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2012年01月15日

スカートをはいた兵隊 (PART 1)

 

スカートをはいた兵隊 (PART 1)







太平洋戦争中のチャンギー捕虜収容所

占領前、チャンギー要塞の中にあった刑務所が、現在は捕虜収容所になっている。
その中で、捕虜どうしの慰安のために、園芸や芝居が行われているという。
進藤に収容所長に連絡して貰い、翌日、小津(安二郎)は厚田と浜田を連れてチャンギーに行った。
「日本側としては見てもらっても結構なのですが、自治組織になっている捕虜の委員たちが、一応お会いしてからご返答するといっています」
少将の階級章をつけた所長はそういうと、案内役もつとめる通訳の大尉を呼んだ。

12畳ほどの部屋に案内されると、ソファーから3人の男たちが立ち上がった。
通訳の紹介によれば、イングランド、スコットランド、オーストラリア各軍の将校だという。
「大尉、皆さんの階級を教えてくれませんか。 失礼があるといけない」
「ジュネーブ協定によって、将校と兵は区別しています。 しかし、この3人は元の階級は持っていても、現在は捕虜です。 階級の区別を知る必要はないでしょう」
小津はやんわりとした物言いで答えた。
いや、それは君の考え方で、こちらの人々には通じないだろう
捕虜は捕虜です
「私は軍人という人間に会いに来たんだ。 捕虜だろうとなんだろうと、軍人を紹介する場合に階級をいわないのは失礼だよ。 そのことを私は最初に遠廻しに言ったはずだよ」
3人は客である小津が立ったままでいるので座れない。
しかも、小津と通訳との間に激しい調子の言葉のやりとりが行われている。 驚いたように、2人の顔を見くらべていた。
「君は今私に敬語で話している。 それはなぜだい」
「あなたは左官待遇の軍属だと聞きました」
「つまり、軍属であっても、軍に関係ある人間である以上、階級を心得てものをいわなければならないと思っているからじゃないかい」
通訳は詰まった。

突然、女のスカートのような軍服を着ていた男が、英語で2人に何か説明しはじめた。
そのしぐさで、小津がこういい、通訳がこう答え、小津がこう反論したといっていることがわかった。
説明された2人が驚きの表情を浮かべて小津を見た。
「小津さん、私はマッコーミック中佐、こちらはハーリントン少佐、それからこちらがタッパー大尉です」
幾分発音に外人特有のアクセントはあったが、完璧に近い日本語だった。
「私は昭和15年まで京都の大学で英語を教えていました。 あなたの映画も見ています。 お会い出来て嬉しいです

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




397-398ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




ケイトー。。。「スカートをはいた兵隊」というのは「キルト」をはいたスコットランドの兵隊さんのこと?



当然そうでしょうね。

「スカート」なんて言ったら、スコットランド兵を侮辱することになるんじゃない?

僕が言ったのじゃありませんよ。 上の本の中に、そう書いてある。

ケイトーは、もちろん「スカート」ではなく「キルト」だと知っていたのでしょう?

もちろんですよ。 カナダにいればキルトをよく見かけますよ。 お祭りと言えば必ずと言っていいほどキルトをはいたスコットランド人が登場してバッグパイプを演奏しますからね。 もう何度も目にしていますよ。 カナダでキルトのことをスカートなんて言う人はまず居ませんよ。


キルト(kilt)

キルトはスコットランドのスカート状の伝統衣装。
通常はタータン柄である。
キルトは英語名で、ゲール語ではフェーリア(Feileadh)と呼ばれる。
もともとはタータンの大きな布を独特の方法で腰に巻き、紐やベルト、ピンで留めていたもので、ハイランドの男性用衣装であった。
元来ハイランド人はゲール語を話したので、単にフェーリアと呼ばれていたが、この古典的なスタイルのキルトは現在フェーリア・モール(Feileadh Mor)またはベルテッド・プラッド(Belted Plaid)、ときにブレアカン・モールと呼ばれている。

18世紀中盤以前のハイランドではキルト=フェーリアを普段から身に着けることは一般的だったが、ハイランド人がみなキルトを着ていたわけではなく、ズボンの類を着用していた記録も少なくない。

1746年、カロデンの戦いの勝利によってジャコバイトの反乱を制圧したものの、反乱の再発を恐れた政府は、ジャコバイト軍の中心となっていたハイランダーの結束を弱めるためにクランの解体を図り、クラン姓の使用やバグパイプの演奏の禁止と共に、キルトやタータンを含む民族衣装の着用を禁止していた。
但し、ジャコバイトの反乱の際政府軍に与するハイランダーによって編成され、反乱の鎮圧にも貢献した第42ハイランド連隊(42nd Highland Regiment)は禁止の対象外とされ、この時代を通して同連隊の制服としてキルトは使用され続けていた。

現在のスコットランドにおいてはハイランド、ローランドを問わず、キルトは催しや祭礼で用いられる民族衣装となっており、最近は女性も身に着けるようになった。
ほとんどの場合はフェーリア・ベックであるが、フェーリア・モールを好んで着る人も見受けられる。
軍隊でのキルトは、ダンケルクの戦いに於いてクィーンズオウン・キャメロン・ハイランダーズ連隊が着用したのを最後に戦場では着られなくなったが、現在でもスコットランドの連隊の正装や礼装及び常装には使用されている。



赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典: 「キルト (衣装)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




。。。で、どうしてキルトをはいたスコットランド兵を取り上げたの?



本の中に面白いことが書いてあったのですよ。

面白い事ってどういうことよ?

このページの冒頭の箇所に引き続いて次のような会話が出てくるのですよ。


「浜ちゃん、今夜、進藤さんと町に出て、5,6枚パンツを買ってきてくれや」
「え?」
「気がつかなかったのか。 マッコーミックさんソファーに座る時、スカートの下からこのくらいのものが見えたんだよ。 余程、困ってるんだな」
小津は2本の人差し指を立てて、10センチほどの間隔を作ってみせた。
「いえ、優にこのくらいはありましたよ」
全く聞いていないような顔をしていた厚田が20センチほどの長さに指を開いてみせた。

 (中略)

浜田はマッコーミックに小津がそれをどう渡すのかと、興味津々の思い出2人を見まもっていた。
小津はマッコーミックに連れられて、収容所の中を歩いている時を選んだ。
「えーと、……その……マッコーミック中佐、その……気を悪くして頂くと困るのですが、実はですね……さんざ考えたのですが、……どうも、その、……これという、うまい方法がないので……これですが、……受けとって頂けると、本当に有難いと……」
小津は人眼をさけるように、素早く紙包みを鞄から出すとマッコーミックに押し付けた。
「くれるんですか、私に。 なんですか」
マッコーミックは堂々たるものだった。 外人の習慣で、貰ったたものはすぐにあけて見る。
紙包みを破り、中の白い布で作られたものをとり出すと、ぱっと振った。
「おう……」
といったなり、そこに立ち止まってしまった。
見る見る中(うち)に顔が真っ赤に染まってくる。

小津も小津で眼のやり場がないように、その場所に釘づけになったままで顔を真っ赤にしていた。
厚田と浜田は困り果てた。
2人とも、お互いが必死になって笑いをこらえるために体が震えていたのがわかるのだ。
自分もさることながら、相手がそうしていることが、またおかしい。
我慢しきれなくなった浜田がついに吹き出した。
厚田が笑い、当の本人マッコーミックまでが笑い出した。
小津だけがまだ耐えている。
それが、今度は、3人におかしい。
「小津さん……あなた、武士の情け、武士の情け」 そういいながら、マッコーミックが肩を叩いた。
突然、小津が火山が爆発するように笑い声を上げた。



太平洋戦争中のチャンギー捕虜収容所

これには後日譚(ごじつだん)がある。
後年、あの下にはなにもはかないのが正式だと聞かされて、小津は顔色を変え、それは本当なのかと何度も問いただした。
好意でしたことが、マッコーミックを侮辱したことにはなりはしないか、マッコーミックが自分をかばってくれたのではないかということが気になったのだ。

赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




399-401ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社




うふふふふふ。。。おかしいわねぇ。。。



シルヴィーもおかしいと思う?

それはそうよ。。。うふふふふふ。。。でも、あの下にはなにもはかないのが正式なの?

いや、僕は絶対にそう思いませんよ。 第一、キルトの下に何も穿かないとしたら、クイーンと並んで写真を撮った時に、丸見えになってしまうことだってありますよ。





そうよね。。。クイーンの向かって左に座っている兵隊さんが、もし何も穿いてないのならば、長いものがビローンと垂れ下がって見えてしまうわァ。 うふふふふふ。。。



でしょう!? だから、正式な時には絶対にパンツ穿かなければならないはずですよ。 そうでないとクイーンに対して失礼になりますよ。





だから、ちゃんとこうしてパンツを穿いているのですよ。 (微笑)



そうよねぇ〜。 クイーンが写真を見た時にキルトの中が丸見えになっていたら、やっぱり失礼よね。 うふふふふ。。。で、ケイトーは、このことを言うために「スカートをはいた兵隊」を取り上げたの?

やだなあああァ〜、違いますよ。

。。。で、何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、実は、上の場面は大本営の依頼を受けて小津監督が国策映画を作ることになった。 それで日本軍が占領中のシンガポールへ行ったわけです。 英国軍の兵隊を映画の中で使わなければならないので、その役者を探しにチャンギー捕虜収容所に行ったわけです。 そのときのエピソードが上で引用した挿話です。

それで。。。?

僕はバンクーバー図書館でDVDを借りて "The Mystery of Rampo" を観たのですよ。


 


この映画については、すでに2つの記事を書きました。

『拝啓、乱歩先生』

(2011年12月29日)

『スケートリンクと乱歩』

(2011年12月28日)




この映画がどうだと言うの?



この映画の中に日本帝国政府の検閲官が登場して乱歩先生が書いた小説『お勢登場(おせいとうじょう)』を発禁処分にするのですよ。

なぜ。。。?

実は、この小説は『大衆文芸』の1926(大正15)年7月号に掲載された。 でも、映画の中では検閲官が乱歩先生に発禁処分を言い渡す。 その結果、その内容は世間に公開されてないという設定になっている。 それにも拘らず当時の日本で、不倫している妻が病弱な夫を「長持ち」に閉じ込めて殺すという小説と同じ内容の事件が持ち上がる。 その殺人犯である静子という女性が映画のヒロインなのですよ。

映画の中では『お勢登場(おせいとうじょう)』がどういう理由で発禁処分になったの?

要するに妻の夫殺しが当時の日本の風紀を乱すというような理由なのですよ。

でも、そのような内容のミステリーならば欧米の推理小説には数え切れないほどあるじゃない。

その通りですよ。 ところが日本では、愚かとも思える言論統制が真面目に行われたのですよ。 太平洋戦争中に実際に行われた。 その良い例が「竹ヤリ事件」です。


島国根性に凝り固まっていた

帝国政府の政治家と役人は

英語を使うのを禁止した!




知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。




『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)




確かに太平洋戦争中に行われた上のような言論統制はムチャよねぇ。 人間無視の言論統制じゃないの。



その通りですよ。 「スカートをはいた兵隊」の挿話は、ちょうどこの時期にシンガポールのチャンギー捕虜収容所でのエピソードなのですよ。

人間的にぬくもりのある交流がなされていたとケイトーは言いたいの?

その通りです。 そればかりではない。 次のようなエピソードも上の挿話に引き続いて書いてある。


 (すぐ下のページへ続く)



2012年01月14日

輸入された愛


  
輸入された愛




「大日本国語辞典」第二版を引用します。

あい-.する【愛】〔他サ変〕

一 人や動物に対して心が引かれる場合。 (略)

二 物事に対して心が引かれる場合。 (略)

三 (一説、相(あい)する) 適当に扱う。 子供などのきげんをとる。 あやす。 (略)

四 (キリスト教で)神が、あらゆるものをいつくしむ。 また、そのような精神で、自分以外のものをかけがえのないものと思う。

? 平安初期には漢文訓読の際に用いられたが、和文系資料では平安末期(院政期)以降に見られるようになる。

? 対象となるのは人・動植物・物事などさまざまであるが、対象への自己本位的な感情や行為を表すことが多く、精神作用にとどまらない点が「おもふ」と大きく異なる。 また、人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へという傾向が著しかった。

? 明治中期 英love ドイツ語lieben などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対しては、対等の関係での愛情を示すようになる。 また、物事に対しても、より精神性に傾いた意味で用いられる。 その点で感覚的である「このむ」とは異なっている。

? 現代の用法は明治中期以降の流れに沿うものであり、口頭語としての使用も増えているが、文章語の性格を脱したとは言えない。 語感に個人差・年齢差が大きいと思われる。

? 使役「せる(す)」受身「れる(る)」が付くときは、「せさせる(せさす)」「せられる(せらる)」となるが、近世以降詰まって「させる」「される」の形が現われる。 樋口一葉「うもれ木-六」の「喜ばし度し愛されたし」、夏目漱石「それから-十六」の「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させるようにして」など。

赤字はデンマンが強調。)




178-181ページ 『国語辞書の100年』
著者: 倉島長正
2010年9月9日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 おうふう




デンマンさん。。。国語辞典など持ち出してきやはってぇ、「広い愛」とか言わはるけったいなモンを、またわたしにお説教しやはるのォ〜?



あれっ。。。めれちゃんは「広い愛」について少しは納得したのんかァ〜?

納得しますかいなァ! アホくさァ〜。。。男女の愛というモンは、「狭い愛」に決まってますねん。

わては、ちゃうと思うねん。

あんさん!。。。いい加減にしいやァ〜。 わたしは同じお説教をここで聞きとうないねん。

めれちゃんには分かりきったことでも、これを読んでいる人には何の事だか判らへん。 そやから、めれちゃんには迷惑やと思うけど、ここに書き出すよってに、こらえて欲しいねん。


バカバカしい

テーマ: ヲチヲチヲチ〜♪



ああ。バカバカしい。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛をいっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。

それとも、ただのエロなのか?

もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
 
 
posted by merange

2009-03-08 18:48:47




『バカバカしい』より
(2009年3月8日)

『雨降って仲直り?』にも掲載
(2009年4月6日)




めれちゃんの言う「男女の閉鎖的な愛」というのんは、めれちゃんが勝手に男女の愛が閉鎖的やと解釈しているにすぎへん。



あんさんは、また理屈を捏(こ)ね繰り回すのォ〜?

いや。。。理屈を捏ね繰り回さんでぇ〜。。。わてが言うても、めれちゃんは信用せ〜へんから、このページの冒頭に国語辞典から「愛する」を引用したのやないかいなァ。

「大日本国語辞典」ってぇ、あまり聞かへん名前やないのォ〜。 「広辞苑」ができる前の辞典やのォ〜?

いや、ちゃうねん。。。「広辞苑」の編者で有名な新村出先生が1933(昭和8)年に「英国の大を以てしても、40年にして10冊の完成なのだから、私の理想では、今後50年も経ってから、日本の理想的のものが出来るのではなからうか」と言うたのやがなァ。

英国で何が10冊完成したと言うのォ〜?

Oxford English Dictionary (OED) のいことを言うたのやァ。 そやから、日本でも OED のようなりっぱな国語辞典が50年も経てば出来るやろうと予想したわけやァ。

それが「大日本国語辞典」やと、あんさんは言わはるのォ〜?

ちゃうねん。。。わてが言うたところで、めれちゃんは信用せ〜へん。 そやから『国語辞書の100年』から冒頭の小文を引用したのやないかいなァ。 その著者の倉島さんが次のように言うてるねん。




そのときから50年というと昭和58年ということになりますが、それよりわずかに早い昭和51年に『大日本国語辞典』全20巻が完成しました。 新村の理想とした辞書にどの程度近づくことが出来たかは措(お)くとして、ほぼ予想通りの年月の後に本格的な大辞典が刊行されたことになります。




つまり、そのように勿体(もったい)つけた辞典の中から「愛する」を引用して、わたしにお説教しようとしやはるのォ〜?



わては、お説教好きな坊さんとちゃうでぇ〜。。。めれちゃんは、かつて次のように言うてたやないかいなァ。


愛を探して。。。

投稿日時: 2004-8-30 4:54

レンゲ本人です(´▽`)ノ
デンマンさん、
わたしの事を
アナウンスして下さって、
とてもうれしく思っています。
感謝!です。

blooでは、わたしひとりが
「愛〜」「愛〜」と言ってるだけで、
真正面から、わたしと「愛についてのディスカッション」をしてくださる方は、なかなか現れてくれません。

BLOGの方も
(こっちを恋愛専科に
しようかなと思ってます)
なんせ、レスがつかないんですよ・・・
しょぼん・・・
では、ワタクシから・・・

『愛を探して。。。』に、
遊びに来てくださいね!
みなさんと愛について
考えたいと思い、
立ち上げました。
心の中が温かくなるような
交流の場にしましょう。
 
 
by めれんげ & レンゲ




『愛と性と無常』より
(2007年7月27日)




こうして、めれちゃんとレンゲさんはネットで愛を探すたびに出たのやないかいなァ。



あんさんは、わたしとレンゲさんが書いたものは何でも保存してはるのやねぇ〜?

あきまへんかァ〜?

それで、あんさんは何が言いたいねん?

"I love you." という日本人のオツムに、当たり前のように浮かぶ「愛」というのは、実は、明治時代の中期に欧米から輸入された概念なのやがなァ。

要するに、明治時代以前には「わたしはあなたを愛してますねん」と言わへんかったと、あんさんは言わはるのァ〜?

上の辞典にそないに書いてあるねん。 

江戸時代の人は何て言うてたん?

「わては、めれちゃんを好いてしもうたのや」とか、「わては、めれちゃんにぞっこん惚れてしもうたのやでぇ〜」と言うたのやがなァ。 「愛してる」なんて昔の人は言わへんかった。

そやけど、平安末期(院政期)以降に「愛する」という言葉が使われていたと書いてありますやん。

意味がちゃうねん。 「かけがえのないものと思う」という意味やんかァ。 しかも、人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へと言う傾向があった。 つまり、男と女が対等で言うような言葉ではなかったのやないかいなァ。

。。。で、明治中期以降に欧米から入ってきた「愛」は「広い愛」やったと、あんさんは言わはるのォ〜?

そうやァ。

その証拠でもあるのォ〜?

あるのやァ。 わてがカナダで、この目で見た忘れがたいシーンがあるねん。 すでに書いたことやけど、めれちゃんも改めて読んでみたらえ〜やん。


愛の世界
 
 




僕がエドモントンに居た頃に付き合っていたシングルマザーのことを書きますけれどね、この女性はエミリーさん(仮名)といって3人の子持ちでした。長男が5つぐらいでしたよ。



そのエミリーさんは30歳ぐらいの女性ですか?

そうです。

きれいな方だと言いたいのでしょう?

いや、ブスだとか美人だとかは、この場合関係ないんですよ。

でも、デンマンさんが付き合っていた方ですから気になりますわァ。





こんな感じの人でしたよ。



きれいな方ですわ。デンマンさんがお付き合いする人って、どうしてこのようにォきれいな方ばかりなんですの?

これは実物の写真ではありませんよ。 プライバシーを守らなければなりませんからねぇ。

(中略)

。。。それで、そのエミリーさんはどんな躾(しつけ)をしていたのですか?

それが驚いたのなんのって。。。

だから、どのような。。。

そう、せかせないでくださいよ。今から言いますからねぇ。その5歳のマイケル君が食事のあとに皿洗いをするんですよ。5歳ですよ。日本では考えられない事でしょう?僕は危ないのじゃないか?と思いましたよ。ナイフなんかがシンクの中に混ざっていますからね。

しかし、5歳の坊やでは流し台にとどかないでしょう?

そうなんですよ。欧米の台所の流しはかなり高いですからね。そのままではとてもマイケル君には皿洗いができないんですよ。

それでどのようにして?

ビール瓶が1ダース入ったプラスチック製のケースがスーパーマーケットなんかにあるでしょう?あれが台所の隅に置いてあってね、それをマイケル君が流しの所に引きずって行き、ケースをひっくり返してその上に乗るんですよ。

そんなことまでして5歳のマイケル君に皿洗いをさせるのですか?ちょっと可哀想ですわ。

そうなんですよ。見かねて“危ないから僕がやりましょう”と申し出たのだけれどね、“それは躾のひとつだからマイケルにやらせているの”と言って僕の申し出を断固として拒絶しましたよ。

エミリーさんの家が特別なのではありませんか?

いや、そういうわけじゃないんですよ。欧米で僕は他の家でも同様な躾を何度か見ています。僕自身の小さい頃や、その当時友達の家に遊びに行った時などに目にした家庭の様子などを振り返ってみて、日本人の家庭では子供が甘やかされていると、僕はしみじみと感じましたよ。

しかし、躾と家庭崩壊とどのような関係があると言うのですか?

つまり、躾を通して社会的な規則や家族の絆を学んでゆくという姿勢ができてゆくと思いますね。マイケル君のような5歳の男の子に日本で皿洗いをさせたら、児童虐待と言われかねないかもしれません。でもね、もし、上の7人を殺害したカップルが幼い頃しっかりした家庭教育を受けていたら、社会的常識や規則、家族の絆を身に着けていたでしょう。だから、あのような無残な殺人をやってのけるような事にはならなかったと僕には思えるんですよ。

そうでしょうか?

じゃあ、もう一つエピソードを。。。僕はエミリーさんと子供たちと一緒に近くのショッピングセンターへ買い物に付きあった事があるんですよ。その時マイケル君がおもちゃの棚のところでプラモデルの飛行機が欲しいと言って駄々をこねたんです。エミリーさんは“前にも同じようなプラモデルを買ったじゃないの?あのプラモデルを途中で投げ出してしまったでしょう?だからこれは駄目よ!まだ、あのプラモデルがあるのだから、これは元の所に返してきなさい” このように言ってエミリーさんは断固として譲らなかったんですよ。

それで。。。?

マイケル君は泣きだしてしまいましたよ。“泣く子と地頭には勝てぬ”という諺が日本にはありますが、エミリーさんは断固としてマイケル君の言う事を無視し続けました。日本人の母親なら、子供が泣いてまで欲しがるのだから、おもちゃを買い与えてしまうかも知れませんよね。しかもショッピングセンターで子供が泣き出して駄々をこねる様子は日本人なら“みっともない”と考えて、そう高くはないおもちゃを買い与えてしまうかも知れません。

それで、どうしたのですか?

エミリーさんは全く取り合わなかったですよ。僕は、マイケル君にかなり同情していました。皿洗いまでしていましたからね。ご褒美に、もう一つぐらいプラモデルを買い与えてもいいのじゃないか?僕は、そう思いましたよ。

デンマンさんはどうなさったのですか?

僕が買ってあげると言い出したところで、エミリーさんが拒絶するのが分かっていましたからね。僕は何も言いませんでしたよ。あとでマイケル君にエミリーさんには内緒で買ってあげるつもりでした。そのことよりも、このあとマイケル君がどのような態度を取るのか?そのことの方に興味がありましたね。

マイケル君はどうしたのですか?

マイケル君もお母さんの性格が全く分からないわけじゃない。ひとしきり泣いていたけれど、お母さんが買ってくれないと分かると、泣き止みましたよ。そうなると、お母さんの機嫌を損ねた事が気になるのですね。マイケル君が駄々をこねたのでエミリーさんは無視し続けましたからね。マイケル君はエミリーさんと少し離れながら、買い物のあとに付いて行きましたよ。エミリーさんも気にならないわけじゃない。時々マイケル君の様子を見ていました。レジに着く頃にはマイケル君は駄々をこねた事を少し反省したらしくて、エミリーさんの手をそっと取って、じっと見上げるんですよ。

エミリーさんは何と言ったのですか?

何も言いませんでした。でも、マイケル君が握った手を離さずに、見上げるマイケル君にちょっぴり笑みを浮かべました。“Mommy, I'm sorry.” マイケル君は小さな声でそう言いました。エミリーさんはそんなマイケル君を見て前よりもやさしい笑みを浮かべたものですよ。僕がハッと思ったのはその次にマイケル君が言った言葉です。“Mommy, I love you.” 日本では、絶対にこのような会話は聞く事ができないですよね。





いいお話ですわァ。“小説的人生”を送っているあたしにはうらやましい限りです。

■ 『レンゲさんの小説的人生』



僕はその時、“家庭の絆”を目にしたような気がしましたよ。躾は厳しいだけじゃない。“母親のぬくもり”も充分にマイケル君に伝わっていたんですよね。この厳しさと母親のぬくもりが現在の日本には欠けているのではないか?実の両親と妹夫婦とその子供たちを殺し、死体を切り刻み鍋で煮て、ミキサーにかけてジュースにして捨てる。この死体なき完全犯罪をしようとした43歳の女性は心が壊れているとしか考えられないですよ。実際にこの犯行を考えたのは内縁の夫だったけれど、その夫の言うままに従ったこの女性の心は、決して正常ではなかったでしょう。このようなことが起こらないためにも、日本人はもう一度“家庭の絆”という事を考えてみる必要があるのじゃないか?そうすれば、レンゲさん、あなたが育ったような崩壊した家庭も無くなるような気がするのですよ。ちょっと、言い過ぎましたか?

いいえ、あたしの耳には痛みが残りましたが、デンマンさんの言われた事は理解できますわ。

そうですか。そう言ってもらえると、ちょっと長めに書いた甲斐がありますよ。レンゲさんが、いづれお母さんと仲直りできる事を祈っています。




『雨降って仲直り?』より
(2009年4月6日)

初出: 『不倫と家族の絆』
(2005年10月2日)




どうやァ。。。、めれちゃんのオツムの中の「愛(love)」は江戸時代の「愛」やあらへん。 間違いなく明治中期に欧米から輸入された「愛(love)」なのやでぇ〜。



わたしの「愛」が I love you の「愛」やと、あんさんは言わはるのォ〜?

その通りやァ。

その証拠でもあるのォ〜?

次の詩を読めば、めれちゃんの愛が日本古来の「恋」ではなく、欧米から輸入された「愛」であることが直感的に判ろうというものやァ。


心から愛を込めて



浪速の空に咲く
大輪の火の花
こんなにあなたを想ってるのに
待ちきれないこの気持ちを
あなたは分かってくれるだろうか

焦がれる心が痛い・・・
でも、わたしには何もできない

わたしの言葉も
わたしのしぐさも
ありのままでいいと
あなたは教えてくれた

夜は日毎に長く
眠れない時間の
思いは過去をまさぐるだけ



幸せであるはずなのに
かわかない涙
しあわせと呼べる時間は
今どこをさまよっているの

終わることなく愛されている
そう思いたい。
でも、思えない。

すべての記憶
あなたの笑顔
あのよろこび
あの感動の涙
楽しくてしあわせだった
天神祭の日々

ずっとあなたに愛されている
それはけっして終わりなど来ない
そう思いたい
でも、思えない。

ああ、この熱い思い
このやるせない気持ち
あなたに分かってほしい
  
  
by レンゲ

本宮の夜にて




『あんさんに会いたいわ』より
(2011年10月31日)




あんさん!。。。これは、わたしではのうてレンゲさんが詠(よ)んだモノですやん。



めれちゃんも同じような詩を詠んでいたのやァ。

それで、欧米から輸入された「愛」は広い愛やと、あんさんは言わはるのォ〜?

そうやァ。。。その「愛」は男と女の愛に限られたものではあらへん。 マイケル君がお母さんに言った“Mommy, I love you.”は、子供が母親に対して、つまり、下から上に向かって発(はっ)せられた愛の表現なのやがなァ。 めれちゃんは次のように言うたァ。

人間愛と、男女の愛を

いっしょくたにしているアナタは、

本音を語っているのなら、

一生誰とも愛を語れないだろう。


そやけどなァ、輸入された「愛」というモンは、もともと人間愛と男女の愛をいっしょくたにした「愛」なのやでぇ〜。。。I love you は、子供が母親に対しても使うものなのやがなァ。

それは、あんさんの個人的な体験に基づく解釈やと、わたしは思うねん。

そうかもしれへん。 でもなァ〜、そないに考えれば、めれちゃんのようにムカつくこともあらへん。



ああ。バカバカしい。



つまり、わたしがムカついたことが、いかにアホらしいか!と言うために、こうして長々と理屈を並べやはったん?



うへへへへへ。。。めれちゃんも、少しは冷静になって考える気になったやろう?


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
愛って何か?
人類の永遠の課題ですよね。

そう簡単に誰もが納得ゆくような答えは出ないでしょう。
人それぞれの経験によってもずいぶんと違ってくるだろうと思います。

あなたにとって愛って何ですか?

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『あんさんに会いたい(2011年10月31日)』

『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』




こんにちはジューンです。

愛と恋の定義は易しいようで

難しいですよね。

日本には“愛(いと)しい”とか

“恋しい”という言葉は昔から

ありましたけれど、

“愛(あい)する”、つまり、

英語圏でしばしば使われる

I love you. という言い方は

明治時代の文明開化の時に

イギリスからその概念“love(愛)”

を輸入したそうです。

だから、今でも愛を告白する時に、

日本人の男性は

次のように言うと思います。

「僕は君が好きだよ」

「僕はきみに惚れてしまったんだ」

「僕はきみに恋してしまったようだよう」

デンマンさんに尋ねたら、日本で暮らしている頃、

女性に対して「好きだ」と言ったことはあるけれど、

「愛している」といった事は一度もなかったそうです。

あなたはどうですか?



I Love you more than

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2012年01月08日

他人の不幸は…

 
他人の不幸は…




『鑓の権三重帷子』

(やりのごんざかさねかたびら)




あらすじ

鳥取藩士の笹野権三は、若殿の祝言で茶を点(た)てることを命じられた。
権三は「鑓の権三」と異名をとる遣い手だったが、太平の世に剣術では出世できない。
そこで、茶道役での出世を狙う。

しかし、この手前は格式の高い「真(しん)の台子(だいす)」で行わなければならない。 ... これは茶道指南役・浅香市之進から伝授を受けたものしか扱えず、権三はまだ伝授を受けていなかった。
しかも市之進は現在、江戸詰めで鳥取にはいない。
そこで権三は、市之進の妻おさゐから、真の台子の伝授を受けようと考えた。

権三が目指す祝言の茶道役を彼の同僚・川側伴之丞も狙っていた。
権三は伴之丞の妹・お雪と縁談を進め、本来なら伴之丞と親しく付き合えるはずだったが、権三は、嫌味な性格の伴之丞が好きになれず、伴之丞も権三をライバル視し、やはり真の台子の伝授を受けようと、おさゐに近づいた。
伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。 美男の誉れ高い権三で、娘の夫になってもらいたいと、おさゐは権三に伝え、もし承知してくれれば伝授すると約束した。
権三は悩んだ。 自分にはすでに許婚(いいなずけ)がいる。 ここは恋を取るか、出世を取るかの選択となった。

悩む権三の姿を見て、おさゐはいらつく。 権三には許婚がいるのを知っていた。 権三が締めていた帯も許婚が贈ったもの。
このままでは権三が取られてしまう。
おさゐは忌々(いまいま)しい帯をを権三から取り、私のを締めればいいと自分の帯を解いた。 すると、この状況を伴之丞が目撃する。

伴之丞は夜這(よば)いをして、おさゐから伝授を得ようと企(たくら)んでいた。
しかし、権三に先を越されたと早合点し、二人の帯を持ち去り、それを証拠に不義密通を訴え出た。

権三とおさゐは、二人で鳥取から逃げ去るが、逃亡先の京伏見で、おさゐの夫・浅香市之進の手に掛かる。

ここを観て聴いて

二人に不義密通の事実はなかった。
しかし、解かれた帯を証拠にされては、もう言い逃れは出来ない。
権三はもう、武士が廃(すた)ったと切腹を覚悟するが、おさゐはそれを押し止め、そして権三に懇願する。
私の夫・浅香市之進は妻の不義で恥をかき、その上、不義相手を討ち果たす妻敵討(めがたきうち)が出来なければ恥の上塗り。
それでは妻としてあまりに不憫なので、「どうせ死ぬのなら夫に討たれてください!」。
理不尽とも思えるこの願いを権三は受け入れる。
これも出世を望み、許婚を捨てようとした罰か……。

印象的なラストシーン

二人は、おさゐの夫・浅香市之進以外の者に斬られないように国を出た。
その二人を見つけ手に掛ける市之進。
権三は何の弁明もせずに討たれるが、おさゐは夫に真実を告げたかった。
しかし市之進は何も聞かずにおさゐを斬った。

この後、刀をじっと見つめてから捨てた、市之進役の人形遣いがいた。
今までに見たことのない演出だったが、妻を斬った苦しさ、武士の空しさが痛いほどよく判った。

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




102-103ページ 『名作文楽50』
著者: 高木秀樹
2005年7月1日 初版第一刷発行
発行所: 株式会社 世界文化社




デンマンさん。。。あんさんは古臭い文楽などに関心がありますの?



あきまへんか?

あっかァ〜ん!と言うつもりはないんやけど、どないなつもりで文楽など持ち出してきやはったん?

あのなァ〜、めれちゃんは文楽が古臭いというけど、この『鑓の権三重帷子』は、『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』と『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ』と共に近松門左衛門の三大姦通劇と言われて現在でもよく知られてるゥ。 実際、1986年には映画化されてるのやでぇ〜。。。


鑓の権三



近松門左衛門原作の世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』の映画化で、1986年に作られた。
「卑弥呼」の富岡多恵子が脚色。
監督は「瀬戸内少年野球団」の篠田正浩。
撮影は同作の宮川一夫がそれぞれ担当。

あらすじは世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』とほぼ同じだが
おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、権三と夫婦の契りをかわしてから」と、旅篭(はたご)で激しく愛しあう。

宇治の川岸にかかる橋の上で、ふたりはついに市之進と出会った。
そして、彼の刀に倒れるのだった。
一件落着し、浅香家では遺児・虎次郎が亭主となり、茶を立てている。

配役:

郷ひろみ (笹野権三)
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
加藤治子 (お雪の乳母)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
浅川奈月 (市之進娘・お捨)
大滝秀治 (岩木忠太兵衛)
三宅邦子 (忠太兵衛女房)
河原崎長一郎 (忠太兵衛伜・甚平)
竹中直人 (権三の同僚・文右衛門)
浜村純 (道具屋の主人)
小沢昭一 (船頭)




篠田正浩監督作品

『乾いた花』 『鑓の権三』







デンマンさん。。。あんさんは上の映画を観やはったん?



もちろんやァ。 『堀川波鼓』は1707年2月15日に、大坂竹本座で初めて演じられた。 1706年に起きた、鳥取藩士が妻敵(めがたき)を討った事件を基にして近松門左衛門が書いたものなのやァ。 そやから、『鑓の権三重帷子』も、実際に起きた事件を基にして近松が書いたものやと思うねん。

つまり、実際に起きた事件を基にして近松のおっさんが書いたものやさかいに、あんさんは観る気になりはったん?

そうやァ。。。そやけどなァ〜、次の箇所はドラマチックにするために付け足したと思うねん。



おさゐは忌々しい帯を権三から取り、

私のを締めればいいと自分の帯を解いた。

すると、この状況を伴之丞が目撃する。




この場面はあまりにも不自然やと思うねん。



どうして。。。?

このような見え見えの事をするかいな! これでは、「私たちが不義をしている所を見て!見て!」と宣伝しているようやないかいなァ! アホらしくて、観ているわての方が恥ずかしくなったでぇ〜。。。

なにも、あんさんが恥ずかしくなることはおまへんがなァ〜。。。

とにかく、観客の目に不自然やと思われるような事はせ〜へんこっちゃ!

。。。で、あんさんは、その事が言いたいために、わざわざ『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

ちゃうねん。。。そのような些細な事で記事を書くかいなァ!

そやったら、どないな理由で『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

あのなァ〜、このような不義密通をテーマにした作品は“姦通物(かんつうもの)”と呼ばれておるのやけど、戦後、姦通罪が無くなったのに、どうして未だに人気があるのか? その事をわては考えさせられたのやがなァ。

それで、記事のテーマにしようと思いはったん?

そうやァ。 江戸時代から太平洋戦争まで、この姦通罪は、不義をした妻と、その相手の男だけに適用されて、この二人が罰せられた。 つまり、夫が妻以外の女と浮気をしようが2号さんを持とうが罪とはならへん。

それは男女同権に反しますやん。

そやから、戦後、姦通罪は廃止されたのやがなァ。 それにもかかわらず、未だに『鑓の権三重帷子』が上演されたり 1986年には映画にもなった。 つまり、人気が続いているねん。

『忠臣蔵』が未だに人気があるのと同じ理由やと、わたしは思うわァ。 つまり、吉良上野介を悪者にして、悪い奴をみなで懲らしめはるゥ。 そういう場面を見て日本人は気分良く日常生活に戻ってゆきはる。 気分がすっきりして癒されますねん。

なるほどォ〜。。。言われてみれば分かるような気がする。 そやけどなァ、『鑓の権三重帷子』の場合はちょっと違うと思うねん。

どないに。。。?

実は、日本の家庭の主婦は、多かれ少なかれ「おさゐ」さんのような中年女性が多いと思うねん。

伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。

美男の誉れ高い権三で、

娘の夫になってもらいたいと、

おさゐは権三に伝え、

もし承知してくれれば伝授すると約束した。


つまり、たいていの主婦は打算的で、スーパーならば人よりも良い物を安く手に入れたいと思う。 夫に失望している妻は、せめて娘だけには夫よりも有望な若者を探して見合いでもさせたいと思うてる。 しかも、最悪の状態になっても、諦め切れない未練がましい気持ちにとらわれる。 そやから映画のような状況に共感する。



おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、

権三と夫婦の契りをかわしてから」と、

旅篭(はたご)で激しく愛しあう。




つまり、このような願望を日本の中年主婦が持っていると、あんさんは言わはるのォ〜?



夫に失望している妻ならば、当然やろう?

そうやろか?

そやけどなァ、おさゐも権三も殺されてしまうのや。 それを見定めて観客の中年主婦は、きっと次のように思うねん。



ああ〜  思えば、わたしだってぇ、

同じような状況であれば、

同じような事をするかも。。。

駄目な夫と生活しているけれど、

殺されるよりは

生きて旨い物でも食べていた方がええわァ。


ここで初めて常日頃不満タラタラの家庭の主婦は蜜の味を感じるのやァ。
 
 
“他人の不幸は蜜の味”
 
 


あんさん!。。。、これはかな〜り性格の悪い解釈ですぇ〜。。。



さよかァ〜。。。?


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
デンマンさんは近松門左衛門の作品にハマっているようですわ。
かつて『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)について次の記事を書きました。



『心中と切腹』

(2010年11月25日)


同名の人形浄瑠璃は1721(享保5)年に、大坂竹本座で初演されました。
実際に1721年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を基にして書いた作品です。
愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されています。
また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られています。
後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれのこたつ)が主に上演されています。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


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■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『あんさんに会いたい』 

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『あんさんに会いたい(2011年10月31日)』

『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』




こんにちは。ジューンです。

『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』も

近松門左衛門の三大姦通劇の一つですが、

この人形浄瑠璃は1707年2月の初演以来、

上演が途絶えていたのです。

それが1964年にNHKで復活しました。

これを映画化したものが今井正監督による『夜の鼓』です。

新劇では俳優座が『つづみの女』として上演しました。

鳥取藩士小倉彦九郎の妻・たねは、

夫が江戸詰めで国許を留守にして間に、

酒席で飲みすぎて、そのはずみで

鼓師・宮地源右衛門と褥(しとね)を共にしてしまいます。

そして不義の子を身ごもるのです。

その噂のために、妹のお藤(ふじ)の縁談は

破談になってしまいます。

隠しきれなくなったたねは、

夫への忠節を示すため自分の胸を突き、

非を詫びながら夫の手で絶命します。

たねの妻仇(めがたき)を討つべく、

彦九郎は復讐に燃える妹らを連れて

宮地宅へ討ち入り、本懐を果たすという物語です。

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2011年12月28日

スケートリンクと乱歩(PART 2)


 
 
スケートリンクと乱歩 (PART 2)


今一つの世界



ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。

でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。

ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。

暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。

もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。

古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。

ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。



江戸川乱歩(左)と三島由紀夫




(130 − 132ページ)
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行

『裸婦と今一つの世界』に掲載
(2011年4月20日)




要するに、あの映画の中で語られている発禁処分を受けた小説『お勢登場(おせいとうじょう)』は乱歩先生の「今一つの世界」だとデンマンさんは考えているのですか?



そうです。 乱歩先生の上の文章を読み返しながら僕はそう思いましたよ。

夫を「長持ち」に閉じ込めた女性と乱歩先生は「今一つの世界」を共有したとデンマンさんは考えているのですか?

例え、事件を起こした女性と実際に会ったとしても、その女性と共有した「今一つの世界」は多くても40%程度でしたよ。

。。。で、残りの60%は。。。?

創作の世界とファンタジーの世界ですよ。

乱歩先生と「今一つの世界」を共有したことで「静子」は、その後の人生をポジティブな方向に歩んでいったのでしょうか?

少なくとも乱歩先生はポジティブな方向に歩んでいったはずです。

その根拠は。。。?

乱歩先生は妻の隆子さんとは離婚してませんからね。 少なくとも世間並みな幸せな結婚生活を送って1965年(昭和40年)の夏、脳出血のため満70歳であの世に逝かれたのですよ。

そう言えば、あの映画には乱歩先生の奥様は登場しませんでしたわね。

あのねぇ、「今一つの世界」には「妻」は出てこないものですよ。

デンマンさんの「今一つの世界」にも奥様が出てこないように。。。?

そうですよ。。。うししししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜
なんだかミステリーの種明かしのようにして記事が終わるになりましたけれど。。。、
あなたは納得できましたか?

ところで、秋の紅葉も、もうすっかり終わりになってしまいましたけれど、あなたは紅葉(もみじ)狩りに行かれましたか?

ええっ。。。? 忙しくってぇ、それどころじゃなかったの?
じゃあねぇ、来年の秋のために良い所をご紹介しますわ。
榛名湖ですわよ。

榛名湖紅葉



榛名湖へ行ったら榛名山の中腹にある伊香保温泉に寄らないで帰ったら損をしますわよ。
あたくしも伊香保温泉は好きでござ〜♪〜ます。
ええっ。。。どうしてかってぇお聞きですか?

だってぇ、伊香保温泉は竹久夢二ですわよ。
竹久夢二の記念館もござ〜♪〜ますわ。

秋の伊香保温泉



そして帰りにはデンマンさんのように黒豚トンカツを食べるのもようござ〜♪〜ますわ。
あたくしもいただきました。

黒豚トンカツ



次回も、面白い話題が続きそうでござ〜♪〜ますう。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

わたしは12月18日の次の記事を

大変興味深く読むことができました。



『仙台の女』

(2011年12月18日)


上の記事の中に『赤い殺意』という映画が出てきました。

何の気なしに他の YouTube も観てみました。

そうしたら次のクリップに出くわしました。

蒸気機関車が出てくるシーンです。

『赤い殺意』 (1964)

蒸気機関車のシーン




デンマンさんが大学生の頃には蒸気機関車が走っていたのでしょうか?

わたしがその事を尋ねたら、

「僕が大学生の頃には蒸気機関車は、もう東北線を走ってませんでしたよ」

ですってぇ〜。。。

わたしは SL ファンなので面白いお話が聞けるかと思ったのですけれど、あてがはずれましたわ。

ところで、デンマンさんが小百合さんのことで

次のような記事を書いています。

時間があったら覗いてみてくださいね。

『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』

『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』

『日本は汚染される(2011年10月4日)』

『おばんざい(2011年10月4日)』

『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』

『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』

『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年11月29日

熟女ヌードとデンマン

 
熟女ヌードとデンマン
 
 

 


ケイトー。。。最近、記事に悩殺的な女性の写真を貼り付けるわね?



ん。。。? 悩殺的。。。?

そうよ。。。上の写真は、まさに悩殺的というのにぴったりな写真じゃない。

女性の目から見ても上のレンゲさんの写真が“悩殺的”に見えるの?

そうよ。。。性的魅力で男心を夢中にさせてしまうようなポーズじゃない。

シルヴィーもそう思う?

だってぇ、そうじゃない。。。それよりも、どうしてまた刺激的なタイトルをつけたの? 先日も「40代女性のヌード」という刺激的な記事を書いたじゃない!?



『40代女性のヌード』

(2011年11月17日)




あのjねぇ、最近は高齢化社会になってぇ、40代、50代はまだまだ若いと見直されてきたのだなァ〜、とつくづく思いながら記事を書いたのですよ。



その事と「熟女ヌード」と関係があるの?

もちろんですよ。。。40代50代の女性と言えば「熟女」ですよ。

でも、高齢化社会になりつつあるのだから、「熟女」は40代、50代から60代、70代に移りつつあるのじゃないの?

シルヴィーもそう思う? 実は、僕もそう思って、もしかしたら「熟女ヌード」で画像検索すると60代、70代の女性が登場するのではないかと思ったのですよ。

それで、ケイトーは画像検索してみたの?

そうなのですよ。。。その結果を見てください。



『現時点での画像検索結果』



60代、70代の女性は登場していないじゃない! でも、どうして “デンマン” を付け足して検索したのよ?



もちろん、最初に検索した時には「熟女ヌード」だけを入れて検索したのですうよ。 でもねぇ、やっぱり60代、70代の女性は登場していなかった。 高齢化の進んだ現在でも、“熟女”というのは40代、50代の女性どまりのようですよ。

高齢化の進んだ現在の社会で 60代、70代が熟女じゃないのは、ちょっと可笑しいわね?

あと20年ぐらいすれば寿命がさらに延びて 60代、70代の女性も“熟女”と呼ばれるようになるかもしれませんよ。 (微笑) とにかく、僕の見た限りでは「熟女ヌード」の検索結果に 60代、70代の女性は登場しなかった。 それで、試しに僕のハンドル名を付け足して検索してみたら、どのような画像が表示されるかと思って、上のようにハンドル名を付け足して検索したわけですよ。

私が出ていないので安心したわ。

いや。。。そのうち検索すればシルヴィーも登場するかもしれませんよ。 うへへへへへ。。。

。。。で、上の結果から何が分かったの?

僕は、かつて「熟女ヌード」をテーマに記事を書いたことがあるだろうか? 。。。ふとそう思ったのですよ。

書いたことがあるの?

だから、それを調べるために「熟女ヌード デンマン」と入れてウェブ検索してみたのですよ。 その結果を見てください。



『現時点でのウェブ検索結果』



あらっ。。。ちゃんと書いているじゃないの!



でも、僕は「熟女ヌード」をテーマに記事を書いた覚えがないのですよ。

でも、上の結果の中に、ちゃんと記事のタイトルが表示されてるじゃない!?

そうなのですよ。 次の2つの記事が間違いなく表示されている。




『不倫とヌード (2006年9月6日)』

『不倫とヌード再訪(2006年9月17日)』




5年枚に書いた記事だからケイトーは忘れてしまったのよ。



「熟女ヌード」をテーマに書いたのならば忘れるはずがないのだけれど。。。

でも、ケイとーは全く思い出せなかったのでしょう?

とにかく、僕は上の2つの記事をじっくりと読み返してみましたよ。 でもねぇ、「熟女ヌード」は出てこない。

マジで。。。?

もちろん、ウソやデマカセではありません。 検索の仕方がまずかったのですよ。 もし「熟女ヌード」を扱った記事を探すのであれば次のようにして検索すべきだったのですよ。 その検索結果を見てください。



『現時点でのウェブ検索結果』



なるほど、熟女ヌードを半角のクオーテーションマークで囲むのね。



そうです。 そうすれば上の検索結果の中に表示されたように熟女ヌードが「熟女」と「ヌード」に分かられて検索されるのでなく、2つまとまった形で“熟女ヌード”として検索されるのですよ。

それで次の記事の中では熟女ヌードが実際に表示されるの?

『グーグル現象にビックリ』

(2008年4月29日)


まず上の記事の中の次の面白い文章を読んでみてください。


性と尻



ヒトの尻は、大きな筋肉があることにより自ずと盛り上がりを見せるものである。
それ以外にも、座位の際に関節や神経等を保護するクッションとなり、体重による苦痛を感じないよう脂肪が多く付いている。
特に女性は、出産に備えた骨盤の形状および位置の関係で、尻の後方が突き出すようになっていて盛り上がりが顕著であるため、乳房と並ぶ重要な身体的魅力(セックスアピール)を発揮する部位となっている。

メスにおいては、四足歩行体形をとった際に尻の中央に外性器を示す。
また、尻が赤く腫れ上がる(皮下の血管が透けて見える)ことがある。
これは交尾の準備ができたことをアピールする、すなわちオスをひきつける効果を外性器とともに担っていると考えられている。



もともとメスのセックスアピールを発揮するのは、外性器とその周辺の尻の役目であったが、ヒトは直立して生活するようになり、尻および外性器がオス(男性)の目に付きにくくなった。
そのため、尻の代替として2つの乳房のふくらみがよく発達したとの考えもある。
これは他の哺乳類においては、ヒトほど盛り上がった乳房を持つものがない。



また、乳房の膨らみは授乳機能には直接の関係がないことを説明するものである。
しかしながら、これは証明されたものではない。



ゲラダヒヒのメス

(female gelada baboon)


ただし、ゲラダヒヒという猿のメスは、胸が性器周辺を模したと考えられるつくりになっている。
ゲラダヒヒは座って過ごすことが多く、尻および尻の中央にある外性器を見せることが少ないため、その代わりとして胸に身体的自己擬態としての外性器のコピーを持ったと考えられる。
このコピーは本物の外性器と同様、いわゆる「さかり」がついたときに色が変化し、オスにそれをアピールする。

このようなことから、ヒトであっても女性の胸が尻のコピーであるということは充分に考えられることではある。
ヒトの場合、女性器のコピーは唇として発達したとの考えもある。
これも乳房同様、他の動物には見られないことなどが理由となっている。
少なくとも文化的にはそう考えられることが多い。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『グーグル現象にビックリ』より
(2008年4月29日)




つまり、上の記事の中のレンゲさんの写真が熟女ヌードだと言うの?



いや、違いますよ。 残念ながら熟女ヌードの写真はないのですよ。

それなのに、どうして「高齢熟女ヌード」が記事の中に現れるの?

あのねぇ、記事の中で検索キーワードをしらべているのですよ。 そのリストの中に次のように「高齢熟女ヌード」が登場するのです。





要するに、「高齢熟女ヌード」を見たさに検索エンジンで検索して僕のブログにやって来たのですよ。 でもねぇ、半角クオーテンションマークで囲まずに検索したものだから、「高齢」と「熟女」と「ヌード」が離れ離れで検索されたのですよ。 そsれで、見たいと思った「高齢熟女ヌード」が登場しない記事に誘導されてしまった。



つまり、ケイトーの記事の中には「高齢熟女ヌード」の写真はないのね?

もちろんですよ。 僕は60代、70代の「高齢熟女ヌード」に興味がないのだから。。。苦笑。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
「高齢熟女ヌード」なんて趣味が悪うござ〜♪〜ますわ。
あなただってぇ、そう思うでしょう?



京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さだったのですわ。
冷し中華が食べたいと思っていら、
いつの間にか紅葉の季節になってしまいましたわ。
あたくしは久しぶりに京都の法然院を訪ねてみました。







紅葉が見ごろでござ〜♪〜ましたわ。
あなたもお近くの森に紅葉狩りに出向いてはいかがですか?
ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』


 
『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

第41代および第43代米国大統領を生み出した

ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。
 
 

 
東京大空襲で焼け野原になった江東区
 
 
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。


その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。



「いつブッシュが捕まったんだ!?」




『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)




ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年11月17日

40代女性のヌード



40代女性のヌード
 






デンマンさん、どうして「40代女性のヌード」などを持ち出してきたのですか?



あのねぇ〜、僕のふるさと、行田市に帰省中に僕は旧吹上町にある「自遊空間」でネットをしたのですよ。 その帰りに「お持ち帰りコーナー」で週刊誌をパラパラめくって面白そうなものを実家に持ち帰るのが習慣になったのです。

男性週刊誌の中にデンマンさんの興味を惹くような40代女性のヌードがあったのですか?

いや、男性週刊誌ではなくて芸能週刊誌に40代女性のきれいなヌードが掲載されていた。 しばらくして「お持ち帰りコーナー」を見てみたら、今度は50代女性のヌードも掲載されていた。 どちらも芸能週刊誌に載っていたのです。 10年程前には40代や50代の女性のヌードが週刊誌に載るなんて極めて稀な事だった。 少なくとも僕は見たことがない。 それなのに最近では男性週刊誌ばかりではなく、芸能週刊誌にも40代50代の女性のヌードが載るようになったのか!?と。。。ちょっと驚いた。 でも、高齢社会という現実を考えてみれば40代50代は、80代90代と比較してみれば、まだまだ若いのだと改めて写真を見て実感したのですよ。 うししししし。。。

そう言えば、その芸能週刊誌を私に見せましたよね。

あれっ。。。小百合さんはちゃんと覚えているではありませんか!

覚えてますわよ。 デンマンさんは私のヌードまでコラージュしてブログに載せてしまうので、驚きませんでしたけれど、男性って年には関係なく女性のヌードに興味があるのだと、私自身改めて実感したものですわ。 うふふふふ。。。

とにかく、40代50代の女性のヌードが20代30代と同じように週刊誌に登場するようになったのでネットではどうなのか?。。。そう思って僕は画像検索してみたのですよ。 その検索結果を見てください。





この検索は、最近使えるようになった僕の自宅のパソコンを使ってやってみたのですよ。



AKIRA KATOという名前が右上に表示されていますわね。 デンマンさんは検索する前にGOOGLEにログインしたのですか?

いや。。。特にログインしなかったけれど、検索プログラムが僕のパソコンを覚えているのですよ。

言われてみれば画面の上の方に次のように書いてありますわね。


インターネット接続が遅いようなので、簡易形式で表示しています。
標準形式に切り替える


どうして接続が遅いと判るのですか?

GOOGLEのサーバで検出できます。 しかもGOOGLEはパソコンに情報収集のためのアプリを忍び込ませているのですよ。

マジで。。。?

タスクマネージャーを起動してみたら、GOOGLEのプログラムが2つも動いていましたよ。





でも、GoogleUpdate.exe と書いてありますから WindowsUpdate のように既存のプログラムを更新するためのものではありませんか?



いや、そうではありませんよ。 もともとGoogle検索のプログラムは僕のパソコンのハードディスクに保存されている必要はないのですからね。 それに、僕はGoogleUpdate.exeというプログラムをインストールした覚えがないのですよ。

デンマンさんがGOOGLEで検索した時に自動的にプログラムが作動して、検索が終わると自動的に消えるのではありませんか?

いや、違うのですよ。 上のリストは僕のシステムを立ち上げてすぐにタスクマネージャーで調べたものですよ。 まだ僕はどのプログラムも自分では走らせてないのです。 だから、もちろん検索もしていない。





つまりねぇ、GoogleUpdate.exe はスパイウェアのようなものです。 GOOGLEが勝手に僕のハードディスクにこのプログラムを保存したのですよ。



何のために。。。?

Google検索する利用者の検索履歴などを調べてデータセンターに転送するためですよ。 そのデータを利用者の嗜好に合った広告を表示するために使うのです。

バンクーバー図書館で検索する時には違う画面が表示されるのですか?

もちろんです。 300台近くあるパソコンの一つを使うから、僕だという事がGOOGLEには判りません。。。で、バンクーバー図書館では次のような検索結果を表示しました。





これが最近では画像検索の標準形式になっているようです。 接続が遅いと自動的に以前の旧形式で表示するようにしている。 さらにGOOGLEの検索プログラムはIPアドレスを調べてパソコンがカナダで使用されている場合には google.com を入れても自動的に google.caに転送される。

どうして。。。?

カナダのGOOGLEデータセンターで情報を収集するためですよ。

デンマンさんの接続はどうして遅いのですか?

モデムを使っているからです。 早いモデムを使っても図書館のパソコンと比べると 5倍から10倍遅い気がしますよ。 やっぱりケーブルか無線にしないと時間ばかりかかってやってられません。 だから、自宅のパソコンはネット以外の作業の時に使って、ネットをやる時にはバンクーバー図書館でやっているのです。

新しいパソコンを買えばいいではありませんか?

今度のボクシングデーの時に買うつもりですよ。

ところで赤枠で囲んだデッサンはデンマンさんが描いたものでしょう?

そうです。。。でも、僕は記事の中で40代女性のヌードを扱ったつもりはないのですよ。 どう言う訳か検索結果に上のデッサンが出ているのです。

。。。で、上のデッサンはどの記事に載っているのですか?

次の記事ですよ。



『エロマンガ史(2011年9月25日)』



あらっ。。。『エロマンガ史』というエロい記事ですわね。 うふふふふ。。。



タイトルはエロいけれど、内容はエロくはないのですよ。 けっこう真面目な記事です。 上のリンクをクリックして小百合さんも読んでみてくださいね。



「40代女性のヌード」と入れて検索しても「40代」「女性」「ヌード」とバラバラの言葉で検索しているのですわ。 だから、デンマンさんの記事の中のどこかに「40代」が使われているのですわよ。

ほおォ〜。。。小百合さんの推理もなかなかですねぇ〜。

検索結果の表示を見れば簡単に推理できますわ。

確かに記事の中で次のように書いているのです。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。

いい尻をしているなあぁ〜”


つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。





うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?



卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?





そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。



その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。




『エロマンガ史(2011年9月25日)』より

『美尻(2011年9月9日)』にも掲載




これほど長々と引用しなくてもいいのですわ。 「40代」が出てくる一小節を書けばよいのです。



でもねぇ、上の引用を読めば小百合さんにもエロい記事ではないと分かってもらえると思ってね。 うへへへへへ。。。

その事が言いたかったのですか?

いや、その事ばかりではなく、「アラフォー」が注目されてから、40代女性はネットでも注目されるようになったのか!? そう思ってねぇ。。。だとすると40代の「軽井沢タリアセン夫人」もネットで注目されているのかな? そう思ったわけですよ。

注目されているのですか?

だから「軽井沢タリアセン夫人」を入れて検索してみました。 その結果を見てください。



『現時点での検索結果はここをクリックして見てください』



あらっ。。。71,500件も見つかったのですか!?



そうなのですよ。

でも、これは40代の「軽井沢タリアセン夫人」が注目されているのではなくて、デンマンさんが勝手にタリアセン夫人の記事を書きまくってブログに投稿しているからですわ。

あのねぇ、いくら僕が軽井沢タリアセン夫人の記事を書いているからって、僕だけで 71,500件の記事を書くことはできないのですよ。

でも、私が上のリンクをクリックして見たら、最初に出てくるほとんどの記事はデンマンさんが書いたものですわ。

だったら3ページ目を見てくださいよ。





この赤枠で囲んだページは僕が作ったページではないのですよ。



誰が作ったのですか?

「にほんブログ村」というサイトで「軽井沢タリアセン」についての記事をリストアップしているのです。



『現時点でのリスト内容』



つまり、デンマンさんが「軽井沢タリアセン夫人」なんていう紛(まぎ)らわしい名前をつけるから全く関係ない内容なのにもかかわらず「軽井沢タリアセン」という項目にずらずらとデンマンさんの記事が表示されてしまうのですわ。



あのねぇ〜、全く関係ないわけではないのですよ。 小百合さんが「軽井沢タリアセン」を特に気に入っているから僕は小百合さんを「軽井沢タリアセン夫人」と呼んでいるのですよ。

でも、「軽井沢タリアセン」の情報をゲットしたいネットサーファーにしてみれば、これほどデンマンさんの記事がリストに表示されたらムカつきますわよ。

それは僕の責任ではなくて、「にほんブログ村」の責任ですよ。 「軽井沢タリアセンを含むブログ記事」ということでリストアップしているのだから、僕の記事も該当するのですよ。

でも、2番目に表示されている「めれちゃんのパンツ」は「軽井沢タリアセン」とは全く関係ないでしょう!



『めれちゃんのパンツ』



いや。。。全く関係ないとは言えませんよ。 「軽井沢タリアセン夫人」も出てくる。。。



でも、「軽井沢タリアセン」は出てこないのでしょう?

「めれちゃんのパンツ」には出てこないけれど、記事の中のリンクをたどってゆけば必ず「軽井沢タリアセン」に出くわすのですよ。 だから、全く関係ないわけではないのです。

デンマンさん。。。もしかして英語でも「軽井沢タリアセン夫人」を広めているのですか?

うへへへへへ。。。いけませんか?

マジで広めているのですか?

次の検索結果を見てください。



『現時点での検索結果』



あらっ。。。英語で書いた「軽井沢タリアセン夫人」の記事が 9,950件もあるではありませんか!



小百合さん。。。いくらなんでも僕が英語で 9,950件の記事を書けるわけがないじゃありませんか!

英語では「軽井沢タリアセン夫人」が "Madame Taliesin" なのですか?

そうですよ。 Karuizawa を書き入れたところで、おそらく日本人と一部の外人だけしか判りませんからね。 "Madame Taliesin" だけで十分ですよ。

それで、トップに表示されている"Madame Taliesin"は、デンマンさんが書いたのですか?

そうです。 僕が書いたのです。



"Madame Taliesin"

(October 16, 2011)

 


あらっ。。。マジで私の顔写真が載っているではありませんか!



いけませんか?

止めてくださいな。。。これから"Madame Taliesin (軽井沢タリアセン夫人)"が海外にまで広まったら、私は海外旅行もできないではありませんか!

あのねぇ〜、顔の表情は実物とは変えてあるから問題ありませんよ。

私は顔写真のことを言っているのではありませんわ。 私のプライバシーが危険に晒(さら)されているのですわ。

ん。。。? 危険。。。? どのように。。。?

誰かが私を特定したら、それこそ女性週刊誌やら、男性週刊誌の記者とカメラマンがやって来て、私のプライバシーはメチャクチャにされてしまうのですわ。

それは小百合さんの考えすぎですよ。

いいえ。。。「2ちゃんねる」などを見ていると発言者が特定されて迷惑をこうむっている人が結構たくさん居るのですわ。 だから、他人事とは思えないのです。 もし、私が特定されようものなら、週刊誌はおろか日本テレビやフジテレビやテレビ朝日まで。。。放送記者やカメラマンが押しかけてきて、私の家庭はメチャクチャにされてしまうのですわ。

小百合さん。。。いくらなんでも考えすぎですよ。 そのような事は決してありません。

でも、日本語の検索結果を見てくださいな。 「軽井沢タリアセン夫人」の検索件数が 7万件を超えているのですわ。 誰かが私を特定するのは時間の問題ですわ。

あのねぇ〜。。。小百合さんは考えすぎなのですよ! そのような事は決してありません。

どうして、それ程までに自信を持ってデンマンさんは断定できるのですか?

だってぇ、「軽井沢タリアセン夫人」という実物は居ないのですから。。。

今更、そのようなデマカセを言ったところで、この記事を読んでいる人たちは信用しませんわ。

やだなあああァ〜。。。小百合さんはプライバシーを守りたいのでしょう!

もちろんですわ。

だったら、僕と同調して「軽井沢タリアセン夫人」のモデルは居ないのだ!と、ここではっきり言わないとダメですよ!

デンマンさん!。。。んもおお〜〜。。。いい加減にしてくださいな!。。。そのような事を言ったら、「軽井沢タリアセン夫人」のモデルが居る事をますます強烈に読む人に印象付けてしまいますわ。

だから、それが小百合さんの思い込みなのですよ。 だいたい「軽井沢タリアセン夫人」のモデルを特定しようと考えるなんて馬鹿がすることですよ。

でも、カナダで長年暮らしているデンマンさんにはお分かりにならないと思いますけれど、そういう馬鹿が日本にはたくさん居るのですわ。

だから、そういう馬鹿者を相手にしない事ですよ!

でも、私が相手にしなくてもマスコミの馬鹿者たちが相手にするのですわよ! んもおォ〜〜。。。

分かりましたよ。。。マスコミの馬鹿者たちが小百合さんを相手にしないように、これから僕が馬鹿者たちにメールを書きまくりますから安心してくださいね。

信用していいのですわね? デンマンさんを信じていいのですわね?

もちろんですよ。。。僕を信じてくださいね。。。 「信じる者は救われる」と言うでしょう!? うししししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
馬鹿バカしい事を真面目腐って書くのがデンマンさんの偉いところでござ〜♪〜ますわ。
うふふふふふ。。。

だから、あなたも呆れないで、また読みに戻ってきてくださいね。
とにかく、興味深い面白い話題が続きますゥ。
じゃあ、またね。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

"Madame Taliesin"が海外にも知れ渡ると

小百合さんも海外旅行どころではないと

心配していますけれど、

それ程心配する事はありませんわ。

“旅の恥はかきすて”

日本では、よくこのような諺を耳にしますよね。

あなただって聞いた事があるでしょう?

もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

A man away from home

need feel no shame.

 
文字通りに訳せば、

「家を遠く離れた者は恥を知る必要がない」

と言う意味です。
 
You can throw away all

inhibitions while on a trip.


「旅に出たら普段恥ずかしくって

できない事をやっていいのよ」

と言う意味です。

You can cut loose while traveling.

砕けて言えば上のように言うこともできます。

また、次のような言い方もあります。

Leave your sense of shame at home.

「(旅に出る時には)恥ずかしいなんて思う気持ちは

家においてくればいいの」

しかし、あまり人に迷惑をかけない方がよいですよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年10月15日

悔恨の気おくれ (PART 1)

  
悔恨の気おくれ (PART 1)







Subj:グルメの小百合さんが

ウハウハ喜んで読めるような

グルメな記事を書きましたよう。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 25/08/2009 9:34:01 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月26日 水曜日 午後1時34分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com




“デンマンさんも秋ですね。”



そうです。。。そうです。。。
バンクーバーは小百合さんが言うようにめっきり秋の気配に包まれていますよう。
もう夏は終わりました!

今日、8月25日の最高気温は21度です。
ラーメンが食べたくなるような涼しさです。



ところで、小百合さんの「麦わら帽子」から『人間の証明』のことでたくさん記事を書きました。
小百合さんからインスピレーションをたくさんもらいました。
ありがとね。



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』

『母の証明 (2009年8月25日)』


森村誠一さんの経歴から熊谷生まれだと知り、
さらに、12歳のときに熊谷空襲を体験したということから。。。
僕の母校・熊谷高校をウィキペディアで調べることになったのでした。

旧制熊谷中学時代に19年間も教えた弘中又一先生が、なんと、『坊っちゃん』のモデルだったと知り、僕の興味も『人間の証明』から『坊っちゃん』に移って行ったのでした。

松山中学の生徒の間で歌われていたものに「教師数え歌」があるのです。
「一つ弘中シッポクさん」で始まっており、7番目に「七つ夏目の鬼がわら」とあるのですよう。
このシッポクとは、シッポクうどんのこと。



グルメの小百合さんのために、調べましたよう。
9月2日の記事の中で書きました、
題して『坊っちゃん再訪』

『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』

熊谷時代の弘中先生の好物がどじょう。
それで「柳川鍋」も調べました。

小百合さんは、多分、泥鰌(どじょう)が嫌いでしょうね?





でもねぇ〜、「柳川鍋」はうまそうだよう。
うまそうな写真を載せてあるから、ぜひ読んでみてね。

子供の頃、お袋が「柳川鍋」風どじょうドンブリを作って食べさせてくれたけれど、
“うまい!”と思って食べたことはついに一度もありませんでした!

\(^▽^;)/ きゃはははは。。。
 
じゃあ、ゆっくりと読んでみてね。
小百合さんも、きっと、よだれが出てくると思うよう。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






『弘中先生と熊谷 (2009年9月6日)』に掲載




デンマンさん。。。ずいぶん古いメールを持ち出してきましたわね。



以前の記事を読んでいたら急に懐かしいメールに出くわしたので、ここに書き出したのですよ。

その記事というのはどのような内容でしたの?

あのねぇ〜、僕が熊谷高校に入学してまもなく、行田地区の生徒が理科の実験室に集まって、新入生歓迎の談話会を催(もよお)したという話なのですよ。

面白そうですわね。

当時、高校三年生の春田少年が、大人も顔負けの話をしたのですよ。 僕も含めて新入生は春田さんの話にすっかり感心したものですよう。

それで、20年以上経っているのにデンマンさんはお話の内容をほとんどすべて覚えていたのでますか?

そうですよう。 僕はねぇ〜、大学に入ってから集まりがあって、何か話せと言われたら春田さんがしたような話を内容を少し変えて話そうと、そう考えて記憶にとどめていたのですよう。

。。。んで、お話しする機会があったのですか?

松下産業の新入社員研修で、その機会があったのですよう。 でも、どう言う訳か、その時はすっかり忘れていたのです。

それで、お話しする機会が無いままに、20年以上経って思い出した時に次の記事を書いたのですか?

『はなし (2005年4月7日)』

そうなのですよう。。。結局、今まで人前で話したことは一度も無かった。

それで今日は、デンマンさんが在学中に感銘を受けたユニークな先生のお話をしてくださるのですか?

うん、うん、うん。。。そうですよう。 実は、夏目漱石の『坊ちゃん』のモデルになった弘中先生が旧制熊谷中学で19年間も教えたのです。 松山中学では滞在期間が1年にも満たなかったのだけれど。。。

デンマンさんが在学当時でも、そのお話は有名だったのですか?

いや。。。聞いた覚えはあるのだけれど、それほど在校生が話題にする話でもなかった。

。。。で、当時の熊谷高校にも名物先生がいらしたのですか?

いましたよ。。。旧制熊谷中学・新制熊谷高校には、先生が長く留(とど)まるよう、そんな自由な雰囲気があったのですよ。 僕は“坊っちゃん”があこがれるような自由な雰囲気を在学中にマジで感じたものでした。

その自由な雰囲気とは。。。?

『坊っちゃん』の次の「あらすじ」を読めば見当がつきますよう。


あらすじ



旧制松山中学に赴任した

21才頃の弘中先生

(坊っちゃんのモデル)


人を小馬鹿にしたような赤シャツを着ている教頭「赤シャツ」、たくましい面構えの同僚教師「山嵐」、調子のいい芸人のような画学教師「野だいこ」など、個性豊かな教師たちと生意気な生徒たちに囲まれて始まった坊っちゃんの教師生活。
でも、わずか1ヵ月あまりで終わりを迎えます。
教頭の赤シャツと同僚の山嵐との争いに巻き込まれたのです。
出世ばかりを気にして教師に責任をなすりつける。うらでこそこそする。そんな赤シャツの振る舞いに怒った山嵐と坊っちゃんは、ついに、赤シャツと赤シャツに従う教師たちに立ち向かう決意をします。

赤シャツたちを待ち伏せした坊っちゃんと山嵐。
坊っちゃんは袂(たもと)から取り出した生玉子を野だいこの顔をめがけてたたきつけ、山嵐は赤シャツをさんざんになぐりつけました。
その夜、二人は学校を辞め、松山を離れます。
松山を離れていく船上で、晴れ晴れとした気分に浸る坊っちゃん。
生まれ育った東京に戻り、「漸(ようや)く娑婆(しゃば)へ出たような気がした」と、やっと煩わしさから解放された自由な気分に浸ったのです




『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』より




つまり、弘中先生も自由な気分に浸りたかったのでしょうか?



そうだと思います。 「坊っちゃん」にとっても、弘中先生にとっても、町の雰囲気や学校の雰囲気に、窮屈で煩わしく、息苦しいものを感じて松山の教師生活を終わらせたのですよう。

。。。つうことわ、熊谷での生活は自由な雰囲気にあふれていたと言うことですか?

そう言う事です。 モデルになった弘中先生は、事実、19年間も熊谷中学で教えたのですからね。 弘中先生の愛した自由な雰囲気があったのに間違いないのですよう。

デンマンさんには、どうして分かるのですか?

だから、僕の経験した自由な雰囲気を書き出してみますよう。 まず手始めに英文法の先生と漢文の先生の話をします。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。





うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?



卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?





そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。



その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。

また、女性のお尻でござ〜♪〜ますか?

いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。

クレオパトラでござ〜♪〜ますか?

いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。

つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ〜♪〜ますわね?

そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。

デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ〜♪〜ますか?

大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。

どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ〜♪〜ますか?

この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?

もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ〜♪〜ますから、中国文学はイマイチでござ〜♪〜ますわ。おほほほほ。。。


長恨歌(ちょうごんか)



華清池は秦の時代(前221〜前207年)から続く温泉地で、唐代(618〜907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)

九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。

中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。

華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。

【解説】

長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。

【あらすじ】

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

【史実との相違】

時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

【楊貴妃の美】

■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。 



■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」

ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。

■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」

侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?



デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。

それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。





つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご〜♪〜く惹かれたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。




『あっちかち (2008年3月25日)』より




面白いユニークな先生がいたのですわね。 うふふふふ。。。でも、タイトルには「悔恨の気おくれ」と書いてありますけれど、いったい何が「悔恨の気おくれ」なのですか?



あのねぇ〜、実は熊谷高校に在学している時に、ほろ苦(にが)いような、後悔が未だに心の片隅に残っている思い出があるのですよ。

もしかして。。。デンマンさんも教室から外を眺めている時に素敵なお尻に目が留まったのですか?

まさか!。。。素敵な尻とは関係ないのです。 確か1年生の時だと思いました。 このページの冒頭に現在の熊谷高校の正面玄関の写真を貼り出したけれど、僕が1年生の時にはまだ古い2階建ての校舎だったのですよ。 1年生時代の教室は大正時代に建てられたようなマジで古い校舎で、1階建てだったのです。 本館とは離れていて僕の居たホームルームの教室は一番西側にあった。 そこから本館の一番東側の脇玄関が見えたのです。

玄関が重要な意味があるのですか?

そうなのですよ。 休み時間だと思ったけれど、僕はぶらりと教室から出て本館の脇玄関が見えるところで日向(ひなた)ぼっこをしていた。

一人でですか?

他にクラスメートが居たという記憶がない。

それで。。。?

一人のお母さんが脇玄関の前で入ろうかどうしようかと迷っているのが目に入った。

その日は、父兄参観日でしたの?

いや。。。違いますよ。 なぜなら他に父兄は誰も居ないのですよ。 そのお母さん一人でした。 どうやら子供のことで先生に何か相談があるというような風情なのですよ。

でもどうして、そのお母さんの事が気になったのですか?

あのねぇ〜、かなり上品な和服を着ていた。 しかも、その姿には気品があった。 ちょうど原節子さんが和服を着ているような姿ですよ。

 (すぐ下のページへ続く)




初出: 2011年7月25日






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