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2010年01月31日

織田信長(おだ のぶなが)・愛知の偉人

尾張国の戦国大名・織田信秀の次男として、勝幡城(那古野城とも)で生まれる。

1534年5月12日−1582年6月2日 49歳


織田信長生誕地(勝幡城跡・愛知県稲沢市平和町)


国指定史跡・桶狭間古戦場伝説地ほか桶狭間合戦関連史跡(愛知県豊明市)


信長塀(愛知県名古屋市熱田区1-1-1・熱田神宮)


織田信長銅像(井の頭自然文化園・東京都武蔵野市御殿山1-17-6)


織田信長銅像(清洲公園・愛知県清洲市清洲3-7-1)正室・濃姫の銅像もある。
清洲城(愛知県清須市朝日城屋敷1-1)


織田信長銅像、織田信長居館跡(岐阜公園・岐阜県岐阜市大宮町)
織田信長銅像(岐阜市歴史博物館内・岐阜市大宮町岐阜公園内)


織田信長銅像(JR岐阜駅北口広場・岐阜県岐阜市橋本町1)


織田信長銅像(ソフトピアジャパンセンタービル・岐阜県大垣市加賀野4)


織田信長銅像(JR安土駅前・滋賀県蒲生郡安土町大字上豊浦)


国指定特別史跡・安土城址(滋賀県蒲生郡安土町下豊浦)


安土城城郭資料館(滋賀県蒲生郡安土町小中700)


滋賀県立安土城考古博物館(滋賀県蒲生郡安土町下豊浦)


安土城天主信長の館(滋賀県蒲生郡安土町桑実寺800)


織田信長銅像、織田氏発祥地・剱神社、織田文化歴史館(福井県越前町織田)


織田信長銅像(大阪青山歴史文学博物館敷地内・兵庫県川西市長尾町10-1)
塩川摂津守国満、森蘭丸と並んで織田信長の銅像が建つ。


織田信長銅像(島原城跡公園・長崎県島原市)


織田信長、おもな墓所、供養塔、首塚など

本門寺(静岡県富士郡芝川町西山671)
本能寺の変の際に信長の首が密かに持ち出され、遠江のこの地まで運ばれ柊の木の下に埋められたという伝説とともに信長首塚が残されている。


長興時(愛知県豊田市長興寺1-29)
信長肖像画では最も知られる一枚が残されている寺としても有名。


総見寺(愛知県名古屋市中区大須3-23-38)
織田信雄が父を弔う為に建立。


総見院(愛知県清洲市一場)
信長の墓碑がある。また、織田信雄が本能寺の変直後、本能寺焼跡から探し出したといわれる信長着用の兜が保管されている。


崇福寺(岐阜県岐阜市長良福光2403-1)
信長が岐阜に入り、織田家菩提寺となる。本能寺の変により信長と信忠が亡くなると、二人の遺品は側室のお鍋の手で岐阜城から崇福寺に持ち込まれ、織田信長・信忠廟所に埋められたという。


総見寺(滋賀県蒲生郡安土町下豊浦6367)
信長の一周忌に秀吉によってつくられた廟所。安土城の二の丸に位置する。


西光寺(滋賀県近江八幡市中村町726)
信長ゆかりの「安土宗論」で知られる浄土宗の寺。


瑞龍寺(富山県高岡市関本町35)
前田家の菩提寺であり前田利家と並んで信長・信忠父子の供養塔もある。


織田剱神社(福井県越前町)
織田氏発祥地。信長は、氏神として深く崇拝し、剱神社の保護と住民の治安に尽くした。


阿弥陀寺(京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14)
信長をはじめ、信忠や森乱丸、坊丸、力丸の三兄弟、更に猪子兵助ら12名の家臣の墓もある。本堂には信長・信忠の木像もある。


大徳寺総見院(京都府京都市北区紫野大徳寺町59)
正妻濃姫)や側室お鍋の方、信長の子、などの墓が並んでいる。また、本堂には信長の木像もある。


大雲院(京都府京都市東山区祇園町南側594-1)
信長、信忠の菩提寺。


本能寺(京都府京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町)
信長終焉の地、信忠や家臣の供養塔もある。


妙心寺玉鳳院(京都府京都市右京区花園妙心寺町)
信長乳母養徳院の菩提寺、家臣滝川一益の墓もある。


今宮神社(京都府京都市北区紫野今宮町21)
境内に信長公を祀る「織田稲荷社」がある。


建仁寺本坊(京都府京都市東山区小松町584)
七重石塔は、弟織田有楽斎が兄の追善供養のための供養塔。


建勲神社(京都府京都市北区紫野北舟岡町49)
織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀する。


聖隣寺(京都府亀岡市東竪町)
信長の四男で秀吉の養子となった羽柴秀勝が父の供養のために供養塔を建てた。


南宋寺(大阪府堺市堺区南旅篭町東3-1-2)
信長、信忠や徳川家康・千利休の墓もある。


高野山金剛峯寺(和歌山県伊都郡高野町高野山)
奥の院には、信長の他にも明智光秀・豊臣秀吉など戦国時代を代表する武将達の墓も多い。


「泰勝院・宗雲寺・泰巌寺三廃寺跡」敷地内(熊本県八代市北の丸町)
八代市立第一中学校校庭東南隅に、細川忠興が信長を供養して建てた五輪の塔がある。



織田信長の本




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2010年01月30日

四賢婦人記念館・旧矢嶋家(熊本県上益城郡益城町)

四賢婦人記念館・旧矢嶋家(熊本県上益城郡益城町上陳436)

通常閉館しているので見学希望の際は、下記へお問い合わせ必要。
益城町教育委員会 生涯学習課 
TEL 096-286-3111

営業時間 8:30〜17:00

休館日 年末年始(12/29〜1/3)

入館料 無料

約200年前から存在する矢嶋家代々の家屋。
「肥後の猛婦」「四賢夫人」と称される矢嶋姉妹ゆかりの家で、明治の文豪・徳富蘇峰の生家でもある。
熊本が生んだ幕末の思想家・横井小楠との関係も深く、老朽化のため現在の地に移築復元したもので、矢嶋家や徳富蘇峰関係の資料が多数展示してある。
記念館の横には「四賢夫人誕生地之碑」もある。



矢嶋家の四賢婦人

竹崎順子(三女)
文政8(1825)年矢嶋家三女として益城町杉堂に生まれる。明治における女子教育の先駆者で明治22年熊本女学校(熊本フェイス学院高等学校の前身)を創設。多くの女性の人材を世に送り、明治38年、81歳の終焉まで校長として、その責務を全うし、現在も校母として尊敬されている。

徳富久子(四女)
文政12年(1829)年矢嶋家四女として益城町宮園に生まれる。嘉永元(1848)年徳富一敬(横井小楠に師事し、明治3年の肥後藩政改革の中心人物)に嫁し二男五女をもうける。近代日本の文豪徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟の母。姉順子・妹楫子の女子教育・婦人解放運動を支えた。大正8年91歳没。

横井つせ子(五女)
天保2(1831)年矢嶋家五女として益城町宮園に生まれる。26歳の時、思想家・政治家である横井小楠に嫁す。「夫は天下人である。妻たる自分も出来るだけ学問をして夫の名を辱めることがないように」と励み、明治維新への大業参加の小楠を支えた。また姉順子・妹楫子の女子教育・婦人解放運動を支えた。明治27年64歳没。

矢嶋楫子(六女)
天保4(1833)年矢嶋家六女として益城町宮園に生まれる。明治5年上京し、苦学の末小学校・女学校の教師となり、明治23年キリスト教系女学院(現 東京・女子学院)を創立し、初代校長となる。また明治19年、「日本キリスト教婦人矯風会」を設立し初代会頭に就任、婦人参政権・廃娼・禁酒運動等に貢献した。大正10年89歳の高齢でワシントン平和会議に出席の際、米ルーズヴェルト大統領より記念の花器を贈られその功を称えられた。大正14年従五位勲五等に叙される。93歳没。





 
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2010年01月29日

矢嶋楫子(やじま かじこ)・熊本の偉人

熊本県上益城郡津森村杉堂(熊本市本山町)生まれ。

天保4年(1833)4月24日-大正14年(1925)6月16日 93歳

女性運動家、女子教育者。


熊本の総庄屋の家に生まれる。
横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校をつくった竹崎順子、横井小楠の高弟・徳富一敬と結婚し、徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んだ徳富久子、横井小楠の後妻となった横井つせ、らは姉である。

25歳で隣村の武家の後妻となり一男一女をもうけるが、夫の酒乱に苦しみ35歳のとき離婚する。

明治5年(1872)、40歳のとき兄の看病のため上京。
40歳にして小学校教員伝習所に学び、1年後に教師となる。

明治9年(1876)、キリスト教伝道師ツルー夫人が日本人の女教師を探しているのを聞き、直接会見し、新栄女学校教師となる。翌年、キリスト教に入信した。
4年後に校長、続いて桜井女学校校長となり、明治22年(1889)桜井女学校、新栄女学校が合併して女子学院となり院長に就任した。

大正3年(1914)に80歳で退職するまでの40年間女子教育に尽力した。

当時は、良妻賢母主義が主流で、厳しい規則で生徒をしばったが、楫子の教育方針は、生徒の人格を認め、規則は不要、聖書を示して「自分で自分を治めなさい」というものであった。

夫の酒乱に苦しむ自分と同じような苦しみをもった女性を救おうと明治19年(1886)、「禁酒、廃娼、平和」を掲げて日本で最初の女性団体「東京婦人矯風会」を組織し会長となる。さたに明治26年(1893)、60歳で日本キリスト教婦人矯風会会頭となる。

一夫一婦制、公娼制度の廃止、女性参政権などを訴え、運動した。
娼婦を廃業した女性のための慈愛館の建設や乳幼児保護、鉱毒地の救済などの活動にも取り組んだ。

また、74歳ではじめて渡米し、89歳でワシントン軍縮会議に出席するなど国際平和にも尽くした。


四賢婦人記念館(旧矢嶋家)  熊本県上益城郡益城町上陳436

矢嶋楫子墓所(多磨霊園・東京都府中市)


われ弱ければ―矢嶋楫子伝 (小学館文庫)
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2010年01月29日

矢島楫子(やじま かじこ)・熊本の偉人

熊本県上益城郡津森村杉堂(熊本市本山町)生まれ。

天保4年(1833)4月24日-大正14年(1925)6月16日 93歳

女性運動家、女子教育者。


熊本の総庄屋の家に生まれる。
横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校をつくった竹崎順子、横井小楠の高弟・徳富一敬と結婚し、徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んだ徳富久子、横井小楠の後妻となった横井つせ、らは姉である。

25歳で隣村の武家の後妻となり一男一女をもうけるが、夫の酒乱に苦しみ35歳のとき離婚する。

明治5年(1872)、40歳のとき兄の看病のため上京。
40歳にして小学校教員伝習所に学び、1年後に教師となる。

明治9年(1876)、キリスト教伝道師ツルー夫人が日本人の女教師を探しているのを聞き、直接会見し、新栄女学校教師となる。翌年、キリスト教に入信した。
4年後に校長、続いて桜井女学校校長となり、明治22年(1889)桜井女学校、新栄女学校が合併して女子学院となり院長に就任した。

大正3年(1914)に80歳で退職するまでの40年間女子教育に尽力した。

当時は、良妻賢母主義が主流で、厳しい規則で生徒をしばったが、楫子の教育方針は、生徒の人格を認め、規則は不要、聖書を示して「自分で自分を治めなさい」というものであった。

夫の酒乱に苦しむ自分と同じような苦しみをもった女性を救おうと明治19年(1886)、「禁酒、廃娼、平和」を掲げて日本で最初の女性団体「東京婦人矯風会」を組織し会長となる。さたに明治26年(1893)、60歳で日本キリスト教婦人矯風会会頭となる。

一夫一婦制、公娼制度の廃止、女性参政権などを訴え、運動した。
娼婦を廃業した女性のための慈愛館の建設や乳幼児保護、鉱毒地の救済などの活動にも取り組んだ。

また、74歳ではじめて渡米し、89歳でワシントン軍縮会議に出席するなど国際平和にも尽くした。


四賢婦人記念館(旧矢嶋家)  熊本県上益城郡益城町上陳436

矢島楫子墓所(多磨霊園・東京都府中市)


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2010年01月27日

上村松園(うえむら しょうえん)・京都の偉人

上村松園(うえむら しょうえん)・京都の偉人

京都下京四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれる。

明治8年(1875)4月23日−昭和24年(1949)8月27日 74歳

日本画家で美人画の第一人者。
初の女性職業画家。

上村松園



上村松園画集
上村松園画集


生後二ヶ月で父を亡くし、葉茶屋を営む母の手で育てられる。
幼いときより何よりも絵が好きで、親戚がこぞって反対する中、母の理解と励ましのもと14歳で京都府画学校に入学。

四条派の鈴木松年に師事し、16歳で第三回内国勧業博覧会に「四季美人」を出品し一等褒状を受けた。

以来、人物画一筋に打ち込む。

幸野楳嶺(こうの ばいれい)、竹内栖鳳(たけうち せいほう)にも師事し、各種美術展で賞を受け注目を浴びた。

明治34年(1902)男子を出産、翌年、家業の葉茶屋をやめて画家として独立。初の女性職業画家となった。

「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」を念願し、『母子』『花がたみ』『焔』『夕暮』など、気品高く優雅な美人画を制作した。

母の姿を重ねて描いたという『序の舞』では、「何ものにも犯されない、女性のうちにひそむ強い意志を、この絵で表現したかった」と述べている。
のちに宮尾登美子が描いた松園の伝記の表題が『序の舞』である。

女ということで受けた中傷も数知れず、後年「周りは敵ばかりやった」「ヒステリーは男の人にもあることが判って全く驚いた」と語っているほどであった。

同じく日本画家の上村松篁(しょうこう)は息子、上村淳之(あつし)は孫にあたる。

松伯美術館(奈良県奈良市登美ヶ丘2-1-4)

上村松園墓所(大谷祖廟・京都市東山区円山町477)


序の舞 (中公文庫)
序の舞 (中公文庫)


もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


青帛の仙女―上村松園
青帛の仙女―上村松園






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2010年01月27日

自殺対策を考える

昨年の自殺者数が発表されました。鹿児島は過去5年間で最も低い数値となりましたが、増減数で命に対する感覚が麻痺してしまってはなりません。県内では470名、全国では32753名の尊い命が失われています。自殺企図をした方は、その数十倍、数百倍だったかも知れません。そのすそのには、計り知れない程、生死を彷徨い苦しんでいる方が存在しているはずです。国政レベルでも自殺対策の緊急対策チームが発足されていますが...

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