高松凌雲(たかまつ・りょううん)・福岡の偉人
筑後国御原郡古飯村(福岡県小郡市古飯)生まれ。
天保7年(1836)12月25日‐大正5年(1916)10月12日 81歳
医師、社会事業家。
箱館戦争・西南戦争において負傷者を敵味方の区別なく手当を行い、日本における赤十字運動の先駆者として「赤十字運動の父」と称される。
その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設、日本における民間社会事業の先駆者としても活躍し、「医聖」とも称される。
流通と情報の革命 (日本の『創造力』―近代・現代を開花させた470人)
同愛社―医療福祉事業の先覚者高松凌雲
幕末、パリにあって医学を学び、貧しい市民の医療福祉にあたる一市民病院のありかたに感銘した高松凌雲は、そこに医の原点をみて帰国した。
箱館戦争には幕軍側として参加した凌雲は負傷者の治療にあたって敵昧方の区別なく、赤十字精神による日本最初の医療活動を実践した。
以後、浅草に開業し、一介の町医者に徹するかたわら、同志をつのって同愛社を設立し、貧民救療活動に献身した。わが国の医療福祉事業の先鞭である。
庄屋高松虎之助直道の三男として生まれる。名は権平、のち荘三郎。
久留米藩士の養子となるが、将来の希望を見出せず、脱藩した。
安政6年(1859)江戸の石川桜所(おうしょ・蘭方医で幕府奥医師)の食客生となり、文久元年(1861)大坂で適塾に入門するが、翌年緒方洪庵が東上したため、その後横浜でヘボンに学んだ。
高松凌雲と適塾―医療の原点慶応元年(1865)一橋家軍制所付表医師となり、同3年(1867)徳川昭武のお付医師としてパリの万国博覧会に随行し、公務を解かれたあと、同地で医学を学んだ。
文久元年(一八六一)に適塾に入門した塾生は、高松凌雲の他に、明治十一年に病体解剖社をつくり病理解剖の重要性を唱導し、後に陸軍軍医学校長になった田代一徳(基徳)をはじめ、総数三十五名であった。
入門者の署名帳である『適々斎塾姓名録』には、「文久元年四月二十一日入門 筑後久留米 高松与吉伜高松凌雲」が五八〇番目に、「文久元年四月十八日入門 豊前中津 田代一徳」は五七九番目に記入されている。
夜明けの雷鳴―医師・高松凌雲 (文春文庫)明治元年(1868)鳥羽・伏見の戦の報により帰国、榎本武揚の嘱により箱館の病院で医務を統轄した。
凌雲にとって最も重要な意味をもつのは、徳川慶喜の名代としてパリの万国博覧会に出席する徳川昭武に随行してヨーロッパにおもむき、パリの医学校兼病院である「神の館」で医学を修める機会を得たことで、それなくしては凌雲は単なる一医師として終ったことはまちがいない。渡欧がかれの生き方を左右したのである。
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凌雲は、新鮮な眼でヨーロッパ文明に接し、最新の西欧医学を身につけた。パリに滞在中、幕府の瓦解を知り、祖国の政変に驚きと心痛をおぼえた。
帰国後、凌雲は榎本軍に投じて箱館の土をふみ、野戦病院とも言うべき箱館病院の頭取となる、医療に専念するが、その強靭な意志力による動きは多彩で、爽快な感じすらする。(あとがきより 吉村昭)
五稜郭攻防戦の負傷者を敵味方の区別なく手当をしたが、これはわが国における赤十字思想の初期の実践とされる。
箱館戦争銘々伝 下敗戦後の明治2年(1869)阿波(徳島)藩預けとなるも翌年それを解かれ、東京浅草に医院を開く。
凌雲は生殺与奪の権を握られ、自軍へ降伏を勧める使者となった。戦は集団戦である。一人の寝返りや自軍を裏切る行為や行動は死を以て償われる。一人の行動が全体に影響を及ぼす。だから健全な軍隊の規律は威しいのである。
敗色明らかな旧幕府軍を全滅から救ったのは事実である。様々な状況がある。「しおどき」という言葉だってある。
凌雲は生まれついての武士ではないにしろ、徳川の禄を受け、主君への忠誠心からここまでやってきた。寝返りではないにしろ、味方にとっては命惜しさの行動という事実は消えない。
凌雲にとって「患者の命を救うことが目的」である以上、今できることを精一杯やるしかなかった。戦後、凌雲とともに書面に名を連ねた小野権之丞は、一言も語らず、明治二十二年四月二日、東京で没した。
凌雲は語った。戦場で、病院で亡くなった多くの兵士や医師たちのために。高龍寺で被災した同僚と患者のために。箱館戦争をともにした友人たちのために。そして何より家族が誇りを失わないために。凌雲の父が、子供たちに語り聞かせたように。
明治五年一月六日、凌雲は榎本らが赦免されたと聞くと一散に飛んで出かけ、講和の行為を詫びている。敗色は明らかであっても、しおのあげどきであっても、使者となったことには変わりがない。誰も責めなくても、自身が自身を責めた。
西南戦争でも負傷者を敵味方の区別なく治療した。
明治12年(1879)同愛社を創立、貧民の救療事業にあたったが、これはわが国での初期の民間社会事業である。
高松凌雲先生誕生之地碑・生家(福岡県小郡市古飯)
マンガ高松凌雲の生涯
函館市立函館博物館(北海道函館市青柳町17-1)
はこだて人物誌
高松凌雲君追弔碑(円通寺東京都荒川区南千住1-59-11)
高松凌雲墓所(谷中霊園・東京都台東区谷中7)
医傑凌雲 日本に赤十字をもたらした医聖高松凌雲の生涯
医の時代―高松凌雲の生涯




