11月より、新たにコーディネータとして社員が入社しました。
A&Peopleでは新たに社員を迎えると、最初の一週間は会社の業務内容の習得のために研修期間が設けられ、ほとんどの時間をそれに費やしてもらいます。そのうちの半日は私がマンツーマンで『コーディネータ心得』と称して、講師役を務めます。
テキストは2000年にPowerPointで自ら作成したものを改訂しながら使用していす。
テキストには、『社会の中の企業の役割』から始まり、“会社は誰のものか?”、“なぜ働くのか?”、“考え方のステップ”、“問題解決のプロセス”などがまとめられ、なるべく質問形式で本人に考えてもらいながら進行していくようにしています。
“考え方のステップ”、“問題解決のプロセス”は、翻訳業務に関らず仕事をしていく上で、必ず何らかのアクシデントや問題が発生するのは避けられませんが、そうしたときにパニックにならずに冷静に対処する力を付けて欲しいと思い、そうしたプロセスを順序立てて説明します。
しかし、最終的には各自がどれだけ考える力があるかがその時々に大きく左右されます。

作業の現場では、時間の押し迫った中で考え、探っていかなければいけませんので、冷静さも必要になります。(なんだか、こんな風に書くとTVの『捕り物帳』めいてスリリングに聞こえますが)
弊社のコーディネータはみな女性ですので、どうしても女性は窮地に立たされると感情的になりがちですが、その辺をしっかり自己でコントロールするよう、レクチャーをする際は口をすっぱくして「感情的にならないこと!」と社員に説きます。もちろんそれでも、現場に立つとすぐ出来るわけではありませんが。

私も社会に出て働くようになって、学ぶことの大切さと意義を理解しました。
子供の頃や学生の頃はそのときに習っている授業がどの様に自分に役立つのか、まったく分かりませんでしたし、将来にどの様にリンクするのかさえ想像もつきませんでした。
しかし、社会に出てみると学校で学んだことが役立っていることに気づかされました。
例えば、鋳造学という講義の実験でレポートをまとめたときこと。自分のグループだけは実験結果は教科書どおりには行かず私は失意のどん底で『実験の経緯と、なぜそのような結果に至ってしまったのか』と『失敗を招かないための改善策』をまとめまて提出しました。すると先生は私のレポートに95点の採点を付けてくれました。
私はびっくりして、間違いではないかと講義のあとにこっそりと廊下で問い合わせると、教授は「実験は失敗に終わったかもしれませんが、実験とはその実験結果で採点するのではなく、その実験の経緯からどのような結果を導くかを学ぶことができているかを我々は判断するのです。あなたはそれをきちんと理解し、まとめてあるからそのように採点したのですよ。あなたのレポートは大変丁寧によくまとめてありましたよ」とおっしゃいました。私はそのときに頭をトンカチで叩かれたようにショックを受けました。
その先生の“実験とは”の教えが、社会に出てから現在までも色々役立ってくれています。
そして、弊社の人事用テキストの“考え方のステップ”、“問題解決のプロセス”にもその教授の教えが採用されています。

『進路に迷った/学ぶとは』、『転職をしようか/働くとは』、『このままでいいのかしら?/人生とは』、『××/○○とは』、人はその時々で考え悩み迷いますが、そんな時私はその“考え方のステップ”、“問題解決のプロセス”を頭に描き結論を導くように心がけています。
(もちろん、先輩方に相談させていただくことも多いのですが)

現在の学校教育で学ぶことの目的が“大学進学のため”となっているのでしょうか。
本来は、各人が社会に出てから生きるための助けになる知識と技法、また応用となる思考プロセスの集約のように思うのですが、それがただ詰め込み式の暗記のまったく“考えさせる力”を養わない教育は味も素っ気もないつまらないもののように思いますし、考える力がないと社会にでてから本人もあちらこちらの壁にぶつかって生きるのもしんどうようにも思います。

最近、高校での世界史の履修漏れが大きな問題となっておりますが、世界史なんて浪漫ストーリーの宝庫なのに、それを学べないなんて可哀想だなっと思います。社会人になって海外に旅行へ行っても“ただ、その地を訪れました”だけの旅行となり、外国の友人(例えばフランス人)が出来たとしても、まったくその国の歴史を知らなかったら『こいつ大学を出ている割にはバカだな!こんな世界的に有名な人物もその歴史も知らないなんて付き合えないね』って、バカにされるのが落ちだと思います。
『温故知新』 歴史の積み重ねがその国々の礎となり文化、宗教、政治、思想を形作っているのだと思いますが。。。。



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