秋田藩領角館(秋田県仙北市角館町裏町)に生まれる。
寛延2年(1750)12月11日−安永9年(1780)5月17日 32歳
秋田藩士。画家。
平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。
「秋田蘭画・西洋画法の開拓者」
現在では「みちのくの小京都」として知られる角館の武士の家に生まれる。
幼少の頃から天賦の画才を発揮し、狩野派の画家・武田円硯(たけだえんけん)に師事した。17歳のときの作品「大威徳明王像図」は大威徳神社に残され、12年に一度、丑年の旧盆に公開される。
安永2年(1773)秋田にきた平賀源内から西洋画を学び、それを藩主佐竹曙山や角館城代佐竹義躬に伝えて、秋田蘭画の一派を開いた。同年藩主の命令で江戸に出て、源内のもとで洋画風の研究を進め、1774年杉田玄白が『解体新書』を出版するとき、挿絵を描いた。
風狂の空 平賀源内が愛した天才絵師

1779年暮れ、藩主の怒りに触れて帰国し、翌年わずか32歳の生涯を閉じた。その突然の死はいまだに謎である。
漢画の技法に陰影法、遠近法をとりいれ、名作「不忍池」などの西洋画を残し、秋田蘭画の勃興の基礎をつくり、西洋画家の司馬江漢らに大きな影響を与えた。
名作「不忍池」(秋田県立近代美術館所蔵)
小田野直武像(角館歴史村青柳家・秋田県仙北市角館町東勝楽丁26)
小田野直武墓所(松庵寺・秋田県仙北市角館町田町上丁47)
秋田蘭画の近代―小田野直武「不忍池図」を読む

江戸の未来人列伝 (祥伝社黄金文庫 い 14-1)

江戸人物科学史―「もう一つの文明開化」を訪ねて (中公新書)

クリックおねがいします!
↓

こちらもクリックおねがいします!!
↓

にほんブログ村
寛延2年(1750)12月11日−安永9年(1780)5月17日 32歳
秋田藩士。画家。
平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。
「秋田蘭画・西洋画法の開拓者」
現在では「みちのくの小京都」として知られる角館の武士の家に生まれる。
幼少の頃から天賦の画才を発揮し、狩野派の画家・武田円硯(たけだえんけん)に師事した。17歳のときの作品「大威徳明王像図」は大威徳神社に残され、12年に一度、丑年の旧盆に公開される。
安永2年(1773)秋田にきた平賀源内から西洋画を学び、それを藩主佐竹曙山や角館城代佐竹義躬に伝えて、秋田蘭画の一派を開いた。同年藩主の命令で江戸に出て、源内のもとで洋画風の研究を進め、1774年杉田玄白が『解体新書』を出版するとき、挿絵を描いた。
風狂の空 平賀源内が愛した天才絵師

1779年暮れ、藩主の怒りに触れて帰国し、翌年わずか32歳の生涯を閉じた。その突然の死はいまだに謎である。
漢画の技法に陰影法、遠近法をとりいれ、名作「不忍池」などの西洋画を残し、秋田蘭画の勃興の基礎をつくり、西洋画家の司馬江漢らに大きな影響を与えた。
名作「不忍池」(秋田県立近代美術館所蔵)
小田野直武像(角館歴史村青柳家・秋田県仙北市角館町東勝楽丁26)
小田野直武墓所(松庵寺・秋田県仙北市角館町田町上丁47)
秋田蘭画の近代―小田野直武「不忍池図」を読む

江戸の未来人列伝 (祥伝社黄金文庫 い 14-1)

江戸人物科学史―「もう一つの文明開化」を訪ねて (中公新書)

クリックおねがいします!
↓
こちらもクリックおねがいします!!
↓
にほんブログ村



