ここ最近、上海へ出張すると必ずランチを共にする友人がいます。
彼女との出会いは、5年ほど前になるのかな!?
上海で私が仕事の帰りに夜道を歩いていると彼女が黒いトイプードルを散歩させているのを見て、私が「わぁ〜かわいい!」と話しかけたのがきっかけでした。犬を飼っているということは、まさか日本人ではないと思ったのですが、彼女が「ありがとうございます。」と日本語で返してきたので「えーっ、日本の方なんですね。可愛いワンちゃんですね。私も東京で犬を飼っているんですよ!」なんて会話が弾み、お互い家路に向かって歩いていたら、偶然にも同じ賃貸マンションに住んでいることが分かり、それ以来何度か彼女のお部屋を訪れ、仲良くなったのでした。
偶然にも彼女も私と同じ頃に結婚して、もうすぐ2歳になろうとするお人形のような女の子をもつママです。
彼女は母国語の日本語はもちろんのこと、中国語、英語を話すトワイリンガル。また、ご主人の母国語はスペイン語で、お二人は共に中国では外国籍で、彼女の家では英語が共通言語なのだそうです。既に彼女も社会復帰して仕事をしているため、彼女の留守の間は中国人のお手伝いさん兼ベビーシッタが娘さんの面倒を見てくれているそうです。よって、彼女のお嬢さんは4ヶ国語の言語環境の中で生活していることになります。パパとはスペイン語、ママとは日本語、パパとママと同時に会話に参加するときは英語、お手伝いさんとは中国語でコミュニケーションをとっているわけです。
一般家庭からすると、なんだか羨ましい言語環境です。
先日のランチでは、彼女はそろそろ娘さんを幼稚園に入れることを考えており、アメリカ系のインターナショナルスクールに入れることを当初は考えていたが、ご主人の意向で日系のインターナショナルスクールへ入れることにしたとのこと。
彼女のご主人も母国ではアメリカ系のインターナショナルスクール出身でそこで英語を身につけたそうですが、彼のように自分の国に住んで他国の言語環境(英語)で教育されても、生活は母国語なので特に問題がないが、彼らの娘さんの場合、生活も多くの言語が飛び交う中でどちらの親の母国語でもない言語で教育を受けることで、どこの国が自分のナショナリズムやアイデンティティーの基礎になるのかが希薄になってしまうのではないかと危惧してのことだと彼女が話してくれました。そして、翻訳会社を経営する私に意見を求めてきたわけです。
私は思わず、「私もご主人の意見に大賛成!!」と間髪いれずに答えました。
実は私は今まで多くの友人(夫婦共に日本人)に「子供をインターナショナルスクールへ通わせようと思うが、、、」という相談を受けてきた。そのたびに明確な答えのないまま自分の意見としては「英語が話せるのはよいことだと思うけど、母国語がまともに話せないのは日本人として不幸なことだと思うよ。」とを述べてきました。しかし、それが本当に正しい答えかどうかは自分としては、不明瞭で、『あくまで親や本人が決定することなのだろうなぁ〜』と考えてきたけれど、彼女のご主人の話を聞いて、私は自分のそれまでの不明瞭な解が“パッ”と明らかになった感じがしました。
そして、ある中国人の通訳学校の校長が私に話してくれた興味深い話を彼女にも話をしました。
その校長は彼女自身も通訳者として実績を積み、後輩を育成すべく15年近く上海で通訳学校を営んでおり、私が彼女の学校を訪れたときに彼女が「浅井さん、言葉って面白いのですよ。我々は通訳のテクニックを生徒に教えているだけなのに、例えば英語の通訳課をとっている学生たちは机に腰掛け、授業中もお菓子をぼりぼり食べたりして、挨拶も簡単。本や資料を投げてよこすなんて当たり前で大雑把な感じがするんです。でも、日本語の通訳を目指す生徒たちは、礼儀正しく挨拶も丁寧で、奥ゆかしいというか、真面目できめ細やかさを感じるんですよ。決して、私はそんなことまで教えていないのに。言葉って知らず知らずに文化的、民族的なものが織り込まれているのかもしれませんね」と話してくれました。
そして、友人の彼女に「これは私だけが感じていることかもしれないんだけど、また、私の英語力が乏しいせいなのかもしれないんだけどね。私英語を話しているときの人格と、日本語の人格と少しだけ違う気がするの。例えば、日本語を話しているときは相手のことを考えながら控えめに遠まわしに話をしたり、間接的に話をするんだけど、英語を話すときは自信を持って直接的に主張する自分になっちゃうの。」そこまで話すと、彼女も「そうそう、私もそうですよ!」と相槌を打ってくれた。そして「中国語を話すときなんて、もっと強くなっちゃうもん。」と彼女。私も「うん、うん」と納得。
日本には『阿吽の呼吸』という意思疎通の方法があります。(私は阿吽の呼吸が出来る人は今のところいませんが)
日本語は、口に出さずとも相手をいたわり、理解し、相手の心を探ろうとするそんな要素が含まれているのかもしれません。
また、建前と本音というのも日本固有のものなのでしょうか?腹の探りあいは、日本人どおしでも理解が難しいものです。
私は日本が大好きで、日本人の奥ゆかしく?謙虚で真面目なところを誇りに思います。島国で単一民族のせいもあり、確かに英語は苦手な人種ですが和を重んじ、真面目にこつこつ仕事をして責任を果たし能力の高い人種だと思います。あくまでも言葉はコミュニケーションのツールでしかありません。言葉はできた方がよいに決まっていますが、最終的に言葉が出来ても内面的に中身のない人であれば結果的に言語力は意味を成しません。
大切なのは、本人の能力にプラスしての言語力のような気がしますが、それは私だけの考えなのか?また、アイデンティティーはどこに属するのかを明らかにしておかないと、自分が何人なのか、どこに属するのかが不明瞭になる可能性もあるかもしれません。
まずは、自分を知り、自分を確立するということがとても大切なようにも思います。
なんて、話を上海のトワイリンガルの友人とおいしいイスラエル料理をいただきながら盛り上がった次第です。
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