蓮如(れんにょ)・本願寺第8代・「真宗中興の祖」。
1415―1499(室町時代の僧)
1415年(応永22)、存如上人(本願寺第7代)の長男として、京都・東山大谷の地で生まれる。生母は不明。
6歳の時、母と生別。衰微した本願寺で困窮のうちに成長し、15歳にして一宗再興の志願をたてたという。
17歳の時、青蓮院で得度。また父を助けて聖教書写などを行い、1449年(宝徳1)35歳のとき、父とともに北陸から関東・東北を巡化。
43歳の時、父存如が没すると、異母弟との争いののち本願寺第8世を継職した。父・存如が亡くなり本願寺第8代を継職。その後、近畿・北陸・東海などの地域で教化活動をして、念仏者を次々と生みだしていく。
51歳の1465年(寛正6年)、本願寺が栄えていくことを妬んだ比叡山延暦寺の反感を受け、大谷本願寺が破却された。
近江の堅田・金森の地を転々とし、1471年(文明3)、越前吉崎に坊舎を建立。1〜2年のうちに門徒が群集し、寺内町が形成された。
親鸞聖人の教えをわかりやすく手紙の形式でつづった『御文(おふみ)』によって民衆を教化。さらに『正信偈和讃(しょうしんげわさん)』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めの作法のもととなるかたちを定めた。
4年後、吉崎から大坂河内出口、京都山科へと移り、66歳の1480年(文明12年)には山科本願寺御影堂を完成し、北陸・東海・畿内に多くの門末を擁する本願寺教団の再興を成し遂げた。
75歳で後継を実如に譲り、83歳の時には大坂石山坊舎を建立。後の石山本願寺の地である。13男14女という多数の子女を各地に配して本願寺の藩屏とし、また本尊などの下付によって地方有力寺院を傘下に吸収するなどの方法によって本願寺教団を統制した。
1499年(明応8)3月25日、山科本願寺で真宗再興に尽くした85年の生涯を終える。
蓮如上人生誕地(崇泰院・京都市東山区林下町)
蓮如上人銅像(廓龍山善徳寺・富山県南砺市城端西上405)
蓮如上人銅像(石川県金沢市子来町55近く)
蓮如上人銅像(石川県加賀市山中温泉菅谷町)
蓮如上人銅像(安楽寺・石川県河北郡津幡町)
背負われた蓮如上人銅像(吉崎寺・福井県あわら市吉崎)
蓮如上人銅像(吉崎御坊跡・福井県あわら市吉崎)
蓮如上人銅像(三井寺・滋賀県大津市園城寺町246)
蓮如上人銅像(真宗大谷派山科別院長福寺・京都市山科区)
蓮如上人放鶯の座像(西宗寺・京都市山科区山科区西野広見町11)
蓮如上人銅像(光善寺・大阪府枚方市出口2)
蓮如上人銅像(北御堂(本願寺津村別院)・大阪市中央区本町4-1-3)
蓮如上人銅像(「久宝寺御坊」顕証寺・大阪府八尾市久宝寺4-4-3)
蓮如上人銅像(西本願寺別院・大阪府堺市堺区神明町東3-1-10)
蓮如上人銅像(本善寺・奈良県吉野郡吉野町飯貝)
蓮如上人銅像(宝珠山慶傳寺・福岡県大野城市山田)
蓮如上人御往生地(西宗寺・京都市山科区西野広見町)
蓮如上人廟所(京都市山科区西野大手先町)
吉崎御坊 蓮如上人記念館(福井県あわら市吉崎1-901-1)
TEL 0776-75-2200
営業時間 9:00〜17:00
料金 一般300円
休業日 無休
史跡・吉崎御坊跡(御山)の麓に位置し、蓮如上人の足跡・吉崎の歴史が学べる資料館。鳳凰閣・蓮如館・七不思議堂・自然観の4館構成。鹿島の森(天然記念物)を含む北潟湖の絶景を随所から堪能出来る。吉
崎に伝わる蓮如上人にまつわる七つの民話を人形浄瑠璃(シアター)や竹人形と和紙人形で紹介。
学術書を取りそろえた蓮如上人文庫も鳳凰閣に設置。
〔蓮如上人・売れ筋ベスト3(Amazon・2009/12/22)〕
1位
蓮如―われ深き淵より (中公文庫)
2位
蓮如―聖俗具有の人間像 (岩波新書)
3位
蓮如「御文」読本 (講談社学術文庫)
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