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最近、ある2社の合併が話題になりました。
僕は過去に合併で吸収する側になったこともありますし、吸収される側にもなったことがあります。
そんな時の僕の体験では、どんなことが起こったかを振り返ってみましょう。
まず、吸収する側になった場合は、それほど大きな問題は有りませんでした。
新しい人を受け入れるためのスペースを用意するくらいでしたね。(それほど大きな規模の吸収合併でもなかったものですから。でも、吸収された相手のほうは転勤が発生して大変だったことでしょう。)
吸収される側になった時のケースは大変でした。
まず、治験に関連するSOPをどうするか、ということが大きな問題でした。
合併するにあたり新しいSOPを作成するのか、それともどちらかのSOPを踏襲するのか、という問題です。
両者のSOPの良い点、悪い点を考慮してより素晴らしいSOPを作る、という考えもありましたが、それはそれで大変なので、結局、相手の会社のSOPに一本化する、という形で話がまとまりました。
ただし、合併する前から進んでいた治験については、基本は開発当時の(前の会社の)SOPで進めることとし、可能なところから、随時、相手の会社のSOPに従って治験を進めるということに。
そこで、僕がやった仕事としては、どの治験が前の会社のSOPでどこまでやり、どこから新しい会社のSOPで行う予定なのかを一覧表にすることでした。
次に大問題なのは、「ひと」の問題でした。
これは、僕が直接関わるような話ではないので、僕は間接的に大変だっただけでしたが、どの組織の長をどちらの会社の人間がそのポストを取るのか、という社内政治的な問題です。
例えば開発部長のポストはA社の人間がなり、薬事部長のポストはB社の人間が取った、というようなことですね。
となると、必然的にB社の開発部長だったひとはどうなるのか? あるいはA社の薬事部長だったひとはどうなるのか? となります。
また、それが下のひとたちにも波及して・・・・・・。
人間だけの問題ではなく、それぞれの社風や人事制度などにも「異文化交流」が起こり、合併してしばらくは「ドタバタ」しました。
やがて、「ひと」も「治験」も「SOP」も「モノ」も落ち着く先に落ち着いて、やっと一段落したころに、また合併の話が、というのが僕が以前、勤めていた会社の話でした。
さて、ここで一般的な話になるのですが、合併・再編成時代を生き残る方法は?
吸収先の会社に残るかどうか、という意思はもちろん、その当人の意思になります。
しかし、場合によっては、早期退職優遇制度などが発令され、暗に「あなたはこの会社では不要です」などと言われることも。
そんなとき、どうすればいいのでしょうか?
思い切って転職することです(なお、『思い切り』が必要なのは、最初の転職だけです。2回目からはそれほどの『思い切り』は多分、必要ありません。)
合併・再編成時代を「生き残る」というのは、何もそのまま会社に残ることではなく、「生物的に」生き残ればいいのです。
『ひと、いたるところに青山あり』とはよくいったもので、死に場所はどこにでもあります。
大切なのは、どれだけ「楽しんで」仕事ができたか、ということ。
それが僕たちの基本路線だと思いませんか?
治験と言えば、まず真っ先に新入社員が習うのは「倫理」についてだろう。
そもそもGCPにこうある。「1) 治験は、ヘルシンキ宣言に基づく倫理的原則及び本基準を遵守して行われなければならない。」
治験は「倫理的原則」を遵守しないといけないのだ。
ところで「企業倫理」という概念もある。
日本経済団体連合会が「企業倫理徹底のお願い」等というのも出している。
↓
http://www.keidanren.or.jp/japanese/news/announce/20060919.html
この上のページを見ると分かるのだが「企業倫理」というと「コンプライアンスの浸透と徹底」というように「コンプライアンス」という言葉が必ず出てくる。
通常、この「コンプライアンス」とは「法律・規制の遵守」という意味で使われる。(医薬品業界、特に医療の現場で「コンプライアンス」という言葉を使うと「薬の服用率」を指す事があるので、新入社員は、この際、覚えておこう。)
では、法律を守っていれば、それで「倫理的」と言えるか、というとそうでもない。
例えば、麻薬に指定されていないが、それに類似する作用を発揮するモノを販売したら、それは直ちに法律違反ではないが、「倫理的ではない」だろう。
逆に、例えば「人種」によって仕事を差別する法律が仮にあったとして、それを守らずに「人種」による差別を無くし、公平に扱うマネジャーがいたら、それは法律違反だが、「倫理的」と言えるだろう。
もし、企業が起こした事故を隠蔽したり虚偽報告をするというのが仮に法律違反にあたらないとしても、それは「倫理的」と言えるだろうか?
もちろん、言えない。
会社ぐるみでそういうことをやっていたら、その会社は信用を失墜し、社会的に制裁される、と思っているが、最近はそれもどうかな?と思い始めている。
ところで「治験」の場合だが、治験で倫理の話になると「インフォームド・コンセント」とか文書による同意とか自発的意思による治験への参加、ということが思い浮かべるが、もちろん、治験における倫理的基準はそれだけではない。
例えば、副作用が発生したら、それを必ず創薬ボランティアに伝えないといけない。
また、治験全体で言えば、有効性だけでなく、有害事象のデータも全て集めて、そのデータをもって、新薬の承認審査を受ける。
人間の命に直接関わる薬のことだから当たり前と言えば当たり前だが、製薬会社から見たら「不都合」な「有害事象」(薬との因果関係を問わない)のデータを全て集めて、それを報告するというのは、とてもいいシステムだと思う。
だけど、そのシステムがどこかで壊れていたら、とても残念な話だ。
一般消費者から見て、「倫理的」というのは、こちらが考えて、やりすぎくらいが丁度いいのかもしれない。
間違っても、「認識が甘かった」とテレビの前でシャチョーが謝らなくて済む。と言うか、謝る、謝らないに関係なく、その事実が広く知れ渡る、渡らないに関係なく消費者の安全を守るのにやりすぎはないのだ。
企業の中で「倫理的」行動の見本、手本を新入社員に見せるのがマネジャーの仕事だ。それも、最も重要な仕事だろう。
「機体の点検・整備に対して認識が甘かった」という飛行機が有ったら、僕ならそれには絶対に乗りたくない、と思うのだ。(違うかな?)
それはもちろん「創薬ボランティア」だ。
僕たちは治験の活性化というとつい「治験を依頼する会社」と「治験を実施する医療機関(病院・クリニックなど)」を考える。
ここで関連するひとたちと言うとモニター、CRC、治験責任医師、治験分担医師、治験事務局、IRB委員会などなど。
しかし、どんなに治験を実施する体制を作ったとしても治験に参加する「創薬ボランティア」がいないとなんら意味を成さない。
治験の活性化政策を考えるときに忘れていけないひとたち、それは「創薬ボランティア」。
どうやって『潜在的』な創薬ボランティアの皆さんにご協力頂けるか、これが最も重要な課題だ。