4年ほど前になるのでしょうか?ひょんなことから、武田信玄の末裔にあたる16代目武田家長の方と親交を深めるきっかけを頂きました。先日、その方から武田信玄が中国の『孫氏の兵法』の多くを戦に取り入れていたというお話を伺う場に私も居合わせて、色々勉強させていただきました。
私が一番印象深かった論法は、さまざまな優れた兵法の中で最も武田信玄が基としていたのが『戦わずして勝つ』という兵法でした。あえて無意味な諍いを避け、勝つ勝算のある戦いに挑む、もしくは必要な目算のある戦いにだけ資産(当時は、兵士が農耕民であるため国を支える経済の活力なため彼らを無駄死にさせることが一番の国の損失)を投入するということでした。
戦国武将の中でも優れた騎馬隊を誇り、他の武将から恐れられた武田信玄は実は戦を嫌う平和主義の人物だったのかもしれません。それを話してくださった16代目の武田さんもとても温厚な方で、誰に対しても気軽に声をかけてくださる優しい紳士です。

私はその話を聞いて、私の大好きな映画『ゴッドファザー』の一場面を思い出しました。
一代目のゴッドファザーがこの世を去り、父親が築いたシマを別の組のボスが牛耳り始めたのを知り、アルパチーノ扮する二代目ゴッドファザーがそのボスの元をわざわざ挨拶に詣でて、腸(はらわた)が煮えくり返る思いをぐっと抑えて温和に会話をしてその場を退却するシーンです。(その悔しさを押し殺しながらもその場をしのぐアルパチーノの名演技が感動モノです)そして、じっと時期を待ち、そのボスや手下、裏切り者を皆殺しにするというストーリーなのですが。
(誤解されると困るのですが、私は、決してやくざ映画が好きなのではなく、『ゴッドファザー』にはさまざまな哲学が組み込まれているところが好きなのです)

話が急に飛びますが、私が小さい頃に家で白い可愛いプードル系の犬を飼っていたのですが、父はいつもその犬を“馬鹿”だと言っていました。というのも、その犬は通行人でも何でもかんでも動くものを見るとキャンキャン鳴き喚くのでした。そのたびに父は私に「弱い犬ほどよく鳴きわめく。本当に強い犬はそうそう簡単には鳴かないんだよ。」と私に言って聞かせました。そして、『能ある鷹は爪を隠す』という言葉があり、強い者ほど騒がず相手を油断させ、隙を見て獲物を射止めるのが賢いモノだと教えました。ついでに「お母さんはいつもガミガミお父さんに文句をいっているだろう。アレは弱い証拠なんだよ。お父さんは能があるから、普段は静かにして、弱いものに対して無駄な諍いを起こさないんだよ」それを聞いて、私は妙に納得してしまい、自分の父親はなんと賢い人なのかと尊敬したものでした。

はやいもので、会社を起業して9年の歳月が立ちました。本当に多くの方々に助けていただき、ここまで来ることが出来たと感謝の気持ちです。会社を起業したことでそれまで学べなかった多くのことを学びました。
“捨てる神あれば拾う神あり”という言葉は本当ですね。1998年にわずかな資本と身ひとつでA&Peopleを興した私に、世間はそれまで経験したことの無い屈辱や方身の狭い思いをいくつも経験させてくれました。何度も何度も壁にぶつかり、『もう万事休すだ!』と消沈する私にその時々で温かく手を差し伸べてくださる多くの方(お客様、友人、知人、恩師などなど)がいました。それが私にわずかな光となる希望を芽生えさせ、諦めずにそれらの壁を乗り越える力を奮い立たせていただいたように思います。
私は父と違って、決して能はありません。少ないリソースで商いをこなさなければならないため多くのことを自分で賄わなければいけませんでした。そのため、いちいち諍いを起こしたり、感情をむき出しにして怒る労力も私にとっては温存したいエネルギーでした。また、勝つ勝算の無い相手に吼えたところで意味が無いことを、勝つ力の無い当時の自分が一番よく理解していました。勝つためには、自分やA&Peopleに力をつけなければいけないのだと自分に日々言い聞かせていました。

一昨日、久しぶりにちょっとした屈辱感を味わいました。帰りの電車の中で設立当初に味わった悔しい思い出がふつふつと走馬灯の如く脳裏に浮かんできました。
悔しいと思いつつも、よくよく考えると、こうした感情がバネとなり自分をここまで頑張らせてくれたのかもしれないと思う気持ちもあり、平穏ばかりではなく、時にはこうした悔しさも自分に必要な糧なのかもしれないと思う自分もいました。

っと、何事もポジティブに捉えるようになれたのも会社経営をして学んだことかもしれません。(~_~)


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