太宰はダサい?(PART 2)



デンマンさんは、太宰治のことでずいぶん記事を書いたのですね?



ひとつの記事のタイトルが何度か重複して表示されているのですよう。



『さみしがり屋のきみへ(2009年1月26日)』

『さみしくないよね (2009年1月28日)』

『大好きだも〜ん (2009年9月25日)』


上の3つの記事の中で太宰の事に触れているのですか?

そうです。

その中からデンマンさんが気に入った『さみしくないよね』の中から長々と引用したのですか?

長々と引用するつもりではなかったのだけれど、読んでゆくうちに、あれも、これもと。。。うししししし。。。つい欲張って書き出してしまったのですよう。

でも、どうして太宰の事を書く気になったのですか?

あのねぇ〜、日本帰省中にテレビを見ていたら、たまたま11月6日の金曜日の夜、正確には真夜中を過ぎていたので11月7日土曜日の午前1時35分からNHKの総合テレビで太宰治の生誕100年記念番組の再放送をしていたのですよう。

午前1時まで起きていたのですか?

番組表を見ていたら目に付いたので、ぜひ見なければと思ったのですよう。

。。。で、どうでした?

午前1時半まで起きていた甲斐がありました。見応えのある番組でしたよう。

どのような内容だったのですか?

『斜陽』の内容に沿ってルポルタージュ風に語って見せるのですよう。


『斜陽』



『斜陽』は、太宰治の小説。
『新潮』に1947年7月から10月にかけて連載。
同年に新潮社から刊行され、文壇から高い評価を得て、ヒット作となった。

没落していく人々を描いた太宰治の代表作で、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだした。
斜陽という言葉にも国語辞典で「没落」という意味が加えられた。
太宰治の生家である記念館は、この小説の名をとって「斜陽館」と名付けられた。
この小説は、太宰が当時交際していた太田静子の日記がほとんどそのまま書き写されたものであることが、娘・太田治子によって明かされた。

あらすじ

戦争が終わった昭和20年。没落貴族となったうえ、当主であった父を失ったかず子とその母は、生活が苦しくなったため、家を売って伊豆で暮らすことにする。
一方、南国の戦地に赴いたまま行方不明になっていた弟の直治が帰ってくるが、家の金を持ち出し、東京の上原二郎(小説家で既婚者)の元で荒れはてた生活を送る。

直治を介したかず子と上原との運命的出会いや交際、生活が苦しくかつ自身の健康がすぐれなくなってもかず子らを暖かく見守ってくれた「最後の貴族」たる母のもと日々は穏やかに流れていたが、やがて母が結核に斃れ、無頼な生活や画家の本妻への許されぬ愛に苦悩していた直治も母の後を追うように自殺。
直治の死と前後して、かず子は上原の子を妊娠したこと、それを知ってか知らずか、上原が自分から離れていこうとしていることに気付く。

かず子は「(不倫の子を生んだ)シングルマザー」として、動乱やまぬ戦後社会に腹の中の(やがて生まれてくるであろう)子と強く生きていく決意を上原宛の書簡にしたためる。

作品背景

アントン・チェーホフの戯曲『桜の園』を意識して書かれていて、日本版『桜の園』といわれている。
また、『女生徒』『パンドラの匣』と同じく、かず子のモデルとなった太田静子の日記を参考にしている。

太宰はこの作品を書くにあたり、「傑作を書きます。大傑作を書きます。日本の『桜の園』を書くつもりです」と言っており、自信の深さが伺える。
ただ、執筆中に静子が太宰の子を妊娠(生まれた女児が作家・太田治子である)したこともあり、終盤の展開がいささか『桜の園』から外れ、太宰・静子が実際辿った経緯が反映された感もある。
また、主要登場人物四人の設定は、いずれも年代別の太宰自身の投影(初期=直治、中期=かず子と母、末期=上原)が色濃い。
実際の舞台は神奈川県小田原市の雄山荘といわれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ルポルタージュ風と言うと、神奈川県小田原市の雄山荘も映し出されたのですか?

そうなのですよう。中国風の門構えで一風変わった別荘ですよう。


雄山荘(ゆうざんそう)

雄山荘(ゆうざんそう)は、神奈川県小田原市下曽我にある別荘。
太宰治の小説「斜陽」の舞台となった。

昭和初期、東京の印刷会社社長の別荘として建築され、親類のつてで太宰治の愛人であった太田静子が太平洋戦争中に疎開してきた。
「斜陽」のもととなったのが、静子が実母と暮らしたこの別荘での日々の日記である。
1947年2月太宰が来訪し6日間滞在した。
この間、静子が後の太田治子を身ごもる。
1951年静子が去り、1993年頃、最後の借主が去り、以来、現在まで無人である。

太宰ファンらが4000名の署名を集め小田原市に別荘の買取りと保存を要望したが、現所有者に売却の意志がなく、現在、老朽化が激しい。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
映像を見ただけでも老朽化が分かりましたよう。門のところには『壊さないでください』という貼り紙がしてありました。

。。。で、何か印象深いことでもあったのですか?

あのねぇ、上の説明にも書いてあるけれど、1947年2月太宰が来訪し6日間雄山荘に滞在したのですよう。この間に、静子さんが後の太田治子さんを身ごもるのです。

その事が印象的だったのですか?

いや。。。ドラマチックだと思ったのは、その太田治子さんが番組に登場して、いわば“進行役”を勤めるのですよう。



この写真に写っている方が太田治子さんですか?

そうなのですよう。女の子は父親に似ると言われるけれど、やっぱり、どことなく太宰治の面影がありますよね。

そうでしょうか?

番組を観ている時に僕はマジで、そう感じたものですよう。

太宰の生家も出てくるのですか?

出てくるのですよう。


斜陽館



  太宰治記念館

「斜陽館」は、青森県五所川原市金木町にある小説家太宰治の生家。
現在は太宰の文学記念館になっている。
また、近代和風住宅の代表例として2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されている。

建物は1907年に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門によって立てられたもの。
当時の住所は青森県北津軽郡金木村。

太宰が中学進学に伴い1923年に青森市へ転居するまでこの家でくらした。
東京へ出た後、共産党の非合法活動に協力したり、何度か心中を繰り返したため郷里から勘当された。
勘気を許されてこの家に戻る事が許されたのは1942年に太宰の母タネが亡くなった後である。
その後1945年太宰は戦況悪化に伴い妻子を連れて疎開。
翌年までこの地にとどまり、文筆活動を続ける。
小説『思ひ出』や『津軽』等には太宰がこの家に対して抱いたイメージが記されている。

太宰の死後1950年に津島家はこの家を売却。
町内の旅館経営者が買収し太宰治文学記念館を併設した旅館として改装され太宰の小説『斜陽』から「斜陽館」と命名された。
1950年(昭和25年)から営業をはじめた旅館「斜陽館」は太宰ファンが多く宿泊に訪れており、中には喫茶店も併設されていた。
また文学記念館は宿泊者以外にも公開され、多くの太宰ファンでにぎわった。

その後旅館の経営が悪化し経営者が手放す旨を発表した。
これに対して、1996年(平成8年)金木町(当時)は経営者から斜陽館を買い取り、町営の文学記念館として再出発することになった。
こうして1998年(平成10年)、名称が現在の《太宰治記念館 「斜陽館」》と改められて改装オープンした。
新しく改装された斜陽館では従来のような宿泊は出来なくなったもの太宰の文学資料、また昭和初期の大地主であった津島家の貴重な資料を展示する資料館として多くの観光客、太宰ファンが訪れている。

当館は木造2階建てで、青森県産材であるヒバをふんだんに使用し、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の規模を有する大地主の豪邸である。
外観は和風住宅であり、間取りも大規模ではあるものの津軽地方の町屋の間取りを踏襲したものとなっているが、内部には洋風の旧銀行店舗部分や階段室、応接間等があり、また屋根構造は和小屋組ではなくトラス構造となっているなど、和洋折衷建築となっている。
向かいに青森銀行金木支店があるが、偶然向かい合っているのではなく、明治時代に津島家が営んでいた銀行業務が青森銀行に引き継がれているからである。
「斜陽館」は明治時代の地方の銀行建築でもあり、主屋をはじめ文庫蔵・中の蔵・米蔵等の大型の土蔵や敷地周囲の長大な煉瓦塀といった屋敷構え全体がほぼ当時のまま保存されている。
小説家太宰治の生家としての記念的建造物であるとともに、近代和風建築や大地主の屋敷構えの貴重な遺構となっており、付属建物や土地を含めて国の重要文化財に指定されている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


僕は内部を見たことがなく、番組で初めて家の中を見ましたよう。20室もあるのですからね。大きな家ですよう。 

番組では太田治子さんが案内されたのですか?

いや。。。キャスターじゃないから、べらべらしゃべる訳ではないのですよう。画面の中に、それとなく登場するという詩的存在なんですよう。

それで、何かエピソードでもあったのですか?

あのねぇ、治子さんはお母さんから「太宰の生家とは関わりを持たないように…」と言われて育ったそうです。

つまり、生家に足を踏み入れては駄目だと言うことですか?

厳密に言えば、そう解釈することもできるけれど、「生家の人間と関わりを持つな」と言うことでしょうね。

それで、治子さんは「斜陽館」に入ったのですか?

入ったのですよう。でもねぇ、入り口の所では、マジで戸惑っている様子が画面から伝わってきましたよう。

それで、何か秘話でも披露されたのですか?

あのねぇ、太田治子さんがお母さんの秘蔵の手紙を公開したのですよう。

どのようなことが書いてあるのですか?

僕のオツムに最も印象的に残っているのは、次の文ですよう。

「あなたの赤ちゃんが欲しい」

太田静子さんが太宰に向けて手紙の中で上のように書いたのですか?

そうなのですよう。

マジで。。。?

マジでそのように書いてあった。ちゃんと画面に映し出されました。僕は、はっきりと見ましたよう。

それで。。。あのォ〜。。。1947年2月に太宰が雄山荘に6日間滞在して、静子さんの願いをかなえてあげたのですか?

そう言う事なのですよう。

その事がデンマンさんにとって感動的だったのですか?

実は、その事実が『斜陽』を前向きな物語にしたのですよう。

前向きな物語ですか?

そうですよう。初め、太宰は『桜の園』のような没落する、低調な、暗い気持ちの、後ろ向きな物語を書こうと思ったのですよう。


桜の園
 
 


『桜の園』(さくらのその、ロシア語: Вишнёвый сад)は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフによる戯曲。
1903年に書かれ、1904年にモスクワ芸術座で初演された。
チェーホフ最後の劇作で四大戯曲のひとつ。

主な登場人物

ラネーフスカヤ:女地主
アーニャ:その娘
ワーリャ:その養女
ガーエフ:その兄
ロパーヒン:商人
トロフィーモフ:大学生
ピーシチク:近郊の地主
シャルロッタ:アーニャの家庭教師
エピホードフ:事務員
ドゥニャーシャ:小間使い
フィールス:老僕
ヤーシャ:ラネーフスカヤの召使い

あらすじ (ネタバレ注意
 
第1幕

ラネーフスカヤが娘・アーニャの付き添いでパリから5年ぶりに自分の土地へ戻る。帰還を喜ぶ兄・ガーエフ、養女・ワーリャ達。

だが現在ではかつてのように裕福な暮らしはもはや望めず、金に困る一家。桜の園は借金返済のため売りに出されている。商人・ロパーヒンは土地の一部を別荘用地として貸し出せば、難局は避けられると助言する。しかしラネーフスカヤは散財する癖が抜けず、破産の危機も真剣に受け止めようとしない。ガーエフは知人や親戚からの借金を試みる。

第2幕

小間使いのドゥニャーシャは事務員・エピホードフにプロポーズされていたが、パリ帰りの召使い・ヤーシャにすっかり惚れてしまう。ロパーヒンは桜の園を別荘用地にする必要性を執拗に説いているが、依然としてラネーフスカヤは現実を直視しようとしない。ワーリャとロパーヒンは前々から互いのことを想っているが、どちらからも歩み寄れないままでいる。アーニャは新しい思想を持った大学生・トロフィーモフに憧れ、自立して働くことを決意する。

第3幕

舞踏会が開かれている。しかし出席者はかつてのように華やかな面々ではない。

ガーエフとロパーヒンは桜の園の競売に出かけており、ラネーフスカヤは不安に駆られている。彼女は別れたパリの恋人とよりを戻すことを考えており、金を巻き上げられるだけだと警告したトロフィーモフと口論になる。ドゥニャーシャに全く相手にされないエピホードフはワーリャを怒らせ、喧嘩になる。

そこへガーエフが泣きながら帰宅する。ロパーヒンが現れ、自分が桜の園を買ったと宣言する。貧しい農夫の身分から桜の園の地主にまで出世したことに感動するロパーヒン。アーニャは泣き崩れる母を新しい人生を生きていこうと慰める。

第4幕

ラネーフスカヤはパリへ戻り、ガーエフ達は町へ引っ越すことになった。
そのための荷造りが進められている。
ロパーヒンは別荘建設のため、留守中に桜の樹の伐採を命じている。
ドゥニャーシャは主人と共にパリに戻ることになったヤーシャに捨てられる。
ロパーヒンはワーリャへのプロポーズを決意するが、土壇場でやめてしまう。

出発する一行。
病院に行ったと思われていた老僕・フィールスがひとり屋敷に取り残されていた。
横たわったまま身動きひとつしなくなるフィールス。
外では桜の幹に斧を打ち込む音が聞こえる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、太宰が静子さんの願いをかなえてあげたことから物語が後ろ向きなお話から前向きなお話へと変わったとデンマンさんは思うのですか?

そうですよう。静子さんは動乱やまぬ戦後社会で、やがて生まれてくる子と強く逞しく生きていく決意を太宰の手紙の中に書いた。

それで太宰の『斜陽』の結末も『桜の園』よりも、より前向きなお話になったのですか?

そうです。

「あなたの赤ちゃんが欲しい」

つまり、静子さんがこのように手紙で書いたことが、『斜陽』の方向性を決定付けたのですか?

そうですよう。“斜陽”というタイトルはミスリーディングなんですよう。

デンマンさんならば、どのようなタイトルにしましたか?

『新しい女の誕生』

。。。この方が物語の本質をより的確に捉(とら)えているとレンゲさんは思いませんか?


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
確かにドラマチックですわよね。

「あなたの赤ちゃんが欲しい」

思っていても、なかなか書けるものではありませんわ。
あなただって、そう思うでしょう?

今度、デンマンさんに手紙を書く時に、書いてみようかしら?
うふふふふふ。。。

とにかく、面白い話がまだ続きます。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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やはり、時代背景を考えないと

イマイチ、作品の良さが

伝わらないのかもしれません。

ナチズムの時代背景が

もろに作品に影響しているもの。。。?

そう考えて、まず第一に挙げられるのは

『アンネの日記』ではないでしょうか?

感動的な作品ですよね?

この作品を読めば、

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伝わってきますよね。

あなたは読んだことがありますか?




いつでも、こんな風に写ってたらいいなぁ。

私のお気に入りの写真ですよ。

これだったらハリウッドも夢じゃないと思う。

1942年10月10日 アンネ・フランク

【ジューン意訳】


ところで、英語の面白いお話を集めてみました。

もし、時間があったら読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。







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