先日、子供が風邪気味だったので、早めに処置をしておこうと思い、仕事帰りに近所の小児科医にぎりぎり駆け込んで治療を受けたときのこと。その医院は時々TVにも紹介されるせいか、いつ行っても混んでいます。予約も受け付けていただけないので、混んでいるときはひたすら待ち続けなければなりません。
その日も、6時30分に受付を済ませて、なんと7時45に治療をしてもらいました。治療時間は5分ほどでお薬を出していただき、自宅に帰りました。
いつも、その病院へ行くともう少しうまい運用が出来ないものかとあれこれアイディアをめぐらしてしまいますが、決してそんな大それたことを院長先生に向かって口にはできません。
いつも処置が終わると「遅くまで、ありがとうございました。」と深々とお辞儀をして、失礼するのが常です。
その小児科の医院は待合室も広く取ってあり、一部じゅうたんが引かれた区切られたスペースには靴を脱いで本を読んだり、ビデオ鑑賞をする空間が設けられています。子供たちは夫々に靴を脱いで本を読んだり、寝転がったりして楽しめるわけです。
しかし、その日は小学校3年生くらいの男の子が、本当であれば操作できないように操作パネルにテープが貼り付けてあるのですが、それを勝手にはがしてTVをつけてアクション漫画を見はじめ、自分の家のように寝転がっていました。受付の看護婦さんもいやな顔をしつつ、特に注意もしないので私も何も言わずにいたのですが、親はどこにいるのかときょろきょろ見回すと待合室の隅のほうでずっと携帯のメールを熱心にしているのが彼のお母さんであることが後からわかりました。私が知る限りでもずっと携帯メールをせっせと書いては送信し、読んではまた書きとしていました。いったいそんな緊急のメールがあるのかしら?と思うほど、なにかにとり付かれたようにメールをせっせとしており、自分の息子のことなど眼中にありません。
そうこうしている間に、別の幼児がそのじゅうたんの上を土足で入ってTVの前を牛耳りモニターをふさぎました。ところがそのお母さんもフロアーとじゅうたんスペースの境目のところで立って、蚊の鳴くような声で「○○ちゃん。お靴を脱ぎましょう。駄目よ。こっちへいらっしゃい。」と、私から見ると子供に遠慮してなのか、周囲を気にしてなのか?全然その子は言うことをききません。
小さい子供にしたら、土足厳禁であるかどうかなんて分からないので、そうしたことは親がきちんと教えてあげないと分かりません。子供もバカではないので、教えてあげるときちんと理解できます。一度でわかなければ2度、3度、繰り返し教えることで理解できます。
結構忍耐の要ることですが、そうすることで子供が不躾な大人にならぬようするのが親の役目のようにも思います。
わが子も同様に、その医院へ行くと土足禁止のスペースに靴のまま入りそうになります。その度に靴を脱がせて、「ここは靴で入っちゃだめ!」と教えます。
何回もきかないときは、結構大きな声で注意したりもします。
これは私の鉄則ですが、叱るときは自信を持って叱らないといけないと思っており,必ず目を見て大きな声で叱ります。
また、先日郊外のショッピングモールで遊びに行ったときに、トイレに入ろうと思ったときに中から子供が猛スピードで駆け出してきて、私にぶつかりました。「わー!大丈夫?気をつけてね。」と声をかけると、すぐ後から来た親がその一部始終を目にしながら、私には何も言わずに子供に向かって「ほら、そっち歩くと滑るよ」なんて笑いながらすれ違い、私はちょっとびっくりしてしまいました。別に小さな子供に体当たりされたって頑丈に出来ておりますので、痛くもかゆくもないのですが、「すみません」とか、「ほら、走っちゃだめでしょ!」とか、子供を諭すのが普通じゃないのかな?なんて戸惑いを覚えました。
教育現場でも『子供を褒めて自信をつけさせ、その子の良いところを伸ばしましょう!』と先生から言われます。もちろん私も賛成です。しかし、そうした褒めることばかりを優先して、注意することや、怒ることが子供を萎縮させてしまうことのように勘違いしている親が多くなっているのかな?なんて思ったりもします。
子供は小さいので、意図せず誤りや間違いをするのは当然です。それをその都度注意し、諭していくのが大人の役目であり、将来その子供が大人になったときに社会に出て恥ずかしい思いをしないための術を身につけてもらうことなのに、あたかも注意することがその子の自信を喪失させることだと思う大人が多くなっているのでしょうか?
どうして、子供に自信を持って注意したり、時にはしかったりする親が少なくなったのかがとても不思議です。
アメリカにいたときに、ホームパーティーの最中に日本通のアメリカ人に『日本の若者は』というテーマで徹底的に国(日本の)を代表して攻撃されたことが今でも強烈に脳裏に焼きついています。
彼いわく、「日本の大学生は、“自由”と“気ままに好き勝手すること”を勘違いしている!そもそも自由を手にするためには、責任を果たさなければ自由など得られないんだ。日本人は「アメリカは自由でいいね!」なんて言うけど、我々は自由を得るためにその責任をきちんと果たしている。その辺を勘違いしないで欲しい。」という主旨のことを延々と説教のごとく言われて、最後には頭にきてしまったのを覚えています。
確かに日本の学生に比べたら、アメリカの学生は、本当によく勉強し、質素でつつましい生活を送っています。
(ちょっと横道にそれましたので、軌道修正します)
人はみな人から嫌われるのがいやなので、注意したり、怒ったりするのは極力したくないのが本音だと思います。
私も部下(特に女性)に注意したり、怒ったりするのは出来ればしたくありません。気持ちとしては、『注意される前に大人なんだから自分で気づいて自分を律してちょうだい!』というのが本音です。しかし、そうそう理想は言っていられません。
時には声を大にして社員を注意をしたり、叱咤することもあります。
自分のエネルギーや時間をそんなことに割かずにいられたら、どんなによいかと思いますが多分それがマネージメントの仕事でもあるのかと最近では割り切っています。
本人のことを考えていなかったら、注意などする必要もありませんし、ほったらかしにして 後々 本人が困るだけのことで、こちらとしては痛くもかゆくもないわけです。
本来の自信というのは、そうした周囲の注意や諭しがあって、自分を律し、省みながら成長を身についていくことなのではないかと思います。ただ、褒めただけの自信であれば、ちょっと誰かに強く攻撃されようものなら、すぐにその自信はクシュンと萎んでしまうのではないかと思います。
私の主人も、息子が泣き出すとすぐに駆け寄って「どうしたの?わかった。わかった。もうだいじょうぶだからね!」なんて、すぐにおろおろしています。私はすかさず、「たかだか子供が泣いたくらいでおろおろしてどうするの!そんなことじゃ、何でも泣けばことがすむと思ってしまうでしょ!もっと大人が毅然としていなくちゃだめ!」なんて、ついつい主人を注意したりしてしまいます。
でも、主人に限らず保育園のお父さん達もそんな感じで、特に女の子のパパとなるとデレデレです。
;気持ちはとっても分かりますが。。。
注意したり、叱ることだって愛情なくしては、出来ません。でも、時にはよいこと、悪いこと、人にされたらイヤなこと、うれしいことをきちんと理解してもらうために注意も必要だと思います。
なんて
いつになく今日はちょっと真面目モードで書いてしまいました。
その日も、6時30分に受付を済ませて、なんと7時45に治療をしてもらいました。治療時間は5分ほどでお薬を出していただき、自宅に帰りました。
いつも、その病院へ行くともう少しうまい運用が出来ないものかとあれこれアイディアをめぐらしてしまいますが、決してそんな大それたことを院長先生に向かって口にはできません。
いつも処置が終わると「遅くまで、ありがとうございました。」と深々とお辞儀をして、失礼するのが常です。
その小児科の医院は待合室も広く取ってあり、一部じゅうたんが引かれた区切られたスペースには靴を脱いで本を読んだり、ビデオ鑑賞をする空間が設けられています。子供たちは夫々に靴を脱いで本を読んだり、寝転がったりして楽しめるわけです。
しかし、その日は小学校3年生くらいの男の子が、本当であれば操作できないように操作パネルにテープが貼り付けてあるのですが、それを勝手にはがしてTVをつけてアクション漫画を見はじめ、自分の家のように寝転がっていました。受付の看護婦さんもいやな顔をしつつ、特に注意もしないので私も何も言わずにいたのですが、親はどこにいるのかときょろきょろ見回すと待合室の隅のほうでずっと携帯のメールを熱心にしているのが彼のお母さんであることが後からわかりました。私が知る限りでもずっと携帯メールをせっせと書いては送信し、読んではまた書きとしていました。いったいそんな緊急のメールがあるのかしら?と思うほど、なにかにとり付かれたようにメールをせっせとしており、自分の息子のことなど眼中にありません。
そうこうしている間に、別の幼児がそのじゅうたんの上を土足で入ってTVの前を牛耳りモニターをふさぎました。ところがそのお母さんもフロアーとじゅうたんスペースの境目のところで立って、蚊の鳴くような声で「○○ちゃん。お靴を脱ぎましょう。駄目よ。こっちへいらっしゃい。」と、私から見ると子供に遠慮してなのか、周囲を気にしてなのか?全然その子は言うことをききません。
小さい子供にしたら、土足厳禁であるかどうかなんて分からないので、そうしたことは親がきちんと教えてあげないと分かりません。子供もバカではないので、教えてあげるときちんと理解できます。一度でわかなければ2度、3度、繰り返し教えることで理解できます。
結構忍耐の要ることですが、そうすることで子供が不躾な大人にならぬようするのが親の役目のようにも思います。
わが子も同様に、その医院へ行くと土足禁止のスペースに靴のまま入りそうになります。その度に靴を脱がせて、「ここは靴で入っちゃだめ!」と教えます。
何回もきかないときは、結構大きな声で注意したりもします。
これは私の鉄則ですが、叱るときは自信を持って叱らないといけないと思っており,必ず目を見て大きな声で叱ります。
また、先日郊外のショッピングモールで遊びに行ったときに、トイレに入ろうと思ったときに中から子供が猛スピードで駆け出してきて、私にぶつかりました。「わー!大丈夫?気をつけてね。」と声をかけると、すぐ後から来た親がその一部始終を目にしながら、私には何も言わずに子供に向かって「ほら、そっち歩くと滑るよ」なんて笑いながらすれ違い、私はちょっとびっくりしてしまいました。別に小さな子供に体当たりされたって頑丈に出来ておりますので、痛くもかゆくもないのですが、「すみません」とか、「ほら、走っちゃだめでしょ!」とか、子供を諭すのが普通じゃないのかな?なんて戸惑いを覚えました。
教育現場でも『子供を褒めて自信をつけさせ、その子の良いところを伸ばしましょう!』と先生から言われます。もちろん私も賛成です。しかし、そうした褒めることばかりを優先して、注意することや、怒ることが子供を萎縮させてしまうことのように勘違いしている親が多くなっているのかな?なんて思ったりもします。
子供は小さいので、意図せず誤りや間違いをするのは当然です。それをその都度注意し、諭していくのが大人の役目であり、将来その子供が大人になったときに社会に出て恥ずかしい思いをしないための術を身につけてもらうことなのに、あたかも注意することがその子の自信を喪失させることだと思う大人が多くなっているのでしょうか?
どうして、子供に自信を持って注意したり、時にはしかったりする親が少なくなったのかがとても不思議です。
アメリカにいたときに、ホームパーティーの最中に日本通のアメリカ人に『日本の若者は』というテーマで徹底的に国(日本の)を代表して攻撃されたことが今でも強烈に脳裏に焼きついています。
彼いわく、「日本の大学生は、“自由”と“気ままに好き勝手すること”を勘違いしている!そもそも自由を手にするためには、責任を果たさなければ自由など得られないんだ。日本人は「アメリカは自由でいいね!」なんて言うけど、我々は自由を得るためにその責任をきちんと果たしている。その辺を勘違いしないで欲しい。」という主旨のことを延々と説教のごとく言われて、最後には頭にきてしまったのを覚えています。
確かに日本の学生に比べたら、アメリカの学生は、本当によく勉強し、質素でつつましい生活を送っています。
(ちょっと横道にそれましたので、軌道修正します)
人はみな人から嫌われるのがいやなので、注意したり、怒ったりするのは極力したくないのが本音だと思います。
私も部下(特に女性)に注意したり、怒ったりするのは出来ればしたくありません。気持ちとしては、『注意される前に大人なんだから自分で気づいて自分を律してちょうだい!』というのが本音です。しかし、そうそう理想は言っていられません。
時には声を大にして社員を注意をしたり、叱咤することもあります。
自分のエネルギーや時間をそんなことに割かずにいられたら、どんなによいかと思いますが多分それがマネージメントの仕事でもあるのかと最近では割り切っています。
本人のことを考えていなかったら、注意などする必要もありませんし、ほったらかしにして 後々 本人が困るだけのことで、こちらとしては痛くもかゆくもないわけです。
本来の自信というのは、そうした周囲の注意や諭しがあって、自分を律し、省みながら成長を身についていくことなのではないかと思います。ただ、褒めただけの自信であれば、ちょっと誰かに強く攻撃されようものなら、すぐにその自信はクシュンと萎んでしまうのではないかと思います。
私の主人も、息子が泣き出すとすぐに駆け寄って「どうしたの?わかった。わかった。もうだいじょうぶだからね!」なんて、すぐにおろおろしています。私はすかさず、「たかだか子供が泣いたくらいでおろおろしてどうするの!そんなことじゃ、何でも泣けばことがすむと思ってしまうでしょ!もっと大人が毅然としていなくちゃだめ!」なんて、ついつい主人を注意したりしてしまいます。

でも、主人に限らず保育園のお父さん達もそんな感じで、特に女の子のパパとなるとデレデレです。
;気持ちはとっても分かりますが。。。注意したり、叱ることだって愛情なくしては、出来ません。でも、時にはよいこと、悪いこと、人にされたらイヤなこと、うれしいことをきちんと理解してもらうために注意も必要だと思います。
なんて
いつになく今日はちょっと真面目モードで書いてしまいました。

