身なれど
萬里長城 万里の長城たらん
「自分は、死ぬに際して死をおそれない。まして意味も無く生きながらえようとも思わない。男子の大儀というものは太陽の輝きにも負けぬくらい輝かしいものである。もし自分が信じている道が正しいのであれば、釜茹でになってしまってもかまわない。とるに足らないこの身ではあるが、わが心は万里の長城となりこの国の行く先を守るであろう。」
雲奔る―小説・雲井竜雄 (文春文庫 (192‐4))

「憂国志士・雲井龍雄遺跡」の石塔(山形県米沢市城西1・旧小島家)
雲井龍雄胸像レリーフ・「討薩檄」(北村公園・山形県米沢市金池4)
雲井龍雄墓所(谷中霊園甲2号4側・東京都台東区谷中7)
雲井龍雄墓所(常安寺・山形県米沢市城南5)
雲井龍雄 庄内藩探索紀行

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