本日の 『日経BP オンラインニュース』 より
タレントであり、フェミニストとして有名な遥 陽子さんの記事から‥
メキメキ業績アップの企業がある番組で紹介された。
それは社長から社員まで皆、女性ばかりという企業だった。
その番組に出演していた私はその社長に、
女性ばかりであることの利点を聞いた。
社長は「女だけだと話が早い。動きも早い。結果仕事も早い」
とこともなげに答えた。
男性が混ざると 「ああでもない」「いやそれは」
とやたら会議が長引く、とも続けた。
これは私も経験したことがある。
男性上司が「俺は聞いていない」 と機嫌を損ねた途端、
多くの議論はこう着した。
会議には “気高い俺” がいつも邪魔だった記憶がある。
私にはその女社長の発言はヒザを打つほど合点がいった。
しかし、このエピソードは男性たちには
実感を伴いにくい光景に映るのではないだろうか。
バリバリ働いていると自負するタイプの男性にとっては、
決断力、実行力こそが彼らにとっての自己認識だろう。
そこを基盤にして “気高い俺” が再生産されていくとも言える。
彼らにとっては女性が会議に混ざることのほうが、
「なにも発言しない女」 とか 「またエキセントリックにわめく女」
という風に映ることもあるだろう。
その女性たちが「女だけのほうがはかどる」と言った時、
どれほどの男性が合点できるだろうか。
これらの男女の実感の違いには、根拠がある。
ある仕事をまかされた20代の女性がいた。
私の職場は圧倒的に男性スタッフが多い。
私の知人である40代女性が、
その仕事のメンバーに入ることになった。
後日、その20代女性がその仕事のメンバーとの宴席で酔いつぶれ、
その介抱に大変だったと40代女性が私に愚痴った。
「なんで介抱なんかしてやるの?」と私は聞いた。
私は宴席で酔いつぶれる女性というのを信用しない。
その多くは “こんなダメな私” をアピールすることで
同席の男性たちに媚びているのが分かるからだ。
そんな古典的な戦略は、
同性から見ると分かりやすすぎて鼻白む。
「だってその宴席は男性ばかりで、
女性は彼女と私、2人しかいなかったのよ。
介抱しなきゃ、私が損じゃない」 と知人が言った。
それを聞いて、私はまたヒザを打って合点した。知人は続けた。
「男性たちは、まんまと真に受けてるのよ。
彼女は余程仕事のプレッシャーがあったんだなとか、
明るく仕事してるけどこんなに辛かったんだな可哀想に、とか。
そんな中で私だけ彼女に優しくしなかったら、
彼らの眼には私が鬼に映るわ。仕事しにくいわよ」
この光景は、そこにいた男性にとっては、
健気に頑張る若い女性がプレッシャーで壊れそうになるのを、
皆で支えて応援してやりたくなった以外の何物でもなかったようだ。
しかし同性から見ると、市場における
自分の価値を十分に自覚している女が、
さらに男性の視線を集めようと画策している姿以外の何物でもない。
真剣にプレッシャーを感じるほどの仕事なら、
男性相手に “だめな私” ごっこをしている余裕はないはず、
と私なんかは思う。
「勝手にやれば?」 と私なら突き放したいところだが、
「大丈夫?」 と駆け寄らねばならなかった
知人女性の屈辱たるやいかばかりだっただろうと、心が痛んだ。
そして、私もまた同じ状況なら、知人と同じことをしただろう、と思った。
“気高い俺” と “こんなにだめな私” は、
夫婦や恋人同士でならいい相性かもしれない。
しかし、仕事場ではそのどちらも
「そんなことやってる場合か」 がまわりの本音ではないか。
もしこれが女性ばかりの職場だったらどうだろう。
20代で責任を託された女性は、皆の前で酔いつぶれるだろうか。
よしんば酔いつぶれたとしても、
女性同士なら
「限度を知って飲みなさい。はた迷惑よ」 で終ることもできる。
男性目線を意識した言動をとる女性は、確信犯もいるが、
無意識に自覚なくやってしまう女性も多い。
そこに男性がいるというだけの理由で、
男性に媚を売るために知恵を駆使し、
男性から嫌われないために心にもない言動を自ら課す。
そんな中で、女性たちはどれほどの
精神的比重を仕事に傾けられるだろうか。
男性にとっては、常に自分たちの前で、
ある種の演技が繰り広げられていることになる。
いったいどれほどの人が演技者の
その動機に至るまでを見抜けているだろう。
酔いつぶれる女が可愛く映る男性が職場にいる限り、
女たちは否応なしに演技に巻き込まれる。
騙す女も悪いが、騙される男も悪い。
女性ばかりの職場だと仕事がはかどる理由は簡単だ。
仕事に集中できる。それだけだ。
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