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2011年10月11日

ワイセツと芸術

 

   
ワイセツと芸術




「エログロナンセンス」の時代

特有の、妖しげな表現に

魅せられました。


2007-04-13 13:53



デンマンさん
わたしの言う「エロい」は、
やはり少々お下品だったかな?
この表現って、
わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ
わたしは関西人のなかでも特に?
ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、
必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね

で、回答へとまいりますね。。。

江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。
幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。

乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。



「人間椅子」での、愛する女性のソファに、
自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。

そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです

「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?

小学生のわたしに、
そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)

女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。


フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、
わたしはずーっと信じてます!

by レンゲ




『ゴスロリと黒パンツ』より
江戸川乱歩の世界
(2009年5月6日)




デンマンさん。。。あんさんはレンゲさんの手記を持ち出してきてワイセツな話をしようとしてるん?



やだなあああァ〜。。。わては芸術の話をしようとしているのやでぇ〜!

そやかて、その前に“ワイセツ”がついてますやん。

めれちゃんは“ワイセツ”にこだわるのやなァ〜。。。

あんさんがこだわるさかいに、タイトルの初めに“ワイセツ”を持って来たのやないかいなァ。

それやったら、『芸術とワイセツ』に変えるわァ。

もう、遅すぎますねん。。。で、レンゲさんが「チャタレイ夫人の恋人」を読んだ事がワイセツやと、あんさんは言わはるのォ〜?

いや。。。わては、そのような事を言うておらんでぇ〜。。。

これから、言わはるのやろう?

ちゃうねん。。。わては、たまたま「チヤタレー事件判例」を読んだのやァ。

それで、この記事を書く気になったん?

そうなのやァ。。。めれちゃんが書いた手記を持ち出そうとしたのやけれど、見つけることができへんかった。

それで、レンゲさんの手記を持ち出してきやはったん?

そうなのや。。。そやけど、思い返せば、めれちゃんもレンゲさんと同じような事を以前に言っていたなァ〜?

そうでしたやろか?

そうなのやァ。 めれちゃんは次のように言うてたと思うのやァ。

わたし、「チャタレイ夫人の恋人」を読みましてん。

うふふふふ。。。

ぶっちゃけエロい箇所の拾い読みでしたわ。

そやけど、あまりエロい所はありまへんかった。

あの小説の大半は、

ロレンスの思想の展開とちゃうん?

そやけど、小学生のわたしに、

そんなものを理解できるような

知性も理解力もおまへんでしたわ。

大人になってから読み返したのやけど、

うふふふふ。。。

森の番人の野卑でありながら、

深い洞察力に満ちた性格に、

わたしは恋愛感情にも似た気持ちを持ちましてん。

おまけに、森の番人はセックスが上手ですやん。

うしししし。。。

女性が自らの性欲を恥じる必要などないと、

わたしはあの小説によって知りましてん。

フロイトも、ヒステリーの原因は、

性的欲求不満であると言うてましたわ。

セックスとは、愛を基盤とした

自由なものであるべきやと、

わたしは信じてますねん。




どうや、めれちゃん。。。このような事を言うた覚えがあるやろう?



勝手に決め付けんで欲しいわ。。。わたし、上のような下品な事を言うた覚えがありまへんわ。

さよかァ〜?。。。めれちゃんが言うたと思うのやけれどなァ〜。。。

それで、「チヤタレー事件判例」を読んで、どないしやはったん?

どないも、こないも。。。めれちゃんの言うた事を思い出したのやがなァ。

そやけど、わたしは上のような事を言うてへん。。。

さよかァ〜。。。とにかく、次の箇所が最初に目に付いたのやァ。


「チヤタレー夫人の恋人」は英文学界において名前が通つているA3の長編小説であり、芸術的観点からして相当高く評価されている作品である。

それは小説の筋の運び方や、自然、社会、登場人物の性格の描写、分析や、著者の教養の広さを示すところの、ユーモアと皮肉に富む対話などからして、著者の芸術的才能を推知せしめるものがある。

 (中略)

話の発端は第一次大戦において負傷し、性的機能を失つた若い貴族のクリツフオードとその妻コニ―との、中部イングランドのラグビー邸における彼女にとつて不自然で退屈な生活である。
そのうちにコニ―とクリツフオードの雇人で、その領地内に住んでいる、妻と別居していたメラーズという森番の男との間に恋愛および肉体的関係が発生、発展し終に両人ともに社会的拘束をふり切り、離婚によつて不自然と思われる婚姻を清算して恋愛を基礎とする新生活に入ろうとする。
これがこの小説の構造のあらましである。

そしてこの構造は思想的、社会的、経済的の主題によつて肉附がなされているのである。
それらは貴族階級の雰囲気に対する批判、工業化による美しい自然の破壊、農村の民衆の生活に及ぼす影響、鉱業労働者の悲惨な境遇、人心の荒廃、非人間化等の事実を指摘し、また著者自身が真に価値のある生活と認めるものおよび著者のもつ社会理想を暗示している。

そしてその主題の中で全篇を一貫する最も重要なものは、性的欲望の完全な満足を第一義的のものとし、恋愛において人生の意義と人間の完成を認めるかのような人生哲学である。

かような人生哲学からして著者は彼の祖国のみならず他の国々においてもあまねく承認されているところの、性に関する伝統的な、彼のいわゆる清教的な観念、倫理、秩序を否定し、婚姻外の性交の自由を肯定するが、同時に性的無軌道な新時代の傾向に対しても批判的であり、精神と肉体との調和均衡を重んずる性の新な倫理と秩序を提唱しているものであること本書の内容、著者自身の序文、その他の著書および原判決において引用するA3の書翰からして推知できるのである。

この点から見て本書がいわゆる春本とは類を異にするところの芸術的作品であることは、第一審判決および原判決も認めているところである。

しかしながらA3の提唱するような性秩序や世界観を肯定するか否かは、これ道徳、哲学、宗教、教育等の範域に属する問題であり、それが反道徳的、非教育的だという結論に到達したにしても、それだけを理由として現行法上その頒布、販売を処罰することはできない。
これは言論および出版の自由の範囲内に属するものと認むべきである。

問題は本書の中に刑法一七五条の「猥褻の文書」に該当する要素が含まれているかどうかにかかつている。 もしそれが肯定されるならば、本書の頒布、販売行為は刑法一七五条が定めている犯罪に該当することになるのである。

出典: 『チヤタレー事件判例』




このように言うてるわけや。 つまり、「チャタレイ夫人の恋人」はエロ本とは類を異にするところの芸術的作品であることを認めているのやァ。



でも、裁判官は刑法一七五条の「猥褻の文書」に該当する要素が含まれていると思うているのやろう?

たぶん、そうなのやァ。。。そうやなかったら、裁判にならなかったのやから。。。

。。。で、どれが「猥褻の文書」やと言うてるねん?

まず、猥褻とは何か? その事を裁判官は問題にしてるねん。


しからば刑法の前記法条の猥褻文書(および図画その他の物)とは如何なるものを意味するか。
従来の大審院の判例は「性欲を刺戟興奮し又は之を満足せしむべき文書図画その他一切の物品を指称し、従つて猥褻物たるには人をして羞恥嫌悪の感念を生ぜしむるものたることを要する」ものとしており、また最高裁判所の判決は「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」としている。
そして原審判決は右大審院および最高裁判所の判例に従うをもつて正当と認めており、我々もまたこれらの判例を是認するものである。

要するに判例によれば猥褻文書たるためには、羞恥心を害することと性欲の興奮、刺戟を来すことと善良な性的道義観念に反することが要求される。

およそ人間が人種、風土、歴史、文明の程度の差にかかわらず羞恥感情を有することは、人間を動物と区別するところの本質的特徴の一つである。
羞恥は同情および畏敬とともに人間の具備する最も本源的な感情である。
人間は自分と同等なものに対し同情の感情を、人間より崇高なものに対し畏敬の感情をもつごとく、自分の中にある低級なものに対し羞恥の感情をもつ。
これらの感情は普遍的な道徳の基礎を形成するものである。
羞恥感情の存在は性欲について顕著である。

性欲はそれ自体として悪ではなく、種族の保存すなわち家族および人類社会の存続発展のために人間が備えている本能である。
しかしそれは人間が他の動物と共通にもつているところの、人間の自然的面である。
従つて人間の中に存する精神的面即ち人間の品位がこれに対し反撥を感ずる。
これすなわち羞恥感情である。
この感情は動物には認められない。
これは精神的に未発達かあるいは病的な個々の人聞または特定の社会において缺けていたり稀薄であつたりする場合があるが、しかし人類一般として見れば疑いなく存在する。

例えば未開社会においてすらも性器を全く露出しているような風習はきわめて稀れであり、また公然と性行為を実行したりするようなことはないのである。
要するに人間に関する限り、性行為の非公然性は、人間性に由来するところの羞恥感情の当然の発露である。
かような羞恥感情は尊重されなければならず、従つてこれを偽善として排斥することは人間性に反する。
なお羞恥感情の存在が理性と相俟つて制御の困難な人間の性生活を放恣に陥らないように制限し、どのような未開社会においても存在するところの、性に関する道徳と秩序の維持に貢献しているのである。

ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。
そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。
もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。
かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。

刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。
性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。

そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。

出典: 『チヤタレー事件判例』

赤字はデンマンが強調するために施(ほどこ)したものです。




性道徳に関しても法律は、その最少限度を維持することを任務とする、と言うてますのやね。



そうやァ。

でも、具体的に何が猥褻なのか? 裁判官は言うてませんがなァ。

次のように言うてるのやァ。


しからば「チヤタレー夫人の恋人」が刑法一七五条の猥褻文書に該当するか否か。

 (中略)
 
裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。
この社会通念は、「個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」こと原判決が判示しているごとくである。
かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。

社会における個々の人について、また各審級の裁判官、同一審級における合議体を構成する各裁判官の間に必ずしも意見の一致が存すると限らない事実は、他の法解釈の場合と同材である。
これは猥褻文書であるかどうかの判断の場合のみではなく、これを以て裁判所が社会通念の何たるかを判断する権限をもつことを否定し得ないのである。

従つて本著作が猥褻文書にあたるかどうかの判断が一部の国民の見解と一致しないことがあつても止むを得ないところである。
この場合に裁判官が良識に従い社会通念が何であるかを決定しなければならぬことは、すべての法解釈の場合と異るところがない。

これと同じことは善良の風俗というような一般条項や法令の規定する包括的な諸概念の解釈についてとくに問題となる。
これらの場合に裁判所が具体的の事件に直面して判断をなし、その集積が判例法となるのである。
なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。

現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画や彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。
また現在男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正が要求されるにいたつた。
つまり往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である。

しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。
それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。

出典: 『チヤタレー事件判例』

赤字はデンマンが強調するために施(ほどこ)したものです。




裁判官は、どの社会でも最低限守らなければならない事があると言うてるねん。 そうですやろう?



そう言うことになるな。 つまり、公開の場で性行為をしてはダメだと言うてるねん。

そやけど、チャタレイ夫人は公開の場で性行為をしてはりませんでぇ〜。

もちろんやァ。。。でもなァ、本の中の表現から、チャタレイ夫人が公開の場で性行為をしているように受け取る読者が居かもしれない、と言うてるのや。


さて本件訳書を検討するに、その中の検察官が指摘する一二箇所に及ぶ性的場面の描写は、そこに春本類とちがつた芸術的特色が認められないではないが、それにしても相当大胆、微細、かつ写実的である。
それは性行為の非公然性の原則に反し、家庭の団欒においてはもちろん、世間の集会などで朗読を憚る程度に羞恥感情を害するものである。

またその及ぼす個人的、社会的効果としては、性的欲望を興奮刺戟せしめまた善良な性的道義観念に反する程度のものと認められる。
要するに本訳書の性的場面の描写は、社会通念上認容された限界を超えているものと認められる。
従つて原判決が本件訳書自体を刑法一七五条の猥褻文書と判定したことは正当であり、上告趣意が裁判所が社会通念を無視し、裁判官の独断によつて判定したものと攻撃するのは当を得ない。

次に本訳書の猥褻性の判定に関し二、三の点に立ち入つて説明する。
本書が全体として芸術的、思想的作品であり、その故に英文学界において相当の高い評価を受けていることは上述のごとくである。
本書の芸術性はその全部についてばかりでなく、検察官が指摘した一二箇所に及ぶ性的描写の部分についても認め得られないではない。

しかし芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない。
猥褻なものは真の芸術といえないというならば、また真の芸術は猥褻であり得ない
というならば、それは概念の問題に帰着する。
これは我々が悪法は法と認めることができるかどうかの問題と類似している。

実定法の内容が倫理的に悪であり得るごとく、我々が普通に芸術的作品と認めるところのものでも猥褻性を有する場合があるのである。
いわゆる春本の類はおおむねかような芸術性を欠いているから、芸術性を備えている本件訳書はこれを春本と認めることができないこと第一審以来判定されてきたところである。

しかしそれが春本ではなく芸術的作品であるという理由からその猥褻性を否定することはできない。
何となれば芸術的面においてすぐれた作品であつても、これと次元を異にする道徳的、法的面において猥褻性をもつているものと評価されることは不可能ではないからである。
我々は作品の芸術性のみを強調して、これに関する道徳的、法的の観点からの批判を拒否するような芸術至上主義に賛成することができない。

高度の芸術性といえども作品の猥褻性を解消するものとは限らない。 芸術といえども、公衆に猥褻なものを提供する何等の特権をもつものではない。
芸術家もその使命の遂行において、羞恥感情と道徳的な法を尊重すべき、一般国民の負担する義務に違反してはならないのである。
芸術性に関し以上述べたとほぼ同様のことは性に関する科学書や教育書に関しても認められ得る。

出典: 『チヤタレー事件判例』

赤字はデンマンが強調するために施(ほどこ)したものです。




裁判官は、「芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない」と言うてますやん。



めれちゃんは、反対なのか?

反対ですう。 裁判官は「我々が普通に芸術的作品と認めるところのものでも猥褻性を有する場合があるのである」と言うてますけれど、私は詭弁やと思いますわ。

つまり、芸術的作品ならば猥褻性はない。 要するに、猥褻なものは芸術ではない。。。めれちゃんは、そう言うのんかァ?

そうですう。 「チャタレイ夫人の恋人」は芸術作品ですねん。 そやから、どこにも猥褻なものはあらへん。 その証拠に、チャタレイ夫人と恋人は公開の場で性行為をしてはりません。

そやけど、裁判官は、本の中の表現から、チャタレイ夫人が公開の場で性行為をしているように受け取る読者が居る、と言うてるねん。

それは、受け取る人の心が猥褻なだけやねん。

めれちゃんは、何が何でも「チャタレイ夫人の恋人」は芸術作品やと信じてるんか?

そうですう。 わたしは表現の自由を断固として擁護します。

そやけど、小学生の女の子が「チャタレイ夫人の恋人」を読んで、チャタレイ夫人が公開の場で性行為をしているイメージを浮かべてショックを受けて、トラウマになって一生涯、性行為ができなくなったら、誰が責任を負うのや?

そのような事は絶対にありません。 小学生の女の子に実際に性行為の経験がなければ、何度本を読んだとしても、チャタレイ夫人が公開の場で性行為をしているイメージを現実のものとして感じるような事は不可能ですねん。

そうやろか?

なぜなら、わたしは小学生の頃に読みましてん。 ワクワクドキドキしながら興味を持って読みましたけれど、チャタレイ夫人が公開の場で性行為をしている現実のイメージなど、オツムの中に描く事が、全くできませんかった。

つまり、映画で性行為のシーンを見るのとは、わけが違うと、めれちゃんは言うのんか?

そうですう。 そやから、公開の場で性行為をしてはダメだと言うのんが、どの社会でも最低限守らなければならない事であるならば、文学作品に猥褻は無いと言うのが、私の考えですねん。

つまり、あくまでも表現の自由をめれちゃんは大切にしたいんかァ?

そうですう。




初出: 2010年11月28日


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
あたしも、どちらかと言えば裁判官よりも、めれんげさんの立場に賛成ですわ。
映画ならば猥褻なシーンでも、文学作品の中の表現ならば、小学生の女の子にトラウマを与えるようなショックは絶対に無いと、あたしも信じることができるからです。

小学生の限られた性的体験では、成人の赤裸々な性行為など想像するのが無理だと、あたし自身の経験から理解できるのですわ。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、まだ面白い話題が続くと思いますわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

そうですよね。

映画の場合には、実際の性行為と

ほぼ同じものがスクリーンに映し出されますが、

文字の表現の場合には

小学生が実際の性行為を具体的に

イメージする事は、ほとんど不可能だと思います。

つまり、どのように性行為を克明に表現しても

映画を見るような衝撃は

文学作品から受けないと

わたしも信じる事ができます。

だから、アメリカやカナダでは、映画に対しては

厳しい倫理規定があっても、

文学作品には映画ほどの

倫理規定はありません。



ところで、英語の面白い記事を集めてみました。

時間があったら次のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で楽しい英語』



 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年10月09日

少女コミック・シンドローム

 
少女コミック・シンドローム





デンマンさん。。。また、あんさんはエロい画像を持ち出してきやはったん?



やだなあああァ〜。。。出て来る早々、めれちゃんは、わてのことをエロい画像を持ち出すおっちゃんやと決めつけるのか?

そやかてぇ、少女コミックのエロい画像を冒頭に貼り付けているやおまへんか!

あのなァ〜、わてが上の画像を持ち出したのではのうてぇ、ジューンさんが持ち出して来たのやがなァ。ちょっと次の対話を読んで欲しいのやァ。






ローティーンの女の子が初めて恋をして自分をシンデレラに重ねて甘い夢にひたっているような。。。うししししし。。。ジューンさんも年に似合わずに意外にメルヘンチックなイメージに憧れているのですね。



デンマンさんは、上のようなイメージを少女趣味と言うのですか?

そうですよう。。。ローティーンの女の子が夢見るような。。。そんなイメージでしょう?!。。。ジューンさんだって、そう思うでしょう?うへへへへへ。。。

デンマンさんは、やっぱり浦島太郎になっているのですわね。

ん。。。? 浦島太郎。。。? なんで急に浦島太郎が出てくるのですか?

デンマンさんは最近の日本のローティーンの女の子がどのようなイメージに馴染(なじ)んでいるのか知らないのですわ。

ん。。。? 。。。で、ジューンさんは知っているのですか?

もちろん知っていますわ。

最近の日本のローティーンの女の子は、いったい。。。、いったい、どのようなイメージに馴染んでいるのですか?

次のよな漫画を見て育っているのですわ。





あれっ。。。ジューンさんは、よく知っていますねぇ〜!?



デンマンさんは、マジでご存じなかったのですか?

もちろん、知っていましたよう。

でも、時代遅れな、古臭い“少女趣味”を持ち出してきましたわ。

あのねぇ〜、たとえ、時代遅れで、古臭くても、“少女趣味”は少女趣味ですよう。

デンマンさんの“少女趣味”は、20年以上前の少女趣味ですわ。

でも、ジューンさんにも僕の言おうとしていることは分かるでしょう?

それならば、“少女趣味”なんて言わないで、メルヘンの古典と言って欲しいですわ。




『ジューンさんのブログ (2010年6月25日)』より




めれちゃんかてぇ、上のような画像を見て育ったのやろう?



あんさん!。。。勝手な事を言わんといてぇ〜なァ。

そやかて、めれちゃんは次のように言うてたでぇ〜。。。


「エログロナンセンス」の

時代特有の、

妖しげな表現に

魅せられました。


2007-04-13 13:53



デンマンさん
わたしの言う「エロい」は、
やはり少々お下品だったかな?
この表現って、
わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ
わたしは関西人のなかでも特に?
ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、
必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね

で、回答へとまいりますね。。。

江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。
幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。

乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。



「人間椅子」での、愛する女性のソファに、自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。

そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです


「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?

小学生のわたしに、
そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから
読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)

女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。

フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、わたしはずーっと信じてます!
 
 
by レンゲ




『おばさんパンツ』より
(2007年10月6日)




あんさんは、どこに目をつけてるん? これは、わたしやのうてぇ、レンゲさんが書きはったモンですう。



うん。。。確かにサインを見るとレンゲさんやァ。。。わては思い違いしとったわ。

あんさんは、上のレンゲさんの手記を持ち出してきやはって、わたしとエロい画像とを結び付けようとしはったのね?

うししししし。。。めれちゃんにも分かるか?

あんさんの考えてることぐらい、わたしにはすぐに分かりますがなァ。

さよかァ?

あんさんとの付き合いも6年になりますさかいに。。。

さよかァ?

つまり、わたしを貶(おとし)めようとして「少女コミック・シンドローム」というタイトルをあんさんは付けはったのやろうけれど、当てが外れましたなァ〜?

いや。。。決して当ては外れておらんでぇ〜。。。これからゆっくりと説明するさかいに、めれちゃんもしっかりと聞いてやァ。。。まず、次の統計を見て欲しいねん。





上の統計の6月19日の閲覧数を見て欲しいねん。



6923 PV と書いてありますやん。

トータルアクセス数 を見てもらえば分かるねんけど、わての GOO のブログでは一人の訪問者が平均で 4ページ読むねん。

つまり、5月19日には 453人の訪問者があったので、あんさんの公式を当てはめると閲覧数は 453 (訪問者) X 4 (ページ) = 1812 (閲覧数) になると、あんさんは言おうとしてるん?

その通りや。。。そやから、 6923 − 1812 = 5111 (閲覧数) だけ多いねん。。。めれちゃんにも分かるやろう?

その多い分は、いったい、どないしたん? 一人の訪問者が 5111ページ読んだのとちゃいますのやろう?

もちろん一人の人が 5111ページ読むはずないやん。。。あのなァ〜、この場合の IP は学校に割り当てられたものなのや。

個人でなくて学校に割り当てられた IP というのがありますの?

あるのや。次の説明を読んでみィ〜なァ。


プロキシ

プロキシ(Proxy)とは「代理」の意味である。
インターネット関連で用いられる場合は、特に内部ネットワークからインターネット接続を行う際、高速なアクセスや安全な通信などを確保するための中継サーバ「プロキシサーバ」を指す。
プロキシはクライアントとサーバの間に存在し、情報元のサーバに対してはクライアントの、情報を受け取るクライアントに対してはサーバの働きをする(HTTPプロキシの場合)。
なお、プロキシは「プロキシー」「プロクシ」「プロクシー」とも呼ばれる。

誰でも自由に使えるプロキシサーバを公開プロキシという。
ウェブサイトによっては、この公開プロキシによるアクセスを制限することがある。
例えば、Wikipediaでは公開プロキシ(オープンプロキシ)を通じて閲覧することは問題ないが、編集することは禁じられている。

安全な通信

外部ネットワーク(主にインターネット)からのアクセスは、全てプロキシを経由して各使用者のパソコンなどのクライアントに届くようにする。
プロキシが通信内容をチェックすることで、クライアントが外部ネットワークに直接晒されなくなり、不正アクセスや侵入行為が困難になる。

有害なサイトの遮断

いわゆるフィルタリングのためのプロキシ。
プロキシを挟んで、クライアントと外部とのやりとりを全てチェックする。
その際、例えば(小学校や中学校で)アダルトサイトやフィッシングサイト、出会い系サイト、暴力的や違法な内容のサイトなどの有害なサイトへのアクセスを遮断するように、プロキシのプログラムに設定しておけば、クライアント(生徒)が有害なサイトを見ることが出来なくなる

ただしこれは、管理側の人間が逐一サイトを拒否リストに登録する必要があるため、登録されていないサイトはたとえ有害であっても閲覧出来てしまう。
逆に違法でないサイトであったとしても、何らかの理由から登録されていると見られなくなる弊害もある。
現在のところ、アダルトサイトや違法サイトは日々新しいのが出ているため、全てを遮断するのは非常に難しい。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、学校の生徒さんがあんさんのブログを読みはったということ?



そうなのや。。。去年(2009年)の5月にも同じようなことがあった。





5月19日に異常に閲覧数が多い。



なぜ。。。?

この時のことはレンゲさんと話したのや。ここに引用するから、めれちゃんも読んでみてなァ。




5月19日は訪問者が最も少ないのに、閲覧数が 6719もあるのです。この日の訪問者は 396人です。ざっと見ればすぐに分かるように、僕のブログでは一人の訪問者が平均3ページ読むのですよう。だから、閲覧数を見るとたいてい訪問者の3倍です。



それで。。。?

つうことわァ〜、閲覧数が 6719あるということは、3で割って、訪問者が 2239人いないとおかしい。それなのに、実際には 395人しかいない。

残りの 1844人はどこに居るのですか?

だから、その謎を解くためにプロキシを持ち出したのですよう。ウィキペディアの説明をちょっと編集すれば次のように書くことができます。


有害なサイトを遮断するために、小学校や中学校ではプロキシを使っている。
生徒がアダルトサイトやフィッシングサイト、出会い系サイト、暴力的や違法な内容のサイトなどの有害なサイトへアクセスしないようにするためです。
有害サイトをプロキシのプログラムに設定しておけば、生徒が有害なサイトを見ることが出来なくなる。

不特定多数の生徒がプロキシを通してデンマンのブログを読む場合、ブログを設置しているサーバのログにはプロキシサーバのIPアドレスが残り、実際に生徒が使っているコンピュータのIPアドレスは残らない。


つまり、 396人のうちには 久下橋の付近にある小学校と中学校のプロキシサーバの IP アドレスが含まれているのですよう。

要するに、久下橋の近くにある小学校と中学校の生徒が、たまたまデンマンさんの記事に気がついたということですか?

そうですよう。

でもなぜ、たくさんの生徒がデンマンさんの記事を読むのですか?

記事の中には次のような写真が載っているのですよう。




はい ただいま

今夜もどりました。

主人も感染してない様子、

一週間実家で掃除







『懐かしい久下橋 (2009年5月19日)』より


これを卑弥子さんのような女学生が見れば、きっと次のように囃(はや)し立てますよう。



“ねえ、ねえ、めちゃ面白い写真が

あるのでござ〜♪〜ますわ!

豚インフルエンザにかからないための

キスの仕方なのよう!

見て、見てぇ〜”


。。。それで、たくさんの女学生が、自分のパソコンにページを読み込む。



それを見た男子生徒までが面白がって、自分のパソコンにページを読み込む。そうやって、クラスからクラスへと野火のように“久下橋のマスクのキス”が広がってゆく。うへへへへ。。。




『プロキシとおばさんパンツ』より




分かりましたわ。去年の時には“久下橋のマスクのキス”が野火のようにクラスからクラスへと広まってゆきはったのやね。。。で、今年は「少女コミック」が引き金(ひきがね)になったと、あんさんは言わはるのォ〜?



めれちゃん。。。先回りして「少女コミック」を持ち出しては困るやん。

でも、「少女コミック」にはエロい画像がたくさんあるから、学校の先生がフィルタをかけはったと思うわ。。。そやから、見ることができへんとちゃうん?

だから、そこの所をわてが調べたのやがな。

。。。で、どの記事が読まれはったん?

次の統計を見て欲しいねん。





あんさん。。。ちょっと待って欲しいねん。GOO のブログの統計を持ち出したのやから、アメーバブログの統計など持ち出さんで欲しいわ。混乱するやないかいな。



わてかてぇ、そうしたいのやがなァ。。。でもなァ、GOOではアクセス解析を見るのにお金を取るねん。





あんさんは“しぶちん”やのねぇ〜。。。お金払って GOO のアクセス解析メニューを使ったらええやん。



あのなァ〜、無料でアクセス解析ツールを使わせてくれるブログは、たくさんあるのやでぇ〜。 WordPress を使っている Denman Blog かてぇそうやがな。お金を払ってまで GOO でアクセス解析する必要などないねん。

分かりましたわ。。。そいで、あんさんは『奥地に入れて』が GOOで爆発的に読まれたと言いたいん?

そうや。

でも、アメーバブログでは、『奥地に入れて』がそれほど読まれてないのに、どうして GOOでは爆発的に読まれるん?

あのなァ〜、“久下橋のマスクのキス”以来、中学生や高校生の固定客が GOO のブログについてるのやがな。

でも、『奥地に入れて』がそれほど中学生や高校生の注目を引くのォ〜?

『奥地に入れて』という言葉が中学生や高校生にはセンセーショナルに受け留められたのや。

どうして。。。?

めれちゃんの次の萌え萌えの詩の影響やがなァ。


濡れる身体



 

あなたの熱さを感じる

強く深く・・・

濡れる身体に

吐息が熱い

このままでいて

離れないで

あなたの中で

とけてしまいたい

もっと強く深く・・・

 
 
by めれんげ

2010.01.21 Thursday 11:10




『即興の詩 濡れる身体』より

『愛に濡れて…』に掲載
(2010年1月25日)




わたしの詩が中学生や高校生に影響を与えたと、あんさんは言わはるのォ〜?



当然のことやがなァ。

どないに、影響を与えたん?

あのなァ〜、GOO のブログで『奥地に入れて』を読んだ生徒は、卑弥子さんが女学生だった頃のように「少女コミック・シンドローム」にかかっておるのや。

すると、どうなるん?

めれちゃんの詩は次のように受け留められるのや。


濡れる身体



 

あなたの熱さを感じる

強く深く・・・

濡れる身体に

吐息が熱い

このままでいて

離れないで

あなたの中で

とけてしまいたい

もっと強く深く・・・

 
奥地に入れて

奥に入れて…





少女コミック世代ならば

このように解釈しますわよね。

うふふふふふ。。。。






あんさんも卑弥子さんのように解釈しやはるのォ〜?



いや。。。わては、そのような解釈の仕方もあるのかァ〜!?と思って感心しているのやがなァ。

つまり、少女コミック世代が上のように妄想して『奥地に入れて』を爆発的に読みはったと、あんさんは断定しやはったん?

いや。。。断定したと言うよりも、それ以外に考えられへんと思ったのや。うへへへへへ。。。。

。。。で、『奥地に入れて』という記事は少女コミック世代が期待するような内容なのォ〜?

それは、めれちゃんが自分で読んでみて考えたらええやん。。。めれちゃんのために、リンクを貼っておくさかいに、じっくりと読んでみてなァ。うししししし。。。

『奥地に入れて…』




初出: 2010年6月28日


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
なんだか、読まなければならないような気にさせられますわよねぇ。
果たして、どのような内容なのでしょうか?
あなたが少女コミック世代でなくても、もし時間があったら、ぜひ読んでみてくださいね。

とにかく、あさっても興味深い話題が続きますう。
だからあなたも、また明後日、読みに戻ってきてくださいねぇ。
では。。。




メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

シンドロームというのは、英語では

次のように書きます。

Syndrome

日本語では「症候群」と訳されますよね。

元々は医学用語です。

同時に発生した一連の症状を

まとめて言う時に使われる名称です。

でも、医学以外でもしばしば使われますよね。

昔の映画に

『チャイナシンドローム』というのがありました。

「…への傾向」,「…的性向」という意味で

広く用いられています。

今日のタイトルの

「少女コミック・シンドローム」は

少女コミックを愛好する傾向、

あるいは、少女コミック的性向という事でしょうね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





2011年10月04日

おばんざい


 
  
おばんざい
 
 





デンマンさんは、私がレンゲさんのような

ロマンチックな女だと期待しているようですが、

私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。

主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。

つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。





『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より



私は味噌汁作りません




投稿日時: 2007-11-16 13:20

今まで、自分のことだけ でした。 
普段は?というと、主人とは別世帯で 私は山に住んでました。
熊がでると心配され でも私は怖くなかった、
もう10年ちかく鉄砲をもってます(射撃の散弾銃です)
山の人は知っていて 私に言い寄ってきません。


小百合さんが静かな山のたたずまいを愛しているとは
ちょっとばかり意外でしたが、
平安時代に生まれ育った事になっている“卑弥子”さんの“奥ゆかしさ”に通ずるのかもしれませんね。
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。


小百合さんは魅力的な女性だと思います。
言い寄りたい人は居たと思いますよ。
(*´ー`) フッ


父が 1年半ぐらい前に 肺がん といわれ、なるべく
近い 佐野に移ったのです。
本当は 人の面倒も旦那の面倒も みない私なんですよ。
強いというか勝手な人です。


お互いに自由を尊重しあっているんでしょうね。
僕の知り合いやお客さんの中には結婚していてもお互いの自由を尊重しあっている人たちが多いですよ。
でも、気ままに不倫して、いい加減な人は居ないですね。

やはり家族を大切にしている人がほとんどです。
家族を大切にしない人は人間失格だと僕は信じていますよ。


主人とは15才違うので、どこ行ってもいいけど
子供と一緒に行くのが条件です。


一度だけ電話に出た旦那の声を聞きましたが、
声の印象では優しそうな穏やかな人だと言う感じを持ちました。
小百合さんは可愛がられているんだなあああぁ〜。。。
そう思いましたよ!
\(@_@)/



ご飯も私が とぐとまずいらしいのです。
泡たて機でかきまわすだけですので。。。
それで、ご飯を炊く事は余りありません。



味噌汁は朝のまないので主人が作って子供にだします。
全然 私は女っぽくないのですよ。
デンマンさんは私を少し美化していますわ。

念のため。。。

by 小百合 

 (*^ー^);    
たまには 絵文字


そうですか?
料理は自慢しないのですね?

しかし、料理、洗濯は女性の必須条件ではなくなりましたよね。

むしろ、料理、洗濯に開放されて、
真の意味で女性も人間になれる時代になったと言うことでしょうね。

小百合さんが自由に活き活きと、すがすがしく生きている。
僕はそんな印象を持ちました。

人間の精神はいつも自由であるべきですよね。
もちろん、家族を大切にすると言う責任を持ちながら。。。

自由な精神を抱いて、
心を解放して大きく世界に羽ばたいて生きてゆきたいものです。
人間は一度だけしか生きられないのですから。。。

小百合さんが自由で、ますます魅力的な女性になってゆく事を信じて疑いませんよ。
では、また。。。

by デンマン

♪(*^▽^*)ノ






『21世紀の小百合さん (2007年11月20日)』より




デンマンさん。。。あのォ〜、「おばんざい」ってぇ。。。もしかして京都の言葉ではござ〜♪〜ませんかぁ〜?



そうですよう。やっぱり、京都生まれで京都育ちの卑弥子さんですねぇ。すぐに気づきましたねぇ〜。さすがだなあああぁ〜

こんな事ぐらいで感心しないでくださいましなぁ〜。京都では、ふだん食べるおかずのことを“おばんざい”と言うのどすえェ〜。

ほおォ〜、急に京都弁が出てきましたねぇ〜。やっぱり、1300年間続いている橘家に生まれた卑弥子さんですねぇ〜。。。すごいなあああぁ〜

デンマンさん。。。、いい加減にしてくださいな。どうして小百合さんの記事に京都の「おばんざい」が出てくるのでござ〜♪〜ますか?

実はねぇ、僕は去年(2007年)の11月に実家のある行田市に帰省したのですよう。

ええ、何度も伺っておりますわ。



菊ちゃんと一緒に小百合さんが並んで写っているけれど、この中に写っている白い椅子に腰掛けて、僕と小百合さんはロマンチックに語り合ったのですよう。

その時に「おばんざい」の話題が出たのでござ〜♪〜ますか?

違うのですよう。

一体どこで、その話題が出たのでござ〜♪〜ますか?

小百合さんが次のように書いていたでしょう?


1ヶ月の間、楽しかったです。



投稿日時: 2007-11-16 13:20

1ヶ月の間 電話をしたり、会ったり
デンマンさんの生活におじゃましたので
恐縮していますが、楽しかったです。

さらにブログにまで登場させてもらえて うれしいです。

レンゲさんも、ずーっと長い間サイトの中で
生き続けていて、楽しそうですね。
レンゲさんと共存共栄したいですよ。

by 小百合






『21世紀の小百合さん (2007年11月20日)』より


この1ヶ月と言うのは僕が行田に帰省していた時の事を指すのですよう。

分かりましたわ。。。んで、そのとき電話で「おばんざい」の事が話題に出たのでござ〜♪〜ますわね?

違うのですよう。

違うのでござ〜♪〜ますか?。。。んで、それならば、一体どこで「おばんざい」が飛び出したのでござ〜♪〜ますか?

小百合さんも忙しい人で、僕だって実家にずっと居る訳じゃない。それに僕はケータイを持っていませんからね。それに、僕はラップトップもノートブックパソコンも日本へ持ってゆかなかった。

それで、デンマンさんは、ネットをやる時には、どうしていたのでござ〜♪〜ますか?

だから、自転車に乗って運動も兼ねて高崎線の行田駅近くの漫画喫茶「ミルミル」へ行ったのですよう。

つまり、漫画喫茶でネットをやったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよう。

。。。んで、ネットで小百合さんとチャットしながら「おばんざい」の話をしたのでござ〜♪〜ますか?

違うのですよう。小百合さんは忙しい人だから、僕とネットでチャットしているような時間はないのですよう。

それで、どこで「おばんざい」が出てきたのでござ〜♪〜ますか?

「ミルミル」の入り口の近くに『お持ち帰りコーナー』があるのですよう。



このコーナーに、古くなった漫画や週刊誌が並べられて置いてあるのですよう。それを「ミルミル」を利用した人は帰りに自由に持ち帰ることができるのですよ。

分かりましたわ。その時、デンマンさんが取り上げて、パラパラとページをめくっている時に「おばんざい」の記事に出くわしたのでござ〜♪〜ますわね?

そうじゃないのですよう。僕は漫画や週刊誌は、ほとんど買う事がないのですよう。でも、無料で持ち帰っていいと書いてあるので、社会勉強のつもりで僕は何冊か持ち帰ってきたのですよう。

分かりましたわ。それで、ご実家に帰って、週刊誌をめくっていたら「おばんざい」に出くわしたのでござ〜♪〜ますわね?

違うのですよう。実家で週刊誌をめくって読んでいる暇がなかったのですよう。

それで持ち帰った週刊誌を捨ててしまったのでござ〜♪〜ますか?

いや、捨てませんでしたよう。せっかく持ち帰ったのだから、カナダに戻ってから読もうと思って、僕は旅行カバンの中に入れたのですよう。

つまり、バンクーバーまで持ち帰ったのでござ〜♪〜ますわね?

そうですよう。

要するに、デンマンさんはバンクーバーのマンションで、しばらくぶりに時間ができたので旅行カバンから週刊誌を取り出して読んだ訳なのでござ〜♪〜ますわね?

違いますよう。

読まなかったのでござ〜♪〜ますか?

もちろん読みましたよう。

だから、どこで読んだのでござ〜♪〜ますか?

週刊誌なんて、わざわざ時間を作ってまで読むものじゃない、と思っているから、僕は机に向かって読んだわけではないのですよう。

。。。んで、どこで読んだのでござ〜♪〜ますか?

せっかく、バンクーバーまで持ってきたのだから捨てるのはもったいない。それで、僕はトイレに入っている時に読もうと思って、手の届くところに何冊か積み上げておいたのですよう。

それで、半年以上も経ってから、ようやくその一冊を取り上げて、ウンチをしながら読んだと言う訳なのでござ〜♪〜ますか?

うへへへへ。。。実は、そうなのですよう。

デンマンさん!。。。んも〜〜。。。それを初めに言えばよいのでござ〜♪〜ますわア。何も、これほどまでに長々と書くことは、ないではござ〜♪〜ませんかア〜!

でも。。。、でも、中には、どうして日本語の週刊誌がバンクーバーにあるのか?そういう事が気になってしまう人も居ると思うから、僕は長くなるとは思ったけれど、遠回りしながら親切に、こうして書いたのですよう。

そういう事は省略しても良いのでござ〜♪〜ますゥ。つい最近、デンマンさんだって次の記事を書いていましたやんかあああぁ〜

■ 『省略の美 (2008年8月1日)』

でもねぇ、“省略”と言っても、僕が上の記事で書いているのは小説を書くときの省略ですよう。文学上の省略の事ですよう。必要不可欠な事を省略してよいとは書いてないのですよう。

でも、デンマンさんが、これまで、くどくどと書いてきた事は全く必要のないことですわア。もう、あたくしも馬鹿らしくなってきたので、くどくどとは申し上げませんわ。。。それで、一体どのような記事なのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんが読めば、もうメチャ面白いと感動して読める記事ですよう。とにかく読んでみてくださいね。


恐るべき京言葉

「おばんざい」の隠された意味



あれはメジロムサシが勝った天皇賞だから、昭和46年春のことだが、天皇賞の前日に京都の小料理屋で呑んでいると、こんなことがあった。

年配の男性ふたりが陽気に呑んでいて、次第に小声で女の話になり、「ほなら、行こか?」と、片方が大阪の新地へ女遊びしに行こうと誘ったのである。その時、もう片方の男性は「いや、きょうはやめとく。おばんざいにしとくわ」と、両手を上げて万歳(ばんざい)の格好をしたのである。



京都でおばんざいというと、ふだん食べるおかずのことだが、それと同時に、遊女と違って愛想もなく、布団の上で万歳の格好をしてマグロのように横たわっている細君のことを指す場合もあるのだと、これで知ったのである。



よく関東の者が知ったかぶって、「京都のおばんざいはうまいなあ」といったりするが、京都の言葉には往々にして隠れた意味があるから要注意。

ましてや女性が、「わたし、結婚したら、夫に毎晩おばんざいを食べさせたいなあ。格別値段の高い材料を使っているわけじゃないし、料亭の味でもないんだけれど、10年食べても20年食べても、飽きないような味の…」などと、絶対にいわないほうがいい。京都の人間はたぶん、「ホントの意味も知らずにアホやなあ」と、聞きながらこっそり笑っているはずであります。



おばんざいの「ばんざい」は、漢字では「番采」と書く。この番采の語源について、『日本語源大辞典(小学館)』を引いてみると、「番傘・番茶などの番が常用・粗末などの意と理解されている所からいう類推か」という語源説が紹介されていた。

そうか、番という字には、「いつもの」とか「粗末な」という意味があるのか。だとすると、むかし、「番女」(バンジョー)という楽器バンジョーのグループがあったが、あのグループ名には違う意味もこめられていたんだなあと、これでわかったのである。

ちなみに日本には「バンザイ」という馬がこれまで2頭いるが、あれは番采ではなくて、万歳の意味だろう。大正10年生まれのバンザイは帝室御賞典(天皇賞の前身)を勝ち、昭和34年生まれのバンザイはスプリングS2着、中山記念2着というのだから、ともに大したものだ。




「井崎脩五郎の競馬新理論」 153ページ
『週間大衆 (2007年11月12日号)』より


デンマンさん!。。。これって、おシモのお話でござ〜♪〜ますわね?

ん。。。?シモい話。。。?

そうでござ〜♪〜ますわ。“お布団の上でバンザイの格好をしてマグロのように横たわっている妻”。。。デンマンさんは、「おばんざい」という京言葉をタイトルに出しながら、実は、この事が言いたかったのでござ〜♪〜ますわ。

やだなあああぁ〜。。。僕が。。。このボクちゃんが、バンザイするマグロの事を話すために「おばんざい」という言葉を持ち出してきた、と卑弥子さんは言うのですか?

そうでござ〜♪〜ますわ。デンマンさんは、そのようなエロいお話が好きなのでござ〜♪〜ますわ。あたくし、ちゃんと知っているのでござ〜♪〜ますう。

違いますよう。。。違いますよう。。。「おばんざい」が京言葉と聞いて、僕はすぐに卑弥子さんのことが思い浮かんだのですよう。この言葉ならば、卑弥子さんもきっと喜んでくれるに違いない!京都生まれで、京都育ち。いつもいつも、『小百合物語』のホステス役として僕を手助けしている卑弥子さんのために、その労をねぎらおうと、僕はこの記事を書き始めたのですよう。僕のこの優しい気持ちが卑弥子さんには全く分からずに、僕がシモい話をしたいために、この記事を書き始めたと思い込んでしまっている。。。ああぁ〜。。。僕は。。。僕は、本当に泣きたい気持ちですよう。

デンマンさん!。。。ちょっとオーバーでござ〜♪〜ますわよう。。。んで、「おばんざい」と小百合さんが、どのように関係しているのでござ〜♪〜ますか?

やだなあああぁ〜。。。卑弥子さんは、これまでに小百合さんの話をすべて読んでいるはずですよう。そうでしょう?

確かに、ほとんど読んでおりますわ。

だったら、小百合さんが思い出を食べるグルメだという事も知っているでしょう?「おばんざい」は、当然のことながら食べ物の話ですよう。小百合さんも、こういう食べ物の話がメチャ好きなのですよう。卑弥子さんだって知っているでしょう?

ええ。。。よく存じ上げておりますわ。でも、デンマンさんが、そのようにおっしゃる事をあたくしはそのまま素直に鵜呑(うの)みするわけにはゆかないのでござ〜♪〜ますう。

どうしてですか?

だってぇ〜。。。デンマンさんは書いていますわ。

どのように。。。?

恐るべき京言葉

「おばんざい」の隠された意味

このように書いていますやんかぁ〜

それは僕が書いたのではなくて、もともと週刊誌の記事のタイトルとして書いてあったのですよう。

でも、デンマンさんが、お話したい事は「おばんざい」の隠された意味についてでござ〜♪〜ますわ。

つまり、何が何でも“バンザイするマグロ”の事について書くために上の記事を僕が引用した、と卑弥子さんは思い込んでいるのですね?

もちろんでござ〜♪〜ますわ。あたくしとデンマンさんのお付き合いも5年になりますから。。。たいていの事は分かっているつもりでござ〜♪〜ますわ。

あのねぇ〜。。。僕はすでに言ったように、京言葉を持ち出せば卑弥子さんが喜ぶと思ったのですよう。

なぜ。。。?

なぜってぇ。。。決まっているでしょう?石川啄木が次のような歌を詠んでいるのですよう。




 
ふるさとの

訛り懐かし

停車場の

人込みの中に

そを聞きにゆく



石川 啄木

1886年2月20日生まれ
1912年4月13日没。

歌人・詩人・評論家。
本名は、石川 一(はじめ)。

テスト中のカンニング発覚・欠席の多さ・成績の悪さなどの理由から退学勧告を受け、
1902年10月27日に中学校を退学し、
文学で身を立てる決意をもって上京し、
正則英語学校(現在の正則学園高等学校)に通う。

1912年3月7日、母死去。
1912年4月13日、啄木、小石川区久堅町にて、肺結核で死去。
妻、父、友人の若山牧水にみとられる。享年27才。
1912年9月4日、妻は二人の遺児を連れ、
函館に移っていた実家に帰る。
1913年5月5日、妻の節子も肺結核で病死。
遺児は妻節子の父親が養育する。


東京の北の玄関として知られる上野駅。
開業は、1883年(明治16年)だそうです。
開業当時、営業は上野から熊谷まででした。
そうです。レンゲさんが店長を勤めている“ブティック・フェニックス”熊谷支店がある町です。
当時、1編成のみの列車が1日に2往復していたそうです。

開業から2年後の1885年(明治18年)、上野駅のレンガ造り2階建ての駅舎が完成しました。
岩手県から上京した石川啄木が上の歌を詠んだのは、
1923年(大正12年)の関東大震災で焼け落ちた初代上野駅だったのです。


故郷の方言が懐かしいなぁ。

上野駅に行けば、人混みの中に、

岩手から上京してくる人もいるだろうなぁ〜

ちょっと出かけてみようかぁ。


。。。という感じでしょうね。

あなたも、久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?

日本で旅をするのは高くつくんですよね。
旅館やホテル代が高い。
でもね、安いところもあるんですよ。
お得で、しかも快適な旅館やホテルを探すのだったら次のリンクをクリックして探してみてくださいね。

■ 『探してみれば、まだまだ安くてお得な旅館やホテルがあるものですよ!』




『ん?おとろしい?(2006年10月10日)』より


石川啄木の上の歌と「おばんざい」がどのように関係しているとデンマンさんはおっしゃるのでござ〜♪〜ますか?

だから、卑弥子さんにとって京言葉は懐かしいでしょう?

あたくしは現在、京都で暮らしているのでござ〜♪〜ますわ。それなのに、どうしてあたくしが京言葉を懐かしがらねばならないのでござ〜♪〜ますか?

やだなあああぁ〜。。。僕がこれだけ手の込んだ事をして、格調高く話を進めようと思って、石川啄木の歌まで出しているのですよう。

だから。。。?

卑弥子さんは『小百合物語』のホステス役ですよう。つまり、僕の手助けをしてくれる役ですよう。その人が話の進行にまったく協力してくれない。。。んもお〜〜。。。それはないでしょう?!

つまり。。。、つまり、あたくしが、ここで、“京言葉は、本当に懐かしゅうござ〜♪〜ますわ”と。。。そう言えば良いのでござ〜♪〜ますか?

もう遅いのですよう!。。。これを読んでいる人も、それが分かってしまえば、“どっちらけ”になるのですよう。

そのような事は、前もって言ってくださいなぁ〜。急に啄木の歌を持ち出されても、京都に住んでいるあたくしには、デンマンさんの期待に沿うような事は言えないのどすゥえ。

とにかく、僕はシモい話をしたいからではなく、卑弥子さんのために京言葉に関係のある記事を持ち出したのですよう。

それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのでござ〜♪〜ますか?

だからぁ。。。ヤ〜らしい話が好きな卑弥子さんも、「おばんざい」に裏の意味があることを知らないだろう。。。うしししし。。。僕は、そう思ったのですよう。どうですか?知らなかったでしょう?

やっぱり。。。やっぱり。。。デンマンさんは“バンザイするマグロ”の事を話したかったのでござ〜♪〜ますわね?

いや、そうじゃなくてぇ〜。。。卑弥子さんが、その事を知っているかどうかを確かめたかったのですよう。

でも、その内容はシモいお話なのでござ〜♪〜ますわ。

。。。で、卑弥子さんは知っていたのですか?

知りませんでしたわよう。。。そのようなシモい意味があるなんてぇ〜、全く考えてもみませんでしたわア。

でも、そういう裏の意味があるなんてぇ、ちょっと面白いでしょう?。。。絶対、卑弥子さんにウケる話だと思っていたのですよう。。。うへへへへ。。。
 



初出: 2008年8月4日 (月曜日)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
あたくし、本当に知りませんでしたわ。
でも、これはヤ〜らしい男たちが勝手にでっち上げた裏の意味だと思うのでござ〜♪〜ますわ。
京都に住んでいる善良な一般市民は、知らないと思うのでござ〜♪〜ますう。

でも、問題は、なぜデンマンさんが裏の意味をこの記事で取り上げたのか?と言う事でござ〜♪〜ますわ。
あたくしは、思うのですけれど、
デンマンさんは、小百合さんが“バンザイするマグロ”だと言いたかったのではないかしら?
うふふふふ。。。

それが言えないので、あたくしに“独り言”で言わせているのではないかしら?
うしししし。。。

とにかく、また、あさっても面白くなりそうですわ。
あなたも、どうか読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちは。デンマンですよう。

いつもならばジューンさんが出てくるのですが、

卑弥子さんが、あんな事を

独り言で言ってしまったので、

僕がまた出てきましたよう。

僕は、小百合さんが“バンザイするマグロ”だ

と言うために、この記事を書いたのではないのですよう。

小百合さんが、卑弥子さんの言葉を読めば、

絶対に、僕が言わせたのだと疑って、

気分を悪くしますよう。

小百合さん!僕が言わせたのではありませんからね。

うしししし。。。

誤解しないでくださいね。

とにかく、今度、行田で会うときには

「かどや」で一緒にゼリーフライを食べましょうね。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。






2011年09月25日

エロマンガ史

  
エロマンガ史
 
 

 
 

エロ漫画というジャンルには意外と知られていない事実がある。...90年代中期以降、女性作家が増加し、雑誌によっては描き手の過半数が女性作家というケースもあること。 ...多くの人気漫画家にエロ漫画の制作経験があること。

 (中略)

生者必滅の理というべきか、70年代中後半に盛りを迎えた三流漫画にも、やがて凋落の時がやってくる。
原因はいくつかある。 まず、雑誌の数自体が過飽和状態に陥り、作品の量を確保するために質が低下したことが考えられる。 人気作家は無理な量産(月産300枚!)を行い(あるいは行わされ)、それでも間に合わなければ、以前ならば掲載されなかったような凡作、新人の穴埋め原稿、人気作家の旧作品を掲載してページを確保する。 そんなことをやっていれば読者が離れても不思議ではない。

もう一つは規制の波だ。 ...『エロジェニカ』摘発は、編集長がテレビの深夜番組『11PM』で当局を挑発したからだという説がある。



たしかにありうる話だが、前後の推移を見れば遅かれ早かれどこかが見せしめ的にやられることは自明だったはずだ。 取締当局及び規制推進陣営の目的は自販機とビニ本というゲリラ的な出版物を抹殺することだった。...これは自販機オンリー、あるいは販路の一部を自販機に頼っていた三流劇画誌にとっては大きなダメージになった。

 (中略)

元々が零細出版社が目先の現金を獲得して、今日を生き延びるための手段だった。 大きなビジョンを描くとか、出版革命を起こそうとか、戦略的にどうこうというレベルではない。 単純にいってしまえば、原稿料の安い漫画家と安い月給の編集者でコストを切り詰めた雑誌を作るというだけの話だ。 ...衰退の理由は他にも様々あったろう。 どれもが致命的だったというよりは、複合的にそれぞれが「効いた」のだと思う。 ...とはいえ、エロ劇画自体が消滅したわけではない。 御三家やそれに連なる「インテリ」系が減少し、漫画読みの読者が離れ、全体的に縮小しても、そこには残存者利益が発生する。 ...当然ながら作家も生き残っている。

生き残っているだけではなく、突如、再ブームになって、新刊が出るわ、復刻版は出るわで、オールドファンを熱狂させ、無能な評論家を「な、なんで今頃」と慌てさせることになってしまった。

中でも有名なのが90年代後半のケン月影ブームだろう。



ほとんど月刊ケン月影の勢いで怒涛のように刊行された。 このブームの余波か、エロ度をアップした青年劇画誌の老舗『プレイコミック』(秋田書店)に登場し、なおかつ看板作家として同誌を牽引することになってしまったのである。...評論家やインテリが評価しようがしまいが、生き残るものは生き残る。



 (中略)

こうして見てくると、これまで美少女系エロ漫画が追求してきた、性とエロスにかかわるメンタルな部分を、成人向けではない萌え系やオタク系と呼ばれる漫画がフォローしていることが理解できる。

ここでは、漫画に限って見てきたわけだが、性器と性交を遠ざけつつ、男女の恋愛感情から、フェティシズム、サドマゾヒズム、同性愛、トランセクシャルといった多角的な欲動までを含む「エロス」への傾斜は、ライト・ノベルやゲームの世界にも見て取ることができるだろう。 「萌え」の中核には「エロス」があり、その上に何重もの要素が重ねられ、欲動の形は韜晦されてはいるといえ、「萌え」を描き、「萌え」に享楽を見いだすことはエロチックな生産と消費の作業なのである。

 (中略)

重要なのは区分や定義ではない。
何が自分にとって気持ちいい表現なのかということだし、自分の脳内楽園をもっとも活性してくれるものは何かということである。


(注: 赤字はデンマンが強調
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
 



3ページ、 62-64ページ、 250-251ページ
『エロマンガ・スタディーズ』
(「快楽装置」としての漫画入門)
著者: 永山薫
2006年11月3日 第1刷発行
発行所: 株式会社 イースト・プレス




デンマンさん。。。あんさんはネタがきれてきやはったのでオシモの話題にしやはったん?



いや。。。ちゃうねん。。。話題ならば掃いて捨てるほどあるねん。

それやのに、どうしてオシモの話題を選びやはったん?

めれちゃんはエロマンガを読まへんのか?

たまには読むことがあるわ。。。そやけど、パーマをかけてもろうてる時とか。。。時間つぶしに眺める程度ですねん。。。で、あんさんはどないな訳でエロマンガなどを取り上げはったん?

あのなァ〜、久しぶりにジューンさんのブログを覗いてみたら次の対話に出くわしたのやがなァ。






ローティーンの女の子が初めて恋をして自分をシンデレラに重ねて甘い夢にひたっているような。。。うししししし。。。ジューンさんも年に似合わずに意外にメルヘンチックなイメージに憧れているのですね。



デンマンさんは、上のようなイメージを少女趣味と言うのですか?

そうですよう。。。ローティーンの女の子が夢見るような。。。そんなイメージでしょう?!。。。ジューンさんだって、そう思うでしょう?うへへへへへ。。。

デンマンさんは、やっぱり浦島太郎になっているのですわね。

ん。。。? 浦島太郎。。。? なんで急に浦島太郎が出てくるのですか?

デンマンさんは最近の日本のローティーンの女の子がどのようなイメージに馴染(なじ)んでいるのか知らないのですわ。

ん。。。? 。。。で、ジューンさんは知っているのですか?

もちろん知っていますわ。

最近の日本のローティーンの女の子は、いったい。。。、いったい、どのようなイメージに馴染んでいるのですか?

次のよな漫画を見て育っているのですわ。





あれっ。。。ジューンさんは、よく知っていますねぇ〜!?



デンマンさんは、マジでご存じなかったのですか?

もちろん、知っていましたよう。

でも、時代遅れな、古臭い“少女趣味”を持ち出してきましたわ。

あのねぇ〜、たとえ、時代遅れで、古臭くても、“少女趣味”は少女趣味ですよう。

デンマンさんの“少女趣味”は、20年以上前の少女趣味ですわ。

でも、ジューンさんにも僕の言おうとしていることは分かるでしょう?

それならば、“少女趣味”なんて言わないで、メルヘンの古典と言って欲しいですわ。




『ジューンさんのブログ (2010年6月25日)』より




ジューンさんとの対話がどうやというの?



あのなァ〜、わてが知っている“少女趣味”が古いのであれば、最近の“少女趣味”というのは美少女系エロ漫画のことに違いないと思うたわけやァ。 めれちゃんかてぇ、少女コミックのような画像を見て育ったのやろう?

あんさん!。。。勝手な事を言わんといてぇ〜なァ。 少女コミックもすでに古くなってますねん。

さよかァ〜。。。でもなァ、めれちゃんは次のように言うてたでぇ〜。。。


「エログロナンセンス」の

時代特有の、

妖しげな表現に

魅せられました。


2007-04-13 13:53



デンマンさん
わたしの言う「エロい」は、
やはり少々お下品だったかな?
この表現って、
わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ
わたしは関西人のなかでも特に?
ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、
必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね

で、回答へとまいりますね。。。

江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。
幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。

乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。



「人間椅子」での、愛する女性のソファに、自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。

そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです

「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?

小学生のわたしに、
そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから
読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)

女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。

フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、わたしはずーっと信じてます!
 
 
by レンゲ




『おばさんパンツ』より
(2007年10月6日)




でも、これは少女コミックと関係あらへん。 しかもこれは、わたしやのうてぇ、レンゲさんが書きはったモンですう。



うん。。。確かにサインを見るとレンゲさんやァ。。。わては思い違いしとったわ。

あんさんは、上のレンゲさんの手記を持ち出してきやはって、わたしとエロい画像とを結び付けようとしやはったん?

うししししし。。。めれちゃんにも分かるか?

あんさんの考えてることぐらい、わたしにはすぐに分かりますがなァ。

さよかァ?

あんさんとの付き合いも丸7年になりますさかいに。。。

さよかァ?

つまり、わたしを貶(おとし)めようとして「エロマンガ史」というタイトルをあんさんは付けはったのやろうけど、当てが外れましたなァ〜!?

いや。。。めれちゃんを貶めようとしてエロマンガを持ち出してきたわけではあらへん。 三流漫画は廃(すた)れているけれど、「評論家やインテリが評価しようがしまいが、生き残るものは生き残る」というのを読んで、なるほどと思うたのやがなァ。

それで生き残ったエロマンガって、どないなものやのォ〜?

次の箇所をもう一度読んでみィ〜なァ。


生き残っているだけではなく、突如、再ブームになって、新刊が出るわ、復刻版は出るわで、オールドファンを熱狂させ、無能な評論家を「な、なんで今頃」と慌てさせることになってしまった。

中でも有名なのが90年代後半のケン月影ブームだろう。






この部分を読んでなァ、わてはハタっ!と思い当たるものがあったのや。



何を思い当たりはったん?

あのなァ〜。。。おぼろげながら、わてはケン月影という名前を記憶しておったのや。

どないな訳で。。。?

日本へ帰省すると、わては「まんが喫茶 みるみる」でインターネットをしたものなのや。

そこで記事も書きはったん?

そうなのやァ。。。そして帰りに「お持ち帰りコーナー」でマンガ本や週刊誌をパラパラとめくって気に入ったモノを持ち帰ったのやァ。。。




「ミルミル」の入り口の近くに『お持ち帰りコーナー』があるのですよう。





このコーナーに、古くなった漫画や週刊誌が並べられて置いてあるのですよう。それを「ミルミル」を利用した人は帰りに自由に持ち帰ることができるのですよ。



分かりましたわ。その時、デンマンさんが取り上げて、パラパラとページをめくっている時に「おばんざい」の記事に出くわしたのでござ〜♪〜ますわね?

そうじゃないのですよう。僕は漫画や週刊誌は、ほとんど買う事がないのですよう。でも、無料で持ち帰っていいと書いてあるので、社会勉強のつもりで僕は何冊か持ち帰ってきたのですよう。

分かりましたわ。それで、ご実家に帰って、週刊誌をめくっていたら「おばんざい」に出くわしたのでござ〜♪〜ますわね?

違うのですよう。実家で週刊誌をめくって読んでいる暇がなかったのですよう。

それで持ち帰った週刊誌を捨ててしまったのでござ〜♪〜ますか?

いや、捨てませんでしたよう。せっかく持ち帰ったのだから、カナダに戻ってから読もうと思って、僕は旅行カバンの中に入れたのですよう。

つまり、バンクーバーまで持ち帰ったのでござ〜♪〜ますわね?

そうですよう。

要するに、デンマンさんはバンクーバーのマンションで、しばらくぶりに時間ができたので旅行カバンから週刊誌を取り出して読んだ訳なのでござ〜♪〜ますわね?

違いますよう。

読まなかったのでござ〜♪〜ますか?

もちろん読みましたよう。

だから、どこで読んだのでござ〜♪〜ますか?

週刊誌なんて、わざわざ時間を作ってまで読むものじゃない、と思っているから、僕は机に向かって読んだわけではないのですよう。

。。。んで、どこで読んだのでござ〜♪〜ますか?

せっかく、バンクーバーまで持ってきたのだから捨てるのはもったいない。それで、僕はトイレに入っている時に読もうと思って、手の届くところに何冊か積み上げておいたのですよう。

それで、半年以上も経ってから、ようやくその一冊を取り上げて、ウンチをしながら読んだと言う訳なのでござ〜♪〜ますか?

うへへへへ。。。実は、そうなのですよう。




『おばんざい(2008年8月4日)』より




そいで、持ち帰った中に『漫画プラザ』という漫画雑誌があったのやァ。





あらっ。。。エロマンガ雑誌やないの!?



そうなのやァ。。。その時は、こういう雑誌が日本で発売されていると思いながら手にとってパラパラとめくっていたのや。

それで、どないな漫画があんさんの目に留まりやはったん?

次の漫画やがなァ〜。。







あらっ。。。マジでエロいやないのォ〜!



めれちゃんも、そう思うか?

誰かて上のマンガを見ればエロいと思いますやん。

さよかァ〜?

それで、あんさんは上の雑誌を持ち帰りはったん?

そうなのや。 しかもバンクーバーまで持ち帰ったのやがなァ。。。そいで、この記事を書くのでマンガ作家の名前を確かめたらケン月影と書いてあったのや。

。。。で、上のマンガの何がそれほど、あんさんの気に入りはったん?





あのなァ〜。。。尻の描き方を見た時に、わては英文法の先生を思い出したのやがなァ。。。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。

いい尻をしているなあぁ〜”


つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。





うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?



卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?





そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。



その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。




『あっちかち (2008年3月25日)』より

『美尻(2011年9月9日)』にも掲載




つまり、マンガの女性の美尻があんさんの眼を惹きつけはったのね?



その時には、別に意識せんかったけど、今思い返してみるとケン月影の描く女性の尻と、わての美意識に共通するものがあったのやろなァ。





わてがこのデッサンを描いたのはカラーモニターが普及する前やったから15年ほど前のことやねん。



マジで。。。?

わてがまだ日本語で記事を書く前やった。

ホンマかいなァ〜?

その証拠があるねん。



"Phryne"

"Famous or Infamous Women in History"



あらっ。。。マジで英語で書いてますやん。。。いつ頃書きはったん?



2000年頃やと思うでぇ〜。。。

つまり、古代ギリシャの高級娼婦のフリュネ(Phryne)さんを思う浮かべながら、あんさんはエロマンガを描きはったん?

あのなァ〜。。。エロマンガと思いながら描いたのではないねん。 

重要なのは区分や定義ではない。

何が自分にとって気持ちいい表現

なのかということだし、

自分の脳内楽園を

もっとも活性してくれるものは

何かということである。


たぶん、わてもこのような気持ちで描いたのやと思うでぇ〜。。。

ところで、「まんが喫茶 みるみる」は、その後どうなりはったん?

あのなァ〜、去年(2010年)の秋に帰省した時には駐車場にぺんぺん草が30センチほど生えており、鎖で閉鎖されておったのやァ。

要するに「まんが喫茶」の需要がなくなって倒産するところや店じまいするところが出てきやはってんなァ。

そういうこっちゃ。 エロマンガをわざわざ「まんが喫茶」で見る必要がなくなったのやろなァ。。。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
ケイタイでネットにアクセスきるようになったりで「まんが喫茶」に行く必要がなくなってきたのでしょうね。
エロマンガだけでなく週刊誌や本も、ネットにアクセスする人が多くなるに従って発行部数が減少しているようですわ。
三流漫画を出版している会社だけでなく、一般の出版会社も大変なようですね。
あなたも、最近、週刊誌や本を買って読まなくなったでしょう?

とにかく、興味深い話題がさらに続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 --- 小百合物語』

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■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



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『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

お尻は大きくもなく、小さくもなく

ほどほどがよろしいようですわね。

美尻が大きなお尻とは限りません。

お料理も甘すぎず辛すぎず

ほどほどのお味が良いようです。

デンマンさんは四川料理の辛いのが好きなのですわ。

私には辛すぎるのです。

そのような訳で、デンマンさんが久しぶりに

ご馳走してくれると言ったので

四川料理ではなく、シルビアホテルの近くの

イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。









デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、

ちょっとおねだりして仔牛と

フォアグラのローストをリクエストしました。
 
 
フォアグラ料理
 
 

 
 


う〜♪〜ん。 期待していた通りですう。

仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、

英語では「ヴィール」vealですよね。

まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。

特徴は香りやクセがなく、

とても柔らかいのですわ。

その分、バターなどコクのある食材と

あわせる場面が多いようです。

今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と

フォアグラのローストです。

マルサラ酒とリコッタチーズのソースが

とっても合っていました。

2色のアスパラガスが添えてあって、

落ち着いた感じを与えています。

フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは

贅沢にも濃厚なフォアグラですう。

やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、

お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。

ソースはしっかり目に全体をまとめていました。

普段、口にする機会がないヴィールと

フォアグラなので、とっても期待していました。

デンマンさんが特別に注文してくれた

カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。



わたしが首を長くして待っている間

デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために

わざわざ中国の西安に行ったときの事を、

いろいろと話してくれました。



料理が出てくるのを待ちながら、

わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。

いつものようにデンマンさんは、

かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、

わたしは半分、上の空で聞いていました。

うふふふふ。。。



次に出てきたのはイタリア料理の

バヴェッティーネでした。

焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの

芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。

食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような

上質の和食を連想させる優しい味わいでした。



そして、デザートにはクレームエペスでした。

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の

生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな

酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、

その味わいを表現しています。

なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。

フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年09月09日

美尻

  
美尻





広場にいた中年の女性が、1950年代に、ある美しい女性歌手が酔っ払いにからまれた時の話をしてくれた。 酔っ払いは「俺はあんたとやろうかなと思っている」と叫んだ。
歌手は酔っ払いに向かって指を振ると答えた。 「あらっ、そう、知らなかったわ……」さすがである。

ストリの男性たちはこういう女が好きだ。 だが、男たちの関心をひくのはいわゆる美人ではない。 美女には想像力がいらない。 本当の喜びは、誰にも注目されていない女性の中にすばらしい美しさを見出したときに得られるのだ。

広場で一人の女性を見つめている男がいて、その男は本当にその女性のことしか見ていなかった。 いくら想像力を働かせてみても、私は男がその女性のどこにひかれているのかわからなかった。 女性は小柄で、髪は薄くなっていたし、上半身は中世のイタリア女性よりも少年に近いといっていい。 プロポーションは完璧とは言いがたく、しかもどうしたことか尻だけがとても大きいのだった。

日曜日の朝、ニコラーラと一緒に広場にいると、大聖堂から戻ってきたその女性が通りかかった。 崇拝者は広場の反対側にいて、情熱のおもむくままにその女性をじっと見つめている。 いやらしい目つきではなかったが、端から見てもわかるほど堂々と見ていた。
女性がほとんど広場を横切った頃、私はニコラーラが女性に微笑みかけているのに気づいた。 その時突然、私は二人が女性の何にひかれているのかがわかった。
大きな尻だ。
身体のほかの部分とのバランスとか、他の女性の尻との比較ということを考えず、つまりただ純粋にその尻の形だけを見ると、それはすばらしく美しいのである。 そこには秘められた豊かささえ感じられた。

(注: 赤字はデンマンが強調)
 



166 - 167ページ
『イタリアの田舎暮らし』
著者: マイケル・リップス 越智めぐみ・訳
2002年7月20日 初版発行
発行所: 株式会社 角川書店




デンマンさん。。。あんさんは「おいど」に拘(こだわ)ってますやん。



わてが「おいど」に拘っているように、めれちゃんには見えるのか?

そやかてぇ「美尻」というタイトルをつけはって、さらに「大きな尻」を引用してはりますやん。

あのなァ〜、わては「おいど」に拘っているのではないねん。 『イタリアの田舎暮らし』を読み始めて上の箇所にたどり着いた時に、ふいに高校時代の英語の先生のことが思い出されたのやがなァ。。。

どないな思いでやのォ〜?

すでに記事に書いたことやけど、めれちゃんのためにここに書き出すよってに、じっくり読んでみたらええやん。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。

いい尻をしているなあぁ〜”


つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。





うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?



卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?





そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。



その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。




『あっちかち (2008年3月25日)』より

『悔恨の気おくれ(2011年7月25日)』にも掲載




デンマンさん。。。あんさんは「おいど」に拘(こだわ)ってえ〜へんと言うたけど、高校生の頃から拘ってますやん。



あのなァ〜、めれちゃん。。。「おいど」に拘(こだわ)ってるのではのうてぇ、美しいものに拘っているのではないかいなァ。

そやけど、その美しいものが「おいど」やんかァ。

ちゃうねん。。。 次のデッサンを見ればわてが「おいど」に拘ってないのが判るやろう?





上のデッサンはマジで、あんさんが描きはったん?



そうやァ。。。

。。。で、女性の尻の美しさに共鳴する人がイタリア人にも居る事が分かったので「美尻」について書く気になりはったん?

いや。。。そればかりではないねん。

他にも思い出したことがあるの?

そうなのやがなァ。。。わては2002年9月26日に旧石器時代の突き出た尻を持っている女性たちのことを記事に書いたのや。





“Sticking-out Buttocks”

(2002年9月26日)




要するに、あんさんはずいぶん以前から「おいど」に拘ってますやん。



そう見えるか? うへへへへへ。。。

笑ってごまかさんで欲しいわあァ〜〜。 旧石器時代の「おいど」の大きな女性に、どないな訳であんさんは魅力を感じはったん?

実際に、このような女性が地球上に存在したのやろか?。。。わては不思議に思うたのやがなァ〜。。。

旧石器時代のヤらしい男たちが想像して作りはったのやんかァ。

そやけど、エジプトの遺跡にも尻の突き出た女性が出てくるねん。

どの遺跡やのォ〜?

紀元前15世紀に建てられたハトシェプスト女王の神殿の壁に次のような女性が描かれている。





これは写実的に描いたのやのうて、誇張して描きはったんと思うわァ〜。。。



わては実際にこのような女性が生きていたと思うねん。

その根拠は。。。?

現在でも尻の突き出た女性がおるねん。

どこに。。。?

アフリカに。。。





あんさんがコラージュして、でっちあがましたのやろう?



いや。。。わてがコラージュしたものではのうて、マジで本物やァ。 実際に写真を撮った人の許可をもろうて記事に掲載したのやァ。

そやけど、実際にこないな人が居るなんて信じられへんわァ。

そやろう? わてだってぇ初めて見た時には信じられへんかった。 でもなァ〜、実際にこのような女性がおるのやでぇ〜。。。

そやけど、どう言う訳で「おいど」が突き出したのやろか?

あのなァ〜、わてもその事について、いろいろと考えたのやけど、赤ちゃんをおんぶするときに都合がいいように何百年という進化の過程を経て突き出したのやと思うねん。





これは、あんさんがコラージュしましたのやろう?



そうやァ。。。誰が見ても分かり易いように赤ちゃんを付け足したのやァ。

。。。で、あんさんは実際に「おいど」が突き出した女性をアフリカで見やはったん?

見たのや。

マジで。。。?

こないな時に、ウソや「でまかせ」が言えるかいな。

。。。で、エジプトのカイロ? それともアレキサンドリアで見やはったん?

いや。。。実は、アフリカでないねん。

いったいどこで見やはったん?

バンクーバーやがなァ。

マジかいな。。。?

こないな時に、ウソや「でまかせ」が言えるかいな。 わてがバンクーバー図書館で記事を投稿しおわって2階のロビーから外に出ると、そこに Marwa (マーワ)さんが目の前を歩いていたのやがなァ。







でも、この上の写真は、あんさんがコラージュしましたのやろう?



そうやァ。。。マーワさんのプライバシーを保護するために、わてがコラージュして作ったものやァ。 そやけど顔の表情を除くと尻の形は、ほぼ実物に近いのやでぇ〜。。。

マジかいな。。。? で、あんさんはマーワさんをナンパしやはったん?

そないな事をするかいなァ! わてはマーワさんの姿を見た時、まるで雷に打たれたように衝撃が体中を走ったのやァ。

そいで、あんさんは、その場に気絶して倒れはったん?

何を言うてんねん。 気絶して倒れている場合ではないがなァ。。。わては無意識にマーワさんに声をかけていたのやァ。 「実は。。。実は。。。あのォ〜。。。私は歴史オタク(history nerd)で古代史や旧石器時代の事について勉強している者なのですが。。。不躾(ぶしつけ)ながら、あなたにぜひ質問したいことがあるのです。 でも、質問の内容があまりにも突拍子もないことなので、とりあえずこの記事を読んでもらえないでしょうか。。。」 そう言って上の記事のURLをノートの切れ端に書いてマーワさんに手渡したのや。

マーワさんは、あんさんの英語の記事を読みはってから、あんさんに会(お)うたの?

そうなのやァ。 マーワさんはエジプトのカイロから10年ほど前にカナダに移住してきたのやァ。 カイロでは大学で英文学を専攻したのやけど、カナダではいい仕事が見つからず、スーパーのレジの仕事をやっていたのやけれど、それには飽きたので、もと良い情報関連の仕事に就きたいとかでバンクーバー図書館から歩いて5分のVCC(コミュ二ティ・カレッジ)に通っているそうやァ。 わてはランガラ・カレッジで情報処理工学を教えていたことがあると言うたら。。。「これも何かのご縁ですわね」と言って、うふふふふ、と笑いおったのやァ。

マジかいな。。。? ちょっと話ができすぎているやおまへんか!?

とにかく、そないな訳で、マーワさんも情報関連の仕事について話を聞きたいと言うので何度か会ってダベッたわけやァ。

。。。で、マーワさんの「おいど」が大きな訳が分かりはったん?

分かったのや。 





実は上の女性はパント(Punt)という古代のアフリカの国の女王なのやァ。 その国は今のエチオピアとソマリア北部にまたがっていた。 マーワさんはカイロで生まれたのやけど、両親はソマリア北部からエジプトのカイロに移住したと言うのやァ。



つまり、マーワさんの先祖にはパントの女王の血が流れていると、あんさんは言わはるの?

可能性が全く無い訳ではないでぇ〜。。。

そないな事が信じられるかいな!

とにかく、赤ちゃんを世話するには具合がいいと言うてたでぇ〜。。。





あんさん。。。調子に乗って、この写真もコラージュしやはったん?



うししししし。。。

。。。で、あんさんもマーワさんの「おいど」にハマッてしもうたのォ〜?

いや。。。わてはマーワさんの尻の魅力に捕らわれてしもうたわけではないねん。

尻の魅力でないとしたら、他に何の魅力に捕らわれはったん?

あのなァ〜、日本やったら、マーワさんのような尻を持って生まれてきたら整形外科病院で尻を小さくして、形も標準並みにしてしまうと思うねん。 ところがマーワさんは他人の目など気にせずに親からもろうた自分の体を大切にしているのや。 その気持ちが尊いと思うてなァ。 その気持ちが美しいのやァ。 わては感心してしもうたでぇ〜。 本当の喜びは、誰にも注目されていない女性の中にすばらしい美しさを見出したときに得られるのやァ。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
確かにそうですわよね。
あたくしだってぇ、この十二単を着ていると、「オツムが可笑しくなってしまったのかしら?」と妙な目で見られることがあるのでござ〜♪〜ますわ。
でも、そのような好奇の目を気にすることなく、あたくしは日本の伝統を守っているつもりなのですう。

だけど、夏には十二単を着ていると、クソ暑いのよねぇ〜。
大きなお尻よりも、このクソ暑さをどうにかして欲しいものでござ〜♪〜ますわ。
京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さなのですう。
あまり暑いので、あたくしは今日も冷し中華を食べたくなったのでざ〜♪〜ますう。



あああァ〜。。。「冷し中華」を思い浮かべただけで汗がタラタラと滲み出てきましたわ。
もういけません!
十二単を脱ぎ捨てて、すぐ近くの中華料理店へ走ってゆこうと思います。
うふふふふふ。。。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

お尻は大きくもなく、小さくもなく

ほどほどがよろしいようですわね。

お料理も甘すぎず辛すぎず

ほどほどのお味が良いようです。

デンマンさんは四川料理の辛いのが好きなのですわ。

私には辛すぎるのです。

そのような訳で、デンマンさんが久しぶりに

ご馳走してくれると言ったので

四川料理ではなく、シルビアホテルの近くの

イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。









デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、

ちょっとおねだりして仔牛と

フォアグラのローストをリクエストしました。



う〜♪〜ん。 期待していた通りですう。

仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、

英語では「ヴィール」vealですよね。

まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。

特徴は香りやクセがなく、

とても柔らかいのですわ。

その分、バターなどコクのある食材と

あわせる場面が多いようです。

今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と

フォアグラのローストです。

マルサラ酒とリコッタチーズのソースが

とっても合っていました。

2色のアスパラガスが添えてあって、

落ち着いた感じを与えています。

フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは

贅沢にも濃厚なフォアグラですう。

やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、

お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。

ソースはしっかり目に全体をまとめていました。

普段、口にする機会がないヴィールと

フォアグラなので、とっても期待していました。

デンマンさんが特別に注文してくれた

カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。



わたしが首を長くして待っている間

デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために

わざわざ中国の西安に行ったときの事を、

いろいろと話してくれました。



料理が出てくるのを待ちながら、

わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。

いつものようにデンマンさんは、

かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、

わたしは半分、上の空で聞いていました。

うふふふふ。。。



次に出てきたのはイタリア料理の

バヴェッティーネでした。

焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの

芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。

食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような

上質の和食を連想させる優しい味わいでした。



そして、デザートにはクレームエペスでした。

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の

生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな

酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、

その味わいを表現しています。

なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。

フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年09月07日

あなたの平和な日々

 
あなたの平和な日々




8月15日に考えたこと



中世の十字軍時代の資料を読んでいて感じたことなのだが、当時の西洋のキリスト教徒にとっての十字軍は、イエス・キリストのために行う聖戦だった。 ところが攻めてこられた側のイスラム教徒たちは、宗教戦争とは見ずに侵略戦争と受けとったのである。 宗教心から起こった戦争ではなく、領土欲に駆られての侵略というわけだ。

そのアラブ側の資料を読みながら、私は思わず、ならばその前の時代の北アフリカやスペインへのイスラム勢の侵攻は何なのよ、と言ってしまった。 その時代のイスラム教徒は、右手に剣左手にコーランという感じで、地中海の南に限らず西側までもイスラム下に加えていたのだ。

 (中略)

第二次大戦での日本も、防衛で始まり侵略に移った後でも勝ち続けて大東亜共栄圏を樹立し、しかもそれで百年つづいていたとしたら、侵略戦争と言われることもなかったろう。 だが、その前に負けたのだ。 七百年も昔にキリスト教側の敗退でケリがついているはずの十字軍でさえも、今なおイスラム側では侵略戦争としているくらいなのだ。...ゆえに私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。 はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだった。

となれば、毎年めぐってくる8月15日に考えることも、方向がはっきり見えてくるのではないか。 第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、戦時中と戦後の日本と日本人を振り返って示す。
戦争を知らない世代に知らせるためである。 だがその後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。 そこで論じられるのはただ一つ。 どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか、である。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



218 - 220ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




ケイトー。。。今日は8月15日の日本の敗戦のことなの?



いけませんか?

ケイトーが引用した塩野七生さんの文章では、かなり物騒(ぶっそう)なことを言ってるじゃない!?

シルヴィーにも判る?

だってぇ、第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むかを考えなさい!と言ってる訳じゃない!? なんだか軍国主義に戻れと言ってるみたいじゃない?

僕にもそのように聞こえますよ。

だから、私は危険じゃないの!?と思うのよ。

シルヴィーもそう思うでしょう? だから、僕も塩野七生さんの文章を取り上げたのですよ。

塩野七生さんさんは戦争を体験しているのでしょう?

1937年生まれだから終戦の時には8歳ですよ。 だから、戦争の悲惨さを覚えていると思うのですよ。

悲惨な戦争体験を持っていれば、たいていの女性は戦争を始める事など絶対に反対するはずよね。

うん。。。僕もそう思いますよ。 「戦争を知らない世代に知らせるためである」と塩野七生さんは書いているけれど、塩野さん自身はそれほど酷(ひど)い戦争体験を持っているようには思えない。

ケイトーは、どうしてそう思うの?

あのねぇ〜、戦争の悲惨さを体験した人は、どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むかなんてことか書かずに、たとえば次のように書くのですよ。


石原「元帥」の人気を憂う



石原慎太郎東京都知事が2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。 もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。 (中略) こういうものに対処するには、なかなか警察の力をもっても限りとする。 ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、都民のですね災害の救援だけではなしに、やはり治安の維持も、一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」などと発言した、と新聞で読んだ時、私はアメリカにおける少数民族の自分をそれに当てはめてみて身震いをした。

 (中略)

この後、真夜中に大阪で迷い回ってやっと摑まえたタクシーの私ぐらいの年恰好の運転手が石原知事の発言を誉めたもんで、「あなたは戦争を覚えているでしょ。 彼のような国粋主義者が天下を取って、兵役を敷いたら、あの人に投票した人はみな年齢を問わず兵隊に行ってもらうから」と怒鳴ったら、彼は「へえ、行きまっせ。 国のためやったら敵ぐらい何ぼでも殺したる」と言ったので私は恐ろしくなって降りようと思ったが、真夜中に不案内なところでタクシーを摑まえるのも怖いしで、そのままホテルに着いた時も怒鳴り合いの最中だった。 ドアマンがいなかったのが幸いだった。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



44 - 46ページ
『なにゃ、これ? (アメリカと日本)』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店

米谷ふみ子

1930年大阪生まれ。 作家・画家
大阪女子大学国文科卒業
二科展に三年連続入選し、関西女流美術賞受賞。
1960年、米国からフェローシップを受け、渡米。
作家ジョッシュ・グリーンフェルドと結婚し、二児の母となる。
現在、ロスアンジェルス郊外在住。
第94回芥川賞受賞。




なんだか笑ってしまうわね。 米谷ふみ子さんは変わった経歴の持ち主なのね。



僕も実は、米谷ふみ子という名前を初めて目にしたのですよ。 面白そうなタイトルなのでバンクーバー図書館から上の本を借りて読んでみたら、確かに面白い人だと思いましたよ。

それで、ケイトーも米谷ふみ子さんの考え方に同意するの?

もちろんですよ。 僕が米谷ふみ子さんの立場に居たら、タクシーの運転手に同じような事を言い、間違いなく喧嘩になったと思いますよ。

そうねぇ、ケイトーならば警察のご厄介になったかもしれないわね。 (微笑)

米谷ふみ子さんは1930年生まれだから塩野七生さんよりは7つ年上です。 だから、終戦の時には15歳。 戦争中は嫌な思いばっかりしたので、戦争は何がなんでも絶対反対だと本に書いてあります。

女性ならば、たいていの人がそう思うでしょうね。

そうですよ。 もう亡くなってしまった作家の野上弥生子(1885−1985)さんも太平洋戦争が始まる前、1937(昭和12)年の年頭の新聞に次のように書いていましたよ。




たったひとつお願いごとをしたい。 今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。 いいえ、どちらでもよろしゅうございます。 洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、……コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。 どうか戦争だけはございませんように……

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




僕は戦後生まれだけれど、親類にもあの戦争で死んだ人がいるし、僕の親父は満州から沖縄に転戦して、運がよく沖縄本島ではなく宮古島に駐屯したので全滅にならずに生き残ったのだけれど、僕の親類の生き残りの人たちからも戦争の悲惨な体験を聞かされて、僕自身が戦争は絶対にやってはならないと思うようになりましたよ。



塩野七生さんは、そのような悲惨な戦争体験を聞かされたことがないのかしら?

ないのでしょうね。

でも、戦争は反対するのが当然だと私は思うのだけれど。。。

あのねぇ、塩野七生さんは歴史を40年書いているのですよ。

だったら戦争の悲惨さを知っているでしょう!?

でもねぇ、塩野さんはオツムの中で。。。特にローマ時代からの戦争、それに十字軍などの戦争を書いてきた。 でも、実際には戦場に出向いたことはないし、要するにオツムの中で戦争の物語を書いてきたから、自分の体で体験した戦争の悲惨さを知らない。 だから僕は塩野七生さんのことを“戦争の箱庭作家”と呼んでいるのですよ。

でも、戦争体験を実際に身をもって体験するなんて現在の作家には難しいのじゃないの?

あのねぇ〜、作家じゃなくても実際に戦争の悲惨な体験を自分で確かめてエッセーを書いている人が居ますよ。

誰。。。?

黒柳徹子さんですよ。 次のように書いていましたよ。


チャイルド・ソルジャー



「もし、いま銃をあなたに渡したら、あなたは、また人を撃ちますか?」
私は、自分でも、こんな風に少年を問い詰めるみたいなのはイヤだと思った。 この子は、たった10歳だったんだから。 でも、少年兵が、どんな考えで、そして、どんな状況で、内戦に参加していたかは、ちゃんと知らなければならない。 ...少年は小さい声で答えた。
「もう、撃ちません」
この会話を聞いたら、みなさんは、なんて凶暴な子どもだろう、とお思いかも知れない。 でも、この子は、大人たちにあおられて、兵隊になった。 戦争が終わった今、殺された側の人たちから人殺しと呼ばれ、離れた村に住む両親も、この少年の親ということで、まわりの人たちから嫌われているという。

生活は、すべて戦争で台無しになた。 この子は、行くところがなくて、アメリカ人の宣教師が1992年に作ったた、子どもの、「いやしの家」にいた。 戦争の犠牲になった子どもや、兵隊だった子どもたちを藪の中から探し出し、ここに連れてきて、社会復帰できるようにする。 心のケアもしてくれるという。 小柄だけど、いま17歳になったという、その少年を私は見た。
(自分のしたことが、なぜ、いけなかったんだろう。 正しいことだと思ってやったのに。 一体、あれは何だったんだろう)。
私は、きっと、その子がそう思っているのだろうと思った。
だけどいま、誰も彼に対して責任をとってはくれない。 私は涙をこらえるのに必死だった。
その子とダブって、私には、日本の軍国少年や、特攻隊の若者や、我先にと死んでいった志願兵のことが浮かんだからだった。 特攻隊の生き残りで、一生涯、屈折したままで死んだ俳優の顔も浮かんだ。 戦死した戦友たちに済まない、という思いが、生きている間中、彼を悩ましていたことも知っていた。

 (中略)



この地球上の87%の子どもは、発展途上国で暮らし、その多くがこんな風に、家族や自分の命を心配しながら必死に生きている。 残りの13%が先進国の子ども。
この、ほんの一握りの子どもが、ちゃんとしたお水を飲んで、ご飯もたべて、予防接種もして、教育も受けさせてもらっている。 日本は、その13%の中に入っている。
ほんとうの幸せとは?」。
地球上の子どものすべてが、安心して希望を持って生きていかれる時が来たら、それが本当の幸せ、といえると思う。 そうやって考えてみると、私が小さい時、雨の降る夜、家の中にいて(うれしい)と思ったのが、本当の幸せではないか、と思えてもくる。 少なくとも、世界の発展途上国の子どもたちは、そう考えるのじゃないか、と思える。

ひきこもり、登校拒否、家庭内暴力、子どもの自殺、家庭崩壊、わが子殺し、動物虐待……、いま日本で問題になっているすべてのことが、なかった家庭。

「家族が一緒にいて、顔を見合わせて笑える家庭」。 これが、新しくはないけれど、私にとっては、「ほんとうの幸せ」のように思える。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



134 - 135、211 - 212ページ
『小さいときから考えてきたこと』
著者: 黒柳徹子
2001年11月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社




「チャイルド・ソルジャー」なんて、あってはならないことだわ!



シルヴィーもそう思うでしょう!? 黒柳さんは20年近くユニセフ親善大使を務(つと)めてイラク戦争やアフガン戦争の時の難民キャンプを自分の目で見て悲惨さをエッセーに書いて日本人に、その悲惨さを訴えているのですよ。

黒柳さんはいくつぐらいの人なの?

この人は年をとらない不思議な人なのだけれど、生まれは1932年8月9日ですよ。

あらっ。。。もう80歳近いのじゃない!?

そうなのですよ。。。写真を見ると、ちょっと信じられない。

つまり、戦争に絶対反対している人は塩野七生さんよりも、皆、年上の人なのね?

いや。。。そのようなことはありません!

戦後生まれの人でも絶対反対している人が居るの?

居ますよ。 僕ですよ。

ケイトー以外によ。。。。

居ますよ。 韓国の人気作家の孔枝泳(コンジヨン)さんですよ。 1960年代のはじめに生まれてますよ。 ちょっと次の小文をシルヴィーも読んでみてね。


どんな殺人にも反対する

孔さんは、アメリカで、イラク戦争に反対する州はマサチューセッツ州やニュージャージー州など東海岸に集中し、開戦に賛成しているのはテキサス州を始めとする西南部の州であることを知る。 ふと思い当たった孔さんは、すぐさま、それまで収集した死刑関連資料を引き出してみた。 ...イラク戦争に反対している州では、すでに百年以上ものあいだ、死刑制度が廃止されたままであり、逆に開戦支持の州では、ほとんどが今なお死刑制度が継続しているのだった。

 (中略)



---フセインも悪い人間だ。 だが、そんなひとりの人間を殺すためにたくさんの人が死ななきゃならないのだろうか、いや、違う!
次の日、孔枝泳(コンジヨン)さんは子どもたちを呼んだ。
「死刑はやっぱりいけない。 人を殺しては駄目。 人はどんな場合にも他人の生命を奪ってはいけないの。 だからこそ、殺人は最大の罪なのよ」

子どもたちへの孔さんの話は続く。
殺したのが国家だからといって罪にならないわけではない。 私たちがそういう行為をすべて罪と断定してこそ戦争に反対できるし、どんな形の殺人にも反対する本文が立つのよ
死刑制度廃止に対する彼女の強い意志が肌に伝わってくる。

正直、僕自身はというと、彼女の意見にそのまま賛成できない。 殺人を行った人間や死刑制度のことよりも、殺された人やその遺族の思いのほうが、強く胸に迫ってくるからだ。
ただ、自分が正しいと思ったことをはっきりと表現する、ひたむきで、リスクを恐れない孔枝泳さんの姿に、敬意を表したい。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




204 - 205ページ 『半島へふたたび』 
著者: 蓮池 薫
2009年9月9日 第11刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




要するにケイトーも孔枝泳さんのように死刑制度も戦争も絶対反対するの?



もちろんですよ。

でも、そのような事をネットでいくら書いても戦争は無くならないと思うわ。

あのねぇ〜、何もしないよりはマシなのですよ。 戦争を無くすのは意識の問題ですからね。

そうかしら?

歴史の流れを見てくださいよ。 ガンジーさんの無暴力抵抗運動を手始めに、マーチン・ルター・キング牧師、ダライラマ14世、マザー・テレサ、それに、アウンサン・スーチー女史と無暴力を標榜しながら独立運動、貧困撲滅、人種差別や、戦争反対に命を捧げて運動してきた人たちが居るのですよ。 だからねぇ、そのうち世界のネット市民から意識革命が起こって、あと10年もすれば、この世界から戦争が無くなりますう。 僕は100年早く生まれてきてしまったのですよ。 うへへへへへ。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
そうですわよねぇ〜。

世の中には戦争をすると得をする人たちが居るのでござ〜♪〜ますわよう。
たとえば、ヒトラーのように権力欲に駆られた人とか
死の商人のように兵器をたくさん造っている人たちです。

このような人たちは、戦争が無くなっては困るのですわよう。
あなたにも分かるでしょう?

エストニアの人たちは独立運動を盛り上げる歌声で独立を勝ち取ったのでした。
だから、軍隊も兵器も要らないのでござ〜♪〜ますわ。
必要だと思っている人は、ヒトラーや死の商人のような人物の思惑に洗脳されているだけなのですわ。

とにかく、クソ暑いのですわよう。
戦争よりも、このクソ暑さをどうにかして欲しいものでござ〜♪〜ますわ。
京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さなのですう。
あまり暑いので、あたくしは今日も冷し中華を食べたくなったのでざ〜♪〜ますわ。



あああァ〜。。。「冷し中華」を思い浮かべただけで汗がタラタラと滲み出てきましたわ。
もういけません!
十二単を脱ぎ捨てて、すぐ近くの中華料理店へ走ってゆこうと思います。
うふふふふふ。。。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

第41代および第43代米国大統領を生み出した

ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。
 
 

 
東京大空襲で焼け野原になった江東区
 
 
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。


その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。



「いつブッシュが捕まったんだ!?」




『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)




ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年08月28日

栃木便り

 
栃木便り
 
 

 
 




Subj:小百合さんも

素晴らしい夏休みを

過ごせるよう祈ってます。


Date: Wed, Aug 3, 2011 10:24 am.
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 8月4日 午前2時24分)
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com


2011年8月1日 月曜日 午後1時頃
イングリッシュ・ベイ(English Bay)の遊歩道のベンチに座ってますよ。
左手にバラードブリッジ(Burrard Bridge)が見え、その下をずっと左手の方にフォールス・クリーク(False Creek)が伸びてます。





対岸にはプラネタリウムの屋根が見えカナダの国旗が風速3メートルぐらいの風になびいてます。
いつもよりも風が強い。



False Creek



Burrard Bridge

雲一つ無い抜けるように青い空が太平洋を越えて日本の方へどこまでも、どこまでも広がってゆくようです。
対岸の空にはパラグライダーが浮かんでいるけれど、上空では風が強すぎるのか?
そのグライダーに乗っている人は見えません。



どうやら地面に固定されて風が収まるのを待ているようです。
パラシュートだけが凧のように浮かんで揺れてます。

気温は天気予報によると24度まで上がるとか。。。
いつになく風が強いので体感温度は18度ぐらい。
でも日差しはかなりきつい。
T-シャツと短パンで、かなり肌が露出しているので、すでに日に晒されて肌が焼ける匂いが仄(ほの)かにしています。



今朝は8時半にマンションを出て、イングリッシュ・ベイの遊歩道をセカンドビーチ(Second Beach)まで歩いて、その側の芝生の上で『ヌナブト』(著者: 磯貝日月)を読み始めました。
昨日(7月31日)の日曜日はGay Pride Paradeでウェストエンド(West End)はかなりの賑わいでした。



パレードが行われた通りには紙くずがかなり散らばっており、市の清掃車が3台ぐらい出てきれいにしていました。

今日、8月1日は BC Day で休日です。 つまり、3連休です。
普通ならば土曜日、日曜日でも図書館のパソコンが使えるのだけれど、3連休ということで7月31日と8月1日は図書館は閉館。
そう言う訳でパソコンもネットも使えない。
それで自由時間がたくさんできたので今日はイングリッシュ・ベイでのんびりと本でも読もうと思い立ったわけ。



Lawn Bowling Green

セカンドビーチの近くのトイレを使ってからローンボーリング(Lawn Bawling)場の脇の芝生に場所を移して直径1メートルぐらいの切り株の上に腰を下ろして『ヌナブト』の続きを読む。

ランチのつもりで持ってきたバナナを2本食べてしばらくしたら、またトイレに行きたくなり、その後で、また場所を移して今居るベンチにやってきた次第。
本を読むのも退屈したので、こうして小百合さんにメールを書き始めたというわけです。(微笑)



今夜には、今年の夏、2回目の花火大会があるらしい。
花火打ち上げ用のバージ(浮き船)が2艘つながって100メートルほど沖合いに浮かんでます。

Gay Pride Paradeは毎年行われているけれど、たいてい見ません。
でも、昨日はパソコンが使えなかったので5年ぶりに、すぐ側のデンマン・ストリート(Denman Street)へ見に行きました。
祭りの少ないバンクーバーでは、現在名物になりつつありますよ。
5年前に比べるとパレードの長さも2倍になり見物人も2倍ぐらいに増えました。
山車(フロート)は、それほど奇抜なモノはなくて、トラックなどに飾りを施した簡単なものです。
でも、日本と違うのは、ロックやポップミュージックをボリュームを上げて流し、パレードをする人も見物人も音楽に合わせて盛り上がり、中には踊りまくる見物人も結構居ます。







変わったところでは、今年は全裸になった60歳ぐらいの爺さんが居ましたよ。 きゃははははは。。。
なぜかナップサックを背負っていた。
なぜ?
でも、60歳のジジイの全裸を見てもウザイだけですよ。(苦笑)





20歳の美女の全裸ならば盛り上がると思うのだけれど、残念ながら女性のヌードは一人も現れなかった。
ただし、トップレスになってみごとなオッパイを披露しながら踊りまくっていた女性が3人居ましたよ。
どの女性も実にみごとでした。 きゃはははは。。。

小百合さんは軽井沢ですか?
それとも伊豆の別荘ですか?
あるいは栃木の田舎の山小屋とか。。。?



森や林の中でミンミンゼミがジージー、ミンミン鳴いていますか?

脂汗をタラタラたらし、セミの鳴き声を聞きながら茹(う)だるような暑さの中で「冷し中華」を食べた子供の頃の日本の夏がマジで懐かしいですよ。
20年以上カナダに居るのにセミの鳴くのを聞いたことが無い。
イマイチ夏らしくない!





暇ができたら、行田の大長寺にでも足を運んでみてね。
ゼリーフライでも食べてから
林で鳴くミンミンゼミの声を僕の分まで聞いてきてください。
小百合さんも素晴らしい夏休みを過ごせるよう祈ってます。
じゃあね。



では。。。

\(^-^)/





『バンクーバー便り』より
(2011年8月4日)






Subj:しばらくご無沙汰してしまいました

Date: Sun, 7 Aug 2011 22:09:30 +0900 (JST)
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 8月8日 午後2時9分)
From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail.jp


お久しぶり。 ごめんなさい。
返信を書きたくても なにせパソコンを開こうという時間がありません。
...と言うよりも気分的なものですね。
どうしてもパソコンに向かおうという気がしないのです。

今、日本は大変です。
西の方は関係ないかもしれないけど、
東日本、東北地方では 息をつくのも考えてしまいます。

たぶん そのような日本を覆う息も詰まる雰囲気が私の気持ちを うっとうしくさせるのかもしれません。

遠くに行こうとか、避暑をしようとか、
また、カナダに行こうなんて思いつきません。

デンマンさんがイングリッシュBAYでお散歩してくれて、私も嬉しいですよ。
ロブソン・ストリートを「Gay Pride Parade」は行進したのでしょうか?

とにかく、いい夏のロブソン通りをデンマンさんが満喫している様子が見えてきます。
数年昔を思い出しながら
私もバンクーバーの町の風景を懐かしんでますよ。

今は、パソコンを開く時間もあまりなく
子供の世話だけに気を紛らわせています。

なんだか愚痴めいてしまいました。
また、気が向いたらお便りします。
では...

小百合より








Subj:いくつになっても夢とロマンを

忘れないでね




Date: Tue, Aug 23, 2011 4:23 pm.
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 8月24日 午前8時23分)
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com


久しぶりに幸代さんから返信をもらって喜んで飛び跳ねていますよ。



きゃははははは。。。

幸代さんが生きているのが分かっただけでも幸せな気分です。
うしししし。。。

たまたまライブドアのメールアドレスチェックがあったので1週間ぶりにINFOSEEKのメールボックスをチェックしました。

8月7日に受け取ったのですね。
今日は23日だから2週間以上も前ですよ。

行田の実家から弟が手紙を寄越したけれど、
日本は原発事故でかなり騒いでいるようですね。

原発事故については最近カナダではニュースになってませんよ。
今年の3月、4月には毎日のようにニュースを伝えていましたが、とにかく、幸代さんが生きていたので一安心です。(微笑)

また今年の秋には日本へ帰省する予定です。
また、縁があれば、ぜひ会いたいですね。

いくつになっても夢とロマンを忘れないでくださいね。
生きるということは夢とロマンを持つことですよ。
きゃはははは。。。

じゃあね。。。

暇があったらデンマンのブログでも読んでみてね。






小百合さん。。。なんだか気持ちが滅入っているようですね?



分かりますか?

忙しさに追われて滅入った気分を紛らわせているようだけれど、ものは考えようですよ。

「ものは考えよう」って具体的にはどういうことですか?

昔の人は言ったでしょう!? 「人間万事塞翁が馬」ってぇ。。。


「人間万事塞翁が馬」



古代中国の万里の長城の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。
その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。
一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。

すると、どうだろうか。 しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。
しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。

それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。
周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。
それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に借り出されて戦死した。
しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。
そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという。

このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になった。




デンマンさんの好きな言葉ですわね!?



そうですよ。。。人生なんて考えようで不幸にも幸せにもなるものですよ。 だからねぇ、不幸になるような考え方をするだけ損なのですよ。

そうでしょうか?

だってぇ、そうでしょう! 悪い事ばかりは続かないものですよ。

でも、今の日本は悪い事ばかりが続いていますわ。

だから、そういう時には世界を見るのですよ。

でも、世界に目を向けても悪い事がたくさん起きているように見えますわ。

それわねぇ〜、小百合さんが悪い事に拘(こだわ)りすぎているのですよ。

そうかしら。。。?

あのねぇ〜、コインに裏と表があるように、裏ばかり見ていてはダメですよ。 たまには表も見てくださいよ。 小百合さんはコインの裏ばかりを見ているのではないですか?

そうでしょうか?

だってぇ、そうでしょう! 小百合さんは次のように書いていたではないですか!




今、日本は大変です。
西の方は関係ないかもしれないけど、
東日本、東北地方では 息をつくのも考えてしまいます。

たぶん そのような日本を覆う息も詰まる雰囲気が私の気持ちを うっとうしくさせるのかもしれません。




小百合さんはコインの裏を見ているのですよ。



。。。で、コインの表はどうなっているのですか?

あのねぇ〜、小百合さんがバンクーバーにやって来れば、美術館の裏の青空喫茶でべーグルサンドイッチを食べながら懐かしい思い出話を僕と語り合うのですよ。











そうですわね。。。私にも時間ができればバンクーバーを訪れて、のんびりとコーヒーでも飲みながら、まったりした気分に浸りたいものですわ。



だから、普段から、そう考えることですよ。 それが夢とロマンを持つということではありませんか?

でも、なかなか思うようにはゆかないのですわ。

気持ちの持ちようですよ。 「人間万事塞翁が馬」ですよ!

でも、子供の事とか、夫の事とか、介護が必要な舅の事とか。。。いろいろと考えなければならない事がたくさんあって夢とロマンから程遠いところに居るのですわ。

だから、それが気の持ちようなのですよ。 かつて小百合さんは思い切って、自分の夢とロマンを実現しようとしたではありませんか! しかも、実際に行動に移したのですよ。





Subj:長い電話お疲れ様でした

Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 10月1日 午後5時52分 
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com


長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。

経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。

いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。 
バーナビーで夏休みを過ごすことは
毎年私の支えの時間でした。


あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。
買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。

日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。

でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。

小百合より





『カナダのバーナビー』より
(2008年11月18日)




そうでしたわ。。。そういう事もあったのですわ。



だから、夢とロマンを持ち続けるのですよ。

でも、この年になって、そのような事をしていて、いいのかしら?

あのねぇ〜、人生にも裏と表があるのですよ。 人生の裏ばかり見ていてもダメですよ。 リンドバーグ夫人も言っていたではないですか!


一種類の愛だけではない



結婚の絆ということはよく言われるが、この段階に達してそれは多くの、性質も抵抗力も違った絆の集まりになって、容易なことでは破れない一つの網が作られる。 それは愛でできているのであるが、ただ一種類の愛だけではなくて、最初の憧憬に満ちた愛、それから次第に生じた献身の情、そしてそのいずれもを絶えず支えているのは友愛である。

この網はお互いに相手に対して忠実であることや、相手に依存していることや、共同の経験ででき上がっている。 それは巡り合いや、失望の記憶で編んである。 それは共通の言語、また、言語の不足を共通に受入れることからできている。 網でもあり、相手の好みや、癖や、ものごとに対する反応の仕方の知識もその中に入っている。 それは本能や、直覚や、意識された、また、無意識の交流で作られているもので、こうしてこの網は毎日を一緒に過ごして同じ方向を眺め、その方向に一緒に仕事をすることからくる親しみから生じて、それは時間的にも、空間的にも、人生と同じ性質のものなのである。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




71ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 訳者: 吉田健一
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

『リンドバーグ夫人の愛』に掲載
(2011年8月27日)




小百合さんは「軽井沢タリアセン夫人」なのですよ。 



でも、デンマンさんが勝手に作り上げた偶像ですわ。

いや。。。違いますよ。 小百合さんが人生の裏側だけしか見ていないから、そう考えるだけです。 僕は小百合さんの考え方に、実は、リンドバーグ夫人と同じような考えがあるのを見ていた。

マジで。。。?

そうですよ。 13年間もカナダで夏を過ごして、しかも離婚もせずに家庭生活を続けているということは、普通の日本人にはできないことですよ。 だからこそ僕は小百合さんに「軽井沢タリアセン夫人」を見たのですよ。 それだからこそ、僕は「軽井沢タリアセン夫人」に夢とロマンを求めたのですよ。

。。。で、デンマンさんの夢とロマンが実現したのですか?

もちろんですよ。

その証拠でもあるのですか?

ありますよ。 次のGOOGLEの検索結果を見てくださいよ。



『あなたが読んでいる現時点の検索結果』



この検索結果がデンマンさんの夢とロマンなのですか?



そうですよ。。。「軽井沢タリアセン夫人」で検索すると 20,200件表示されるのですよ。 ほとんど僕が書いた記事か、それに関連したページです。 これが僕の人生の裏ですよ。 僕の人生の表は、もっとハッピーですよ。 うしししししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
ばかばかしいわ!
デンマンさんの人生の裏側ですってぇ〜。。。
なんだか読んでみて、呆れてしまいましたわ。
あなただてぇ、ここまで読んできてバカバカしくなったでしょう?

それにしても暑いですわよね!?
京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さなのでござ〜♪〜ますわ。

あまり暑いので、なんだか冷し中華が無性にたべたくなってきたのでざ〜♪〜ますう。
デンマンさんの呆れたオチを読んだら、もう馬鹿馬鹿しくなってじっとしては居られません。



「冷し中華」をイメージしたら、マジで汗が噴き出してきましたわ。
もう、やってられません。
十二単を脱ぎ捨てて、すぐ近くの中華料理店へ走ってゆこうと思います。
うふふふふふ。。。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『夢とロマンの横浜散歩』

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こんにちは。ジューンです。

暑い夏には「冷し中華」もよいですけれど、

バンクーバーは日本ほどには暑くならないのですわ。

だから、わたしは夏でも、やっぱり

フランス料理やイタリア料理がいいのです。

デンマンさんが久しぶりにご馳走してくれると言うので

イングリッシュベイを散歩しながら

シルビアホテルの近くの

イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。









デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、

ちょっとおねだりして仔牛と

フォアグラのローストをリクエストしました。



う〜♪〜ん。 期待していた通りですう。

仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、

英語では「ヴィール」vealですよね。

まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。

特徴は香りやクセがなく、

とても柔らかいのですわ。

その分、バターなどコクのある食材と

あわせる場面が多いようです。

今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と

フォアグラのローストです。

マルサラ酒とリコッタチーズのソースが

とっても合っていました。

2色のアスパラガスが添えてあって、

落ち着いた感じを与えています。

フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは

贅沢にも濃厚なフォアグラですう。

やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、

お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。

ソースはしっかり目に全体をまとめていました。

普段、口にする機会がないヴィールと

フォアグラなので、とっても期待していました。

デンマンさんが特別に注文してくれた

カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。



わたしが首を長くして待っている間

デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために

わざわざ中国の西安に行ったときの事を、

いろいろと話してくれました。



料理が出てくるのを待ちながら、

わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。

いつものようにデンマンさんは、

かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、

わたしは半分、上の空で聞いていました。

うふふふふ。。。



次に出てきたのはイタリア料理の

バヴェッティーネでした。

焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの

芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。

食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような

上質の和食を連想させる優しい味わいでした。



そして、デザートにはクレームエペスでした。

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の

生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな

酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、

その味わいを表現しています。

なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。

フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。







2011年07月25日

悔恨の気おくれ (PART 1)

  
悔恨の気おくれ (PART 1)







Subj:グルメの小百合さんが

ウハウハ喜んで読めるような

グルメな記事を書きましたよう。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 25/08/2009 9:34:01 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月26日 水曜日 午後1時34分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com




“デンマンさんも秋ですね。”



そうです。。。そうです。。。
バンクーバーは小百合さんが言うようにめっきり秋の気配に包まれていますよう。
もう夏は終わりました!

今日、8月25日の最高気温は21度です。
ラーメンが食べたくなるような涼しさです。



ところで、小百合さんの「麦わら帽子」から『人間の証明』のことでたくさん記事を書きました。
小百合さんからインスピレーションをたくさんもらいました。
ありがとね。



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』

『母の証明 (2009年8月25日)』


森村誠一さんの経歴から熊谷生まれだと知り、
さらに、12歳のときに熊谷空襲を体験したということから。。。
僕の母校・熊谷高校をウィキペディアで調べることになったのでした。

旧制熊谷中学時代に19年間も教えた弘中又一先生が、なんと、『坊っちゃん』のモデルだったと知り、僕の興味も『人間の証明』から『坊っちゃん』に移って行ったのでした。

松山中学の生徒の間で歌われていたものに「教師数え歌」があるのです。
「一つ弘中シッポクさん」で始まっており、7番目に「七つ夏目の鬼がわら」とあるのですよう。
このシッポクとは、シッポクうどんのこと。



グルメの小百合さんのために、調べましたよう。
9月2日の記事の中で書きました、
題して『坊っちゃん再訪』

『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』

熊谷時代の弘中先生の好物がどじょう。
それで「柳川鍋」も調べました。

小百合さんは、多分、泥鰌(どじょう)が嫌いでしょうね?





でもねぇ〜、「柳川鍋」はうまそうだよう。
うまそうな写真を載せてあるから、ぜひ読んでみてね。

子供の頃、お袋が「柳川鍋」風どじょうドンブリを作って食べさせてくれたけれど、
“うまい!”と思って食べたことはついに一度もありませんでした!

\(^▽^;)/ きゃはははは。。。
 
じゃあ、ゆっくりと読んでみてね。
小百合さんも、きっと、よだれが出てくると思うよう。

(//\/i/i__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ〜






『弘中先生と熊谷 (2009年9月6日)』に掲載




デンマンさん。。。ずいぶん古いメールを持ち出してきましたわね。



以前の記事を読んでいたら急に懐かしいメールに出くわしたので、ここに書き出したのですよ。

その記事というのはどのような内容でしたの?

あのねぇ〜、僕が熊谷高校に入学してまもなく、行田地区の生徒が理科の実験室に集まって、新入生歓迎の談話会を催(もよお)したという話なのですよ。

面白そうですわね。

当時、高校三年生の春田少年が、大人も顔負けの話をしたのですよ。 僕も含めて新入生は春田さんの話にすっかり感心したものですよう。

それで、20年以上経っているのにデンマンさんはお話の内容をほとんどすべて覚えていたのでますか?

そうですよう。 僕はねぇ〜、大学に入ってから集まりがあって、何か話せと言われたら春田さんがしたような話を内容を少し変えて話そうと、そう考えて記憶にとどめていたのですよう。

。。。んで、お話しする機会があったのですか?

松下産業の新入社員研修で、その機会があったのですよう。 でも、どう言う訳か、その時はすっかり忘れていたのです。

それで、お話しする機会が無いままに、20年以上経って思い出した時に次の記事を書いたのですか?

『はなし (2005年4月7日)』

そうなのですよう。。。結局、今まで人前で話したことは一度も無かった。

それで今日は、デンマンさんが在学中に感銘を受けたユニークな先生のお話をしてくださるのですか?

うん、うん、うん。。。そうですよう。 実は、夏目漱石の『坊ちゃん』のモデルになった弘中先生が旧制熊谷中学で19年間も教えたのです。 松山中学では滞在期間が1年にも満たなかったのだけれど。。。

デンマンさんが在学当時でも、そのお話は有名だったのですか?

いや。。。聞いた覚えはあるのだけれど、それほど在校生が話題にする話でもなかった。

。。。で、当時の熊谷高校にも名物先生がいらしたのですか?

いましたよ。。。旧制熊谷中学・新制熊谷高校には、先生が長く留(とど)まるよう、そんな自由な雰囲気があったのですよ。 僕は“坊っちゃん”があこがれるような自由な雰囲気を在学中にマジで感じたものでした。

その自由な雰囲気とは。。。?

『坊っちゃん』の次の「あらすじ」を読めば見当がつきますよう。


あらすじ



旧制松山中学に赴任した

21才頃の弘中先生

(坊っちゃんのモデル)


人を小馬鹿にしたような赤シャツを着ている教頭「赤シャツ」、たくましい面構えの同僚教師「山嵐」、調子のいい芸人のような画学教師「野だいこ」など、個性豊かな教師たちと生意気な生徒たちに囲まれて始まった坊っちゃんの教師生活。
でも、わずか1ヵ月あまりで終わりを迎えます。
教頭の赤シャツと同僚の山嵐との争いに巻き込まれたのです。
出世ばかりを気にして教師に責任をなすりつける。うらでこそこそする。そんな赤シャツの振る舞いに怒った山嵐と坊っちゃんは、ついに、赤シャツと赤シャツに従う教師たちに立ち向かう決意をします。

赤シャツたちを待ち伏せした坊っちゃんと山嵐。
坊っちゃんは袂(たもと)から取り出した生玉子を野だいこの顔をめがけてたたきつけ、山嵐は赤シャツをさんざんになぐりつけました。
その夜、二人は学校を辞め、松山を離れます。
松山を離れていく船上で、晴れ晴れとした気分に浸る坊っちゃん。
生まれ育った東京に戻り、「漸(ようや)く娑婆(しゃば)へ出たような気がした」と、やっと煩わしさから解放された自由な気分に浸ったのです




『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』より




つまり、弘中先生も自由な気分に浸りたかったのでしょうか?



そうだと思います。 「坊っちゃん」にとっても、弘中先生にとっても、町の雰囲気や学校の雰囲気に、窮屈で煩わしく、息苦しいものを感じて松山の教師生活を終わらせたのですよう。

。。。つうことわ、熊谷での生活は自由な雰囲気にあふれていたと言うことですか?

そう言う事です。 モデルになった弘中先生は、事実、19年間も熊谷中学で教えたのですからね。 弘中先生の愛した自由な雰囲気があったのに間違いないのですよう。

デンマンさんには、どうして分かるのですか?

だから、僕の経験した自由な雰囲気を書き出してみますよう。 まず手始めに英文法の先生と漢文の先生の話をします。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。





うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?



卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。

そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?





そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。



その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。

また、女性のお尻でござ〜♪〜ますか?

いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。

クレオパトラでござ〜♪〜ますか?

いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。

つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ〜♪〜ますわね?

そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。

デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ〜♪〜ますか?

大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。

どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ〜♪〜ますか?

この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?

もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ〜♪〜ますから、中国文学はイマイチでござ〜♪〜ますわ。おほほほほ。。。


長恨歌(ちょうごんか)



華清池は秦の時代(前221〜前207年)から続く温泉地で、唐代(618〜907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)

九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。

中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。

華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。

【解説】

長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。

【あらすじ】

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

【史実との相違】

時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

【楊貴妃の美】

■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。 



■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」

ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。

■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」

侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?



デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。

それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。





つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご〜♪〜く惹かれたのでござ〜♪〜ますか?

そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。




『あっちかち (2008年3月25日)』より




面白いユニークな先生がいたのですわね。 うふふふふ。。。でも、タイトルには「悔恨の気おくれ」と書いてありますけれど、いったい何が「悔恨の気おくれ」なのですか?



あのねぇ〜、実は熊谷高校に在学している時に、ほろ苦(にが)いような、後悔が未だに心の片隅に残っている思い出があるのですよ。

もしかして。。。デンマンさんも教室から外を眺めている時に素敵なお尻に目が留まったのですか?

まさか!。。。素敵な尻とは関係ないのです。 確か1年生の時だと思いました。 このページの冒頭に現在の熊谷高校の正面玄関の写真を貼り出したけれど、僕が1年生の時にはまだ古い2階建ての校舎だったのですよ。 1年生時代の教室は大正時代に建てられたようなマジで古い校舎で、1階建てだったのです。 本館とは離れていて僕の居たホームルームの教室は一番西側にあった。 そこから本館の一番東側の脇玄関が見えたのです。

玄関が重要な意味があるのですか?

そうなのですよ。 休み時間だと思ったけれど、僕はぶらりと教室から出て本館の脇玄関が見えるところで日向(ひなた)ぼっこをしていた。

一人でですか?

他にクラスメートが居たという記憶がない。

それで。。。?

一人のお母さんが脇玄関の前で入ろうかどうしようかと迷っているのが目に入った。

その日は、父兄参観日でしたの?

いや。。。違いますよ。 なぜなら他に父兄は誰も居ないのですよ。 そのお母さん一人でした。 どうやら子供のことで先生に何か相談があるというような風情なのですよ。

でもどうして、そのお母さんの事が気になったのですか?

あのねぇ〜、かなり上品な和服を着ていた。 しかも、その姿には気品があった。 ちょうど原節子さんが和服を着ているような姿ですよ。

 (すぐ下のページへ続く)


2011年07月20日

とんかつとピアノ (PART 2)

 
とんかつとピアノ (PART 2)


ミッチー・ブーム



ミッチー・ブームとは、正田美智子(当時)が1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、日本の皇太子・明仁親王(当時)と婚約して結婚することにより生じた社会現象。
民間人である美智子が、皇太子の「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道し、大きな話題となる。
これを契機にテレビが普及するなど、戦後日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。

第二次世界大戦後、1956年(昭和31年)の経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し、景気が上昇していた中で、宮内庁は1958年(昭和33年)11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表する。
1957年(昭和32年)に聖心女子大学英文科を卒業していた美智子は、その年の夏、皇太子と軽井沢で親善テニス・トーナメントの対戦を通じて出会い、皇太子は美智子の人柄に惹かれて自ら妃候補にと言及したと報道され、皇族か五摂家といった特定の華族から選ばれる皇室の慣例を破り、財界出身とはいえ初の平民出身皇太子妃として注目の的となった。
昭和天皇は「皇室に新しい血を」という意向だったとされている。
正田家は家柄が違い過ぎるとして当初、固辞の姿勢を見せたが、皇太子の「柳行李一つで来てください」との言葉が決め手となって決心を固めたと報道された。
しかしこの報道は事実ではなく(「ご学友」橋本明の創作)、のち2001年(平成13年)に行われた天皇の記者会見では「このようなことは私は一言も口にしませんでした」と強く否定、プライバシーと尊厳の重要性に言及し、報道のあり方に疑問を投げかけている。

美智子がテニスで着ていた白地のVネックセーターや白い服装、身につけていたヘアバンド、カメオのブローチ、ストール、白の長手袋などのいわゆるミッチースタイルと呼ばれたファッションが大流行し、ヘアバンドはミッチーバンドと名付けられている。
宮内庁で行われた11月27日の婚約記者会見で美智子が「とてもご清潔でご誠実なご立派な方で心からご信頼申し上げ」と皇太子の印象を述べた発言が大きな注目を集め、「ご清潔でご誠実」は、流行語になった。

マスメディアは「昭和のシンデレラ」あるいは「世紀のご成婚」と銘打ち、美智子の生い立ちや、皇太子との交際などを詳報、週刊誌は1956年(昭和31年)の『週刊新潮』創刊をきっかけに、1957年(昭和32年)創刊の『週刊女性』(主婦と生活社)、1958年(昭和33年)の『週刊女性自身』(光文社)、『週刊明星』(集英社)、『週刊大衆』(双葉社)、『週刊実話』などの創刊が相次ぐ「週刊誌ブーム」が起きており、週刊誌・女性週刊誌の報道競争が過熱していた。「ご成婚」は週刊誌メディアにとって格好の題材・素材となって週刊誌の売り上げが伸び、さらに週刊誌記事を通じて皇室情報が一般人に浸透することとなった。

これら社会現象は婚約発表のその年に、美智子の愛称「ミッチー」に由来して「ミッチー・ブーム」と名付けられ、以後、この呼称が社会的に定着。
同年12月1日に日本銀行が一万円券(いわゆる一万円札)を発行、股上が極端に短い新作パンティー「スキャンティー」を発表するなど女性下着ブームの火つけ役となって女性下着の歴史に画期をなしたファッションデザイナー鴨居羊子が『下着ぶんか論 解放された下着とその下着観』を上梓、インスタントラーメンの元祖チキンラーメンが発売され、またロカビリーブームが起こるなど、この年に多くの人々が景気の上昇を実感する時代を迎え、本格的な消費社会の入口にさしかかっていたことが、経済的にミッチー・ブームを支える背景となっていた。
また首都圏広域の電波送信を可能にする東京タワーが12月23日に完成、マスメディアの領域ではテレビ放送時代の幕開けの準備が整う。
このような時代背景の中で、ミッチーブームは、戦後の明るい話題として取り上げられた。

皇太子明仁親王と正田美智子の結婚の儀翌1959年(昭和34年)4月10日の、いわゆる結婚式(「結婚の儀」「御成婚」)と、実況生中継されたパレード(ご成婚パレード)で、ミッチー・ブームは頂点に達する。
皇居から渋谷の東宮仮御所までの8.18キロを馬車、あるいはロールス・ロイスのオープンカーが目抜き通りを走るパレード沿道には、53万人の群衆が詰めかけた。

パレードに先立ち、テレビのメーカー各社は競って宣伝を行なったため消費者は実況生中継を見ようとし、テレビの売り上げが急伸、パレードの一週間前に NHK の受信契約数(いわゆる普及率)は、200万台を突破。またテレビ製造メーカー、週刊誌各社は大量消費社会へのテイクオフ(離陸)を果たし、テレビコマーシャルや週刊誌の消費が伸びる契機となった。

日本の経済、ファッション、マスメディアなどの変遷を語る上でエポックとなった空前のミッチー・ブームが起きたちょうどそのころ、日本の経済は岩戸景気に突入し、高度経済成長時代を迎える。
マスメディアはその後も彼女の皇太子妃としての生活(第一子「浩宮」誕生、第二子「礼宮」誕生、子育て)などの様子を頻繁に取り上げ、美智子妃は国民にとっての「象徴」としての役割、すなわちいわば「憧れ」の対象としての地位を確立してゆく。
政治学者の松下圭一は、これら一連の「ミッチー・ブーム」社会現象を切り口にして天皇制を分析した著作「大衆天皇制論」を1959年(昭和34年)に著している。
2005年(平成17年)出版のDVDブック「昭和ニッポン」(第8巻『美智子さまブームと東京タワー』など全24巻)を共同執筆した横浜市立大学助教授の古川隆久は、ミッチー・ブーム前後のメディアの皇室報道を検証して「逆説的ですが、民間人出身の皇太子妃が誕生したことで、国民は皇室との距離を実感してしまったのではないか」と分析している。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、美智子さんのイメージがデンマンさんのお父様にも消しがたい印象を残したのですか?



そうなのですよ。 僕にも驚きでしたよ。

でも、まさか美智子さんがデンマンさんのお父様とお見合いをしたわけではないでしょう!?

もちろん、そのようなことはありません。

それで、どのような事があったのですか?

あのねぇ、三島さんじゃないけれど、親父にとっても美智子さんは素晴らしい日本女性に映ったらしい。 つまり、熱烈な美智子ファンになったのですよ。

それで。。。?

当時は親父は小学校の平教員だった。 それなのに。。。、ああそれなのに。。。、こともあろうに美智子さんが書いた詩を基に作曲して、自分の受け持ちのクラスの生徒に歌わせて、それをテープに吹き込んで美智子さんに贈ったという、ちょっと信じられないような事をしたのですよ。

それで美智子さんは受け取ったのですか?

それが、受け取ってテープを聴いたようなのです。

どうして、そのような事がデンマンさんに判るのですか?

あのねぇ〜、美智子さんの自筆の手紙ではないけれど、多分、宮内省から派遣されている秘書の方だと思うのですよ。 その人が丁寧にお礼の手紙を書いて僕のオヤジに送ってよこした。 その手紙が僕の実家の床の間に飾られて“これを家宝にするんだ”とオヤジがマジで得意になっていましたよ。

マジで。。。?

小百合さんも信じられないでしょう!? でもねぇ、本当なのですよ。 多分、今でも床の間に飾られてると思います。 今度、小百合さんが行田に来た時には僕が見せますよ。

でも、デンマンさんのお父さんは小学校だけしか出てないのでしょう?

そうですよ。 独学で小学校の教員免許を取った人なのです。

。。。で、音楽も独学だったのですか?

そうなのですよ。 音楽の先生になり手がないので、音楽を取ると先生になり易かった、というような話を直接オヤジから聞いたような覚えがありますよ。

ピアノはどうしたのですか?

先生の免許を取る前に、オヤジは僕の母校でもある行田市立中央小学校の給仕をしていた。 だから講堂にあるピアノを使って独学したのですよ。 そのピアノは僕が小学校に上がった時にもありました。 しかも家に帰ってくると、印刷された鍵盤を畳の上に広げて練習していたそうです。 先生になってからも。。。僕が生まれてからも、家ではよくその印刷された鍵盤の長い紙を広げて練習していました。 僕が2歳か3歳の頃、親父の真似をしてその紙を持ち出しては、同じように指を動かしていたと、お袋が面白そうに話していましたよ。

でも、音が出ないでしょう?

もちろんですよ。 要するに、指の運び方を鍵盤が印刷された長い紙の上で練習していたのですよ。

作曲まで独学ですか?

あとで親父に尋ねたら作曲は、ある先生に師事して勉強したと言ってましたよ。 その作曲家の名前までは思い出せませんが。。。

でも、どうして美智子ファンになったのですか?

あのねぇ〜、親父にとって皇室は悪いイメージだったに違いない。 昭和天皇のために戦争しなければならなかった。 死ぬ目にあったのですよう。 小学校の先生になったけれど、赤紙で召集されて満州に飛ばされましたからね。。。、それから沖縄に転戦したのです。

あの激戦地にですか。。。? よく生きていましたわね?

沖縄本島ではなく宮古島に駐屯させられたので助かったと言ってましたよ。 その時、オヤジが戦死していれば、当然、戦後に僕は生まれなかったのですよ。 宮古島では食料が無くてカタツムリを食べて生き抜いたと言ってましたね。 それだけ苦労させられたのに皇室に対して好感を持っていられたのは、やっぱり民間人の美智子さんが皇室に入ったということが大きな理由なのだと僕には思えましたね。 美智子さんの実家は小百合さんが生まれ育った館林。。。行田とは目と鼻の先ですよ。

そう言われてみるとデンマンさんにも、お父さんの血が流れているのが良く分かりましたわ。

ほおォ〜。。。また、どうして。。。?

デンマンさんも独学でピアノを習って意中の人・恵美子さんの前で「乙女の祈り」を弾いて聞かせたと言っていたじゃありませんか!?

あれっ。。。小百合さんは、そんな事まで知っているのですか?

いやですわ。。。次の記事の中でデンマンさんは自慢そうに書いていたではありませんか!

『クラシック興味ある?』

(2006年6月13日)



【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
デンマンさんの“オーラ”のお話は、ちょっと考えさせられますわ。
確かに、ありますわよねぇ。
グループの中で、どう言う訳か注目される人が居るのですわよ。

実を言うと、あたくしは飛びっきりの美人ではござ〜♪〜ません。
でも、これでも、あたくしは、結構注目されるのですわ。

ええっ。。。十二単を着てるからだろうってぇ〜?

いやですわ。
あたくしが十二単を着ているのは記事の中だけですわ。
こんな格好で大学で講義できるはずもないのです。

でもねぇ、注目されても、ありがた迷惑なのがレストランへお友達と行った時なのですわよ。
どう言う訳かお店の人にあたくしは大切にされて、
お勘定の時に、ついついあたくしが払う羽目になってしまうのですわ。 んもおお〜〜!

。。。で、そのあとで喫茶店へ女の子ばかりで入ったりするでしょう。
すると、隣のテーブルの男の子のグループから代表の人があたくしに声をかけるのでござ〜♪〜ますわ。
そういう時ってぇうれしゅうございますう。

ところが、後で合コンになって、最後までカップルにならずに一人だけ残ってしまうのがあたくしなのですわ。
これってぇ、どう言う事なのでしょうか?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。 うふふふふふ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』





こんにちは。ジューンです。

あたくしも日本でトンカツをいただいたことがありますわ。

美味しかったですわ。

でも、わたしはポークよりもビーフの方が好きです。

デンマンさんが久しぶりにご馳走してくれると言うので

イングリッシュベイを散歩しながら

シルビアホテルの近くの

イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。









デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、

ちょっとおねだりして仔牛と

フォアグラのローストをリクエストしました。



う〜♪〜ん。 期待していた通りですう。

仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、

英語では「ヴィール」vealですよね。

まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。

特徴は香りやクセがなく、

とても柔らかいのですわ。

その分、バターなどコクのある食材と

あわせる場面が多いようです。

今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と

フォアグラのローストです。

マルサラ酒とリコッタチーズのソースが

とっても合っていました。

2色のアスパラガスが添えてあって、

落ち着いた感じを与えています。

フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは

贅沢にも濃厚なフォアグラですう。

やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、

お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。

ソースはしっかり目に全体をまとめていました。

普段、口にする機会がないヴィールと

フォアグラなので、とっても期待していました。

デンマンさんが特別に注文してくれた

カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。



わたしが首を長くして待っている間

デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために

わざわざ中国の西安に行ったときの事を、

いろいろと話してくれました。



料理が出てくるのを待ちながら、

わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。

いつものようにデンマンさんは、

かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、

わたしは半分、上の空で聞いていました。

うふふふふ。。。



次に出てきたのはイタリア料理の

バヴェッティーネでした。

焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの

芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。

食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような

上質の和食を連想させる優しい味わいでした。



そして、デザートにはクレームエペスでした。

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の

生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな

酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、

その味わいを表現しています。

なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。

フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。

お酒を絶対に口にしないデンマンさんが、

その場の雰囲気にすっかり酔ってしまったように、

わたしにちょっとベタベタした一幕もありましたわ。



「ジューンさん、ボーイフレンドと別れてから、

寂しくない?」

「あらっ。。。、どうして別れたことを

ご存知なのですか?」

「僕は地獄耳を持っているからね、

うへへへへ。。。ちょっと、このあと、

僕のマンションに寄らない。。。?」

「ええ。。。そうしたいのですけれど。。。

わたし、明日は仕事で朝が早いのですわ」

「僕が起こしてあげるから。。。うしししし。。。」

「でも、デンマンさんのところには

目覚ましがないから、

わたし、やっぱり自分のマンションに

まっすぐに帰りますわぁ」

デンマンさんはガッカリしていましたわ。

でも、思慮分別のある心の広い方ですから、

キレることもなく、ムカつく事もなく、

私のマンションまでエスコートしてくださいました。

ただし、お休みのキスは、

かな〜♪〜りディープになって長かったのですわ。

あまり長くなるとちょっと問題ですので、

「もうやめて」と言うつもりで、

舌を咬ませてもらいましたわ。

うふふふふ。。。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





2011年07月04日

愛に揺らぐ女

 
愛に揺らぐ女




早咲きの天才

(青木繁)は21歳の若さで画壇にデビューした。 1904年に東京美術学校を卒業し、夏には絵描き仲間4人と千葉の布良(めら)海岸に赴いた。

この旅は民家の一室を借りての合宿のようなものだったらしいが、青木繁の人生にとってふたつの点でとても重要である。 ひとつはここで《海の幸》の着想を得たこと、もうひとつは旅に同行した女性とのあいだに子供ができたことである。



    《海の幸》

その女性は栃木の出身で福田たねといった。 男ばかりの旅に女ひとりで加わったのだから、大胆な女性であることはまちがいない。 たねは日光出身の小杉放庵の師、五百城文哉の元で絵を学び、そこで小杉と親しくなる。



  福田たね

小杉が上京したときに たねも東京に出て不同舎に入る。 絵の上のことだけでなく恋愛感情が絡まっていたものと思われるが、その恋が実らずに終わると、つぎにときどき不同舎にぶらっとやてくる青年に心を寄せた。 それが青木繁である。 ふたりは間もなく付き合いだした。

 (中略)

青木は現実をそのまま絵に移すのではなく、想像を加えて象徴的に描くのを好んだ。 神話から多くの作品を生んでいるのも、物語によって想像をかき立てられたからだった。...それでは、男の顔が女性に変えられ、前向きだったのが横向きに直されたのはなぜだろう。 また他の人物は褐色なのに、彼女と中央の男の肌だけが光っているのも気になる。 まるで物語の主人公のような雰囲気だ。...友人の証言によると、加筆されたのは1906年ころだという。 《海の幸》が描かれた1904年と、その後の2年間にはいろいろなことが起きている。
 
 (中略)

1905年8月には、たねが男の子を出産。 出産費用はたねの実家に頼っている。 『古事記』のオオナムチノミコトの受難の物語を題材にした《大穴牟知命》や、翌1906年には《日本武尊》など大作を仕上げているが、美術界の評価はいまひとつだった。



《大穴牟知命(おおなむちのみこと)》

尊大であろうが、傲慢であろうが、世間の注目さえ得られれば、青木のなかでバランスがとれたはずだ。 だがさまざまな不調がかさなって歯車が噛み合わなくなり、夢と現実とに引き裂かれるような思いだったろう。

そんなとき布良(めら)でのふたりの輝かしい記憶を、絵の中に込めようとして筆を入れたのではないだろうか。

ここでどうしても気になるのはふたりの表情のちがいだ。 男のほうは自信に満ちた顔で、女のほうは不安げである。 



まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いたい、わたしたちはどうなってしまうのかと。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




128 - 130ページ
『あの画家に会いたい個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社




デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で青木繁の絵を取り上げはったん?



あのなァ〜、上の《海の幸》の絵を見て、それから福田たねさんのことを読んでいると、なんとのう、めれちゃんの不安そうな表情が思い浮かんできよったのやがなァ〜。。。

どうして、わたしの不安げな顔が思い浮かんできやはったん?

次のめれちゃんの手記を思い出したのやァ。


夢のバンクーバー
 
 
2004-8-16 19:46


 
 
ご苦労様、
ありがとうございます。
バンクーバーでのわたしは、
デンマンさんに
エスコートされて、
のびのびした表情をしていますね。
ここ大阪では考えられません。

わたしの精神年齢は32歳ですか?
大人ですね。
昔から思索にふけることが
多かったのですが、
そういった時に、
わたしは大人に
なれるのかもしれません。

でも、妄想にふける
中学生のわたしもいますが。
もうひとつ言えば、
不安にさまよう
4歳のわたしもいます。


わたしの詩・・・
(自分では自慰行為と呼んでいますが)
人に見せるのも、まして批評していただけるなんて、
全く初めてだったんです。

デンマンさんが感想を書いて下さって、
冗談ぬきで、舞い上がるようないい気持ちです。
ネットで公開してよかった・・・

デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。


わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、心配になっています。



それにしても、わたしは幸せ者ですね。
この、“夢のバンクーバー”で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございます。

質問の方もできるだけ早く、残りをお答えしますね。
 
 
by レンゲ




『どうしたら大人の恋になるのですか?』より
 2006年01月17日(火)




デンマンさん。。。あんさんは古いモノを持ち出してきやはりましたなァ。。。これは、わたしが2004年の8月に書いたものですやん。



そうやァ。。。

あんさんは、わたしの書いたモンならば、何でも保存してましたん?

そうやァ。。。このような時に、こうして引用できると思うたのやがなァ。 (微笑)

マジかいな? 2004年に、あんさんはマジでそないに思いましたん?

マジやがなァ。。。めれちゃんの詩や、短歌や手記に触れ、わては、なんとのう消し去りがたい感銘に打たれたのやがなァ。

あんさん。。。ホンマにマジかいなァ?

このような時にウソや冗談が言えるかいなァ!

なんぼでも言えますやん。。。口は重宝なものですねん。

あのなァ〜。。。青木繁の有名な《海の幸》の絵まで持ち出してきたのやでぇ〜。。。ウソや冗談で、この記事を汚すわけにゆかんがなァ〜。

それで、タイトルの「愛に揺らぐ女」というのは、もしかして、わたしのことを言うために書きはったん?

そうやァ。。。

それは、あんさんの独断と偏見やと思いますわ。

つまり、めれちゃんは不安になることは、めったにないと言うのんかァ〜?

そうですう。。。わたしは次のようにルンルン気分になることも、けっこうあるねん。


朝のキモチ



昔、好きな人と会える日は、

朝、目が覚めた瞬間に、

身体中にしあわせが

いっぱいになって、

踊るように

出かける仕度をして、

出かけていったなあ。

あの頃のわたしは、

多分、今の100倍

キレイだったと思う・・・
 
 
by レンゲ  

2004/12/10 07:33




『心の痛みを話す気になりましたか?』より
 (2005年11月26日)




確かに、めれちゃんがルンルン気分になってスキップしながらボーイフレンドに会いに出かけて行く姿が見えるようやけど。。。、でもなァ〜、上の詩から受ける印象は、その想い出を追憶している寂しそうなめれちゃんの姿やんかァ。



上の詩を読んで、あんさんはそないにしか受け留めることができへんのォ〜?

あのなァ〜、めれちゃんには陽気でルンルン気分のときもあるかもしれへん。。。でもなァ〜、これまでのめれちゃんの書いたものを読むと、どこかに不安な面影が潜んでいるように思うたのやァ。

それでタイトルを「愛に揺らぐ女」としやはったん?

そうやァ。

そやけどそれは、あんさんの極めて個人的な受け留め方やと、わたしは思うねん。

いや。。。決してそないな事はあらへん。

その証拠でもあるのォ〜?

あるがなァ。 次の検索結果を見てほしいねん。





あらっ。。。こないにしてわたしの不安な気分を確かめはったん!?



そうやァ。。。15,100件も、めれちゃんの不安が記事に取り上げられておるねん。 上の検索結果に現れている10件の記事は、すべてめれちゃんの不安が表現されている詩や、短歌や手記についての記事やんかァ。

リストの記事すべてが、わたしについて、あんさんが書きはった記事やのォ?

もちろんやァ。。。ウソやと思ったら自分で上のリストの中のURLをブラウザに入れて、それぞれの記事を調べてみたらええやん。

つまり、わたしが「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは決め付けたいん?

いや。。。そないに決め付けようとしているわけではあらへん。 わてはただ《海の幸》を観て、冒頭の文章を読んで改めて青木繁と福田たねという女性の関係に、ちょっとばかり関心を持ったのやがなァ。。。


青木繁



(1882年7月13日 - 1911年3月25日)

日本の明治期の洋画家である。
『海の幸』の作者として知られる繁は、近代日本美術史の上でもっとも著名な洋画家の一人である。
若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた後、放浪生活に入り、満28歳の若さで没した繁の生涯は半ば伝説化している。
短命だったこともあって残された作品の数は決して多くはなく、代表作『海の幸』を含め多かれ少なかれ未完成の作品が多い。
しかし、日本の古代神話などをモチーフにした浪漫的色彩の濃い画風は西洋美術の物まねではない独自のものとして高く評価されている。

少年時代

繁は今の福岡県久留米市に、旧有馬藩士である青木廉吾の長男として生まれた。
武士の系譜を引く父は厳格な人物で息子の画家志望を聞かされた時、「美術だと。武術の間違いではないのか」となじったという逸話が残っている。
繁は同じ久留米生まれの洋画家・坂本繁二郎とは同年で両者は小学校の同級生でもあり、終生の親友でありライバルであった。
同時代人の証言や繁自身による『自伝草稿』によれば、繁は歴山帝(アレクサンドロス大王)に憧れる早熟な文学少年であったようである。
繁は絵画のほかに短歌もよくし、短い生涯に多くの文章を残している。

画家時代

繁は1899年(明治32年)、満16歳の時に中学校の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾・不同舎に入って主宰者の小山正太郎に師事した。
肺結核のため、麻布中学を中退。
1900年(明治33年)、東京美術学校(のちの東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受ける。
1902年(明治35年)秋から翌年正月にかけて、久留米から上京していた友人・坂本らと群馬県の妙義山や信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。
これは無銭旅行に近い珍道中だったことが坂本の書簡などから窺えるが、繁はこの旅行中に多くの優れたスケッチを残している。
1903年(明治36年)に白馬会8回展に出品した『神話画稿』は白馬会賞を受賞した。
『古事記』を愛読していた繁の作品には古代神話をモチーフにしたものが多く、題材、画風ともにラファエル前派などの19世紀イギリス絵画の影響が見られる。
1904年(明治37年)夏、東京美術学校を卒業したばかりの繁は、坂本や画塾不同舎の生徒で繁の恋人でもあった福田たねらとともに千葉県南部の布良(めら)に滞在した。
『海の幸』はこの時描かれたもので、画中人物のうちただ1人鑑賞者と視線を合わせている人物のモデルは福田たねだとされている。
この前後が繁の短い絶頂期であった。
以後の繁は展覧会への入選もかなわず、私生活にも恵まれず放浪のうちに短い生涯を終えたのである。

放浪生活

1905年(明治38年)8月、今の茨城県筑西市に滞在中、繁とたねとの間の子である幸彦(後の尺八奏者福田蘭童)が誕生した。
しかし、繁はたねとはついに正式には結婚しなかった。
1907年(明治40年)8月、郷里の父の危篤の知らせを聞いた繁は単身帰郷、これが青木とたね・幸彦母子との永遠の別れとなった。
画家としては「天才」と言われた繁であったが、父亡き後、一家を支えていく甲斐性は彼にはなく1908年(明治41年)10月には郷里の家族とも別れて天草、佐賀などを転々とする放浪生活に入った。
放浪時代にも作画を続け『月下滞船』(1908年(明治41年))のような佳作もあるが、もはや画家としての繁のピークは過ぎていたようである。
心身ともに病んでいた繁は1911年(明治44年)3月、入院先の福岡市の病院で死去した。満28歳8か月の若さであった。

ハナ肇とクレイジーキャッツの元メンバーで料理研究家の石橋エータローは蘭堂の息子、つまり繁の孫である。

代表作

•黄泉比良坂(よもつひらさか)(1903年)(東京藝術大学大学美術館)
•自画像(1904年)(東京藝術大学)
•天平時代(1904年)(ブリヂストン美術館)
•海の幸(1904年)(重要文化財、石橋美術館)
•大穴牟知命(おおなむちのみこと)(1905年)(石橋美術館)
•日本武尊(1906年)(東京国立博物館)



•わだつみのいろこの宮(1907年)(重要文化財、石橋美術館)
•朝日(1910年)絶筆(佐賀県立小城高等学校黄城会)

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、福田たねとう女性も「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは言いたいん?



ちゃうねん。 わては福田たねさんは、本の著者が言うてるように大胆な女性であることはまちがいないと思うとる。

それなのに、どないな訳で「愛に揺らぐ女」というタイトルにしやはったん?

あのなァ〜、本の著者は次のように言うてるねん。


女のほうは不安げである。 



まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いったい、わたしたちはどうなってしまうのかと。




それがどないやと、あんさんは言わはるの?



実は、「いったい、わたしたちはどうなってしまうのか」という問いを投げかけているのは福田たねさんではのうて青木繁自身やとわては思うねん。

そやけど、それも、あんさんの個人的な意見ですやん。

そうかもしれへん。。。でもなァ、青木繁の表面上の尊大で傲慢な性格の裏には、他人が覗けない不安と懐疑の念があったと、わては思うねん。 そやから、青木は、たねさんと正式に結婚もしなかったし、不安と懐疑のために寿命をちじめてしもうたと、わては思うねん。




【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
確かに人間には表面からでは伺えない不安や懐疑が心に巣くっている場合もあると思います。
表面上の尊大で傲慢な性格の裏に、他人が覗けない不安と懐疑の念を持っていたとしても決して不思議なことではないかもしれません。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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じゃあね。





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